KファイルNO.140:教育者を装う指導者達に対する高校生の結論「自死」

KファイルNO.140:教育者を装う指導者達に対する高校生の結論「自死

無断転載禁止               本BLOGは毎月第二、第四木曜日掲載予定

筆者からのお知らせ

 NO.140よりK'sファイルは、「Kファイル」に改名致しました。理由は、Gファイル同様にシンプルにさせて頂きました。

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読者からの便り

139号、興味深く拝読させて頂きました。 

馳議員が「移動式カフェ」視察中に10代少女にセクハラ行為をした事件は朝日新聞の報道で知り唖然としたのを覚えています。その後馳議員と視察を申し入れた議員の謝罪が行われたことでこのセクハラ行為は、事件のでっち上げではなく実際行われた行為の事件として注視していました。さらに驚いたのは参議院予算委員会での馳議員のセクハラ行為に対する野党議員の質問に対して安倍首相が謝罪の意を表明したことでした。この表明は、馳議員のセクハラ事件は国政で問題化されたことになります。馳議員はその後このセクハラ事件にケジメをつける会見は一切行っていませんので、今もって、逃げるが勝ちを決め込んでいるとしたら危うい国会議員の仲間入りです。この事件が尾を引いて馳議員の綻びに繋がらなければと願っている一人です。スポーツが健全に育んでいく上にもスポーツに関わる政治家には是非とも襟を正す先頭者であって欲しいものです。  読者より

 

目次

第一弾:

この国の体育教員・教師の「暴力」は永久に不滅か

1.闇に葬られてゆく痛ましい若者

       先ず初めに

      ■2018岩手県不来方高校バレーボール部員の自死

        ★朝日新聞記事紹介

        ★A記者の記事から

        ☆筆者の見解

        ★B記者の記事から

       ☆筆者の見解

     ■新谷聡氏(父親の決断)

     ☆第三社委員会で何が解決されるのか

     ☆筆者の私見

     ■時事通信の不起訴報道

     ★バレー部顧問を不起訴 自殺部員に暴行容疑―盛岡地検

 

第一弾:

この国の体育教員・教師の「暴力」は永久に不滅か

1.闇に葬られてゆく痛ましい若者

先ず初めに

KファイルNO.140は、嘗て201873日朝、自宅の自室で亡くなっていた新谷翼さん(岩手県不来方高校3年生当時17歳)の痛ましい事件を当時のマスメデイア報道を再検証しながら、誰もが語ろうとしない、改善、改革しようとしない真相深意をスポーツ・アドミニストレーターの視点で述べさせて頂きます。 

新谷翼さんは、当時岩手県不来方高校3年生のバレーボール部員でした。事件は、翼さんの父新谷聡氏の勇気ある行動により世間の知るところになったのです。父親の勇気は、我が子への深い愛情と17年間の本人の忍耐と努力のみならず家族の努力と絆の証と推測させていただきます。父聡氏は、我が子の実名を社会に公表されたその勇気は翼さんが自室に残した一通の「遺書」を手にした時、まさに亡き息子さんが父親に自身の思いと悔しさを託し、背中を押したように筆者には思えてなりません。

遺書に書かれていた本事件の教員・教師の顧問は、何故実名を伏せ報道されるのか、関係機関、関係者、社会、マスメデイアの姿勢に強い違和感を覚えずにいられないのは筆者だけでしょうか。このように何時もマスメデイアに保護され、加害者を野放しに庇う日本社会の不思議な慣習は今も昔も同じのようです。

この矛盾とマスメデイアのいつもながらの姿勢には、この国の正義も公正も変革できない実状に誰もが声を上げないことが不公平の温床となっているのではないかと危惧する次第です。これは、日本社会、マスメデイアに於いて美徳とされるのでしょうか。これでは、いつの世も我が国は「加害者やり得、被害者やられ損」という構図と結論が関係者、司法に於いても導き出される許しがたい理不尽な結末のように思えてなりまん。 

日本国には、「Justice正義&Fairness公正」は、21世紀になっても今なおリスペクトされず軽視されている証のようです。嘆かわしい自国の実態を思い知らされています。現況のような政治家、社会、教育界に於いて国民、社会は、今後どう立ち向かって行くべきなのでしょうか、或いは、あなたは家畜のような生き方を望まれますか。

