KファイルNO.143:今日本に必要不可欠なSADの専門コースの設置

KファイルNO.143:今日本に必要不可欠なSADの専門コースの設置

無断転載禁止              毎月第二、第四木曜日公開予定

お知らせ

この度は、読者の皆様からのリクエストの一つにありますスポーツ・アドミニストレイションに関する予備知識を少し提供させて頂きますのでお役に立ちましたら幸いです。また、大変ご好評を頂いています「読者からの便り」を複数掲載させて頂いています。

 

f:id:hktokyo2017041:20190718003102j:plain

読者からの便りをご紹介

河田様

 前号に続くNo142もパンチの効いた糾弾、胸のすく思いで拝読しました。今朝の朝日新聞が⒗面で大きく特集しています。河田さんの論考と深い関連があるのが明白ですが、明らかに突っ込み不足、迫力を欠いているのが残念です。朝日といえども商業新聞、しがらみがあって問題の本質を抉り出すことができないのでしょう。読者より、2020.9.25 (元文科省高官)

河田様

KファイルNo.142を拝読しました。大学スポーツ推薦制度の問題点がよく分かりました。河田さんのご指摘は、高校の部活動や大学スポーツ推薦制度に関する問題の根深さは、ルールブックがないことにあるとのお考えでした。早急に対処するには関係監督官庁や関係団体がこの明文化を図り、ルールの順守を促すことであるとの認識は極めてシンプルで自明であるようにも思われました。しかし、日本のシステムが「ざる」のようになってしまった理由の一つには、河田さんのようなスポーツアドミニストレイターが日本にはいなかったというか、そういう専門家の必要性に気付かなかったことにあることにも強く共感しました。今更、何とかしようとしても後手、後手でどうにもならないような気持ちになりがちですが、問題点から目をそらさず、傷口が広がらないよう行動を起こすことが故人への弔いになると心に刻みたいと思います。読者より(スポーツマスメデイア記者氏)

目次

KファイルNO.143:今日本に必要不可欠なSADの専門コースの設置

1.スポーツの基本的認識と知識

  ■先ず初めに

  ■スポーツの概念

  ■日本の伝統的なスポーツに対する基本認識

  ご参考までに

       ■日本的スポーツと体育の区分(日本の教育指導要領より)

       ■スポーツの区分と分野

2.スポーツ・マネージメントって何!

      ■紹介

      ■米国大学、大学院での専門課程

      ■MBAとSAD

  ■ここでまた新たな疑問と質問:

       ★ManagementとAdministrationどう違う?

3.日本に於けるスポーツ・アドミニストレイションの発祥地

 

===================================

2020年10月8日 木曜日公開

KファイルNO.143:今日本に必要不可欠なSADの専門コースの設置

スポーツ・アドミニストレイターは必要不可欠

1.スポーツの基本的認識と知識

先ず初めに

2021年7月23日に延期された東京五輪パラリンピック開催は、現時点で予定致しています。我々日本国民は、伝統的な固定概念に捉われ過ぎることなく、時代に即した科学的な根拠を基としたスポーツに対する基本概念を確立する事が急がれます。そして、それには、今日本に必要で不可欠なのはスポーツ・アドミニストレイターを育成、養成する専門機関を設置し、先ず資質の高い人材を世に送り出す事です。勝利するには、準備が必用です(Victories Loves Preparation)。

一概にスポーツと申しましても幾つかの分野、部門に分類されています事を先ずご理解頂ければより理解がしやすいかと思われます。

多分読者の皆様の多くは、スポーツと聴くと「野球、サッカー、バスケットボール、陸上、テニス、水泳、等々、オリンピック大会」が脳裏に浮かぶのではないでしょうか。これらは、専門的に競技スポーツ(Athletic Sports)と呼ばれるスポーツです。しかし、スポーツは、競技スポーツだけがスポーツであるのではありません。この際是非視野を拡大して頂きたいと思います。

スポーツの概念

スポーツとは、楽しみ、健康の維持、増進を求めたり勝敗を競ったり、またそれを仕事の目的で行われる日常生活の為の行動規範以外の身体活動(運動)の総称とされます。元来スポーツが遊びであれ、競技、仕事であれスポーツに共通する不可欠なものは、身体をその目的の為に動かすことです

人は、身体を動かすことによりそれぞれの身体能力の違いを表現、競い合う事、即ち誰が一番なのかに興味を抱くのが自然です。この競い合いこそがスポーツを競技性へと導き発展させた根源なのです。この源は、その後いろいろな競技へと分化し、改善されて発展し今日を迎えています。また競技スポーツの精神的な基盤は、フェアネス(Fairness、公正、公平)であり同じ環境とルール(規則・罰則)の下で行われることに価値があり発展してきたのです。このように競技スポーツは、決められた約束事の中で誰が一番優れた能力を持っているかを知らしめる装置ともいわれていますまた、スポーツは、競技だけがスポーツでない事を忘れてはならないのです。

本スポーツ・アドミニストレーション(通称:SAD)に於いては、スポーツの中の競技スポーツを中心に論考を進めて行くことで、読者の皆様にはより身近なスポーツとして理解しやすいかと思われますのでご承知おきください。

日本の伝統的なスポーツに対する基本認識

我が国では、伝統的にスポーツというと子供のころからの学校での体育の授業から先ず始める方が多いのではないでしょうか。今日に於いては、家族、友人、知人が集まり近隣の公園、ジム、自治体の運動施設を利用して体を動かす光景をよく見るようになりました。しかし、殆どの方は、体育とスポーツ、競技スポーツをこの時期から既に混同されているのではないかと思われます。また、その延長線上にある課外授業(部活動)、近年に於いては、幼少期のころから少年野球、スイミングクラブ、等々に通っていても、結局、中学、高校、大学と学校及びその部活に所属させられる。

このような伝統、歴史によって、スポーツ、競技スポーツは体育とされ文科省(旧文部省)の教育指導要領に基づいた領域内に、縛られて参ったのも事実です。「スポーツは、見世物ではないのでよってそれに伴う指導者、選手が金品を授受、スポーツでお金儲けはご法度!」とのスタイルは、オリンピック憲章に嘗てあったアマチュアスポーツマンシップとして長年独り歩きして参っているのもこれまた事実です。我が国に於いては、競技スポーツを「道」として、武士道の精神を美化し今日もこの精神文化を競技スポーツに脈々と継承しているのも事実です。

今日に於いては、これらの伝統的な精神論を大人の都合で美徳であるが如く、国内で声高に今なお大声を上げている方々もいるようです。しかし、時代は進み1974年のオリンピック憲章の改変により世界の競技スポーツは、プロ化、ビジネス化に変革しましたスポーツマンシップのコンセプトも時代と共に変革している事に対応して行く事を求められている現実と現状がここにあるのです。今日スポーツマンシップを個人の都合でよく使われる人は、多分その人がスポーツマンシップの真の定義を湾曲し、自身の都合よい理解で使っていることも事実です。読者の皆様には、すぐに「ああいるいる」と顔が浮かんでくるでしょうか。

ご参考までに

日本的スポーツと体育の区分(日本の教育指導要領より)

体育学は、体育に関する諸科学を組織・体系づけたものを意味する場合と、体育教育学を意味する場合がある。これらを総称して体育と呼んでいる。体育は、英語のphysical education(身体教育)の訳語として戦後の教育改革において新しく導入された科目である。保健体育は、physical and health educationの訳語であり、我が国に於いては第二次大戦後、名称も保健体育と呼ばれるようになったのです。即ち、「体育」とは、心体の健康を維持、向上させる為の教育学の分野なのである

参考:体育の授業では、体育理論や保健体育などの教室での授業を除いて 基本的に体操着を使用しての実技が中心である。大まかな教育目標は、各学校ごとに学習指導要領で定められている。

筆者:これらの表現は、非常に判りずらいですね。教員、指導者達が理解できていないのも当然かもしれません。ましてや、受講する生徒、学生は、体育とスポーツを今なお混同する筈です。

スポーツの区分と分野

近年スポーツは、科学的根拠を基にした分類が進み専門的に①創造性と協調性を重視したリクリエイション/レジャー・スポーツ(Recreation & leisure Sports)、②環境への適応性と教育性を重視した健康・スポーツ(Health Sports)、③心体力の機能性の限界に挑むことを重視した競技・スポーツ(Athletic Sports)、④社会性、協調性、精神衛生性・ストレス解消を重視した観戦・スポーツ(Participant Sports)に分類されています。そして、これら四分野を大きく二つに区分致しますと、その一つは、①実践するスポーツ、自ら参加するスポーツ(Participant Sports)、二つ目は、②観戦/楽しむ・スポーツ(Sports to watch and enjoy)に区分されます。

読者の皆様は、今までスポーツをこのように思考された事がありましたでしょうか。初めて知った方は、どのように感じられましたでしょうか。

2.スポーツ・マネージメントって何!

紹介

 近年皆様は、生活の中に於いてもマスメデイアを通してスポーツ・マネージメントという言葉を耳にするようになったと思われます。

筆者は、日本の大学で学んだ事と米国の大学で実践を通して学んだ事が、真逆であったことを今日もなお強い記憶として脳裏に残っていま。それらを米国の大学生時代に学んだこと、そして米国大学の教員として、スポーツ・アドミニストレイターとしての実践経験を交えて解説出来れば幸いです。勿論、近年日本の大学で教鞭を取った事も、大変貴重な経験であり体験でもありました。

米国の大学でも「スポーツ・マネージメントって何?」とよくこんな事を聞かれる事が、学生以外からもよくあったことを思い出します。スポーツ・マネージメントという言葉は、あいまいで、日本とアメリカでもその意味するところは微妙なように思います。

大学でスポーツ・マネージメント学科と名付けていてもコースの中身はまちまちです。よって、教えている教員もバックグラウンドがそれぞれです。勿論そうは言っても、スポーツという専門キャテゴリーは、それぞれスポーツに特化された専門の学位を持たれているプロフェッショナル達です。

 日本では、筆者が存じ上げて居る幾つかの総合大学の教授がスポーツ・マネージメント、スポーツ・ビジネス、等を指導されています。しかし、これらの指導者の専門分野を確認すると、幼児体育であったり、リクリエーション、体育運動学、武道学、体育歴史学、等々がバックグラウンドであるにも関わらず専門性の高い筈のスポーツ・マネージメント、スポーツ・ビジネスの科目を持たれ、ゼミ演習もされているという非常に不可思議な光景に出会いました。

多分このような方々は、近年新しい人気のある科目に専門の看板を掛け替ええた事が容易に推測できた次第です。その証として、大学で専門性に特化した科目を持ち講義しているにも関わらず、専門分野・部門の学位も取得されておらず、実践キャリアも無く、看板を書き換えてご自身の都合で指導されている現実には大変驚きました。日本では、このような指導者が大学で雇用され、誰からも何も言われない事を初めて知った次第です。

この状態は、本人はもとより本専門分野の教授として採用、雇用している大学側の運営、管理責任なのかもしれません。これでは、大学教育の本質が壊れているような気がしてなりませんでした。迷惑を被っているのは、授業料を支払っている学生達ではないのでしょうか。このような事に対して、日本の学生は、米国の学生と比較して大変寛容であると表現した方がよいのか、無頓着と表現した方が適切なのでしょうか。「米国の学生は、一科目の単位を自ら働きながら何ドルで買っている」という認識が強いので寛容では居られません

大学、大学院での専門課程

マネージメントは、簡単に言えば「スポーツに関する全ての部門、部署をその目的、目標を達成する為に経営、運営、管理する仕事」の広義な総称なのです。しかし、マネージメントは、ビジネスのみだけに用いる用語でありません。皆さんの身の回りを運営、管理するのもこれまた全てマネージメントです。しかし、「スポーツ」や「ビジネス」の意味が大変広義なのでよけいに混乱もするし、人により解釈も異なるのです。

筆者の大学時代の経験から、米国の大学は、スポーツ・マネージメントやスポーツ・アドミニストレイションのカリキュラムは非常に合理的且つ実践的に構成されていると思います。その特徴は、学んでも実践で使用する価値を見出さない科目は削除されています。

