K'sファイルNO.74:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

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第二弾 企業経営の破綻は企業スポーツの崩壊へ

企業スポーツは独自のスポーツビジネスの構築を

1.企業スポーツの課題と問題点

現在の企業スポーツの大きな問題としては、伝統的な企業スポーツにおいてコンセプトのギアをチェンジするタイミングを逸したことが挙げられます。

しかし、よくよく考えてみると、タイミングを逸したのではなく会社、企業は、1984年以降に企業スポーツについての会社の理念とコンセプトを明確に打ち出せていないことが混迷を招き、衰退へと導いている最大の要因であると考えられるのではないでしょうか。

好景気に沸いた1980年から1990年初期、会社・企業は、企業スポーツの将来展望や存在意義、価値評価及びリスペクト精神が希薄でありました。国は企業スポーツに無策、無関心であり、また競技団体は、権益確保に心血を注ぎ、企業スポーツをサポーツする会社、企業への礼節を欠き、選手を好き勝手に必要な時だけ代表選手として招聘して自主興行を行い、所属企業への強化の為の支援を怠っている事もその大きな要因に挙げられます。

もう一つは、いつの時代においても企業スポーツの経営者達は、企業内での競技スポーツの存続と運営・管理の必要性と価値を本当に理解し情熱を持ち合わせているのかどうかが疑わしいことです。それは、企業スポーツの存続はその企業の業績に直結しており、企業経営者は、現在もなお競技スポーツテイームの存続か否かを業績に委ねているからです。

企業は、競技スポーツをどのような位置付けにしているのでしょうか。会社にとって現在競技スポーツは、役目を終えたのか。何をコンセプトに維持運営されているのか。1995年を境に企業スポーツが大量に消滅し現在も依然としてその先が見えない状況となっているのが現実です。しかし、この危機的状況の企業スポーツに対して、誰もが真剣に考えようとしない今日の現状では、日本の競技スポーツ及び選手達の将来に光が見えてこないのです。

1993年に嘗て企業スポーツであった、サッカーがJリーグを設立しプロ化を図り、バスケットボールが2017年にBリーグとしてプロリーグに生まれ変わりました。長年プロ化を目指して来たバレーボールは、プロ化断念。しかし、企業スポーツの全ての競技がプロ化を目指すことは不可能であります。また現在、プロ化なった競技スポーツも現在のような不透明な財務状況、マーケテイングでは、近い将来破綻を来す危機的状況を迎えることが予想されます。

日本オリンピック委員会JOC)、各中央競技団体(NGB)及び国(文科省スポーツ庁厚生労働省)は、企業スポーツに対して何を指導、支援してきたのでしょうか。彼らは、今尚メダルの数だけを数え、公金は各競技団体経由で選手の強化費として支給していますが、企業スポーツのテイーム、選手育成には皆無です。

また、高校、大学の競技部は、企業テイームと同じ環境でトレーニング合宿をさせて欲しいと、企業に諸経費までおねだりし、その悪しき伝統が今なお何十年も続いています。それを高校、高体連、大学、学連、各競技団体は見て見ぬふりをしているわけです。このような高校、大学の競技部及び指導者達は、一企業だけではなく毎回複数渡り歩くのです。企業側は、これらのおねだり行為に対してNOと言えません。

理由は、その高校、大学から優秀な選手が出た場合に、リクルート時には相手に頭を下げる事が判っているからです。だから、これらの悪しきおねだり行為を断ち切れない最大の原因となっているのです。また、その高校、大学から有望な選手が出ても、その企業に来る保証はどこにもありません。

節度を弁えない高校、大学の指導者達は、毎年夏、冬、春とおねだりを繰り返します。これに伴う企業負担は、交通費、食事、滞在費、等と指導者、テイームへの付け届け、等と大変なものになり、年を追うごとにおねだりもエスカレートの一途を辿り、このような行為も「企業スポーツの影」と化している事をご紹介致します。教育機関の指導者達は、教育者と指導者、監督業を使い分けているつもりのようですが、おねだりや、監督の私的請求書を企業に廻すのは教育者として良くありません。

