Kファイル2022夏季特別寄稿 滅びゆくGYマーク、再構築して欲しい栄光への順路

Kファイル2022夏季特別寄稿

滅びゆくGYマーク、再構築して欲しい栄光への順路

根拠

■人材育成を怠った東京読売巨人軍

■読売新聞拡販の為のGIANTSは過去の遺産。

長嶋茂雄は永久に不滅だったのか。

■マスメディアに食いつぶされた巨人軍。

ジャイアンツファンはドームで放牧された羊さんか。

■夜空に巨人軍応援歌が轟く栄光を取り戻せ!

■恥ずかしくないか、経営者、球団運営・管理者、ファン達よ。

■ボタンを掛け違えた1997年9月18日の御前会議

 

提供:Gファイル 文芸春秋社 著:武田頼政

 

KファイルNO.184:オレゴン大学(UO)に何故O22世界陸上が

KファイルNO.184:オレゴン大学(UO)に何故O22世界陸上

無断転載禁止               毎月第二、第四木曜日掲載

スポーツ・アドミニストレイター

日本にスポーツ・アドミニストレイション論

日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者

(プロフィールは別途ご検索下さい)

 

目次

先ず初めにシリコンバレー化するP・ナイトキャンパス

先ず初めに

1.米国内に於けるAAU、TAC、USATFの歴史と歩み

        ■組織・団体のバックグラウンド:

2.O22世陸オレゴン招致への背景とポリティカルゲーム

       ■国際陸連(WA)会長交代により米国への扉は開いた

    ★セバスチャン・コー氏(国際陸連WA会長)のプロフィール

    ★ナイキ社との関係:

3.P・ナイト氏の本プロゼクトの真意と分析

    事実関係の整理

      ■NIKE社とO22世陸オレゴン大会との関係

     ■NIKE社とUSATF(全米陸上競技連盟)との関係

     ■オレゴン大学(UO)とO22世陸オレゴン大会との関係

4.AI、HI時代に沿った大学キャンパスの整備

     フィル・ナイト氏はNIKEの理念をUOキャンパスに移行

    ■P・ナイト氏の次世代を見据えた投資

    ■投資への核心とその分析

5.フィル・ナイト氏の個人資産の投資とその対価は

    ■母校オレゴン大学の愛と未来に

筆者のまとめと私見

 

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2022年7月21日   公開

無断転載禁止             毎月第二、第四木曜日 掲載予定

シリコンバレー化するNIKEキャンパス

先ず初めに

前回のKファイルNO.183をご笑読下さった方は、今回のNO.184がスムーズにご理解頂けるかと思います。今回は、前回のストーリーを基にポリティカルゲームを交えながら発展的に少しキーを高くしてお伝えできればと思います。

 

オレゴン大学の歴史と発展はキャンパスの中を流れるウイラメット川と

マッケンジー川の澄み切った清流と共に何処までも続く オレゴン大学提供

 

前回のソースからどの様にして、O22世界陸上オレゴン大会が米国、オレゴン州、ユージーン市に招致されたか。そして世界初世界陸上が大学のキャンパスで開催される運びに至ったか。世界陸上のスポンサー即ち国際陸上競技連盟(略:WA)のスポーテイング・グッズ、アパレルウエアースポンサーは、日本のアシックス社(ASICS)であるにも関わらず、ナイキ社のそれも発祥の地でこの度ASICSのロゴを掲載するこの不自然さはなぜ起きたのでしょうか。

ビル・バウワーマン氏亡き後を継承されてきた、もう一人のナイキ社ファウンダーの一人である、フィル・ナイト氏のオレゴン大学への超巨額な個人的財産の寄付、還元とそのコンセプトを探りながら、一大プロゼクトの全貌をお届けできればより大学、ナイキ社、O22 世陸オレゴンの関係性が見えてくると思われます。

筆者は、スポーツ・アドミニストレイションの生きた教材として、スポーツ・アドミニストレイターの視点で指摘させて頂きす事を先ずご了解いただければ幸いです。

 

New ヘイワードフィールド オレゴン大学提供 

 

1.米国内に於けるAAU、TAC、USATFの歴史と歩み

■組織・団体のバックグラウンド:

AAU

2022世界陸上選手権大会(略:O22世陸オレゴン)は、1983年第1回世界陸上選手権大会が開催されたヘルシンキ大会以来初めて米国に於いて開催されることに相成った次第です。陸上競技王国の米国が初めて開催する事に対して、多分多くの読者の皆様は、大変驚かれた事と思われます。その理由は、幾つか挙げられます。筆者が本業界に関わることになって以来今日迄の経験、体験を基に私見を交えながら解説させて頂きますのでご容赦下さい。

最初に読者の皆様には、米国の陸上競技の組織・団体の歴史とその経過に付きまして少し知識を付与させて頂きます。

米国では、1978年にアマチュアスポーツ法が制定された結果、それまであったアマチュア競技連合【略:AAU=Amateur Athletic Union】はオリンピック競技に関して何の権限も持たないこととなり、AAUから派生したザ・アスレティックス・コングレス(The Athletics Congress、TAC)が全米陸上代表者会議として1980年に初めて全米陸上選手権を開催したのです。TACは1993年に全米陸上競技連盟(USATF)に改名し、今日まで全米陸上選手権大会を主催してきているのです。

TAC

TAC時代は、長く個性派のオーラン・キャッセル氏(TAC専務)により運営管理がなされた次第でした。それに伴い当時の国際陸上競技連盟(略:IAAF)のプリオ・ネビオロ会長(イタリア)の超ワンマン体制とA・キャッセル氏とは、キャッセル氏も強烈な野心家であった事が災いしてか、P・ネビオロ氏の関係は常にギクシャクしていたように筆者は肌に感じていました。そして、またA・キャッセル氏は、米国内に於いても多くの敵を持っていたために後ろ盾となる強力なスポンサーが居なかった事も事実でした。

それにまして、ナイキ社とA・キャッセル氏の関係は、お世辞にも宜しかったとは言い難い関係でした。このような状況からA・キャッセル氏の立場と環境は、息苦しくなって行ったのでしょう。最終的に、同氏は公私混同した言動と行動が目に余る様になり、最終的には、TACを追われる事に成ったようです。

USATF

その後、1993年に次のリーダーにより、TACは、全米陸上競技連盟(略:USATF)と改名されて今日に至った次第です。此れと時を同じくしてUSATFの大スポンサーにNIKE社が後ろ盾となったのは、A・キャッセル氏のTAC専務退任後間もなくの出来事でした。このような米国内のポリティカル闘争の間に、国際に於いては、国際陸上競技連盟(IAAF)会長のP・ネビオロ氏が退任し、次なる会長としてラミーヌ・デイアク氏(セネガル)が台頭したのでした

デイアク会長は、読者の皆様も近年何処かで耳にされた名前であると思います。そうです、同氏は、ロシア政府との繋がりが濃くロシアの陸上、オリンピック代表選手達とのドーピング問題に深く関与している事がフランス検察当局により明らかにされたのです。そして同氏のその根拠は、フランス国内に於いてロシアマネーの資金洗浄を行っていた事が発覚したのはつい先日の様な気が致します。

同氏は、2016年開催のプラジル、リオ五輪の招致活動に於いてもIOC委員達に対する収賄疑惑が挙がり、フランス検察に証拠を握られ、ブラジル五輪委員会会長と共に共犯者となった次第です。

この事からラミーヌ・ディアク氏と息子(パパマサッタ・ディアク氏)、側近でIAAF副会長、IOC委員であったフランク・フレデリクソン氏(ナミビア)が実行犯としてフランス当局に逮捕されました。その後、F・フレデリクソン氏(ナミビア)は、フランス当局との間で司法取引がなされた次第です。

本件は、此れで収まらずフランス当局はリオ五輪招致に於いて収賄があった事を英国のマスメディアにより報道がなされ、新たな嫌疑と証拠が発覚したのでした。それが東京五輪招致委員会によるIOC委員達への買収問題で、その中心人物がディアク氏親子への嫌疑が掛けられた次第です。本件は、F・フレデリクソン氏の司法取引後の取り調べ終了の翌月の秋に、フランス当局は日本のJOC会長の竹田恒和氏を任意でフランス当局に呼び事情徴収をした次第です。現在は、日本とフランス当局間には犯罪者引き渡し条約が無いため事件捜査は今日も尚継続しているのだそうです。

この様な事から竹田氏は、国外への渡航もままならなくなりIOCの意向もあり、東京五輪延期決定前にIOC委員、JOC会長職、東京五輪組織委員会副会長職、等を辞した理由が此処にあったのです。社会的には、JOC会長職の任期を満了したので退職という名目にしたようです。しかし、これら一連の事件の遂行は、竹田氏が行えるはずもない事は万人の知るところです。本件に付いては、IOCのパートナーであり、東京五輪組織委員会のオフィシャル広告代理店である電通の情報網と人間関係を駆使した作業部隊の仕業ではと拝察する事が正論かと思われます。その広告代理店電通の元専務の高橋治之氏(現コンサルタント会社コモンズ)が東京五輪組織委員会理事として、自らの存在を事あるごとにアピールする事がこれらの証であると筆者は推察する次第です。

国際陸連の前会長ディアク氏は、会長職を追われ東京五輪招致疑惑捜査途中の2021年12月3日にセネガルの自宅で死去されました。88歳。

 

2.O22世陸オレゴン招致への背景とポリティカルゲーム

国際陸連(WA)会長交代により米国への扉は開いた

IAAFからWAへ

ラミーヌ・ディアク氏(IAAF会長)は、死去に伴い国際陸上競技連盟は、会長の選挙が行われ二人の候補者(セバスチャン・コー氏とセルゲイ・ブブカ氏)の間で決選投票が行われ、2015年にセバスチャン・コー氏(Sebastian・Coe、英国)が会長に任命されました。 

S・コー会長は、就任後に素早く動いたのが国際陸上競技連盟(IAAF)名を改称し、国際陸連名を「WA、World Athletics」に改名しイメージを一新し公表、2017年には、スポンサーを新たにASICS社と契約を結んだのです。WAは、IOC同様にIAAF時代からオフィシャルスポンサー・パートナーに広告代理店電通と契約しているので日本企業のスポンサー名が、O22世陸オレゴンでも映像を通して目立つのは、ここに根拠があるのです

セバスチャン・コー氏(国際陸連WA会長)のプロフィール

同氏は、英国人で英国に於いては高位(コー男爵)にあり政治家でもあります。アスリートとしても1980年代世界トップの中距離選手であり、大変有名で世界の陸上界に大きな足跡を残されています。スポーツ・アドミニストレイターとしての実績では、2012年ロンドンオリンピック招致委員会の委員長として、開催誘致の成功に尽力し、ロンドンオリンピック組織委員会会長を務めた実績をキャリーしている人物です。

★ナイキ社との関係:

 同会長は、選手時代は長きに渡りNike社の支援を受けて来たのは事実です。また、引退後もNike社のコンサルタントをしていました。此のことを一部マスメデイア、業界に於いて、何かと誤解を醸成してミスリードしようと画策するグループがいるのも確かです。IOC、WAと関係するトップ管理者達の多くは、嘗て選手時代、その後とスポーツメーカー・企業との強い関係(癒着)を持っている方が多いのも事実です。S・コー会長は、2015年のデイアク会長の追放後、選挙で選ばれた新会長です。そして、現在WAのスポンサー(2017年契約)であるASICS社とは、大変良好な関係を維持されていると思われます。このことから、O22世陸オレゴンASICSのロゴの告知、広告がTV映像を通して視聴者の皆さんに届け有れている根拠が此処にあるのです。

筆者の私見

 この度のO22世陸オレゴンの招致活動は、国際陸上競技連盟(WA)のS・コー会長の存在、全米陸上競技連盟(USATF)の強力スポンサーがNIKE社であった要因が、初の米国への招致を呼び、NIKE社の発祥の地であるオレゴン州、ユージーン市のオレゴン大学キャンパスに引き寄せた強力な磁場であった根拠と確信する次第です。

そして、この巨大なプロゼクトのキーマンが嘗てのNIKEの生みの親であったビル・バウワーマン氏の右腕であったフィル・ナイト氏(B・バウワーマン氏亡き後のオーナー)であったと申し上げます。P・ナイト氏は、NIKE社を退任しましたがホールデイング会社にあたる「スワッシュ社」の筆頭株主であると言われ、NBAポートランド・トレイズブレイザーズMLB球団をオレゴン州ポートランド市に招致する興味も持っていると言われています。

3.P・ナイト氏の本プロゼクトの真意と分析

事実関係の整理

NIKE社とO22世陸オレゴン大会との関係

NIKE社は、O22世陸オレゴン大会のスポンサーまたはプロモーターではありません。何故ならば、国際陸上競技連盟(WA)とO22世陸オレゴンの公式シューズスポンサーは、ASICS社です。

NIKE社は、全米陸上競技連盟(USAFT)のスポンサーであり、NIKE社は、オレゴンとユージーンで大きな存在感を示しているので、きっとASICS社より遥かに存在感を目にするでしょう。

フィル・ナイト氏(Phil Knight)は、新しいスタジアムの建設費用は個人財産から支払い、新しいスタジアムのオープン以来、プロモーションに資金を提供してきました。しかし、それはO22世陸オレゴン大会とは別のものです

★★★私が知る限り、O22世界陸上選手権オレゴン大会には、組織委員会なるものは存在しません。 組織の全体の公の存在は3人の英国人です。 彼らは、エグゼクティブディレクターEXD、最高経営責任者CEO、最高執行責任者COOと呼ばれています。 もちろん、地元の人たちもたくさん参加しています。 しかし、経営陣は3人の英国人です

USATF(全米陸連)は作戦に多くのインプットを持っていると思います。 彼らはお金を投入しているので影響力を持っていると確信しています。O22世陸オレゴン大会は、英国からの3人のスペシャリストによって運営、管理されています。彼らはロンドン世界選手権やその他の国際的なスポーツ・イベントの経験がある言わばスポーツ競技イベントの運営管理をするプロのスペシャリストなのです。

彼らは、ユージーンに3年間駐留しており、O22世陸オレゴン大会の後は離れて行きます。彼らは、イベントを厳しく運営・管理していて、国際陸連(WA)と緊密に連携した言わばWAのパートナーです。

★★これも、セバスチャン・コー会長の新たなスポーツ・アドミニストレイション手法の一つだと思います

NIKE社とUSATF(全米陸上競技連盟)との関係

NIKE社はUSATFの主要スポンサーです。ここで述べたように、フィル・ ナイト氏は、新しいヘイワードフィールドのプロモーションに個人の資金を提供しましたが、それはUSATFやO22世陸オレゴン大会とは別のものです。

