K'sファイルNO.71:G高橋由伸監督辞任に思う 無断転載禁止

 

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K'sファイルNO.71G高橋由伸監督辞任に思う 無断転載禁止

 

        恒例の読売劇場開演の季節

若き指揮官のプロ野球人生の始まり、そして辞任

先ず初めに

筆者は、19971231日に東京読売巨人軍(略:TYG)を退任致しました。実質的には、確か1997918日の読売新聞社水上勉会長、渡辺恒雄オーナー、長嶋茂雄監督兼編成統括常務取締役の紀尾井町(日本料理店)での三者会談翌日と記憶しております(本件に付きましては、Gファイル、長嶋茂雄と黒衣の参謀、文芸春秋社武田頼政著に掲載)。小職が退任前の97114日に逆指名権を使って入団した選手は、高橋由伸選手(慶応大学)でした。そして、翌19984月に彼はプロデビューとなった次第です。

ビジョンなき球団の犠牲者

高橋由伸選手のプロ野球人生の始まりは、余りにも悲劇的と表現するよりは、むしろ異常な記者会見であったというのが適切かも知れません。本来プロ野球選手の入団会見は、おめでたい祝いの席の筈です。しかしそれが、物静かで品のよい高橋選手は、顔色は優れず、頬を少し腫らし、身体は震え、目を潤ませながら怒りとも思える感情で会見を始めたのです。それもそのはず、会見に臨む前日、前夜、そして当日の朝まで某ホテルの一室で父親と激しい葛藤を繰り広げたのが原因だったようです。野球ファンの皆様は、当然入団したかったヤクルトスワローズ球団にお世話になる選手だと想像されていたと思います。

当時、筆者は同年1231日でTYGとの契約期限が終了するため、同年のドラフト、逆指名、等に関わらず静観していた時期でした。よって、私のTYG在任の最後の年に、入れ替わりで彼は入団したのです。高橋選手が入団するまでの経緯、人間関係、出来事は、ある程度理解していましたので、今後、起きるかもしれない出来事に対しこの球団の誰が彼を守ってあげられるのだろうか、と今後を予測しながら後ろ髪を引かれる思いで退任致した事を記憶しています。プロ野球選手としての最後は、これまた自分の意思では何ともならない球団、親会社の論理で強制的な引退に追い込まれたのも御承知の通りです。

 監督就任要請は経営者誤算による副産物か

高橋由伸選手が、強制的に監督職を押し付けられたのが3年前でした。

此処で強制的にと表現致したのは、同選手には入団会見以来球団、読売本社からの要望であるなら「NO」が言えない事情が担保されていたのだと思われます。当時は、原辰徳監督の社会的な不祥事、事件が発覚後、グレーな球団イメージをさらに色濃くして行った不祥事、事件が選手達にも起きていた時期でもありました。その為、経営者は、一日も早く腐食したイメージを取り除こうとする焦りがあったのだと推測します。

球団経営者は、原監督の後釜にはずっと早い時期から松井秀喜氏を監督にとあらゆる手段を講じて準備されて来ていたのは皆さんもご推察の通りです。しかし、当の松井氏が首を縦に振らない状態が今日も続いている事から監督問題に付いては、行き詰まっていたのが正直なところだと思われます。

松井監督擁立プロゼクトの大きな誤算は、二つあったと考えられます。

一つは、天下の読売本社渡辺恒雄氏は、「俺が声かければ松井は受ける。そして欲しい物があれば何でもくれてやる」的な発想がその根底にあったと思われます。その例が、国民栄誉賞であったように思われます。また、此処は出番との如く、長嶋茂雄終身名誉監督と松井氏の間柄をやけにマスメデイアを通して誇張表現を用いていたことなども挙げられます。もう一つ大事な事は、渡邉氏及び、長嶋氏は、松井氏が2002年12月に東京読売巨人軍退団を決意した真意をよく理解されていないのでないかと筆者は推測致す次第です。

マスメデイアを利用しての不可思議

本件に関してマスメデイアは、長嶋茂雄氏と松井秀喜氏の関係性を事あるごとに「強い師弟関係」と強調し、TV、マスメデイアは商品化までしてしまっているようです。

そうであれば、何故長嶋氏は松井氏に「巨人に戻って監督をやれ」と言わないのか、その一言で松井氏は監督になっていたと思うのが自然ではないでしょうか。

私は、当時監督補佐を兼務させていただいていましたが、特に長嶋監督が松井選手を特別扱いした事も無く、全ての一軍選手達は、監督の支配下選手として平等に公私共に接していたことを確認致しております。時折、思い出したかのように遠征先のホテルの自室に呼び、バットを振らされている光景は確認していましたが、松井選手だけでも無かったと記憶しております。