筆者の経験では、日本の大学では「この科目を学んでも実践でどう役立つのか」と思える科目を押しつけて、必須と指定しているような科目も多々ありました。これは、教員の雇用を増やすための道具であったのかも知れません。現在も何も変わっていない様子です。また、この他にスポーツ・アドミニストレイション専攻の大学院生には、自身の専門コースをサポートする分野として、スポーツ科学(自然、人文)、統計学経営学、等をサポーテイブ分野の上級クラス(初級、中級、上級、実践編)の単位取得が義務付けられています。これらは、必須(Required)として課せられています。筆者は、専門コース、サポーテイブ科目の全カリキュラムをご紹介したかったのですが、紙面の関係でまたの機会に致します。

MBAとSAD              

MBA(Master of Business Administration)がビジネスを一般的に学ぶところであるのに対して、スポーツ・アドミニストレーション(Sports Administration)は、特に大学院レベルでマーケテイングやプロモーション、ヒューマンリソース(人事)等を含むスポーツに関するトータルマネージメントを専門的に学ぶところです。近い将来、MSA(Master of Sports Administration)の学位が確立されると思われます。

■ここでまた新たな疑問と質問                

日本では、この専門分野、部門が確立されていないので欧米の模倣、受け売り的な要素が強く、今始まったばかりです。米国の大学に於いては、学部(Undergraduate  School)では、スポーツ・マネージメント学科、大学院(Graduate School)では、スポーツ・アドミニストレイション学科と厳密に区別しています。

私も、大学院時代にこの質問を担当教授に授業中にしたことがあるのを記憶しています。教授の回答は、シンプルかつ明快に「アドミニストレイションの人間がマネージメントの人間を雇い、その人達を運営、管理しているのだ」との教えを受けた。こう説明、指導された時に私は、この説明でなるほどと素直に実践現場に落とし込めたのを今も鮮明に記憶しています。

それでは、選手のエージェント(代理人Agent)やスポーツイベントの企画運営はマネージメント、それを包括する組織、団体や企業の経営管理がスポーツ・アドミニストレーションか?「現場の人間(マネイジメントする人達)が働きやすいようにバックアップ、サポートするのが経営、管理側(アドミニストレイション)の役割」とこれも間違いでない。しかし、アドミニストレイションとマネイジメントの区別は不明瞭で、日本では、スポーツ・アドミニストレイションの重要性と認識が無かったと申し上げるより、つい最近まで誰もがこの重要な専門分野、部門の存在すら知らなかったというのが正直なところです。この事は、以下余談で付記させて頂きます。

 

3.日本に於けるスポーツ・アドミニストレイションの発祥地

我が国では、2005年秋までスポーツ・アドミニストレイション、スポーツ・アドミニストレイターと申す専門分野、部門の重要性に付いて誰もが、この存在のみならず、言葉すら知らなかった次第です

筆者は、約35年間本スポーツ・アドミニストレイションの実践、専門分野、部門でスポーツ・アドミニストレイターとして、米日の実践現場で経験キャリアを積み重ねて参りました。2005年より最初に中央大学総合政策学部、八王子キャンパス)に於いて講義授業、ゼミを開講し、日本で最初に紹介させて頂きました

我が国には、スポーツ・アドミニストレイション(略:SAD)の名称も2005年迄影も形もなかったのですから、小生が国内の大学で講義授業、河田ゼミを通して紹介、複数の大学で講演したその名称に文科省スポーツ庁が何故か飛びついて名称のみを利用しているのが偽らざる現実です。教育機関、教育界では、もっと腰を据えてスポーツ・アドミニストレイションが何たるかを正しく指導し若者達に実践経験を積ませて、真のスポーツ・アドミニストレイターを世に送り出して頂きたいと願う先駆者からの願いです。

現在は、文科省スポーツ庁の指導により全く専門知識も実践経験もない教員をスポーツ・アドミニレイターの肩書を与えて管理職と位置付け各大学に配置するよう指導されているようです。これでは、嘗て流布されたGMの肩書に変えても成果、結果が出ないのでもう使われなくなったのと同様の事態を招きます。これが文科省スポーツ庁が率先して始めている現実と実態なのです

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

紹介:Gファイル(長嶋茂雄と黒衣の参謀)文芸春秋社 著 武田頼政

お知らせ

NO.143は、如何でしたでしょうか。学部、大学院の講義授業を受けられている思いをされたのではないでしょうか。筆者は、通常の時事に関わる話題をより一層理解を深めて頂く為にも、基礎、専門知識を読者の皆さんに付与させて頂きましたので悪しからず。

KファイルNO.142:③高校生の「大学スポーツ推薦制度」に潜む危険な罠

KファイルNO.142:③高校生の「大学スポーツ推薦制度」に潜む危険な罠

無断転載禁止                         本BLOGは毎月第二、第四木曜日掲載予定

お知らせ

 この度は、2018年7月に高校のバレーボール部活に所属していました新谷翼さん(当時17歳)の取り返しのつかない事件に付きまして、ご紹介させて頂いております。NO.142は、その三回目のシリーズの最終章とさせて頂きます。このような教育界に於ける部活から二度と犠牲者が出ない、出さない事を強く祈念し、新谷翼さんのご冥福を心よりお祈りいたします。河田弘道

 

f:id:hktokyo2017041:20190718003102j:plain

 目次

KファイルNO.142:③高校生の「大学スポーツ推薦制度」に潜む危険な罠

第三弾

大学スポーツ推薦制度を悪用する大人達

Ⅰ.大学の広告塔と化すスポーツ推薦制度

   ■現スポーツ推薦制度は学業否定を助長

  1.日本の大学スポーツ推薦制度

   概要

  2.スポーツ推薦制度の現実と実態

   ■大学経営・管理者の都合により歪められたスポーツ推薦制度

   ★暴力指導を支援するモンスター達の存在とスポーツ推薦制度の罪

  3.内閣府文科省スポーツ庁)は何故正面から対処しない

   ■学生による自治活動とする事で責任回避出来るか

   ★襟を正させるのは何処の誰か 

  まとめ

   ルールBookの無い制度はフェアーじゃない

 

 

===================================

2020年9月24日、木曜日    公開

第三弾 

大学スポーツ推薦制度を悪用する大人達

Ⅰ.大学の広告塔と化すスポーツ推薦制度

現スポーツ推薦制度は学業否定を助長

本調査報告書には、A生徒が本高校への入学時スポーツ推薦で入学したか否かは明記されていませんでした。同生徒は、中学(義務教育機関)在学中に既に何度もバレーボール選手を続けることに対する疑問と苦痛で自信を失い、興味を失った事を報告書の中に明記されています。そして、高校に進学してX顧問に出会いその指導内容、指導方法に対する疑念が増幅して来たことも明記されています。

この主たる要因は、高校入学時に初歩的な手続きを怠っている事が考えられます。このことが入学、入部後の本件の痛ましい事件を防止できなかった大きな要因の一つであると筆者は思います。それは、A生徒が入学、入部時に於いて、本高校の部活(バレーボール部)入部に関する同意書(双方の約束事を遵守する書類)が見当たらない事です

高校生は、未成年者であることが先ず前提であり通常は生徒を保護する立場の父母の同意、署名が必要とされます(欧米の教育機関では常識)。この重要な約束事がなされていない事は、県教育委員会、学校側の重大なスポーツ・アドミニストレイションに於ける手落ちであったのではないかと思われますこの重大な問題を第三者委員会の報告書は、一切触れていない、調査されていないところが本報告書の最大の欠点であると指摘させて頂きます

岩手県教育委員会は、生徒達がスポーツ部活に入部する際の手順と手続きを管轄の高等学校に指導、事務処理をして頂きたかった次第です。もしかして、教育委員達及び第三者委員会の委員達は、全く重要性に気付いていないのでないかと思われます。

この様な状況下で新谷翼さん(A生徒)は、2年生の後半に既に大学をX顧問からか紹介され、大学バレーボールの名門大学とされているE大学(大学名は不明)の監督を紹介され、面談していることが明記されています。同大監督からは、将来プロ選手になる期待を込められてリクルートされたとも報告されています

最終的に、本人は「E大学のスポーツ推薦を受けます」と回答しています。

この時点で本人は、まだ心中E大学では自分は通用しない、練習にもついて行けないとネガテイブマインドが優先している時期でした。このことから、E大学は、A生徒が部活について行けない程の過激な練習を強いる大学なのかもしれい事が推測できます。彼は、E大学のバレーボールテイームの実態の情報を既に入手していることが伺えます。しかし、「この機会を逃すと自分には他に何も(学力?)無いので大学に行けなくなる」事への自問自答が続いている。この本人の心理状態を関係者が誰も気付いて挙げられなかったのは、教育指導の観点からも残念です。しかし、E大学及び監督への事情聴取に付いては、本調査報告書には見当たらないのが非常に不自然かと思われます。

本人A生徒は、E大学のスポーツ推薦を受けます、と回答をしていますがE大学がどこであるか、E大学の当時のA生徒との約束事、等の調査が第三者委員会でなされていないのが非常に気がかりでありますX顧問が推薦者であったのか、E大学の監督が直接コンタクトされたのかの有無は、大変重要なポイントになります。通常は、生徒がE大学と接触する場合は、X顧問、父母が同席するのが普通です。この事を担任教員、校長は、X顧問より報告を受けて知っていて然るべきであると思いますが、これも報告書に明記されていません。 

A生徒に取って、「バレーボールをやらなければ大学に行けない」という片寄った固定観念を持ってしまった事、E大学のような競争の激しい部活校を選択せずとも、何故他のスポーツ推薦枠のある大学をX顧問、担任は指導、紹介されなかったのか残念です。

即ち、何故E大学でなければならなかったかの根拠が見当たらないのですスポーツ推薦を受けるならE大学在りを最初に設定したのは、誰なのかが本事件のキーワードの別の1つであり、報告書には一切触れられていない所に本スポーツ推薦を巡る問題が垣間見られますこのような高校と大学側の生徒選手の交渉事には、必ず「持ちかけた相手と持ち掛けられた相手」が存在することです。本委員会には、このような件についての視点を持った見識者が委員として招かれていなかったのかも知れません。

筆者は、この問題に関して、人気のある競技スポーツ種目、選手であればあるほど、商品価値が高くなるので関係者の思惑が複雑で教育者、教育界に相応しくない交渉行為が行われている現実をスポーツ・アドミニストレイターとして、経験しているから深読みするのかも知れませんが悪しからず

 

1.日本の大学スポーツ推薦制度

概要

本来高校から大学へのスポーツ推薦制度とは、「将来有望で優秀な競技スポーツの選手を本人の希望に基づき、一般生徒の大学入試とは異なる方法(条件:特別待遇)で入学を許可する制度」の事ですしかし、この制度は、大学に於ける競技スポーツの部活は「大学教育の一環、延長線上に位置する事を大前提にしてできた制度」と理解していました。しかし、本制度は、大学側、高校側が明文化し、生徒、父母に十分な説明、指導がなされていない所に大きな問題と矛盾を感じてならないのです。読者の皆さんは、本スポーツ推薦制度の詳細をご存じでしょうか。何故マスメデイアは社会に情報公開されないのでしょうか。これは、関係者のみならず日本の教育界、社会、子を持つ親にとって重要で現実的な知識でもある筈です

大学側に於いては、今日も戦前同様に大学競技スポーツの部活は「学生の自治活動である」との大儀を掲げている実態があるのです。これは、即ち日本の大学が始まった当初からの「部活動の定義」なのです。大学設置の許認可権を持つ文科省スポーツ庁)が今日まで改善しようとしない時代錯誤の大儀と実態なのです

大学の部活の指導・運営・管理の主体が学生に委ねられているという事は、近年の競技スポーツ部活を見てもこれほど無責任で責任逃れの文科省スポーツ庁自治体の教育委員会に呆れて言葉も出ません。大学内外に於いては、「見せかけと実態の矛盾した二層構造」と化しているからです。

このような実態から、高校側、大学側双方には、「スポーツ推薦制度は学業の能力は問わないので勉強しなくてよい」との全く誤った理解と認識を双方の勝手な都合によって醸成、構築してしまった最大の原因がここにあると申し上げて過言でありません

