KファイルNO.190:特別寄稿1996年メイクドラマの功労者からの便り

KファイルNO.190:特別寄稿1996年メイクドラマの功労者からの便り

無断転載禁止               毎月第二、第4木曜日掲載予定

注)右からMr. Oscar Suarez、長嶋茂雄監督、河田弘道(kファイル筆者)

  1996年8月16日:東京ドーム監督来客室にてバルビーノ・ガルベス投手のエイゼント(MLB選手代理人)の来日を受け、ゲーム前に監督と歓談、丁度7月5日迄首位広島と11.5ゲーム差を連戦連勝でゲーム差を少なくし始めている時期でしたので、監督は大変ご機嫌な様子が伺えるかと思います。

 

オスカー・シュワレズ氏からの便り~

親愛なる河田弘道

 大変ご無沙汰しています。今日は、米国のサンクスギビングデイの最終日です。私は、休日はいつも自宅で静かな時間を保っています。私は、間もなくウインターミーティングが始まるので、準備に忙しい時間を費やしています。今日は、あなたと長嶋氏の写真を見ながら「この時は、皆若かったな~」と色んな思い出に更けていました。私は、あなたとの出会いとご縁を大切にして参っています。あなたは、バルビーノ・ガルベス投手に東京読売ジャイアンツで仕事をする機会を与えて下さった唯一の方です。バルビーノは、今もあなたの事を思い出し感謝の念を私に託します。それは、私も同様です。本日は、感謝の念を込めてあなたに私の思い出の貴重な写真とお手紙をお送りしました。受け取って下さい。感謝をこめて。

Oscar Suarez

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目次

東京読売巨人軍に於ける「96メイクドラマ」とは

東京読売ジャイアンツの全盛期(TV地上波視聴率年平均24%)

Ⅰ.バルビーノ・ガルベス投手を獲得した根拠

序章

■長嶋監督への最初の注文

■1995年連覇を目したシーズンに人災が

■人災は更なる損失を球団に誘引

■偽りのクリスマス休暇

Ⅱ.バルビーノ・ガルベス投手に96巨人軍の運命を託す

■情報収集とそのリテラシー

■オスカー・シュアレズ氏にエイゼント魂を見た

 

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2022年12月08日 木曜日                  公開

無断転載禁止         

KファイルNO.190:特別寄稿1996年メイクドラマの功労者からの便り

東京読売巨人軍に於ける「96メイクドラマ」とは

東京読売ジャイアンツの全盛期(TV視聴率年平均24%)

当時は、今日の東京読売巨人軍とは異なり1993年に長嶋茂雄氏が長年の浪人生活にピリオドし、第二次長嶋政権(通称:長嶋ジャイアンツ)が発足した時期の生臭い真実の物語です。1993年初年度の長嶋ジャイアンツは、長年の藤田元司監督の後を受けての1年目でその結果は、ペナントレース3位でした。 

私は、長嶋ジャイアンツ発足前の1992年の晩秋に長嶋茂雄氏から、巨人軍入団のお誘いを頂きました。しかし、当時私は、プロ野球界から離れて10年の歳月が経過していましたので、お受けしても成果と結果を出す準備が出来て居なかったので、1993年度シーズンは外から拝見させて頂く事でご理解をして頂きました。小職は、1994年のシーズンより「東京読売巨人軍編成担当常務取締役兼監督」の補佐として就任させて頂いた次第です。

(詳細は、2006年10月13日発売のGファイル「長嶋茂雄と刻印の参謀 文芸春秋社、著 武田頼政」をご笑読下されば幸いです。同書籍は、印刷部数を最初に限定した為発売間もなく完売、現在は、アマゾンでの中古本が売買されています。一般的に本書籍は、パッションの強烈な書籍とされているようです)

読者の皆様は、既にご承知の通り1994年の長嶋ジャイアンツのシーズンは「メイクミラクル」と呼ばれました。10月8日には、名古屋中日球場のリーグ最終戦はゲーム差0で迎えた決戦は当時「国民的行事」と言わしめたプロ野球界の歴史に残る大一番でした。結果は、ジャイアンツが勝利を勝ち取り、その年の日本シリーズに於いては、其れ迄日本シリーズの常勝球団の森 祇晶氏(もり まさあき)率いるパの獅子、西武ライオンズを粉砕して、長嶋茂雄氏の初めての日本シリーズ優勝を勝ち取ったのでた。10・8夜の地上波のTV視聴率は、確か60数パーセントを超えていたかのように聞き及んでいます。

Ⅰ.バルビーノ・ガルベス投手を獲得した根拠

序章

1994年メイクミラクルを完成した後、次年度シーズン春先から不思議な出来事に見舞われ始めたのです。1995年シーズンは、球団フロントの体制が丁度新旧の過渡期の年でもあった時期でした。

特に球団編成部門に於きましては、旧態依然の体質を引きずりながら外国人選手のスカウティング、リクルート活動と非常に複雑な人間関係が利害、利権で絡み合い、選手の本質を見きわめる以前に球団OBが絡んだ内外の構造的問題が、そのまま継承されていたのです。

小職は、「長嶋監督、渡辺恒雄最高責任者の了解の元、長嶋茂雄氏を監督として東京読売巨人軍を勝たせてくれ」との合意形成が成されたのでお引き受けした次第です。その為私は、長嶋監督がいくら全権監督として渡辺氏からお墨付きを頂いていても、この矛盾した肩書から内部の反長嶋陣営に渡邊氏の死角をついて起こされるであろう陰湿な陰謀、策謀が透けて見えていたのでした。

この事は、既にその10年前に私は西武国土計画に身を置いていた時に性悪説を自ら唱える人間の思考回路とその行動規範を体験していたことが、非情に役立った次第でした。よって、河田は、そうされないようなその最低限の担保を確保する為に次の一手を打ったのでした。それは、1993年既に長嶋ジャイアンツ1年目のシーズンを終えたオフに読売新聞社の臨時株主総会長嶋茂雄監督が招かれることを事前に察知した時、間髪入れずに監督に注文した事です。

■長嶋監督への最初の注文

監督は、株式会社よみうり(当時の東京読売巨人軍は、株よみうりに所属し地方読売新聞社の一員と位置付け)の役員になって経営陣に加わって頂けませんか。そして経営者兼監督としてフロントに踏み込む権限を渡邊社長から得て下さい。そうでなければ私がどんなにアイディアを出して孤軍奮闘しても、生かす事は出来ないし、プロテクトもできないのです。理解してくれますか。此れが組織であり、ジャイアンツは長嶋商店ではないのです

この「注文」を出した2週間後、1993年12月8日、株式会社よみうりの臨時株主総会が開催されました。その総会に招かれた長嶋茂雄監督は、スピーチの機会を得た為に「東京読売巨人軍に何が必要か」に付いてのテーマに絞り込み原稿の準備を致したのが、小職の最初の仕事であったと記憶いたしています。

当時総会を終えた読売新聞社重鎮達(渡辺恒雄氏、小林與三次会長、水上健也・大阪本社社長、正力亨氏・巨人軍オーナー、等)は、皆興奮気味に顔を紅潮させていたことを出席者から私の耳に伝えられました。

その根拠は、長嶋茂雄監督が全員一致で監督兼常務取締役編成担当としてフロントと現場を統括する、読売巨人軍初の「全権監督」の誕生を承認しただけではなく、長嶋監督の就任「スピーチ」の見事さに皆驚嘆され呆気にとられたというのが真相だったそうです。

スピーチを終えた長嶋監督には、総会の全出席者から盛大な拍手があり、当の本人自身も顔面を紅潮させ興奮冷めやらない様子であったとの別の方から報告を頂いた次第でした。これにより、全権監督とは、只のお飾りではなく実質を伴った「権限」を頂いたのです

私の心中は、お題目の全権監督では意味がない。経営者に加わって頂く事で球団フロントと現場コーチングスタッフに対する監督の命令に効力を発し、河田の策が監督を通して明確に反映されることが大切と判断したからです。これは、また長嶋さんがこのような体制を準備できるか否かで、小職を使う覚悟をはかりたかったのです。この球団・ティームは、内部のポリティカルゲームに勝たなければ、シーズンはもとより日々のゲームに勝つなど非常に難しい球団体質でした事を既にリサーチさせて頂いていたので、仕事を成す前の準備の重要性を改めて確認させて頂きました。

 

■1995年連覇を目したシーズンに人災が

 丁度この年は、年明け早々厄介な知らせが球団に飛び込んで参りました。

それは、桑田真澄投手にMLBサンフランシスコ・ジャイアンツから一通の身分照会が来たのでした。それは、1995年の1月の事でした。この時期は、まだ球団フロントの体制が旧態依然の人間関係と複雑怪奇な状態が続いていましたので、情報の漏洩、錯綜が利害、利権に絡み合い、小職にこの情報が届いた時には時差があった記憶があります。

元来、桑田投手は、無類のMLBへの関心が高く独自に英語を学びMLBの情報、資料を積極的に複数の人間を介して収集していた事は存じていました。しかし、この当時のフロントの体制は、前年12月に臨時株主総会で長嶋監督兼常務取締役編成担当が承認されたばかりで、人事が全くなされていない状態でした。

 事の発端は、この身分照会の件が一部の球団内部幹部に留められ球団独自の判断で要請を断ったようでした。その後、球団内のコンセンサスも見当たらない中、本人にこの情報が漏れ聞こえて行ったのです。これは、河田の私見と視点ですが、「それを知った本人は、其れ以降94年の桑田真澄投手とは全く別人のBehavior(目に見えて分かる外なる態度)、Attitude(目に見えない内なる態度)に微妙な変化を見せ始めたのです。この問題を契機にネガティブな元来の桑田イメージが沸々と牙を出し始めたのか、どんどんと音を立てて階段を踏み外して行った事を記憶しています。

このシーズン開幕間もなくして、桑田投手は、ゲーム中に三塁へのファールボールを追いかけて捕球した際に右肘を人工芝に打ち付けたという理由(元来投手が野手まがいのフィールディングをするのは邪道)から、本人の申し出により痛みを伴い投げられないとの申し出がありました。(ティームの医師、PTは、投げられるとの判断)

この申し出以降戦力から外れて以来巨人は、低迷を余儀なくされました。しかし何とかオールスター前には、漸く3位に這い上がり、後半に連覇がかかる光が見え始めた頃でした。当時の順位は、1位広島、2位ヤクルト、3位巨人の序列。

しかし、またしても奇妙な事件が起きたのです。それは、1位を走る広島カープ球団のエース、チェコ投手(代理人団野村氏、野村克也氏の長男)が突然球団への不満をぶち上げて、球団を退団しカープが瀬戸内海を漂流し始めたのです。と同時に不思議な件がジャイアンツにも起きました。それは、94年ヤクルトでプレーしたジャック・ハウエル選手は、翌年95年に巨人に移籍。彼は、その年の巨人軍でよい仕事をしてくれていましたが、7月のオールスター戦の間にアリゾナに一時帰国した後、本人から退団を伝えて来たのです。広島カープ同様にジャイアンツも主軸を失い多大な被害を被ったのです。

私は、このような不可思議に起きる事件と事故を業務の一環として特に注視している中で、個々の選手達を「点」として取られていたのですが「線」で繋がり、その線の延長線上に何と野村克也氏(夫妻)の存在が、一人の大手ゲーム機器メーカーの会長氏の証言に寄り浮かび上がった時は個人の自己中の極め付きを目にした思いを致しました。

 

■人災は更なる損失を球団に誘引

1995年シーズンは、野村克也監督(ヤクルトスワローズ)の契約最終年だったので、このシーズンは野村ファミリーにとりましては是が非でも結果を残さなければならなかったようです。 