遺書には、バレーボール部の顧問から受けた「暴力」が述べられており、翼さんの日々の苦痛を顧問並びに学内の関係教職員達の無責任な対応を推測させるものであった様子が伺えます。またこの状態は、仲間の部員達も暴力の状態化した実状を把握していた様子がよく伺えます

当時父親には、「県教育員会は第三者員会の人選を進めており、早期に初会合を開いて自殺との因果関係を調べる」と伝えられていましたが、自殺から5カ月以上経っても委員会は開かれないことからも不信感を持っていた様子が伺えます。20181225日の朝日新聞朝刊(社会面)及び他マスメデイアも本件に付いての記事が掲載されていますが朝日は署名入りで掲載されました。また、他紙では、詳しく論じられていませんでしたので、朝日朝刊記事を論評の主たる対象にさせて頂きましたので悪しからず。

県教育員会は、第三者委員会なる調査委員会を20191月に設置し、その調査報告書が先月下旬の2020722日に提出されました。本報告書は、事件後約1年7カ月経過を要していることです。Kファイルは、本報告書を基にスポーツ・アドミニストレーターの視点で疑問,見解、私見を述べさせて頂きますが悪しからず。

 

2018岩手県不来方高校バレーボール部員の自死

朝日新聞社記事紹介 

URL: https://www.asahi.com/articles/DA3S13826340.html

20181225日付の朝日新聞社(社会面)の記事及び、2020722日付けの「県立学校児童生徒の重大事案に関する第三者員会による調査報告書」を拝読致しまた。  

★A記者の記事から

同記者は、教育機関に於ける暴力指導の現状紹介が冒頭になされています。本記事には、事件の概要が主体で、ジャーナリストとしてあまり深層が語られていなかったように感じられたのが残念です。紙面のスペースの関係かも知れません。そして部活顧問が与え続けていた暴力に対する「定義」を明確にされていなかったので、当事者が「暴力は与えていない」と言っている矛盾した論理の展開になってしまったのでしょうか。例えば、暴力指導とは、①精神的苦痛を強いる事、②物理的(肉体的)苦痛を強いる事に区別され、本件は①に入る。これも暴力に変わりないことを明確にして頂いたうえで、よって「顧問(バレーボール部)は、暴力を生徒に振るった」と明記された方が読者には説得力があったと思われます。

筆者の見解

本記事に書かれている指導者(顧問)は、暴力指導の本質を理解していない代表的な教育者を名乗る部活指導者であると強く認識しました。これでは、紹介だけの事件記事にしかすぎないと思いますが悪しからず。朝日朝刊に掲載される記事は、何歩も踏み込まれた方が、国民、社会の為になると思われますが如何でしょうか。朝日独自の個性を表現された方が宜しいかと思うのは筆者だけでしょうか。

この様な事件を起こした教育者と称する競技スポーツの指導者には、何処の大学の何学部で体育、その他の教職課程を取り、教員資格を得たのかを問われている所まで踏み込まなければ、本来のジャーナリストとしてのオピニオンにはなり得ないのではないでしょうか。その為にもその大学、学部の出身校を紹介する事で教育者、指導者を目す学生達及び、教育者を養成する大学指導者、管理者、経営者達には、専門課程での部活を通しての実技指導のみならず、バランスの取れた真の教育者としての教育、指導が必要不可欠であると思われる次第です。

大学では、教員・教師への資格認定をところてんのごとく与えるのでなく、責任を持ってシビアーな審査をして、資格認定の合否を与えていただきたいと願う次第です。このような事は、その人材を採用、雇用する都道府県の教育委員会並びに各私学の経営者、管理者に於いても極めて重要な採用に対する厳正な審査を怠らないことへ警鐘とその抑止力になり得ると確信します。

教育機関に於ける部活顧問とは、どのような職責、責務なのか、定義が在るのか否かを紹介する必要があったと思います。最後に本記事に見当たらない大きなポイントは、教育機関に於ける部活動は教育の一環に当たるか否か、顧問とはどのような職責・責務なのかを読者に明確にしていな為に、論点が定まっていない事ですこの部活動の本質が明文化されていれば、それに沿った指導、運営、管理がなされ、それに外れる指導、運営、管理に対する行為には、自ずとして罰則があってしかるべきであることを加味する必要があると思いますが如何でしょうか。

