NO.12 河田弘道の限られた体験より:日本の大学の経営者と管理者

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                                      Ⅱ:私立大学の経営基盤と情報公開の必要性

 

1.収入源と許認可問題:

     日本の私立大学は、何を収入源として大学経営を行っているのでしょうか。読者の皆さんは、こんな疑問を持ったことがありますか。

    私立大学の経営基盤は、学生達からの①受験料(現在一校一人当たり35,000円)、②入学金、③授業料、④文部科学省(略:文科省)からの私学助成金(国民の税金から)、⑤各種寄付金が主たる収入源となっています。このような事から、私学に於いては、受験生、受講生を増やす事により増収するのです。その為か、ある時期から大学が全国にやたらと増設され、今や大学の数が飽和状態になって需要と供給のバランスが取れない事態に至っています。にもかかわらず、今日では、中小規模の大学は、学部、学科を強引な手法により増やす大学が見受けられますが、許認可を出す文科省は、どのような基準で許認可を出されるのでしょうか。

    このような許認可問題は、今日社会問題として白日の下に曝されています。これらは、起きるべくして起き、そこに起因する関係者の利害と利権が潜んでいるように思えてなりません。此処では、森友、加計学園を話題にするつもりはありません。

     認可を与えた文科省は、各大学法人に「後は全て任せます」ではなく、「各大学が認可に基づいた約束事を遵守しているか否か」をチェックする独立機関を設置し、厳しく指導、管理するべきです。これは、監督官省庁としての許認可責任が問われてしかるべきだと思います。これを行わない限り、日本の大学は、資質の低下に歯止めがかからないと思います。

    これらの構造的な問題は、文科省スポーツ庁が起点となり改善、改革しない限り、いつまで経ってもアンフェアーでグレーな利権と利害が教育界、スポーツ界に蔓延し、良くならないのが我が国のアドミニストレーションのレベルを物語っていると思われます。

 

2文科省の大学助成金

     このような今日の現状に於いても今なお、大学は、どんどん学部、学科増設の申請を毎年されて、認可を受けている特定の大学が大変多い事をご存知ですか。何故このような事が罷り通るのでしょうか。これらの経営者は、大学という公的な看板の下で実は学生達を集金マシーン化しているのでないかと思われる大学が目立ち始める昨今のように思えてなりません。

      文科省の不明瞭な私学助成金制度は、もっとわかりやすく国民、社会に情報公開がなされるべきです。特に本助成金は、各大学にどのようなプロセスと規約により配分されているのか、また学生の為にどのように各大学で有効に活用されているのかの開示が必要であります。何故、本件に付いて誰もが話題にされて来なかったのでしょうか。

     文科省は、本制度以外にも事業として文科省独自の課題、テーマを大学側に提供、告知されています。最終的に事業実施の許認可を受けた大学は、本事業課題を遂行する指定校に任ぜられます。問題は、この審査過程の情報を公開しないので最後までアンフェアーなグレーゾーンの中での審査と受け止められかねないのです。指定を受けた大学は、文科省と数年間の契約で事業課題、テーマを学内外で遂行する為の新たな補助金(数億円単位以上)を受けるのです。しかし、この金の流れが本当に指定大学で有効活用されているかと申し上げますと非常に疑問に思える体験を私も致しました。

 

3.情報公開の必要性:

     今日起きております少子化問題により、今後ますます私学の経営は、死活問題となって来ていると申して過言でありません。このような状況から、大学経営者は、補助金(国民の税金)を得るための秘策、施策を巡らすことから、どのような助成金であれ、公金を拠出する側も受ける側も情報を公開する義務があります。これは、その金の流れと使途が明らかになることで不正抑止になる事は間違いありません。本公金は、学生達の教育の為の助成が本来の目的なのです。本当に学生、教員がその恩恵にあずかっているか、その証を公開して欲しいと願います。しかしながら、このような教育利権にまで、政治家の名前が学園内に漏れ聞こえてくるのが不思議な現実です。

 

4.教育の独自性による資質の低下:

     学生数が6000人前後の私学では、あらゆる経費削減の狙いから、大学の資質に影響を及ぼす事態が既に起きています。資質の問題では、教員数を減らす事に手を付けるが為に、各学部共通の履修科目を増やし、一クラスに履修学生を詰め込む方式へと転換しています。また、ゼミに於いては、選択制を採用し、ゼミのコマ数を減らし、少人数のゼミは、レベルの異なるゼミまで統合して1担当教員が同クラス、同時間に複数学年の面倒を見るという大学も出始めております。

    また、16年度より日本の伝統的な大学生、教員のステイタスでもあった卒業論文(別名:卒論、内容は別として)は、今や必修から選択科目となり、これにより殆どの学生達は、論文を選択しないという方向に急速に今後進むと思われます。

    何故文科省は、長年大学生に対しての卒業論文を義務付けて来たのでしょうか。今日もなお大部分の大学では、卒業論文を必修としていると思われます。文科省は、独自性を尊重する事からこれらの判断を各大学法人に任せているのかも知りません。これもまた、文科省、大学の告知、説明無きアドミニストレーションなのです。論文選択科目は、やがて全国の大学に拡散するのは時間の問題だと思われます。

    これにより、専任教員のコマ数が減少、教員の負担の軽減にはなると思われますが、経営者側は、専任教員のコマ数を減少する事で、人員の削減、強いては経費削減に大きく前進する事になります。これにより、大学では、教員本来の個々の学生達に提供すべき指導内容、及び個人指導が行き届かくなる事も重要な問題です。