松井選手は、自らの強い意志でTYG在籍中9年間(初年度を除く)、週3回、身体のメンテナンスとバッテイング練習、スローイング指導は、休むことなく市川繁之氏(PTPNF)に指導、ケアーをして頂いていました。これは、打撃コーチも野手コーチも勿論監督も公認でのことです。マスメデイアが長嶋、松井両氏の関係を取り立てて「強い師弟関係」と何故誇張するのか大分無理があるように思います。誰かがこの表現を捏造しているように思えてならならないのです。

この程高橋由伸監督は、監督就任して3シーズン終了前に辞任を申し出る運びとなりました。彼のプロ野球人生は、親会社であるマスメデイア企業の論理に翻弄され続けているように思えてなりません。一体高橋監督は、いつが来たら自由な身として解放されるのでしょうか。本球団は、今尚日本の古い伝統的な制度を活用しているのかも知れません。これは、何か一昔前にNHKでドラマ化された「おしん物語」を思い出さされます。

高橋監督は、前監督のような、巨人軍選手として前代未聞の女性問題、金銭問題、等の不祥事件を起こし、何のけじめも付けずに球団顧問として残り、高橋監督辞任発表の数日後に監督復帰を受託するような人物ではないと思います。

高橋監督こそ、TYGの模範となる信頼できるプロ野球人であると心から称賛致します。しかし、今後また前任者同様に球団の肩書を受けて、自由を拘束される立場に置かれるのであれば、高橋由伸氏の不自由は永久に不滅なのかも分かりません。それは、彼の運命(Destiny)なのかも知れません。

彼の優しさ故の悲劇

事の発端は、東京読売ジャイアンツ(略:TYG)入団時にボタンの掛け違いをしてしまったからではないでしょうか。当時の会見時の悲壮な様相が今尚、彼のプロ野球人生を狂わせた始まりであったように思えてならないのは、筆者だけでしょうか。

プロ野球人生の門出に高橋選手は、家族の負の遺産を継承したがために彼は負のデステイニー(運命)を背負い込むことになったようです。これは、最終的に彼自身の優しさが招いた身内内での出来事だったのかも知れません。既にヤクルトスワローズ球団への入団の意思を決めていたにも関わらず、その思いを反故にして、何を得たのでしょうか。以来現役時代から今日迄に彼の清々しい笑顔を見たことが無く、何か心の深層にいつも蟠りを持った表情が大変印象的な選手でした。人として、選手としては、素晴らしい人物に違いないと思います。しかし、いつもどことなく物静かで寂しさが付きまとっているような姿が印象に残っています。彼は、自分の意思では何ともならならい柵(しがらみ)に縛り付けられてプロ野球選手としての時間を過ごしていたような気が致します。彼の柵は、今後解き放たれるのか、自らの意志で解き放てるのか。是非、一日も早く自分の意思を自由に表現できる世界で羽ばたいて欲しいと願う次第です。これからの彼の動向が物語ってくれると思います。

天才打者としての才能 

高橋由伸選手は、幼いころから他の野球少年の多くがそうであるように、父親の強い影響を受けて野球に打ち込んできたと聞き及んでいます。

同選手は、日本のプロ野球界よりむしろMLB向きの選手であったと思われます。同選手は、巨人軍の伝統的なカラーに向いていなかったと表現した方が理解し易いかも知れない選手でした。何故なら彼は、幼いころから人から強制されたり、慣習に縛られて自身の意思を抑圧されたりするような環境、人間関係を嫌う性格だったのではないかと推測します。高橋選手は、自主性を主体とする球団色の強い球団、組織の方が彼の個性をよりポジテイブに伸ばせたと思われます。

巨人軍は、伝統的にコーチングというよりもテイーチングを主体とした球団です。プロと呼ばれる指導者は本当に限られ、多くの指導者達は教え魔と言われるような自身の経験、体験だけを選手に押し付けるタイプ、常に何か教えていないと気が済まないタイプ、怒鳴り声を出すのが良いコーチと思っているタイプで、休むこともトレーニングの一環であるという医科学的な知識の無い人達が多すぎる事です。これらの指導者のことを、筆者はよく壊し屋さんと呼んでいます。

