K'sファイルNO.52:82W杯サッカースペイン大会はビジネスの戦場 無断転載禁止

K'sファイルNO.5282W杯サッカースペイン大会はビジネスの戦場

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注:Ksファイルのサッカーシリーズは、20186月開催予定の18W杯サッカーロシア大会を記念して掲載させて頂いております。

PARTⅣ FIFAW杯サッカー利権獲得への決断と実弾

①特命隊長の秘策と実行力

服部庸一氏は、社内の全ての情報を集約させて状況の分析、判断を誤らない為にも、細心の神経を集中され精査したことでしょう。そして、同氏は、ロス五輪で構築したルートからFIFA・W杯の権利保有会社のSMPI社に接近する為の戦略及び戦術を模索し始めたのです。

服部氏は、IOCサマランチ会長しかり、LAOOC84ロス五輪組織委員会)委員長のユベロス氏の動静、既に情報を把握していたP・ユベロス氏とホルスト・ダスラー氏の関係を察知していたので、服部氏は腹心のジミー・福崎氏を同行させてP・ユベロス氏を会食に誘い、電通FIFA 及びW杯サッカーのビジネス権利獲得に苦慮している事をざっくばらんにジミー・福崎さんを通して話した。と筆者は容易に推測します。(K'sファイルNO.51をご参照ください)

そこでP・ユベロス氏の口から出た言葉は、今日のスポーツ電通FIFAサッカー界を手中に収めたキーワードであったと思われます。それらは、P・ユベロス氏は、ホルスト・ダスラー氏とは、信頼関係にある事、そして、P・ユベロス氏は、嘗てAサマランチ氏からの紹介を受けて以来、H・ダスラー氏にスポーツ・マーケテイングビジネスを学び、84ロス五輪大会を成功させるためのアドバイスを得ていた事。とこれは筆者の想像と私見であります。

これにより、P・ユベロス氏は、ホルスト・ダスラー氏の82W杯サッカーでのマーケテイングビジネスのアイデイアとコンセプトを取り入れ、84ロス五輪大会では、民間企業を有効活用する為の経営、及びギャランテイー方式のビジネスコンセプトを独自でクリエイトし、基盤にしたと考えられます。

服部氏は、P・ユベロス氏からの貴重なアドバイス、情報を受け、ホルスト・ダスラー氏を直接紹介してもらう事になったのだと思います。此れに伴い、P・ユベロス氏、ホルスト・ダスラー氏、服部庸一氏(ジミー・福崎氏)のトライアングル(三角州)のビジネスゾーンが形成されるに至ったわけです。

このトライアングルが完成するには、ホルスト・ダスラー氏の電通への確固たる思惑(GIVETAKE)、電通H・ダスラー氏への協力と同氏を電通側に抱き込む(GIVE&TAKE)、P・ユベロス氏のH・ダスラー氏への嘗てのアイデイアへの返礼(TAKE&GIVE)の関係が成り立ち3者が、ハッピー・ビジネスを展開できるシナリオが必要です。これは、服部氏がロサンゼルスに居て初めて確証を得られる作業でもあるのです。

後は、服部氏及びジミー・福崎氏がH・ダスラー氏の本拠地ドイツに飛び、直接的にビジネスマターを確認、確約、その後、W杯スペイン大会の会場に乗り込みH・ダスラー氏の紹介でアベランジェFIFA会長にお目通りし、主だった幹部との会食を経てセレモニーを完了するというシナリオです。

上記シナリオが無事予定通りに進んだ証は、後日公の知る所になった出来事がその全てを裏付ける個々の物語となる次第です。

②スペイン革命の真相

H・ダスラー氏は、1982W杯スペイン大会に於いてかねてから自らが思い描いていたFIFAに於けるマーケテイングビジネスに関し、成果と結果を手に入れた事から更なる野望が沸々と心の内に宿り始めていたのでしょう。