 

     此処で米国の例をご参考までにお伝え致しますと、米国の大学は、伝統的に「卒業論文」なる物を求めていません。現在の米国大学約1275校の内、5校が卒業論文らしきもの(Graduation Thesis or Report)を提出させているという報告はあります。本件に関する米国大学の平均的な意見は、「大学生は、必要でない。意味を成さない」が伝統的な見解のようです。当時私は、米国の大学に勤務しておりました時に、「学部生(Undergraduate Student)の卒業学年には卒論を書かせないのですか」と学部長に訊ねた事が昨日のように思い出されます。学部長に「日本では、全大学で必修です」と申し上げると、学部長は、「何を書くのですか」と逆に聴かれた事が大変強い印象として記憶にあります。また、米国の大学学部に於けるゼミは、見かけません。逆に米国の大学に河田ゼミを紹介致したところ、これは、我々の大学にも必要で魅力的だと褒められました。

 

5.大学選びのキーコンセプト:

     これから大学進学を希望される皆さん及び父母諸氏は、お子さんの将来を左右する大学選びは事前調査が大事であり、不可欠です。本BLOGでは、皆さんが大学を選ぶに当たっての大学の経営者側と大学管理者側の現状と問題、そして文科省からの助成金補助金に関する現状をも加味させて頂きました。しかし、皆さんの授業料は、大学経営、運営の屋台骨を支えます重要な資金源である事に違いありません。

    その経営と管理の現実と現場には、大変大きな格差が各大学により起きている事を理解した上で、ご判断をされた方が賢明です。もちろん、出口であります就職先は、最大の興味とゴールの一つであります。日本社会は、まだまだ個人の能力、資質のみで採用を判断する企業ばかりとは限らない事を心の何処かにお受け留めおき下さい。その為にも、大学に進学する前に将来の出口迄のプランニング(準備)を怠らない事が大学選びに於いても大切だと思います。皆さんは、今から事前に目指している大学の資質と指導者を精査し、高額な授業料に見合う大学を選択する事をお勧め致します。

BLOGが、皆さんに取りまして大学選びの、お役に立てば幸いです。

                          文責:河田弘道

                                                                                              Sportsアドミニストレーター

 

NO.11 河田弘道の限られた体験より:日本の大学の経営者と管理者

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                    Ⅰ:大学選びは慎重に Ⅱ:私立大の経営基盤と情報公開の必要性

 

I.大学選びは慎重に

    これからの日本の大学選びは、過去のような「何処の大学に行かせたい、何処の大学に行きたい」の外見だけでなく、「何を学ぶ為に誰にどのような指導を受けたいのか、その指導者は何処の大学に行けば出会えるのか」の時代に来ていると確信しました。その指導者との出会いにより、高額な授業料の評価価値が決まると申しても過言でありません。如何でしょうか。もうみなさんは、選ばれる側でなく、選ぶ側に立っている事をお忘れなく。みなさんに適した指導者は、机上の論理だけでなく、実践の裏付けがある指導者選びが肝要です。先ずは時間をかけてリサーチしてみて下さい。皆さんは、大学の舞台裏をあまりにも知らなさ過ぎます。

    現在、各大学で行われている学生獲得合戦の為のプロモーション(オープンキャンパス、過大広告宣伝)活動は、出迎えから見送りまで全てに於いて顧客獲得に対するセールス・プロモーションの一つであります。出迎えから見送りまで笑顔で、懇切丁寧に「おもてなし」して下さったお姉さん、お兄さん方は、入学後ひょっとしたら実在しない人達かも知れません。しかし翌週、他の大学のオープンキャンパスに出かけると同じお姉さん、お兄さんに出会うかもしれませんね。これらは、コンサルタント会社が関わって、学生達を指導、誘導する場合が殆どなので、出迎え、見送りのお姉さん、お兄さんに惑わされない様にしましょう。私は、派手なプロモ活動、広告宣伝を行わない地味な大学に信頼を感じています。大学を選ぶ視点は、オープンキャンパスにあらず。

    また、模擬授業と称したデモンストレーションは、オープンキャンパス時に受けてもそれはあくまでデコレーションであります。本当は、学期中に実際に講義授業を聴講させて頂く事の方が大事です。これは、私が模擬授業をさせられた体験からの見解です。これから大学側には、受講生に対する模擬授業のデモでなく、学期中の授業を公開する勇気と企画が必要です。受講生側は、大学ガイドブックに偽りがないかどうかまで調べるべきです。何故ならば、入学してから日本の大学は、他大学への編入、転校のシステムが閉ざされていて、著しく難しい構造になっている事をアドバイス申し上げます。

    そのためには、高校時代から将来の進みたい進路へのリサーチを怠らない事が肝要です。何の目的、目標も無く、ただ単に大学に入って卒業さえすればよいと考える本人、父母諸氏は、今の時代、授業料さえ納入すれば喜んでそのレベルの大学に迎えてくれます。しかし、そのような大学の殆どは、ただ授業料を運んでくれさえすればよいとの経営者、管理者達が多い事を入学前に気付くべきです。

大学選びの初歩は、「自分は、この大学に何を期待し、何を求めて行くのか」と自問自答してみる心の準備が先ず必要かと思います。これは、私自身が日本の私大学で教鞭をとらせて頂いた指導者の立場と経験で感じた真摯なことでした。

