K’sファイルNO.98:今日のスポーツ電通の礎 84ロス五輪とは!

K’sファイルNO.98:今日のスポーツ電通の礎 84ロス五輪とは!

無断転載禁止  注:K'sファイルは、毎週木曜日掲載予定

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読者からの便り~

河田様

毎週楽しみに拝読させて頂いています。奥が深いです。今回のNO.97の「彼一人では、何も出来ない事を百も承知であったようです。」の文章が、一番印象に残りました。いつもありがとうございます。

河田先生

毎回貴重な先生の実践された知的財産を我々に無料で提供して下さり誠に有難うございます。書籍にされて有料で発刊された方が読者には、ありがたみが判るのではないでしょうか。書店に出ています書籍と全く迫力も価値が異なります。凄いです。社内に於いては、伝説の大先輩の当時の様子がこんなにリアルに解説して下さり感激しております。本ファイルの存在を教えて下さった社友には、感謝以外に表現が出て来ません。ファイルは、何ものにも代え難い財産です。このような貴重なドキュメントを拝読させて頂き感謝を込めてご無礼を承知でメールを出させて頂きました。有難うございます。社内の仲間に1日1人伝えています。河田スポーツ実践塾が必要かとそして塾生にと勝手に夢見ています。

第四弾:84ロス五輪プロゼクトの最終交渉

1.電通ロス支局は最強の最前線基地だった

①ロス支局員の過酷な対応とご苦労

電通P・ユベロス氏への接近計画は、当時本プロゼクトが企画・遂行される前から現地ロサンゼルスの電通支局がその最前線基地となっており、当時の支局幹部、他現地スタッフの方々は、戦場さながらであったと容易に想像できます。

その最大の任務は、本プロゼクトに関するあらゆる情報の収集、およびその情報の裏取り作業と整理、そして分析が連日連夜遂行されていたと思われますさらに分析された情報は、デイリーレポートで東京築地電通本社の企画本部に打電。そこから指示待ち、再度情報収集と裏取り、分析、レポートと繰り返し続く作業は、24時間(時差もあり)夜を徹する事も日常茶飯事、それはまさに戦場そのものであったと思います。

電通支局には、東京本社のあらゆるグループ、部署のプロデユーサーレベルから役員の方々まで情報取りや返信にも対応しなければならず、どの部署の誰にどこまでのレベルの情報を入れるかの選別も大変神経を尖らせた事と察します。もちろん、このプロゼクト以外にも多くの通常のプロゼクト活動、リサーチ、情報活動、電通本社の役員クラスのロス訪問に際しての送迎案内、等とあらゆる業務も並行してありました。このような有能なロス電通のスタッフの方々の能動的な血のにじむような業務と努力が在って、本プロゼクトが完成されたのだと思います。

まさにこの支局の有能な方々は、服部庸一氏、ジミー・福崎氏にとって掛け替えのない戦場での戦友そのものだったと思われます。本ロス支局も現地での本プロゼクト遂行に関しては、服部氏、ジミー・福崎氏のアドバイス、指示を真摯に受け止め、支援する事が組織のコンセンサツと成っていたので、何の疑いもなかった筈です。また、服部氏の支局員への配慮、気配りが現地に於いても当時此処かしこと散りばめられていた記憶が蘇ります。

同支局のスタッフ達は、築地電通本社の社員として鍛えられていたので、ロス支局に於いても日本流の夜討ち朝駆けの態勢で情報収集、アレンジメント、コンタクト、コーデイネート作業がなされたのです。これらの実務は、アメリカ人には信じられない戦略、行動力と作業プロゼクトに沿った形で、遂行されたのです。支局員達は、アグレッシブという表現を遥かに超えた攻撃的な性格の方々であったことが強く印象に残っています。支局は、限られたマンパワーの中での業務であったので、米国のビジネスマン達には考えられない個人のプライベートタイムを略奪した、会社、企業の業務に徹した姿はこれぞ日本人の外地に於ける企業戦士の戦場そのものであったように記憶しています

②P・ユベロス氏と服部、ジミー氏の会談の後

フレッド・和田氏の仲介の後、いよいよ電通プロゼクトテイームは、服部氏、ジミー氏、そしてサポーテイブなロス電通支局員と力を合わせ、現地最前線の作業部隊として戦闘を開始したのです。また、P・ユベロス氏も、その後LAOOCの立ち上げ後、組織の強化構築と多忙を極めながらも、電通の作業部会との時間取り、エネルギーを費やす重要な時間帯を共有したと思われます

LAOOCは、全ての権限が会長のP・ユベロス氏に集約されていて、組織の各セクションのマネージメント体制の統括管理責任者であり、全ての指揮管理系統の頂点となっているのでまさに同氏は84ロス五輪のイグゼクテイブスポーツ・アドミニストレーターと申し上げて過言ではありませんでした。