 対する東京読売巨人軍は、実質桑田投手を失い、ジャック・ハウエル選手を失い、先発投手陣の補強が急務で合ったのは事実でした。そこで秘密裏に韓国のエースと当時日本のマスメディアが情報を流布していた「趙 成珉投手(ちょ・そんみん)右投右打. 身長/体重, 194cm/95kg. を巨人軍が獲得と巨人軍の広報紙のスポーツ報知が告知したのでした。

残念ながら本件に付いては、当時の保科代表、倉田編成部長からは何の情報も無かったのは事実でした。しかし、新しい球団編成の構造から長嶋編成担当常務兼監督に本件が入れば、その補佐の河田はしるべきである重大な用件でした。後に本投手の報告は、監督、投手コーチに在り長嶋監督、堀内投手コーチ共に「趙 成珉投手は、来季の巨人のエースである」との過大評価のコメントがマスメディアの紙面を賑わした事を覚えています。小職は、後にこのコメントに配慮をして立ち回らなければならなくなったのです。

私は、趙 成珉投手なる選手のパフォーマンスも確認した事が無かったので非常に不安を感じていました。そこで担当者に直接確認すると何と契約年数が8年契約で巨人軍は、10年を持ちかけたが相手が拒否したとの呆れた契約であった事が判明。更に私を激怒させたのは、同選手との契約前に必要なフィジカルイグザム(身体検査)を行っていなかった事でした。そこで私は、僭越ながら当時球団幹部達には「あなた方ド素人もいい加減にしなさいよ」、この投手に莫大な契約金を手渡し、これから8年間いくら支払えばよいと考えるか。同投手が活躍できなかった場合の被害は、誰が責任を取りますか、と。

このような事態から、外国人選手に関する重要懸案も人任せに出来ず、私に対する負担が常務兼監督補佐以外にも大きく圧し掛かって来たのです。

95年シーズンも慌ただしく終えようとする時期でした。趙 成珉投手を秋の宮崎キャンプに招集する旨を担当者に半ば強制的に伝えたのを今も尚鮮明に覚えています。

私が即行動に移したのは、宮崎キャンプに参加している同投手を宮崎病院で球団が指定する検診を受け、担当医の所見を受ける事。そしてもう1つは、球団が宮崎に向かわせる市川繁之氏(PT、PNF)を立ち会わせて問診、触診に寄る検診を受け、医師とPTの報告書を提出するよう求めたのでした。

案の定、その夜の宮崎からの市川氏からの報告では、「趙 成珉投手は、とても良い選手ですが、来期96年に成果を期待できる投手ではありません。河田さんが、この投手に来シーズン期待されるのでしたら、河田さんがシーズン泣きを見ます。無理です。MRI、レントゲン、問診、触診によるエビデンス(証拠)もあります。肩肘には韓国針も埋め込まれています」との速報が宮崎から深夜に一報が入った次第でした。

 

■偽りのクリスマス休暇

事態は、一刻の猶予も無く趙 成珉投手の検診報告書の整理を行い、報告書は、新球団常務編成担当兼監督宛に手配し、長嶋氏から渡辺社長へ、そしてそのコピーが球団代表に回されて今後の責任の所在を明らかにするよう報告書の末尾に述べさせていただきました。

同投手には、シーズン開幕前のオープン戦3月10日、オリックスを相手に先発させましたが2回で6安打9失点とアウトが取れず、投手コーチはマウンドから降ろさざるを得なかった。そしてシーズンにチャンスを与えましたが、市川PT、PNFの最終報告通り「イニングのアウトカウントも取れず、マウンドを降板の繰り返しでした」の結果でした。私は、この現実を球団幹部担当者、期待していた監督、投手コーチに見て頂き、本人には、フェアネスの原則にのっとり与えられる全てのチャンスを与えた次第です。この事は、本人が退団の意思を示さない限り、8年間の契約を履行せざるを得なかった当時の球団の契約内容であったのです。

1995年12月第二週に小職は、監督にクリスマス休暇願を出して静かに米国に移動したのでした。多分読者の皆様は、既に想像されていると思います。そうです、私は、96年シーズンの長嶋ジャイアンツの生死を託す桑田真澄投手と趙 成珉投手に代わる投手を見つけ出さない限り、春のキャンプに顔が出せないDestinyを背負わされたのです。

クリスマス休暇と称した米国での滞在は、地獄の渡米の日々であった事を初めて読者の皆様にはお伝えいたします。

 

Ⅱ.バルビーノ・ガルベス投手に96巨人軍の運命を託す

■情報収集とそのリテラシー

米国滞在中の私のリストの中で目を引いたのは、95年に台湾でシーズンを過ごした時の成績のみならず、同投手の球種と彼は独特の投球フォームから投げるボールの重さに注目したのです。大多数の日本の打者は、非力が多く重いスピードボールと逆回転のスライダー(日本ではシュートボールと呼ぶ)が武器であったのが大変魅力を持ったのです。そして、最終的に決め手となったのは、ガルベス投手の真骨頂である打者に向かって行くあの闘争心に惚れ込みました。

そこで私は、中南米を担当しているMLBのスカウトマン、ドミニカ出身のコーチ達、嘗てガルベスを指導したLAドジャースのファームコーチ、等々とあらゆる人間関係のネットワークを駆使してガルベスを獲得する為の根拠になるソースを短期間で収集したのを思い出します。

当時バルビーノ・ガルベス投手は、MLBのTEXAS・レンジャーズの所有物であったので、友人の紹介でガルベスの所有権を持つレンジャーズ球団のファーム担当ディレクターとコミュニケイションラインに入ったので、此処からはしばらくレンジャーズでのガルベス投手のステイタスの確認及び、契約書を買い取れるか否かの交渉に入って行きました。このディレクターは、キュウバ系の移民で大変強かな人物でした。同投手がレンジャーズの財産であるにも関わらず、ディレクターは、テーブルの下で手を伸ばして来る人間であった事も承知していたので、既にガルベスの代理人であるオスカー・シュワレズ氏(Oscar Suarez)とは、TEXAS・レンジャーズ球団の高位経営者から紹介を受けていた関係で信頼関係にあったので、此のファームディレクターは形式的な窓口として作業を遂行致した次第です。

 

■オスカー・シュアレズ氏にエイゼント魂を見た

 先ずTEXAS・レンジャーズ球団からは、ファーム所属のガルベス投手を一週間巨人軍の宮崎キャンプにレンタル料を支払い、同投手には、日当を日払いで払う約束で、略着の身着のままで宮崎に送り出しました。そして、その趣旨、目的は、8年契約でメディカルチェックもせず契約した球団幹部、それを来シーズンの巨人のエースとマスメディアに公言した長嶋監督と堀内恒夫投手コーチへの配慮の為に、ガルベス投手の宮崎入りは、二軍用のテスト生という大義名分でカムフラージュして、使い物にならない趙 成珉投手に対しても傷を付けまいとする配慮が必要であった事を読者の皆様は是非ご理解して下さい。

この出来事は、宮崎キャンプの春の珍事となるのも時間の問題でした。この珍事の模様は、米国にいる河田の所に毎晩深夜に電話報告をしてこられる長嶋監督の声のトーンで察しがついていました。

私は、そのような騒ぎになるのは当然であり趙 成珉投手とそれに関係した球団幹部には申し訳なかったが、長嶋ジャイアンツを活かすためには背に腹は代えられない緊急事態であったのです。

宮崎が11球団のスカウト達とマスメディアの注目の的となっていたころ、米国では、ガルベス投手のTEXAS・レンジャーズ球団からの譲渡問題、同投手と東京読売ジャイアンツとの契約問題と日夜詰めの作業を行う日々を送っていました。

この時、いつもガルベス側の代理人であるオスカー氏の協力なしには、獲得しえなかった真実をご紹介させて頂きます。オスカー氏は、96年メイクドラマの陰の功労者の一人と呼ばせて頂きます。また、その後快進撃を続けるジャイアンツ投手陣に於いて、唯一心配の火種となった抑えの石毛投手の故障から急遽、お化けフォークの持ち主でしたマリオ・ブリトー投手の代理人は、これまたオスカー・シュワレズ氏でした。これに伴う同投手の所属球団のフロリダ・マーリンズGMには、シーズン中にも関わらず無理を申し上げ譲渡に協力して頂いたことに感謝致します。

このような皆様のご協力とご理解を得て、1996年度の東京読売巨人軍は、無事メイクドラマを完結させて頂きました。このシーズン、バルビーノ・ガルベス投手は、16勝を挙げ最多勝を獲得、初年度契約はわずか2000万円でしたので、インセンティブ(成功報酬)で少しは彼の努力に報えたと思います。

このシーズンは、まさに桑田真澄投手のネガティブ思考に始まり、バルビーノ・ガルベス投手によりメイクドラマは終演を迎える事ができました。

河田弘道の修羅場は、これから読売劇場開演を迎えるのです。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

紹介:Gファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文藝春秋社 著 武田頼政

お知らせ:読者の皆様には、メイクドラマの裏舞台の生臭い魑魅魍魎の日本社会の縮図を見る様だったのではないでしょうか。国民が熱狂、関心を寄せるスポーツ程、TV画面の裏側はヘドロの沼地である事をご認識ください。TV、マスメディアを通して大きな声で「スポーツマン・シップだとか、アスリート・ファースト」等と宣うご人達は、得てしてその正反対か、対極に位置する人物が多い事をお忘れなく。

KファイルNO.190:特別寄稿1996年メイクドラマの功労者からの便り

KファイルNO.190:特別寄稿1996年メイクドラマの功労者からの便り

無断転載禁止               毎月第二、第4木曜日掲載予定

注)右からMr. Oscar Suarez、長嶋茂雄監督、河田弘道(kファイル筆者)

  1996年8月16日:東京ドーム監督来客室にてバルビーノ・ガルベス投手のエイゼント(MLB選手代理人)の来日を受け、ゲーム前に監督と歓談、丁度7月5日迄首位広島と11.5ゲーム差を連戦連勝でゲーム差を少なくし始めている時期でしたので、監督は大変ご機嫌な様子が伺えるかと思います。

 

オスカー・シュワレズ氏からの便り~

親愛なる河田弘道

 大変ご無沙汰しています。今日は、米国のサンクスギビングデイの最終日です。私は、休日はいつも自宅で静かな時間を保っています。私は、間もなくウインターミーティングが始まるので、準備に忙しい時間を費やしています。今日は、あなたと長嶋氏の写真を見ながら「この時は、皆若かったな~」と色んな思い出に更けていました。私は、あなたとの出会いとご縁を大切にして参っています。あなたは、バルビーノ・ガルベス投手に東京読売ジャイアンツで仕事をする機会を与えて下さった唯一の方です。バルビーノは、今もあなたの事を思い出し感謝の念を私に託します。それは、私も同様です。本日は、感謝の念を込めてあなたに私の思い出の貴重な写真とお手紙をお送りしました。受け取って下さい。感謝をこめて。

Oscar Suarez

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目次

東京読売巨人軍に於ける「96メイクドラマ」とは

東京読売ジャイアンツの全盛期(TV地上波視聴率年平均24%)

Ⅰ.バルビーノ・ガルベス投手を獲得した根拠

序章

■長嶋監督への最初の注文

■1995年連覇を目したシーズンに人災が

■人災は更なる損失を球団に誘引

■偽りのクリスマス休暇

Ⅱ.バルビーノ・ガルベス投手に96巨人軍の運命を託す

■情報収集とそのリテラシー

■オスカー・シュアレズ氏にエイゼント魂を見た

 

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2022年12月08日 木曜日                  公開

無断転載禁止         

KファイルNO.190:特別寄稿1996年メイクドラマの功労者からの便り

東京読売巨人軍に於ける「96メイクドラマ」とは

東京読売ジャイアンツの全盛期(TV視聴率年平均24%)