    小職は、日本の二つの環境と規模、そして伝統の異なる大学で約10年間、大変貴重な教員体験をそれぞれでさせて頂きました。各大学に於きましては、それぞれ素晴らしい個々の学生達との出会いに恵まれました。また、素晴らしい教員指導者、職員もいらっしゃいました。

  このBlogテーマで申し上げます事は、あくまで私の限られた環境と職責でそれぞれ体験、経験をした私見であります事を前提とさせて頂きますので、誤解無きよう参考にして頂けましたら幸いです。

 

近年の私大学の教育機関に在籍する学生諸氏は、大きく四つに分類されると思います。

①一つは、幼い頃から受験勉強に取り組み、その結果として数値により選別をされた大学に行き在籍する学生。大多数の学生はこの分類に入ります。

②二つ目は、幼い頃から受験勉強を強いられたが持続できなかったか、或は、最初から受験勉強をする興味も意思も無かったが、父母、周りが大学に勧めるので入れてもらえる大学に入った学生。これは、①に次いで多い。

③三つ目は、幼い頃から遊びとスポーツ、競技としてのスポーツ、その他が大好きで競技選手、プロを夢見、オリンピック選手、等を夢見て学業を疎かにした為に、受験勉強をやらなかった学生。これらは、三番目の分類に属します。

④四つ目は、学生選手としての競技レベルが高く、特殊な方法で入学許可を受けた一部の学生、名実共に文武両道の力を持った一部学生は、実際に存在する事を確認しました。

以上、大多数の学生達は、上記の分類のどれかに位置すると思います。

  此処で申し上げられます事は、①の学生のように幼い頃から受験勉強を自らの意思で、或は強いられ、競争の世界を味わった学生と②の学生のようにあらゆる推薦入学制度を活用、利用してきた学生(受験経験の無い学生を含む)は、明らかな違いがあります。

②の学生の中には、少数ですが、自身の能力に気付かず指導、注意を受ける機会に恵まれず、才能を開花せず怠慢な環境に同化して何も気付かず、楽な学生生活を日々過ごしている学生も含まれています。これらの学生達は、出会う指導者により大きく好転する可能性を秘めている事を体験しました。

①には、受験という競争の日々を過ごした結果、目標としていた大学受験に 失敗し、不本意にも現在の大学、学部に在籍して、目標を見失っている学生達も、多く見かけました。しかし、そのような学生の中には、入学後、学内の興味のある専門科目、教員に縁あって出会う事により将来の進路と才能が開花され、現在会社、企業で大活躍されている履修学生、ゼミ生達に出会いました。

③に分類されます、学生の大多数は、大学での講義授業を午後の部活の為の 休息の場として利用して、遊びの為の部活、競技スポーツの為の部活をする為に授業料を大学に寄付し、施設を借りて遊ぶ為に部費を払い、学生コーチと称する部員の管理を受けて疲れて帰る学生達です。

  このような事から、私は、各担当科目の履修学生達に毎年「課題レポート」を与えました。その結果は、①に属する一部学生②③に属する大多数が大学に来る以前から、入学後も目的意識を持たず、その為に目標も無く、アルバイトと部活の為の大学生活を送っているというレポートが数多く見受けられました。

 学生達は、それでもなぜ高額の授業料を払い、部費を払って遊ばせてもらう為に大学に通うのでしょうか。このような現象と現状は、何処から醸成されるのかとふと考えさせられます。

  私は、時々受講生達に話すのですが、「米国の学生の83%以上の学生達は、高校を卒業すると親元を離れて独立します。大学教育を受ける意思のある学生は、自ら働きながら1単位$ドルで講義授業を買うのです。この事からも大学の授業を疎かにする学生達を見つけるのが困難」。皆さんは、米国の学生達との違いをご存知でしたか。と、いつもこの話に受講生達は、驚き驚嘆するのです。何故驚くか皆さんは、お判りでしょうか。

 講義授業の受講中に朝から寝たり、男女が私語したり、野球帽子を教室で被り、スマホを授業中に机の上に置いて楽しんだり、イヤホーンを付けて音楽聞いたりしている光景、姿は、大学で学ぶ以前の問題を抱えている学生達です。これらの学生達は、精神年齢も幼く、大学生と呼ぶに相応しくないと断言します。また、他の担当教員達は、このような学生達に何も注意を与えたり、指導したりしないという事を受講生から教えられ、信じられない今日の高等教育機関の現場であることも知って於いて下さい。

  私は、いつも講義をしながら日本の大学生のご父母が汗水たらして働き、我が子を大学に通わせている姿が目に浮ぶので、少なくとも私の講義授業を受講する学生達には、社会人になるに当たっての責任感を持たせる意味でも大学生としてのモラルと礼儀、その自覚だけでも最低限、身に着けさせようと妥協せず、粘り強く指導して参りました。

 このような大学生達は、父母が授業料をいくら銀行振り込みして、明細がどのようになっているのかも知る由もないのです。このような学生達には、個々の自立、自己管理を解いたり、問うたり、目的、目標を求めたりする側が問題なのかもしれません。

  このような環境の教育機関は、学生に入学許可を与える大学側に問題があるのか、このような大学機関を選んで来る側に問題が在るのか、或は、このような教育機関に大学としての許認可を与え、何の精査も指導もしないで、毎年多額な国民の税金を私学助成金として拠出する文部科学省の無責任体質に起因しているのか、大きな課題と現実を突きつけられた思いがしました。