このような矛盾した大儀を悪賢い一部大人達に隙を与える結果となっていることです。この大人達は、商品価値の高い特定の競技スポーツを運営・管理して莫大な収益を毎年得ている次第です。その代表格は、関東学生陸上競技連盟(学連)のような、法人資格を持たない任意団体にして大人達の利益・利権集団と化している例です。Kファイルでは、既に「大学箱根駅伝は誰の物」で紹介し、多くの読者から多大な共感を頂いている次第です。しかし、誰もがこの不純な事業を改めようとしない、させないのが、我が国の教育界の競技スポーツとそれを食い物にする大人達の利害、利権との関係なのです。「Kファイル:箱根駅伝は誰の物」をご笑読下されば問題の本質を詳しく明快に理解できると思います。

この度のA生徒が精神的に追い込まれ悩んでいた「自分は、バレーボールをやらなければ他に何もないので大学には行けない」との言葉は、非常に重く我々は受け止めなければならなりません。この事は、この大学スポーツ推薦制度「誰にとって何のための制度」か、ここで改めて重大な問題として真剣に耳を傾けるべきではないでしょうか。

このことからも我が国のスポーツ・アドミニストレイションの理解と知識の不足が原因で、守って挙げなければならない未成年の高校生、大学選手達を教員、指導、経営・管理者がミスリードし、本質を忘れ非教育的行為に手を貸す制度に歯止めがかからなくなっていることを見て観ぬふりをしているのは如何でしょうか。

 

2.大学スポーツ推薦制度の実態

 ■大学経営者の都合により歪められたスポーツ推薦制度

此処では、スポーツ・アドミニストレイターの視点でこの「日本に於けるスポーツ推薦制度」に付いて、専門的な角度から解説致します。

本制度は、特定の競技スポーツに競技者として優秀な生徒が高校、大学に進学を希望する場合、学業成績の内容を問われない入学許可制度の一つがある事を既にご紹介いたしました。この制度は、私学のみならず国公立大学に於いても数十年前から本制度を「一芸入試」等の名目で国公立に無試験で入学が許可され、また、その生徒の優秀度により「特待生」という名目で授業料、等々、免除の制度が既に確立されています。特に競技スポーツを強化対象にしている私学では、優秀な生徒選手(名実ともに商品価値の高い選手)には、授業料、生活費、医療、強化費、毎月の小遣い、等々を提供し、競争入札に近い方法で争奪合戦が連日連夜繰り広げられています。

この様に大学と高校間に於ける需要と供給のバランスが複数の競技スポーツ種目に置いて崩れている為、熱狂的な私学経営者・教育者・指導者は、有名で優秀な競技者を獲得する手段として売り手(高校の顧問、関係者、父母)から生徒選手を送り込む見返りを求められる為に大学側にオファーさせるケースとその逆の二つが現存しています

買い手側は、学部、大学の卒業手形迄出し、生徒選手の父母を大学職員、専門職に採用する事も持さなくなっているのです。大学経営者・管理者の趣旨、目的は、有名な選手を獲得することで広告塔としての価値評価を認め、受験生(一人当たりの受験料は35、000円)を一人でも多く増やす事による増収と大学の知名度獲得への「投資」と位置付けている次第です。即ち、売り手、買い手双方には、生徒、学生選手の教育及びアカデミックの本質など眼中になく、双方の目的を達する為の客寄せパンダ的な道具、駒としてしか考えない経営者、管理者が多くいることです。現在の大学には、このようなコンセプトから経営者は企業での経験者を大学法人、大学事務職員として採用している状況です。

また、大学部活に於いては、商品価値の高い種目、選手を抱える監督、関係者は、プロ球団、企業との癒着により直接・間接的な金銭取引、大学部活への財政的な支援、大学監督から企業に優秀な選手を送る見返りにその企業の製品(例:自動車、等)を購入するという、教育者、指導者としてあるまじき行為を行う部活指導者もいるといわれていますそのような行為を高校部活の顧問達は、大学の監督、関係者が行っているのを業界で知らないのが非常識とまで言われる世界です。このようなことも暴力に指導者を駆り立てる闇の世界が教育界に日本では伝統的に蔓延しているのです。このような実態の中で日常生活をしている人達は、これが常識であり社会が非常識に思えるのかも知れません。

A生徒は、このような業界であるなど知る由もなく、何方かの誘導があったのかも知れませんが、この重要なポイントを学校側、県教育委員会側が全く調査の対象にされていないのは無理からぬことかも知れません。今日のバレーボール界は、全体的に活気がなく業界に於いても商品価値が低下していることから、他の人気ある複数の競技スポーツ程競争が激化しているとは考えにくいかも知れません。

この度のA生徒の関係者達は、納得していない本人の気持ちを知ってか知らずか、E大学に導こうとした安易な思考が招いた悲劇であったのかも知れません。ここで誤解を恐れず申し上げますが、他都道府県に於いては、このような業界の状況の情報を得ている父母側から部活担当顧問に対して、「家の子供は、大学のスポーツ推薦で大学に行かせたいので、厳しい指導(暴力を含む)で徹底的に鍛えて下さい」と入学時に申し出ている呆れた父母(保護者)がいることも事実です。他校で暴力事件が発覚した時に、このような了解事項があった事が既に発覚しています

これにより部活顧問は、半ば父母から暴力指導のお墨付きをもらったと勘違いして、暴力を振るう指導者が後を絶たないのもこのスポーツ推薦制度の「罪」の大きさを物語る要因の一つなのです。

問題は、関係者が遵守しなければならない「ルール」が、この制度にも欠落しているという事です

読者の皆様は、部活に偏った高等学校、そして大学の実態である事に目を逸らさないで、問題の根の深さを理解し我が子、孫達を守るための参考にして頂ければ幸いです。

 

3.内閣府文科省スポーツ庁)は何故

       正面から対処しないで放置するか!

               ★セクハラ文科大臣は教育・スポーツ界に必要か!

学生による自治活動とする事で責任回避出来るか

この様に大学と高校間に於ける需要と供給のバランスが複数の競技スポーツ種目に置いて崩れている為か、熱狂的な大学私学経営者、大学管理者は、有名で優秀な競技者を獲得したいが為に他大学より良い条件を出す。送り出す高校側(教員、顧問、関係者、父母達)は、生徒選手を送り込む見返りとしてスポーツ推薦制度の常識を超えた要求をし、それがエスカレートして歯止めがかからない。大学側は、大学の経営、管理に於いて優秀な競技選手達の獲得は経営者のビジネス戦力となるので、無理しても獲得する事に手を染めてしまっているのです此処には、何のルールもない無法地帯(out of Law)が現存するからです

都道府県で多発しているモンスター父母は、教育の本質を理解しない、軽んじる父母達で、暴力指導を容認し我が子を有名大学の競技スポーツ部に「スポーツ推薦」で入学させてもらい、あわよくば「特待生」で獲ってもらいたいとの自己中心的な下心があるからです。部活に於ける暴力指導、暴力学校、暴力教育者の行為を容認した姿勢が絶えない現実は、

この「スポーツ推薦制度」に明文化されたルールがない事が大罪の要因の一つである事に違いないと思われます。

★襟を正させるのは何処の誰か

この制度を悪用した大学部活管理者、大学教員、経営者がいることは事実です。これにより大学側と高校部活顧問との利害、利権の癒着、貸し借りが起き生徒が大人の利害、利権の駒として利用される構造的な問題があるにも関わらず、学校側、教育委員会高体連文科省スポーツ庁は、観て見ぬふりしているのが我が国の高校・大学の教育機関、大学競技スポーツ界の伝統的な悪しき実態でもあります。このような環境と現実では、フェアネス(公平、公正)は、死語に等しく、かえってフェアネスを迷信と誤解される社会なのからかも知れません

日本の教育界、スポーツ界では、規則・罰則が不都合な自己中心的な大人達が多いのかも知れません。このような実態では、どのような事件、事故が起きようとも不思議でないと思います。国民、社会、教育関係者、大学スポ―ツ関係者は、「改めるべきである」と真に反省、認識を新たにするならば、競技スポーツの部活を持つ全高校、全大学の統括運営・管理責任者達は、一同に集まり各大学に共通した規則・罰則を申し合わせ、各高校、大学が団結した証として合理的且つフェアーな組織の構築が先決であると思います

いみじくも、数年前から文科省スポーツ庁は、「日本版NCAAを作る」と声高に花火を打ち上げ、マスメデイアと一部特定の大学教員達を集めて模索はしたようですが、机上の空論は論じても実践キャリアが伴っていなかったようで、全てが絵にかいた餅であったようです。当時Kファイルでは、「NCAAを語るに100年早い」と申し上げた意味が届かなかったか理解できなかったのかも知れません。

先日は、マスメデイアがスポーツ庁長官の鈴木大地氏が9月末日を持ちまして退任するに付け、就任から今日までの総括としての取材を受けたようです。同氏は、任期中に「大学スポーツ協会(UNIVAS)」を設立したと本人もメデイアも称賛されていたようですが、果たしてそうなのでしょうか。日本版NCAAは、何処に消えてしまったかの説明も見当たりませんでした。それどころか、UNINVASは、大学スポーツ協会の簡略語(Abbreviation)の横文字のみを強調して、大事な中身が見当たらない名称のみのようです。確かに三本柱は明記されているようですが、筆者には大儀になり得ない実質が伴わない作文のようにしか思えてなりませんが悪しからず関係者には、スポーツ・アドミニストレイションが何たるかが真に理解されていないので総括とは言い難い取材会見となるのかも知れません。

今だ「NCAA(National Collegiate Athletic Association=全米大学競技スポ―ツ協会)」をNCPEA(National Collegiate Physical Education Association=全米体育協会)と何時まで経っても競技スポーツと体育を誤認、誤訳するレベルなのかも知れません。これでは、その違いを直視できず古い慣習に縛られる中に居る方が住み心地がよいのかも知れません。ようやく「日本体育協会が日本スポーツ協会」に日本語も英語も正しい名称になりましたが、マスメデイアも頑なにNCAA全米大学体育協会として、改めようとしない古い体質の人達なのかもしれません。

このような実態から日本の大学競技スポーツの運営、管理に於いては、明快な「大儀」が先ず必用です。そして、その大儀を御旗に「趣旨・目的」を明確にし、全加盟大学は責任を持って規則・罰則を遵守する協定書を先ず作成する事です。このように各大学の最高責任者達が能動的にならない限り、このような教員、教師、部活指導者が襟を正す事は不可能に近いと思います。読者の皆様は、如何思考されますか。

しかし、本調査委員会の委員達には、このよう現実をどれ程理解、認識した上でこの度の調査、報告書であったのかは知る由もありません。もちろん調査委員の方々は、このような世界が蔓延していることなど多分知る由もない方々だと思われるからです。

 

まとめ

★ルールBOOKの無い制度はフェアーじゃない

筆者は、本調査報告書から何が洞察できたかを率直に申し上げます。

高等学校、大学に於ける競技スポーツの部活は、根本的な趣旨、目的が不明確である事が挙げられます。特に競技スポーツ活動を指導、運営、管理するに当たりスポーツ・アドミニストレイションに重要不可欠な「Justice正義&Fairness公正」を維持、確保する為の「規則と罰則を明記したRule Book」が必要であることです

競技スポーツは、ルールをリスペクトする事が大前提で競技が運営、管理され成立していますしかし、我が国に於いては、競技以外の競技スポーツを運営、管理する、マネージメント部門に於ける規則、罰則が皆無の状態なので関係機関、関係者、選手、父母、等の「秩序」がフェアー(公正)に運営・管理できていないと申し上げます

これにより未成年の生徒達の個が疎かにされ、部活の大儀であるべき「健康、安全と教育・学業」が担保されて居ないからです。

高校の競技スポーツの部活を統括、運営、管理する教育機関、組織・団体は、個々の生徒をプロテクトする為に各校共通したルールブック(部活に入部手続から退部迄の在籍期間中の約束事)の作成と、それに加盟する各高等学校(教育機関、生徒の代表)としてルールブックを尊重する精神と、それに同意し遵守する証としての署名が必要です。