スペイン大会のビジネス成果と結果で、自信を得たH・ダスラー氏は、スポーツマーケティング会社を自ら作ることを決心します。これは、丁度時を同じくして、盟友ユベロス氏から電通の服部庸一氏を紹介された時期であったのです。勿論電通の莫大な投資(実弾)の約束があった証です。

H・ダスラー氏は、パトリック・ナリー氏及びウエスト・ナリー社との連携にこれ以上な発展は今後期待できないと感じていたのです。そこに電通から思わぬコンタクトとオファーを受け、電通との思惑が合致したので、双方は82年W杯スペイン大会開催中に握手をする事になったのです。電通に取っては、逆転満塁ホーマーを演じたのでした。

此れは、服部氏が狙ったストラタジー(戦略)に狂いが無かった事を意味し、本利権獲得戦争を終結した事になったのです。

此れには、P・ユベロス氏とH・ダスラー氏のホットライン会話が重要なコーデイネーター役を演じたと想像します。

これがその後今日まで語り継がれているサッカー界の「スペイン革命」と言われる所以だったのです。即ち、H・ダスラー氏は、パトリック・ナリー氏達から電通に乗り換えたのでした。同氏にとっては、乗りたかった名馬に騎乗する夢が叶ったのです。

これにより、SMPI社は、解体され、ウエスト・ナリー社は、切り捨てられた事によりJ・坂崎氏も無念な思いをされ、博報堂は一瞬にしてビジネスゲームに敗れたのでした。

この時のJ・坂崎氏の心中は、如何なるものであったか、経験した者でなければ計り知れないことだったとお察し申し上げます。筆者も数限りない修羅場を体験しましたので、J・坂崎氏、J・福崎氏両名の心中は、それぞれの立ち位置で大変よく理解致します。二人の日系米国人が、日本のスポーツビジネス界での多大な貢献をされた事を尊敬の念を持って、ご紹介せずにはいられませんでした。お二人の信念とご努力は、日本のスポーツビジネス界の礎となっています。

1983年、電通は、H・ダスラー氏と組んでISL社「International Sports & Leisure社」を設立し、FIFAの関わる重要なイベント全ての広告、マーケテイング権を手中にしたのです。これにより、暫くの間は、ISL社が権力の頂点を極めたのでした。

服部庸一氏を交渉人として起用した電通本社の英断は、P・ユベロス氏を動かし、H・ダスラー氏の心を変革させた電通の度量、即ち莫大なISLへの投資が効果的に偉力を発揮したと思われます。

しかし、1987年にH・ダスラー氏は、突然病死し51歳の若さでこの世を去ったのでした。丁度ヨーロッパサッカー連盟UEFA)のアルテミオ・フランキ会長の交通事故の死から4年後の事で、「フランキの呪い」と呼ぶ人もいます。

H・ダスラー氏亡き後、ISL社は、財政難に陥ったこともあり、電通は、早期にISLに見切りをつけ独自に「FIFAとの間で新組織を設立」、全権利を担保して今日に至っているのです。電通の敏速な決断は、電通ISLに関してのリスクを最小限に抑える事であったと思われます。

これで電通は、世界最大のスポーツイベント・ビジネスのオリンピック(IOC)と世界最大のサッカービジネスのFIFAIAAF国際陸上競技連盟)の世界陸上と全てのメジャー競技スポーツの利権を獲得して、現在世界のスポーツビジネスを席巻しているのです。

④戦い終えて

博報堂

博報堂は、W杯サッカーから静かな撤退を余儀なくされました。

19933月、Jリーグ開幕に向けた広告代理店は、博報堂と言われ華々しく開幕しましたが、開幕後、博報堂の関与は徐々に影が薄れ、Jリーグの勢いも当時の予想と異なる方向に向かい今日に至っている次第です。

