KファイルNO.152:完全にバランス感覚を失った東京五輪の大義と目的

KファイルNO.152:完全にバランス感覚を失った東京五輪大義と目的

無断転載禁止               毎月第二、第四木曜日公開予定 

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読者からの便り

Kファイル拝読させて頂いております。いつも貴重な情報をご提供して頂きありがとうございます。今週のKファイル151号に掲載された「読者からの便り」に私もまったく同感でありました。NCAA(全米大学競技スポーツ協会)のようにしっかりしたルールに則った大学競技スポーツの運営・管理がなされるには、日本ではあと何年かかるのでしょうか。

森会長の辞任の成り行きに関しましては、利権等に関わる森会長に物言えぬ理事会、評議委員会をはじめスポーツ界、政界の面々が哀れな感じが致しました。何か日本のヤクザ映画をほうふつさせる利権争いのように思えた次第です。これらもスポーツ界に於いてアドミニストレーションの欠落が浮き彫りになっていると思います。今回の森会長の発言と辞任に至る事態が、男尊女卑の長い日本の歴史から、未だその流れの中にいる日本のスポーツ界、社会が性差という姿勢を断ち切るきっかけになればよいとも思います。いずれにせよ全てにおいてフェアーでクリーンなスポーツ界を望んでやみません。

私が関わっている野球ティームの中学生のトレーニング指導についてですが、指導に対する報酬を頂くことにしました。中学生には運動指導だけでなく、自立したスポーツ選手、アスリートとなるための教育に微力ながら務めて参りたいと考えております。河田先生より学ばせて頂いた知識が大いに役立っております。そして、中学生を教育するためには、保護者の理解が必要ですが、やっと先日時間をかけて保護者と話す機会が持てました。スポーツ後進国である日本では、現場に於いて保護者へのスポーツに対する教育も必要となることを痛感しています。尚、指導報酬は、中学生自身が自分の小遣い(お年玉)で支払えるように考えました。河田先生のご助言に感謝申し上げます。この子供達は、お小遣いを自らマネージメントし、自らの技術、共生、ルールを如何に守り人間形成に役立てばとスタートしましたことをご報告させて頂きます。どうぞ河田先生におかれましては体調にお気を付けください。読者から (体育教員、少年野球クラブの指導者)

 

目次

KファイルNO.152:完全にバランス感覚を失った東京五輪大義と目的

筆者からのお知らせ

~政治家による政治家の為の東京オリンピック大会~ 

1.スポーツ・アドミニストレイター不在の付け

  ■招致活動での建前と招致後の本音

  ■招致活動での偽りプレゼンテイション

  ■問題の発端とプロゼクトマニュアルの欠陥

  ■オリンピック歴史の再現か

  ■東京五輪は政治家達の利権の巣窟と化した大会か

2.お飾りだった大義の震災復興は何処に

  ■震災復興は五輪招致への客寄せパンダだったか

 

 

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2021年2月25日  公開

KファイルNO.152:完全にバランス感覚を失った東京五輪大義と目的

無断転載禁止               毎月第二、第四週に掲載予定

筆者からのお知らせ

KファイルNO.152からは、連日連夜と東京五輪組織員会の会長の「ハラスメント言動」が世界中の世論からバッシングを受け、外国マスメデイアの力により辞任に追い込まれました。これは、オリンピック開催国史上前代未聞の出来事を五輪の歴史に黒点を残してしまったのです

本人は、大変憤懣やるかたなしの態度と言動を残して去って行った次第です。この姿は、日本の政界、政治家、スポーツ界のリーダーの代表的な人物像を世界に告知したのです。次に新会長選考、選出に於いては、甚だこれまた全く見るも哀れな醜態を披露し、最終的には我が国の伝統的な時代に逆行する「家元制度の家元の院政、権利、利害、権力を担保、維持する為の秘密裏の談合」による選出がなされた次第です。しかし、このような倫理と行動が今日に於いても罷り通る日本社会と国民で、今日もなお村社会から脱していない証なのかも知れません。