当時は、今日の東京読売巨人軍とは異なり1993年に長嶋茂雄氏が長年の浪人生活にピリオドし、第二次長嶋政権(通称:長嶋ジャイアンツ)が発足した時期の生臭い真実の物語です。1993年初年度の長嶋ジャイアンツは、長年の藤田元司監督の後を受けての1年目でその結果は、ペナントレース3位でした。 

私は、長嶋ジャイアンツ発足前の1992年の晩秋に長嶋茂雄氏から、巨人軍入団のお誘いを頂きました。しかし、当時私は、プロ野球界から離れて10年の歳月が経過していましたので、お受けしても成果と結果を出す準備が出来て居なかったので、1993年度シーズンは外から拝見させて頂く事でご理解をして頂きました。小職は、1994年のシーズンより「東京読売巨人軍編成担当常務取締役兼監督」の補佐として就任させて頂いた次第です。

(詳細は、2006年10月13日発売のGファイル「長嶋茂雄と刻印の参謀 文芸春秋社、著 武田頼政」をご笑読下されば幸いです。同書籍は、印刷部数を最初に限定した為発売間もなく完売、現在は、アマゾンでの中古本が売買されています。一般的に本書籍は、パッションの強烈な書籍とされているようです)

読者の皆様は、既にご承知の通り1994年の長嶋ジャイアンツのシーズンは「メイクミラクル」と呼ばれました。10月8日には、名古屋中日球場のリーグ最終戦はゲーム差0で迎えた決戦は当時「国民的行事」と言わしめたプロ野球界の歴史に残る大一番でした。結果は、ジャイアンツが勝利を勝ち取り、その年の日本シリーズに於いては、其れ迄日本シリーズの常勝球団の森 祇晶氏(もり まさあき)率いるパの獅子、西武ライオンズを粉砕して、長嶋茂雄氏の初めての日本シリーズ優勝を勝ち取ったのでた。10・8夜の地上波のTV視聴率は、確か60数パーセントを超えていたかのように聞き及んでいます。

Ⅰ.バルビーノ・ガルベス投手を獲得した根拠

序章

1994年メイクミラクルを完成した後、次年度シーズン春先から不思議な出来事に見舞われ始めたのです。1995年シーズンは、球団フロントの体制が丁度新旧の過渡期の年でもあった時期でした。

特に球団編成部門に於きましては、旧態依然の体質を引きずりながら外国人選手のスカウティング、リクルート活動と非常に複雑な人間関係が利害、利権で絡み合い、選手の本質を見きわめる以前に球団OBが絡んだ内外の構造的問題が、そのまま継承されていたのです。

小職は、「長嶋監督、渡辺恒雄最高責任者の了解の元、長嶋茂雄氏を監督として東京読売巨人軍を勝たせてくれ」との合意形成が成されたのでお引き受けした次第です。その為私は、長嶋監督がいくら全権監督として渡辺氏からお墨付きを頂いていても、この矛盾した肩書から内部の反長嶋陣営に渡邊氏の死角をついて起こされるであろう陰湿な陰謀、策謀が透けて見えていたのでした。

この事は、既にその10年前に私は西武国土計画に身を置いていた時に性悪説を自ら唱える人間の思考回路とその行動規範を体験していたことが、非情に役立った次第でした。よって、河田は、そうされないようなその最低限の担保を確保する為に次の一手を打ったのでした。それは、1993年既に長嶋ジャイアンツ1年目のシーズンを終えたオフに読売新聞社の臨時株主総会長嶋茂雄監督が招かれることを事前に察知した時、間髪入れずに監督に注文した事です。

■長嶋監督への最初の注文

監督は、株式会社よみうり(当時の東京読売巨人軍は、株よみうりに所属し地方読売新聞社の一員と位置付け)の役員になって経営陣に加わって頂けませんか。そして経営者兼監督としてフロントに踏み込む権限を渡邊社長から得て下さい。そうでなければ私がどんなにアイディアを出して孤軍奮闘しても、生かす事は出来ないし、プロテクトもできないのです。理解してくれますか。此れが組織であり、ジャイアンツは長嶋商店ではないのです

この「注文」を出した2週間後、1993年12月8日、株式会社よみうりの臨時株主総会が開催されました。その総会に招かれた長嶋茂雄監督は、スピーチの機会を得た為に「東京読売巨人軍に何が必要か」に付いてのテーマに絞り込み原稿の準備を致したのが、小職の最初の仕事であったと記憶いたしています。

当時総会を終えた読売新聞社重鎮達(渡辺恒雄氏、小林與三次会長、水上健也・大阪本社社長、正力亨氏・巨人軍オーナー、等)は、皆興奮気味に顔を紅潮させていたことを出席者から私の耳に伝えられました。

その根拠は、長嶋茂雄監督が全員一致で監督兼常務取締役編成担当としてフロントと現場を統括する、読売巨人軍初の「全権監督」の誕生を承認しただけではなく、長嶋監督の就任「スピーチ」の見事さに皆驚嘆され呆気にとられたというのが真相だったそうです。

スピーチを終えた長嶋監督には、総会の全出席者から盛大な拍手があり、当の本人自身も顔面を紅潮させ興奮冷めやらない様子であったとの別の方から報告を頂いた次第でした。これにより、全権監督とは、只のお飾りではなく実質を伴った「権限」を頂いたのです

私の心中は、お題目の全権監督では意味がない。経営者に加わって頂く事で球団フロントと現場コーチングスタッフに対する監督の命令に効力を発し、河田の策が監督を通して明確に反映されることが大切と判断したからです。これは、また長嶋さんがこのような体制を準備できるか否かで、小職を使う覚悟をはかりたかったのです。この球団・ティームは、内部のポリティカルゲームに勝たなければ、シーズンはもとより日々のゲームに勝つなど非常に難しい球団体質でした事を既にリサーチさせて頂いていたので、仕事を成す前の準備の重要性を改めて確認させて頂きました。

 

■1995年連覇を目したシーズンに人災が

 丁度この年は、年明け早々厄介な知らせが球団に飛び込んで参りました。

それは、桑田真澄投手にMLBサンフランシスコ・ジャイアンツから一通の身分照会が来たのでした。それは、1995年の1月の事でした。この時期は、まだ球団フロントの体制が旧態依然の人間関係と複雑怪奇な状態が続いていましたので、情報の漏洩、錯綜が利害、利権に絡み合い、小職にこの情報が届いた時には時差があった記憶があります。

元来、桑田投手は、無類のMLBへの関心が高く独自に英語を学びMLBの情報、資料を積極的に複数の人間を介して収集していた事は存じていました。しかし、この当時のフロントの体制は、前年12月に臨時株主総会で長嶋監督兼常務取締役編成担当が承認されたばかりで、人事が全くなされていない状態でした。

 事の発端は、この身分照会の件が一部の球団内部幹部に留められ球団独自の判断で要請を断ったようでした。その後、球団内のコンセンサスも見当たらない中、本人にこの情報が漏れ聞こえて行ったのです。これは、河田の私見と視点ですが、「それを知った本人は、其れ以降94年の桑田真澄投手とは全く別人のBehavior(目に見えて分かる外なる態度)、Attitude(目に見えない内なる態度)に微妙な変化を見せ始めたのです。この問題を契機にネガティブな元来の桑田イメージが沸々と牙を出し始めたのか、どんどんと音を立てて階段を踏み外して行った事を記憶しています。

このシーズン開幕間もなくして、桑田投手は、ゲーム中に三塁へのファールボールを追いかけて捕球した際に右肘を人工芝に打ち付けたという理由(元来投手が野手まがいのフィールディングをするのは邪道)から、本人の申し出により痛みを伴い投げられないとの申し出がありました。(ティームの医師、PTは、投げられるとの判断)

この申し出以降戦力から外れて以来巨人は、低迷を余儀なくされました。しかし何とかオールスター前には、漸く3位に這い上がり、後半に連覇がかかる光が見え始めた頃でした。当時の順位は、1位広島、2位ヤクルト、3位巨人の序列。

しかし、またしても奇妙な事件が起きたのです。それは、1位を走る広島カープ球団のエース、チェコ投手(代理人団野村氏、野村克也氏の長男)が突然球団への不満をぶち上げて、球団を退団しカープが瀬戸内海を漂流し始めたのです。と同時に不思議な件がジャイアンツにも起きました。それは、94年ヤクルトでプレーしたジャック・ハウエル選手は、翌年95年に巨人に移籍。彼は、その年の巨人軍でよい仕事をしてくれていましたが、7月のオールスター戦の間にアリゾナに一時帰国した後、本人から退団を伝えて来たのです。広島カープ同様にジャイアンツも主軸を失い多大な被害を被ったのです。

私は、このような不可思議に起きる事件と事故を業務の一環として特に注視している中で、個々の選手達を「点」として取られていたのですが「線」で繋がり、その線の延長線上に何と野村克也氏(夫妻)の存在が、一人の大手ゲーム機器メーカーの会長氏の証言に寄り浮かび上がった時は個人の自己中の極め付きを目にした思いを致しました。

 

■人災は更なる損失を球団に誘引

1995年シーズンは、野村克也監督(ヤクルトスワローズ)の契約最終年だったので、このシーズンは野村ファミリーにとりましては是が非でも結果を残さなければならなかったようです。 

 対する東京読売巨人軍は、実質桑田投手を失い、ジャック・ハウエル選手を失い、先発投手陣の補強が急務で合ったのは事実でした。そこで秘密裏に韓国のエースと当時日本のマスメディアが情報を流布していた「趙 成珉投手(ちょ・そんみん)右投右打. 身長/体重, 194cm/95kg. を巨人軍が獲得と巨人軍の広報紙のスポーツ報知が告知したのでした。

残念ながら本件に付いては、当時の保科代表、倉田編成部長からは何の情報も無かったのは事実でした。しかし、新しい球団編成の構造から長嶋編成担当常務兼監督に本件が入れば、その補佐の河田はしるべきである重大な用件でした。後に本投手の報告は、監督、投手コーチに在り長嶋監督、堀内投手コーチ共に「趙 成珉投手は、来季の巨人のエースである」との過大評価のコメントがマスメディアの紙面を賑わした事を覚えています。小職は、後にこのコメントに配慮をして立ち回らなければならなくなったのです。

私は、趙 成珉投手なる選手のパフォーマンスも確認した事が無かったので非常に不安を感じていました。そこで担当者に直接確認すると何と契約年数が8年契約で巨人軍は、10年を持ちかけたが相手が拒否したとの呆れた契約であった事が判明。更に私を激怒させたのは、同選手との契約前に必要なフィジカルイグザム(身体検査)を行っていなかった事でした。そこで私は、僭越ながら当時球団幹部達には「あなた方ド素人もいい加減にしなさいよ」、この投手に莫大な契約金を手渡し、これから8年間いくら支払えばよいと考えるか。同投手が活躍できなかった場合の被害は、誰が責任を取りますか、と。

このような事態から、外国人選手に関する重要懸案も人任せに出来ず、私に対する負担が常務兼監督補佐以外にも大きく圧し掛かって来たのです。

95年シーズンも慌ただしく終えようとする時期でした。趙 成珉投手を秋の宮崎キャンプに招集する旨を担当者に半ば強制的に伝えたのを今も尚鮮明に覚えています。

私が即行動に移したのは、宮崎キャンプに参加している同投手を宮崎病院で球団が指定する検診を受け、担当医の所見を受ける事。そしてもう1つは、球団が宮崎に向かわせる市川繁之氏(PT、PNF)を立ち会わせて問診、触診に寄る検診を受け、医師とPTの報告書を提出するよう求めたのでした。

