K'sファイルNO.94:2020東京五輪招致の暗黒の霧はいつ晴れる

K'sファイルNO.942020東京五輪招致の暗黒の霧はいつ晴れる

無断転載禁止 注:Ksファイルは、毎週木曜日掲載予定

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読者からの便り:

河田先生、K'sファイルNO.93、拝読致しました。五輪協賛スポンサーの選出にミズノ社とアシックス社をめぐって一般に情報公開されない内情が色々あった様子が理解できます。そう言えば、お話に出て来た武藤敏郎事務総長については今回の東京五輪を復興支援に繋げる論調でメディアも好意的に取り上げておりますが読者のコメント投稿欄を読む限りは笛吹けど踊らずで、世間的には余り評価されていない様ですところで先生の文章にあった「賑やかに飛鳴していた海鳥(シーガル)が巣に戻ったが如く鳴き声一つしなくなった」と言う表現は独特ですね。先生は論理的な文章を書かれていて余り文学的な表現をなさらないイメージが御座いましたので新鮮な感じが致しました。それでは失礼致します。K’sファイル読書より、

 

第七弾:震災復興五輪は政治家の有言不実行

1.輝く太陽の唐突な変心と変身

先ず初めに

読者の皆さんは、「室伏広治」という名前を申し上げますとどの様なイメージが浮かびますでしょうか。陸上競技ハンマー投げ選手、鉄人、五輪、世界陸上大会でのメダリスト、日本人離れした体幹、等とイメージされるのではないでしょうか。筆者には、ハンマー投げの顔、ミズノMIZUNO室伏広治の強烈なイメージが焼き付いています。そして、オリンピックで金メダルに輝いた時には、確か上位選手が薬物違反行為により繰り上げ1位となった時に室伏選手はクリーンなアスリートとしてのイメージを内外に強く印象付けました。

室伏広治氏の紹介

室伏広治氏(Koji Alexander Murofushi)は、1974108日に静岡県沼津市で生まれ、幼少期を愛知県豊田市や米国で過ごし、千葉県成田高校に入学してハンマー投げを始めました。父親は、室伏重信氏で「アジアの鉄人」の異名を持つハンマー投げの名選手でした。母親は、ルーマニアやり投げ選手で欧州ジュニア選手権で優勝経験のあるセラフィナ・モリツさんです。広治氏は、父親の影響を受けて父の職場である中京大学1993年に入学。父がコーチを務めての二人三脚でハンマー投げに打ち込んだ姿は人々に感動を与えました。まさに両親の優秀なアスリートとしての遺伝子を受け継いだ、サラブレッドが日本に誕生したのでした。そしてそれを裏から、多くの方々が支え、今日の室伏広治氏があると確信します。

その後、室伏選手は、輝かしい太陽の如く国内競技大会は元より、オリンピック、世界陸上大会と破竹の勢いでメダルに輝き、日の丸を競技会場に掲げてきたのは、皆さんもご承知の通りです。しかし、彼にもアスリートとしての終演が訪れ、20166月の日本選手権大会を最後に競技者引退の意向を表明したのでした。お疲れ様でした。

この頃から彼の人生には、大きな転機が訪れていたのでしょうか。アスリートとしてより、名誉職的な肩書を次から次へと背負い込む事が多く成りだしたようです。16東京五輪招致委員会の理事として、日本陸上競技連盟の理事として、そしてそれに伴うJOCの陸連代表としての理事に就任するのです。

また、20東京五輪組織委員会の発足と同時に委員会の中枢を担うチャートに於いて、スポーツ局長としての職責が与えられ、現在のスポーツ・デイレクターという要職を、補佐を付けて業務を遂行されているようです。本来、スポーツ局長、デイレクターには、どのような職責、責務と組織委員会では位置付けているかは不明確。

選手生活以外、殆ど学ぶ機会を持てなかった為に専門分野以外の重責は、大変なことと推測されます。しかし、彼は、全て引き受けてしまったのでした。この事は、メダリストがオールマイテイーで何でもできると安易な思考から来るのかも知れません。何故ならば、昨日までアスリートとしての競技生活のみに従事して来た選手に対して、今日からトップマネージメント能力が要求される肩書を渡すのですから、渡す組織委員会側も心配であったのでしょう。その証として室伏氏の補佐としてスポーツ局長時には、スポーツ用品メーカー(ASICS社)のベテラン重鎮を付けられ、スポーツ・デレクター就任後は、省庁からの役人を補佐としている事からも理解出来ます。

 

