K’sファイルNO.73:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

KsファイルNO.73:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

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 第一弾忘れられた企業スポーツとその価値

 

企業スポーツ無くして東京五輪は成立しない

先ず初めに

2020東京五輪が、もうすぐやってきます。大会が近づくにつれ、今なお多くの問題が山積している様子が伺えます。この回のテーマは、企業スポーツに付いて取り上げてみました。その理由は、競技大会(スポーツイベント)のCOREは、選手であります。その選手達のトレーニング、生活を支えているのはいったい誰なのでしょうか。マスメデイアはほとんど語ろうとしません。このことにより、国民、社会、突き詰めれば競技スポーツのファンでさえ、全くと言ってよい程、理解がされていないように思われます。

各競技スポーツ団体は、主に大会に代表選手を招集して主催、運営をしているだけであります。しかし、選手達、指導者達の大多数は、会社、企業に所属して競技スポーツをしながら生活の糧を得ている。即ち、一般的には、会社、企業が、選手達や、指導者達をサポートしていることの理解と認識が、世間的には余りにも低いのでないかと感じるからです。

また、会社、企業及びそこに所属する選手達は、登録先の実業団連盟、実業団連合と言う組織・団体によって運営、管理されています。中央競技団体のみが常に前面に出ていますが、実は企業スポーツを長きに渡り組織して来ているのは、実業団連盟、連合である事も是非ご紹介して於かなければ彼らの日々の努力が浮かばれないでしょう。そこで、この度は、企業スポーツとその価値をテーマにお伝えできたらと思います。選手及び関係者は、所属会社、企業に対する感謝を胸に競技して欲しいと願わずにはいられません。

筆者と企業スポーツの関係

筆者は、1985年から2005年迄20年間、NEC日本電気(株)に於きましてNEC SPORTSを設立、スポーツ・アドミニストレイターとしての職責を賜り、遂行させて頂きました。NECでの20年間は、小生の人生の中でも日本の企業スポーツを直接的に運営・管理する上で、この上ない経験と体験をさせて頂いた時期でした。この期間に得られた実践体験は、日本の企業スポーツ界の実態に加え、大学、高校の競技スポーツ、スポーツ競技団体との関係者、等と会社・企業との関係、関わりを学べ、大きな財産となりました。米国には、企業スポーツが存在しませんので非常に興味深い20年間でもあった次第です。

NEC SPORTSを支援、応援して下さった社内の多くの社友は、素晴らしい方々でした。このような会社・企業で在りましたので、微力ではございましたが会社側が望む成果と結果を出させて頂けたのだと誇りに思っています。

この場をお借りして協力、支援して下さいました方々に心よりお礼申し上げたいと思います。また、NEC SPORTSに「NECロケッツ」と命名させて頂きましたことを此処にご紹介させて頂きます。(当時の強化スポーツテイーム:ブルーロケッツ男子バレーボール、レッドロケッツ女子バレーボール、女子バスケットボール、男女陸上競技、男女テニス、グリーンロケッツラグビー

 

1.日本の企業スポーツとそのバックグラウンド

 我が国の企業スポーツは、世界に類を見ない独自の競技スポーツの形態と文化を擁しています。他国に於いては、日本の競技スポーツを手本にして韓国、台湾でも始りましたが、今は殆どがプロ化の形態に移行しているようです。

現在の企業スポーツの前身は、戦後国の復興を目指した第一次産業(生産)の目的を達成する為に国民の体力の向上のみならず精神的な鍛錬の場としても設けられ戦前、戦後の重い過去の歴史を継承し現在に至っています。会社・企業に於きましては、社内の生産力の向上を目指していた為に産業体操なるものが中心となって始められた歴史があります。産業体操は、今日のスポーツを分類しますと専門的には健康、リクレーションスポーツの要素を多く取り入れた指導が導入されていたようです。

その後第二次産業(大量生産)が奨励され1960年代からは、機械化の導入に伴い大量生産時代へと導かれ高度成長へと突き進んでいったのです。スポーツ界においては、戦後復興の象徴として1960年に東京オリンピック大会招致成功、1964年の開催国として国家を挙げて世界に国威を示す機会を得ることになりました。ここに初めて国家の方策として競技スポーツの育成と指導、強化が前面に打ち出されたのでした。その現場の選手育成、指導の場として当時は、各生産企業(紡績、製鉄、製紙、等)にその育成を要請、委託されたのです。