案の定、その夜の宮崎からの市川氏からの報告では、「趙 成珉投手は、とても良い選手ですが、来期96年に成果を期待できる投手ではありません。河田さんが、この投手に来シーズン期待されるのでしたら、河田さんがシーズン泣きを見ます。無理です。MRI、レントゲン、問診、触診によるエビデンス(証拠)もあります。肩肘には韓国針も埋め込まれています」との速報が宮崎から深夜に一報が入った次第でした。

 

■偽りのクリスマス休暇

事態は、一刻の猶予も無く趙 成珉投手の検診報告書の整理を行い、報告書は、新球団常務編成担当兼監督宛に手配し、長嶋氏から渡辺社長へ、そしてそのコピーが球団代表に回されて今後の責任の所在を明らかにするよう報告書の末尾に述べさせていただきました。

同投手には、シーズン開幕前のオープン戦3月10日、オリックスを相手に先発させましたが2回で6安打9失点とアウトが取れず、投手コーチはマウンドから降ろさざるを得なかった。そしてシーズンにチャンスを与えましたが、市川PT、PNFの最終報告通り「イニングのアウトカウントも取れず、マウンドを降板の繰り返しでした」の結果でした。私は、この現実を球団幹部担当者、期待していた監督、投手コーチに見て頂き、本人には、フェアネスの原則にのっとり与えられる全てのチャンスを与えた次第です。この事は、本人が退団の意思を示さない限り、8年間の契約を履行せざるを得なかった当時の球団の契約内容であったのです。

1995年12月第二週に小職は、監督にクリスマス休暇願を出して静かに米国に移動したのでした。多分読者の皆様は、既に想像されていると思います。そうです、私は、96年シーズンの長嶋ジャイアンツの生死を託す桑田真澄投手と趙 成珉投手に代わる投手を見つけ出さない限り、春のキャンプに顔が出せないDestinyを背負わされたのです。

クリスマス休暇と称した米国での滞在は、地獄の渡米の日々であった事を初めて読者の皆様にはお伝えいたします。

 

Ⅱ.バルビーノ・ガルベス投手に96巨人軍の運命を託す

■情報収集とそのリテラシー

米国滞在中の私のリストの中で目を引いたのは、95年に台湾でシーズンを過ごした時の成績のみならず、同投手の球種と彼は独特の投球フォームから投げるボールの重さに注目したのです。大多数の日本の打者は、非力が多く重いスピードボールと逆回転のスライダー(日本ではシュートボールと呼ぶ)が武器であったのが大変魅力を持ったのです。そして、最終的に決め手となったのは、ガルベス投手の真骨頂である打者に向かって行くあの闘争心に惚れ込みました。

そこで私は、中南米を担当しているMLBのスカウトマン、ドミニカ出身のコーチ達、嘗てガルベスを指導したLAドジャースのファームコーチ、等々とあらゆる人間関係のネットワークを駆使してガルベスを獲得する為の根拠になるソースを短期間で収集したのを思い出します。

当時バルビーノ・ガルベス投手は、MLBのTEXAS・レンジャーズの所有物であったので、友人の紹介でガルベスの所有権を持つレンジャーズ球団のファーム担当ディレクターとコミュニケイションラインに入ったので、此処からはしばらくレンジャーズでのガルベス投手のステイタスの確認及び、契約書を買い取れるか否かの交渉に入って行きました。このディレクターは、キュウバ系の移民で大変強かな人物でした。同投手がレンジャーズの財産であるにも関わらず、ディレクターは、テーブルの下で手を伸ばして来る人間であった事も承知していたので、既にガルベスの代理人であるオスカー・シュワレズ氏(Oscar Suarez)とは、TEXAS・レンジャーズ球団の高位経営者から紹介を受けていた関係で信頼関係にあったので、此のファームディレクターは形式的な窓口として作業を遂行致した次第です。

 

■オスカー・シュアレズ氏にエイゼント魂を見た

 先ずTEXAS・レンジャーズ球団からは、ファーム所属のガルベス投手を一週間巨人軍の宮崎キャンプにレンタル料を支払い、同投手には、日当を日払いで払う約束で、略着の身着のままで宮崎に送り出しました。そして、その趣旨、目的は、8年契約でメディカルチェックもせず契約した球団幹部、それを来シーズンの巨人のエースとマスメディアに公言した長嶋監督と堀内恒夫投手コーチへの配慮の為に、ガルベス投手の宮崎入りは、二軍用のテスト生という大義名分でカムフラージュして、使い物にならない趙 成珉投手に対しても傷を付けまいとする配慮が必要であった事を読者の皆様は是非ご理解して下さい。

この出来事は、宮崎キャンプの春の珍事となるのも時間の問題でした。この珍事の模様は、米国にいる河田の所に毎晩深夜に電話報告をしてこられる長嶋監督の声のトーンで察しがついていました。

私は、そのような騒ぎになるのは当然であり趙 成珉投手とそれに関係した球団幹部には申し訳なかったが、長嶋ジャイアンツを活かすためには背に腹は代えられない緊急事態であったのです。

宮崎が11球団のスカウト達とマスメディアの注目の的となっていたころ、米国では、ガルベス投手のTEXAS・レンジャーズ球団からの譲渡問題、同投手と東京読売ジャイアンツとの契約問題と日夜詰めの作業を行う日々を送っていました。

この時、いつもガルベス側の代理人であるオスカー氏の協力なしには、獲得しえなかった真実をご紹介させて頂きます。オスカー氏は、96年メイクドラマの陰の功労者の一人と呼ばせて頂きます。また、その後快進撃を続けるジャイアンツ投手陣に於いて、唯一心配の火種となった抑えの石毛投手の故障から急遽、お化けフォークの持ち主でしたマリオ・ブリトー投手の代理人は、これまたオスカー・シュワレズ氏でした。これに伴う同投手の所属球団のフロリダ・マーリンズGMには、シーズン中にも関わらず無理を申し上げ譲渡に協力して頂いたことに感謝致します。

このような皆様のご協力とご理解を得て、1996年度の東京読売巨人軍は、無事メイクドラマを完結させて頂きました。このシーズン、バルビーノ・ガルベス投手は、16勝を挙げ最多勝を獲得、初年度契約はわずか2000万円でしたので、インセンティブ(成功報酬)で少しは彼の努力に報えたと思います。

このシーズンは、まさに桑田真澄投手のネガティブ思考に始まり、バルビーノ・ガルベス投手によりメイクドラマは終演を迎える事ができました。

河田弘道の修羅場は、これから読売劇場開演を迎えるのです。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

紹介:Gファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文藝春秋社 著 武田頼政

お知らせ:読者の皆様には、メイクドラマの裏舞台の生臭い魑魅魍魎の日本社会の縮図を見る様だったのではないでしょうか。国民が熱狂、関心を寄せるスポーツ程、TV画面の裏側はヘドロの沼地である事をご認識ください。TV、マスメディアを通して大きな声で「スポーツマン・シップだとか、アスリート・ファースト」等と宣うご人達は、得てしてその正反対か、対極に位置する人物が多い事をお忘れなく。

KファイルNO.189:日米大学競技スポーツは100年の歴史的相違

KファイルNO.189:日米大学競技スポーツは100年の歴史的相違

無断転載禁止              毎月第二、第四木曜日 掲載

上部写真は、Oregon-Autzen Stadiumの正面入り口です。フットボールのファシリティー(施設)は、53000人収容し、シーズン中ホームゲイムを6試合ホストし興行収入を得る。オレゴン大学のAthletic Sportsの一つの中核を担うドル箱商品を生産する施設なのです                     提供:オレゴン大学

 

読者からの便り

KファイルNO.188を拝読して、

河田先生の生き方は、宮本武蔵に通じるものがあります。恩師に恵まれ、目標にひたむきにつき進まれた結果、獲得した精神性の高さから、人を見抜く目を研ぎ澄まされまたようです。吉川英治作、宮本武蔵 独歩行を観すぎたせいです 笑。弟子入り志願、

松田和宏

                ―1-

 

目次

Ⅰ.大学スポーツを超越したスポーツ発信基地と化した大学キャンパス

■心の聖地を訪ねて

■大学スポーツの教育環境を整えるオレゴン大学

Ⅱ. 超一流のスポーツ・ファシリティーが鼓動を高める

Ⅲ. NIKE社を語らずしてオレゴン大学のスポーツは語れない

■AI、HI時代を見据えた大学キャンパス整備プロゼクト

■P・ナイト氏の次世代を見据えた投資とは、

■投資への核心とその分析

Ⅳ.世界陸上招致はオレゴン大学とNIKE社の関係と絆を世界に告知

オレゴン大学(UO)とO22世陸オレゴン大会との関係

Ⅴ.フィル・ナイト氏の個人資産の投資とその対価は

■母校オレゴン大学の未来に投資

筆者の私見

 

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2022年11月24日 木曜日                 公開

KファイルNO.189:日米大学競技スポーツは100年の歴史的相違

無断転載禁止

オレゴン大学の伝統的な競技スポーツ、新陸上競技場(公称:ヘイワードフィールド、28000人収容)2022年7月世界陸上オレゴン大会を米国に初めて招致、世界で初めて大学キャンパスで開催した歴史的なスタジアムです。ナイキ社は、この旧ヘイワードフィールドの工房で産声を上げた、米国の陸上競技のメッカと呼ばれています

提供:オレゴン大学

           

Ⅰ.大学スポーツを超越したスポーツ発信

     基地と化した大学キャンパス

■心の聖地を訪ねて

心の聖地を訪ね筆者は、5年ぶりの夏季休暇を取り、米国、オレゴン州ユージーン市で約1カ月半過ごしました。読者の皆様は、オレゴン州ユージーン市と聞きつい先だって世界陸上選手権大会(略称:O22世陸オレゴン大会)が即思い浮かばれたのではないでしょうか。

                         -2-

オレゴン大学の歴史と発展は、キャンパスの北西端を北東から北西に流れるウイラメット川とマッケンジー川の澄み切った清流と共に何処までも続く自然環境の中で育まれています。

ビル・バウワーマン氏亡き後を継承されてきた、もう一人のナイキ社ファウンダーの一人である、フィル・ナイト氏(B・バウワーマン氏の教え子でありビジネスパートナー)のオレゴン大学への超巨額な個人的財産の寄付、還元とそのコンセプトを探りながら、一大プロゼクトの全貌をお届けでき、それが日本の大學教育機関とそこに育む学生達、関係者達に現実を直視して頂き、我々には何が必要で、何が足りないのか学習のヒントと刺激になればと願うしだいです。これらは、別世界の逸話でなく、現実の大学の実態である事を直視して頂きたいと願うしだいです。その為には、大学、スポーツ関係者のみならず、読者の皆様もポジティブな心を持って思考いただく事を切に願います。

オレゴン大学と陸上競技、ナイキ社、及びその創設者の母校への愛情と期待を読み解く事は、学生達、学生選手達への期待と大学の在り方、地域社会、人類との共存共栄の必要性とその関係性が見えてくると思われます。

筆者は、スポーツ・アドミニストレイションの生きた教材として、スポーツ・アドミニストレイターの視点で指摘させて頂きます事を先ずご了解いただければ幸いです。

 

■大学スポーツの教育環境を整えるオレゴン大学

米国、オレゴン州、ユージーン市に位置するオレゴン大学新陸上競技場(公称:ヘイワードフィールド、28000席収容)とそれに関わる重要人物に付きましては、既に詳しく、6月、7月のKファイルにてご紹介させて頂きました。また米国を代表する世界に誇る企業としてその名を轟かせるボーイング社、マイクロソフト社にスポーツメーカーのNIKE社が挙げられる事です。

このオレゴン大学のヘイワードフィールド(旧陸上競技場)の工房に於いてNIKEが産声を上げたのは、既にご紹介を致しました。この地は、言わば「NIKEの礎石」でもある事からも大学のみならず全米のスポーツ界に多大な影響力を持つ、責任重大なスポーツの発信基地と化している事です