選考委員会に於いては、大多数の委員達は家元のノレン分けしてもらったお弟子さん達で、いわば選考員会は華やかな元スター選手達のイエスマン、イエスウーマン、政党の派閥議員達の集合体と化していたのです。選考された委員達は、指名を受ければ皆笑顔で拒否する事も意見を語る事もなく、今尚放牧された羊の群れの1羊であったという事の様です。自由民主主義国家とは、これもお飾りで実態はお恥ずかしい戦前戦中の国家主義者の茶番をマスメデイアがこぞって書き立てた露骨な出来レースの中での新会長選考劇場で在った次第です。

筆者は、このような日本の今日の醜態を、もう一度東京五輪の本質的な今日までの問題と経過として「リマインド」致しました。既にKファイルで掲載致しました内容を修正、加筆を致し読者の皆様には、改めて何が問題の本質であったかを思い出して頂きながら、日本、社会、国民が何を真剣に改善、改革して参らなければならないかを熟考して頂けましたら筆者の喜びでもあります。

 

政治家による政治家の為の東京オリンピック大会

注:オリンピックが日本で開催される事に大賛成です。しかし・・・

1.スポーツ・アドミニストレイター不在の付け

 ■招致活動での建前と招致後の本音

 何故最初から本プロゼクトには、政治家達(現職国会議員、元国会議員、現職都会議員)が多く目立つのか。これほど露骨に政治家たちが表舞台に顔を出す五輪は筆者の記憶では日本国だけのように思われます。Kファイル読者の皆さんは、不思議に思われませんでしたか。

2016年東京五輪の招致活動失敗から2020年東京大会開催決定、そしてその後今日迄、これほど開催に関する問題が内外共に起きる、起きた五輪開催国、主催都市、組織委員会の事例が嘗てあったでしょうか。

16年招致活動の大義は、確か「震災復興」を掲げました。そして20年招致は、これまた震災復興を掲げてのプレゼンテイションがなされた筈です。費用のかからない無駄のない、コンパクトなオリンピック・パラリンピック東京大会は、招致の為の旗頭と謳い文句に掲げてきました。しかし、いつの間にか大義の震災復興は、何処かに消え、予算はとんでもない莫大な公金が実態として流し込まれ続けているのが実状です。

これに対して誰もがSTOPできない国民、社会。確か小池百合子東京都知事は、選挙で予算費用縮小を訴えて歯止め役をかってでて当選した筈ですが、有言実行の政治家では無かったのでした。彼女は、常にTV、マスメデイアへの露出度と国政に気を取られる政治家の様です。よって選挙時の公約とは真逆な事態を現在露呈。

東京五輪を推進する首相、大臣、議員、都知事、都議、組織委員会、等は、苦しむ国民、社会に目もくれず無駄な公金を湯水のようにコンクリートミキサー車で工事現場の型枠に垂れ流す事が東京五輪の真のレガシーであったと筆者は当初より読者の皆様にはご説明お伝えして参りました。そして、東京五輪丸の船長は、外ならぬ森喜朗氏であったのは言うまでもありませんでした

■招致活動での偽りプレゼンテイション

東京五輪招致時のプレゼンテイションは、予算告知額7000憶円を提示発表されました。しかし、当時は、いったい何を根拠に試算された数字であったのかと、ふと頭に疑念が巡ります。現実的には、当初の予算の約4,5倍の数兆億円もの公金を投入している次第です。我々国民は、フェイクのプレゼンテイションを日本国の首相、都知事、委員会理事、評議員達が国民、社会を欺いた騙した手法と揶揄されても仕方のない行為を容認したのです

それにもまして今日まで現IOCの理念、目標に対極的なコンパクトでない五輪史上嘗て例のない巨額資金を投入した五輪でありながら一度として、IOCは、東京五輪組織員会(略、TOCOG)に対してストップを掛けず、それどころか褒めたたえたあの姿を鑑みて、この二つの組織、団体は底辺で共通した利害、利権で繋がっていると理解した方がよく理解できると思われますそれもそのはず、両者のコーデイネート役は広告代理店の電通なのです。もう誰にも止められない腐りはてた東京五輪に成りはてた姿を見るにつけても「権威も尊敬の念も失せた」感は否めません。

