K'sファイルNO.39:2020東京五輪の不可解なおもてなし PARTⅡ 無断転載禁止

K'sファイルNO.392020東京五輪の不可解なおもてなし 無断転載禁止

PARTⅡ.~政治家による政治家の為の東京オリンピック大会~

                注:河田弘道は、オリンピックが日本で開催される事に大賛成です。

                       しかし・・・

 

2.政治家たちの真の思惑:

①招致活動成功後の利権代表達の抗争、

   招致活動の進展と共に、利権を巡る抗争は激化していきます。最終的には、都知事を中心とした都議与党と、もう一方は国会議員の利権代表である元文部大臣で自民党総裁、総理大臣経験者の森喜朗氏を雛壇に祭り上げた国会議員連盟団という構図です。この2大勢力グループの本プロゼクトに於ける最終目的は、いったい何だったのでしょうか。両グループがけん制し合い、潰し合い、激突したのは、多分本プロゼクトの目的が両陣営共に酷似していたからだと思われます。また、どちらが最終的な権力、利権を握ってもよいように最初から両陣営に二股掛けていた政治家、関係者もおり、彼らには、双方の思惑がよく透けて見えていたと思われます。

   このような優柔不断な節操の無い政治家及びその関係者の態度と行動は、事の次第をより複雑化し、長期化し、国民、社会に対しての信頼を失った結果ではないかと思われます。社会、国民の目は、そんなに節穴ではないと思いますが如何でしょうか。

   彼らは、双方美味しい利権に肖りたい、強奪したいが為に政治家の理念も道徳観念もかなぐり捨て権力・利権闘争に飽きもせず明け暮れています。誠実で正直な政治家、関係者は、ほんのわずかながらいる事も確かですが、正論は届かなかったようです。

  勝ち組は、既に彼らの目標を達成しているのかも知れません。また、負け組は、新たな利権を求めて2020年後を見据えた、大学競技スポーツ利権の構築の為に「日本版NCAA」というキャッチコピーを掲げて、文科省スポーツ庁を焚きつけて現在進行させているようです。次は、教育機関の利権狙いか。

注:本件に付きましては、長年筆者が米国大学、NCAAでの実践経験者でありましたので、タイミングをみてスポーツ・アドミニストレーターの視点で、NCAAは何たるかを述べさせていただきますのでご期待下さい。これもまた無から有を生む新たな利権開発に教育者と言う名の方々も参戦し、学生達が巻き込まれて行っています。

  さらに、当時の大義「震災復興」が、いつの間にか消えて無くなり、現在はオリンピック・パラリンピック大会を我が国、東京都に持って来た意義もコンセプトもいつの間にか見えてこないようになったのが現実ではないでしょうか。よって、元々招致活動を推進するには、大義となり得る「震災復興」がIOC理事達、海外・国内へのアピールに必要であったのだと思われます。

    しかし、推進者達は、この大義に対するプロゼクトマニュアルも持たず、ただの「キャッチコピー(目を引く餌)」程度にしか考えていなかった事が、今日の状況を物語っているように思えてなりません。これらの関係者は、国民が選挙で選んだ国民の代表、都民が選んだ都議、都知事の発想、見識、モラルかと思うと、私は、我が国の将来を憂えていますが、私だけなのでしょうか。此れも国の今日の平和が逆に起因しているのかも知れません。

   招致活動でのプレゼンテイションでIOC理事達のみならず、国際社会、国民に告知し、約束致した「お金の掛からないコンパクトなオリンピック・パラリンピック東京大会にする」約束事は、いったい何だったのか、どうしてこのよう手段を取ってまで突き進んでしまったのでしょうか。国民、社会は、マスメデイアの報道にただ浮かれている場合でないように思えてなりませんが・・・残念です。

 ②利権代表達の抗争の終焉、

    此のところ日本の新聞各社は、2020年東京大会の費用に付いて、昨年暮れに総額1兆3500億円(うち都は6000億円負担)と報じました。しかし、先日は、都が新たに8100億円追加の必要性を発表しました。勿論これらの追加資金投入も都民の税金から投入するという意味です。此れでは、小池都知事の力強かった選挙前後の公約、勢いが空手形同然でそれまでの知事と何ら代わり映えしません。現在は都知事の存在感すら薄れてしまったと感じられるのは、如何なものでしょうか。現都知事が、嘗ての都知事と異なる点は、女性でオリンピック利権に手を染めさせてもらえていないところでしょうか。

    此処でスポーツ・アドミニストレーターとしての視点で申し上げますと、スポーツ・アドミニストレーションに於きましては、このような国際的なイベントに国を代表、都民を代表する政治家がむやみやたらに絡んで参りますとスポーツ大会及び競技スポーツの本質が変質し、見失われてしまう事です。この東京大会の実例は、それを証明していると思われます。

    今まさに開催されています、2018年平昌(ピョンチャン)冬季五輪は、北朝鮮平壌ピョンヤン)五輪と揶揄されていますが、国際政治に翻弄された大会と化してしまいました。本来は、IOCの統括責任者であるバッハ会長が前面にでて、行き過ぎた五輪大会の政治家、政治利用に歯止めをかける勇気と技量が必要不可欠でした。今後に禍根を残した大会となった事は、五輪の歴史に新たな汚点を残した事になりました。これで、公金を利用した五輪大会は、政治、政治家に利用、活用される大きなリスクが伴う事が証明されました。東京大会も同じ運命を背負っている事を忘れてはなりません。

    今日の2020年東京大会のアドミニストレーションは、まさに真のスポーツ・アドミニストレーターが不在で政治家集団の利権争奪ゲームが現在最終局面を展開していると申し上げても過言でありません。彼らの目的、目標は、本大会に関する利権闘争という政争ゲームでメダルを獲得する事であり、震災復興、競技スポーツはそのためのツール(道具)としてしか見えていないのでしょう。

   勿論、このような世界最大の競技スポーツのイベント招致、開催には、国を代表する政治家が関わる事も「ある部分」では確かに必要です。しかし、東京大会は、最初から政治家及びその官僚関係者、OB在りのために、本スポーツ・アドミニストレーションをより複雑化し、真のスポーツ界のリーダー(求心力、仕切る人間)を不在にし、談合がよりやりやすい手法を形成していると思われます。

  これは、起きるべきして起きている我が国の伝統的な手法の一つです。何事もバランス感覚を失い、何方かに極端に偏重すると本質を失い国家と国民に被害が増幅する事を、考えもしない人達なのかも知れません。

   この手法を用いる事で競技スポーツのアドミニストレーションは棚上げされ、まさにJustice(正義)もFairness(公正・公平)も無き、負のレガシーが構築されようとしているのです。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 お知らせ:次回K’sファイルNO.40では、本課題とテーマのまとめPARTⅢ.をお届け する予定です。主な項目:③わが国のマスメデイと先進国のマスメデイアの 本質的な相違、④オリンピックレガシー(遺産)に対する意識的誤認、⑤84ロサンゼルス大会の大義と結果、を予定致しております。段々と興味深い展開が待っていそうです。