オレゴン大学(UO)とO22世陸オレゴン大会との関係

UOはO22世陸オレゴン大会に深く関わっています。

スタジアム、選手村、および関連するオペレーションはすべてUOキャンパスにあります。

UOは、O22世陸オレゴン大会をUO学生の学術活動に取り入れようとしました。それらは、ジャーナリズム、マーケティングMBA、生理学などの分野です。それがUOの重要案件であったことは間違いないようです

このようにフィル・ナイト氏の遠大なるプロゼクトは、此れからも未来に向かってオレゴン大学の競技スポーツのみならず、大学、学生達、学生選手達、スポーツ医科学、地域社会の発展に役立つプロゼクトであるか、あったかは数十年先になるかもしれません。しかし、ナイト氏の本プロゼクトに寄り蒔かれた種は、もう既に世界中から集まった学生達に寄り発芽し育てられ始めています。 

Partnering for Student Success

4.AI、HI時代に沿った大学キャンパスの整備

フィル・ナイト氏はNIKEの理念をUOキャンパスに移行

■P・ナイト氏の次世代を見据えた投資

本件に付いて情報収集を始めると、そこには企業の巨大なスポーツビジネスに対する投資のみならず、投資者の人間的な本質が歴然と浮かび挙がって来た事です。しかし、日本の事業に成功したにわか成金さんには、このような次世代を育てる環境作りの発想、教育、スポーツへの環境造りに桁外れの個人資産を投入したりする人間が現れないのは悲しい限りです。この様な実行力が伴う人物こそが、真の成功した企業経営者としてリスペクトされるのだと思われます。読者の皆様もそう思われませんですか。

■投資への核心とその分析

筆者が特に投資内容を分析すると二つの投資COREが浮かび挙がったのです。

その1つは、AI(人工頭脳、Artificial Intelligence)であり、もう一つは、HI(

人間頭脳、Human Intelligence)であった事です

特に後者のHIは、不可欠且つ不変のファクターである事でした。読者の皆様の記憶に新しい、近年の厚底シューズの開発に関わる統括者は、スポーツ医科学に特化したそれも各分野、部門、部署の医科学者達のAI、HIを束ねた本プロジェクトのスポーツ・アドミニストレイター(トータルマネージメントを行うGM的存在)が、企業の中心に居て特定の複数の大学の研究機関、個人の研究室と一体化したプロジェクトテイームで長年各分野のイノベイションに努めて来ていることが明らかになったのです。

この度の情報収集により、このHIの中には、筆者の米国の大学時代の友人、知人が数多く、またその家族が関わっていることに唖然とした次第です

スポーツ・医科学の分野は、一企業内のイノベイションのみに頼るのではなくグローバルな企業に於いては既に企業を中核としたファームシステム(大学研究機関)を構築して、プラットホーム化し、医科学の情報収集からそのリテラシーにいたるまで、アイデイアからプロトタイプ(試作品)まで一貫したシステム化を図り、バーテイカル・ササエテイー(Vertical Societyピラミッド社会)を形成していることを意味しています。しかし、此れも現在スポーツマーケットの世界シェアーの50%占めるナイキ社ならではの成せる事かも知れません。スポーツ界の頂点に長きに渡り君臨して来たアデイダス社は、二代目ホルスト・ダスラー氏が亡くなられた後、近年世界のマーケットセアーは、2位(30%)となり、3位は3社(プーマ、ASICSアンダーアーマー、等)がしのぎを削っているのが現状のようです。 

 

5.フィル・ナイト氏の個人資産の投資とその対価は

■母校オレゴン大学の未来に投資

全てのキャッシュは、フィル・ナイト氏の個人的な寄付です。 これらの施設は、大学によって所有、運営、管理されています。

正確な金額は公にされていませんが、ヘイワードフィールド建設費には、3億ドル(420憶円)から3億5000万ドル(490憶円)の範囲であると想定されています。 これが行われている間、彼はまた、科学開発のための新しい「ナイトキャンパス」の設立の費用のために大学に10億ドル(1400憶円)を寄付しました。 最初の建物は昨年(2021年)オープンし、2番目の建物は来年(2023年)建設を開始します

彼はまた、オレゴン健康科学学部に5億ドル(700憶円)を寄付し、オレゴン大学にさらに数億ドルを寄付して、新しい法科大学院の建設、図書館の改造、新しいサッカートレーニング施設の建設などの多くのプロジェクトを行いました。 彼は大学にとても寛大でした。オレゴン大学は、医学校、法律学校も併設されています。ビル・バウワーマン氏、フィル・ナイト氏は、両名共にオレゴン大学の卒業生です。オレゴン大学を愛して常にリスペクトされています。

フィル・ナイト氏のプロゼクト構想は、ただ単に母校への寄付行為、還元だけでなく学生達、大学教員達、その研究機関を統括するナイト(Knight)キャンパスをオレゴン大学に付帯し、AI(人工頭脳)とHI(人間頭脳)をトータルマネージメントする、出来るスポーツ界のイノベイションを目的に教育、スポーツ、化学を融合したシリコンバレーの建設に投資し後輩達に夢を託そうとの発想から、彼を行動に向かわせているのだと思われます

URL:https://hayward.uoregon.edu/

上記URLをあなたのCtrlキーを押しながらクリックして頂きますと「ヘイワードフィールド」の案内の映像に代わります。映像の中の興味ある画面をクリックされますと、競技場の内外の施設の案内画面に代わります。スタジアムの全機能、施設、紹介を楽しまれて下さい。陸上競技選手に必要なスポーツ医科学を基にした最高のレベルをご覧いただけます。これらは、USATFのみならずNCAA(全米大学競技協会)の自慢の一つとなりました。

筆者のまとめと私見

読者の皆様は、どの様にお感じになられましたでしょうか。筆者は、日本人として日本の大学スポーツ、大学教育機関文科省スポーツ庁地方自治体、それらに従事する関係者達を鑑みるに付け、若い世代に教育を通して未来に夢と希望を与えられる我が国独自のプロゼクトの必要性を思い知らされました。

ご存じの通り東京五輪は、招致活動から延期、開催に至るまでのスポーツ・アドミニストレイター不在による数々の事件、疑惑を隠蔽しながら終演しました。そして、その後今日では組織委員会理事による刑事事件に発展するであろう疑惑の捜査が検察の手に寄り始められている様相です。

この事からも真のスポーツに関わる方々の本質の違いをこの度のKファイルでご理解して戴けましたら幸いです。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

紹介:Gファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文藝春秋社 著 武田頼政

   Kファイル(河田弘道のスポーツBLOG)

   KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada

お知らせ:

 如何だったでしょうか。少し肩の凝るスポーツ・アドミニストレイションの深部を覗かれたのではないでしょうか。この生きたO22世陸オレゴンを生きた教材としまして少しでも読者の皆様に大海を知って頂けましたら幸いです。

KファイルNO.183:世界陸上22が大学キャンパスにやって来た(米国)

KファイルNO.183:世界陸上22が大学キャンパスにやって来た(米国)

無断転載禁止              毎月第二、第四木曜日掲載予定

KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada

東京五輪組織委員会解散に思う(6月30日)

本年は、COVID-19蔓延も治まらない中、世界に於きましてはロシアのウクレインの侵攻により膨大な人命の被害並びに難民達が路頭に迷っています。この様な非人道的な行為から、人類の「Justice(正義)&Fairness(公正)」は、破壊され「共存共栄」の原理原則が成り立たなくなりました。一人の専制主義者の台頭による実行支配、世界に食糧危機を招き世界経済の混乱が日々飢餓に苦しむ多くの国の民の命を奪い取っている次第であります。

日本国内では、一部の強行論者により昨年2021年7月23に東京五輪開催を無観客で終えました。そして、本年2022年6月30日に東京五輪組織員会(TOCOG)の解散が告知された次第です。それに先立ち、組織委員会武藤敏郎事務総長は、東京五輪大会に要した総経費が1兆4238億円であったことを発表したのでした。この経費は、政府と東京都が東京五輪に支出した経費のごく一部で、委員会現場の運営・管理に要した経費のみの算出だったようです。

本経費だけでも何と東京五輪招致委員会がIOCに当時プレゼンテイションをした数値の約3倍もの超過金額なのです。これでプレゼンテイションは、不誠実な内容であった事を証明した次第です。

東京五輪の総経費は、略4兆円の支出があった中の一部を公表したに過ぎないと思われます。この公開の手法は、まさに国民、都民の眼をごまかす手法で在り、国民の血税を投入した数兆円の収支決算は、何に使われどこに消え誰が管理して居るのか情報公開がされなければ、東京五輪組織委員会の解散は在り得ないのではないでしょうか。残念ながら、与野党の国会議員達は、もうどうでもよいのか争点にもしないこの程の参議院選挙です。

日本国政府は、国会議員としての本来の職責も果たさず、当初から東京五輪関連のみの大臣席(遠藤利明氏、桜田義孝氏、橋本聖子氏、丸川珠代氏)を置いて、公金の横領が無きようお目付け役をさせて来たのではなかったのでしょうか。或いは、大臣の肩書だけを与える為の飾り雛だったのかも知れません。

このような実態に対して、日本国民、都民は、無関心を装う態度をするので、東京五輪のスポンサー迄されてきた日本を代表するマスメデイア6社(新聞社)は、TV, マスメディアとしての体を成していない様子が明らかとなった次第です。此れでは、国民、社会の為に役立っているとは申せません。

そして東京五輪組織員会理事の国会議員達は、遠藤利明氏(参議員として選挙対策委員長)、橋本聖子氏(解散翌日、自民党参議員に復党、冬季札幌五輪お宅に鞍替え)、丸川珠代氏(話題無し)と東京五輪の決算報告には、我関知せずの態度で次なる利害、利権に乗り換えて行っている始末です。

東京五輪組織員会は、6月30日に解散いたしました。今後は、武藤敏郎氏(五輪事務総長)以下4名が清算人として選ばれ、清算手続きが終結するまで法人資格を継続し、約一年間は必要最小限の事務局体制を維持するようです。しかし、これは、公益法人のクロージングセレモニーで、訴追請求、等が無い限り形式的な残務整理部隊であると言えるでしょうか。これでは、東京五輪招活動から組織委員会解散まで、政治家達の政治家によるグレー或いはブラックな闇の公益財団法人であったことを物語っています。東京五輪閉幕後、国民と社会は、誰一人として感動、話題にしない事が2021東京五輪の「レガシーとその評価」と言えるのではないでしょうか。莫大な公金を使って残った物は、巨大な競技場、室内競技場、等々と、今後この負の遺産の維持負担は、国民、都民の税金で賄い次世代に背負って頂く事に成りました。この東京五輪で一体誰が影で潤い笑みを浮かべているのでしょうか。悪代官と越後屋達でしょうか。

文責:河田 弘道

 

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2022年7月7日 木曜日              公開

KファイルNO.183:世界陸上22が大学キャンパスにやって来た(米国)

無断転載禁止 

スポーツ・アドミニストレイター

日本にスポーツ・アドミニストレイション論

日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者

(プロフィールは別途ご検索下さい)

 

世界初世界陸上が米国大学キャンパスの陸上競技場で開催

I.オレゴン大学UO陸上競技の聖地と人は呼ぶ

■先ず初めに

陸上競技王国の米国は、第18回世界陸上選手権大会(2022年7月15日~7月24日)を初めてホストすることに相成った次第です。読者の皆様は、この事を知り多分驚いている事でしょう。どうして、今日迄世界陸上が、米国でホストされなかったのかと。この事は、このKファイルが語るまで今日迄誰もが触れず、語らなかった事実についても少し触れなければならないかも知れません。

読者の皆様は、既にご存じかと思われますが、本世界陸上競技選手権大会(通称:世陸)は2021年7月14日に米国オレゴン州、ユージーン市、オレゴン大学のNewヘイワード・フィールドで開催を予定致していました。しかし、ご承知の通りCOVID-19が世界中に蔓延した結果、2020年7月開催予定だった東京五輪大会が2021年7月23日延期開催となり、その為に本世界陸上オレゴン大会も1年延期となり、本年2022年7月15日開催となった次第です。

世界陸上の歴史と歩み

読者の皆様は、オリンピック大会はよくご存じだと思います。オリンピック大会は、理念とは相反する世界の政治家達の政治的道具に成っている事は歴史的な事実であります。1979年末に当時のソ連が現在のウクレインへの侵攻同様にアフガニスタンに突然戦車部隊を投入して開戦した事をきっかけに、西側諸国が1980年のモスクワ五輪をボイコットした次第でした。

世界陸上選手権大会は、この様な世界の政治的な動向を見捨て、当時の国際陸上競技連盟(IAAF、現WA:World Athletics)のプリモ・ネビオロ会長(イタリア)は1983年にヘルシンキで第1回大会を新設開催したのでした。 

その後は、五輪前年の4年間隔の大会と位置付けて参りましたが、1991年の東京大会以降2年間隔で開催される事となりました。この様にして世界陸上は、2005年大会以降2019年迄は、殆どヨーロッパとアジア圏内での大会が主体でした。これらは、IOCが広告代理店電通をオフィシャルパートナーとした事から、当時のIAAF会長のP・ネビオロ氏は、電通と契約し、本世界陸上のスポンサー権、放映権、等にも電通が大きな力を誇示するに至ったことで、その後の開催に関する影響力を拡大して行ったと言えます。

選手に取りまして世界選手権は、歴史は浅いですが世界最高峰の陸上競技大会であるに違いは無いと思います。

筆者は、1991年世界陸上選手権東京大会に於いて、日本テレビのオフィシャルコーディネーターとして参戦させて頂きました事は大きな経験と体験となっております。1991年世界陸上東京大会の日本テレビのプロゼクト最高責任者は、坂田信久氏でした。

オレゴン大学が何故陸上競技の聖地(メッカ)か

 

New ヘイワード・フィールド 2020年完成              提供:オレゴン大学

重要人物紹介

米国、オレゴン大学の陸上競技を語るには、この人物無しには語れまい。その名は、ビル・バウワーマン氏(Bill Bowerman)その人です。

ビル・バウワーマン氏の紹介(University of Oregon 略:UOバイオより)

ビル・バウワーマン (1911-1999)

UOのビル・ヘイワード監督の下でスプリンター選手だった

UOフットボール選手 1931-1932

UO史上3番目に長いパントリターン(1931年のワシントン戦で83ヤード)

第二次世界大戦ブロンズスター受賞者

UOフットボールアシスタントコーチ1948-52

UO陸上競技コーチ・監督1948-1972

NCAAチャンピオンシップ4チームのコーチを歴任

1972年、アメリカオリンピック陸上競技コーチ・監督

アメリカでジョギングブームを巻き起こす。ジョギングの父と称される。

妻バーバラのワッフルアイロンにゴムを溶かすことで、靴の象徴的なワッフルソールを作成しました。後にNIKE設立し創設者となる。

全米最高の大学陸上競技選手に与えられる賞であるバウワーマンは、2009年に創設されました。以前の受賞者には、ガレン・ラップ、アシュトン・イートン、ローラ・ローズラー、ジェナ・プランディーニ、レイヴィン・ロジャースが含まれます。