全ての関係者は、ルールブックに違反した違反者に対して明快なペナルテイーを科すことの詳細を明記する必要があります。それは、時代に合った組織・団体を構築する事が先決であると提案させて頂きます教育委員会にスポーツ・アドミニストレイションの基礎知識を持たれて居たなら、この度のような悲しい事件、事故は未然に防止できた可能性が非常に高いと思われます。 

 

 大学側の「スポーツ推薦制度」には、全大学がスポーツ推薦制度に関する共通した「ルールブック」を作成し、全大学の運営、管理責任者は、ルールブックを遵守する事に同意しなければなりません。違反行為が発生した時の為に全大学は、第三者委員会でなく、法的な権限を有した「査察委員会」を設置し、調査から罰則に至るまでの権限を委託することにも同意しなければなりません。

文科省スポーツ庁は、今日進めているようなスポーツ・アドミニストレイターを形式的に置くのでなく、アドミニストレイターの養成、育成とそれ以前に重要なのはルールブックの作成が先ず不可欠です。一日も早く伝統的な談合文化を教育界から追放し、合理的でフェアーな教育界に於ける部活動、大学スポーツ推薦制度でなければ、次のステップに改善、改革の駒を進めることは出来ないと思います。即ち、立派なモダンな建物に名称だけ付けても、中身が空っぽではただのお飾りにしか値しないという事になります。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

お知らせ:NO.142は、大学スポーツ推薦制度について高校校長、教員・指導者側、県教育委員会側、ご両親にもう少し知識の付与が必要に感じましたので、本制度の実態と問題点を具体的な実例を挙げて述べさせて頂きました。大学スポーツ推薦制度に興味ある読者の皆さんにとって、参考の一助となりましたら幸いです。

KファイルNO.141: ②教育者を装う部活指導者に潜む危険                        副題:スポーツ・アドミニストレイションの貧困による歪んだ部活指導で自死

KファイルNO.141: ②教育者を装う部活指導者に潜む危険

副題:スポーツ・アドミニストレイションの貧困による歪んだ部活指導で自死

無断転載禁止              毎月第二、第四木曜日掲載予定

 

f:id:hktokyo2017041:20190718003102j:plain

読者からの便り

河田 様

岩手県不来方高校3年生のバレーボール部員、新谷翼さんが自殺した事件は多くの教訓を我々に伝えていると思います。一番悲しいのは、理由は何であれ、若者が自らの命を絶たなければいけない状況に追い込まれ、悩んだ末に自殺に踏み切ったということだ。

誰にも相談できなかったのだろうか、誰も止めようとしなかったのだろうか。相談する仲間がいなかったとしたら、何のための部活動なのだろうか、何のためのスポーツだろうかと首をひねりたくなる。

スポーツは勝つことが大切であると考える選手、指導者がいるとすれば、大きな間違いであることに気付いて欲しい。スポーツの勝者の影に必ず敗者が生まれる。トーナメント形式だと、最終的な勝者はたった1人、1チームだけしか存在し得ない。それ以外の多くの人が全員、負けを経験する。スポーツの素晴らしさは勝つ喜びにもあることは否定しないが、それ以上に負けた中から何かをつかみ、それをそれ以降の人生にどう生かすことができるか、失敗しながら学ぶことにあると思う。それは決して一人だけで行う作業ではなく、特に高校生のような未完の時期には仲間や家族と悩み・苦しみを共有し、解決しようと努めるところに良さがあると私は信じる。

新谷君のことを思うと、仲間が果たすべき友情、正義が見えず、寂しくなる。顧問の教師、学校側や県教育委員会の対応は、河田氏が激しく指摘するように保身ゆえの責任逃れしか頭にないと言わざるを得ない。高校の部活動は誰のためのものなのか、指導者のはき違えが進むべき道を誤らせたのではないかと残念に思う。

 社会システムの問題点、指導者資質や改善されない暴力指導への認識の甘さなど、河田氏のこれからの糾弾に期待したい。Kファイルと名称がすっきりし、より一層、鋭い切り口で読者をリードしていただけると大いに期待しております。  読者より

 

筆者の見解と提言

 筆者は、我が国の雇用制度が旧態依然とした制度である事がこのような事件、事故を引き起こす大きな要因の一つになっていると考えます。現実を鑑みて、我が国に於いても契約雇用制度への制度改革が急務であると思います。これにより、このような教員、指導者、そして優柔不断な管理者、教育委員会関係者に対する職責、責務怠慢への大きな歯止めとなると確信する次第です。

 中学、高校に於ける体育教員・教師、スポーツ部活顧問の生徒への暴力(身体的暴力及び精神的暴力の意味)は、以下3項目の基本的な約束事(by Law)で縛るのがベスト。これら3つの項目だけでも関係各位、教育関連機関、組織、団体で遵守することにより、生徒達の安全確保を最低限担保できます。

①スポーツ部活の顧問を任命する時は、顧問の職責、責務を明確にし、任命権者と本人 の間で同意書を交わす事。

②体育教員・教師を輩出する大学は、学内外、部活に於ける暴力指導を根絶、教員資格認定に於いては人物評価をも加味し厳正に審査する事。

都道府県、市町村の教育委員会は、教員・教師、スポーツ部活顧問を採用するに当たり、厳正な審査を行い暴力指導を行わない誓約書に双方が署名する事。暴力指導を行い事件、事故を起こした教員・教師、顧問の資格停止、実名、出身大学名を公表する事を出身大学、本人に同意させる事。

 

目次

KファイルNO.141: ②教育者を装う部活指導者に潜む危険

副題:スポーツ・アドミニストレイションの貧困による歪んだ部活指導で自死

読者からの便り~

■筆者の見解と提言

第二弾 

スポーツ・アドミニストレイションの貧困による歪んだ部活指導で自死に追い込まれた17歳少年の短い人生

■マスメデイア報道の紹介

Ⅰ.岩手県教育長に提出された調査報告書

■第三者委員会の調査報告書とは

■調査報告書の趣旨・目的は?

■筆者の素朴な疑問

■自浄能力の無い教育機関の放置は犯罪の温床

 ★暴力癖がある指導者に対して理屈を付けて安易に復帰させては新た

なる若者の人生を狂わす

    ★機能しない教育機関の人的・構造的問題に犠牲となる若者達

    ★筆者のA生徒への私見

★重要な原点とその謎

   まとめ

 

===================================

2020年9月10日  公開

第二弾

副題

スポーツ・アドミニストレイションの貧困による歪んだ部活指導で自死に追い込まれた17歳少年の短い人生

■マスメデイア報道の紹介

★顧問の叱責が自殺の一因 

2020/7/22 18:16 (2020/7/22 21:28更新)共同通信社

2018年7月に岩手県不来方高(矢巾町)3年の男子バレーボール部員の新谷翼さん(当時17)が自殺し、調査していた県教育委員会の第三者委員会が22日に記者会見した。新谷さんが当時バレー部顧問だった男性教諭(43)に厳しく叱責され、絶望感や自己否定の感情を強めたことが自殺の一因だったと発表した。三者委から報告書の提出を受けた県教委の佐藤博教育長は「顧問、学校、教育委員会の対応が不十分とされた。心よりおわびする」と遺族に謝罪した

報告書によると、2年生のときにバレーの強豪大学への進学が内定していたが、バレーを続けることへの不安や悩みを周囲に打ち明けていた。3年生になり、部活での顧問の指導が厳しくなり「一番下手だな」「使えない」などの発言があった。大会で負け責任を感じていたのに、顧問から「敗因」と言われた。

友人に自殺をほのめかしていた他、学校の生活アンケートで助けを求めるような回答をしていたのに、学校は何の対応も行わなかった。大学進学にも拒絶感を強く持つようになった。

新谷さんは18年7月3日、「ミスをしたら一番怒られ、必要ない、使えないと言われました」と遺書を残し、自宅で亡くなっているのが見つかった。遺族は顧問の行き過ぎた指導が自殺の原因と主張し、第三者委が19年1月から調査していた。【共同通信社

 

Ⅰ.岩手県教育長に提出された調査報告書

■第三者委員会の調査報告書とは

本調査報告書の主な登場人物

①当事者A生徒選手(新谷翼さん、バレーボール部員)、②担当X顧問(体育教員、教師でバレーボール部顧問)、③校長、④担任教師、⑤県教育委員会、⑥県教育長(佐藤博教育長)、⑦父親(新谷聡氏)、⑧E大学バレーボール監督、⑨その他          *注:実名は、既にマスメデイアにより公表済

本第三者委員会は、県教育委員会、県教育長が中心になり人選、推薦、任命された委員会であると理解する。各委員達が有給、無給の有無は、明記されていない。また、各委員達の氏名、職業は、特記されていない。

本調査報告書は、A4用紙で34ページに渡る報告書にまとめられ、2019年1月6日から2020年7月22日迄の間23回の委員会が開催されている。報告書の内容は、本件に関わる関係者73名の聞き取り調査及びアンケート調査を元にまとめられています。

調査報告書の趣旨・目的

調査報告書は、本第三者委員会の趣旨、目的が明らかにされていないように思われます。しかし、委員各位は、与えられた時間と限られた権限の中で真摯な姿勢で調査された事が報告書から伺えました。本報告書を拝読させて頂き、委員会の趣旨、目的は、あくまで関係者に対して事情聴取しそれを県教育委員会にレポートする事が目的であったのでないかと推測致します。

筆者の素朴な疑問

筆者は、本報告書から本件に関わった教育関係者側の校長、担任教師、X顧問、及び県教育委員会佐藤博教育長を含めた全員が本件に関わる問題をそれぞれ個々に認識していたが、手を差し伸べず、共有もしなかったと理解、認識しました。よって関係者全員がA生徒の問題を共有し、改善、解決しようとする情熱も意思も見受けられませんでした

特に問題のX担当教員・教師、顧問は、過去に他校で暴力事件を既に起こしており、司法の手を煩わせている人物でした

X顧問氏は、教員、部活指導者として既に重大な問題を起こしていながら、本校に転勤させたことに対する理由とその後の経過観察を県教育長は何も語らず、調査報告書には触れられていませんでした。X顧問は、いわば執行猶予中に起こした再犯であると表現した方が適切なのかもしれません

此れでは、自死した若者の命が軽視されていたと申しても反論できないでしょう。校長、担任、県教育委員会、教育委員長は、X氏が暴力指導を他校に於いても行い、過去に事件を起こしている人物であるにも関わらず管理者達の監督、指導が優柔不断で、見過ごして来た事は職責、責務怠慢、ミスであり、報告書にその指摘がされていません。筆者は、このことを大変重要視し疑問に思います

自浄能力の無い教育機関の放置は犯罪の温床

★暴力癖がある指導者に対して理屈を付けて安易に復帰させては新たな多くの若者の人生を狂わす

X顧問と酷似の事件が実は、日本全国至る所に現存致しています。Kファイルでは、既に紹介させて頂きましたが、読者の皆様には記憶に新しいと思われます。

ここでリマインド頂きます例は、愛知県立豊川工業高校の男子駅伝部監督、教員が部員への身体的暴力指導が常態化していたのを告発されたことにより社会の知るところとなった。それにより県教育員会は、懲戒解雇にした事件でした

この教員は、その後事件が世間で冷めやらないまでに何と日本体育大学の付属高校(日体荏原高校)の教員、陸上部、駅伝監督として再就職の機会を与えられたのです。当時の採用雇用主(大学法人理事長、高校校長)は、軽率にも「卒業生なので敗者復活もあって良いだろう」と学校側の都合により安易な言動と人事が行われ、後に複数の類似事件を再犯,多くのさらなる犠牲者を出してしまったのでした。

そして、再就職した日体荏原高校において就任まもなく部員への暴力事件を起こし、父母会、校内で問題となった矢先、その翌年今度は、日本体育大学の都合で何とこの暴力教員、指導者を日体大箱根駅伝テイームの監督に招聘、就任させた次第です。