此れだけの資金があるのなら、国は、何故もっと有効にオリンピックのみならず困っている現実の社会、国民、震災復興、予防の為に活用するべきであるとは思いませんか。此れでは、限りなく国の借金が膨らむばかりでなく国、国民、社会の倫理観、プライド迄も今日の政治家達の醜態で損失して行っている事に何故誰もが行動を起こす勇気も失せてしまったのか、この度の五輪招致にこの国の政治、社会の腐敗した実態を見せつけられた思いが致します。

このような展開になる事は、当初より予想していた事なのですから、何故五輪招致を思考し始めた時点で「ロス方式」を検討、議論しなかったのか。話題にも出なかった事、出さなかった事が今後大きな禍根を残す事は必至で、既にその階段を一歩また一歩と上がっていって現実は既に終着駅を迎えている状態である事を読者の皆様も肌で感じている事と思われます。ロス方式は、公金を1セントも使わなく、440億円の黒字化した素晴らしいプロゼクトモデルなのです

このような優柔不断なオリンピックプロゼクトから、国外からは、招致活動に関わる裏金問題を指摘され火消しに躍起となり、国内に於いては、オリンピックロゴ・タイプの盗作問題、国立競技場の設計入札疑惑問題、設計者及び関係会社への契約変更、予算の不透明疑惑、そして、その間に主催都市の都知事が本件がらみを含めて3名も不名誉な交代劇を演じ、その都度掲げる公約に一貫性が無く、失言を海外に告知し、現知事は、威勢よく乗り込んできたが政治家同士の利権のつぶし合い、奪い合いを見苦しい程内外に露見し、スポーツの祭典がこれでは「品の悪い政治家の祭典」と相成った感じが否めないと感じるのは、私だけでしょうか。そしてこの集大成は、この度の森喜朗氏が自ら引き起こした「女性へのハラスメント」が最終章と化し、前代未聞の開催4カ月前の辞任と相成ったのでした。東京五輪は、最初から政治家がミスリードしてしまったことが最大の過ちでした。当初より本Kファイルでは、このような結末を迎えるであろうことを強く指摘させて頂いておりました。

■問題の発端とプロゼクトマニュアルの欠陥

静観して見ていますと一つの方向に問題が偏っている事が透けて見えて来るのです。それは、2020年東京オリンピックパラリンピック開催招致活動のプレゼンテイションで公言、公約した予算が全くの招致する為の「飾り予算」で在った事です。これがそもそもの本プロゼクトの「トリックの起点」となって、国民、都民の税金を湯水のように投入するストーリーが仕組まれていたのです。今日では、この描かれていたシナリオが遂行されていることから、本プロゼクトを立案、遂行した執行部達の意味深な笑みが目に浮かびます。しかし、彼らは「後は野となれ山となれ」と丁度長野冬季五輪同様に「経理上の重要書類を何時焼却するか」の最大の責務を残すだけとなっているのかも知れません。

この招致活動初期から、関係省庁及び関係機関、東京都は、種々の思惑の人達が絡み合い複雑怪奇な様相でスタート致していました。これをスポーツ・アドミニストレイターの視点で指摘させて頂きますと、そもそもの最大の問題は、本プロゼクトの主催者に当たる石原慎太郎都知事が本巨大プロゼクトに強い興味を持ち、都民の税金で招致活動に邁進、自身が幕開けから幕閉じまで首を突っ込んで、利権の構図を描きその利権に手を突っ込んだことから今日の限りなく高騰する資金(税)投入に点火したのが発端と思われます。

当時より利権をせしめようとする東京都議与党軍団、都知事とそうさせまいとする文科省OBを中心とした超党派で構成する国会議員連盟団なる利権グループが当初より抗争していたように見受けられたのです