筆者に取りましてこの地は、約半世紀前太平洋を渡って遥々とこの地、此のキャンパスに足を踏み入れたあの日、あの時が自身の人生の道標を会得させて頂いた聖地であります。その聖地にこの度は、久しぶりに足を踏み入れ敬愛する恩師達への感謝の念を込めながらご挨拶をさせて頂いた次第です。

この度は、ビジターとして学部の正面玄関をあえて潜り抜け、先ずは当時の建物の様相をそのまま残した男子体育学部の重厚なドアを開き、当時と同様な玄関のロビーにA・エスリンジャ―教授(伝説のオレゴン大学体育学部長)の肖像画に一礼するのは、小生が此処を訪問する時の慣習となっています。

                           -3-

男子体育学部も女子体育学部も正面の建物は、全て歴史と伝統を維持保存する米国、大学の精神からも意義あるこれぞレガシーの重要性の象徴を今尚伝承していますこのレガシーを確認するたびに、スポーツ・アドミニストレイターとしての心得を諭して頂いたエスリンジャ―教授の「レガシーとは新しい建築物にあらず、スピリッツが宿った歴史と伝統を継承する事にあり」を思い出させてくれます

表玄関を入ると既にリフォーム、リモデルなった各教授のオフィスとその廊下を通り抜けると、そこから先は別世界のスポーツに関する全てのファシリティー(施設)が整い一望できます。自然と現代医科学の推移を結集した建築物は、その合理的且つ整合性のある景色が眼前に広がってくる様子を是非イメージして頂ければと思います。

 

左側の写真は、旧男子体育学部の歴史的な建造物の一つで深夜、早朝時の出入り口でした。右側の写真は、女子体育学部の歴史的建造物の一つで木造のバスケットボールジムが右側に在り現在も授業で活用しています。

丁度私が訪問した時は、9月の初旬で秋の新学期が始まる前日でした。キャンパスは、新学期のレジストレイション(履修科目の登録)を終えた学生達が慌ただしそうに行き交っていました。また、教員達、指導者達は、明日から始まる新学期のスタートの準備で慌ただしくしていた朝でした。その慌ただしい時間帯にも関わらず、各専門部門、部署の、スタッフ達が笑顔で小生を迎えて下さり、半世紀昔の大先輩達のその後について情報交換を行えた事は大変有意義な時間を共有しました。また、今日の世界のスポーツ界の行く末を語り合い、貴重な時間を共有できたことに感謝致しております。彼ら、彼女らのご健闘と成功を祈念致してキャンパスを後にしました。

半世紀前には、この同じキャンパスで学生として、教員・指導者としての立場であったあの時にタイムスリップした感じと思いが、胸に込み上げて参りました。

                         -4-

 

新学期スタートを明日に控えてFacultyメンバーは、授業の準備で多忙を極めていました

Ⅱ. 超一流のスポーツ・ファシリティー

  鼓動を高める

大学のスポーツ・ファシリティー(施設)は、学生達、学生アスリート達、及びそこに集う教職員達が自由に利用、活用できる巨大なフィットネスセンターを中心に形成されています。表玄関は、歴史的な男女異なる体育学部の建物が訪問者を迎え入れ、そしてその建物を通り過ぎると宇宙へ広がるスポーツ・医科学を屈指したフィットネスセンター、そしてトレイニング・ファシリティーへと案内されて行く構造とシステムが大変印象的です。

本写真は、新陸上競技場(ヘイワードフィールド)の正面玄関でヘイワードホールと呼ばれ、日本では貴賓室に当る玄関になるのでしょうか。ホールは、玄関からも正面にフィールドの芝生、スタンドが観えるように幾つもの特別室、パーティールーム、等々が高級ホテルをイメージして頂ければと思います。

                  -5-

先だっての世界陸上オレゴン大会をホストした陸上競技場(ヘイワードフィールド)は、体育学部のビルディングからフィットネスセンターを挟んで全てコンコースで繋がっている、言わばキャンパスの一角にオリンピック競技をホスト、開催できる全施設が整っているとの錯覚さえ覚えたのです。

陸上競技場の建設に際しては、その開発プロゼクトにはその周辺のアウトドアの改善と移設をも含まれていた事を確認出来た事は、スポーツ・アドミニストレイターとして見過ごす事の出来なかった重要な要素でありました。

陸上競技場周辺には、陸上のサブトラックを新しく移動併設され、旧野球場を女子ソフトボールスタジアムに、女子サッカー練習場、屋内屋外テニスコート、等を併設し、近くには新しいバスケットボールアリーナ(15000席収容)、と全て徒歩で行けるコンパクトな敷地内に隣接されている様子が新しいファシリティープロゼクトのコンセプトであったとの強い印象を受けた次第です。

                

 上段の写真はMatt_Knight_Arenaでオレゴン大学の新しいバスケットボールアリーナで約15000人収容できます。またアリーナには、ナイト氏の名がネーミングライツとして明記されています。下段の写真は、ゲーム中の夜景です。オレゴン大学Athletic Sportsの第二の中核をなす、ドナルドダックのホームアリーナです。         提供:オレゴン大学

                          -6-

この度の陸上競技場建設に伴うプロゼクトに於いて、野球場が対岸(ウイラメット川)に移動された事でした。そこには、巨大なフットボール競技場(アッセンスタジアム、55000人収容、オレゴンDucksのホームコート)が在り、オレゴン大学アスレティック・デパートメントの中核をなしています。

オレゴン大学は、バスケットボールシーズンとフットボールシーズンでの興行収入は約50億円を稼ぐといわれスポーツ・ビジネスの源泉を成しています。

 

本競技場は、Matt_Knight_Arenaです。既に今シーズンは、開幕致しております。ホームゲームは、常に満席でゲーム開始から終了までGO DUCKS GOのファイティングソングの大音響がチアリーダー達と共に鳴り響いています。提供:オレゴン大学

 

Ⅲ. NIKE社を語らずしてオレゴン大学スポ

   ーツは語れない

■AI、HI時代を見据えた大学キャンパス整備プロゼクト

フィル・ナイト氏はNIKEの創設者のビル・バウワーマン氏の理念をUOキャンパスに移行・実践し、ナイト氏自身の思考力を加味したプロゼクトを遂行していると理解する事が正しいと思われます。

■P・ナイト氏の次世代を見据えた投資とは

本件の情報収集を始めると、そこには企業の巨大なスポーツ・ビジネスに対する投資のみならず、投資者の人間的な本質が歴然と浮かび挙がって来た事です。

日本の実業家が事業で大成功を収め、にわか成金に成ったとしても、このような次世代を育てる環境作りの発想、教育、スポーツへの環境造りに桁外れの個人資産を投入したりする人間が現れないのは悲しい限りです。また、母校の教育、発展に寄与するなどの発想は、お持ちでないようです。

この様な実行力が伴う人物こそが、真の成功した企業経営者としてリスペクトされるのだと思われます。読者の皆様もそう思われませんでしょうか。

                         -7-

■投資への核心とその分析

筆者が特に投資内容を分析すると二つの投資COREが浮かび挙がったのです。その1つは、AI(人工頭脳、Artificial Intelligence)であり、もう一つは、HI(人間頭脳、Human Intelligence)であった事です。

特に後者のHIは、不可欠なファクターである事でした。読者の皆様の記憶に新しい、近年のNIKE厚底シューズの開発に関わる統括者は、スポーツ医科学に特化したそれも各分野、部門、部署の医科学者達のAI、HIを束ねた本プロジェクトのスポーツ・アドミニストレイター(トータルマネージメントを行う)が、企業の中心に居て特定の複数の大学の研究機関、個人の研究室と一体化したプロジェクトテイームで長年各分野のイノベイションに努めて来ていることが明らかになったのです。

この度の情報収集により、このHIの中には、筆者の米国の大学時代の友人、知人が数多く、またその家族が関わっていることに唖然とした次第です。

スポーツ・医科学の分野は、一企業内のイノベイションのみに頼るのではなくグローバルな企業に於いては既に企業を中核としたファームシステム(大学研究機関)を構築して、プラットホーム化し、医科学の情報収集からそのリテラシーにいたるまで、アイデイアからプロトタイプ(試作品)まで一貫したシステム化を図り、バーテイカル・ササエテイー(Vertical Societyピラミッド社会)を形成していることを意味しています。しかし、此れも現在スポーツマーケットの世界シェアーの50%占めるナイキ社ならではの成せる事かも知れません

スポーツ界の頂点に長きに渡り君臨して来たアデイダス社は、二代目ホルスト・ダスラー氏が亡くなられた後、近年世界のマーケットセアーは、2位(30%)となり、3位は3社(プーマ、ASICSアンダーアーマー、等)がしのぎを削っているのが現状のようです。

ヘイワード・フィールドの正面ゲートにオレゴン大学陸上部元監督、ドイツミューニック五輪のUSAティーム陸上監督、ナイキ創設者のビル・バウワーマン氏の現役監督当時のスクリーンが大きく掲げられていました。Oregon Eugeneに戻って来いと言われたあの1993年が懐かしい。有難う。ビル!

                    -8-

Ⅳ.世界陸上招致はオレゴン大学とNIKE社の

 関係と絆を世界に告知

 

オレゴン大学(UO)とO22世陸オレゴン大会との関係

UOはO22世陸オレゴン大会に深く関わっています。スタジアム、選手村、および関連するオペレーションはすべてUOキャンパスにあります。

UOは、O22世陸オレゴン大会をUO学生の学術活動に取り入れようとしました。それらは、ジャーナリズム、マーケティングMBA、生理学などの分野です。それがUOの重要案件であったことは間違いないようです。

このようにフィル・ナイト氏の遠大なるプロゼクトは、此れからも未来に向かってオレゴン大学の競技スポーツのみならず、大学、学生達、学生選手達、スポーツ医科学、地域社会の発展に役立つプロゼクトであるか、あったかは数十年先になるかもしれません。しかし、ナイト氏の本プロゼクトに寄り蒔かれた種は、もう既に世界中から集まった学生達に寄り発芽し育てられ始めています。

Ⅴ.フィル・ナイト氏の個人資産の投資とそ

  の対価は

■母校オレゴン大学の未来に投資

全てのキャッシュは、フィル・ナイト氏の個人的な資産の寄付です。 これらの施設は、大学によって所有、運営、管理されています。 正確な金額は公にされていませんが、ヘイワードフィールド建設費には、3億ドル(約420憶円)から3億5000万ドル(約490憶円)の範囲であると想定されています。

これが行われている間、彼はまた、科学開発のための新しい「ナイトキャンパス」の設立の費用のために大学に10億ドル(約1400憶円)を寄付しました。 最初の建物は昨年(2021年)オープンし、2番目の建物は来年(2023年)建設を開始します。筆者が訪問中も新しい巨大ビルの建設のために巨大なクレーンのタワーが組み立てられていました。

彼はまた、オレゴン大学スポーツ健康科学部に5億ドル(約700憶円)を寄付し、オレゴン大学にさらに数億ドルを寄付し、新しい法科大学院の建設、図書館の改造、新しいサッカートレーニング施設の建設など多くのプロジェクトを完成させています。 彼は大学にとても寛大でした。オレゴン大学は、医学校、法律学校も併設されています。ビル・バウワーマン氏、フィル・ナイト氏は、両名共にオレゴン大学の卒業生です。オレゴン大学を愛して常にリスペクトされる卒業生です。

