KファイルNO.153:大義無き東京五輪招致の莫大な付けは国民に

KファイルNO.153:大義無き東京五輪招致の莫大な付けは国民に

無断転載禁止             毎月第二、第四木曜日掲載予定

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筆者の私見

今日の東京五輪組織委員会(TOCOG)の醜態は、招致プロゼクトを始めた当初より危惧して参った一人です。このような近年の世界最大のスポーツイベントには、経験豊富でトータルマネイジメントが出来るプロフェッショナルなスポーツ・アドミニストレイターのリーダーが不可欠でした。にも拘らず、他意を持った国会議員、都知事たちが我も我もと首を突っ込み私物化してしまいました。これを見透かしていたIOC、広告代理店、建設企業、等は、我先にと神輿を担ぎ始めたことに端を発していたと申し上げて過言でありません。もう一度東京五輪の本質的な今日までの問題と経過を「リマインド」する為にも既にKファイルで掲載致しました内容に加筆を致します。読者の皆様には、改めて何が問題の本質であったかを思い出して頂きながら、日本、社会、国民は今後次世代の為にも何を真剣に改善、改革して参らなければならないかを熟考して頂けましたら筆者の喜びでもあります。本原稿は、リマインドを中心としましたので、その年、その時に起きている事を中心に展開して参りますのでご承知の上ご笑読下されば幸いです。

目次

東京五輪は国民社会に何を与えた

1.招致活動後の利権抗争

呉越同舟の陣取り合戦

■利権抗争とその終焉

東京五輪は国内最大の政治家の利権抗争

2.2020東京五輪の国内メデイアの不可解な報道

■国内マスメデイアは「正義と公正」を取り戻せるか

■強烈な個性を有する米国、英国、仏マスメデイア

筆者の疑問と問題の本質   

 

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2021年3月11日      公開

KファイルNO.153:大義無き東京五輪招致の莫大な付けは国民に

2020東京五輪は国民と社会に何を与えた

1.招致活動後の利権抗争

呉越同舟の陣取り合戦

招致活動の進展と共に、利権を巡る抗争は激化していきます。最終的には、都知事を中心とした都議与党と、もう一方は国会議員の利権代表であり文教族の元文部大臣(現文科省)で元自民党総裁、総理大臣経験者の森喜朗氏を雛壇に祭り上げた国会議員連盟団という構図です。この2大勢力グループの本プロゼクトに於ける最終目的は、いったい何だったのか読者の皆様は既に勘付かれていたのではないでしょうか。

両グループがけん制し合い、潰し合い、激突したのは、多分本プロゼクトの目的が両陣営共に酷似していたからだと思われます。また、どちらが最終的な権力、利権を握ってもよいように最初から両陣営に二股掛けていた政治家、関係者もいて、彼らには、双方の思惑がよく透けて見えていたと思われます。

このような優柔不断な節操の無い政治家及びその関係者の態度と行動は、事の次第をより複雑化し、長期化し、国民、社会から今日信頼を失って行った結果ではないかと思われます社会、国民の目と心は、マスメデイアが真の情報を提供せずともそんなに節穴ではないと思いますが如何でしょうか

彼らは、双方美味しい利権に肖りたい、強奪したいが為に政治家の理念も道徳観念もかなぐり捨て権力・利権闘争に飽きもせず明け暮れています。誠実で正直な政治家、関係者は、ほんのわずかながらいる事も確かですが、思いは届かなかったようです。

勝ち組は、既に彼らの目標を達成しているので派閥の中で、組織委員会の中枢で厚顔で表裏で闊歩しているのはご承知の通りです。

負け組は、新たな利権を求めて2020年後を見据えた、大学競技スポーツ利権の構築の為に「日本版NCAA(全米大学競技スポーツ協会の総称)」という他国の大学組織の歴史的な看板を勝手に持ち出し、キャッチコピーを掲げて、文科省スポーツ庁を先導に現在進行させているようです。次は、教育機関のスポーツ利権狙いか。この花火は、リーダー(スポーツ庁長官)がこれまたお飾りであった為か組織の名称だけ取り巻きが付けてスポーツ庁の実績と考え実質は現在機能不全になってしまったようです