                         文責:河田弘道

                        Sportsアドミニストレーター

*次週、Ⅱ:私立大の経営基盤と情報公開の必要性 予定

 

NO.10 河田弘道の素朴な疑問(第三話):桑田真澄投手(元東京読売巨人軍)

NO.10  河田弘道の素朴な疑問(第三話):桑田真澄投手(元東京読売巨人軍

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 第三話:貴重な戦力としての桑田氏

 

   桑田氏のような人材は、日本球界に於いて本当に稀です。また、彼の古巣の巨人軍が今なお彼を雇用しないのもこれまた奇異なり。

   私がもし球団の編成、運営責任者であったなら、桑田真澄氏を先ず二軍投手コーチとして交渉、契約を交わします。そして、その契約条項には、二軍の若手、中堅投手の育成と強化、向上に関する細部目標を設定し、3年契約をオファーするでしょう。勿論、そこでは、球団に於ける二軍の役割、使命を明確にして育成、運営、指導を徹底させます。この意味は、よき伝統を継承し、悪しき伝統を取り除く事です。

    3年契約の根拠は、プロの世界では契約条項の目標に対して改善、成果が3年で出ない場合は先ず指導者に問題在りと評価するのがプロのスポーツ・アドミニストレーターとしての評価基準の一つであります。これは、担当コーチに限らず、監督もしかり、フロントの担当責任者も同様なのです。これにより、例えば、現巨人軍の投手の育成、指導は、少なくとも現状よりは見違える様な成果と結果を残す可能性を大きく秘めていると思われます。しかし、これには、フロント及び2軍の監督の理解と協力が不可欠である事は言うまでもありません。

    同氏の指導状況と成果・結果を評価して、価値ありと判断した場合は、一軍投手コーチとして推挙します。その時には、同氏が育てた若手、中堅投手が一緒に一軍で活躍できるレベルに上がって来ている筈です。一軍投手コーチとしては、3年契約をオファーし、インセンテイブボーナス(成功報酬)を付与するのがフェアーな契約内容だと思います。その後、もし本人が希望するなら監督(Manager)として検討する余地は残します。

    このようにプロのスポーツ・アドミニストレーターは、目先の編成、運営結果のみならず、指導者の育成、運営、管理もテイーム、球団組織の構造改善・改革並びにシステムの構築と共に、重要な責務の一つであります。また、スポーツ・アドミニストレーションに於ける人事は、「同じ人物を長期に渡り同じ部署、職責に在籍させる事の弊害」を考慮して一般的に3年一区切りとした人事の活性化が効率の良いアドミニストレーションと言われています。

 特に競技スポーツのテイーム、組織に於いては、「選手間の競争の意識の強化、向上」のみならず、「指導者、球団スタッフへの競争の原理の導入」は不可欠です。(Blog河田弘道の「日・米のスポーツ・アドミニストレーションの違いと疑問」遍より)

 

  日本のプロ野球界では、選手としての経験のみで、コーチ経験も無い、人物をいきなり監督に経営者判断で契約する事は、論理的でなく大きなリスクを背負い込む事になるのです。そして、結果が伴わない若手監督は、負のキャリアを背負って去らなければならなくなります。このようなケースでは、選考、判断したその組織の統括責任者の洞察、判断力が先ず問われるべきで、未経験の監督に責任を転化するのは如何なものでしょうか。1回限りの監督経験で球界を去っている指導者は、もし自身に意欲があるなら是非希望を失うことなく、もう一度自身の得意な技術と経験を活かせる環境でコーチングを学んでから現場に戻ってきてほしいと願います。

 桑田氏が、今もってどこの球団からも誘いを受けていない現実は、各球団が躊躇(ちゅうちょ)する何かがあるのかも知れません。そうでなければ、この人材は、すでに日本球界で指導者として活躍している筈です。

 もし、仮に何か選手時代に起こした問題が彼の指導者への道の障害となっているのであれば、雇用契約書内の一条項に球団が心配と思うポイントを特記し、いつでも契約を解除できる方法があります。此れこそ、プロの契約雇用であり、彼に対してもフェアーなチャンスを与え、雇用する側にも心配事を回避できるプロテクションが与えられるわけです。契約書とは、双方が同意した約束事を遵守する為の信頼の証なのです。

 我が国では、契約、契約雇用という制度が歴史的に根付いていないので、契約という概念を選手契約時にしっかりと教育、指導する必要があると思われます。しかし、オファーがあっても内容が彼に取って不満で成立しなかった場合は、それはそれで双方のネゴシエーション(交渉)の結果であり、双方にとって何の問題にもなりません。彼に取って、現在は、何のオファーも無い事が問題だと思います。

 

 何れにしましても、桑田真澄氏のような逸材に指導者として来てほしい球団は、何処の球団も現状を覗いて見ますと喉から手が出る程欲しい貴重な戦力と思われます。日本の球団は、MLBメジャーリーグ)と異なり物事をビジネスライクで割り切ろうとしないので、勇気が必要なのもまた確かです。優秀な才能がある人材には、温かい手を差し伸べ球団、球界と社会に貢献できる機会を是非与えて挙げて欲しいと思います。そして、同氏には、チャンスが与えられた暁には感謝の心を持って伝統的な日本のプロ球界の指導方法に新風を吹き込み、成果と結果を日本球界に還元して欲しいと期待する次第です。