B記者の記事から

本記事は、A記者の記事をサポーテイブな立ち位置で掲載されたのかも知れません。それにより、2013年にJOCJSAが採択した暴力行為根絶宣言の紹介、文科省ガイドラインの紹介がされています。これらのガイドラインは、絵に描いた餅でただ文字にして公表しただけで現場では何の改善も見当たりません。

専門家のご指摘としては友添秀則氏(早稲田大学教授、スポーツ倫理学)を紹介され、いきなり「人権侵害だ」と指摘、「学校の管理職、教員、指導者が心がける必要がある」とのコメントを紹介されています。これは、まさに文科省スポーツ庁の御上のお告げのように聞こえてなりません。諸官庁は、お題目を並べ後は良しなにと責任逃れはしても、お題目への実践指導は行われないのと同時にマニュアル存在の有無も疑問です。

筆者の見解

この様な教育、指導の本質を理解していない現場の指導者、管理者、教育者は、「心がけていて修正できるレベルに無い」のでこのような事件を毎度繰り返し起こすのです。このような現場での事実に目を背けているから、このような当たり障りのない、綺麗ごとのコメントをなされるのかも知れません。此れでは、何の具体性も指針も無く「何を心がければ暴力指導を防止、阻止できるのか」という実務的な指導、指針を示さなければ机上の空論か無責任な顔出しコメントと読者側には感じますが、読者の皆様は如何でしょうか。

単刀直入に申し上げまして、父母の訴えは、時すでに遅く本人は生きて戻れない世界に行くことを決断した事実です。本人は、中学よりバレーボール部の指導及び、環境にネガテイブなシグナルを出していました。この数年間、翼さんの心の痛みをバレーボール競技に拘り続けたのは、いったいどこの誰なのかが本件のキーワードであると思われます。此処には、日本の教育、スポーツ部活に対する変革が必要であることに今日誰もが気付いていても改善、改革に本気で動かないことです。

このような指導者による暴力は、異常事態を招き且つ取り返しがつかない事件を繰り返しているその根源が教員・教師本人のみならず、彼らに安易に教員、指導者資格を与える大学教育機関にも大きく起因していることを見逃していることだと思います若い命が奪われて行く事への教育機関、及び雇用する県教育委員会並びに私学の経営者、管理者に関係する大人達の優柔不断な心に起因しているのではないのでしょうか

 

新谷聡氏の決断

本件は、最愛のご子息がここまで追い込まれて「命を絶った」事に対する何にも代えがたい事件である事です

第三社委員会で何が解決されるのか

三者委員会に委ねても、この種の事件は、解決される問題でないという事です。何故ならば、我が国に於ける第三者委員会とは、問題の本質を正面から精査しようとせず、白黒付けずお茶を濁す為に招集された方々と理解された方が分かりやすいかもしれません。日本の伝統的な談合文化ならではの発想です。本委員会には、何の法的な裁定権限も無く、本来責任のある立場の人間が責任を回避する為の最後の砦としている手法の一つです。

例えば本件では、招集した責任者は県教育長が第三者委員の任命権者です。一般的には、委員の一人ひとりには、報酬が支払われるのですから正義、公平性などありません。本委員会は、どうだったのでしょうか。また、委員の人達は、どのような経緯で選ばれたかの説明、氏名は、公開されたのでしょうか。

本来なら即県教育長、委員会は、同校校長、顧問を採用した責務から御父母に代わり校長、顧問を告訴するべきでないかと思われます。この度の事件の第三者委員会とは、事件の調査を依頼し個々の分野の方々に報告書をまとめさせ、委員長が県教育長に提出するレポート委員会と申し上げさせて頂きます。

新谷聡氏は、県教育長の煮えきらない態度に親として我が子に今できることは何かと熟慮した結果、司法の手を借りて明らかにする事を決断されたのだと思われます。この勇気のいる決断をされたことは、日本では珍しいことです。そして、この選択は、正論で正攻法を選ばれたと筆者は称賛に値すると思います。