高橋選手には、このようなタイプの指導者は必要でなく、何方かと言うと選手が聴きに来れば指導する、聴きに来るまで静観する。そして、その選手の個性を発展させるための得意な事をより一層得意にさせてくれるコーチング手法が向いていると思われます。

彼の天才打者としての才能は、スポーツバイオメカ(運動力学)とモーターラーニング(筋力学)からの理論と実践を既に中学時代に会得していたのかも知れません。

そのメカニズムは、「体幹のひねりを利用し、遠心力を活用し、自身のパワーを最大限にバットに集約し、バットのヘッドスピードをMAXに上昇させて、無駄な力を失わずにボールを強く、遠くに運ばす原理」を彼自身がこれを会得したのか、素晴らしいコーチングにより導き出されたか、或は相互作用からかも知れません。

この科学的な動作解析のキーポイントは、バットのトップの位置からスイングを開始する際に、下半身(特に骨盤)の始動を早める事で上体と下半身に感覚的なズレが生じることにあります。このズレが自然にコーデイネートできることで、無駄な力(Strength)を上体に入れずに合理的なハイパワーを安定供給できる論理なのです。即ち一般的に言われる「ため」と称せられるものです。

高橋選手は、この力学に合致したスイングを兼ね備えていた選手で、この「ため」を会得している事で、身体にもスイングにも無理、無駄無くボールを遠くに飛ばせ、ミート率も高かった訳です。残念であった事は、同選手の天才的なバットコントロールを支える身体のメンテナンス、コンデイションニングを行う専門家がいなかったのか、或は天才に良くある強い意識を持って学ぶ姿勢がなかったのか、向上心がそれほどなったか、故障が多発していた報道を聴くに付けて残念でした。ひょっとしたら、このスイングを維持する為の腹筋力と背筋力のバランスの維持を間違えられたのかも知れません。

松井秀喜選手と異なる点は、技術、身体のコンデイショニングの専門家の市川繁之氏(PTPNF)が居てくれたのと大きな違いがあったと筆者は、確信を持っております。

監督辞任の決断 

日本のプロ野球ファンは、敗けると監督に罵声を浴びせます。これは正しいマナーでありません。阪神も巨人も球団は、伝統的な体質です。

テイームが勝てない理由は、監督のみあるのではなく、大部分は監督を推薦した人、任命した人の責任なのです。即ち、球団フロントのツケと結果がシーズンの終了と共に訪れるのです。監督としての資質を見極められなかったのも、その監督を勝つ為にサポートできなかったのもこれまた球団フロントと経営者達なのです。勝ち負けは、これらの産物として理解された方が賢明かと思われます。

コミュニケーションは、サポートをする為の初歩的な一つのスキルなのです。また、コミュニケーションは、この積み重ねが信頼関係を構築するCOREでもあります。

高橋監督の就任後で、最も監督をサポートしなくてはいけなかった球団フロント体制、特に同監督擁立から一体となって邁進して来た堤辰佳GMをいとも簡単に切ってしまう親会社は、何ともし難い本球団の本質的な問題とお察し致します。

高橋監督就任以来、先日の辞任発表まで、同監督がダッグアウトで都度ポケットからメモ帳を取りだしメモしていた姿は、非常に同氏の置かれた立場と真面目な心情、性格を物語っていると思われます。監督は孤立していながらベンチでのメモ取は、何の為であったのか。

監督就任要請を本社から持ち込まれ、発表までに大変時間を要しました。舞台裏で会話が非常に長かったのは、何か選手時代のことで球団との事務処理に手間取ったのかも知れません。経営者達は、同氏を「裸の王様」で就任させ、このような結末に追い込んだ責任は計り知れないと思います。

プロの世界は、勝ちか負けしか結果として残らない。彼は自身に監督としてのトータルマネージメントを、自分が出来るか否かの判断する機会されも与えてもらえなかったのかも知れません。また、彼を監督にさせた球団経営者は、彼にトータルマネージメント力が備わっていると思われたのでしょうか。私は、そのような眼力がある経営者が居たのであれば、このような事態に陥る事は無かったと確信します。