  プロ球団のアドミニストレーションには、観察力、洞察力とマネージメント力の優れたベースボール・アドミニストレーターが不可欠です。

 各球団に勇気と期待を込めて! ガンバレ桑田!チャンスはきっと来る。あなた程、素晴らしいプロ球界の指導者としての資質と可能性を秘めた人材は、日本球界に於いて珍しいと思います。

                         文責:河田弘道

                         Sportsアドミニストレーター

 

NO.9 河田弘道の素朴な疑問(第二話):桑田真澄投手(元東京読売巨人軍)

NO.9 河田弘道の素朴な疑問(第二話):桑田真澄投手(元東京読売巨人軍

                                 無断転載禁止

第二話:プロ指導者の現状と問題

  注:第一話:素朴な疑問、第二話:プロ指導者の現状と問題、

               第三話:貴重な戦力 としての桑田氏

 

    プロ野球界には、指導者たる人材の養成、育成に寄与する機関やシステムが無く、これらがまた選手達のセカンドキャリアにも大きく影響している一因であると思われます(選手会の虚弱体質)。此処での指導は、我が国の伝統的な指導方法が今なお継承され、非科学的な指導方法から抜け出せない状況でもあります。

 私が東京読売巨人軍に在籍していました初年度(1994年)、桑田真澄投手から現場スタッフ、フロントスタッフを通じて、報告が上がって来たのを鮮明に記憶しております。それは、東京ドームのロッカールームで喫煙をする選手達が多く居て、非喫煙選手がマイノリテイー〔少数派〕となっている事に対するクレームでした。それは、喫煙者と非喫煙者のロッカーを分離して欲しいとの訴えでした。グローバルなスポーツ社会に於いては、ロッカールームは禁煙が常識であったので管理状態に驚き、即対応をフロント担当者に指示したのが昨日のようです。桑田選手は、このように当時より健康管理に他の誰よも真剣に取り組んでいました。このようなことからも、彼は、如何に自己の健康管理に気配りを怠らなかったかが理解できるのでないでしょうか。

 

  日本の伝統的な競技スポーツの指導法の特徴は、「消去法」と言われるものです。これは、主にスポーツ医科学的な根拠を伴わない、例えば、元々身体能力が強靭で、精神力も群を抜き、いかなる精神的、肉体的な「しごき(トレーニングではない)」にも耐えられる選手だけが勝ち残れる、いわゆる精神主義的、経験主義的な指導方法を意味しています。特に本指導法は、指導者側、選手側双方に練習をやったという満足感を満たす為の質より量の練習が主体となっているのも特徴の一つです(悪例:1000本ノック、200300球の投げ込みを美化、等)。これらは、まさに「弱きものは、去れ!」を指導の根幹とし、サバイバル指導法とも揶揄(やゆ)されているのです。アメリカ型のコーチング理論の「個人の得意な潜在能力を導き出す」とは相反するのです。

  国内最大のスポーツエンターテイメントは、やはりプロ野球でしょう。そして、そこには、プロ野球選手を夢見て日々トレーニングに励む若者達がいます。

 現在NPB(日本プロ野球機構)は、元プロ野球選手に対して数日の研修を受講させる事により、教育機関での指導を安易に容認していますが、これは教育界の競技スポーツを教育の一環、延長線上である事を理解できていない誤った許認可制度の構築に他ならないと思いますが如何でしょうか。或は、文科省は、教育機関の競技スポーツ指導者は教育者としての資格は必要としていないのか。これでは、益々学校教育から競技スポーツが異なる趣旨・目的の方向に独り歩きをして行ってもよいと考えているのでしょうか。

 プロ野球の底辺を支える教育界での指導者達には、多くの夢見る若者達に模範となる、また使命感を持ったポジテイブな指導、運営、管理者で在って欲しいと願います。その為には、教育者としての専門的な知識とそれに伴う実践力をしっかりと身に着けたうえで、指導して頂きたいと願う次第です。

  プロ野球選手の多くは、現場の監督、コーチ達に「怒鳴られ、時として精神的、肉体的な暴力を受けなければ」耳を傾け、言う事を聞かない選手達が多く居るのも現実です。幼い頃選手達は、最初は野球(競技スポーツ)に興味を抱き、好きで始めたのです。しかし、この純粋な子供達は、大人の指導者達それぞれの思惑により、楽しかったはずの練習がやらされているという苦痛な練習に変形し、それが身に沁みついてしまったのです。

 プロの指導者達は、自分達も幼い頃から指導者に怒鳴られ、やらされてきた経験から指導者は、怒鳴り、叱るのも仕事のように思い込み、美化されているのです。このことからも、プロ球界の指導者達は、「怒鳴らない、怒らない指導者」は良い指導者と認めないという馬鹿げた風習と慣習が罷り通るプロ野球の現場である事も悲しい現実です。このような環境と現実から、陰湿な精神的、肉体的暴力指導が絶えない事もまた寂しい事実であります。指導者の上下間に於いてもこれまた同じような事が起きているのです。これらは、果して日本最大のプロ競技スポーツの集団とその組織・団体に於ける指導体制と言えるのでしょうか。桑田氏は、この指導法を否定している一人のようです。

  これらの根源は、我が国の教育の在り方、スポーツへの考えと取り組み方、指導に於けるテイーチングとコーチングの抜本的な違いと在り方、等の悪しき伝統を改善、改革される事無く今なお継承しているからだと思います。