室伏広治氏の不可解な行動と決断

 特に、中京大学時代から物心両面でサポートしてもらっていたのはまぎれもない「ミズノスポーツ」でした。大学卒業後は大学院に通いながらの選手生活に於いても株式会社ミズノの社員として長く役員待遇まで受けて来られたようです。

ミズノスポーツは、たぶん商品価値の高いアスリートとしてのみならず、社員として将来の幹部候補生として長期に渡り育てられてきたのかも知れません。社内に於いては、「輝く太陽」のような扱いを受け、特別扱いをされて来られた様子が目に浮かびます。

室伏氏は、長くお世話になった中京大学に別れを告げて東京医科歯科大学の教授に就任されました。日本の大学教育機関においては、教授職に課せられる業務は通常週最低7コマの授業とゼミ演習が課せられています。本来大学の業務を遂行するだけでも教授職は、時間が足りない筈です。現在の大学での約束された職責、責務は存じ上げませんが、筆者は、広告塔としての室伏広治氏であって欲しくないと願う次第です。

東京五輪に於いては16東京五輪招致委員会の理事に就任し、IOCに於いてはアスリート委員選挙に3度立候補しましたが、当選を逃しました。選挙活動違反で当選が無効になった時には、自身によるマネージメント力が欠けている事に気付かなかったのでしょうか。その後、20東京五輪招致委員会では理事を外され、日本陸上競技連盟の理事として、また陸連の代表理事としてJOCの理事として在籍して来ています。

20東京五輪組織委会が設立された時には、組織委員会のチャートのスポーツ局長(実質の職責、責務は不明)としての位置付けで迎えられたのでした。丁度このような時期を前後して彼の身辺に異変が起きたのでしょうか。

思えば、中京大学時代から今日までの長きに渡り、株式会社ミズノの役員待遇社員として物心ともに支えてもらった会社、そして水野正人氏に別れを告げる日がやってくるとは、誰が予期、想像したでしょうか。多分ミズノ社員達は、驚嘆した事でしょう。

 

2.筆者の私見と素朴な疑問

K'sファイルNO.9394のキーワーズは、二つだと思われます。その一つは20東京五輪のスポーツ用品カテゴリーのオフィシャルサプライアー権が、株式会社アシックスに決定した事。二つ目は、あれほど長きに渡り物心ともにお世話になった株式会社ミズノに室伏広治氏が突然、それもいとも簡単に自らの手で会社に辞表を提出した事です。

読者の皆さんは、驚かれたのではないでしょうか。この件に付きましては、当時小さく報道されていたような記憶があります。マスメデイアは、何故か報道する興味を持たれなかったようであります。まさか、組織委員会への忖度があったとは考えすぎでしょうか。

筆者の視点は、本二つのキーワーズが互いにリンクしていたのは疑う余地がありません。即ち、オフィシャルサプライアー権の判断・決断権を持っているのは、組織委の最高責任者の森喜朗氏であり、株式会社ミズノに辞表を出す判断・決断をしたのは、室伏氏です。

室伏氏がミズノに辞表を提出したのは、組織委のオフィシャルサプライアーが決まった後でした。よって、同氏の判断・決断は、本件に深く関わりがあったと思うのが妥当だと思います。

その証しは、その後の室伏氏の行動により明確になるのでした。それは、室伏氏が何と株式会社ミズノに辞表を提出し、受理された後、同氏は、返す刀で株式会社アシックスと契約をして自らの看板を掛け代えた事実でした。これに対する自らの説明もなく、ミズノ社に対する感謝の謝辞も見当たらなかったと記憶しています。

筆者の本件の素朴な疑問は、何故このような行為が簡単に彼には出来たのかという疑問です。筆者は、誤解を恐れず幾つかの疑問を項目別に挙げてみました。

1.所属先のミズノスポーツ及び総大将の水野正人氏は、負け組になったからか。

2.現在の20組織委のスポーツ・デイレクター(当時はスポーツ局長)の要職に居たい 

  のならば、看板を掛け代えろと強い圧力が掛かって追い込まれたので決断したか。

3.自身の周りの環境は急変し、自分は、何があっても目先の東京五輪のスポーツ局長

  のポジションは失いたくないとの思いが優先してしまったのかしかし、このポジ

  ションは失い、デイレクターのみの肩書となった。

筆者は、以上が素朴に頭に浮かんだ室伏氏の心中ではなかったかと推測する次第です。これらは、どれも当を得た疑問ではないでしょうか。

ここで見逃してはならない重要なポイントは、若しも筆者の素朴な疑問の23.項目がミズノ退社の要因であったならば、これはまさしく現在我が国のスポーツ界に於いて社会問題となっている「パワハラ行為」が組織委員会の内部で起きた由々しい出来事なのではないかと思う次第です。残念ながら室伏氏が長年物心共にお世話になったミズノスポーツに突然辞表を出し、ミズノスポーツの室伏広治氏として社会にファンにも何の説明も無いのは、誠に筋の通らない行いと思われます。室伏選手は、アスリートとしてクリーンであったので、是非社会人としてのクリーンな室伏氏を貫いて欲しいと願う次第です。近い将来、JOCの会長の玉座に対外的にも鎮座して欲しい1人なので、社会に於いても信頼できる人物である事を切に願う次第です。