ビル・バウワーマンのコーチングの遺産

33名 オリンピック 選手輩出

13名 世界記録保持者輩出

24名 アメリカの記録保持者輩出

64名 オールアメリカン輩出

Ⅱ.米国の陸上の聖地に世界陸上がやって来た

世界で初めて世界陸上が、米国、オレゴン州ユージーン市に位置するオレゴン大学キャンパス内の陸上競技場(ヘイワード・フィールド)でホストされる事になったのです。大学及びオレゴン州ユージーン市は、アメリカで陸上競技のメッカとされています。

NIKEナイキ社は、オレゴン大学のキャンパスで産声を上げたのです。そして創設の祖は、当時陸上競技部監督のビル・バウワーマン氏(パートナーのフィリップ・ナイト氏は、彼の教え子でビジネス部門を担当)でした。当時ジョギングを世界に広め、命名されたのもバウワーマン氏であります。 

 

旧 ヘイワード・フィールド スタンド・屋根は全てオレゴンの木材使用 キャンパスの南東の隅に位置し、写真右下にサブトラックが隣接されている  提供:オレゴン大学UO ニックネーム「DUCKS」ドナルドダック

今日迄の伝統的な木造建築の競技場スタンドは、3700席でした。この収容能力では、世界陸上の招致規定に適合しません。そこで、新しい陸上競技専用のスタジアムが建設されることになりました。既にスタジアムは、2020年に予定通り完成、スタジアムのキャパシテイーは、何と30000席です。NIKE社は、ビル・バウワーマンとオレゴン大学が創設者で発祥の地となっている事から、バウワーマン氏の名前が多くの陸上関係の施設に付けられています。勿論ナイキ社の寄付を主体に建設されました

興味がある方は、下記のURLで検索され、新スタジアムと伝統的な旧スタジアム(全てオレゴン州で育った木材を使用)を比べて下さい。新スタジアムは、アメリカの大学の陸上競技スポーツの施設と規模に於いてもベストなのです。

本URLは、日本に於いて初めてKファイルを通してご紹介させて頂きます。お楽しみ下さい。

URL:https://around.uoregon.edu/hayward(注:本URLを開きますと英文、英語解説となっています。日本文で読む興味のある方は、日本語翻訳とサインが出ていますので「翻訳」をクリックしてください。日本語をお楽しみできます)

 

■ビル・バウワーマン氏とフィリップ・ナイト氏の関係

すべてが始まった場所

若き頃のB.バワーマン監督(右)とP.ナイト学生選手時代

提供:オレゴン大学UO

1955年8月、フィリップ・H・ナイト氏(通称:フィル・ナイト)は、ヘイワード・フィールドの楕円形に足を踏み入れたが、彼は痩せた新入生で、「自信も実社会での経験もなく、かなり速く走る能力以外に実証可能なスキルはほとんどない」と述べた。 ビジネスの学位を取得して卒業するまでに、ナイトはバウワーマンの指導の下、マイラーとしてトップ3フィニッシュを13回記録していた。

彼らの関係は、コーチとアスリートからメンターと学生、発明家とモルモット、そして最後にビジネスパートナーへと進化しました。彼らは、アスレティクシューズ、アパレル、および機器の世界有数のデザイナー、マーケティング担当者、およびディストリビューターであるナイキを共同設立しました。バウワーマンはかつて、「体があれば、あなたはアスリートだ」と指摘したことで有名です。ナイトとバウワーマンは一緒になって、エリートと週末の戦士が同様に彼らの運動の夢を実現するのを助けました。

「私の目標は、私のコーチ、メンター、ビジネスパートナーのビル・バウワーマンがすべてのアスリートに植え付けた忍耐力、革新性、達成の理想の永続的な記念碑を見ることです。ビル・ヘイワードとビル・バウワーマンの伝説的な功績を称え、オレゴン大学の中心であり続ける魔法の会場を何世代にもわたって作り上げます。

騎士の遺産 (以上UO広報提供のフィル・ナイト氏の言葉より)

 

筆者(河田弘道)とビル・バウワーマン氏との関係

筆者が鮮明に記憶している頑固おやじ(バウワーマン氏)からの教えと懐かしいおんぼろピックアップトラックの思い出。

NIKE創業者の信念は此処に

B・バワーマン氏は、1972年にキャンパス内の木造でできたこのヘイワード・フィールドの彼の工房で現在のNike社を起業することを決心し、設立したのです。

ユージーン市、オレゴン大学のヘイワード・フィールドは、米国の陸上界のメッカとされ、またNikeの聖地でもあるのです。

当時、同氏の教え子で在り、米国のオニツカ・タイガー社(現:アシックス社)のセールス部門のデイレクターをしていた、フィル・ナイト氏(通称:フィル・ナイト)をナイキ社に共同経営者(Co-founder)として迎え、同氏にビジネス部門を任せたということを直接彼から聞きました。

この二人の関係は、アデイダス社でシューズの職人気質と言われた兄ルドルフ・ダスラー氏(後に弟と袂を分かちPUMA社を設立)とビジネス、政治、マネージメントに長けていた弟のホルスト・ダスラー氏(二代目アデダス社の経営者)の関係と似ています。しかし、ダスラー兄弟(アデイダス社)は、途中で別々の企業主となりましたが、B・バウワーマン氏とP・ナイト氏の関係は、仲たがいもせず最初から最後まで互いにリスペクトし合い、ナイキ社創設から構築、そして再構築へと全力でエネルギーを注がれたのです。

B・バウワーマンさんは、Nikeを起業する以前から「どのようにしたらスポーツにおいて人間の潜在能力の可能性を導き出せるか」について独自の思考を深めていました。これは、まさに彼のコーチングの哲学でもあったと筆者は当時より大切にメモした資料がファイルに残っています。しかし、同氏は、人からコーチと呼ばれることに抵抗を感じていたのも事実で、周囲の皆は彼の事をビルと呼び捨てにし、彼自身もそう呼ばれる事を大変喜ばれていましたし、人間味豊かな人でもありました。

そして、私の脳裏に焼き付いているのは、自宅と大学の往復にいつもおんぼろの確かGMかFORDのピップアップトラックで荷台には作業用のシューズ、スコップ、農機具が積まれていました。これは、彼がナイキ社のオーナーになったころもこのスタイルを変える事はありませんでした。

此れが、ビル・バウワーマン氏の素顔です。人は、「彼はナイキの最高経営者で大金持ちなのにどうしてキャデラックのコンバーティブルに乗らないのか」と揶揄されていましたし、彼を「ストレンジャー、変わり者」と表現する市民、大学教職員がいたのも確かです。しかし、彼はそれらの声に一切耳を貸さなかった事も事実でした。

彼は、1972年にNike社を起業した時に同氏独特な表現で「Tone& Direction」を大変重要視され、いわば今日のナイキ社の屋台骨となっている理念、フィロソフィーの1つとされたのかも知れません

そして、今日、それらの言葉は、「我々のゴールは、どのようなレベル、能力のアスリートに対しても役立つ製品を改善、開発し制作して届ける事である。此れが我々に課されたレガシーでもあり、また我々は、競争とは別に投資者に価値を与えビジネスの機会を創り出す事なのだ。」とも述べられています。このように、ナイキ社の創設者のB・バウワーマン氏の創設時の理念は、「厚底+プレイトシューズを陸上長距離の革命とみるか、商品開発によるナイキの頭脳的ビジネス戦略とみるか」の両面をカバーしていると思います

 

★筆者からB.バウワーマン氏ご夫妻への謝辞

私は、若くして米国オレゴン州のユージーン市に足を踏み入れて以来、B・バウワーマン氏と奥様のバーバラさんには、大変お世話になりました。右も左も分からない日本から来た学生の小生にいつも温かく接して下さり、常に大事な人生の岐路の時には、温かくポジティブな親心で肩を押して下さったご夫妻の真心を常に忘れることはありません。

1974年のオレゴン大学からブリガムヤング大学(BYU、ユタ州プロボ市)への移籍の一大決心の時も、次に1993年の東京読売ジャイアンツと契約を結ぶか否かの時も、バワーマン氏(当時はNike社のオーナー)の温かいオファーとの間で迷っていた時の小生の決断に勇気を与えて下さいました。当時同氏のオファーを素直にお受けしていたならば、長嶋茂雄監督との一心同体での真剣勝負に挑む事もなく、1994年のメイクミラクルも96年のドラマも無かったかもしれません。

オレゴン州ユージーン市は、私にとっての人生の選択の聖地なのかも知れません。温かく支えて下さった多くの方々に心より感謝の念に堪えない次第です。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS)

紹介:G File「長嶋茂雄と黒衣の参謀」発行 文芸春秋社 著 武田頼政

   Kファイル、KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada

お知らせ:

NO.183は、如何だったでしょうか。世陸は、いよいよ7月15日オレゴン大学で開幕します。オレゴンも異常気象のようですが、期間中気温、湿度、風が安定する事を願うしだいです。次回は、世陸シリーズの中でも大学キャンパスに出来た最新の施設を導入した陸上競技場及び学生達の世陸ホストの関りに付いてご紹介出来ればと思います。

KファイルNO .182:中大河田ゼミ(別名:河田塾)生が語る

KファイルNO .182:中大河田ゼミ(別名:河田塾)生が語る

無断転載禁止             毎月第二、第四木曜日掲載予定

スポーツ・アドミニストレイター

日本にスポーツ・アドミニストレイション論

日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者

(プロフィールは別途ご検索下さい)

 

筆者からのお知らせ

読者の皆様には、スポーツ・アドミニストレイション論に付帯する河田ゼミ生の大学時代の活動内容に付きまして、ご紹介させて頂きました。如何でしたでしょうか。

読者の皆様の中には、大学生時代を懐かしく思い出され、嘗ての仲間たちの動向等にふと思いをはせられたのではなかったでしょうか。また、教育界に携わられている方々、学生のお子さんを持たれている御父母、現役の学生さん達は、河田ゼミ生達のキャンパスライフに触れられて何か大切なキーを見つけられたのではないでしょうか。大学で教鞭を取られている現役の教員の方々がこっそりと本BLOGを覗かれて何かドキッとされた事はありませんでしたか。

ご自身が所属されている大学の教学の資質、運営と管理体制、ゼミの在り方、ゼミ生の選考基準とゼミの本来の姿と多種多様な思いが頭の中を駆け巡ったのではないでしょうか。その様な方がいらっしゃいましたら、貴殿のゼミ生達、学生達は、誠実で情熱の有る大学教授に指導を受けられている事にきっと感謝されていると思われます。

当時小職は、中央大学で大変素晴らしい学生達との講義授業での出会いがあり、また、河田ゼミでは、優秀なゼミ生達に恵まれました。勿論、学生達一人ひとりは、異なるバックグラウンドを背負って参っていますので、学生の数だけ全てが異なります。しかし、お預かりいたしました全てのゼミ生達の服装(靴から持ち物まで)、顔、声、口調、癖、話し方、ご家庭の状況、友人関係、特徴は、一人ひとり克明に記憶の脳裏に残っています。それらもまた、指導者の個別指導に役立つツールであるといつも言い聞かせています。

そして、FLPを選択したゼミ達は、中大1年生を終了した全学部の学生達が自由に選択する権利を有していますので、選択する学生達は「スポーツ・アドミニストレイション論I,II」の講義授業を通して、その学問から3年間の学生生活の間に興味のある専門分野に身を置いて、何かを見つけ出し、身に付けて社会の出口に向かう、向かいたいと強く志す学生達の集まりが河田ゼミで在りました。

二期生、三期生の活躍は、河田ゼミ一期生が構築した「礎」無しには成果も結果もありませんでした。一期生達の努力による成果と結果を重く受け止め、彼ら彼女らが社会の一流と称される企業社会で活躍される背中を見ながら、各3年間の「河田塾」で同じ釜の飯を食った仲間達でした

KファイルNO.182は、その塾生達が社会に出て十数年が経ち、中央大学での「スポーツ・アドミニストレイション論I,II」と付帯する「FLP河田ゼミ」で何が身に付き、何が大事であったかを書き寄せてくれました。

河田塾から育って行った学生から、貴重なレポートを頂きましたので読者の皆様には、特別にご紹介して「中大河田ゼミ」の報告の締めとさせていただきます。

お付き合い下さいまして、ありがとうございました。文責:河田弘道

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目次

KファイルNO.182:中大河田ゼミ(別名:河田塾)生が語る

河田ゼミから2009年度の大学首席・総代輩出

清水翔太さん卒業インタビューより

■ゼミの先生からのお祝いメッセージ

★★★10年後の河田ゼミ2期生からの便り

■自分の礎は此処に在り~

■河田ゼミを振り返って~

Kファイル中大シリーズのまとめ

 

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2022年6月23日                      公開

KファイルNO.182:中大河田ゼミ(別名:河田塾)生が語る

無断転載禁止          注:K'sファイルは、毎週木曜日掲載予定

             信頼と絆 

           中大河田ゼミのモットー   

2009年度卒業式(右から2人目:清水翔太) 拝借:中央大学広報誌より

河田ゼミから09年度の大学首席・総代輩出

 

清水翔太さん卒業インタビューより

清水さんは、FLP(スポーツ・健康科学プログラム)河田ゼミに所属し、スポーツシンポジウムの開催に力を入れられました。学内広報誌の「草のみどり」や中央大学の公式ホームページ上でも、FLPのページで河田ゼミでの活動を寄稿しています(http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/flp/b08_02_04-2009_01_j.html)。

活動的な清水さんにお話を伺いました。

聞き手:

卒業後の進路について教えてください。

清水:

卒業後は、通信業界で働くことになっています。FLPの河田ゼミで一から企画して物事を作り上げていく経験を生かしたいと考えて就職活動をしていました。この業界であれば、自分で考えたアイディアや企画を具現化しやすい社風でもあるうえに、自分の考えが人々の役にたっているかどうかという成果を身近に見ることができる点に惹かれました。また、もともと携帯電話には関心がありましたのでとても運がよかったと思います。(就職先:KDDI株式会社)

聞き手:

では、就職活動にも影響を与えたFLPの河田ゼミに入った理由と、具体的にどのような活動をなさっていたのか教えてください。

清水:

幼い頃からサッカーをやっていて、高校の時にはスポーツ関係の仕事を視野に入れていました。そのため、スポーツや健康について学べるFLPプログラムを受講しようと入学前から決めていました。実際に入ってみると、担当の河田先生は、「机の上で勉強するよりも自分たちで実学的に学びなさい」といった先生だったので、ゼミ生が主体となってテーマを設定して活動することになりました。ちなみに、僕達の代では、「中央大学のスポーツを盛り上げること」をテーマに掲げ、スポーツシンポジウムの企画、運営をしてきました。3年間開催しましたが、初年度の集客数は約300名ほどだったのが、3年目には約750名を集客することに成功致しました。

シンポジウムを開催するに当たり、参加者を募るために近隣の学校やお店、市役所などにポスターを作成して配付しに行ったり、パネリストとの交渉、学内の様々な部署への協力要請など多くの活動をしてきました。これらの活動を通し、礼儀やビジネス文書の作成などを身に付ける事が出来、社会で必要とされる力が学生のうちに少しは修得できたと思っています。こうした活動は、本当に大変でしたが、河田ゼミの活動には100%満足しています。

尚、河田ゼミの後輩達は現在、中央大学創立125周年のマラソン大会開催を目標に掲げ、日々全力で過ごしていますので皆様是非応援してください。

聞き手:

そして一方では、経済学部の高橋宏幸ゼミにも所属されていますが、どのような研究をされていたのでしょうか?