 このような問題は、文部科学省スポーツ庁が率先して競技スポーツの指導体系とその指針を明文化し、各レベルに応じたマニフェストを先ず告知するべきです。そして各省庁にそれぞれの専門家が居るのであれば、その専門家は、現実に即した体質改善と制度の改善、改革を早急に取り組み、スポーツ振興、推進をただ形骸化するのでなく、実践、実行する事が先決であると私は思います。これらは、部活云々を議論する以前の問題であると思いますが如何でしょうか。

                          文責:河田弘道

                          Sportsアドミニストレーター

注:次週は、第三話:貴重な戦力としての桑田氏、を掲載予定

NO.8 河田弘道の素朴な疑問:桑田真澄投手(元東京読売巨人軍)

NO.8  河田弘道の素朴な疑問:桑田真澄投手(元東京読売巨人軍)   無断転載禁止

 

   この度の本テーマに付きましては、BLOG読者よりのリクエストを優先させて頂きました。よって、私は、ベースボール・アドミニストレーターとしての視点と立場で述べさせて頂きます。本記事は、第一話:素朴な疑問、第二話:プロ指導者の現状と問題、第三話:貴重な戦力としての桑田氏、に分けて掲載致します。

 第一話:素朴な疑問

     私は、嘗て東京読売巨人軍にて、「編成本部付アドバイザー兼長嶋監督補佐」という肩書で編成、運営、管理に当たらせて頂き、桑田真澄投手を球団、テイームの1選手として見て来ました。河田の素朴な同投手への疑問は、「桑田真澄氏は、現役引退後どうしてプロ野球球団の指導者として何処の球団からも声を掛けられないのか」という事です。

    これは、野球ファンのみならず、一般社会人から私にここ数年よく質問される事からも、皆さんも抱いている素朴な疑問ではないかと思われます。私は、彼ほど野球選手としての実績、頭脳を持ち合わせている人物は国内においてそうはいないと確信しております。しかし、スポーツマスメデイアは、本件に付いて触れようとしないのも不思議に感じています。或は、此のことを語るのは、日本球界ではタブーの一つなのか。私は、そうは思いません。勿論、他にも多くの選手は、現役時代実績、名声を伴った選手が引退した後、指導者として声を掛けられないでいるのも事実です。 

    私が日本に於いて関わったベースボール・アドミニストレーションの中で、彼ほど自立心があり、自己管理ができるプロの競技者は他に記憶がありません。 彼の野球に対する情熱とその向上心は、群を抜いていました。特に選手時代から、野球に必要なスポーツ医科学を自ら学び実践に取り入れ、それを成果と結果に繋げる努力と信念は、他に例を見ませんでした。勿論、彼には、種々の能力が備わっていたのは言うまでもありません。

    そうでなければ、私は、1994年、10月08日(別名:10.8)、ナゴヤ球場に於ける頂上決戦(巨人対中日)の後半3イニングを彼に任せることを推薦しませんでした(世に言われているメイクミラクルと名付けられたシーズンと決戦で)。

     それでは、彼の指導者としての能力及び可能性は、如何でしょうか。それは、彼がプロとしてのコーチングの成果と結果を見せていませんので正直未知数です。桑田氏は、選手時代から殆ど独学による専門知識と経験から得た知恵を蓄積しています。そして、現役引退後、彼は、自らの意思で大学院(早稲田大に1年間)に通い、大学野球での指導(東大野球部)、少年野球のオーナーとして、また解説者としても経験、活躍しています。

    これらは、多分彼の内心のストレスをポジテイブな行動に転化した表れと理解、推測しております。また、彼は、選手時代にはプレー中にパフォーマンスを駆使する癖を持っていたのも事実です(例:プレート板に肘を触れたり、ピンチになるとボールに語り掛けたり、投球前に独り言、等の仕種)。このような野球外での努力と実績からしても、彼は、他のプロ野球界を退いた選手達と異なる思考能力及び行動力を持っていると思います。

     日本のプロ野球界は、現役引退後過去に実績、名声を残した方々が先ず各球団の指導者(コーチ)、監督として指名され新たな委託契約を結ぶのが慣例であります。

    ご批判を承知で申し上げますと、多数の各球団の指導者達は、現役選手時の実績、名声はあるが指導者としての資質及び必要な専門知識は殆ど持ち合わせていない人が多いのが現状です。しかし、このような指導者諸氏は、「処世術」という特技を持っているのは一般社会も同じのようです。勿論、その中に少数ではありますが、選手時の実績、名声、そして専門知識を兼ね備え、優秀な指導理論と指導方法を持って、現在成果と結果を出し活躍されている指導者達も事実存在しています。

     日本社会に於いては、選手時代に素晴らしい実績、名声を残した競技者(Athlete)が即優れた指導者、管理者であるとの理解、評価と認識をしてしまっているようです。 しかし、それらには、何の根拠も見当たりません。

    例えば、オリンピック代表選手、メダリストは、即スポーツのオーソリテイー(authority)であり、競技スポーツの名コーチ、名監督、名管理者であり、また、全く対極的な体育の分野に於ける優秀な指導者、教育者であると社会のみならず自らも勘違いされている事と同じ事です。優秀な競技者とは、その競技種目の中で勝利した結果を称えられるべきであり、指導者、教育者、管理者とは、本質的に異なる専門分野、部門なのです。

これらの誤解は、ただの迷信、思い込みにしか過ぎないという事を先ず常に心の片隅に持って頂けましたら幸いです。

                          文責:河田弘道

                          Sportsアドミニストレーター

注:次週は第二話:プロ指導者の現状と問題を掲載予定

NO.7 河田弘道の独り言:東京五輪マラソン代表選考にある「大人の事情」とは~

NO.7  第二話:栄枯盛衰                                                                      無断転載禁止