現在の企業スポーツは、ここに本格的企業における競技スポーツとして産声を挙げたのです。これら各生産企業は、競い合って各企業独自の競技種目を選択、設立し競技スポーツとして指導、育成され、やがて運営、管理されるようになりました。各会社・企業、選手、指導者達は、当時設立された代表組織・団体として日本実業団連盟、連合に登録し連盟、連合が組織運営する競技大会に出場することになるのです。

その会社・企業スポーツの主な競技種目としては、バレーボール、陸上競技(マラソンを含む)、柔道、バスケットボール、ハンドボール体操競技教育機関)、水泳、サッカー、レスリング(教育機関)、等々と華々しい成果と結果を残して1964年オリンピック東京大会の成功と共に終了したのでした。

その後時代が進むにつれ、会社・企業の形態は、生産から第三次産業としてサービス業が加わり、企業スポーツに於きましても新しい時代のコンセプトの基に新しい会社・企業が参入して参りました。

2.1964年オリンピック東京大会後の企業スポーツ実体

その後オリンピック東京大会を引き継いだ形で日本オリンピック委員会(略:JOC,各中央競技団体(略:NGB)をアマチュアの統括競技団体として、その下部組織として全日本実業団連盟、連合、大学、高校、中学の各組織団体が設立され今日に至っています。

この企業スポーツは、日本のアマチュアスポーツの根底を支え、その後のオリンピック、プロスポーツ競技に多大な貢献をして参りました。また、今日まで、各会社・企業の協力と支援の下に全日本実業団連盟、各地域・地区の実業団連合は、日本のオリンピック・スポーツに多大な貢献と支援をしてきた組織・団体であります。

しかし、国民、社会、スポーツファン、関係者の間でもこの実業団組織の存在と貢献を正しく理解している人は少ないと思われます。現在も本組織・団体は現存し活動をされていますが、企業スポーツの衰退と同時にその存在も希薄になってきているのも事実です。

競技スポーツを抱える会社・企業は、各競技スポーツに選手のみならず会社テイームとし全日本実業団連盟(会社・企業のスポーツテイーム及び選手個人として加盟登録が義務付けられている組織団体の名称)と中央競技団体に加盟登録しなければならないのです。国内スポーツ競技大会は、各中央競技団体が組織運営している大会と実業団が組織運営している競技大会及び、共催で運営・管理している大会とが存在します。今日においては、各競技大会及びその内容がマスコミメデイアによって大きく取り上げられる競技大会(例:実業団ニューイヤー駅伝、男女バレーボール大会、柔道、都市対抗野球、等々)と全く結果すら取り上げられない競技大会があるのも現実です。

この企業スポーツの発展は、日本の戦後企業の発展と国の復興に大きくかかわり、今日を迎えています。戦後企業の再建と構築が叫ばれ、国策として企業の発展が第一に位置づけられていたと言っても過言ではありません。これに伴い国民の体力、健康、教育においては、呼び名も教練から訓練へ、そして体育へ、トレーニング、コンデイショニングへと移行して行った事もこの企業スポーツの歩みと深い関係があります。

教育の場においては、戦前、戦中の教練から体育へと移行されたのですが、戦後長くある意味と形で今尚この教練時代の暗い影を21世紀に継承しているのがこの日本のスポーツ界の現実であることも見逃せません。よって、今日、日本社会に於いては、体育とスポーツと競技スポーツを混同してしまった原点が此処に起因している様子が伺えます。この事については、また別の機会でご紹介させて頂きます。

3.企業スポーツのコンセプトとは

今日の企業スポーツのコンセプトは、各会社・企業の歴史と伝統によって大きく二つに分類されると思われます。その1つは伝統的な企業の運営・管理の継承であり、もう1つは、新しく設立された会社・企業コンセプトに基づいた運営・管理であります。

