Kファイル特別寄稿:高橋 潤氏(元朝日新聞記者)の最終原稿より

Kファイル特別寄稿:高橋 潤氏(元朝日新聞記者)の最終原稿より

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お知らせ

 現在Kファイルでは、東京五輪が本年7月23日に延期開催となりましたことから東京五輪リマインドシリーズを掲載中であります。この度は、シリーズのインターミッションを頂きまして筆者の古い友人、元朝日新聞運動部記者の高橋潤さんを紹介させて頂く事にしました。同氏は朝日新聞を退職後、2013年2月から8年余り、月刊誌「マスコミ市民」に「新聞の日本語  ここがおかしい」のタイトルで連載を寄稿されていましたが、本年度4月号を持って筆を置く決心をされました。

付きましては、その記念原稿を同氏、同月刊誌編集長のご了解を頂きKファイルの読者の皆様にご紹介させて頂く事になりました。  筆者より 

筆者との出会い~

この度僭越ながらご紹介させて頂きます高橋 潤氏は、筆者が尊敬する友人の一人で、日本人ジャーナリストです。同氏との出会いは、1984年ロサンゼルス五輪以前にさかのぼります。丁度、時期は、私が米国の大学勤務から完全に帰国し、西武鉄道(株)の堤義明社長秘書(野球事業特務)であった時と記憶しています。知人のオーラン・キャッセル氏(当時TAC、全米陸上競技連盟専務理事)が来日し、同氏の記者会見が確か赤坂の某ホテルで行われた時にキャッセル氏から個人的に協力要請を受け同席し、同時通訳を致した会場で初めて高橋氏にお目にかかった次第です。キャッセル氏の記者会見後の質疑応答の時に、多くのマスメデイア担当諸氏の中の一人として手を上げられ大きな声で質問された高橋記者(当時朝日新聞、運動部)を鮮明に覚えています。 

この記者会見後、高橋記者から私にホテルの喫茶室で名刺を頂きました、その名刺を今も大事に保管しています。この時から今日までの間に約十数年の空白の時期を経てもいつも変わらぬお付き合いをさせて頂いている事に心より感謝致しております。

この程、高橋氏からお便りを頂き初めて知る事が多く、同氏がご苦労された数々の体験は、小生が経験したことに重なります。高橋氏のご苦労とそのご努力は、誰よりも理解させて頂き、その痛みはいつまでも共有させて頂きます。

高橋 潤氏からのお便り

■記者時代の思い出から

横浜ではサツ回り・港湾関係、広島では市政・原爆関係、京都では遊軍・

国際会議場などを担当。運動部では陸上競技、テニス、卓球、スキーなどのいわゆるマチュアスポーツや体協・JOC関係、オリンピック関係を担当した。1984年ロサンゼルス五輪を取材。企画第2部はスポーツイベント担当で、東京国際女子、福岡国際両マラソンをはじめ、スーパー陸上アメフットのライスボウルやバスケットのジャパン・クラシックなどの企画・運営に当たった。

こどもの国の「業務部」は催事・広報およびプール・スケート場や遊具などの管理・運営、自然環境の整備・改善等の担当部局である。

※広島在勤が1年余と短かったのは、大阪万博の年に京都国際会議場ができたため、上の方で「英語屋が必要だろう」と馬鹿げた発想で私を異動させたらしい。国際会議はその都度担当の専門記者が取材するのだから、「会議場担当」など無意味である。

沖縄・那覇支局への異動も同じ発想で、沖縄の基地問題に関心を持って希望していた記者を拒否して私に決めたらしい。

週刊朝日も私が希望したわけではない。運動部で、アマチュア問題や冠大会問題で私が批判したデスクが企画第2部長席に座り、煙たい私を追い出すため、旧知の週刊編集長に「高橋が書ける場所(記者活動ができる部署)に行きたいと希望しているから」とまったくのウソを吹き込んで異動が決まったらしい。これはその編集長から直接聞いた話で間違いない。新聞社もニセ情報が結構通る世界なのだ。