    高校、大学を卒業後、大多数の優秀な選手達は、企業に就職し、陸上部に所属して実業団連盟、そして陸連に選手登録をしているのです。そして選手、指導者は、企業から給与として生活の糧を得ています(注:外国人選手は、契約、日本人選手も近年は契約あり)。

世界記録を持った外国人選手だけでは、テレビ視聴率は改善、向上しないのです。そこで国内大会主催者、後援者、協賛関係者は、日本人の商品価値の高い選手達と個々に交渉を行い、成立すると陸連関係者を通して許認可を得て主催者発表となります。

  マラソン選手達は、通常年間2ないし3レースが常識となっていますので、選手数と大会の数との間の需要と供給のバランスが図れない(海外のメジャーレースからのリクルートもあり)ので特別招待選手の奪い合いが見えないところで展開されているのです。また、このような国内外の状況から優秀で商品価値の高い選手への交渉は、ネゴシエーション力(交渉力)が必要で、アピアランスフィー(出場、出演料)、インセンテイブボーナス(成功報酬=世界記録、大会記録、自己新、順位、等により報酬が約束されている)の中身も高騰するわけです。しかし、これら高額の金額明細に付いては、決して発表されないので、提供する側、受領する側の税務処理が気がかりです。これは、日本のプロ野球界のFA選手(自由契約権を取得した商品価値の高い選手)が他球団と移籍交渉する時の条件交渉によく似ています。

 その他、日本国内に於いては、伝統的に選手のみならず、その指導者への「おもてなし」も重要かつ決定的な要素の一つでもあります。また、選手の所属企業は、これらの交渉事に関しては殆ど暗黙の了解事項となっています。

 このような事が1980年代前半から既に行われていながらマスメデイアが事実の報道をできないのは、個々の大会が新聞社及びその系列のスポーツ紙各社、テレビ局各社が自らマラソン大会を主催、後援、等、運営に関わっているのでお互いに批判はしないという不文律が働いてきた伝統が此処にあるのです。

 近年は、この伝統的な構造とその仕組みが大きく崩れて行っている状況が今日の日本マラソン界の現実です。その最大の根源は、日本人男女マラソン選手が世界のレースで勝てなくなった事、通用しなくなった事、それに伴い国内に於いても選手の商品価値が極度に低下した事により、テレビ視聴率の低下と共に、協賛スポンサー、テレビスポンサーが高額な投資をしなくなったことなのです。よって、選手達の争奪戦は、競争力の低下と共に、主催者である陸連への実入り(寄付行為)、新聞社事業部への甘味も以前のそれとは異なる状況と環境になってきたと考えられます。

 このような事情から、嘗てのエリートマラソン大会は、今や存続の危機とまで言われており、今日の東京マラソン(嘗ての東京国際マラソン)のように高額の参加料を徴収する市民マラソンスタイルに移行する動きが加速しているのも事実です。

  日本陸連は、このような環境と状況変化の中で、選考レース改変に着手した要因は各大会関係者、組織・団体側からの圧力が弱くなった証であろうと思われます。 私は、この度マスメデイアを通じて発表された、陸連側が述べた「大人の事情」たる所以は此処にあると思います。しかし、この「大人の事情」を玉虫色にしたままでは、本件について視聴者、読者には理解できず、“今迄の騒動は、一体何だったのか”と再び疑念を抱くのでないでしょうか。本BLOGを読まれた読者の皆さんは、問題の本質をご理解頂けたのでないでしょうか。 他の国内競技スポーツ、大会に於ける類似した問題は、やはりこのような日本独特な構造的な問題が基盤となっていると言えます。

  我が国のスポーツアドミニストレーション及びスポーツ報道には、「JusticeFairness」をコンセプトとした問題の提起、情報公開がされて来なかった為に何時まで経っても物事の本質が灰色、或は黒の状態で時代と時間の経過と共に闇に消されて行くようです。スポーツは、フェアープレーの精神でなければと声高に話される方をマスメデイアを通してよく見かけます。そのような方々は、よく観察していますとグレーゾーンが、特にお好きな方々の代表者の様に感じてなりません。皆さんもよく観察されては、如何でしょうか。

  このような構造的な問題は、2020年開催予定の東京オリンピックパラリンピックを機会に、スポーツアドミニストレーションの根幹をなすべき「正義と公平・公正」を基軸にした万民の理解と協力が得られるクリーンでリスペクトされる新しい日本スポーツ界に改善、変革されるべきでしょう。

  我が国は、先ずこのような現実的な問題から改善、改革し、先進国の中でレベルの低いと揶揄されています、スポーツアドミニストレーションの向上と強化に取り組んで行かなければなりません。その為には、関係者自らの身辺を清潔に致すことから初めて頂く事が先ず第一歩です。また先進国の模倣だけでは、中身の資質の改善と改革に至らない事を忘れてはならないと思います。

  私は、機会があり、読者の皆様からご要望がありましたら、日本の大学競技スポーツの現実と現状をスポーツアドミニストレーションの視点からご紹介致したいと考えています。そしてその一つ大学箱根駅伝の実態も覗いてみましょう。大学箱根駅伝は、はたして大学教育の一環、延長線上なのでしょうか。日本の大学競技スポーツの実態をどうか驚かないで下さい。これもまた、大人のマラソン利権と並走してきた利権の巣窟なのかも知れません?我が国の大学の経営者、管理者、指導者の教育的な価値観は?大変興味深いです。 