しかし、日本の会社、企業のビジネスマンと異なる点は、ユベロス氏は常にビジネスとリラクゼーションとのオンとオフのバランスを取るのが大変上手く、多忙の中に置いても必ず趣味のゴルフには出かけていましたこのアメリカ人特有なビジネス・ライフスタイルと日本人のそれとの違いは、日本人ビジネスマンをいら立たせ築地電通本社からの信じられない程のストレスがロス電通支局を直撃し、限られたマンパーワーと人材で無理難題を処理、解決するには限界に達していたに違いありません。

先ずは、ユベロス氏のスケジュールから如何にして電通タイム(電通とのビジネスミーテイングに割ける時間)を確保できるかは、至難を極めた事と思われます。日本人スタイルのビジネスマンの夜討ち朝駆けは、アメリカ人には通用しません。それでは、如何にしてビジネスアワーにビジネスタイムを確保できるかが、米国に於いてはビジネスの成否の分かれ目となるのです。

そこで電通ロス支局は、ユベロス氏の一日のスケジュールの情報を克明にリサーチ、如何にしてその隙間を確保できるかに日々神経を尖らせたことでしょう。ユベロス氏は、必ず息抜きの為にファミリータイム、ソーシャルタイム、フレンドシップタイム、リラクゼーションタイムの時間を確保しています。そこで彼のゴルフタイムに狙いを定めたのでした。

③ビジネス・ミーテイング会場と化したCC

ユベロス氏は、ロサンゼルス近郊の名門ゴルフクラブのメンバーであり、特にその中でも超名門コースのロサンゼルス・カントリークラブLos Angeles Country Club)、ベル・エアー・カントリークラブ(BelAir Country Club)リビエラ・カントリークラブRiviera Country Club)が、お気に入りであったことが確認されました。

とりわけロサンゼルスCCは、メンバー以外の出入りが非常に厳しく(元大統領のレーガン氏もメンバーと聞き及んでいました)制限されるクラブで在り、そのため、ユベロス氏のお気に入りで一番よく使用するベル・エアーCCに狙いを定めたのでした。ベル・エアーCCは、市内の超高級住宅街のビバリーヒルズ、ベル・エアーと代表的な超高級注宅地域の一画にあります。場所は、WEST WOODエストウッドのUCLAキャンパスの裏山がこのベル・エアー地域なのです。

筆者の余談話

丁度、此処には、筆者の親友の家族がその山頂付近に豪邸を構えていたため、私には付近の様子が手に取るようにわかりました。この地域は大変詳しかったのです。ベル・エアーCCについても、プレシテイージの高いゴルフクラブでありますが、幸い、私は、本CCで何度も別の親友の米国人とプレーしていましたので、こちらも精通していたと言えると思います。

本クラブのコースは、超有名なホールが在り、それはインの10番ホール、パー3のショートホールで距離200ヤード、鋭い深い谷越えが名物ホールです。私もいつもプレッシャーを受けてプレーしていました。私の親友は、このホールをいつもスキップしてプレーせずにカートで次の11番に向かっていました。

その理由を会食時に訊ねると「waste of ballボールが無駄」と頭からあきらめの境地でした。このベル・エアーCCの特徴は、カート使用も可能ですが、プレーヤーにはそれぞれ若い男性キャデイーが付いてバックを担いでくれ、コースガイドもやってくれる大変記憶に残るゴルフクラブです。殆どの米国の名門クラブは、リクエストすれば男性の個人キャデイーが付いてくれます。また、名門クラブのメンバーは、他州の名門コースのTタイム(スタート時間)も予約できます。双方のメンバーにはメリットがあり、至れり尽くせりとなっています。

P・ユベロス氏をベル・エアーCCでの待ち伏せ作戦

ジミー・福崎氏は、日系米国人で電通側に立ち、米国流のビジネスコンセプトと服部氏(電通)の日本流なビジネスコンセプトを十分に心得たうえで戦略を組み立てられていたのには敬意を表します。

彼はユベロス氏に近付き、権利獲得へと電通を導き、そして今日に至るまで世界にスポーツ・ビジネス「電通」の名をとどろかせた、電通に取ってはかけがえのない人物でした。服部氏が他の日本人ビジネスマンと異なる所は、信頼するジミー氏にキーを預けて相手とのネゴシエーションを任せる所でした

米国人と交渉事を行うに当たり、多くの日本人経営者、ビジネスマンの最大の問題と弱点は、ジミー氏のような立場の人を雇っているにも関わらず、日本人独特のやり方を通すことで、折角のビジネスチャンスを潰してしまう、即ち幕開けから幕閉じまで自分でやらねば気が済まない性格から重箱の隅をつつくような事をやらかす欠点があるのです。その点、服部氏は、度量の大きな人物でした。