清水:

河田ゼミと比較すると、こちらは本当に学問をしっかり学ぶゼミでした。2年次には基礎学力を身につけるために教科書を輪読し、3年次には秋に開催される学内プレゼン大会とインナー大会(118組中8位入賞)に出場するための準備、そして4年次は「どのような携帯サービスが市場シェアを奪うか?」をテーマに卒業論文を作成しました。ただ、二つのゼミを両立するのは思っていたよりも大変で、高橋ゼミの活動には予定よりも力を注げませんでした。時間の使い方等をもっと工夫して、高橋ゼミにもう少し力を注ぐことができればよかったなと思います。

聞き手:

ゼミで沢山の経験をされているようですが、そもそもの入学の動機を教えてください。

清水:

経営と経済を両方学びたいと考えていたのですが、実は経済学は苦手でした。そのため、あえて経済学が必修の経済学部に入れば嫌でも勉強しなければならない環境に身を置くことになるだろうと思ったので、経済学部に入学しました。

聞き手:

ずいぶんストイックな考え方の持ち主なのですね。それでは、勉強以外にも頑張っていたことはありますか?

清水:

スポーツジムでのアルバイトやサッカーのコーチ、資格の取得などにも力を入れていたのですが、大学生という事に重きを置いて考えると主に二つほどあります。一つはサッカーのサークルです。幼いころから15年ほどサッカーをやってきたので、大学でも続けたかったのです。ただ、入ったサークルは20名ちょっとくらいしか所属していなかったので、もっと人数を増やそうと努力し、登録数だけでいえば今では100人ほどの規模に成長しました。

そしてもう一つは、インターンシップへの参加です。個人的に企業のインターンシップ制度を探し、応募しました。ワークスアプリケーションズという会社で、3年生の夏に18日間従事しました。ここでは、周囲に質問できる環境ではなく、一人でマニュアル片手にプログラミングの作成をしていました。

聞き手:

プログラミングの勉強は以前にされていたのでしょうか?

清水:

いえ、ほんの少し授業で触れたくらいでした。ただ、このインターンシップの魅力は、インターンシップ終了後に優秀者に選ばれると、その会社の内々定がいただけるというメリットがあったのです。実は、この時期、河田ゼミでの活動、高橋ゼミでのインナー大会準備などに追われ、一番忙しい時でした。しかし、そのような状況下で周囲が国立大学、有名上位私立大学の学生と競争できる環境に身を置くことは、より自分を高められると考えたのです。

聞き手:

ここでも自分を追い詰めていくストイックな性格が伝わってきますね。では、最後に在学生へのメッセージをお願い致します。

清水:

大学生というのは、時間や自由が多い4年間ですので、自分で考えて行動する力を意識していくべきだと思います。そうでなければ、周りに流されてしまいますから。遊びでもなんでもいいと思いますが、まずは先を見据え、自分で考えてから行動する力を養うと就職活動や社会に出てからも役立つのではないかと思います。

聞き手:

自分を追い込むことで、頑張れるという清水さん。本当にストイックな方ですね。限界に挑戦してください!

 

■河田ゼミ指導者からのお祝いメッセージ

 ご卒業おめでとうございます。更に今年度の首席・総代に選ばれたとの報を貴学部よりいただき、この上ない喜びと共に心よりお祝い申し上げます。

振り返れば07年春、心清くして、優しい、一人のサッカー青年が、スポーツ・アドミニストレイションの講義授業を受講しながら、FLP河田ゼミの門戸を叩き、以来、今日まで厳しい実践ゼミ活動を貫いてこられました。

これはゼミ生全員の「信頼と絆」の結集でもありました。今、私は、かつてプロ野球選手選択会議で経験した、若者を獲得するのとは全く逆の立場で、清水翔太を、ドラフト1位で河田ファミリーからKDDI株式会社に持って行かれたような、ほろ苦い思いと喜びをかみしめています。

巣立つ日が近いと知りつつ、もう少し側においておきたかった、もう一つ、二つ、一人で歩んで行く術と武器を身につけさせてから、社会への入り口まで導いて行きたかった、との心残りもありました。しかし、あなたは、渡る世間で生き延びて行くために、自ら探し求めていた強い志と心の武器を、見事修得され生来の誠実さ優しさに加え、社会の荒波に立ち向かう強さの両方を手に入れた今、これで巣立ちの準備は完了したと確信しております。

苦難に遭遇した時は、仲間の笑顔を思い出して下さい。あなたの事を誇りに思っていることでしょう。これまで懸命に磨いてきた観察・洞察力、そして判断・決断力を以って進めば、未来の会社、企業のアドミニストレイターとして、それがスポーツであれ、ビジネスであれ、社会を切り拓いて行くことが出来るでしょう。私は、あなたをはじめ、優秀で個性豊かなゼミ生達に出会えた事を誇りに思っています。担当教員をトラストしてくれたことに感謝。

OK. 翔太、You can Fly & Go!  It’s all yours.   from your coach   

私は、あなたの所属学部でないにもかかわらず「お祝いの言葉」を首席、総代がリクエストされたとの連絡を経済学部から受けた事に対して、大変光栄に思いますと共に感謝しております。

担当教員:河田弘道 

所属学部:総合政策学部

 

★★★10年後の河田ゼミ2期生からの便り

■自分の礎は此処に在り~     

河田先生には、大学2年生〜4年生の3年間ゼミでお世話になり、大学スポーツを盛り上げるためのシンポジウムの開催を行いました。最初はスポーツビジネスに興味があり、河田先生にご教授賜りたい気持ちでゼミに入りましたが、身についた力は単にアカデミックな要素だけでなく、社会において必要な素養も学生のうちに身につけさせていただく事が出来ました。

例えば、「ゴール設定をし、ゴール達成のために必要なマイルストーンを設け、逆線表を引いて、各担当に役割を与えてプロジェクトを進めていく事」など社会人として求められるスキルは、先生のご指導のおかげで、大学時代に多く身につける事が出来ました。また、「何か新しい事を成し遂げる際には、反対する人や非協力者が現れる事。それと同時に応援してくれる人も必ず存在し、仲間を増やす(スポンサーやサポーターのような存在)事で成功確度が上がる事」を実学を通して学ばさせていただいた事は何よりも大きかったと感じています。(新しい試みであるシンポジウムの開催にもそのような状況がありました)

私は、仕事を通して、新規ビジネスの立ち上げを得意領域としていますが、河田先生の下で学んだこの経験が今でも仕事の考え方の基礎となっています。

私の座右の銘の1つに「ネガティブは人生の貯金を失うだけ、だからポジティブにいけ」というものがあります。これは河田先生がよく仰っていた言葉です。社会で難しい局面に直面した際でも、ポジティブに取り組む事で難局を乗り越え、苦労しながらも物事を前に進める事が出来ています。

学問だけでなく、社会において求められる素養を実学を通して身につける事が出来た大学生活は、私にとってとても充実したものでした。

このような機会を与えてくださった河田先生やゼミの仲間には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。河田先生をはじめゼミを通じて、関わらせていただいた皆さま、本当にありがとうございました。

                                                                                    清水翔太

                       当時:統括プロデユーサー

                       

■河田ゼミを振り返って~

河田先生、このような機会を頂き当時の熱い想いを思い出すことができてとても幸せなひとときでした!

浅見くんのほっそりとした写真が出てきたり、期末報告会の資料を見直して涙したり…本当に素敵な仲間との出会いがあったこと、先生と出会えたことに感謝しかありません。

Kファイルも読ませて頂いています。当時の学びの時間を思い出しました。

2期生のみんなにもシェアさせて頂きました!また次週の更新を楽しみにしております。今の自分に満足することなく、また学びの場に飛び込んでみようかなと思っていたところだったのでなんだか背中を押して頂いた気がします。

大学を卒業して10年が経ちますが、河田ゼミで出会った仲間たちとの交流は今も続いています。そんな素敵な仲間たちと出会えたゼミ活動、振り返れば普通の学生ではなかなか味わうことのできない生の経験(対学生ではなく対企業の人や対学外の人と関われたこと)を数多く積めたことは実際社会に出てあの時の経験が役立っているな、と感じる瞬間が沢山あります。

シンポジウムの企画立案という今までの学業生活では経験したことのない課題へゼミ生それぞれが真剣に取り組み、自分の意見を持ち、ぶつかりあい、目の前の壁を1つずつクリアしていった経験は私自身に「自信」を与えてくれました。決して簡単ではない課題でしたが3年間かけみんなと力を合わせ、先生の力強い助言、後押しをもらいながら遂行していったことは私の人生においてかけがえのない経験となりました。

先生からは物事を多角的に見ることの大切さ、そして何事もポジティブに取り組めば道は開けるということを学ばさせて頂きました。時に厳しい指導もして頂きましたが愛情のある指導であったと振り返ってみて感じます。

現在の私は妻となり、二児の母となり、かつ企業人として働く日々です。働きながらの子育ては楽ではありませんが、日々楽しみながらアクティブに充実した毎日を過ごしています。これだけ欲張りに全てのことにどん欲に取り組めているのは、このゼミで培った「学ぶことの楽しさ、成長することの楽しさ」を実体験として体感することができたからだと思っています。人生100年の時代、河田先生のようにアクティブに、ポジティブに毎日を過ごしていきたいと思っています。私がこうした充実した毎日を送れているのは周りの人の支えがあるからこそだと心から思っています。先生、そして行動力溢れる素敵な先輩、同期、後輩に出会えたことは私の人生の財産です。出会えた全ての人に感謝します。

柏葉麻実 株式会社オカムラ

河田ゼミ二期生ゼミ長   

 

■Kファイル中大シリーズのまとめ

Kファイルの中大シリーズを終えるに当たりまして、読者の皆様からの温かい読後感並びにご意見を賜りましたことに感謝とお礼を申し上げます。

筆者は、2005年秋から中央大学に招かれスポーツ・アドミニストレイション(略:SAD)を日本の大学で最初に講義授業、実践ゼミをスタート致しました。日本のスポーツ界にSADを導入し明確な足跡を大学という教育機関に残せたことは、この上ない歴史的な第一歩であったと自負致しております。今後我が国のスポーツ界の改善と改革に必要不可欠な本専門分野、部門をご紹介でき、学生、ゼミ生達が学んで下さった事に大きな意義を感じております。文科省スポーツ庁に於きましては、既に本スポーツ・アドミニストレイションの重要性を初めて認識を新たにし、スポーツ・アドミニストレイターを各大学に置く必要性まで早速に告知されています。しかし、本専門分野、部門の指導者の筆者は、2005年に日本で初めて中央大学で根付かせる為の種を蒔いた次第で、まだ十数年の年月しか経っていないのも事実です。 

講義授業のスポーツ・アドミニストレイションは、ティーチング(専門知識付与)の場と位置付け、付帯するゼミは、コーチング(生きた教材を実践演習活動に活用しながら個人の得意な潜在能力を導き出し、決して不得意を批判しない)の場と位置付けてスタートしました。

スポーツ・アドミニストレイターの業務、使命には、プロとして与えられた期間に与えられた資産を如何に有効活用して、期待される成果と結果を導き出し、結論付けるか重要な任務が託されています。

中央大学に設置されているファカルテイー・リンケージ・プログラム(Faculty Linkage Program略:FLP)は、本学が幅広い学問領域を持つ利点を活かし、各学部に設置された授業科目を有機的にリンクさせることから、学部を超えた専門性の高い選択科目として学べることを趣旨・目的に2003年に設置され、開講されたプログラムです。

本プログラムには、①「環境」②「ジャーナリズム」③『国際協力』④「スポーツ・健康科学」⑤「地域・公共マネージメント」の5分野をテーマに、少数で2年時から3年間系統的な教育を行っています。各プログラムの目標を明確にし、個々の学生がキャリアデザインを描けるように担当教員がその指導を行う事を特徴としています。

このような特徴から、本プログラム担当教員には、学問としてのみならず学んだ知識を如何に論理的且つ実践的に応用でき、活用できるかが最大のプログラムの特徴だと確信します。その為にも担当教員には、学外社会、会社、企業、等に於ける実践キャリアが必要且つ、重要な指導ファクターとなりました。例えば②のジャーナリズムに於きましても、担当教員がマスメデイアでの実践キャリを豊富に持っていたので多くの専攻学生達が集り、成果と結果を学生達が実感できている事が大きな魅力の要因ではないかと考えます。

この様な事から、これからの大学に於ける専門科目は、学問の為の学問、研究の為の研究論文だけではなくそれらが如何に実社会、実践で役立ち社会に寄与、貢献できるかが今問われているのでないかと学生達に接しながら肌で感じた次第です。学生達は、ACTIVE LEARNINGを通しての迫力ある講義授業、専門ゼミを期待しています。

筆者は、中央大学に於いて多くの学生達、河田ゼミ生達と共に歩んで参り多くの現実と疑問に直面しました。しかし、ゼミ生達のあの輝いた眼差しと行動力は、その現実と疑問を吹き飛ばしてくれました。一人ひとりのゼミ生達からは、相手を「信頼」する事で、誠実な温かい血の通った「絆」を醸成、構築できることを教えられました。これは、私が中大河田ゼミ生達から学んだ「信頼と絆」の成果と結果でした。

全ゼミ生達には、心からの感謝と彼らをサポートして下さった多くのポジテイブな教職員、筆者の外部の友人、知人達に心より感謝申し上げます。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS)

紹介:G File「長嶋茂雄と黒衣の参謀」発行 文芸春秋社 著 武田頼政

   Kファイル、KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada

お知らせ:

K'sファイルの中大シリーズは、如何でしたでしょうか。読者の皆様は、どろどろした日本のスポーツ界のKファイルからフレッシュで誠実な学生達のキャンパスを覗かれて新鮮でしたでしょうか。鉄は熱いうちに打てとよく言われますが、まさにその通りです。そしてそれに応えてくれた全ゼミ生達は立派でした。

次回のKファイルは、時事のテーマに戻る予定に致しております。

 

KファイルNO.181:中大河田実践ゼミの真価と結果(後編)

KファイルNO.181:中大河田実践ゼミの真価と結果(後編)

無断転載禁止              毎月第二、第四木曜日掲載

 

スポーツ・アドミニストレイター

日本にスポーツ・アドミニストレイション論

日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者

(プロフィールは別途ご検索下さい)

 

読者からの便り

河田弘道先生

突然のお便りを平にお許しください。

先生のメールアドレスは、私の親友から頂き親友が先生の許可を頂きましたので使用させて頂きました。

私は、過去40数年間国立大学、私立大学で教鞭を取らせて頂きました。昨年退職を致しまして現在は、非常勤として残りの教員生活をさせて頂いています。

この度は、先生のKファイルの178、179、180の中央大学でのスポーツ・アドミニストレイションの講義授業並びにプロフェッショナルな河田ゼミを拝読させて頂いております。

先生は、日本にスポーツ・アドミニストレイション論とアドミニストレイターの必要性をご紹介して下さり、中央大学総合政策学部には日本で初めての本論の講座授業、ゼミを開講されました。今やスポーツ・アドミニストレイションの起源は中大との認識を致しております。先生の開講された実論は、日本の大学教育、スポーツ界に偉大な変革を与えて下さいました。これはまさに幕末の黒船来航と学会(私が所属する)では、捉えて先生が中大でご講義をされている時から注目の的となっていました。

我々学会に所属する各大学の教員方からは、河田先生にお願いして学会で講演を先ずして頂き、今後ご指導を受ける準備が必要であると執行部に提案をさせて頂きました。当時その提案は、上層部に寄り却下されました。その理由を今日思いますには、学会の上層部は河田先生のカリスマ性と求心力に怯えたのだと思います。此れは、恥ずかしい事ですが日本の大学教育を司る学問・指導研究分科会の学会の実態と実状であります。此処に於いても小さな利権、忖度が蔓延しております。

河田先生は、このような日本の大学教育機関に於いて一番欠けている弱点の論理と実践を融合したご指導を短期間で貫徹され、輝かしい実績を残されました事に対して首を垂れるしか表現の仕方はございません。

多分先生は、「それは違う」とおっしゃられるに違いありません。しかし、「我々非力な教員指導者では、先生の様な創造力、実行力、求心力及びカリスマ性を持っていない事をこの度のKファイルを拝読させて頂き明らかです」。

もう1つ先生の偉大な側面は、「先生は誰もが成し得ない理論と実践を兼ね備えられている上に、その長年の先生が得た「知的財産権」を惜しげもなく我々無知な業界、社会にSNSを通して、膨大なそれもオリジナルな知的財産をセアーして下さるその寛大なお心に、先生の奥の深さと真相を学ばせて頂いております」。

われわらの学会に無い最重要な因子は、この先生の御心であると勝手に思考させて頂いている次第です。

先生のこの御心を先生の了解、挨拶も無く、「スポーツ・アドミニストレイション、スポーツ・アドミニストレイター、アスレティック・デパートメント、等」の必要性を恥ずかしげもなく文科省庁、各大学が勝手に名称までを利用、活用している中身の無い実態にガバナンス云々を述べる資格は無いと私は思います。

我々の仲間では、先生は中大の後当時法政大学と同時に学部設置許可を文科省から受けていました明治大学(当時多摩テック跡)に行かれるのではとの噂が流れていました。しかし、明治大学スポーツ科学部開設がスタート1年前に中止となり残念でした。そのあたりを含めて機会がございましたらお聞かせください。

初めて河田先生にお便りをさせていただき、いきなり生意気な事ばかりを申しお気を悪くなされないで下さい。私は、近日中に先生にアポを取らせて頂き正面からご挨拶、ご指導を賜りたく、その節はどうかよろしくお願い申し上げます。 

読者より(大学教員)

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目次

KファイルNO.181:中大河田実践ゼミの真価と結果(後編)

信頼と絆(中大河田ゼミのモットー)

先ず初めに

■第3回中央大学スポーツシンポジュウム

テーマ:中大スポーツを盛り上げる~

1.企画班活動報告

2.集客班活動報告

3.シンポジュウム報告

■第3回中大スポーツシンポジウムの成果と結果

■まとめ

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2022年6月9日                  公開

KファイルNO.181:中大河田実践ゼミの真価と結果(後編)

無断転載禁止           毎月第二、第四木曜日掲載

中大スポーツシンポジュウム報告書表紙から~ 写真提供:河田ゼミ二期生

             信頼と絆

                                           中大河田ゼミのモットー

中央大学に於いてSAD講義授業に付帯した実践河田ゼミは、強い「信頼と絆」をモットーとしてスポーツ・アドミイストレイションを机上の理論のみならず、担当教員の長きにわたる実践キャリアを基に何かを会得する事を趣旨、目的と致しました。

個々のゼミ生達は、実践演習を通してその一端を肌で感じる事が先ず大事と位置付けました。この度は、「二期生」の実践成果と結果を基に本プロゼクトをご紹介します。

膨大な3年間のゼミ生達の汗と涙の結晶の素晴らしい資料、報告書をこの度は限られた紙面のためご紹介出来ないのが残念です。この度は、本プロゼクト企画の推進者であります総合プロデユーサー、ゼミ長を中心とした報告内容となります事をご理解して頂けましたら幸いです。読者の皆様もご一緒に河田ゼミ二期生になってプロゼクト企画を推進して下さい。

担当教員 河田弘道 

専門分野 スポーツ・アドミニストレイション論、スポーツ科学 

 

■先ず初めにFaculty Linkage Program(略:FLP)とは

FLPとは、本学が幅広い学問領域を持つ利点を活かし、各学部に設置された授業科目を有機的にリンクさせ、現代社会の最新テーマについて学ぶことを目的として2003年に設置されたプログラムです。①「環境」②「ジャーナリズム」③『国際協力』④「スポーツ・健康科学」⑤「地域・公共マネージメント」の5分野をテーマに、少数で2年時から3年間系統的な教育を行っています。各プログラムの目標を明確にし、個々の学生がキャリアデザインを描けるように担当教員がその指導を行います。

河田弘道ゼミ

私たち河田ゼミは上記のうち「スポーツ・健康科学プログラム」に所属しています。昨年、一昨年と過去2回、中央大学キャンパスにスポーツを楽しむ文化を根付かせるという目標の下、スポーツシンポジュウムを開催致しました。このような実践演習活動を通して、物事を分析しながら対処・解決していく事で、スポーツビジネス、オペレーションの一端をも学ぶことを目的として活動しています。

2009年度活動報告

2009年度の活動は、2007年、2008年と同様に中央大学キャンパスにスポーツを楽しむ文化を根付かせるという目標の下、第3回スポーツシンポジュウムの開催を決定する事から始まりました。

今年度は、昨年度の反省を活かし、観客人数を増やそうという目標を立て、その目標を達成する為に企画班と集客班の2班に分かれて活動しました。企画班は、今まで以上にシンポジュウムを「観に聞きに行きたい」、観ていて聞いていて「楽しい」と感じられる企画を心がけ、集客班は、1人でも多くの学生にシンポジュウムに足を運んでもらえるように、また今までアプローチが弱かった外部への告知に力を入れながら活動しました。

活動する中で様々な困難や苦労がありましたが、結果無事に第3回スポーツシンポジュウムを開催することができました。当日は予想以上の数のお客様に足を運んでいただき、また終演後のアンケートにもポジテイブな意見を多くいただくことができました。

このシンポジュウムに関する一連の活動を河田ゼミ二期生の2009年度の活動として本報告書を冊子として完成し、無事FLP事務局に提出することができましたことはゼミ生一同の喜びであり、誇りであります。

末尾になりましたが、第3回シンポジュウムの会場に早くから足を運んで下さり、終演まで見届けて下さいましたFLP生みの親の鈴木康司先生(中央大学元文学部長、元学長兼総長)には、心より感謝とお礼を申し添えさせて頂きます。

                        河田ゼミ二期生一同 

担当教員からの補足

FLPスポーツ・健康科学プログラムは、8つのゼミから成り立っています。各担当教員は、各学部に所属された合計8名の教授により毎年本プログラム定員45名を分担します。本スポーツ・プログラムは、全学部の垣根を超えた専門性の高いゼミ演習です。各学部2年生から選考基準(本プログラムの担当選考委員による面接)をクリアーした学生が履修できます。毎年多くの学生達が河田ゼミを希望してくれましたが、全員を受け入れられたわけではなかった事が中大に於いての唯一の心残りでした。

★スポーツ・健康科学プログラムは、選択科目であり1年時の11月に次年度履修希望学生達の申し込みがあり、面接委員(7名の教授が分担して行うのが決まりのようでした)により選考がなされていました。

河田ゼミを希望する学生達は、面接時に面接担当教員自身のゼミの履修を進められるそうです。しかし、学生達は、河田ゼミを希望しているのでお断りをしなければならなかったとの報告を受けていました。この面接手法は、学生達に対してもアンフェアーの手法を一部教員達が画策していた事は如何なものかと心を痛めました。この問題は、後に小職自ら本ゼミを統括管理致しておりますFLP
委員長(兼総合政策学部長)並びに大学教務担当責任者、法人担当責任者に文章にて調査及び解答を依頼いたしました。その結果、関係者の事情聴取が成されて一部スポーツ・健康科学プログラム担当教授達が事実行っていた事が判明、報告を受けましたので、河田ゼミ生達には事実の報告を致した次第です。これらの出来事もゼミ生達とっては、スポーツ・アドミニストレイションの生きた教材でした。

そして、河田ゼミに入れなかった学生達の殆どは、他のゼミを履修せず去って行ったことを聞くに付け胸が痛んだ次第です。

2007年度の河田ゼミ二期生の総勢は、15名と限定させて頂きスタート致しました。毎年河田ゼミへの登録希望者は、約40数名にのぼり担当教員としては全員を受け入れる事はゼミと言う趣旨、目的からしても困難でした。

また他の担当教員のゼミとのバランスにも気配りが必要でしたので、教務課には不本意でしたが15名迄とさせて頂いた次第です。

暑い夏の山梨合宿から(部活等により欠席した仲間達の分も頑張りました)                  

写真提供:河田ゼミ二期生

 

第3回中央大学スポーツシンポジュウム

テーマ:中大スポーツを盛り上げる~

スポーツを楽しむ文化をキャンパスに根付かせるための実践活動こそが「中大スポーツシンポジウム」であり、そこには重要なMissionがあります。我々河田ゼミは、中大スポーツの発展の為、学内スポーツの改革活動に3年間、情熱とエネルギーを注いできました。新しいスポーツ文化を中大に根付かせることを目的とするスポーツシンポジウムでした

中大スポーツシンポジウムは、大学キャンパスにおけるスポーツの楽しさ、素晴らしさを青春期の皆さんに知ってもらう文化的な活動です。また、日本には、全く理解と認識をされていないスポーツの大きな概念の一つである「観るスポーツ」に関するコンセプトである、観て楽しむ中にも社会性、協調性及びマナーの醸成を如何にこれから根付かせて行くかが重要なファクターであるか、も考えて行きました

ゼミ生の本活動に対する成果の一つは、中大スポーツシンポジウムの「集客」目標を先ず達成する事でした

          綜合プロデューサー:清水 翔太 (統括責任者)

1.企画班活動報告

・年間スケジュール作成 工程表

・企画立案:日程決定、会場決定、テーマ決定、企画書の作成、パワーポイン ト版企

                     画書作成(柏葉、高井、嶺岸、浅見、竹村、他)

・出演者交渉:担当責任者―(輿、浅見、竹村、柏葉、塚本)出演者リストアップ、

                    出 演者絞り込み、出演交渉、出演者交渉不成立の場合絞り込みに戻る、

                    出演者打ち合わせ、

・企画詳細作成:Introduction、デイスカッション、パフォーマンス、Q&A、

                   ステイジ設営、パンフレット作成、

・運営(会場、スタッフ):担務例として、

                 会場設営計画―機材、音響担当(中嶋、押川、東通産業)、ステイジ(押

                 川、竹村、坂本、浅見、輿、須田)、客席、通路、舞台裏(坂本塚本)、

                受付(清水、柏葉、佐々木、竹村)、スタッフ配置、ボランテイアスタッフ

                要請、管理(坂本、清水、川杉、三期生)、 当日スケジュール作成(嶺

                岸、塚本)、リハーサル(坂本、佐々木、三期生)式典リハーサル(竹村、

                栗山)、物品準備、第3回スタッフ当日業務リスト及び各担務責任者名、

                会場内貼紙作成リスト、パネリスト出迎え、リハーサル(輿、浅見)、開閉

                場担当、音響担当、影アナ担当(竹村)、照明操作担当〔坂本〕、PC(嶺岸、

                輿)、等、他

・開催後の活動:お礼状の送付(企画班担務)、関係者への終了報告(集客班担務)、

               アンケート集計

・報道対応:責任者―佐々木 友希

★出演者交渉成立

有馬隼人関西学院大学卒、アメリカンフットボール部、アサヒ飲料チャレン

                     ジャーズ所属、元TBSアナ

五十嵐圭選手中央大学卒、バスケットボール部トヨタ自動車アルバルク所属

 

