K’sファイルNO.99:米国型スポーツと筆者の基軸

KsファイルNO.99:米国型スポーツと筆者の基軸

無断転載禁止                        注:K'sファイルは、毎週木曜日掲載予定

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前編:筆者のスポーツに対する礎

1.筆者と米国スポーツの接点

先ず初めに

前回までのK’sファイルでは、NO.88NO.942020東京五輪招致の暗黒の霧はいつ晴れる、とNO.95NO.98:今日のスポーツ電通の礎84ロス五輪とは!―におきまして、東京五輪招致の不透明な部分と五輪開催の趣旨、目的が「震災の為でもなく、コンパクトで経費の掛からない五輪でもなく」、莫大な公金による箱物建設がその目当てで在った事を解き明かして来ました。

これらは、政治家達の利権闘争に始まり、暗黒の招致活動による疑惑や、20東京五輪組織委員会の役員人事に関する不透明さ、国内スポンサーシップの一業種一社から複数社の変更に伴う配慮に欠けた一部選考。さらには公益財団法人20東京五輪組織委員会の公金使用内訳の情報公開の無さとグレーで不可解な仕組みや出来事。84ロス五輪の公金を使用しない民間資本による経営・運営・管理手法の成果と成功例の比較を読者の皆様にお届け致しました。

①良き伝統の継承と悪しき慣習を処理する勇気

NO.99は、米国型スポーツ・アドミニストレイションの基本的な構造とその実情が大学競技スポーツにある事をご紹介したいと思います。今後日本のスポーツ界を改善、改革して行くに欠かせない大切なものがスポーツ・アドミニストレイションであり、その指針にして頂ければとの願いを込めて掲載させて頂きます。

また、読者の皆様は、筆者が長年米国の大学に在職していながら、どのようにして日本の大学関係者、会社・企業関係者、TV/マスメデイア、文部省(現文科省)、JOC,日本体育協会(現日本スポーツ協会)、等々の重鎮と人間関係を構築できたのかと、多分素朴な疑問を持たれている事と思います。その疑問に付きましても、本前編、中編、後編を通してご理解を深めて頂けるのではないかと想像致します。

筆者は、日本は素晴らしい歴史と伝統のある豊な国と思います。しかし、それら全てが我が国の次世代にマッチするものではない事も理解、認識致します。スポーツ大国の米国には、沢山学ぶべきよいパーツもあれば、決して真似をしてはいけないパーツも沢山ある事を自らの実体験から承知致しております。

我が国には、沢山継承すべき伝統的な遺産と悪しき伝統的な負の遺産を整理する必要性があります。2020年は、新しい専門知識とキャリアのある次世代のリーダー達が情熱を持ってリードして行く重要なターニングポイントであると確信致しております。長く伝統的に継承し続けて来た、先輩諸氏の背中の垢は綺麗さっぱりと洗い落として、悪しき伝統を今脱ぎ捨てる決断と勇気を持って先ずは行動しないと、何時まで経っても改善、改革に至らないのではないでしょうか。

②大学は国の教育とスポーツの大義・目的・使命を示す場

筆者は、長年米国の大学で競技スポーツの運営・管理に携わり、教鞭を執って参りました。スポーツ大国に於ける競技スポーツとその関係組織、関係者、多民族との出会いは、米国の大学で教育を受け、また、指導者、管理者として生き抜いてきた時期にさかのぼりますその基盤となっているのは、まさしく日本人として日本で身に着けた礼儀作法から教育、そして大学生活を生き抜いた経験が自身の全ての財産であり、土台を形成していると確信します

米国に渡ってもこの自身の基盤は、ぶれる事無く大学で、職場で職責、責務を全うし成果と結果を出せた事に感謝致しております。そこから得た知識と実践キャリアは、母国に帰国後の実践活動に於いて計り知れない自信と共にまた成果と結果を導き出せたと自負しています。

本編では、日本と米国の特に大学競技スポーツのファンダメンタルな違いについてから解説と説明をさせて頂ければと思います。

スポーツ大国米国の競技スポーツの構造とそのシステムは、日本とは発想の原点と社会、文化の構造も異なるので、読者の皆様にはすんなりと理解し難いかも知れません。読者の皆様には、米国のスポーツ界が日本の伝統的な構造とシステムが異なる所を是非理解して頂きたくこの機会にご紹介致します。

良いと思われるところは、是非ポジテイブに理解して頂きたく願います。そして、勿論、絶対に真似をして欲しくない点はコピーするべきではありません。読者の皆様には、想像もつかない問題も抱えているからです。我々は、身の丈に合ったスポーツ及び競技スポーツの構築に取かかる事をお勧めいたします。