しかしこの暴力教員は、暴力指導に対する是非の判断できない価値観の持ち主であったようで全く改める欠片もなく、大学駅伝部に於いても就任直後の春、健志台キャンパスの朝練習後部員に身体的な暴力を与えたことから、部内の和が維持できなったようです。若いコーチ達は、大学の最高管理責任者に事の次第を報告書にして提出したようです。しかし、経営者、管理者は、「本件は、文科省の暴力規則に当たらない」との理屈を付けた回答をコーチ達に突き返し、修正を求めたようです。その後経営者は、経営陣、大学管理者、関係者を招集し、何と独自の裁定手法により若い優秀なコーチをスケープゴートに仕立て監督を擁護したのだそうです。これは、指導者の暴力のみならず、大学法人経営者、管理者による暴力(パワハラ行為に当たる)による処理と関係者は判断したようだが、このような処罰を経営陣、大学管理者達も誰一人経営者を諭す者は居なかったようです。

この若いコーチの一人は、報告内容は事実に基づいたもので、修正の必要は無いとして、学期途中早々に自らの意思、意志で退任し自身の信念と筋を曲げなかったようです。現在は六大学の某大学に迎えられ監督に就任しています。自らの正義を貫き一貫した言動、態度、決断した姿は、大学の事務局、法人事務局職員、管理者、経営陣には、どのように映ったのでしょうか。

年若くしてもこのような立派な言動、態度、決断ができる若手指導者には、学生選手達から多くの信頼と共感を得ていた証でもあり、貴重な人材を失われた思いが致します

大学経営陣、管理者達は、何時まで経っても変革できないこの事態を何と考えるのか、できないのであれば早く城を明け渡して、できる学内外に居る優秀な若手卒業生、優秀な専門家達にバトンタッチをされてはいかがですか。それにより、この乱れた体育、スポーツ界の秩序と教育界の襟が正せると確信します

しかし、このような暴力癖を持った指導者、教員は、再三再四部員の心身に暴力を与え、癖では済まされない犯罪行為を誰もが制止しない状態である事は,誠に教育機関とは程遠い環境のようです。それは、常に強い後ろ盾が擁護してくれているという思いもあったのかも知れません

機能しない教育機関の人的・構造的問題に犠牲となる若者達

本件の結末は、既に読者の皆様もマスメデイアの報道を通してご承知かもしれませんが、次なる暴力をふるった後、内部告発により公にさらされた次第です。大学経営者、管理者は、この度は内部告発なのでスケープゴートの擁立も証拠隠滅もできず、監督を解任せざるを得なかったという誠にお粗末極まりない姿を露呈しています。

大学経営者、管理者達は、外部への内部告発には隠蔽の術も無かったようです。しかし、既に非教育的な行為を受けた多くの学生選手、これに関わって退部した多くの学生選手達、優秀な若手指導者は、被害者以外の何物でもありませんでした。これらの事実を見て観ぬふりしていた教員、職員、経営陣達は、全く同罪に等しいと思われますが、読者の皆様は開いた口が閉じられないのでないでしょうか。OB、OGとして評議員、理事に加わる関係者、現教職員は、母校の経営陣としての義務と使命をどう果たされているのでしょうか。その推薦、任命権者は、何方なのでしょうか

最終的に本暴力指導者は、その責任を認めているか否かはいまだ明らかにされず、闇の中です。しかし、本教員、指導者を採用した責任者は、その責任を取らない姿勢こそが問われてしかるべきではないのでしょうか。学生選手達、若い指導者に取ってこの上ないアンフェア―なスポーツ・アドミニストレイションが大学教育機関の中で行われている実態の1例です。暴力癖のある教員・教師、指導者は、採用、雇用側にも大きな責任があることを読者の皆さんに理解して頂く為、筆者は本学卒業生の一人として恥を忍んで紹介させて頂いた次第です。

このような環境と経営、管理者の下で指導、育成されている未来の体育教師の中には、立派に教員、指導者として社会で活躍されている方々も沢山居ます。

暴力癖を持った教員、指導者達が後を絶たないのは、このように教育者、指導者を育成、養成する大学教育機関で、大学の経営者、指導者、管理者達が暴力容認と受け取れる運営、管理を改めることもなく、ただ卒業容認と同時に教員資格が与えられる現行のシステムに疑問を覚えます。

■学校体育、部活から暴力を無くすためには、体育教師、スポーツ指導者を育成、養成する大学機関に於いて、暴力を無くする指導と教育が先決であると確信いたします

嘗て、日本体育大学・学長自ら朝日新聞社の取材に対して、「本学に於いては、年間700件の暴力事件が起きてる事を認めたうえで、本学は、暴力絶滅宣言を致します」と宣言した直後、このような陰湿な事件の隠蔽、内部告発とこれでは、経営者、管理者のスポーツ・アドミニストレイションなど存在せず、既に壊れてしまった大学教育機関を露呈した証であると思わざるを得ない次第です。

朝日新聞朝刊を通して宣言宣誓した大学長は、この駅伝監督の後始末もできず責任も取らず教育者、経営、管理者としてのみならず、人としてのモラルも疑わざるを得ないのは筆者だけでしょうか。

このような状態化なった教育機関は、大学の指導者、管理者、経営陣の人心一新をドラステイックに遂行し、未来の体育教員、スポーツ指導者と暴力との関係を断ち切るための変革が今問われているのではないでしょうか。悪しき伝統とは縁を切り、良き伝統は継承し再び日本の体育界、スポーツ界で光を取り戻して欲しいと期待しております

しかし、経営陣、大学管理者の先頭に立つ理事長は、文科省の元文科副大臣、大臣で公益財団法人日本レスリング協会の副会長でJOC評議員でもあります。このような高名な方であられるので、国の教育機関の統括管理を担う文科省スポーツ庁は見て観ぬふりをしているようです。先だっても馳浩氏(元文科大臣で元日体大理事、東京五輪新理事、同じく日本レスリング協会副会長)が10代女子にセクハラ行為をして安部首相が国政で「謝罪」しましたが、自ら責任を取らないようでは、この国の教育に対する信頼を取り戻せるのか。ましてや教育現場での暴力教員、指導者に何を見習わせるのでしょうか。残念ながら、彼らには、自浄能力は皆無のようです。よって、毎年700件もの暴力が絶えないのも理解せざるを得ません。

日本体育大学は、筆者の国内大学の母校の1つであります。何としても体育・スポーツ、競技ポーツに於けるスポーツ医科学者、教育者、指導者として国民、社会からリスペクトされるスポーツ・アドミニストレイションを基軸とした真の質実剛健な大学教育機関で在ってほしいと卒業生の一人として心より祈念する次第です。

X顧問がどちらの大学に在籍し、体育教員資格を取得されたのかは存じ上げません。

筆者のA生徒への私見

A生徒は、報告書の通り誠実で正直で心優しい人物であったと理解致します

筆者は、スポーツ・アドミニストレイターの視点で述べさせて頂きますと、A生徒は、幼いころから身長がずば抜けて高い事から回りがスポーツ、競技スポーツ選手にと強い期待の視線を向けられたことがこの度の悲劇を招く起因の一つにもなった様に思われます。実際に彼のパフォーマンス、練習、等を拝見した事はありません。しかし、本報告書から鑑みますと本人自身が競技に於いて他の優秀な選手と比較して、自身は身長では優位(当時197cm)だが身体能力に於いてはコンプレックスさえ抱いていた事が強く伺えます

我が国では、身長の高い生徒、学生は、物理的に非常に目立つ存在です。しかし、その中の多くは、競技選手に必要不可欠である敏捷性(Agility)、パワー(スピードX力)、判断力、等が備わっていない事が多々あることを指導者、関係者は理解、認識していたのかどうか疑問に感じる次第です。指導者達は、身長がずば抜けて高いとずば抜けたアドバンテージがあると誤認していたのかも知れません。このことがA生徒には、大変負担が山積していったように思えてならなのです。読者には、部活の現場を経験された方なら、筆者のこの視点をよく理解されるのでないでしょうか。

A生徒にとっての悲劇は、岩手県不来方高校に入学したが為にX顧問に出会ったことでないかと思われます。そこで、他の生徒と比べて余りにも目立つ存在であったのでターゲットにされ、他の選手達への見せしめにされた可能性も否めません。そして、もう一つの悲劇は、A生徒の優しい心と他人を思う気配りが、自らの意思、意志を貫くために「NO」が表現できなかった事でした

A生徒が本校に入学してきたことに対する責任は、生徒にあるはずもなく、問題はX顧問のような教員、指導者を採用した学校管理者、県教育委員会の問題であると思いますが如何でしょうかしかし、興味を失ったバレーボール競技選手を略強制的に部活に参加させた指導者及びその関係者の意図が何に起因しているのか、テイームを勝たせんがための目的を部活動に設定したのは誰かについての重要なポイントが本調査報告書に見当たらない事が気がかりです

重要な原点と謎

重要なポイントを再度指摘致しますと「高校に於ける部活動の趣旨、目的は何なのか。部活に於ける顧問とは、何を職責、職務としているのか」の原点を今日誰もが問題視しない所が重大な謎となっている事ですこれらは、重大な教育、指導の原点であり、誰もが明言明文化しようとしない「ブラックボックス」であるにも関わらず教育機関の最高責任者(文科省スポーツ庁、県教育長、学校長、等)が触れようとしてこなかった事実です。この事件からも、関係者は、責任の所在を明確化することを恐れて触れてはならない管理者達の共通のマントラの蓋なのかもしれません。こんな事が我が国の教育界に今なおまかり通っていること事態スポーツ・アドミニストレーション、アドミニストレイターのレベルと資質が問われているのではないのでしょうか。また、次のテーマになる大学へのスポーツ推薦入学とA生徒の自死との関連は、実際どうであったのかの調査、分析が今一つ報告書に明記されていない様に思えてなりませんが、本当はどうであったのでしょうか。本テーマに付きましては、次回詳しくご紹介できればと思いす。

まとめ

筆者は、このような毎度痛ましい事件が起きるその背景には誰もが指摘しない重要な問題を我が国の教育機関、関係者が改善、改革出来ないで今なお抱えていることだと思います。それは、このような教育者を名乗る暴力教師、教員、指導者顧問が後を絶たない最大の原因が解決、根絶できていないことにあるという事です。

その一つは、このような資質の教員、指導者に安易に所属大学が教員資格を与えていることです。そして、その大学の多くは、部活中心の教育システムを最優先し部活に所属することで安易に卒業単位に加味していることです。将来体育教員、教師を目指す学生達が4年間部活中心となることにより偏った人間形成、他の専門科目、教育、教養が疎かになりアンバランスな教員、指導者を養成している現実があることです。

二つ目は、安易に教員、指導者資格を得たこのような教員、指導者が、各都道府県市町村の採用試験を何らかの方法で潜り抜けて採用、雇用される事にこのような暴力教員、指導者が事件、事故を起こしていることを管理者達は責任を共有出来ていないことです。また、採用前の学生時代に事件、事故を起こしたか否かを内申書に明記させることを義務付け精査する必要があります。採用後に事件、事故を起こした教員、指導者への対処は、厳正であるべきです。この度の事件もこれら二つの重要項目を慎重に精査していれば未然にリスクを回避できた可能性大です。

本件の第三者委員会調査報告書には、結論として「どうすれば暴力指導を防ぎ、無くすことができるか」の指針及び提言が明快に述べられていないのが特徴だと思います

それは、本委員会と県教育委員会の間での本件に関しての調査報告の依頼に関して双方暗黙の趣旨、目的の合意形成がなされていると理解します。本来、第三者委員会なるは、何の法的な判断、裁定権限を付与された機関でありませんので関係した関係者への事情聴取を行い、それをまとめて報告書として依頼者に提出する事が限界であると思います。マスメデイアは、本事件の真相と問題を明快に報道できないのでしょうか。或いは、文科省スポーツ庁への忖度からか報道させてもらえない何かがあるのかも知れません。もっと勇気を持って今日の教育界、スポーツ界の矛盾と不道徳の浄化に使命感を持って協力して頂きたいと切にお願い致します。本来マスメデイアは、正義の味方のはずです。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

お知らせ

読者の皆様は、どのような読後感を持たれましたでしょうか。筆者は、マスメデイアが触れようとしない本質的な部分を分かりやすく解説させて頂きましたが、理解して頂けましたでしょうか。NO.141は、事例を引用しましたので容量が多くなりました。前回お約束の「スポーツ推薦制度」の弊害に付きましては、次回予定いたしております。