2.集客班活動報告

・年間スケジュール:工程表完成

・集客立案:第1・2回の反省・分析、集客目標人数決定(500名)、タイ

    ムスケジュール作成、集客案を見直す、タイムスケジュールはこまめに確認

               し、修正する

・学内関係:①体育連盟常任委員会、常任委員長への挨拶に行く、マネージャー会議に

                         参加、リーダーズキャンプに参加、各部会ポスター回収、

      ②提案:選手名鑑作成、DVD作成、観戦ツアーのプロモ、ホームページ作

                                     成、ポスター新デザイン、等

      ③学員時報、 学員会へご挨拶、7月号記事執筆、打ち合わせ、

                  7月号記事掲載、9月号記事執筆、9月号記事掲載、

      ④草野みどり、打ち合わせ、原稿作成、シンポジュウムチラシ持ち込み、

                                   記事掲載、配布

      ⑤試合観戦 前期試合日程を調べる、前期試合観戦、後期の試合日程を調

                                  べる、後期試合観戦

      ⑥リーダーズキャンプ アンケート作成、過去のシンポジュウムをまとめ

                                  た資料を作成、GLCに参加、アンケートを集計

      ⑦授業内告知 各授業訪問担当者を決める、告知方法を検討、各授業の先

                                 生に挨拶、許可を得る、パワポ映像・原稿作成、授業ない告知、

      ⑧学内広報 S-COOP、中大スポーツ新聞、学内スクリーン告知

      ⑨来賓 来賓者リスト作成、案内状作成、案内状送付

・学外関係:依頼書作成

      ①外部学校広報 近隣高校リストの取得、近隣高校への協力依頼、ポスタ

                          ー、チラシの送付

      ②外部広報 外部店舗へのポスター配布、地域スポーツ施設、地域スポー

                          ツクラブ、MIXI

      ③プレスリリース 第一弾記事作成、打ち合わせ、第一弾配信、第2弾記

                           事作成、第2弾配信、メデイアへの記事掲載

      ④ホームページ HP内容を検討、HPを立ち上げる、各部会のリンク貼り

                            付け、ブログ更新担当者を決める、トップメッセージなどを随時更

                            新、携帯HP作成、

      ⑤チラシ 配布先検討、入学企画課と打ち合わせ、チラシ作成、チラシ配

                            布

      ⑥ポスター 作成依頼業者選定、原案作成、入稿、完成、掲示、回収

      ⑦卓上広告(POP) デザイン考案、材料購入、作成、設置、回収

      ⑧会場装飾 立て看板、場内装飾、場外装飾、呼び込み看板作成

・情報宣伝ツール:担当責任者 佐々木 友希

 

3.シンポジュウム報告

①Introduction原稿

②中村選手(川崎フロンターレ、サッカー選手、中大OB)五十嵐選手(トヨタ自動

                     車、バスケットボール選手中大OB)

③Introduction映像

④デイスカッション概要

⑤Q&A概要

⑥影アナウンス原稿

⑦観客配布パンフレット

⑧アンケート用紙・集計結果

⑨シンポジュウム当日写真

⑩開催後メデイア掲載記事

マスメデイア(朝日新聞社、朝刊掲載)

中央大・河田弘道ゼミ スポーツ企画・広報活動

スポーツをテーマにした学内イベントなどの企画運営を通して、ビジネスや広報活動を学んでいる。

11月に学内で開いたシンポジュウムで、会場の音響などを事前チェックするゼミ生達

(担当:中島、押川)                       河田ゼミ提供

今進めている企画は三つ。大学スポーツの魅力をアピールするシンポジュウムの開催と、運動部選手の写真や試合日程を掲載したカレンダーの制作、そして校内マラソン大会だ。学生にとって、大学スポーツという同世代の友人が打ち込む身近な話題に焦点をあてた。

 ゼミ生は、企画書作りからスポンサー探しまで、すべてを担う。経済学部3年の津原祐貴さんは「社会人に提案する経験なんてめったにない。勉強になる」。協賛を求めても相手にされないことは珍しくない。

指導する河田弘道客員教授は、プロ野球巨人の元編成本部付アドバイザー兼監督補佐という異色の経歴の持ち主だ。「日本のスポーツ界の現実を見てこい」と学生を励まし、見守る。「『スポンサーとってきました!』って帰ってくると、なんともうれしいですね」             原田朱美氏 朝日新聞社担当記者

◇ カレンダーは、4月に約7千部を発行予定。大学のOB団体などが資金援助する。学内での販売活動はできないため、大学生協が制作費を預かって印刷し、ゼミ生が、学生や父母らに無料配布するという。 ~河田ゼミ2期生作成~

2010年1月21日 朝日新聞朝刊より、

 

第3回中大スポーツシンポジウムの成果と結果

本シンポジュームは、多くの関係各位の温かい協力、支援、指導の下無事成功裏に終了する事が出来ました。学内外のメデイアを通して高い評価をして頂きまして、ゼミ生一同3年間の血と汗の結晶の証しとして集客750名(目標500名)を遥かに超える集客に成功しました。会場の9号館クレセントホール(集客数1000席)は、最後まで熱気に包まれ河田ゼミ生を応援して下さいました

2007年:第一回、350名の集客に成功。中大初のゼミ生による企画、制作、運

                      営、管理。

2008年:第二回、270名の集客に反省。

2009年:第三回、FAN!FAN! SPORTS

                         大学スポーツってこんなに面白い!750

                         名(集客目標500名を上回 った)3年間

                         の活動目標を達成した。

■2009年12月:活動報告書完成 提出

2010年:春卒    河田ゼミ二期生

終演後、パネリスト、司会者、ゼミ後輩達と共に中大9号館クレセントホールにて~    

写真提供:河田ゼミ二期生

■まとめ 信頼と絆

中央大学のスポーツを盛り上げたい」その思いで集まった私たち河田ゼミ。

中央大学内で前代未聞のスポーツイベントを開催するという目標を掲げ、中央大学のスポーツを多くの人に知ってもらい、もっと多くの人に試合会場に足を運んでもらうために、スポーツシンポジュウムの開催に挑戦しました。

第1回は初めての事ばかりで、壁にぶつかっては話し合いを重ね、打開策を考え、とにかく開催する事に必死でした。何とか無事に開催する事ができ、達成感を得ることができました。

第2回は、第1回の反省を活かし、シンポジュウムそのものの『質』を高めるよう努力しました。開催が出来ても、観客の方々にいかに私たちの気持ちを届けることができるかが課題でした。その結果第2回は内容の質向上は達成しましたが、集客の面で悔しさが残る結果となりました。

第3回は私たちの集大成となる活動でした。内容をさらに工夫して、観客の方々に楽しんでもらえるシンポジュウムにしようと決意を固め、日々の活動を行いました。その成果が表れたのか、観客の方々の反応も良く、3回目にしてようやく納得のいく内容となりました。また集客面においても今まで以上に工夫を重ね、幅広くアプローチを行なった結果、今年は過去最多の748名のお客様にお越しいただくことができました。これだけ多くの方々に私たちの活動を知ってもらい、中央大学スポーツのことを知ってもらえたことは、とても良い機会となりました。

この3回のシンポジュウム開催は河田ゼミだけの力ではなく、多くの方々の助けがあったからこそ成し遂げることができました。これまでに沢山の方々が、私たちが困っていたら手を差し伸べて助言を下さり、またある時は率先して活動に協力して下さいました。このような絆が私たちの活動を支えてくれたことは言うまでもありません。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。後輩達(河田ゼミ三期生、栗山ゼミ長以下21名、聴講生4名含む)が快く後方支援を引き受けて下さった事に対して、この場をお借りしてお礼と感謝申し上げます。

まだまだ志半ばですが、私たちは今年で卒業してしまうためこの活動を引き続き行う事ができません。しかし、この活動を継続してこそ、これからの中央大学スポーツに影響を与えることができると思っています。今後も「中央大学のスポーツを盛り上げたい」という想いを持った人々によって活動が続けられ、いつか多くの学生で中央大学の試合の観客席が埋まる事を願っています。

                         中央大学河田ゼミ二期生一同 ゼミ長:柏葉麻実

 

後輩ゼミ生達の追い出しパーテイーにて  写真提供:河田ゼミ2期生

(写真撮影は高井さんの為、写真に入っていません。ごめんなさい)

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS)

紹介:Gファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文芸春秋社 著 武田頼政

   Kファイル、kファイルNews

お知らせ:KファイルNO.181の河田ゼミ二期生の活動は、如何でしたでしょうか。資料、報告内容が膨大な為見落としがあるかと思いますが、お許し下さい。

尚、次週は、本プロジェクトの総合プロデューサーを務め責任を果してくれました、清水翔太さんの総括レポートをお送りします。ご期待下さい。

 

KファイルNO.180:中大河田実践ゼミの真価と結果(中編)

 

KファイルNO.180:中大河田実践ゼミの真価と結果(中編)

無断転載禁止             毎月第二、第四木曜日掲載予定

 

スポーツ・アドミニストレイター

日本にスポーツ・アドミニストレイション論

日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者

(プロフィールは別途ご検索下さい)

 

読者からの便り

河田様

スポーツをするには絶好の季節となりました。河田ブログへの注目度もさらにアップし、世の中が求めているものが何か、浮き彫りになってきているように思います。既存メディアからの脱却は、半日遅れの新聞の時代ではないことを如実に物語っております。情報の入手経路が変化し、読者の目が肥えた事は否めません。それに対応していかないといけないことはどこの活字メディアも認識はしているのでしょうが、既存システムの中でそれを処理しようとする点に、特に新聞・通信社は無理があるような気がします。読者離れが進む新聞業界は、経営者の若返りを図るなど、思い切った改革が必要ではないでしょうか。

読者より(大手マスメディア記者)

 

河田様

おはようございます。各種媒体のアクセス数が伸びているとのこと、おめでとうございます。要因はいろいろな捉え方があると思いますが、私は極めてシンプルに読み手にとても新鮮なんだと思います。オールドメディアは、やはりスポンサーの存在を抜きには語れない訳で、様々な配慮(時には、それが忖度となる)が求められることは否定できないでしょう。

一方で、河田さんの論評には、ほぼ遠慮がないので、これまで一般人の目に触れていた上辺を一枚めくった、その下にある深層部分を見せてくれる「新鮮味」を感じるのではないでしょうか。加えて、情報をメディアに頼っていた時代から、インターネットの出現で自らが情報の獲得者になれる、この時代の変化も大きいように思います。

もちろん、ネット上に溢れる情報には真偽入り混じっているため、目利きである必要はあるでしょうが、嘘くさい情報を忌避する傾向は、格段に高まっていると感じます。(ほんとのところ、どうなのよ?という疑問に対して、既存メディアが連発する「報道しない自由」の存在が、ネット民を中心に白日になってきたことも大きいですね。)また、河田さんのお持ちのネタはたとえ古くても、瞬間解凍でその当時の鮮度が保たれているところが、読者の気持ちを引き付ける、もう一つの大きな要因になっているように思います。読者より(会社役員)

 

筆者からのお礼

 この度は、Kファイルに対するご見識の高いお便りを頂き深く感謝申し上げます。

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目次:

KファイルNO.180:中大河田実践ゼミの真価と結果(中編)

河田ゼミブログへの投稿より~ 大願成就

テーマ:一年をふりかえって

■教員からの労いの返信

★10年後の河田ゼミ3期生からの便り

河田ゼミを振り返り

■元担当教員からの感謝の気持ち

 

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2022年5月26日 木曜日                公開

KファイルNO.180:中大河田実践ゼミの真価と結果(中編)

無断転載禁止          毎月第二、第四木曜日 公開予定

 

信頼と絆

中大河田ゼミのモットー

 

夕闇迫る中大キャンパスのステージで、大観衆からの声援が飛び交う中、ご協力、ご支援へのお礼と感謝の気持ちを歓喜極まる感情を込めて挨拶する栗山ゼミ長。「栗山よくやった!中大に絶対に必要なゼミ活動だ!」と歓喜の声援に支えられた栗山ゼミ長。

提供:河田ゼミ広報担当コメント、撮影

 

晦日仕事を終え電車に揺られ実家に向かうゼミ長

2010年12月31日(金)  21時53分54秒

河田ゼミブログへの投稿より~

テーマ:一年をふりかえって

晦日、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今僕はアルバイトが先ほど終わり、故郷茨城に向かう電車に揺られています。

この一年間僕たち河田ゼミにとって、大きな飛躍の年であったことは間違いありません。新しいスポーツカレンダーの作成、学生への無料配布。中大スポーツの素晴らしさをアピールすることが出来たと思います。なんといっても今年は河田ゼミ五カ年計画の総決算、中大リレーマラソンが行われました。

数々の困難、試練を乗り越え、多くの方に支えられ。河田ゼミ生は大きく成長出来たと自負しております。三年前、まさかこのような結末になろうとは、誰もが信じていなかったと思われます。目標設定が曖昧で、なおかつバラバラな僕ら河田ゼミでしたし、ゼミ長である僕のキャパシティの少なさが加わり、本当にこんな企画出来んのか?くらいでしたから。僕も色々と苦労、苦悩したんです。

先ずは、皆が同じ目標を持ってこのマラソン企画の成功を願ってもらうことに必至でした。正直一人一人が僕なんか比べ物にならないくらい飛び抜けた才能、能力を持っていましたから、一度同じ目標を持てば、この企画は必ず成功すると信じていました。三年前とは比べ物にならないくらいみんなが成長しました。

それぞれが個性を発揮してくれました。素晴らしい三年間でしたし、特にこの一年間はある意味、激動の年でしたし、大きな感動、躍動の年でした。

僕ら河田ゼミ生が大きく成長出来る機会と、巡り合わせを創っていただいた全ての方に感謝しながら、この一年を締めくくりたいと思います。皆様のあたたかい声援、厳しいご意見もすべてが、僕らの経験であり、今後の人生を歩んで行く糧になることと思います。感謝致します。ありがとうございました。

来年もまた、皆様にとって素晴らしい年であるようゼミ生一同祈念いたしております。年が明けるともう慣れ親しんだ大学、キャンパスに別れを告げる卒業式、そして兄弟姉妹のような絆での助け合い、学び励んだ仲間達も皆それぞれ社会へ飛び立って行きます。これは、私達に取りましても大きな人生のターニングポイントです。この胸に秘めたスポーツ・アドミニストレイションの理論と実践経験を初心としてこれから漕ぎ出す社会、人生への荒海に初心を忘れず、ぶれずに邁進して行きます。

河田ゼミ一同

栗山ゼミ長兼統括プロデユーサー

 

■教員からの労いの返信

栗ちゃん、そしてゼミ生の皆さんお疲れ様

栗山政誠統括プロデユーサー兼河田ゼミ三期ゼミ長は、中大生として河田ゼミのリーダーとして、連日アルバイトをしながら1日たりとも学業を疎かにせず、

サッカー同好会活動に参加、河田ゼミの始まる午後6時にはガソリンスタンドの油の匂いのする作業着、作業靴でゼミに出て来る姿は筆者の大学時代の姿を思い出させてくれました。他のバイトをしながらのゼミ生の皆さんも同様です。

その姿を見るにつけ、私は、「栗ちゃん挫けず頑張れ!最後まで諦めずやり切るのだ。苦しい日々は先生が一番の体験者であり、理解者だ。皆の努力は、きっと近い将来酬いられる時が来るので身体に気を付けて、自身がやりたい事を遣ればよい。ターゲットは自分の手で掴み取れ」といつもゼミ生達の目を見ながら心の中で励ましたこの3年間が昨日の様です。コーチングには、忍耐力も必要である事をゼミ生達から教えられました

12月31日、アルバイトも終え電車に揺られながら茨城の実家に正月を迎えに帰省するこの時には、既に彼は第一志望であった「伊藤忠エネクス株式会社」に就職を決めていた時なので、深夜の電車の音がとても心地よく、河田ゼミでの大役も果して、彼の中大での4年間がきっと走馬燈のように脳裏によみがえりながら感謝の気持ちをブログに綴ったのだろうと私は、彼の心中を察します。