筆者は、当時それら諸問題の解決、処理に学生選手の側に立って根気よく指導していたことが、今は懐かしく思い出されます。此処では、スペースの問題で本テーマに必要な一部をご紹介するにとどめ、詳しくは、別途米国大学競技スポーツの実態、現状、問題、及び組織・団体について国内の時事問題に沿うような形でご紹介できればと考えております。

③全米大学競技スポーツ統括組織・団体

近年日本に於いて、「NCAA」という商標名を利用した話題作りを政府機関、マスメデイアが行っているようですので、本K'sファイルの読者の皆さんには、関係者が何を夢見ているのか、真似をしたがっているのか、正しい理解と判断をする為にも正しい知識を是非会得して頂ければと思う次第です。

現時点では、「NCAA」を模倣する為の大義となるソースが日本の大学には見当たらないと言うのが筆者の正直な見解です。」

現在の日本の大学競技スポーツ界を慮る(おもんばかる)と、NCAAの物まねをする以前に、今解決しておかなければならない問題が山積しているように思えます。関係者達はその事に目を背けて、大学スポーツで新たな利権を企むことなど滅相も無い事なのです。また、商品価値の無いものに民間資本を期待する事などは、ビジネス経験の無い方々のたわごとです。このような方々は、最初から公金(税金)を当てにする東京五輪方式をまたコピーして使おうと“二匹目のドジョウを狙っている”としか思えてならないのは筆者だけでしょうか。

先ず「NCAA」とは、全米大学競技スポーツ協会(National Collegiate Athletic Association)の総称です。我が国に於いては、伝統的にNCAAを「全米大学体育協会National Collegiate Physical Education Association」と誤訳表記しており、平然としていることが不思議でなりません

筆者は、もう50年前になりますが、米国の大学教員となった初期のころから略毎年、夏休みで一時帰国する度に、文部省の体育局長、日本体育学会(会長・副会長)、日本体育協会の競技力向上委員会(強化委員長、他)、スポーツ医科学研究所長、JOC理事強化担当者が集って開く、米国のスポーツ、競技スポーツの現状報告会に米国の大学の現場業務に直接携わる日本人として協力をさせられていました。

報告会に出席されているのはオーソリテイーと呼ばれている日本の体育、スポーツ、競技スポーツ、大学の代表者の方々でしたが、小生の講演、報告は何処か別世界の話であるように聞こえていた方もいらしたようでした。毎回出席されていたので新しい知識だけは持ち帰ろうと考えていたようでした。

当時、その席で文部省の柳川覚治体育局長(後、参議院員、自民党)には、「日本体育協会」は、間違った表記であり、「日本スポーツ協会、日本競技スポーツ協会」が適切であると毎回進言させて頂きました記憶が蘇ります。そして「日本スポーツ協会」と改名したのは昨年です。看板の取り換えには、半世紀の歳月を要しました

此れが日本のスポーツ・アドミニストレイションの実体と現実であると申し上げて過言でありません。体育(Physical Education)と競技スポーツ(Athletic Sports)の本質が対極にあり異なるという事を教育者、指導者、経営者、管理者が混同してしまって、ミスリードされている為に国民、社会では体育が競技スポーツ、競技スポーツは体育であると長年思い込んでキャリーしているのが問題であると思います

NCAAに加盟している大学は、約1275(2005年当時全米50州中)で加盟校はⅠ部校、Ⅱ部校、Ⅲ部校に区分されています。但し、マスメデイアで報道される大学は、殆どがⅠ部校のフットボール、バスケットボールの強豪校であり、一部のアカデミックな伝統校でもあります。本組織・団体は、1905年に設立され当時既に800校が加盟し競技スポーツがNCAAのルール(規則、罰則)の下で行われていた歴史があります。この時期日本に於いては、まだ大学と言う名称はほとんど無く、教育機関での余暇活動と称されていた明治時代です。現在日本の関係者達は、NCAAを語るに当たり約100年の歴史の差異がある事に気付いていないのかも知れません。

④女子学生選手がNCAAに登録

女子の大学競技スポーツは、1971年までNCAAに加盟参加できませんでした。1972年に男女平等な教育を受ける権利の法律(タイトルナインⅨ)が施行され、スポーツに於いても女子選手が男子と同じNCAAのルールに基づいた同等な権利を獲得したのです。本法律は、当時のニクソン大統領により署名され当時の大学キャンパスはもうお祭り騒ぎで在った事を筆者はキャンパスに居て強烈に肌で感じていました。

米国に於いては、この当時まで女性に対する差別があったのです。1972年よりNCAAに各大学の女子競技種目及び女子学生選手が登録可能となり、全米大学選手権を毎年争う事になったのです