スポーツ・アドミニストレイター  Kファイル: 特別寄稿

スポーツ・アドミニストレイター

 Kファイル: 特別寄稿               2020年9月1日

 スポーツ・アドミニストレイターの肩書を突然持たされた大学教員達の嘆き

 筆者からの重要なお知らせ

 肩書だけのスポーツ・アドミニストレイターは現場に混乱を招いています。

  今夏は、多くの大学教員、職員から貴重なお便り、現場の報告、呆れた実態の報告を頂きました。本Kファイル:特別寄稿に於いて、SNSを通して正直にお知らせ、及びご注意・喚起させて頂きます。

  我が国では、2005年秋までスポーツ・アドミニストレイション、スポーツ・アドミニストレイターと申す専門分野、部門の重要性に付いて誰もが、この存在のみならず、言葉すら知らなかった次第です。

筆者は、本スポーツ・アドミニストレイションの実践、専門家でスポーツ・アドミニストレイターとして、2005年より最初に日本の中央大学に於いて講義授業、ゼミを開講し、日本に最初に紹介させて頂きました。筆者は、既にそれまで日米両国に於いて長年(約45年)に渡りスポーツ・アドミニストレイターとして実践キャリアを蓄積して参りました。

 今日では、文科省スポーツ庁はこのスポーツ・アドミニストレイション、アドミニストレイターの必要性を認知し、各大学にスポーツ・アドミニストレイターを設置するよう指導をしてしるようです。しかし、大学の現場では、肩書を与えても与えられたスポーツ・アドミニストレイターが何たるかの専門知識、実践経験があるわけでもなく、肩書から導入しているのでこれは非常に無責任で危険な指導者、管理者であるとの報告を関係各方面から頂いております

 わが国には、スポーツ・アドミニストレイションの名称も2005年迄影も形もなかったのですから、国内の大学で論理と実践を紹介したその名称に文科省スポーツ庁が飛びついて名称のみを利用しているのが実態です。

教育機関、教育界では、もっと腰を据えてスポーツ・アドミニストレイションが何たるかを指導し若者達に実践経験を積ませて、真のスポーツ・アドミニストレイターを胸張って世に送り出して頂きたいと願う先駆者からの願いです。

本件の構築に於いても複雑な人間関係と特有な利害、利権者が渦を巻いている様子です。

肩書を変更しても中身が旧態依然と同じでは、丁度GMの肩書に変えても成果、結果が出ないのと同様で偽りのスポーツ・アドミニストレイターの数を増殖している優柔不断な主導がなされていますのでご注意申し上げます。

Kファイルの読者の皆様には、正論と正攻法が基軸であって初めて教育機関、教育の現場に於いて適切な運営、管理がなされ生徒、学生達が教育的な指導がなされ、守られることを切に願う次第です。本件のプロゼクトの趣旨、目的と責任の所在が文科省スポーツ庁なのか或いは各大学法人に投げているのかは不明です。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

スポーツ・アドミニストレイター  Kファイル: 特別寄稿

スポーツ・アドミニストレイター

 Kファイル: 特別寄稿               2020年9月1日

 スポーツ・アドミニストレイターの肩書を突然持たされた大学教員達の嘆き

 筆者からの重要なお知らせ

 肩書だけのスポーツ・アドミニストレイターは現場に混乱を招いています。

  今夏は、多くの大学教員、職員から貴重なお便り、現場の報告、呆れた実態の報告を頂きました。本Kファイル:特別寄稿に於いて、SNSを通して正直にお知らせ、及びご注意・喚起させて頂きます。

  我が国では、2005年秋までスポーツ・アドミニストレイション、スポーツ・アドミニストレイターと申す専門分野、部門の重要性に付いて誰もが、この存在のみならず、言葉すら知らなかった次第です。

筆者は、本スポーツ・アドミニストレイションの実践、専門家でスポーツ・アドミニストレイターとして、2005年より最初に日本の中央大学に於いて講義授業、ゼミを開講し、日本に最初に紹介させて頂きました。筆者は、既にそれまで日米両国に於いて長年(約45年)に渡りスポーツ・アドミニストレイターとして実践キャリアを蓄積して参りました。

今日では、文科省スポーツ庁はこのスポーツ・アドミニストレイション、アドミニストレイターの必要性を認知し、各大学にスポーツ・アドミニストレイターを設置するよう指導をしてしるようです。しかし、大学の現場では、肩書を与えても与えられたスポーツ・アドミニストレイターが何たるかの専門知識、実践経験があるわけでもなく、肩書から導入しているのでこれは非常に無責任で危険な指導者、管理者であるとの報告を関係各方面から頂いております

 

わが国には、スポーツ・アドミニストレイションの名称も2005年迄影も形もなかったのですから、国内の大学で論理と実践を紹介したその名称に文科省スポーツ庁が飛びついて名称のみを利用しているのが実態です。

教育機関、教育界では、もっと腰を据えてスポーツ・アドミニストレイションが何たるかを指導し若者達に実践経験を積ませて、真のスポーツ・アドミニストレイターを胸張って世に送り出して頂きたいと願う先駆者からの願いです。

本件の構築に於いても複雑な人間関係と特有な利害、利権者が渦を巻いている様子です。

肩書を変更しても中身が旧態依然と同じでは、丁度GMの肩書に変えても成果、結果が出ないのと同様で偽りのスポーツ・アドミニストレイターの数を増やしている優柔不断な主導がなされていますのでご注意申し上げます。

Kファイルの読者の皆様には、正論と正攻法が基軸であって初めて教育機関、教育の現場に於いて適切な運営、管理がなされ生徒、学生達が教育的な指導がなされ、守られることを切に願う次第です。本件のプロゼクトの趣旨、目的と責任の所在が文科省スポーツ庁なのか或いは各大学法人に投げているのかは不明です。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

KファイルNO.140:教育者を装う指導者達に対する高校生の結論「自死」

KファイルNO.140:教育者を装う指導者達に対する高校生の結論「自死

無断転載禁止               本BLOGは毎月第二、第四木曜日掲載予定

筆者からのお知らせ

 NO.140よりK'sファイルは、「Kファイル」に改名致しました。理由は、Gファイル同様にシンプルにさせて頂きました。

f:id:hktokyo2017041:20190718003102j:plain

読者からの便り

139号、興味深く拝読させて頂きました。 

馳議員が「移動式カフェ」視察中に10代少女にセクハラ行為をした事件は朝日新聞の報道で知り唖然としたのを覚えています。その後馳議員と視察を申し入れた議員の謝罪が行われたことでこのセクハラ行為は、事件のでっち上げではなく実際行われた行為の事件として注視していました。さらに驚いたのは参議院予算委員会での馳議員のセクハラ行為に対する野党議員の質問に対して安倍首相が謝罪の意を表明したことでした。この表明は、馳議員のセクハラ事件は国政で問題化されたことになります。馳議員はその後このセクハラ事件にケジメをつける会見は一切行っていませんので、今もって、逃げるが勝ちを決め込んでいるとしたら危うい国会議員の仲間入りです。この事件が尾を引いて馳議員の綻びに繋がらなければと願っている一人です。スポーツが健全に育んでいく上にもスポーツに関わる政治家には是非とも襟を正す先頭者であって欲しいものです。  読者より

 

目次

第一弾:

この国の体育教員・教師の「暴力」は永久に不滅か

1.闇に葬られてゆく痛ましい若者

       先ず初めに

      ■2018岩手県不来方高校バレーボール部員の自死

        ★朝日新聞記事紹介

        ★A記者の記事から

        ☆筆者の見解

        ★B記者の記事から

       ☆筆者の見解

     ■新谷聡氏(父親の決断)

     ☆第三社委員会で何が解決されるのか

     ☆筆者の私見

     ■時事通信の不起訴報道

     ★バレー部顧問を不起訴 自殺部員に暴行容疑―盛岡地検

 

第一弾:

この国の体育教員・教師の「暴力」は永久に不滅か

1.闇に葬られてゆく痛ましい若者

先ず初めに

KファイルNO.140は、嘗て201873日朝、自宅の自室で亡くなっていた新谷翼さん(岩手県不来方高校3年生当時17歳)の痛ましい事件を当時のマスメデイア報道を再検証しながら、誰もが語ろうとしない、改善、改革しようとしない真相深意をスポーツ・アドミニストレーターの視点で述べさせて頂きます。 

新谷翼さんは、当時岩手県不来方高校3年生のバレーボール部員でした。事件は、翼さんの父新谷聡氏の勇気ある行動により世間の知るところになったのです。父親の勇気は、我が子への深い愛情と17年間の本人の忍耐と努力のみならず家族の努力と絆の証と推測させていただきます。父聡氏は、我が子の実名を社会に公表されたその勇気は翼さんが自室に残した一通の「遺書」を手にした時、まさに亡き息子さんが父親に自身の思いと悔しさを託し、背中を押したように筆者には思えてなりません。

遺書に書かれていた本事件の教員・教師の顧問は、何故実名を伏せ報道されるのか、関係機関、関係者、社会、マスメデイアの姿勢に強い違和感を覚えずにいられないのは筆者だけでしょうか。このように何時もマスメデイアに保護され、加害者を野放しに庇う日本社会の不思議な慣習は今も昔も同じのようです。

この矛盾とマスメデイアのいつもながらの姿勢には、この国の正義も公正も変革できない実状に誰もが声を上げないことが不公平の温床となっているのではないかと危惧する次第です。これは、日本社会、マスメデイアに於いて美徳とされるのでしょうか。これでは、いつの世も我が国は「加害者やり得、被害者やられ損」という構図と結論が関係者、司法に於いても導き出される許しがたい理不尽な結末のように思えてなりまん。 

日本国には、「Justice正義&Fairness公正」は、21世紀になっても今なおリスペクトされず軽視されている証のようです。嘆かわしい自国の実態を思い知らされています。現況のような政治家、社会、教育界に於いて国民、社会は、今後どう立ち向かって行くべきなのでしょうか、或いは、あなたは家畜のような生き方を望まれますか。

遺書には、バレーボール部の顧問から受けた「暴力」が述べられており、翼さんの日々の苦痛を顧問並びに学内の関係教職員達の無責任な対応を推測させるものであった様子が伺えます。またこの状態は、仲間の部員達も暴力の状態化した実状を把握していた様子がよく伺えます

当時父親には、「県教育員会は第三者員会の人選を進めており、早期に初会合を開いて自殺との因果関係を調べる」と伝えられていましたが、自殺から5カ月以上経っても委員会は開かれないことからも不信感を持っていた様子が伺えます。20181225日の朝日新聞朝刊(社会面)及び他マスメデイアも本件に付いての記事が掲載されていますが朝日は署名入りで掲載されました。また、他紙では、詳しく論じられていませんでしたので、朝日朝刊記事を論評の主たる対象にさせて頂きましたので悪しからず。

県教育員会は、第三者委員会なる調査委員会を20191月に設置し、その調査報告書が先月下旬の2020722日に提出されました。本報告書は、事件後約1年7カ月経過を要していることです。Kファイルは、本報告書を基にスポーツ・アドミニストレーターの視点で疑問,見解、私見を述べさせて頂きますが悪しからず。

 

2018岩手県不来方高校バレーボール部員の自死

朝日新聞社記事紹介 

URL: https://www.asahi.com/articles/DA3S13826340.html

20181225日付の朝日新聞社(社会面)の記事及び、2020722日付けの「県立学校児童生徒の重大事案に関する第三者員会による調査報告書」を拝読致しまた。  

★A記者の記事から

同記者は、教育機関に於ける暴力指導の現状紹介が冒頭になされています。本記事には、事件の概要が主体で、ジャーナリストとしてあまり深層が語られていなかったように感じられたのが残念です。紙面のスペースの関係かも知れません。そして部活顧問が与え続けていた暴力に対する「定義」を明確にされていなかったので、当事者が「暴力は与えていない」と言っている矛盾した論理の展開になってしまったのでしょうか。例えば、暴力指導とは、①精神的苦痛を強いる事、②物理的(肉体的)苦痛を強いる事に区別され、本件は①に入る。これも暴力に変わりないことを明確にして頂いたうえで、よって「顧問(バレーボール部)は、暴力を生徒に振るった」と明記された方が読者には説得力があったと思われます。