日本の会社・企業の多くは、伝統的な企業コンセプトと体質を基本的に戦後から今日まで維持し継承してきています。企業スポーツを抱える会社は、生産を目的にしてきた企業であることです。この事実から企業及びその関連会社においても、主に会社内部の中枢に位置していたのは、勤労部、人事部、総務部、厚生部と称された労働者を直接的に運営・指導・管理していた部門、部署が大変力を持っていたのも事実であります(現在では、殆どが支援部と名称変更)。よって多くの企業スポーツを統括管理してきたのは、各会社内でこの管理中枢部門が多大な貢献をなしてきたと申しても過言でありません。

前者は、主に日本の伝統的な生産会社・企業であり、「スポーツを主に社員の士気高揚、会社の連帯感、忠誠心、シンボル、等」をそのコンセプトの中心にした巨大な企業です。

後者は、大変柔軟な対応要素を持った会社・企業で、スポーツを会社・企業の広報宣伝、及び商品の宣伝、イメージアップとしています。

元来、各企業とその関連会社は、会社に対しての生産の向上と勤労者の共通の話題を提供することによるモラルの向上、国内における知名度の向上、また、企業の地域社会への貢献と還元、等を主たる目的として大切に維持されてきました。

 4.企業スポーツと世界の競技スポーツ界の動向

世界のスポーツ界は、1984年のオリンピック・ロスアンゼルス大会を機に大きく変貌したのです。即ち、それまでのアマチュアリズムは、選手、指導者、競技、大会、及び運営に至るまで一切のコマーシャルスポンサーからの金品の授受があってはならなかったのです。

しかし、80年以降は、伝統的な「オリンピック憲章」が改正されて、プロ選手の出場が認められると共に、選手も大会もスポーツをビジネスとして自由に活用、運営できるという画期的な大会がロスオリンピック大会でした。その世界的な流れの中で日本企業(製品と企業名の広告宣伝を目的とした)は、世界の企業に先駆けていち早くこのロスオリンピック大会に日本の広告代理店の仲介により参加したことは本K'sファイル(NO.41~45)でお伝えした通りです。

この大会を境に日本における国内アマチュアスポーツは、その後それまでの習慣・慣習を脱しきれず選手、組織・団体、企業、マスメデイアもストレスフルな時代が暫く続きました。しかし、内外の現実と状況はいかんともしがたくあらゆる方面から日本も世界の流れへと動かざるをえなくなった次第です。

先ずオリンピック・競技スポーツを国内で統括する日本オリンピック委員会JOC)は、自らの権益を確保する為に法人化し、選手の個人の権利を奪ったのです。即ち選手は、自らの肖像権をJOCに奪われたのです。その後、選手登録、管理をしている各競技団体もJOC同様に各団体、所属選手、及び指導者の権利を独占することでそれまでと同様な利権構造を強固にして権力の集中を図ったのです。

此処で大きな矛盾が生じたのは、その選手の大部分が企業スポーツ即ち選手個々が会社・企業に所属しており、選手は所属企業にも権利があることを所属団体及びJOCは全く無視してしまったのです。

また、企業スポーツ選手は、全ての企業スポーツの統括団体である実業団連盟に属していますが、実業団連盟は、各競技団体との力関係からか何もアピールできず、容認してしまったのが現実でした。それにより選手及び選手を抱える企業は、JOC及び各中央競技団体の権利主張に対して誰もプロテクトやアピールをしなかったのです。

これは、まさに日本社会の悪しき伝統と風土と申し上げます所の、お上に盾を突かないという建前からか、個人の自由な権利と会社・企業の権利を放棄して、お上に対しては誰も反論すらしないという企業側の姿勢に当時筆者は驚いた記憶が鮮明に残っています。

この起源は、恐らく1960年ごろに国の政策、施策により競技スポーツを強化するため、会社、企業に指導、育成の通達があって以来連綿続く不自由な伝統が主従関係を生み出している証であると筆者は理解致した次第です。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター 

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:

NO.73は、日本社会に於いて今忘れられようとされている企業スポーツをテーマとして取り上げました。若い世代の競技スポーツに取り組んでいる方々には、是非このブログを読んで頂き、企業スポーツの必要性と重要性を是非理解し、感謝の気持ちを忘れないことを切に願う次第です。NO.74は、引き続き第二弾を掲載予定しています。