しかし、電通は、公益財団法人・日本サッカー協会(略:JFAJapan Football Association)と2007年にJFAのオフィシャル広告代店として8年契約を結び、近年2015年に契約を更新しています。これにより、JFAの財政は、飛躍的な改善を遂げ4年間に二度もの高額な外国人監督を招聘、解任、解雇するようなサッカー・アドミニストレーションが出来るようになっているのが現状です。

電通は、FIFAのオフィシャル広告代理店であり、JFAのオフィシャル広告代理店でもある事を忘れてはなりません。

K’sファイルNO.2933.では、「大学箱根駅伝は誰の物」でサッポロビールの広告代理店として、博報堂をご紹介しました。博報堂のスポーツ界への復活は、今後の日本のスポーツ界の活性化と発展に無くてはならない貴重な存在と起爆剤なので期待しています。 

当時の博報堂電通の違いは、「サラリーマン気質の企業体質(此処では上司の指示通り動く意味)と個性派プロ集団企業体質(社内外での敵と戦う、戦闘集団の意味)との違いでないか、と筆者は感じていました。

博報堂に必要なのは、求心力と洞察力を持った実戦経験豊かな経営者とカリスマを持ったアグレッシブな人材(プロデユーサー)であると思います。また、近年構築された博報堂、大広、読売広告連合「博報堂DY」へのパワーアップと新しいイメージの新社名で、ワールド・ワイドに打って出るプラニングとリスクマネージメントが生き残りをかけたこれからの源となるのではと思います。

筆者の経験則から、斜陽する会社・企業、組織・団体の共通した問題は、「次世代の人材の確保を怠ったか」、「頂点の最高経営者(CEOの取り巻き役員達)の企業、組織のビジネスアドミニストレーションのコンセプトが内向きか」、現状に甘んじて「次世代へのアグレッシブな改善、改革を怠ったか」、或は、「その両方」が最大の原因であると思います。

また、「経営者、管理者が独裁的である企業、組織・団体」は、組織内の有能な人材が牙を抜かれポチ化し、既に組織全体の活力が失せて手が付けられない事態となっています。独裁者が居なくなった後は、崩壊するシナリオが既に出来ている事が世の常であることをお忘れなく。此れでは、優秀な人材の芽が潰されるだけです。読者の皆さんの所属されている企業、組織・団体は、大丈夫ですか。

アデイダス社

強烈なスポーツ界のボス、ホルスト・ダスラー氏を失ったアデイダス社は、求心力を失い後継者を巡っての迷走が暫く続いたことにより、一時期経営権がフランス人の投資家に移行するなど混乱期を迎えたために、新興勢力のナイキ社に世界のマーケットセアーでは、大きく水をあけられてしまいました。

ISL

ホルスト・ダスラー氏亡き後のISL社は、電通の撤退後2001年に破綻しました。この後、電通は、サッカープロジェクトの最終段階の仕上げに入るのです。それは、予てよりホルス・ダスラー氏がFIFA内に子飼いのブラッター氏を潜入させ、要職に就けてあった種子が発芽し、ブラッター氏はアベランジェ前会長を引き継ぎFIFA会長の席を獲得したのでした。ブラッター氏の粘り腰には、はなはだ驚嘆するのみです。

電通は、FIFAのオフィシャル代理店として直接契約を結び、誰も介入させないビジネスコンセプトを完成したのです。

これは、「電通方式」と言われ、電通IOCとの間で取り行った形態で、「第三者の介入を許さない」強烈なビジネスコンセプトを最後に完成させたのでした。この方式は、電通の企業理念でもあったのです。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sport

 お知らせ:K’sファイルNO.49、50、51、52と世界のサッカービジネスの舞台裏をご紹介致しましたが、如何でしたでしょうか。次回は、引き続きサッカーの話題として、「ハリルホジッチ監督の突然の解雇に思う」をテーマに、筆者の独断と偏見をお許し頂きスポーツ・アドミニストレイターの視点で述べさせて頂くことを予定しております。