この貧困な日本のスポーツ・アドミニストレーションは、このような競技スポーツ現場の実情に対する考えを改めようとしないので、高校、大学の指導者による陰湿な指導及び教育は改善どころか蔓延している次第です。

また、会社・企業スポーツの指導、管理管轄が厚労省であることもスポーツ・アドミニストレーションの視点からは、違和感を感じます。

厚労省が会社・企業スポーツに今までどのように貢献、支援してきたのかを今一度精査、検証し国の指導体制、制度の抜本的な見直しが必要に迫られているのではないでしょうか。

2.企業スポーツの最大の矛盾とその弱点

第一弾で既に企業スポーツの歩みとその趣旨、目的を述べて参りました。しかし、時代が進むにつれてその運営、管理体制も国内外の競技スポーツに於ける動向の強い影響を受けるのもごく自然の成り行きです。

企業スポーツは、競技スポーツである事からそこにはおのずと競争の原理が働きます。競技スポーツは、誰が、何処のテイームがその競技種目の中で最強か、1位なのかを競う事を本質としているので、戦力を補強する為のリクルート活動は熾烈を極めるわけです。

本来、企業スポーツの選手達は、会社、企業の従業員、社員として採用されていました。特に競技スポーツのみを行ってきた高校、大学の学生選手達にとっては、スポーツ選手のステイタスで大手企業に本採用される事など夢のようなチャンスであったのです。このような夢の就活舞台は、1984年のロスアンゼルス五輪頃まで全選手達に提供され、現在も基本的にはこの方式を維持している会社、企業が大部分であると思われます。

しかし、1980年以降から国際オリンピック委員会IOC)の「アマチュア憲章の削除」宣言に伴い、選手のプロ化、競技大会のビジネス化が推進されるに至り、日本の企業スポーツの選手採用、雇用に於いても其れまでとは異なるリクエストが、選手、父母、高校、大学の指導者達からも出され始めました。

会社、企業は、丁度この時期を境に大きな試練に見舞われたのです。その大きな問題は、企業内の競技スポーツに対する処遇の見直しとそれに伴う莫大な予算の確保で在りました。

企業スポーツは、自らの活動で収益を求めていない事です。そして、全ての経費は、会社の営業利益によって賄われているので企業の経営状態に大きく依存している弱点が此処にあるのです。そして、企業スポーツ及び選手達は、アマでもなくプロでもない存在で言わばゴースト的な存在なのです。

3.企業スポーツは中途半端な集団

選手の雇用体系は、基本的には本来の社員としての本採用(会社規定に則った)と契約雇用を望む選手とに二分されます。大多数は、大手企業への本採用を希望し社員として入社します。しかし、中には時代が進むにつれて他社との採用条件を天秤にかけた学生選手達も現れるようになり、プロ契約を望む選手達が現れ出した時期でもありました。

勿論、外国人選手達は、全てプロ契約であり代理人を窓口にそのネゴシエーションが行われるのです。しかし、このような企業スポーツに於ける戦力補強では、社内に於いて会社、企業の伝統的な企業スポーツの理念とコンセプトに大きなギャップが生じるのも当然の成り行きでした。

此処で大きな問題や矛盾となるのは、企業スポーツはプロなのかアマなのかという論点でした。伝統的な企業理念は、勿論アマでありプロとしては認めない。しかし、現実的には、競技スポーツテイームを持ち、競技に参加している限り競争の原理から勝利が最終目的、目標と掲げている限り、綺麗ごとでは済まされないわけです。此処に今日も尚、会社、企業は、建前と本音を使い分けている、即ち矛盾の楼閣の上に企業スポーツがある為、非常に不安定な状態であると申し上げる根拠があるわけです。

筆者の企業スポーツの経験から昔も今も企業スポーツの選手達は、「プロフェッショナル」です。その根拠は、会社、企業に本採用された社員であれ、プロ契約した選手であれ、彼ら彼女らは「各種競技種目別の身体能力と精神力、技術をパフォーマンスとして競技に於いて提供し、それにより生活の糧を得ている」事がプロとしての定義(Definition)を満たしているのであり証(Evidence)です。