注:本件に付きましては、長年筆者が米国大学、NCAAでの実践経験者でありましたので、タイミングをみてスポーツ・アドミニストレイターの視点で、NCAAは何たるかを述べさせていただきますのでご期待下さい。これもまた無から有を生む新たな利権開発に教育者と言う名の方々も参戦し、学生達が巻き込まれて行っています。

利権抗争とその終焉

此のところ日本の新聞各社は、2020年東京大会の費用に付いて、昨年暮れに総額1兆3500億円(うち都は6000億円負担)と報じました。しかし、先日は、都が新たに8100億円追加の必要性を発表しました。勿論これらの追加資金投入も都民の税金から投入するという意味です。此れでは、小池都知事の力強かった選挙前後の公約、勢いが空手形同然でそれまでの知事と何ら代わり映えしません。現在は都知事の存在感すら薄れてしまったと感じられるのは、如何なものでしょうか。現都知事が、嘗ての都知事と異なる点は、女性でオリンピック利権に手を染めさせてもらえていないところでしょうか。これが現都知事の厚顔に一層アンダー・アーマー(鎧の下着)を身にまとったようにも見受けられます

此処でスポーツ・アドミニストレイターとしての視点で申し上げますと、スポーツ・アドミニストレイションに於きましては、このような国際的なイベントに国を代表、都民を代表する政治家がむやみやたらに絡んで参りますとスポーツ大会及び競技スポーツの本質が変質し、見失われてしまう事です。この東京大会の実例は、それを証明していると思われます。

2018年平昌(ピョンチャン)冬季五輪は、北朝鮮平壌ピョンヤン)五輪と揶揄されていますが、国際政治に翻弄された大会と化してしまいました。本来は、IOCの統括責任者であるT・バッハ会長が前面にでて、行き過ぎた五輪大会の政治家、政治利用に歯止めをかける勇気と技量が必要不可欠でした。今後に禍根を残した大会となった事は、五輪の歴史に新たな汚点を残した事になりました。これで、公金を利用した五輪大会は、政治、政治家に利用、活用される大きなリスクが伴う事が証明されました。東京大会も同じ運命を背負っている事を忘れてはなりません。

東京五輪は国内最大の政治家の利権抗争

今日の2020年東京大会のアドミニストレイションは、まさに真のスポーツ・アドミニストレイターが不在で政治家集団の利権争奪ゲームが現在最終局面を展開していると申し上げても過言でありません。彼らの目的、目標は、本大会に関する利権闘争という政争ゲームでメダルを獲得する事であり、震災復興、五輪はそのためのツール(道具)としてしか見えていないのでしょう

勿論、このような世界最大の競技スポーツのイベント招致、開催には、国を代表する政治家が関わる事も「ある部分」では確かに必要です。しかし、東京大会は、最初から政治家及びその官僚関係者、OB在りきのために、本スポーツ・アドミニストレイションをより複雑化し、真のスポーツ界のリーダー(求心力、仕切る人間)を不在にし、談合がよりやりやすい環境を形成していると思われます

これは、起きるべきして起きている我が国の伝統的な手法の一つです。何事もバランス感覚を失い、何方かに極端に偏重すると本質を失い国家と国民に甚大な被害が及んでいる事を、考えもしない人達なのかも知れません

この手法を用いる事で競技スポーツのアドミニストレイションは棚上げされ、まさにJustice(正義)もFairness(公正・公平)も無き、負の利権レガシーが構築されてしまうのです。

また、現場の組織・団体に於きましては、既に組織の中に政治家、元政治家、関係者が悪代官として鎮座しているのでアスリートが五輪代表権を争う以前に、政治家、JOC、競技団体の関係者による組織委員会の委員に成るための代表権争いが繰り広げられていると理解した方が判りやすいと思われます。

 2.2020東京五輪の国内メデイアの不可解な報道

国内マスメデイアは「正義と公正」を取り戻せるか

 スポーツ・アドミニストレイションは、国民・社会と選手関係者の為に必要不可欠なスポーツに関するトータルマネイジメントの総称なのです。

東京五輪組織委員会は巨大マスメデイアによりガードされていることをご存知ですか。わが国のマスメデイアは、グローバル社会のマスメデイアと本質的な違いに付いて思考された事はございますでしょうか。TV、マスメデイアは、何故国民、社会に寄り添った真の情報をセアーしようとされないのでしょうか