 幼少期の思い出~

 私の父は山形県南置賜郡山上村の農家の末っ子で、米沢市山形県立米沢工業学校の機械科を出て海軍に入り、海軍技手養成所で勉強した後広島・呉、横須賀、山形・真室川の飛行機操縦訓練所などで勤務したようです。真室川で敗戦を迎え、毛布2枚配られたときに、「これはお国のものだから、いただくわけにいかない」と断ったという、クソ真面目な世間知らず。母は同じ村の農家出身で米澤高等女学校の国文教師をしていた、これまた熱血漢の娘に生まれ、周囲が決めた結婚で顔も見たことのない男の嫁に行ったら(福島県の温泉地)、これがとんでもない遊び人で妾がいたとか。

やはり近所に嫁に来ていた女学校時代の友だちが同じような境遇で、2人で示し合わせて逃げ出し、東京に出てきたといいます。父と母の実家が姻戚関係になっていた関係で、2人が東京でくっついちゃったらしいのですが、これで両方の家から勘当されたそうです。終戦で行くところがなくなり、実家に頭を下げて田舎の役場に勤めたのですが、赤貧洗うが如しの貧乏暮しでした。物置のような家に住み、冬には寝ていると煙抜きから雪が顔に降ってきました。

 中・高・大の思い出~

 中学校では英語の先生にかわいがってもらい、参考書や問題集をもらって勉強しましたが、あとはNHKの松本亨の英会話を聴くぐらい。この先生に教会のアメリカ人牧師さんに何度かつれていってもらった程度です。AFSの選考面接によくぞ通ったものです。米国イリノイ州のホームステイ先でも話が通じず、host mother はよく紙と鉛筆を持って来て「これに書きなさい!」といら立っていました。高校でも宿題が相当出ますから、泣きながら毛布をかぶって勉強していました。

まあ、そんなわけで、大学に入ったときも、親からもらったのは入学金と半年分の授業料だけ。あとはバイトと奨学金でなんとか生きのびました。授業の出席率は5%もなかったかなあ。「まだ卒業できないよう!」という悪夢に長いことうなされました。

学生はやはり勉強が必要ですね。まあ、いろいろ考えると、まずまずの人生なのだろうと思っています。

高橋  潤・プロフィール

氏  名:たかはし・じゅん

生年月日:1941年10月10日

■教  育

1957年 山形県米沢興譲館高校入学

1958年  American Field Service 高校生交換留学制度で米国イリノイ州Rock Island市へ。59年5月、同市Rock Island 高校卒業。

1961年  山形県米沢興譲館高校卒業/東京大学文化1類入学

1964年  東京大学法学部休学(1年間)

1966年  東京大学法学部卒業。同学部政治コースに学士入学。

同学部中退/ 朝日新聞入社(11月)

■職  歴

(学生時代)

1962年~63年 外国人観光客の案内ガイド

1964年7月~65年6月 米国政府〈国務省及び労働省〉招待の米国視察

日本人のための通訳・添乗員(公的雇用主は米国務省外郭団体のMeridian House Foundation)

1966年~67年  サイマル・インターナショナル国際会議同時通訳

(国際消化器学会東京大会、国際包装協会東京大会、OECDパリ会議など)

(社会人)

1966年11月   朝日新聞社入社・横浜支局。

1972年5月    大阪本社社会部

1979年 7月   東京本社運動部

1986年11月   東京本社企画第2部

1991年 10月  週刊朝日編集委員

1993年  3月  出向・こどもの国業務部長

 

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新聞の日本語 ここがおかしい(99)

月刊誌「マスコミ市民」    マスコミ市民連載 2021年4月号   

朝日新聞東京本社紙面から―    高橋 潤(元朝日新聞記者)

はじめに

8年余、この連載を本誌に書かせていただいた。認めて下さった理事会、編集部の方々、そして読者の皆様に心から感謝申し上げる。きれいでわかりやすい日本語を、特にメディアの世界で大事にしたいという不遜な願いから思い立ったことだが、浅学菲才の身ゆえ、的外れも誤りもあったかと思う。お許しを乞う。気力、体力も衰えたので、今回で終わりにする。 

「言葉は変化するものだ」というのは無論正しいが、ある識者が嘆いていたように、昨今の日本語の変化は激しすぎる。テレビや新聞を見ていても、意味が取れない表現がますます増えている。意味や用法を考えずに、頭のどこかの引き出しにある言葉を引っ張り出して並べているとしか思えないことが。感覚を研ぎ澄まし、いろんな角度から言葉の意味を、表現の適不適を考えてほしいと思う。一つの例を紹介して最終回とする。