同監督には、ベースボール・アドミニストレイターを付けてあげなかったのか、或はそのような配慮、気配りができる経営者が1人もいなかったのかも知れません。その為に堤GMより鹿取義隆GMの方が仕事が出来ると判断されたのか、その判断された方自身がベースボール・アドミニストレイターとしての観察力、洞察力が欠落している人物であったという事でしょう。いずれに致しましても、高橋選手は、監督就任をお断りしたかったが、経営者の論理がその何倍も強かったので断れなかった、というのが就任、辞任の真相なのかも知れません。

まとめ

この度の高橋由伸監督辞任に際して、山口寿一オーナーは「やはり監督経験者で無ければ無理だと言うこと」と述べられました。これは、高橋監督自身は辞任と言っていますが、事実上の解任と理解した方が正解である事を裏付けていると思われます。そして、このオーナーの発言は、今後禍根を残す一言にならない事を願う次第です。

今や、日本プロ野球界では多くの球団が、未経験の監督を擁立しています。この度の山口オーナー発言は、今後TYGでは監督未経験の人材にはオファーは行わないと宣言されたように思いました。

本来、1軍監督は、現役選手引退後2軍、1軍の指導者経験を重ね、社会経験の機会も与え、人心掌握が出来るスキルを要した人物が適任者です。しかし、日本のプロ野球界は、そのような育成システムも無く、経営者は、現役時に人気のある選手を営業優先で監督にさせる慣習を伝統的に継承していると思います。

高橋監督は、監督就任から辞任までの間、本当にお気の毒なぐらいに彼の手足を球団フロント、経営者が引っ張ったのでした。監督就任後、球団フロントは、堤辰佳GM体制で新監督を迎えました。そしてスタートと同時に選手達の賭博事件、傷害事件、窃盗等での逮捕、等々とそれに対する球団内での老川祥一オーナー、堤GM辞任で読売劇場は留まるところを知りませんでした。そして、昨年6月鹿取義隆GMの就任に続き、本年度は山口オーナーの誕生と落ち着く暇も無く、この度の高橋監督辞任劇、それに伴う鹿取GMの解雇、岡崎スカウト部長の解任とこれではプロ野球球団組織としての体を成していない見本市の状態です。

このような組織の最大のウイークポイントは、プロフェショナルのベースボール・アドミニストレイターが居ないということであり、まさにその事が白日の下に証明されるわけです。球団の経営、運営に対するビジョンが無いために、毎年ジャイアンツ丸は、東京竹芝桟橋埠頭を出奔するのですが、いつまで経っても羅針盤が無いので有視界での東京湾めぐりは出来ても太平洋の航海には出られない状態と説明させて頂いた方がよく理解できると思われますが、如何でしょうか。

筆者は、山口新オーナー誕生に伴い、旧態依然の淀んだ政事、人間関係、人材の整理と整頓、プロフェッショナルな人材の育成と配置を期待致しておりました。しかし、現実のアドミニストレーションは、期待を致しましたベースボール・アドミニストレーションではなく、会社内の人事異動を恙なく取り行っているように思えます。山口新オーナーは、今尚主筆渡邉恒雄氏のご意向を伺いながら政事を司り、外向きには長嶋茂雄終身名誉監督のご威光を活用しながら「調整役」を演じ、あちらに伺いを立て、こちらの了解を得るという実際は秘書的な役割のオーナー職なのかも知れない事が、彼の言動、行動から透けて見える次第です。

筆者は、山口新オーナーの時代には読売新聞社東京読売巨人軍との間での伝統的な天下り人事を行わないことを強く要望します。そしてまた、真の独立したプロフェッショナルな競技スポーツの組織・団体としてのグローバルスタンスで、勇気を持ってビジネス・アドミニストレイションを断行して行く絶好の機会とタイミングであると思います。山口新オーナーは、筆者の真意が本K’sファイルを通して伝わる事を切に願う次第です。ご健闘を祈っています。

高橋由伸氏とご家族に平和と自由が訪れますことを切に祈念致しております。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:本K’sファイルでは、東京読売ジャイアンツをテーマにしたベースボール・アドミニストレイターとしての視点で掲載させて頂いておりますのでご笑読頂きますとより深層が理解され易いかと思われます。ご参考までに、NO.59,60,61,62,63をご参照下さい。