誤解を恐れず申し上げますと、問題は、この状況下で我が国の巨大マスメデイアが、この利害と利権の構図の中に組み込まれているケースが多く、真の情報が国民、社会に届けられていないと思われることです。つまり、お上にすり寄るマスメデイアでは、真に国民、社会、スポーツ界の正常化に寄与するのは難しいという事です。スポーツを話題にした番組では、日々長時間面白おかしく、商品化して視聴率を稼ぐ事を目的とする事からどの番組もタレント、スポーツを語るタレント、弁護士、等をたらい回ししているようです。マスメデイアには、真に国民のオピニオンリーダーとして、見識と志を高く持って頂きたいと心より願う次第です

我が国のマスメデイアの基本的な体質は、企業に雇用された1記者と表現した方が理解しやすいと思われます。その記者は、1リポーターとしての職責、責務しか所属企業から与えられておらず、ジャーナリストとしての本質的な自由は与えられていないと思われます。ジャーナリストとリポーターは、本質的に異なる職域だと私は理解しています。この事を我々国民、社会は、理解できていないのではないかと思うのです。よって、記者は、自身の理念、感情、倫理感をジャーナリストとして報道させてもらえない事が、大きな問題だと思います。

■つい先日もNHKの9時のニュースのアンカーマンのキャスターが自民党の現政権の重鎮の逆鱗に触れ、まもなく降格、左遷とマスメデイアが既に告知しています。国の公共放送がマスメデイアとしてのジャーナリズム、ジャーナリストとしてのプロフェッショナルイズムが保護、維持できないような公共放送でガバナンス云々を語る資格はないと思います。即ち自由民主主義国家の屋台骨が腐敗、腐食してしまっている事に国民社会は、何故怒りを表さないのでしょうか。このような零弱した日本国家を隣国たちは、爪を研ぎ虎視眈々と上陸の機会をうかがわせる隙を与えている要因の一つである事さえ気付かない、気付こうとしないのです。

我が国に於いては、国民の表現、言論の自由が法により保証されている筈ですが、マスメデイア組織では企業の利権、利害を最優先するが為に、ジャーナリストとしての使命までもが奪い取られているようです。その為に生じている現象の一例として、紙面の記事原稿が何処の新聞社、TV、等も代り映えしない、即ちマスメデイアの紙面、TV情報、記者の特徴、個性が無くなってしまっているように感じてなりません。本来の記者、ジャーナリストは、芸能タレントさんではない筈ですが・・・。

記者を雇用している企業は、事業(ビジネス)を最優先するが為に真実を報道できない仕組みになっていると理解した方が判りやすいかと思います。

筆者は、権力に立ち向かい“NO” が言える真の勇気あるマスメデイア、記者で在って欲しいと切に願います。そうでなければ日本国民は、常に真の情報、知識を得られず正しい判断ができなくなります。その為には、マスメデイアが本来のジャーナリストとしての使命を堅持し、ぶれない日本のマスメデイアで在って欲しいと切に願う一人です。読者の皆さんは、どう思われますか。勿論、マスメデイア企業にも、記者にもジャーナリズムを堅守し素晴らしいプロフェッショナリテイーを持って、日夜活躍、活動されている企業、記者も沢山いらっしゃる事も付け加えさせて頂きます。

強烈な個性を有する米・英・仏マスメデイア

此れがNYタイムズ社、ワシントンポスト社、ロサンゼルスタイムズ社、ABC、CBSNBC、FOX、等のマスメデイアの先進国、及びそこに所属する報道、ライター達と日本の報道企業、機関、記者達との根本的な違いではないかと思われます。よって、嘗てのワシントンポスト社の記者がジャーナリストとしての真価を発揮し「大統領の関与した事件(ウオーターゲート事件)」を告発して歴史の変革に寄与したのと、わが国の企業マスメデイアのリポーターとの違いのように思えてなりません。この国のJustice(正義)は、もう死に体なのでしょうか。Kファイルの読者の皆さんなら理解して戴けるのではないでしょうか。

つい最近では、2020年東京五輪の開催か中止かで2020年明けから大騒ぎになりました。その際もIOC、TOCOG、東京都、日本国政府が右往左往している時に米国ワシントンポスト紙のサリー・ゼンキンズ(女性)記者の記事が全世界に発信、配信され各国アスリート達、関係者達が声を高らかに発し始めて、IOC、日本国首相、東京都知事、五輪相、組織員会会長と全員政治家達は密室での談合で「延期」を決めた経緯は、読者の皆様も記憶に新しいと思います