フィル・ナイト氏のプロゼクト構想は、ただ単に母校への寄付行為、還元だけでなく学生達、大学教員達、その研究機関を統括するナイト(Knight)キャンパスをオレゴン大学に付帯し、AI(人工頭脳)とHI(人間頭脳)をトータルマネージメントする、出来るスポーツ界のイノベイションを目的に教育、スポーツ、科学、化学を融合したNIKEバレーの建設に投資し、後輩達に夢を託そうとの発想から、彼を行動に駆り立てて居るのだと思われます

 

                        -9-

オレゴン大学のベースボール・フィールドは、キャンパスのフットボール競技場側に移転しました。旧のスタジアムは、体育学部の右隣に古いバスケットボール場(マッカーシーコート)の更に右隣に隣接していました。新球場は、まさに全てが完備されて野球ファンの市民の憩いの場所になっています。

提供:オレゴン大学

筆者の私見

読者の皆様は、どの様にお感じになられましたでしょうか。筆者は、日本人として日本の大学スポーツ、大学教育機関文科省スポーツ庁地方自治体、それらに従事する関係者達を鑑みるに付け、若い世代に教育を通して未来に夢と希望を与えられる我が国独自のプロゼクトの必要性を眼前に叩きつけられた思いが致しました。オレゴン大のスポーツキャンパスは、裕福な他国の絵空事として捉えてはそこには何の夢も希望も目標も消え失せてしまうのです

我が国には、我が国の改善、改革の手法があり遣ればできると確信を持っています。此処で絶対に失ってはならない事は、身の丈に合った改善と改革の第一歩を踏みです勇気とその行動力なのです。オレゴンプロゼクトを紹介されて、日本のスポーツ、教育関係者は、腰が引けましたか。それでは、何の学習も知識も得た事に成りません。

この事からも真のスポーツと教育に携わる方々の本質の違いを、Kファイルに突きつけられたのではないのでしょうか。これは、まさにやれるか、やれないかの論議ではなく、やる強い意識と意志があるかないのかを問われているとだと思考することが正論であると思いますが、大学スポーツ、教育に携わられている皆様の見識や如何に、、、

オレゴン大学スポーツプロゼクトシリーズを複数回ご紹介させて頂きましたが、日本のポーツ関係者の皆様の脳裏に考えさせられる何かがあった事を期待して、本シリーズを閉じさせていただきます。お付き合い有難うございました。

                 -10-

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

紹介:Gファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文藝春秋社 著 武田頼政

   Kファイル(河田弘道のスポーツBLOG)

   KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada

お知らせ:オレゴン大学スポーツシリーズの最終回は、如何でしたでしょうか。

大学スポーツの考え方、教育・学問の一環、社会の構成員、人を育てる、社会との共存と共栄を学び養う、等々を加味した大学スポーツ環境が必要である事を感じて頂きましたでしょうか。此れは、他国の出来事ではなく、我が国日本に於いても可能な環境と大学教育機関であります。米国人に出来て何故日本の大學では出来ないのでしょうか。それらは、政治家、経営者、大学管理者、教員達に「創造力、判断力、決断力、Sacrificeの精神」が欠落しているように思えてなりません。

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KファイルNO.188:天は筆者に「デスティニーとフェイト」の選択を強いる

KファイルNO.188:天は筆者に「デスティニーとフェイト」の選択を強いる

無断転載禁止              毎月第二、第四木曜日公開予定

●AUTHUR A. ESSLINGER PhD.

1905~1973、DEAN 1953~1972

Oregon大学 体育学部長 専門:体育、スポーツ・アドミニストレイション。筆者が54年前に出会って、運動生理学からスポーツ・アドミニストレイションに志を変革したエスリンジャ―教授の教えを受けた最後の学生だったかも知れません。

小生の適性を諭して下さった恩師の一人です。

オレゴン大学、体育学部の歴史的な正面玄関は、重厚で自身が此れから米国で生きて行く為の「扉」でもあった。当時は、無我夢中でこの扉をこじ開けた思い出が蘇りました。そして今夏休暇で久しぶりに訪れ扉を開くと懐かしい当時の香りと空間を感じられた貴重な一時でした。その扉を開いた奥には、肖像画の教授(当時の学部長)が笑顔で迎えて下さった次第です。

 

目次

■筆者の青春時代は目標修正の連続

■野球への情念と葛藤

■野球との決別、葛藤そして一大決心

■挫折と未知の世界へ

■天が導いて下さった他大学の教師との出会い

■日本での大学生活と故郷にさようなら

■二度と母国の土を踏めない覚悟を持って

■ノースウエスト機はシアトル到着を告げる

■天は私に何を試そうとされているのか

■光陰矢の如し

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11月10日 木曜日 公開

KファイルNO.188:天は筆者に「デスティニーとフェイト」の選択を強いる

無断転載禁止

青春の思い出を胸にまだ見ぬ国に旅立つ

筆者の青春時代は目標の修正の連続

 私は、1947年6月に阿波の徳島で誕生しました。教育者から政治家に転身した父とそして母により厳格な礼節を大事にする家庭環境にありましたが、私自身は、自由奔放に育ったと記憶しています。しかし、私が中学1年生(13歳)の時に現役の父が突然他界し、その後の私の家庭を取り巻いていた内外の環境が大きく変化した事が心に焼き付いています。母には、迷惑かけたくないという気持ちが芽生え、培われ始めた時期がこの時期であったことを確信しております。

父の告別式には、東京から三木武夫・睦子夫妻が戻られ、まだ幼い丸坊主の頭を撫でながら私に「僕心配はいらないからな、お母様とは話が出来ているから安心して勉強しなさい」と声を掛けられた時の独特なトーンは、今もかき消される事も無く耳の奥に残されています。その後私は、成長と共に「自分の路は自分で決める。自分の人生は、悔いのないよう自分で歩む」と誓って、東京に出て来たのでした。丁度、大学2年生の時でした「三木武夫内閣総理大臣に任命される」との一報を知らされた時には、亡き父と三木氏の関係、間柄、家族との関係と選挙戦が、物心ついたころからの様子が走馬灯の如く、下宿の一室で思い浮かべた夜が昨日のようでした。母からは、いつも三木さんの生い立ち、明治大学時代、睦子さんとのご結婚、USC(南カリフォルニア大学)への留学、と耳にタコができる程聞かされていたので、自分も心の隅に常に米国、大学、留学の三文字が、ふつふつと「いつか自分も」との炎に変革していたのかも知れません。大学で何時も心優しくお世話をして下さる職員から、「三木さんの所に挨拶に行ってらっしたら如何ですか」と、諭された一言が今尚心の隅に残っています。

 

野球への情念と葛藤

幼いころから野球少年として3度の食事を忘れるくらいに野球をプレイするのが好きで、期待されていたころが懐かしい。高校は、進学校でなく野球校を選んだその時から私の人生は、今日の方向に向かったのでしょう。県立高校の入試を受け入学、入学式以前から既に高校野球部での練習に参加していました。

当時甲子園出場を狙う県立高校でしたので競争も激しかった。自分は、小学高学年から中学1年生の時から投手で4番として3年間を過ごしました。高校入学と同時に投手から打力を活かした遊撃手に配置転換(投手ではスピードに欠けると判断)して夜遅くまで練習に励みました。しかし、1年目の夏の合宿中ダブルプレイの動作中にスパイクシューズが二塁ベースに引っ掛かり、左肩から横転し左鎖骨を完全骨折、半年間練習できず初めての挫折感を味わったのです。当時、下宿をしていたので毎日治療に専念、そしてリハビリの日々が長く、気の遠くなるような毎日を過ごしました。その年の夏の県大会では、甲子園出場をかけて先輩達は闘っていました。

暑い夏が過ぎ、秋のシーズンが終わり、翌年春を迎えるにつれて自分の心に変化が起きている事に気付き始めていました。「もう自分は、甲子園出場は間に合わない。まだ左肩は完治していない。」と毎日座禅をして修行僧の如く悩み、苦しみの連続でありました。当時学校では、倫理の授業があり、その教科書に出てきた哲学者カントの単行本を本屋で見つけて手にしてから夢中で読みあさったのを覚えています。その中のあるセンテンス≪格言≫に強い共感を覚えました。「成功に至る第一歩は、自分が心で何を望んでいるかを見つけ出すことです。それがはっきり分からないうちは、何を期待しても駄目でしょう」

野球との決別、葛藤そして一大決心

丁度時を同じくして、授業後の野球の練習、打球音、友達たちの掛け声を耳にするのも耐えられなくなりました。下宿先の窓からは、仲間達が夜遅くまで練習に励み、声を出し合っている姿は自分の居場所を途轍もない所に追いやって行きました。

そして、その後下宿を出て実家から通う決断をしました。それは、2年生になる春休みでした。自分の甲子園への夢をこのまま追いかける事は現実的に不可能と判断したのです。それは、また巨人軍ですでにスター選手であった憧れの長嶋茂雄選手のようなプレーヤーになる夢が破れる事を意味した。それならもう野球校を去ろう、愛着のあるグラウンド、打球音、グラブ、バット、ボール、スパイクシューズ、練習の掛け声、等から離れようと一大決心をしました。

私の決断は、即実行へと移りました。春休みであったが、高校の担任教師宅を訪れました。そして素直に自分の気持ちを伝えました。自分の気持ちは、野球部を退部する事、そして2年生の夏休みまでに県内の同じ県立高校の進学校に転校したい意思を伝えた。その為の手順と方法を担任の田口先生(女性)から教えてもらいました。担任は、即校長室に私を連れて行って下さったことに対して深く感謝でいっぱいだったのを覚えています。

校長室では、校長先生が笑顔で迎えて下さり、未成年だったので保護者(母)の同意書を要求され翌日手渡しました。その後、自分が希望する転校先への紹介状、転校先の受け入れ態勢、等手続き上の問題が山積していました。希望する高校のアカデミックなレベルが同じ県立でも野球校とは比較にならなかったのも十分承知していたので、希望する高校が自分を受け入れてくれるかどうか先ず大きな第一関門が待ち受けていました。

両校には、昨年度の県立高校入試の成績評価記録がまだ保管されていましたので確認して頂き、幸運にも希望先の高校入学入試の基準評価点を満たしていたことを確認、何かかすかな光が差してきたのを覚えています。しかし、この度は、1年経過後の転校であるので先方が要求する転校試験を受験しなければならなかった。春休みも終り2年生の新学期も始まり、希望する転学校の指定する曜日に転校試験を受けに向かった。久しぶりに緊張感を味わったのを思えている。そして、無事転校する為に必要な諸手続きも終え、夏休み前に野球部の仲間にも親友のクラスメイト達にも何も言わずに静かに1年半お世話になった野球校を去った。私の強い決心を静かに見守って下さった担任の田口先生と校長先生には、唯々感謝の念で一杯でした。

転校先の進学校では、新たな別の競争が待ち受けていましたが、勉強の遅れは肌に強く感じました。此処には、中学時代のクラスメイトにも顔を合わすことになり、驚いた様子でした。私が希望した大学は、特殊な大学であったので当時の健康診断で仮性近視が原因で入学できず一浪を余儀なくされた。しかし、仮性近視の問題は、解決されず二度目の挫折を味わうことになったのです。

 

挫折と未知の世界へ

一浪後、高校の体育の主任の住友富一先生の勧めで母校の教員として郷里に戻る事を条件に体育大学に進む事を強く勧められました。これには、大学に進学する事に関して母の強い願いもあったので東京に初めて出てくる事になった次第です。

 

天が導いて下さった他大学の教師との出会

大学1年生の後期に大きな人生の転機を迎えたのです。入学後、履修していた運動生理学(スポーツ生理学)兼英語の先生との出会いがまさに今日の自分の源ともいえる「ご縁」を頂きました。