判断・決断の今後

これは、筆者の私見としてお聞き頂ければ幸いです。

それは、室伏広治氏は自身の中で、現在の自分の本業は何かという本質的なスケルトン(背骨)を明確にして欲しいという事です。室伏氏の心の中には、何時までも自分は、輝く太陽で在り続けたいとする過去の栄光から抜け出せないでいるのかも知れません。これらの現象は、嘗てのプロ野球のスター選手にもよく見受けられます。

筆者の私見は、室伏氏がミズノスポーツと縁を切り、ライバル企業のアシックスと契約する事の重大さを十分熟知し、思慮あっての行動とは思えませんでした。なぜならば、彼自身には、その判断をするに十分な社会的な知識と経験がなかったと思うからです。ミズノスポーツを去って彼に残ったのは、組織委員会の理事、評議委員ではなく大会の1広報担当者のように思えてならないのは私だけでしょうか。

朝日新聞朝刊(2019313掲載)の記事には、某トーク・セッションで、室伏氏は、「スポーツの裏にこそ大切なものがある」と講演されているようです。彼には、何が本当に大切なものに見えたのでしょうか。

室伏氏は、これからの長い人生の中でこの度の判断と決断がどうだったのかの答えを得る時が来ると思います。彼は、政治家ではありませんので誠実にそして正直な人生を歩んで行って欲しいと願う次第です。筆者は、いつも個人的に応援しています。

3.水野正人氏に送る

貴殿は、2020東京五輪招致委員会に於いて自らの信念と情熱を持ち、勝利に向かって全力を注がれました。そのあなたが組織委員会JOCに居ないのはさぞや無念な事でしょう。また手塩に掛けて自ら優秀なアスリートをサポートされましたが、本人の意思で去って行きました。しかし、信念がぶれることなく、日本のスポーツ界のために私利私欲にまみれることなく、全力で戦われたその姿に対し、日本のアスリート達は2020東京五輪で自国開催の誇りを胸に戦ってくれる事と確信します。お疲れ様でした。

4.震災復興と20東京五輪招致は何処に消えたか

東京五輪招致プロゼクトを掲げるに当たっては、震災復興の為の招致として声高らかに御旗を掲げたはずでした。読者の皆様は、まだ鮮明に記憶されている事と思われます。今日の本プロゼクトは、震災復興を唱える関係者も居なくなりました。本Ksファイルに於いて色んな出来事を述べて参りましたが、筆者が事あるごとに述べさせて頂いて来ていますのは、20東京五輪のプロゼクト及び経営、運営、管理方式が1984年のロス五輪方式であったなら、今尚震災、災害で苦しまれている多くの先が見えない人々に対して、オリンピックで得た資金及びチャリテイーイベントでどれ程の被災者達の苦しみ、苦痛に手を差し伸べることができるかはかり知ません

既にKsファイルで述べさせて頂きましたように、国内スポンサーに於いては、1業種2社の特例をIOCから受け最終的には、約3200億円の収入を民間企業から組織委員会は確保する予定です。莫大な公金(血税)を投入した揚げ句に、さらにこの特例を活用しての資金集めをしている事からも、今からでも間に合うので、この民間企業から得た収入を現在、今尚苦しんでいる震災者達に何故還元する声を誰も挙げようとしないのか。

此れこそが政治家達の使命であり評議会、理事会関係者達の義務ではないのでしょうか。筆者にはそのことがとても嘆かわしく感じられ、組織委員会の委員の方達には、人としてすべき共存共栄の精神に立ち返って欲しいと強く願う次第です。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports

 お知らせ:

本シリーズは、NO.88の第一弾からNO.94第七弾まで掲載させて頂きました。読者の皆様には、何も知らなかった方が良かった、と呟かれている方も居らっしゃる事でしょう。次回、K’sファイルは、クリーンな招致活動でフェアーな五輪開催に成功した例を「リマインド」として再公開させて頂く予定です。これは、また、広告代理店「電通がスポーツ電通」として世界にパワーを轟かせる「礎」となった五輪ビジネスであります。