このような日本の伝統的な経営、運営、管理手法では、管理者、指導者の能力以上の成果・結果を期待できない事です。即ち、真のトータルマネージメント(スポーツ・アドミニストレイション)が何たるかを理解できていない証しであります。自分の権益を犯すかもしれない人材は、育てない置かないが伝統的な日本の経営、運営、指導、管理者であり、スポーツ先進諸国のそれとは真逆なのです。

ジミー・福崎氏の事は、全く業界においても社会においても伏せられてきました。電通内部に於いても本プロゼクトの部門及び関係部署の人間以外は知るよしもなく、服部庸一氏の名前は知っていてもジミー・福崎氏の名は何故か外部に対しては誰もが語ろうとはしませんでした。これは、日本の伝統的な社会、組織の雇用体質の慣習と知恵の一つなのかも知れません。日本人には、良い意味での不思議な美徳、美学がある事を初めて認識した次第です。しかし、私は、このような組織内の伝統的な慣習はアンフェアーな評価と扱いでないかと思われてなりません。

服部氏とジミー氏は、ベル・エアーCCP・ユベロス氏のゴルフプレー終了を待ちかまえ、クラブハウス内に潜り込んでのミーテイングを繰り返し行ったものと想像できます。勿論、ユベロス氏のLAOOCオフィスのミーテイングルームに於いても、またある時は、ダウンタウンのホテル会議室に於いて話が積み重ねて行われていったのです。

2.契約内容の詰めから実務作業へ

本社での実務作業が開始

その結果、契約書に盛り込む骨子が固まって行きました。此れにより契約内容の骨子は、事務的な修正、訂正、加筆等と事務的作業がメインとなり作業部門、法務部門に引き継がれました。そして、服部・ジミー部隊は、その後大きな調整事項に付いてのみP・ユベロス氏と直接交渉を行い、それ以外の業務は、LAOOCから得た全ての知的財産権利を今度は築地電通本社内の各専門部門、部署の営業、企画、デザイン、企業へのプレゼンテイション、等に於いて現実的な商品化作業が行われ、各カテゴリーのスポンサー企業に対するセールスを遂行する重要な工程に入って行ったのです。

LAOOCから得た権利を最大限有効活用する為には、一業種一社に絞り込む為に各商品のカテゴリーの各業種を確定するに当たっての選考基準、一業種一社に対する分担金の割り振り、等との駆け引き交渉作業が各担当部門間に於いて開始されたのです。その結果84ロサンゼルス・オリンピック大会での一番最初に決まった一業種一社の会社・企業は、事務機器メーカーでブラザー電子タイプライターだったのです。それは、ブラザー工業が世界に市場を求めているタイミングでもあったためです。一業種一社が確定した後、我も我もと民間企業が参戦の意思を電通に表し、まさにバブル経済期に相応しいスポンサーシップの集まりでした。此処にP・ユベロス氏の狙いの矢は、的を射たのです筆者も本タイプライターを長年愛用しましたので当時のタイプライターでは、大変斬新で使いやすかったのを記憶しております。

3.新たなスポーツ・ビジネスの開拓を求めて参戦

筆者は、ジミー・福崎氏が陰の人間としての功労者で在った事をよく存じて居たので本連載の此処にご紹介させて頂きましたまた、この電通は、ロス大会プロゼクトと並行して進めていましたワールドカップサッカー(略:WCS)の権利略奪計画がもたつき前進しないため、本社司令部はロス五輪で結果を出した服部、J.福崎コンビの参戦に舵を切ったのです。これも本ロス五輪の権利獲得の成功による「人間関係の絆と信頼」の遺産が大きな原動力となり次なる大きなプロゼクトへと踏み出して行くのです。本WCサッカー権利略奪計画に付きましては、機会が在りましたら改めてご紹介させて頂きます。これから始まる電通のスポーツビジネスの世界戦略は、この84ロス五輪の成功と成果が基盤となり、ご紹介させて頂きました服部庸一氏とジミー福崎氏コンビがその礎を構築した事をお伝えさせて頂きました。

電通内部では、当時服部庸一氏の部門、部署ではなく、他の関係部署で業務をされていた方々が、今日、私が電通で「オリンピックビジネス」を「サッカービジネス」を「世界陸上ビジネス」をやったと公言されるケースが多々あるようですが、その方々は、当時業務に関係はされていてもキーマンではありませんでした。キーマンは誰であったのかは、実務の様子を木陰で見守っていたフェアーな眼差しの持ち主が必ず居た事です。それは、誰が語らずとも事実、真実は時間と共に歴史が語ってくれる事になるのではないでしょうか。漁夫の利を得たそのような方々については、ご自身の胸に手を当てると一番よくご存知ではないかと思います。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the Sport

お知らせ:次回Ksファイルは、多分読者の皆さんが何故筆者はこれほどまでに米国に於いて本件に関わる人間関係、行動範囲を持ち得ているのか、との素朴な疑問をお持ちのようですので本テーマを終了する前にインターミッション的に余談話を付け加えさせて頂く事により、その謎が解けるのではないかと思い掲載する予定です。