NCAAは「全米大学体協」か

数年前、畏友、河田弘道氏から問い合わせのメールがきた。

日本のマスメディアでは「NCAA=全米大学体育協会」と訳していますが、根拠・理由はどこにあるのでしょうか。先日朝日に掲載された某大学教授のコメントでも「全米大学体育協会」とあったので問い合わせたら、大学事務局から〈教授は「全米大学競技スポーツ協会」と申し上げた。朝日の記者に確認したら、「表記のルールがそうなっている」という回答だった〉とのことでした。

河田氏は、日本体育大学卒業後渡米、オレゴン大大学院で学びながら競技スポーツ部門の助手を務め、続いてブリガムヤング大学の大学院体育学修士課程を修了して、同大学競技スポーツ部門のコーチ、監督兼スポーツ・アドミニストレーターとして活躍した。米国オリンピック委員会(USOC)と日本オリンピック委員会(JOC)の橋渡し役も担った。その後は西武鉄道グループやNEC日本電気のスポーツ活動の強化や各種スポーツ・イベントのコーデイネーターとして活動した。94年から4年間、プロ野球東京読売巨人軍長嶋茂雄監督の黒衣の参謀として仕えた裏の物語は、武田賴政氏との共著『Gファイル』(文藝春秋)に詳しい。05年~11年中央大学客員教授。13年~17年東京国際大学客員教授。17年4月からブログ「Kファイル」でスポーツの諸問題を発信中。特に箱根駅伝の運営面については参考になる。

メディア数社の「新聞用語集」を調べたが、見つけたのは朝日新聞「取り決め集」92年版のみで「全米大学体育協会」とあった。日本新聞協会に「新聞用語懇談会」があり、文科省常用漢字表を変更する場合などに用語幹事が集まって「懇談」する。強制力はない。問題の訳語はずっと以前に決まったもののようだ。ウィキペディアも「全米大学体育協会」の名で解説し、「コトバンク」(デジタル大辞泉)も「全米大学体育協会」である。

近年、「アスリート」(athlete)というカタカナ語が日本語として認知されるようになった。「競技者」の意味である。「NCAA」の3文字目の「A」は Athletic 。まさしく大学の「競技スポーツ」の統括団体なのだ。大学の体育授業ではない。NCAAについては河田氏が「Kファイル」で詳しく論じているので、ぜひ読んでほしい。

私がファイルした過去の切り抜きでは、「全米大学スポーツ連盟」もあり、「現代オリンピックの発展と危機1940‐2020」(石坂友司著、人文書院、2018年1月)にはアメリカのスポーツは、全米大学競技協会(NCAA,全米大学体育協会とも訳される)……。という訳もある。だが、「競技スポーツ」がわかりやすい。

新聞用語の問題点を知りながら。「決まりだから」と古い規則に従い、問題提起さえしない記者が増えているのか。

日本体育協会が「日本スポーツ協会」に名前を変え、2年前誕生したスポーツ庁が主導して「大学スポーツ協会」を発足させたのに(中身は問題だらけ)、真似させてもらった本家を「体育協会」と呼び続けるのは、日米で余りに違う中身を国民に知られたくないからか大学スポーツ協会のウェブサイトに「全米大学体育協会」の訳語が載っているのは救われない

朝日新聞今年1月7日朝刊オピニオン面のインタビューで、韓国出身、大阪在住のラッパー、モーメント・ジューンさんが、日本の社会をこう語る。

「日本の社会が信じている価値は、民主主義や人権や公正ではなく、平穏なのではないかと思います……静かで平穏であることが何よりも大事にされている」

※河田氏の経歴やブログの内容は許可を得て引用しています。ブログは「Kファイル  河田弘道」で検索して下さい。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

紹介:Gfile「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文芸春秋社 著 武田頼政

お知らせ:

筆者は、米国から帰国して間もない時期に知人の記者会見の同時通訳者として同席したがために、高橋 潤氏にお目にかかりこのようなご縁を頂きました事に感謝いたしております。高橋氏は、常に誠実で正直な裏表の無い方なので大変信頼できる方です。私が大変リスペクトするところは、取材に於いても記事に於いても忖度がない所です。読者の皆さんは、どのように感じられましたか。このような貴重な人材こそ、今日に必要なスポーツジャーナリストだと確信しています。私は、同氏から沢山の事を学びました。

次回KファイルNO.157は、予定通りに5月13日、木曜日に公開を予定しております。ご期待ください。