サッカー少年だった彼の中央大学での最終ゴールが、年明けと共にやってくる。そして輝かしい彼が求める社会がもうすぐそこに来ている。彼は、河田ゼミで三期生を取りまとめて目標に向かい、成果と結果を出す為のリスクマネージメントの「術」を初歩ではありますが実践で会得してくれたらと願った次第です。2010年12月31日、除夜の鐘を耳にしながら。      感謝 

担当教員 河田弘道 

FLPスポーツ・健康科学プログラム

河田ゼミ 所属学部 総合政策学部

 

★★★10年後の河田ゼミ3期生からの便り

河田先生 2019年5月28日

ご無沙汰しております。Kファイル拝読させて頂いております。一生の仲間と出会い、一つの目的地に向かい、辿り着いた瞬間の達成感と喜びと、支えてくれた方々への感謝の気持ちがフラッシュバックし、懐かしく思いました。

 河田先生、仲間たちと過ごした時間、経験(悔しい思いも含めて)が、今でも僕の心の支えと拠り所になっています。

河田ゼミに運良く入ることが出来、学部の枠を超えホンマもんのSAD(スポーツ・アドミニストレイション)を学べた事が、社会に出てから相当なアドバンテージになっています。改めて、感謝申し上げます。これから、河田ゼミに関する連載があるとのこと。拝読させて頂き、当時を想い、原点回帰し今の自分の成すべき事に励みます。                    感謝

                             栗山政誠

2019年6月19日、21時01分

★河田ゼミを振り返り

爽やかな秋晴れの2010年11月6日、中央大学創立125周年記念企画である「中大リレーマラソン」は、107チーム852名のマラソンランナーと観衆、大会運営スタッフ、総勢約1,000人を遥かに超えた人達が多摩キャンパス構内に集い、開催されました。大きな事故も無く、大成功に終わったこのイベントに関わって頂いた全ての方々に、この場をお借りして改めて感謝申し上げます。

本イベントは、ALL CHUO MINDの醸成をテーマ中央大学の学生及び、体育会に所属する選手、その父母、職員、卒業生や、地域住民など、中央大学に関わりのある全ての方が、それぞれの垣根を超えて交流する事で一体感を感じ、中央大学のより良い未来の為に結束する為の一助となればと言う思いの下、私たち河田ゼミ3期生が、企画立案・実行しました。

河田ゼミ3期生の総勢17名(他聴講生4名)はそれぞれの学部の枠を超えて専門的な知識と問題解決能力を高めるファカルティリンケージ・プログラム(FLP)に応募し、その中でもスポーツ・アドミニストレイション分野において、実学に基づいた実践的な講義と指導を受けられる河田弘道先生のゼミに学びと自身の成長を求め、集まりました。

 

大学2年次から卒業までの3年間に渡る河田ゼミでの活動で得られた経験とスキルは、その後、社会人になった私たち河田ゼミ3期生に計り知れないアドバンテイジをもたらしました。何故なら、河田ゼミの活動は、正に会社・企業組織内で起こる企業活動そのものだったからです

中大リレーマラソンを成功させるというゴール設定を行い、そこにALL CHUO MINDの醸成という社会的な貢献性を持たせ、組織編成(ゼミ生17名の適正を考慮しながら、運営・渉外・広報・制作・救護班に編成)を行い、実行に必要なタスクを整理した上で、各々の組織内でPDCAを回し、不具合やトラブルがあれば、横断的に知恵を集め解決をしていきながら最終ゴール地点を目指す。正にこれは、企業活動そのものであり、当時行っていた河田ゼミでの実践活動は、実際の企業活動と比較してもなんら遜色ないレベルに達していたように思います。 

 

★中でも、大きな財産となったのは、イベント運営の為の予算取りにおいて大学側や一般企業に対して実践したプレゼンテーションとステイクホルダーとの合意形成にしばしば使われたコミュニケーションを高いレベルで頻繁に行う事で、ビジネスに必要な基礎的なスキルを飛躍的に向上させる事が出来たことだと思います。

イベント運営に必要な資金を自らの力で勝ち取っていく事は、企業内における予算確保の為の交渉スキル或いは、自社製品やサービス等を売り込む際に必要なセイルススキルに直結する経験であったと思います。

 現に、河田ゼミ3期生が、卒業後に入社した会社では、トップセイルスに輝いたり、入社して間もないにも関わらず極めて重要な案件を担当するチームにアサインされたり、若くしてベンチャー企業の役員になったゼミ生もいます

加えて、自ら深く考え実践していくという習慣付けが行われたこともその後に良い影響を及ぼしました。従来の日本型の詰め込み形式・記憶力重視の学習スタイルでは、教えられたことは出来ても、ひとたび想定外の事が発生し、思い通りに行かない状況に陥った時の対処方法を見つける事が困難となります

河田ゼミでの河田先生の立ち位置は、企業組織内でいうと「顧問」にあたります。河田先生は、答えを知っていても、私たちには、敢えて教えずに、課題解決の為に必要なエッセンス(経験・人脈・知識・機会)を提供してくれます。あくまで、自分の頭で深く考え、答えを見つけるのは、ゼミ生であるという指導スタイルを貫いて頂けたからこそ、自分の力で深く考え実践するという習慣が身に付いたのだと感じます。先生は、常に河田ゼミは個々のゼミ生の得意な分野、部門、スキルを伸ばし、導く為のコーチングのゼミだ。と申されていました。

企業活動では、学校のテストの様に、正解はありません。正解が無い故にそれぞれの場面で最適な解答を見つける事が重要と考えますが、その為に必要なファーストステップは、自分の頭で深く考え実践するスキルだと私は思います。

これらのビジネスに直結するスキルを学び、向上させる事が出来た事は、大きなアドバンテージとなりましたが、それ以上に私たちゼミ生にとって、莫大な財産となった事がありますそれは、「自信」です

イベントを成功させる為に行った数々のチャレンジは、多くの失敗や挫折を生みました。イベント開催に必要なスポンサーや参加者を集める事に苦慮したり、学生の身分では、大学の内規に邪魔され活動の幅を拡げる事が出来なかったりと、事あるごとに、課題が生まれ、解決しては、新たな課題が発生する。それらをポジテイブに対処しクリアする事で得られた成功体験の積み重ねと、イベントを大成功させる事が出来た事で得た自分自身に対する大きな「自信」が何よりの財産となりました

何か判断に迷ったり、自分を見失いそうなときに「初心にかえる」という表現をよく聞きます。私たちゼミ生にとっての初心とは、河田ゼミで過ごした3年間の記憶と経験です立ち返る場所があるという事は、とても幸せなことの様に感じます。来年の2020年で、私たちゼミ生が開催した中大リレーマラソンは、10周年を迎えます。河田先生から、当時の記憶と経験を整理し、アウトプットするこの様な機会を頂けたことに感謝すると共に、忘れかけていた当時の熱意をもう一度引っ張り出し、10年前の私たちに負けない功績を、各々の分野で成し遂げられるように、日々努力して行きたいと思います。

河田ゼミ3期生一同

ゼミ長:栗山 政誠 

    伊藤忠エネクス株式会社

副長 :今田 紗梨 

    株式会社日本HP

 

KファイルNO.180:中大河田実践ゼミの真価と結果(中編)

■元担当教員からの感謝の気持ち

三期生のプロゼクトは、一期生、二期生に比べて多くのゼミ生、聴講生を受け持った関係から、個々のゼミ生に1つでも多くの生きた教材による実践経験を会得してもらおうとの思いで大きな「課題」に挑んだ次第でした。

社会の荒波にもまれて早や10年が経とうとしています。素晴らしい社会経験を構築しながらこのように独り立ちされた姿は、担当教員として教員冥利に尽き彼ら彼女らの幸せと健康を唯ひたすら願う次第です。

私は、河田ゼミ生が幾つになろうとも、どんなに立派になろうとも、河田ゼミ生に変わりはないと思います。どうか何事にも正面から相対し、自身が信ずる信念をひたすらぶれる事無く邁進して下さい。悔い無き人生を歩んで下さい

躓いた時には、初心に返り準備を整えてから困難に立ち向かって行く強い意識を持って志を高く、また前を向いて中大河田ゼミの仲間の笑顔を思い出し前進していって下さい。全ゼミ生達の健康と健闘を祈りながら個々のゼミ生の幸せを心より願っています

                                深謝                       元担当教員  河田弘道

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS)

ご紹介:G file「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文藝春秋社 著 武田頼政

    Kファイル、kファイルNews Comment by Hiromichi Kawada

お知らせ:

KファイルNO.180は、如何でしたでしょうか。10年後の第三期生のゼミ長、副長からの懐かしい便りを頂き読者の皆様にも何か変化を感じて頂けましたでしょうか。ポーツマスメデイア特に野球界では、この様な関係を真の師弟関係と表現したがるようですが、私はこの表現は好きでありません。人はみな平等であり、上下関係の表現は必要ない、只礼節とリスペクトの精神は人としての貴重な財産であると思います

KファイルNO.179:大学に於ける河田ゼミの実践演習活動報告書(前編)

KファイルNO.179:大学に於ける河田ゼミの実践演習活動報告書(前編)

無断転載禁止              毎月第二、第四木曜日掲載

 

スポーツ・アドミニストレイター

日本にスポーツ・アドミニストレイション論

日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者

(プロフィールは別途ご検索下さい)

 

読者からの便り紹介

河田先生

お久しぶりです。

河田先生がこうやって河田ゼミのことを記事にして下さる度に本当に貴重な経験をさせて頂いたな、と過ごした日々を思い出します。

5年間と限られた時間の中で先生の指導を受けられたこと、本当に私はラッキーな人間であったと心の底から思います。先生の指導を受けたい学生が沢山いる中で河田ゼミ生として過ごした3年間はこれからも私の人生を支えてくれる経験であったと確信しております。コロナが落ち着いたらまたみんなで集まりたいな、と先生の記事を拝読させて頂き感じた次第です。いつも素敵な記事をありがとうございます。追伸最近の我が家の子供たちを添えておきます。読者より

河田先生

 こんにちは。

 いつも情報提供いただき感謝しております。河田ゼミについては、以前も本ファイルでご紹介いただき、心が洗われた思いがしました。本ファイルのアクセス数が増大している中、多くの反響を期待しています。河田ゼミ生の皆さんが、今後とも社会の第一線でぶれることなく活躍されることを切に願っております。

また、ロッテの佐々木投手には、故障せず末永くプロの世界で活躍して、子供たちに夢と希望を与えてほしいと思います。野球に携わっている私ですので、野球人口の減少に歯止めをかけるためにも彼の活躍は必要だと思います。 

読者より(自治体 スポーツ財団事務局長)

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目次

大学に於ける河田ゼミの実践演習活動

Ⅰ.中大リレーマラソン・プロジェクト(前編)

はじめに

担当教員から

中央大学創立125周年記念企画 中大リレーマラソン(三期生:3年目の最終報告書より)

課題:「中大リレーマラソン

テーマ:ALL CHUO MIND の醸成

Ⅰ.運営班

Ⅱ.広報・制作班

Ⅲ.救護班

 

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KファイルNO.179:大学に於ける河田ゼミの実践演習活動報告書(前編)

無断転載禁止              毎月第一、第四木曜日掲載予定

 

中大リレーマラソン・ポスター(第一弾キャッチコピーより) 提供:河田ゼミ三期生

                信頼と絆

              中大河田ゼミのモットー

読者からの便り~

これまではゼミの活動経過の事実関係がメインでしたが、この清水さんの報告を読んで、鈍い私は河田ゼミの根幹にようやく触れたような気がします。特に人としての弱い面、「飽き」や「指示待ち」などに気付き、ポジティブ、ネガティブ、心の揺れも余すところなく把握しながら目的をしっかり遂げていくプロセスには感動しました。もうこの年になり、自分は「報連相」が足りなかったなあと恥ずかしくなりました。これは人生の一つの教科書ですね。何度も繰り返し読ませていただきます。Kファイルは、社会での実践編でもあり、ますます楽しみです。読者より

筆者からのお礼と感謝:

貴重な読後感を頂き感謝申し上げます。ご指摘して下さった方は、元省庁のトップ官僚経験者です。この様な方もKファイルを読んで下さっています。鋭い洞察力は、筆者の励みと糧にさせて頂きます。このような方が今日文科省スポーツ庁に在職されて居ましたら日本の教育界、スポーツ界の改善、改革は変革されていたのかも知れません。

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大学に於ける河田ゼミの実践演習活動報告書

Ⅰ.中大リレーマラソン・プロジェクト(前編)

はじめに

私たち河田ゼミ三期生は「スポーツを通じて中央大学を1つにすること」をテーマに中大リレーマラソンの開催と中大スポーツ・カレンダーの作製・無料配布を目標にこの3年間活動してきました。

中大リレーマラソン開催に向けて、様々なマラソン大会に主要ボランテイアとして参加し経験を積み、東京夢舞いマラソン実行委員会の方にも協力して頂き大会運営ノウハウを享受することができました。

カレンダー制作では、河田ゼミの先輩方が残したものを更に迫力のあるものにすることを目指し作成に尽力しました。今回のカレンダーでは、中央大学の47部会全てを記載する事に決め、中央大学スポーツの魅力を多くの方に伝えられるようにしました。

本報告書は、私たち河田ゼミの先輩方から続く「河田ゼミ五カ年計画」の最後の報告書になります。中大リレーマラソンはどのような過程を経て成功に至ったのか、中大スポーツカレンダーの作製方法及び学生への無料配布の2つの大きなプロジェクトの成功の軌跡をありのまま綴りたいと思います。

FLPスポーツ・健康科学プログラム 

河田ゼミ三期生一同  

ゼミ長:栗山政誠 副長:今田沙梨

担当教員から

河田ゼミ三期生は、FLPのゼミ生選考基準に従い選ばれた学生達により構成されました。当時45名の河田ゼミへの希望者の中から7名の選考委員により選考され、最終的にFLP事務局より担当教員にリストを頂いたのは25名でした。本年度もまた受け入れ許容範囲の15名MAXを超えていた事に驚きました。担当教員は、再三に渡る事務局側との話し合いにも関わらず、最終的には20名のゼミ生を受け入れざるを得なかった次第です。また、河田ゼミは、第三期生を持って募集を終了しますが、大学側の告知・通知の不手際により、既に高校時代に大学ガイドブックを通して中大河田ゼミに入る事を夢見ていた新入生が居る事の報告を教務課から受けました。担当教員は、他のゼミへの配慮と了解の下、新入生を河田ゼミ聴講生として1年に限り受講を許可した次第です。FLP河田ゼミに登録した学生は、20名中3名が途中脱落、4名の聴講生を合わせて21名が河田ゼミ三期生として一大プロジェクトに挑んだ次第です。