                               文責:河田弘道

 

NO.6 河田弘道の独り言:東京五輪マラソン代表選考にある「大人の事情」とは~

NO.6  河田弘道の独り言:東京五輪マラソン代表選考にある「大人の事情」とは~

                               無断転載禁止

         注:本記事は、一話、二話に分けて掲載させて頂きます。

 第一話:マラソン選手代表選考の歩み

   私は、近年マラソンという競技スポーツイベントの商品価値がスポーツビジネスの視点から急激に落ちたことにより、主催者(日本陸上競技連盟、略:陸連)に対しての関係組織、団体による圧力が和らいだ事がこの度の代表選考基準改変発表に至った最大の要因であると思います。

   先日、マスメデイア朝刊各紙及びTVメデイアは、日本の男女マラソンのオリンピック選手選考基準が見直される事を陸連のマラソン強化担当の瀬古利彦リーダーから発表された事を大々的に報じていました。マスメデイア各社の発表には、今日までの選考問題に対する陸連側のコメント(大人の事情と)を掲載していましたが、コメント提供者もマスメデイアもこれだけでは、視聴者、読者が理解できるものでなく、これでは「子供の告知報道」のように思えてなりませんが皆さんは理解出来ましたでしょうか。そこで「大人の事情」とは、真に何を指しているのかについて述べてみましょう。

    日本の伝統的なオリンピック競技種目の代表格でありました、男女マラソン競技大会は、代表選手選考に関する選考基準が常にブラックボックスに入れられていました(嘗ては、柔道、器械体操、水泳、その他も同様)。これにより選手達も国民、社会も五輪代表、世界選手権代表選考に関しては、毎度訳の分からない理由と理屈を付けて選考、決定され、マスメデイアに発表されていく様子を恒例の行事の如く見せられて来ました。これにより、過去どれ程の選手達が日々の努力と夢を大人の都合で壊されたか数え切れないのです。これは、まさにこの度陸連、マスメデイアで表現されている「大人の事情」がそこにあったのです。

 それでは、その大人の事情とは一体何なのか、今なお誰も説明できない、したがらない我が国の競技スポーツ界のアンフェアーな実態を覗いてみましょう。

 

 我が国のマラソン大会は、伝統的にエリートマラソン大会「例:東京国際マラソン(現在:東京マラソンに改名)、福岡国際、別府大分、琵琶湖毎日、横浜国際女子マランソン(現在消滅)、名古屋国際女子、大阪国際女子、北海道国際マラソン、等」と称され、大会出場に出場選考基準が設けられて参りました。(しかし近年は、一般市民が出場料を払って参加できる市民マラソンが主流をなして来ています。)

  本大会は、許認可権を持つ陸連が主催となり、新聞社がそれに連なり、現地での運営は、各陸上競技協会が当たり、後援には、大会が行われる県、市、各教育委員会(一応教育も兼ねているんだと体裁を装う)が顔を出し、またTV放映を行うテレビ局が名を連ね、協賛には、大会のスポンサー(資金と物品を提供する企業が広告代理店の仲介により)が名を連ねます。

 これにより、国際的に通用する男女マラソン選手達は、テレビ局の視聴率を維持する為の最大のロードレース・イベントとしてのCOREであり、商品なのです。1970年代後半から2000年前半までは、国内のトップアスリート達は大変重宝されて来たのです。

  各大会の最大の利権者の一つは、日本陸上競技連盟であり、もう一つが主催に名を連ねている新聞社、そして後援のテレビ局各社なのです。これにより陸連は、許認可権を振りかざし各大会から強化費名目で巨額な寄付金をおねだりするのです。

 此処で皆さんには、大事な予備知識を付与いたします。競技スポーツの大会イベントの主催、後援に新聞社、テレビ局が名を連ねるのは、日本の競技スポーツ大会の伝統的な特徴の一つで、少なくとも諸外国では、見聞きした事がありません。

 一方の利権者の新聞社、テレビ局、スポンサー(仲介者の広告代理店)は、陸連に対してオリンピック出場選考会、世界陸上出場選考会、等の商品価値を高めるためのタイトル(看板)の必要性を強要するのです。これにより、各選考大会がタイトルを欲しがるのは、商品価値を高めるためのグレードアップと、視聴率の向上とスポンサー・セールスの一翼を担うのです。よって、これらタイトルは、選考大会の数だけ増えるのです。陸連は、何故独自の施策、戦略を持ったスポーツアドミニストレーションが出来ないのか。

  利権者の陸連は、これらの要望に対してNOが言えない理由があるのです。それは、各大会から強化費名目で多額の寄付金をおねだりしている事、また、陸連の幹部と呼ばれる執行部役員達個々は、各大会の暗黙の窓口となって利権者としての特権を長きに渡り構築して、公私共に利用、活用して来ているのです。これら個々の幹部は、各大会の利権代表者でもあるのです。よって、新聞社、テレビ局、スポンサーは、自らの大会に五輪、世界陸上選考会としてのタイトルを付けると同時に、利権の代表者を通して、その時々の商品価値のある選手を自らの大会に招聘する許認可を求めるのです。しかし、この陸連の代表者は、協会内部の許認可に付いては力を発揮できるが、肝心な選手への影響力は、略ないに等しいのです。よって、選手達を許認可権を盾に縛ろうとするのです。

*次週第二話を掲載予定、                文責:河田弘道