■オリンピック歴史の再現か

嘗て1976年カナダ、モントリオール大会が、オリンピック大会史上例を見ない巨額の赤字負債を抱える大会となった事などを契機に、IOCは、この一大問題打開の策として当時のIOCサマランチ理事の提案でそれまでのオリンピック憲章から「アマチュア」の言葉を削除して変革、オリンピックにスポーツビジネスを解禁し、またプロ選手の参加に扉を開いたのでした。しかし、その後この改革の弊害が毎回の開催都市招致に関わる闇の世界を構築、獲得票を集めるための莫大な闇資金で買収する暗黒のネットワークを生み、大会の巨大化に伴う主催国、都市に莫大な資金を投入させて大会を肥大化させ、負のレガシー(遺産)を山積みさせて来たのです。そして2020年東京大会は、最後の巨大化されたオリンピック大会の負のレガシーの終焉であろうと言われるに至っています。

本東京大会以降は、大会招致の国が激減し、ついに2024年パリ、2028年米国ロサンゼルス市と入札する競争相手も無く、24,28大会が自動的に同時に決まったのも偶然ではないのです。いったい東京大会招致活動は、何だったのか。此れは、まさに1976年のカナダ・モントリオール大会後にオリンピック大会招致に興味を持たなくなった国々が出た時期に戻り、歴史が形を変えて繰り返される事になったのです。この事は、東京大会招致委員会にとっては、因果と言う表現しか見当たらないように思えてなりません。IOC理事達の罠にまんまと日本の政治家達の欲を逆手に取られた事に等しいのです。

東京五輪は政治家達の利権の巣窟と化した大会か

  東京大会開催組織委員会は、このことを如何に理解しているのか、いや、気にもかけている様子もなく、ただ国税、都税をいくら引き出すか、引き出せるかに奔走している状態が、今尚続いている様子が伺えます。勿論、スポーツ振興機関からの補助金、コマーシャルスポンサーからのスポンサーシップとサポートを受けているのも事実です。本来は、国民、都民の公金を充てにしないで2020年東京大会を招致活動で勝ち得た方法があったのも事実です。当時招致関係者は、公金を使わない大会擁立に誰もが興味すら見せなかった理由は何故だったのか。Kファイルの読者の皆様は、Kファイルを通してその結論に至るかと思われます。

2.お飾りだった大義の震災復興は何処に

■震災復興は五輪招致への客寄せパンダだったか

当時の大義「震災復興」は、いつの間にか消えて無くなり、現在はオリンピック・パラリンピック大会を我が国、東京都に持って来た意義もコンセプトも見えてこないようになったのが現実ではないでしょうか。よって、元々招致活動を推進するには、大義となり得る「震災復興」がIOC理事達、海外・国内へのアピールに必要な広告塔であったのだと思われます。

しかし推進者達は、この大義に対するプロゼクトマニュアルも持たず、ただの「キャッチコピー(目を引く餌)」程度にしか考えていなかった事が、今日の状況を物語っているように思えてなりません。これらの関係者は、国民が選挙で選んだ国民の代表(実際は各選挙区の民の民意)、都民が選んだ都議、都知事の発想、見識、モラルかと思うと、筆者は、我が国の将来を憂えていますが、私だけなのでしょうか。此れも国の今日の戦後の平和が逆に起因しているのかも知れません。

招致活動でのプレゼンテイションでIOC理事達のみならず、国際社会、国民に告知し、約束致した「お金の掛からないコンパクトなオリンピック・パラリンピック東京大会にする」約束事は、いったい何だったのか、どうしてこのよう手段を取ってまで突き進んでしまったのでしょうか。国民、社会は、マスメデイアの報道にただ浮かされている場合でないように思えてなりませんが・・・残念です。

大手マスメデイアが東京五輪組織委員会とスポンサー契約をしていたことをご存じでしたか。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS)

紹介:Gファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文芸春秋社 著 武田頼政

お知らせ

この度のNO.152からは、東京五輪開幕を7月23日に控える中、いまだ開催か中止かの告知も出来ない状態、この間に国民、社会、読者の皆様にはリマインドして頂きたく掲載を決断いたしました。読者の皆様には、不明であったパズルの穴を是非埋めて頂ければ幸いです。