担当教員 河田弘道 

専門分野 スポーツ・アドミニストレイション論、スポーツ科学、スポーツ・プログラミング(理工学部兼務)

 

中央大学創立

125周年記念企画 中大リレーマラソン

                   (三期生:3年目の最終報告書より)

課題:「中大リレーマラソン

テーマ:ALL CHUO MIND の醸成

中大リレーマラソンは、日頃中大スポーツに興味のある人もない人も年に一度キャンパスに集まり、それぞれの健康と母校の現状を確かめ合い、自ら競技に参加して汗を流して語り合って戴く為の「場」です。

そして参加者には、一人でも多く、スポーツ活動の楽しさ、爽やかさを味わっていただきたいのです。ゼミ生は、参加者達と励まし合い、愛校心と母校へのロイヤルティーをお互い確認し合い、協調性を醸成する場と環境を提供する。

またそれは、「コーディネーター」の役割をも担っているのです。この中大リレーマラソンは、中大スポーツの変革の象徴として125周年を記念して今後毎年晩秋の多摩キャンパスで継続開催することが、大学全体にとっても大変重要な意義を持つと思われます

中大美女軍団は品がある!        提供:北川外志廣氏

 

Ⅰ.運営班

☆2008年:「中大マラソン」の企画、制作に着手。オリジナルは、フルマラソンの企画でした。

☆2009年:中大リレーマラソン企画書作成・検討会議

       予算案の作成・検討会議

スポンサーセールス企画案作成・検討会議

スポンサーリスト作成・検討会議

       スポンサーセールス開始(各営業担当班別)

★中大創立125周年記念事業の学生企画応募可能の情報を入手

  河田ゼミ情報シンクタンクの組織編成に着手

  記念事業の趣旨・目的を精査分析

  記念事業の予算の概算情報を入手

  ①記念事業用の運営企画書の作成

  ②記念事業用のスポンサー・セールスシートの作成

  ③①のプレゼンテイションの準備、プレゼンターの選出

  ④②のプレゼンテイションの準備、プレゼンターの選出

  ⑤各プレゼンターの模擬プレゼンテイション

★中大創立125周年記念事業の学生企画に正式に応募

運営、広報・制作班からそれぞれ代表者を任命、ゼミ長・副長のリーダーシップにより①②のプレゼンテイションを無事終了、企画書の提出、審査委員からの質疑に対応し予定通り終了した。

★結果判定:中大創立125周年記念事業の学生企画は、FLP河田ゼミの中大リレーマラソンに決定。河田ゼミの企画書通り、大学記念事業部は、河田ゼミに本事業を委託し、業務委託契約を交わし各種同意書を交す事とあいなった。

業務委託契約書作成、各種同意書作成

大会スポンサー:中央大学125周年記念事業部

★河田ゼミと大学記念事業部間での委託契約、各同意書成立

スポンサー確保に成功!

☆2009年:中央大学創立125周年記念企画「中大リレーマラソン」の企画、制作、運営に着手

運営班の主な役割は、大会当日に必要となる業務(安全面を除く)全ての準備を整えることでした。プロジェクト3年目の4月~7月は大会までまだ日数があり、確定事項として取り決めることが少なくなかった(備品のレンタル業者や計測委託業者が未定だったため)こともあり、主な業務としては大会当日に中大OB,OGの有名人をゲストとして迎えるためのアポ取りやリストアップに時間を費やしました。

しかし、結果として中大OB,OGゲストを迎える事が難しかったため、夏休みに突入した8月からは大会当日のマニュアル作りが始まりました。マニュアル作りに関しては、運営班8人(聴講生2人を含む)で受け付け、更衣室、コース、イベント、開閉会式表彰、計測委託業務とそれぞれ分担が分かれていたので、各々が大会当日を想定したマニュアル作りや業者とのやり取りに専念しました。(その他の業務に関しては時間が空いている者に随時時間を振り分けて行きました)

大会開催が初めてだったこともあり、マニュアルの内容に関しては何度更新したかわからない程内容が更新されました。其の為、この後に記載されている工程表の作業日程に関してはその業務内容に付いて考え始めた時期であると付記します。最終的に全てのマニュアルが出来上がったのは大会前日であり、時間いっぱいまでマニュアル作成には時間を費やしました。

時間はかかったものの、結果としてこのマニュアルを作成したことで常に大会当日を頭の中で想定しながら作業する事が出来た事が大会成功の要因の一つになったと考えています。また、運営班は特に大学側(今回は特に教務総合事務室)とのホウレンソウ(報告、連絡、相談)が大切でした。空き教室の確保や、備品の申請、業者の選定など教務総合事務室の協力がなければ今回の大会の成功はありえませんでした。この大会以外にも仕事がある中で多大なる時間を割いて頂いた教務総合事務室をはじめとする大学関係者の方々には大変感謝しています。特に武地さん、藪さんには、お世話になりました。ありがとうございました。

早朝のレース直前のセレモニー&準備体操の風景  提供:北川外志廣氏

①大会概要

大会名:中央大学125周年企画FLP中大リレーマラソン(以下中大リレーマラソン

主催:中大リレーマラソン実行委員会

企画・運営:中央大学FLPスポーツ・健康科学プログラム 河田ゼミ

テーマ:All CHUO MINDの醸成

目的: 

  本企画のテーマであるAll CHUO MINDとは、中央大学に関わる全ての人々(在学生、学員会、父母会、教職員等)の愛校心と連帯意識のことである。他大学では、自校教育と称し、自分の大学の歴史などを学ばせる授業が行われている。それに対し本学では、残念ながらその様な教育があまり知られておらず、その結果ALL CHUO MINDの希薄化につながっていると考えた。普段の学生生活では、学生は「大学生」という意識はあっても、「中大生」という意識をほとんど持たないのが現状であるように思うこの様な現状を打開すべく、本学が125周年を迎えるにあたり、私達河田ゼミはALL CHUO MINDの醸成を目的とし、中大全体が一体となるようなリレーマラソン大会を開催する

日時:2010年11月6日(土曜日)8:30AM~16:00PM.

場所:中央大学多摩キャンパス構内

エントリーチーム数:107チーム

参加者数:852人

②大会規約

第1条:競技方法

第2条:注意事項

第3条:反則事項

③運営班業務内容

コースマップ、会場マップ、当日大会ランナースケジュール、緊急時大会関係者連絡網、大会各業務責任者名簿・連絡先、備品管理リスト、ボランテイアリスト、大会時の自動車誘導マニュアル、等~

大会本部マニュアル:担当責任者―栗山、今田

受付マニュアル:担当責任者―篠原、嶺岸

更衣室マニュアル:担当責任者―川村

コースマニュアル:担当責任者―青山

第一ブロックリーダー:小林 他12人

第二ブロックリーダー:石川 他9人

第三ブロックリーダー:古谷 他13人

救護・誘導ボランテイア組織図

エイド(給水)マニュアル:担当責任者―梅村 他4人

委託業者マニュアル:担当責任者―土屋 他ランナーズスタッフ1人、他3人

開会式・閉会式マニュアル:担当責任者―山中 他5人

イベントマニュアル:担当責任者―森口 他3人

ごみ箱について:担当責任者―今田 他5人

最終撤収:担当責任者―津原、梅村、篠原、栗山、川村、他ボランテイア

参加賞・賞品:担当者―大会本部

④競技責任者:レースデイレクター 青山忠文

我先にと先頭を狙う出場者達(レーススタート直後正門前)

提供:北川外志廣氏

 

Ⅱ.広報・制作班

広報・制作班の主な仕事は、大会の告知、参加者の募集、管理、それと制作物の作成です。先ず、現役生、OB・OG、職員、地域の方々など中大に関わる全ての人々に大会の存在を知って頂くために大会の告知をしました。ポスターを作成し、学内に限らず多摩キャンパス付近の飲食店などあらゆる場所に掲示させて頂きました。また定期的に中大のペデ下で、チラシ配布いたしました。参加者の募集期間の3カ月間で3000枚近く配布したと思います。学生の参加が思わしくなかった時期には、学内の電光掲示板で参加を呼び掛ける動画を流したり、HPやブログの更新をしたり、OB・OGの方々に参加して頂くために、学員支部会にて企画の説明をさせて頂いたり、学内の広報誌に記事を掲載させていただいたり、できる限りの努力をしました。

努力の甲斐あって、大会へのエントリー数は107チーム、総勢1000人近くの方々に興味を持って頂く事が出来ました。エントリーして頂きたい皆さんに、本大会に対する興味、関心を高めて頂くために、毎週メールマガジンを送りました。また、ランナー変更など大会当日まで、大会に関する問い合わせについても、広報・制作班が受付・対応しました。

ランナー、ボランテイアの募集が締め切られた後は、参加者全員に大会の誓約書に関する同意書を送付し、それを提出して頂き、その集計、管理を行いました。同意書の回収締め切り日を過ぎてもなかなか全部集まらず苦労しましたが、未提出の方々にどうにか連絡を取り、なんとか全て集める事が出来ました。

本大会が近づくにつれて、ゼッケン・タスキなどの大会当日に使うものの制作に取り掛かりました。制作物は、ゼッケン、タスキ、スタッフジャンパー、完走賞、賞状など、大会運営の業務の一部を委託した業者と相談しながら作成しました。その他に、大会当日の会場を盛り上げるためのバルーンアーチの装飾やイベントステージの背景作成なども行いました。そして大会終了後には、当日来ていただきプロのカメラマンに撮っていただいた写真を使って写真展も開催しました。

大会当日は、とてもたくさんの方々に参加して頂きました。参加者の方々の笑顔を見て、この大会を企画運営して良かったと心から思いました。参加して頂いたランナーの皆様、ボランテイア―の皆様、そして大会を作り上げていく中で厳しくも温かくご協力して頂いた教務総合事務局をはじめとする大学関係者の皆様にこの場をお借りして御礼を述べさせて頂きたいと思います。本当にありがとうございました

                       河田ゼミ三期生一同

                       担当責任者:津原 祐貴

★広報・制作に関するPC整理、処理 文書処理業務

担当責任者:嶺岸 英匡 森口 真菜

朝もやの大観衆の中継地点でタスキを渡す走者・受ける走者 提供:北川外志廣氏

わしはまだまだ若い者には負けんぞ!    提供:北川外志廣氏

 

おい!母校のキャンパスは何年ぶりかな?学生時代が懐かしいよ。

提供:北川外志廣氏

未来の中大生。お父さん、僕このキャンパスに戻ってくるよ!

提供:北川外志廣氏

 

Ⅲ.救護班

救護班は安全な大会を開催する事を目指し、十分な準備を行う事を目指しました。4月~7月にかけては安全な大会を開催する為にはどのような準備が必要か。この命題に対応するためマニュアルの作成や必要備品のリストアップ、適切なマラソン保険の選定に概算見積もり及び保健センターへの協力を依頼する為に必要な資料作成を行いました。

しかし、当初予算が正式に確定していいなかったため、具体的に活動することがあまりできませんでした。8月末の夏合宿の前日に追加予算が認められたことにより、救護班の動きも加速し始めました。各々の仕事を明確にし、各人に担当を割り振る事で、自分の仕事に責任を持って取り組むと言うように全員が心掛けることとしました。

先ず、合宿明けの9月上旬には保険業社の方に来校して頂き契約に向け説明を受け、契約する運びとなりました。9月下旬には学内にある備品の借用願いを教務総合事務室に提出し、事務室から学内の各部署に連絡して頂き、借用の手続きを取ることができました。

また、10月中旬にはマラソン大会のサポートをして頂くこととなった保健センターの方と当日どのように救護を行うか業務の確認をしました。その際、特に業務時間を超えての多大な協力体制を取っていただける旨のお話がありました。

10月下旬に東京夢舞いマラソンの事務局を訪問し、同大会の看護師である鈴木富子さんから救護に対するアドバイス及び当日の業務の確認を行いました。

大会当日は天候にも恵まれ、絶好のマラソン日和となりました。また参加者の皆様に大けがも無く無事大会を終えることができ、救護班としては大変安堵しました。

救護班は学校側の各部署との仲介役を申し出て下さった教務総合事務室の皆様、安全面への配慮から追加予算の計上を後押ししてくださった125周年事務局の皆様、業務時間を超えてご協力下さった保健センターの皆様、トランシーバーや拡声器などの備品を快く借用させて下さった学内部署の皆様、マラソン大会マスターの鈴木さんをはじめとする東京夢舞いマラソン実行委員会の皆様、文章に書ききれない皆様の多大なご協力により活動する事が出来ました。本当にありがとうございました。

                      救護班一同 責任者:橋場 彩那

 

エイドステーション(給水所)、中大駅伝選手!怠けていたら青学の蜂さんに刺されるよ!他大学からの応援部隊(青山学院大から)、ゼミ生の高校時代の友人達。提供:北川外志廣氏

エイドステーション(給水所)、ゼミ生:梅村、大友、教務総合事務室スタッフ

救護班業務内容及び責任者一覧

救護班年間スケジュール 工程表

保険について:水谷 和也

保険の説明:橋場 彩那

業者選定作業:橋場、水谷、大友

救護備品について:大友 

トランシーバー状況別マニュアル:大友

ブロック・ミーテイングマニュアル:水谷

救護マニュアル:水谷

緊急対応マニュアル:救護班全員

契約書・同意書、誓約書に関して:津原 祐貴 (総務関係責任者)

保健センターとの打ち合わせ議事録、報告書作成:大友、橋場、水谷

出席者:センター 田柳さん、田辺さん

教務総合事務室 武地さん

救護班総括:責任者 橋場 彩那

 

忘れないで!私は中大女子NO.1の健脚よ!     提供:北川外志廣氏

注:膨大な資料の為全てを掲載することは不可な状況となりました。つきましては、前編とさせて頂き後編は次回に掲載させて頂きますので悪しからず。尚、前・後編後は、三期生ゼミ長、副長の10年前と10年後の生の声を、そして、二期生ゼミ長、総合プロデユーサーの卒業時と10年後の生の声をお伝えすることを予定しています

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS)

紹介:Gファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文芸春秋社 著武田頼政

   Kファイル、kファイルNews Comment by Hiromichi Kawada

 

お知らせ:如何でしたでしょうか。河田ゼミ三期生のプロジェクトをお楽しみ頂けていますでしょうか。学生達、ゼミ生達のパワーは、計り知れないです。個々のゼミ生達は、得意な分野、得意な創造力を沢山秘めています。コーチングは、それを引き出してあげる事のように思いますが、如何でしょうか。次週後編をご期待下さい。