父親の新谷聡氏は、事件として岩手県警に告訴されています。これは、「県教育委員会が第三者委員会を設置し事の真相を明らかにする」と伝達を受けて以降5カ月余りが経過してもその行動と実行がなされないが為の苦渋の選択と決断であったのだと思われます。しかし、告訴は、受理されても不起訴処分との結論を突き返されています。これでは、ご両親、ご親族、本人翼さんは、浮かばれないでしょう。

筆者の私見

盛岡地検は、理由を公開していませんが、「公判維持の証拠が集まらなかった」との事のようです。新谷氏は、代理人の弁護士を通して「暴行の事実について目撃証人が複数あったが、裁判の協力が得られないとのことで不起訴になり残念」と述べています。

この証人達とは、暴力の現場を確認している複数の人達で多分バレーボール部員で、未成年者である為か、或いは、その証言をその父母達が拒んでいるのかも知れません。これでは、我が国の正義と公正は、教育の現場、家庭に於いても封じ込まれリスペクトされていないことを物語る悲しい事実が証明されたかに思えてなりません。被害者側は、加害者を雇用した県に対して損害賠償を請求することはできないものでしょうか

この是非については、別にして司法はこのような現実を裁けず加害者を常に野放しにして、再三再四県教育委員会はこのような犯罪者を教育者、指導者として雇用、採用する所にも理不尽で許し難いアドミニストレイションがまかり通っていることに筆者は、社会、国民に「正義と公正」は何かを今一度襟を正し、声を上げて欲しいと願う次第です。何とこの教員、顧問は、他校に於いても同様な事件を起こして係争中であったことにも驚きます

マスメデイアは、このような事件に対して、内閣府文科省スポーツ庁、等の関係省庁の実務的行動力の欠落を強く指摘しない限りマスメデイアの使命が果たされないのではないのでしょうか。弱者を支援する使命を発揮してこそマスメデイアの本来の意義と価値を問われているのでないでしょうか。

KファイルNO139で述べさせて頂きましたが、教育者を自認する馳浩元文科大臣が、つい先日10代の女子にセクハラしてそれを内閣総理大臣が国政の場でお詫びをされても、当の本人は、何の罰則も受けず国民、社会に責任の所在を明らかにしないのでは教育機関、現場指導者が事件を起こしても馬耳東風と化し誰もが責任を負わなくなる所以なのかもしれません

時事通信社の不起訴報道

バレー部顧問を不起訴 自殺部員に暴行容疑―盛岡地検

202004092118分 時事通信社配信記事より

岩手県不来方高校のバレーボール部に所属する男子生徒が2018年7月に自殺した問題で、盛岡地検は9日、生徒への暴行容疑で書類送検されていた同部顧問の男性教諭を不起訴処分とした。地検は不起訴理由について明らかにしていないが、遺族に対し「公判維持の証拠が集まらなかった」などの説明があったという。生徒は「ミスをしたら一番怒られる」などとメモを残して自宅で自殺。両親は顧問の行き過ぎた指導が自殺につながったとして暴行容疑で告訴し、岩手県警書類送検していた。

生徒の父親は弁護士を通じ、「暴行の事実について目撃証人が複数あったが、裁判の協力が得られないとのことで不起訴になり残念。男性教諭の虚偽答弁と当事者意識が欠落していることについては許すべきではない」とするコメントを発表した。【時事通信社配信】

この司法の判断の発表後、2020722日に岩手県教育委員会から第三者委員会の調査報告書が提出され発表されました。

次回は、本調査報告書を検証し本件に付いての筆者の疑問、私見と見解をまとめとさせて頂きます。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports

お知らせ

この度は、「K'sファイル」を「Kファイル」に改めさせていただきました。

NO.140は、教育の現場に於いてそれも指導者の暴力により部活動をしていた17歳の男子生徒が、自宅自室で自死を選んだ痛ましい事件をご紹介させていただいております。次回は、岩手県教育委員会により設置された第三者委員会の調査報告書が先月722日に提出されました。その報告書を基に本件の矛盾と大学側が提供する競技スポーツ選手への推薦制度に群がる闇も本件の裏側で見逃せない重要な問題として覗いてみたいと思います