筆者の見解

本記事に書かれている指導者(顧問)は、暴力指導の本質を理解していない代表的な教育者を名乗る部活指導者であると強く認識しました。これでは、紹介だけの事件記事にしかすぎないと思いますが悪しからず。朝日朝刊に掲載される記事は、何歩も踏み込まれた方が、国民、社会の為になると思われますが如何でしょうか。朝日独自の個性を表現された方が宜しいかと思うのは筆者だけでしょうか。

この様な事件を起こした教育者と称する競技スポーツの指導者には、何処の大学の何学部で体育、その他の教職課程を取り、教員資格を得たのかを問われている所まで踏み込まなければ、本来のジャーナリストとしてのオピニオンにはなり得ないのではないでしょうか。その為にもその大学、学部の出身校を紹介する事で教育者、指導者を目す学生達及び、教育者を養成する大学指導者、管理者、経営者達には、専門課程での部活を通しての実技指導のみならず、バランスの取れた真の教育者としての教育、指導が必要不可欠であると思われる次第です。

大学では、教員・教師への資格認定をところてんのごとく与えるのでなく、責任を持ってシビアーな審査をして、資格認定の合否を与えていただきたいと願う次第です。このような事は、その人材を採用、雇用する都道府県の教育委員会並びに各私学の経営者、管理者に於いても極めて重要な採用に対する厳正な審査を怠らないことへ警鐘とその抑止力になり得ると確信します。

教育機関に於ける部活顧問とは、どのような職責、責務なのか、定義が在るのか否かを紹介する必要があったと思います。最後に本記事に見当たらない大きなポイントは、教育機関に於ける部活動は教育の一環に当たるか否か、顧問とはどのような職責・責務なのかを読者に明確にしていな為に、論点が定まっていない事ですこの部活動の本質が明文化されていれば、それに沿った指導、運営、管理がなされ、それに外れる指導、運営、管理に対する行為には、自ずとして罰則があってしかるべきであることを加味する必要があると思いますが如何でしょうか。

B記者の記事から

本記事は、A記者の記事をサポーテイブな立ち位置で掲載されたのかも知れません。それにより、2013年にJOCJSAが採択した暴力行為根絶宣言の紹介、文科省ガイドラインの紹介がされています。これらのガイドラインは、絵に描いた餅でただ文字にして公表しただけで現場では何の改善も見当たりません。

専門家のご指摘としては友添秀則氏(早稲田大学教授、スポーツ倫理学)を紹介され、いきなり「人権侵害だ」と指摘、「学校の管理職、教員、指導者が心がける必要がある」とのコメントを紹介されています。これは、まさに文科省スポーツ庁の御上のお告げのように聞こえてなりません。諸官庁は、お題目を並べ後は良しなにと責任逃れはしても、お題目への実践指導は行われないのと同時にマニュアル存在の有無も疑問です。

筆者の見解

この様な教育、指導の本質を理解していない現場の指導者、管理者、教育者は、「心がけていて修正できるレベルに無い」のでこのような事件を毎度繰り返し起こすのです。このような現場での事実に目を背けているから、このような当たり障りのない、綺麗ごとのコメントをなされるのかも知れません。此れでは、何の具体性も指針も無く「何を心がければ暴力指導を防止、阻止できるのか」という実務的な指導、指針を示さなければ机上の空論か無責任な顔出しコメントと読者側には感じますが、読者の皆様は如何でしょうか。

単刀直入に申し上げまして、父母の訴えは、時すでに遅く本人は生きて戻れない世界に行くことを決断した事実です。本人は、中学よりバレーボール部の指導及び、環境にネガテイブなシグナルを出していました。この数年間、翼さんの心の痛みをバレーボール競技に拘り続けたのは、いったいどこの誰なのかが本件のキーワードであると思われます。此処には、日本の教育、スポーツ部活に対する変革が必要であることに今日誰もが気付いていても改善、改革に本気で動かないことです。

このような指導者による暴力は、異常事態を招き且つ取り返しがつかない事件を繰り返しているその根源が教員・教師本人のみならず、彼らに安易に教員、指導者資格を与える大学教育機関にも大きく起因していることを見逃していることだと思います若い命が奪われて行く事への教育機関、及び雇用する県教育委員会並びに私学の経営者、管理者に関係する大人達の優柔不断な心に起因しているのではないのでしょうか

 

新谷聡氏の決断

本件は、最愛のご子息がここまで追い込まれて「命を絶った」事に対する何にも代えがたい事件である事です

第三社委員会で何が解決されるのか

三者委員会に委ねても、この種の事件は、解決される問題でないという事です。何故ならば、我が国に於ける第三者委員会とは、問題の本質を正面から精査しようとせず、白黒付けずお茶を濁す為に招集された方々と理解された方が分かりやすいかもしれません。日本の伝統的な談合文化ならではの発想です。本委員会には、何の法的な裁定権限も無く、本来責任のある立場の人間が責任を回避する為の最後の砦としている手法の一つです。

例えば本件では、招集した責任者は県教育長が第三者委員の任命権者です。一般的には、委員の一人ひとりには、報酬が支払われるのですから正義、公平性などありません。本委員会は、どうだったのでしょうか。また、委員の人達は、どのような経緯で選ばれたかの説明、氏名は、公開されたのでしょうか。

本来なら即県教育長、委員会は、同校校長、顧問を採用した責務から御父母に代わり校長、顧問を告訴するべきでないかと思われます。この度の事件の第三者委員会とは、事件の調査を依頼し個々の分野の方々に報告書をまとめさせ、委員長が県教育長に提出するレポート委員会と申し上げさせて頂きます。

新谷聡氏は、県教育長の煮えきらない態度に親として我が子に今できることは何かと熟慮した結果、司法の手を借りて明らかにする事を決断されたのだと思われます。この勇気のいる決断をされたことは、日本では珍しいことです。そして、この選択は、正論で正攻法を選ばれたと筆者は称賛に値すると思います。

父親の新谷聡氏は、事件として岩手県警に告訴されています。これは、「県教育委員会が第三者委員会を設置し事の真相を明らかにする」と伝達を受けて以降5カ月余りが経過してもその行動と実行がなされないが為の苦渋の選択と決断であったのだと思われます。しかし、告訴は、受理されても不起訴処分との結論を突き返されています。これでは、ご両親、ご親族、本人翼さんは、浮かばれないでしょう。

筆者の私見

盛岡地検は、理由を公開していませんが、「公判維持の証拠が集まらなかった」との事のようです。新谷氏は、代理人の弁護士を通して「暴行の事実について目撃証人が複数あったが、裁判の協力が得られないとのことで不起訴になり残念」と述べています。

この証人達とは、暴力の現場を確認している複数の人達で多分バレーボール部員で、未成年者である為か、或いは、その証言をその父母達が拒んでいるのかも知れません。これでは、我が国の正義と公正は、教育の現場、家庭に於いても封じ込まれリスペクトされていないことを物語る悲しい事実が証明されたかに思えてなりません。被害者側は、加害者を雇用した県に対して損害賠償を請求することはできないものでしょうか

この是非については、別にして司法はこのような現実を裁けず加害者を常に野放しにして、再三再四県教育委員会はこのような犯罪者を教育者、指導者として雇用、採用する所にも理不尽で許し難いアドミニストレイションがまかり通っていることに筆者は、社会、国民に「正義と公正」は何かを今一度襟を正し、声を上げて欲しいと願う次第です。何とこの教員、顧問は、他校に於いても同様な事件を起こして係争中であったことにも驚きます

マスメデイアは、このような事件に対して、内閣府文科省スポーツ庁、等の関係省庁の実務的行動力の欠落を強く指摘しない限りマスメデイアの使命が果たされないのではないのでしょうか。弱者を支援する使命を発揮してこそマスメデイアの本来の意義と価値を問われているのでないでしょうか。

KファイルNO139で述べさせて頂きましたが、教育者を自認する馳浩元文科大臣が、つい先日10代の女子にセクハラしてそれを内閣総理大臣が国政の場でお詫びをされても、当の本人は、何の罰則も受けず国民、社会に責任の所在を明らかにしないのでは教育機関、現場指導者が事件を起こしても馬耳東風と化し誰もが責任を負わなくなる所以なのかもしれません

時事通信社の不起訴報道

バレー部顧問を不起訴 自殺部員に暴行容疑―盛岡地検

202004092118分 時事通信社配信記事より

岩手県不来方高校のバレーボール部に所属する男子生徒が2018年7月に自殺した問題で、盛岡地検は9日、生徒への暴行容疑で書類送検されていた同部顧問の男性教諭を不起訴処分とした。地検は不起訴理由について明らかにしていないが、遺族に対し「公判維持の証拠が集まらなかった」などの説明があったという。生徒は「ミスをしたら一番怒られる」などとメモを残して自宅で自殺。両親は顧問の行き過ぎた指導が自殺につながったとして暴行容疑で告訴し、岩手県警書類送検していた。

生徒の父親は弁護士を通じ、「暴行の事実について目撃証人が複数あったが、裁判の協力が得られないとのことで不起訴になり残念。男性教諭の虚偽答弁と当事者意識が欠落していることについては許すべきではない」とするコメントを発表した。【時事通信社配信】

この司法の判断の発表後、2020722日に岩手県教育委員会から第三者委員会の調査報告書が提出され発表されました。

次回は、本調査報告書を検証し本件に付いての筆者の疑問、私見と見解をまとめとさせて頂きます。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports

お知らせ

この度は、「K'sファイル」を「Kファイル」に改めさせていただきました。

NO.140は、教育の現場に於いてそれも指導者の暴力により部活動をしていた17歳の男子生徒が、自宅自室で自死を選んだ痛ましい事件をご紹介させていただいております。次回は、岩手県教育委員会により設置された第三者委員会の調査報告書が先月722日に提出されました。その報告書を基に本件の矛盾と大学側が提供する競技スポーツ選手への推薦制度に群がる闇も本件の裏側で見逃せない重要な問題として覗いてみたいと思います

K’sファイルNO.139:元文科大臣に倫理規範は不要か

K’sファイルNO.139:元文科大臣に倫理規範は不要か

無断転載禁止              毎月第二、第四木曜日掲載予定

読者からの便り

河田様

ようやく梅雨が明け、いよいよ夏本番となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。先日K'sファイルを拝読致しました。

「信頼」や「誠実」が不可欠なスポーツ界の最前線で戦ってきた室伏氏が、事も有ろうに、ライバル企業へと転職されたこと大変残念です。何か理由があったにしろ、義理よりも、将来性があるように見えるポジションに気持ちが動いてしまったのでしょうか。結局、現在は東京五輪組織委員会のスポーツディレクターという肩書とのことですが、スポーツ界の人事において、日本やアメリカの政界のような「忖度」はあってはならないと思います。以前は、オリンピックの東京開催に関して、単純に目の前で世界最高峰の大会が繰り広げられるのかと楽しみでしたが、様々な裏事情を知り、今は複雑な気持ちでもあります。また、このコロナ禍での政府や東京都の対応に批判が募っている中で、果たして1年後に、安倍首相が仰る"完全な形"でのオリンピックを開催することができるのか、甚だ疑問です。    読者より(女性)

 

f:id:hktokyo2017041:20190718003102j:plain

 

目次

疫病騒動に紛れ込ませた元文科大臣の不適切な所業

先ず初めに

★問題・スキャンダルとして報道

馳浩氏について

馳浩氏によるセクハラ行為とは

■公財法人五輪組織委員会に定款は存在するのか?