NCAAに加盟登録できる競技スポーツ種目及びその数は、男女ともに決められています。オリンピック競技スポーツ種目に入っているからと言って、登録が認められるわけではないのです例えば、日本で注目されているような女子のレスリング、女子柔道の種目は、スポーツ大国の米国であってもNCAAの種目として認められていませんので大学にはありません此れには、明快な根拠があるからです。このような事実は、日本のスポーツマスメデイアに於いて一切報道、情報公開がなされていないのも不思議な気がしてなりませんが、読者の皆さんもそう思われませんか。何か報道するとまずい事でもあるのでフィルターを掛けて報道を控えているのでしょうか。

⑤米国の競技スポーツはシーズン制

米国の大学競技スポーツ(中学、高校、プロも同様)は、シーズン制を形成し男女共に新学期を迎える秋、冬、そして春の学期に終了するプログラムとスケジュールに成っております。簡単に言えばこの3シーズン中に各競技スポーツ種目は、全米大学選手権(NCAAチャンピオンシップ)を最後にそのシーズンを終了するのです。日本の競技スポーツのように幼い頃から一つの競技スポーツを365日行っているわけでありません

このシーズン制のメリットは、シーズンの異なる複数の競技種目に出場が許可されている事です。これにより個々の子供達、生徒、学生選手は、異なるシーズンの異なる種目から競技スポーツ選手として必要な身体能力の基礎を養い、バランスの取れた競技者に自然に成長して行くのです。また、もう一つの大きなメリットは、幼いころからの偏った競技種目を選択する事で、個々の得意な(秀でた)才能を潰す可能性が高くなる事です。複数の競技スポーツを経験、体験する事で最終的にその生徒、学生選手に取って一番興味がある、秀でた競技スポーツを選択できる事です。そして、最後に選択した競技スポーツは、それまでの複数の異なる競技スポーツで得た身体力、知識、経験の全てが最終的に競技者としての強い土台を形成するのです

日本に於いては、幼いころから同じ競技スポーツを1年中行わされています。これは、スポーツ医科学的観点からも身体的には偏ったアンバランスを生み、傷害、障害のリスクが増大するのです。また精神的には、バーンナウト(燃え尽き)症候群を起こし興味を失う可能性が非常に高い事です。

そして、此の最大の問題は、他の競技スポーツであれば個々の秀でた才能により発展する可能性を持った生徒、学生選手が居ても競技種目を変更できない伝統的な縛りが存在している事です仮に、日本に於いて、今日社会問題となっている不祥事、暴力、は、シーズンスポーツ制度を採用する事により指導者の不祥事、暴力は、激減する可能性を秘めています。何故ならば、そのような不祥事、暴力を行う指導者及びその種目には、子供達、父母が興味を失い参加しなくなる可能性が高くなるからです。

★重要案件

大学の経営者、指導者、運営・管理者の現在の雇用制度が日米に於いて大きく異なる事です国内の不合理、矛盾、不祥事を改善する為には、大学の教職員、競技スポーツ指導者、運営・管理者、経営者の雇用体制を現雇用体制から「契約雇用体制」に改める事です。筆者の経験から申し上げますと、これにより現場に於ける不祥事、暴力、ハラスメント、等の犯罪的行為は、間違いなく激減します。何故ならば、契約雇用制度に改められると、契約違反者に対しては、次回の契約更新がされない可能性が高く、また汚点雇用履歴では、他の雇用先は契約を拒否する可能性が高くなるからです。これにより、雇用制度の改善は、不祥事、暴力、等への抑止力となります。

また、この他にも大きなメリットがあるのです。それは、教育の現場、競技スポーツの現場に於いても教員、指導者の競争が激しくなり資質の向上が間違いなく起きる事です。これは、学生、学生選手を第一に考えるならば、大学教学、経営法人に於いてもこれ以上ない好循環を与えるのです。

何故、日本の教育機関の経営者、管理者、教育者達は、気付かないのでしょうか。気付いていても、これらの制度は、自らに不利益を与えると考えているのかも知れません。制度改革なくして我が国の教育、指導、競技スポーツに明るい未来無し、とは言い過ぎでしょうか。

このような問題の指摘、改善、改革の声が上がらない理由も、個々の利害、利権を最優先する温床からかも知れません。即ち、組織・団体・機関の関係者達は、無責任体質、体制が何よりも居心地が良いのかも知れません。我が国は、スポーツ・アドミニストレイションに対する知識・認識とその重要性を教育の現場に於いて指導する事が急務であり、次世代を担う若者達にスポーツ・アドミニストレイターの必要性と重要性を付与して頂きたく願う次第です。 

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 お知らせ:

この度のNO.99前編は、如何でしたでしょうか。インターミッションとして考えていましたが、息つくどころか肩の凝る深刻な問題、視点を提供してしまいました。悪しからず。本テーマは、一応前編、中編、後編に分けて掲載させて頂く予定です。本テーマの次回の中編では、また新たな知識と世界が広がれば幸いです。本原稿は、世界15カ国の多くの読者の方々にも同時に配信されています。読者の皆様もグローバルな世界の一員として本原稿を通じて繋がっています。