その恩師(栗本閲夫先生)は、当時順天堂大学助教授で米国オレゴン大学大学院を出られて母校順天堂大学に戻られ、私の大学には、非常勤講師として週1度来られていた方との出会いがあったのです。当時米国の大学で学位を取得されて日本の大学で教鞭をとっているというのも光り輝いていました。私が所属していました体育大学には、似ても似つかぬ大学教員であったのは言うまでもありませんでした。

お会いして、お話を毎週個人的にお聞きするほどに心に夢と希望が湧いてきて、今迄にない光が降臨してきた思いで、毎日ヤル気の魂が芽生え成熟して行くわが心を鮮明に今なお記憶しています。毎週授業の後、あこがれの先生とお茶を飲みながら約1時間、お話をして下さる時間が貴重であり、かけがえのない時間帯でした。こうしている内に、私は、段々と先生のお考えと足跡に傾注するようになり、公私ともに弟のように可愛がってくださり、私は、同恩師が行かれたオレゴン大学、大学院を目指して4年間のゴールを設定しました

私は、この先生との出会いは貴重な人の人生を左右する出会いでご縁を頂いたと肝に銘じたしだいです。この貴重な出会いの大切さは、その後今日迄で直接お目にかかった一人一人の個々の方々の出会いを大切にする礎とさせていただいております。

ご紹介:

「栗本閲夫氏は、順天堂大学医学部に入学されたとお伺いしています。しかし、その後同大学に新設された体育学部に編入され、米国オレゴン大学体育学部にて修士、博士号を取得され、母校体育学部において心血を注がれ、後に若き同学部学部長になられ、若き生涯を閉じられました。同教授は、最後まで小生を日本体育大学に戻り、大学再建に心血を注いで欲しいと望まれていたことを、後に大学の先輩から聞かされました。恩師が若くして去られる時期、小生は丁度米国大学に専任職を持ち、日本では、西武国土計画の堤義明社長の特命担当秘書として、プリンホテル野球部、西武ライオンズの設立と構築に心血を注いでいた時期でした。毎年4年間日米を25回往復していました尋常ではない業務に忙殺され、掛け替えのない恩師栗本閲夫先生をお見送りできませんでしたことが、今日も尚悔やまれます。」

 

日本での大学生活と故郷にさようなら

大学では、一日も欠席することなく、4時からの部活も休むことなく、部活後の夜のアルバイト、夏、秋、冬、春、休みも全てアルバイトで生活費、授業料、等をまかなったのは、自分として正しい判断と決断だったと今も確信している。

本件に付きましては、Gファイル:「長嶋茂雄と黒衣の参謀」に紹介、文芸春秋社 著武田頼政に付記させて頂いております。

自分は、自立する事で母、身内の医学部への勧めも断り、退路を断って自分の道を選ぶ決心をした浪人時代の自分が今も心の支えになっています。

大学時代は、この順天堂大学の栗本閲夫先生の指導の下で英語を懸命に学ぶ事がオレゴン大学への扉を開ける第一関門であり、米国大学から入学許可を得る為の英語検定試験TOEFLをパスする事が当面の目標とゴールと設定した。やがてこのゴールは、約4回の試験を経てオレゴン大からのアドミッションを受けた時は、栗本先生とアルバイト先のご主人、ご家族、下宿のご夫婦に報告と感謝を述べたのが昨日のようです。当時のオレゴン大学のIDカードとパスポートが懐かしく、今じゃ私の貴重な宝物の一つです。 

しかし、1年の内の殆ど毎夜、週末も燃料の配達、桜新町の小林燃料店での配管、空調配管、夏休みは、桜新町鈴木書店さんでの裏仕事と仕事に明け暮れましたが、収入は、生活費と授業料に、何の余禄もありませんでした。当時は、奨学金など知る由もなく、陰では苦学生と私を嘲笑しながら呼んでいた大学教員達のお顔は今も鮮明に覚えています。

 

二度と母国の土を踏めない覚悟を持って

1971年、6月末の米国への出発時には、三井銀行桜新町支店の預金口座には、羽田―シアトル―ポートランド空港までの片道航空券代、当時1$360円で米ドルに換金すると$260ドルが手持ちのキャッシュであった。この全財産を持って当時は、羽田空港からボーイングのジャンボ機が初めて離着陸していた時代なのでそれに搭乗した。その日の見送りには、下宿のご家族が送って下さり感謝の気持ちで涙を流したあの一夜を一生記憶から消えることは無い。これは、まさに戦時中の神風特攻隊のパイロットの如く、帰りの燃料は与えられていなかった状態でした。しかし、命だけは、保証されていたのが唯一の救いでした。

その後、色んな思い出、記憶、母との別れを胸にジャンボ機は、羽田空港を離陸して一路北米のシアトル空港へと飛び立った。機内では、幼かった時に父の背中におんぶされて田舎の田んぼ道を歌を歌ってくれた、温かかった背中の温もりが肌を伝わる、「何時も父を超えるんですよ。」と励まし、激励してくれた母、転校試験の緊張感、そして大学1年生での栗本先生との出会いとご縁に感謝しながら後ろを振り向かず、ただただ「日本での目標は果たしたんだ」と、感無量な気持ちで機内に乗り込んだのが昨日の様です。

もう自分は、二度と日本の土を踏むことができないかもしれない、母に会えないかもしれない、郷里の幼馴染に会えないかもしれない、しかし、自分が選び決断した目標は、今機上に居る事がその証で実現したのだと自分に言って聞かせた。これからの次のゴールと設定は、大学院で専門課程を修了して学位を取得する事とそれを完成する為のプラニングの構築、設定が急がれる。

 

ノースウエスト機はシアトル到着を告げる

ボーイング747機が丁度シアトル上空にさしかかった時に機内アナウンスが流れ、明け方の様子を恐る恐る機内の窓から外を観た。初めてのアメリカ大陸が眼下にあった。これが、此処がアメリカか、自分はこれからどうなるんだろう。失敗したらどうするか、もう二度と母国に、郷里には戻れないし、戻るつもりはない。何も怖がることはない、毎日自分の出来ることをベストをつくせば、道は自ずと開く。と自分に何度も何度も言って聞かせながら飛行機はシアトル空港に着陸した。シアトル空港のイミグレイション(移民局)では、学生ビザの書類審査が行われ税関を通過して、次の最終到着地のオレゴン州ポートランド空港に向かった。

以上日本の大学1年生時に立てたオレゴン大学への留学の目標は、果たせた。しかし、これからまた米国での厳しい現実との戦いの幕が切って落とされるのである。

 

天は私に何を試そうとされているのか                

目標とは、設定しても修正と変更の繰り返しであり、環境と自分の状況変化に如何に適合、対応するか、できるかが大変重要である事を体験で知ることになる

大切なのは、常に高い志を持ち、その志に近づくための強い意識と意志とその実行力が運を引き寄せてくれるかどうかの分かれ道になるような気がしてならない。読者の皆様は、どのようなご経験がおありでしょうか。

光陰矢の如し

そしてこの時期から二十数年後に幼い頃の憧れの長嶋茂雄氏の球団常務兼監督補佐として東京読売巨人軍の現場、フロントをお預かりし一心同体で、メイクミラクル1994年、メイクドラマ1996年を完成させて頂けるなど誰が予測できたでしょうか。これは、天が私に下さったBIGギフトの一つであったんだと、感謝する今日この頃です。

此処に至りました中で、特に高校時代の体育の住友富一先生(徳島県立城北高等学校)の日本体育大学に進む事を進言して下さったお蔭で、体育大学での栗本先生(当時順天堂大学助教授、後の学部長)との出会い、そして大学に於いては、心暖かく支援して下さった職員の方、アルバイトの仕事を提供して下さった方々の御協力とご支援が在って初めて多くの苦難を乗り越えられたことに対して心より感謝致しております。

 

文責者:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

紹介:Gファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文藝春秋社 著 武田頼政

Kファイル、KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada

*その後の河田弘道の今日までの歩みは、2006年、10月13日に発売された「Gファイル:長嶋茂雄と黒衣の参謀」文藝春秋社発行、武田頼政氏著、 河田弘道共著に掲載されました。本書籍は、発売後現在完売で図書館、また、中古本としてamazon楽天市場紀伊国屋、等で入手可能のようです。

KファイルNO.187:夏季休暇明けのご挨拶

KファイルNO.187:夏季休暇明けのご挨拶

無断転載禁止              毎月第二、第四木曜日掲載

2022年10月27日

AUTHUR A. ESSLINGER PhD. 1905~1973

DEAN 1953~1972

Oregon大学 体育学部長 専門:体育、スポーツ・アドミニストレイション

筆者が54年前に出会って、運動生理学からスポーツ・アドミニストレイションに志を変革したエスリンジャ―教授の教えを受けた最後の学生だったかも知れません。小生の適性を諭して下さった恩師の一人です。                   深謝

 

Kファイル読者からの貴重な便り~

河田先生、残暑お見舞い申し上げます。

 今年も、コロナ禍も収束しない状態でのお盆休暇になりましたが、この夏の色々な話題の中で、「長崎を世界で最後の被爆地にする」という言葉は印象に残りました。ロシアが狡猾に核兵器原子力発電所を使った脅しをかける中で、日本として主張できる数少ないメッセージであり、世界の秩序が年々悪くなる中で、貫き通さなければならないメッセージであると思います。

一方、昨今の東京2020オリンピックに関係する賄賂などを考えると、「東京2020が日本最後のオリンピック開催になる」のではないか、との懸念も抱いた次第です。東京在住の一都民としては、コンパクトで環境にやさしい当初の構想には魅力を感じていただけに、新型コロナによる無観客での開催はやむを得なかったとしても、誘致段階のコンサルタント料などの疑惑、新国立競技場設計、様々な競技における会場の変更などでコンパクト性も失われたことなど、想定外のことが多々、発生しました。

現在のところ簡単な報告書で済ませているようですが、一国民・一都民としては、投資した税金をどのような目的に使い、客観的にはどれだけの投資効果が得られたか、ブラックな部分、グレーな部分は何だったのか、その反省と対策について、我々にもわかるように「自主的に」情報公開してほしいころです。国民・都民に対して、誠意をもった情報公開がないとすると、次回、巨大なスポーツイベントを開催することに対して、過半数がネガティブな考えをもつことになるのではないでしょうか。

河田先生から情報ご発信において、巨大なスポーツビジネスにおける電通の実力は驚きをもって記事を拝見しておりました。特に、日本開催のみでなく、各国でのオリンピック開催においても、電通が多大な影響力を発揮していたことは、電通の組織としても、実際にリーダーとして活躍された方のリーダーシップとしても、尊敬をしておりました。今回、ある時期からの「みなし公務員」としてのコンサル料の受領の問題に限られるのであれば、部下も含む手続きミスの可能性もあるので、上記の尊敬を大きく損ねるものではありません。

IOCにしても、サッカーのFIFAにしても、巨額の放映料を含む利権が存在し、またマスコミ各社もその利益を享受していると思います。また、我々の多くも、将来、オリンピック、ワールドカップなどの巨大イベントを日本国内で開催できることに誇りでありますし、生で競技を見てみたいという欲望もあります。日本での巨大イベント開催をなくさないようにするためにも、東京2020の情報公開、反省と対策は重要であると考えます。マスコミも利権を持っている以上、どのようにプレッシャーをかけるかということも興味のあるところです。

この10年間程度の期間で、日本におけるコンプライアンス(法令順守)については、大きく進んだと思います。一方で、IOCFIFAにおいては、これまで賄賂(わいろ)などを中心とする問題が継続しているという認識でいます。日本としてあるべきところとしては、IOCFIFAのような巨大利権が関係する機関においては、ガバナンスやコンプライアンスの問題が根絶されるまでは誘致活動はしないというのが正しい方法だと思います。ただ、現在の世界情勢からは非常に時間がかかることは予想されるため、クリーンな国々がワン・チームとなって、脱退する覚悟でガバナンスやコンプライアンスの改革を求めるべきではないでしょうか。