しかしながら、本採用している選手達は、振り分けられた各社内の部署にデスクを持ち、オフシーズン中は週に何日か午前中数時間、デスクに座る事が義務付けられています。何故ならば、選手達の社内でのステイタスは一社員で在り、会社、企業の就業規則に従わなければならないのです。即ち、会社、企業には、プロ競技スポーツ選手の職種、職業は存在しないのです。よって、社員として入社した選手は、個々に配属された部門、部署にデスクを構え労務規定に従った勤務実績を残す事が義務付けられているのです。此の事から企業スポーツの国の管轄は、厚労省であるという次第です。よって、正しくは、企業スポーツにプロアスリートは存在しない職種と存在なのです。読者の皆様は、ご理解して頂けますでしょうか。

この様な企業スポーツに携わる選手、指導者、関係者の実態は、まぎれもないプロと申し上げます。採用時のステイタスが社員である事は、競技スポーツを終了した後、社の一般社員としての雇用を担保するための条件なのです。此の担保は、個々の選手の判断で何時でも放棄出来るのです。

企業スポーツとは、日本独特な会社、企業内でのグレーな競技スポーツ文化と申し上げる次第です。これはまさに日本文化の縮図のようなグレー社会の一例でないかと筆者は思えてならないのです。此の事から、会社、企業の経営者は、企業スポーツを認め運営、管理を維持する限り「企業スポーツはアマである」との姿勢を一貫しなければならない根拠が此処にあるのだと思われます。

4.企業スポーツに光を

現実的な問題として、我が国の会社・企業スポーツの崩壊は、将来の日本のオリンピック選手、代表選手達の生活の糧が奪われることなのです。即ち、競技選手達の将来の職場即ち生活の場が無くなる事であることをどれほどの関係者達が真剣に理解しているのでしょうか。

昨今では、大学競技スポーツの在り方で日本版NCAAの設立の必要性は、大学スポーツで金儲けを趣旨、目的とした利権構築が声高に騒がれてきていました。しかし、つい先日は、この日本版NCAAの看板を外し、中身も方向転換するような告知がマスメデイアを通してなされているようです。

筆者は、本K'sファイルを通して日本の大学競技スポーツがNCAA(全米大学競技スポーツ協会)の真似をするには100年早いと申し上げて来た次第です。何故なら、小生は、長年米国大学に於いてこのNCAAの代表者の1人として実務の経験をして参りましたので、日本の大学競技スポーツ、指導者、管理者、大学教育機関及び日本の伝統的な環境、問題を十二分に理解し、承知しているからです。

この衰退していく企業スポーツの現実に何故、手を差し伸べようとしないのでしょうか。企業スポーツは、これからの学生選手が競技スポーツを卒業後も、継続維持する為には生活の糧として必要不可欠なのです。会社、企業が企業スポーツを持つメリットを段々と無くしている現在、これらの学生選手達、トップアスリート達は、これからどうやって生き残ればよいのか、日本の未来の若い選手達を非常に憂えてなりません。

今こそ国家のスポーツ基本政策、方針を真剣に討議、検討して、次世代の我が国の競技スポーツの在り方、育成、運営の指針と財政の確保を致さなければ手遅れとなると思われます。しかし、オリンピック招致に心血を注がれた方々には、このスポーツのCOREである選手達の将来の生活など誰も心に留める方々は居ないようです。

この伝統ある企業スポーツ衰退に歯止めがかからない現状を早急に精査、検証し国として主体制をもったリーダーシップを発揮、構築しない限り会社・企業スポーツの未来に希望の光を導き出す事は難しいと思われますが、読者の皆様はどのように理解されましたでしょうか。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 お知らせ:

 多くの読者の皆様にとりましては、企業スポーツの実態や抱えている問題点を、認識頂けたのではないでしょうか。次回NO.75は、まとめを予定致しております。時事の話題で急遽変更する場合もありますので、ご了承下さい。