しかし、この火付け役は、日本のマスメデイアではなく海外のマスメデイアであった事は、丁度竹田JOC元会長の招致疑惑を報じた英国のガーデイアン紙と同じでした。これにより竹田氏は、JOC会長の要職が延長で在ったにも関わらず辞任に追い込まれて去って行ったのでした(表向きは、定年退職と体裁を装ったのは偽りでした)。

これは、日本のマスメデイアが東京五輪組織委員会とスポンサー契約をしているアンフェアー(不公平)でジャステイス(正義)の無いマスメデイアであることを証明したに等しいと言わざるを得ないのです

このような、組織、構造の企業としてのマスメデイアでは、真の情報提供を期待しても難しく、このために莫大な公金が東京大会組織委員会内部で消滅して行っていても不思議では在りません。問題は、本プロゼクトの中枢となる運営、管理者達の大多数が、競技スポーツの経営、運営、管理経験の無い人達であり、その方々が権力の中枢に居る事だと思います。莫大な公金を使用しながら、これらをチェックする第三者機関のインフラクションコミテイー(特捜部門)も設置していないのは、何でもありの無法地帯(out of Law)と化している次第です。

筆者の疑問と問題の本質

2021年3月6日現在、東京五輪組織委員会森喜朗会長のハラスメント言動による失脚」に伴い、新たに森氏の娘と公言されて憚らない橋本聖子氏(五輪相、国会議員、元アイススケート出身)が森喜朗氏を後ろ盾に新会長に選ばれました。しかし、頭を取り換えても「森喜朗氏の院政」に何の変革を与えるものでもありません(組織委員会の重要ポストは森氏が任命した役員に変化なし)

 

そして橋本新会長は、森氏の意思を受け継ぎあくまで「東京五輪を開催します」と同じ文言を繰り返しているに過ぎず、「東京五輪ありき」の強気姿勢を崩していません。何を根拠に彼女もこの強気姿勢を通そうとするのか愚かとしか申し上げるしかありません。スポーツ界は、政界同様に自浄能力は、皆無のようです。

彼女が今見せなければならないその根拠とは、スポーツ医科学的なCOVID-19に対する国民、社会、選手、関係者達への安全性とその実行力のある準備マニュアルを組織委員会として公開、告知することなのです

そして、この状況下で何カ国から何人の選手関係者が参加を希望しているのかの数値を基にした対策シュミレイションマニュアルの経過報告すらこの場に及んで出せない状況下である事です。

そして、日本国民の80%以上が中止を切に望んでいる事を鑑みず、唯単にオリンピックお宅の如く「開催するんだ」では、何の説得力もなく、この非論理的な言動、行動自身が国民社会に不安をもたらし、IOC、東京組織委員会、東京都、日本国政府への信頼を失っている根拠ではないでしょうか

■3月5日、 橋本新会長は、「国民に安心感が無い限り開催は難しい」と今までとは異なる真逆な発言をマスメデイアに告知しました。この方々には、意志と信念、等は無縁なのかも知れません。もともと何もお持ちでないのかも知れませんこの発言の真意はともかく、多分この発言の裏には、これも海外主要国(英国、米国、オーストラリア、等)の東京五輪への参加に対する雲行きが怪しくなったことから、今日迄断言してきた言質を覆す強気な言動、態度から何時でも逃亡出来る「トーンダウンしたニューアンス」に変更を余儀なくされたと捉える事が自然かも知れません。橋本新会長に交代してよかったと捉えるには、あまりにも無理があるという事です。

このような優柔不断な船頭に短期間と言え東京五輪丸を任せた日本政府、組織委員会理事、評議員に公益財団法人としてその使命と責任の所在を明らかにして頂きたいのは、他でもない国民なのです。国民の不安は、ここにあるのです。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS)

紹介:Gファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文芸春秋社 著 武田頼政

お知らせ:

東京五輪開催に際しての当初からの政治家達とその出来事をリマインドして頂けましたでしょうか。2021年7月23日延期東京五輪開催目前にしてIOC、組織員会、東京都、日本国政府は、いまだ開催の根拠も公表できず東京五輪森喜朗丸は、東京湾をさまよっています。次回をご期待下さい。