■テレビ局への質問

筆者の素朴な疑問と私見

  馳浩氏のBS生番組出演に思う

 

======================================

202086日 公開

K’sファイルNO.139:元文科大臣に倫理規範は不要か

疫病騒動に紛れ込ませた元文科大臣の不適切な所業

先ず初めに

本課題とテーマは、本年4月にテレビ、マスメデイアに於いて報道されました教育・スポーツ界の重大な問題をK'sファイルNO.139で取り上げさせて頂きます。読者の皆様には、既に本件に付きましてTV、マスメデイアを通して視聴された方が多くいらっしゃる事と思われます。本件は、国会に於いても内閣総理大臣自らが「遺憾の意と謝罪」をされましたことから問題の重要性が伺えます。しかし、当のご本人が所属する党、派閥からは「厳重注意」のみで何の具体的な処罰も無く、本人は、自ら公式な見解、謝罪も国民、社会にされず、既に終わった事と解釈しているのかも知れません。此れは、新型コロナウイルスに紛れ込ませようとしても重大な未決の問題であることに疑いの余地はないと思われます

この方は、現国会議員であり教育者を自負する馳浩氏です。同氏は、6月公表されました「2020東京五輪組織員会の新役員、理事」に任命され、就任されている元文科大臣です。また、同氏は、7月のTVライブ番組に出演され「1年後、東京五輪を開催するためには?」とのタイトルで約1時間余り、他のスポーツ文化評論家と番組MCと共に熱く語られていました。筆者は、本番組に偶々出会い出演者を確認して驚いた次第です。後日、同番組の編成責任者宛に出演者の選考に関する趣旨・目的と同局の番組審議委員の同意を得たか否かの問い合わせをし、回答を求めましたが今日までに返信を頂けませんでした。

問題・スキャンダルとして報道

20200424日 24:39:02

「自民議員からセクハラ」視察受けた団体が抗議  

  虐待や性暴力の被害に遭った10代女性を支援する一般社団法人「Colabo(コラボ)」が、自民党議員の視察を受け入れた際に10代少女へのセクハラ行為があったとして24日、謝罪を求める抗議文をツイッターに公開した。

抗議文によると、議員らは22日、性暴力被害などから居場所を失った女性のための移動式カフェを東京・新宿で視察。カフェ設営の作業中、少女の後ろを通った馳浩文部科学相が「ちょっとどいて」と言いながら少女の腰を左右から触ったという。馳氏は共同通信の取材に「狭い空間を行き来しており、腰に手を当てたかどうかは全く意識に残っていないが、事実なら大変申し訳ない。心より謝罪します」と答えた

視察を申し入れた阿部俊子衆院議員は会員制交流サイト(SNS)で「不快な思いをさせてしまった」と謝罪した。コラボは、少女が精神的ショックを受け、活動に関わるメンバーも恐怖心を抱いたとしている。議員らの威圧的態度や無許可での写真撮影、事前連絡よりも多人数での訪問などもあったとした。

■2020年04月29日 20:49:01

「馳元文科相らを厳重注意へ」 首相謝罪、セクハラ抗議で  

安倍晋三首相は29日の参院予算委員会で、馳浩文部科学相衆院石川1区)ら自民党議員を厳重注意する意向を示した。性暴力などの被害に遭った女性を支援する団体が視察を受け入れた際、馳氏が10代少女にセクハラ行為をしたほか、議員らの不適切な言動があったとして抗議文を公開していた。首相は「大変な迷惑をおかけした。気持ちを傷つけ、申し訳ない」と謝罪した。

同時に「行き場を失った子どもたちを社会として、国として守っていかなければならない」とも語った。立憲民主党蓮舫氏への答弁。

抗議文によると、作業をしていた少女の後ろを通った馳氏が「ちょっとどいて」と言いながら腰を左右から触ったという。議員らの威圧的態度や無許可での写真撮影などもあったとした。

20200501日 19:14:12

「首相、セクハラを厳重注意」 馳元文科相、自民視察で  

安倍晋三首相は、性暴力被害少女らの支援団体の活動を視察した際にセクハラ行為があったと抗議された馳浩文部科学相衆院石川1区)を厳重注意した。先月29日に電話で伝えた。関係者が1日、明らかにした。首相自ら29日の参院予算委員会で謝罪し、馳氏を注意すると述べていた。自民党議員の視察を受けた団体は、10代少女の腰を触った馳氏のセクハラのほか、多人数での訪問、許可していない写真撮影など問題があったとして抗議文を公開した。

以上共同通信社の本件に関する配信記事(政治扱い)をご紹介致しました。

馳浩氏について

馳浩氏は、自由民主党所属の衆議院議員7期)、自由民主党教育再生実行本部長東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問会議・顧問。

19957 自由民主党幹事長の森喜朗氏にスカウトされ、第17参議院議員通常選挙に石川県選挙区(森氏の選挙地盤)から自民党の推薦を受けて無所属で立候補し初当選するこの事から同氏は、森喜朗氏とは親分子分と自他ともに自認している現衆議院議員で元文科省副大臣、元日本体育大学理事、元文科大臣を経験、現公益財団法人日本レスリング協会の副会長で専修大学出身です

同氏は、大学卒業後母校星稜高校(石川県金沢市)の国語教諭として短期間在籍、その後プロレスラーとしての活動が長く、母校専修大学レスリング部監督時代から松浪健四郎氏(元専修大学教員、自民党元衆議員二階派、元文科副大臣、現日本体育大学理事長、現公益財団法人日本レスリング協会副会長)とは入魂の間柄として知られています。

嘗て、女子レスリングの伊調馨選手とその指導者達のハラスメント事件では、協会副会長として裁定に乗り出した事は記憶に新しいと思います。そして、その時の協会記者会見では、「ハラスメントは、許されない行為」と自ら宣言されていた事が印象的でした。

馳浩氏によるセクハラ行為とは

既にセクハラ行為に付きましては、共同通信社の配信報道をご紹介しましたのでここでは省略させていただきます。また、NHK及び各民放各社は、News番組で報道致しましたので読者の皆様もご承知であると受け止めています。

10代少女が所属する団体からの抗議文によると、議員らは、性暴力被害などから居場所を失った10代少女のための移動式カフェを東京・新宿で視察。カフェ設営の作業中、少女の後ろを通った馳浩文部科学相が「ちょっとどいて」と言いながら少女の腰を左右から触ったという。馳氏は共同通信の取材に「狭い空間を行き来しており、腰に手を当てたかどうかは全く意識に残っていないが、事実なら大変申し訳ない。心より謝罪します」と答えた。と報道されています。

本取材に対する回答は、同氏はセクハラ行為を真に認めているようには感じられない。しかし、「そう言うならそうなのでしょう。ごめんなさい」とはぐらかした態度は、実に不誠実極まりないと思われます

視察を申し入れた阿部俊子衆院議員は会員制交流サイト(SNS)で「不快な思いをさせてしまった」と謝罪した。コラボは、少女が精神的ショックを受け、活動に関わるメンバーも恐怖心を抱いたとしている。議員らの威圧的態度や無許可での写真撮影、事前連絡よりも多人数での訪問などもあったとした。報道からは、国会議員と言う大の大人達がこのような環境の少女達の演習活動の場に乗り込む意義が何処にあったのかと理解に苦しむ次第です。

このようなプロゼクト、行為は、文科省元大臣たる人物のあるまじき言動、行動、行為で在ると思います。筆者は、馳氏自身の行動、行為、言動が、国会議員、教育者、スポーツ指導、管理者たる倫理規範が此処まで落ちてしまっていた事に対して誠に残念至極であります

■公財法人五輪組織委員会に定款は存在するのか?

馳浩氏は、本事件に対する教育的、社会的な責任の所在を明確にしないまま事もあろうか本年6月の東京五輪組織委員会の新役員公表に際して「2020東京五輪組織委員会TOCOG)の新理事として馳浩氏が名を連ねている」ではありませんか。一体TOCOGという組織・団体は、何を基準に次から次に国会議員、政治家を任命し、五輪役員の肩書を安売りできるのでしょうか。この組織、団体の人事には、倫理規定なるは存在しないのでしょうか。

本人事は、勿論委員会の会長である森喜朗氏の任命が無ければ承認されない人事ですそれでは、一体誰がつい先日セクハラ事件を起こし、自民党総裁、首相の安倍晋三氏が国会の場で本件を認め、謝罪した国会議員、元文科大臣を東京五輪の理事に推薦したのでしょうか

今後教育界、スポーツ界に於いては、特にハラスメント行為への処罰に対して示しが付かない事すら何方も異議さえも唱えない関係者、マスメデイも同罪のように思えてなりません。此れでは、日本社会に於ける教育行政、教育、スポーツ行政、スポーツ・アドミニストレイションは立ち行かない、無法地帯と化してしまったようです。

国民、社会が現在コロナウイルスへの対応、現状に視点を奪われている間に、この様な教育界、スポーツ界の頂点に位置する元文科大臣のセクハラ事件が不問となる国家、社会に此の国の現実と未来が危ぶまれる事に何方もが異議を唱えないこの国の社会風潮に危機さえ感じる次第です。

この様な実態からも、自ら社会の倫理、モラル規範を犯す国会議員(石川1区選出)に我が国の教育のリーダーシップを委ねる根拠は何処にあるのでしょうか。

読者の皆さんは、この様な今日の乱れた実態を如何に改めるべきか勇気を持ってご意見して頂きたいと願う次第です。今日の国会議員、政治家のレベル低下には、歯止めがかからず社会では国民、社会の民意の低下が語られ始めています。それでは、同氏を選出した石川県1区民の民意の問題なのでしょうか、それとも個人的資質の問題と受け止められるのでしょうか

筆者自身も日本国民、社会の一員として、政治家達に放牧されている「羊」の群れの一員なのかも知れません。

 ■テレビ局への質問

宛 BS11番組編成担当責任者様

報道ライブ インサイドOUT「1年後、東京五輪を開催するためには?」2020723 木曜 20:59-22:00【ゲスト】 浩(自民党衆議院議員/元文部科学大臣 玉木正之(スポーツ文化評論家) 【キャスター】 岩田公雄,川口満里奈

本番組に貴局は、衆議院議員自民党)元文科大臣、現東京五輪理事の馳浩氏が出演されていましたが、この件に付きましてご回答願います。

同氏は、確か未成年女子へのセクハラ行為を行い大きくNHKのニュースにまで報道され、本人も認められている国会議員です。本件に対して確か内閣総理大臣安倍晋三氏も自ら遺憾の意を述べていましたが、その後この方はどの様な国会議員として、元文科大臣として、東京五輪理事として、1人間として、責任を取られましたか。

この様な人物を貴局は、本番組に出演させるに当たり、番組審議委員、会社としてどのような根拠の基に出演許可を出されましたでしょうか。本件は、同氏の立場、問題、問題後の自身の社会的責任を明確にされていません中、この様な公的な電波を使用しての出演に対してどの様な基準と番組理念に基づいて出演依頼をされたのか、ご回答頂きたく問い合わせを1視聴者としてさせて頂きました。お忙しい所お手数ですが数日内にご返信メールを頂けましたら幸いです。突然のお問い合わせの御無礼をお許しください。2020725

筆者の素朴な疑問と私見

馳浩氏のBS生番組出演に思う

高位の公職に就いている人間がセクハラをしてそのまま同職にとどまれるのか、と言う疑問があります。またそのような犯罪的な行為を起こした人物を普通に出演させるテレビ局の見識にも疑問を感じました。

後日、同番組の編成責任者宛に同局の同番組の「お問い合わせ欄」に出演者の選考に関する倫理規範と同局の番組審議委員の同意を得たか否かの問い合わせをし、回答を求めました。しかし、返信は、本日までには頂けませんでした。BS11局は、ビッグカメラ62.58%の株保有毎日新聞社他、政治色の濃い局、番組が特徴のようです。なので、筆者は、同局には出演者への依頼にはより誠実でクリーンな選考を期待する次第であります。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports

紹介:Gファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文芸春秋社 著者 武田頼政

 お知らせ

NO.139は、次週夏休みを頂く為に1週間繰り上げて掲載致しました。如何でしたでしょうか。TV、マスメデイアの報道は、一過性でありその後触れたくない話題は消してしまう習性があるようです。本件は、今後禍根を残すように思えてなりませんが読者の皆様は如何思考されますでしょうか。

次回、NO.140は、これまた教育界、スポーツ界の指導、運営、管理に於いて、東京五輪の話題に浮かれている間に17歳の若いアスリートが自死に追い込まれ葬り去られた悲しい事態を解説させて頂ければと思います。次回は、827日公開を予定致しております。読者の皆様は、生活制限の中ではありますが、蝉の声に耳を傾けながら流れゆく時節と人の心の痛みを共有しながらお盆を過ごして頂けましたら幸いです。