まずは、日本から巨大イベントをなくさないようにするためにも、東京2020の反省と今後の対策について、詳細かつ国民・都民にわかりやすいかたちで、情報公開をお願いしたいと思います。 Kファイル読者より

 

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2022年10月27日 木曜日 KファイルNO.187号

Kファイル筆者からのご挨拶

 Kファイル読者の皆様は、長きに渡る猛暑、酷暑の夏を越されお変わりなくお元気にご活躍、お過ごしされている事とお察し申し上げます。

筆者は、8月第4週木曜日公開のNO.186の末尾にお知らせをさせていただきました通り、5年数か月ぶりの夏季休暇を取らせて頂きました。休暇中の旅先には、多くの読者の皆様、友人、知人からメールを頂きました。そのメールは、静かな平和な環境の中で熟読させて頂きました事を先ずご報告、お礼申し上げます。休暇中ではありましたが、KファイルNews Comment by Hiromichi Kawadaは、FacebookTwitterに掲載を継続して参りました事も合わせてご報告致します。

 夏季休暇を終えて帰国致しますと日本はもうすっかり晩秋を迎える季節になっていました。近年は、日本の最大の特徴であります四季が無くなり二季に完全に移行した昨今日本人として大切にして参りました季節感を失ったことへの寂しさを改めて感じた次第です。読者の皆様は、どの様にこの情緒を感じておられますでしょうか。

 国際情勢は、日々刻々と状況が激変している中でやはり大切なのは如何にして人類が「共存共栄」して行くか、行けるかは最大のテーマである事を確信致しました。人類は、「自分だけが良ければ主義」が大半を占めています。この個々の「Egoismエゴイズム(自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方)」が蔓延してしまった地球上の経済先進国と称される国々、民、社会には近年本イズムの終着駅が近付いてきている事が今日のあらゆる分野・部門の実態を鑑みるにつけて現実味を帯びて参りました。如何でしょうか。

 一方、スポーツ界に於ける国際情勢は、その頂点に君臨する国際オリンピック委員会IOC)への疑念が津波の如く押し寄せIOC電通の所業が五輪の理念と概念を逸脱し崩壊させてしまった現実が近年の状態であります。今日の乱れた五輪ビジネスの展開は、世界のスポーツ界に大きな波紋を投げかけています。

米国、英国の大手マスメディアとNBC(米国TV局)は、この乱れた五輪の現実をIOCが修正できるのか否かの動向を静かに見守っている事に、IOCは神経を尖らせているのも事実です。それに関連して、今日の国内の東京五輪に政治家、組織委員会電通、企業、JOC、等々の贈収賄(ぞうしゅうわい)事件の拡大、拡散は、止まるところを知りません。

本件に関わる問題は、Kファイルに於いて2017年春より今日迄掲載続けて参りました。驚いたことに、このKファイルは、米国の大手マスメディアが独自に翻訳されて情報収集されていたことを夏季休暇中に関係者から聞かされて驚きました。しかし、筆者としては、少し海外のマスメディアの間で価値評価されている事にある種の喜びを感じた次第でした。

筆者は、国内マスメディアに評されなくとも海外の最大手のマスメディアにこれ程評されているなら喜びも倍加した次第です。今日では、情報のリテラシー(共有活用)は、最大のメリットでありスポーツ界の「JusticeとFairness(正義と公正)」を維持する為には不可欠であります。此れが「スポーツ・アドミニストレイション、スポーツ・アドミニストレイター」の神髄なのです。

 この程は、長い夏休みを頂き心の故郷に自身の身を置き原点に立ち返らせて頂きました。今後、小生は、さらに心を新たに精進努力致して参ります。読者の皆様には、本「Kファイル」をより一層拡散、拡大して戴き専門知識を蓄えて頂き、読者の皆様がスポーツ・アドミニストレイターの立場で毎日氾濫しています情報の真相真意を読み解いて頂ける一助として頂けましたら幸いです。

以上を持ちまして、筆者の休暇明けのご挨拶に替えさせていただきます。   深謝

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

紹介:G ファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文藝春秋社発刊 著 武田頼政

   Kファイル、KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada

お知らせ:

休暇中暫しの間、筆者は、日本を離れて客観的な視点で我が国、自身を見つめ直して参りました。日々雑用に追われ、また古い親友、知人、新しい出会いの友人達に触れました。毎朝早朝には、近隣を散歩し丘の上からの日の出を拝観しながら若かりし頃に血反吐を体験したこの地での思い出をこのようにして、Woodチップ(木の幹を木っ端にした)の香りが遠い昔を記憶の中から蘇らせてくれました。この幸せな感触をそうでない人達に還元する事が自身の使命である事を改めて諭してくれた旅でした。東京五輪を食い物にする我が国の政治家、企業家、教育者達は、何と浅ましい愚かな人間達なのでしょうか。天は、きっとこれらの人達に天罰を与えて下さるでしょう。そうでなければ「Fairness公正・公平」は、フェイクと化す。

 

 

 

KファイルNO.186: 政治家達と電通に汚された2020東京五輪

KファイルNO.186: 政治家達と電通に汚された2020東京五輪

無断転載禁止                毎月第二、第四木曜日掲載

スポーツ・アドミニストレイター

日本にスポーツ・アドミニストレイション論

日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者

(プロフィールは別途ご検索下さい)

 

筆者からの残暑お見舞いとお知らせ

残暑お見舞い申し上げます。と申しても近年は、季節感が全く異なり残暑ではなく、これから猛暑、酷暑が9月半ばから下旬にかけて更に遣ってくるのが通年です。どうか体調管理は、十分お気を付けてお過ごしください。

さて、読者の皆様には、いつもKファイルをご笑読頂き感謝申し上げます。2017年4月17日にNO.01をスタートし、走り続けて早や5年と4カ月が過ぎようとしています。此れも皆様のご支援とご指導の賜物です。小生は、幼い時から勉強大嫌い、特に読み書き、算数大嫌い、その人間が何を思ったか自身の経験、体験を記憶の確かな時に書き残して置こうと思い立ったのが5年前でした。 

その思い付きが、この度のKファイルNO.186を持ちまして、100万字を突破いたしました。あったという間の5年4カ月でした。人は、その気になればできるんだ、成せるんだと確信を新たにした次第です。また、Kファイル公開の間に2020年11月7日よりデイリーでのKファイルNews Comment by Hiromichi Kawadaを時間を見ては、短文を掲載させて頂いております。本デイリーNewsコメントもこの度57万546字を数えるに至りました。そして、Twitterでのアクセス件数は、一カ月で42万件を記録致したのが過去最高数値でしたことを読者の皆様にご報告、セアー申し上げます。此れも偏にKファイルの読者の皆様が礎となって下さっているお陰であると感謝致しております。

この度は、本NO.186公開後、暫く夏休みを取らせて頂こうと考えております。暫くの間リフレッシュさせて頂き、読者の皆様には、涼しくなったころに紙面にてお目にかかれることを楽しみに致しております。情報の多くは、常に私の手元に国内外から集約されて参ります。現在起きています難題の多くが、1つでもポジティブに解決されて行かれます事を心より祈念して、ご挨拶に替えさせていただきます。 深謝

文責:河田弘道

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Ⅰ. 筆者のスポーツ・アドミニストレイターとしての視点から

昨夜(2022年8月22日、月曜日)は、久しぶりに午後9時のNHKニュース9を1時間拝見しました。読者の皆様もよくご承知の番組であると思います。本番組の構成は、大きく分けて内外の政治、経済、社会の時事とスポーツの1時間番組でした。昨夜は、確か国内に於いては岸田首相とコロナに関する話題、東京五輪での高橋治之氏(理事、元電通専務、コモンズ代表)の自宅収賄逮捕事件、萩生田議員(政調会長、元文科大臣)を先頭に自民党議員、内閣大臣の百数十人の旧統一教会関連の疑惑問題、etc. 海外に於きましては、ウクレイン問題、食糧危機問題、中国・台湾問題と米国の関係、露プーチン大統領側近の娘の爆死事件、etc. そしてスポーツは、夏の全国高校野球選手権大会勝戦(私立仙台育英高校対私立下関国際高校)を中心とした盛り沢山の内容でした。しかし、どれもこれもニュースという性格からか表面のみでした。 

また、私は、時々民放のBSTBS(午後7時30分からの番組)、BSフジの(午後8時からの番組)を拝見させて頂いております。両番組は、固定されたMCが居て、毎回のテーマに特化されたと考えられるゲストを迎えての討論番組です。勿論その各番組には、ノイズ役として耳障りなゲストを座らせています。他局に於いても本番組を模倣した番組が多くなった事は、ご承知の通りです。

 

此処で再度昨夜のNHKニュース9から

NHKは、ご承知の通り国民視聴者から視聴料を徴収と国民の税金に寄り成り立っている日本で唯一の公共放送(マスメディア)であります。よって民放と異なり視聴率、CM料、スポンサー及びその広告代理店への忖度の必要性は皆無の筈です。しかし、残念ながらNHKは、国民から視聴料を徴収して居ながら国民の税金も使っている関係から日本政府、内閣、省庁の権力構造の傘下にある事も否定できないのです。

私の専門分野・部門のスポーツ・アドミニストレイションの視点で申し上げますと、東京五輪収賄事件、夏の全国高校野球選手権大会の決勝戦に致しましても、あまりにも取材力が乏しく、或いは番組担当者達(プロデユーサー、ディレクター、等)の専門知識、ソースの欠落か、偏重した番組構成による一方的な視聴者への記者原稿マニュアル通りの番組である事に気付いた次第です。これでは、バランスの取れたフェアーな報道とは言い難い内容でした。

例えば、東京五輪収賄事件で逮捕者が多く出始めているにも関わらず、ただ上辺だけのニュースとして取り扱い、誰一人として深堀しないで只ソースを映像と共に流すだけでは、NHKは権力に萎縮し、権力に忖度した姿そのものであるように思えてならないのは私だけでしょうか。

また、夏の全国高校野球選手権大会の決勝戦の両私立高校(私立仙台育英高校、私立下関国際高校)へは、過大評価の賛美のみで、大多数の全国の公立高校により底辺が支えらされていることなど興味も無いかのような感情移入でした。この私立高校2校は、日々どの様な環境と部活で運営、指導、管理がなされているのかをスタジオのMC達、プロデューサー、ディレクターは、どれ程理解できているのか。これら甲子園に出場している私立高校野球部の現状、現実をどれ程ご存じで賛美のみで終えるのか。多分何も知らないので記者原稿マニュアル通り演じているのでしょうか。 

これら野球部は、私学の広告塔であり特待生で全国からかき集められた子供達なのです。その子供達は、只野球選手としてだけの価値と存在であり、また指導者、監督は、公立高校のそれとは異なり数千万円で年俸契約し、成績に寄りインセンティブが与えられている事等を知っていてNHKは賛美しきっているのでしょうか。私学経営者、指導者は、どのような理念で未成年者を広告塔として営利目的で利用しているのか、NHKは、一度としてインタビューした事はおありか。

これら私学の部活、野球部は、教育の一環、延長線上などに位置するものでなく、

授業にも出さず出ず招待試合ばかりの遠征で全国を行脚する旅芸人の様相なのです。勿論ティーム、指導者には、交通宿泊費のみならずご祝儀もでる指導者に取っては稼ぎの場にもなっているのです。これらは、言わば野球の専門学校と位置づけ、各大学に売り渡し、社会人ティームへは私学の就活コネクションの一つなのです。

これでは、公立高校における環境及び現状を鑑みても比較対象となり得ず、余りにも格差が大きくアンフェアーな高校野球である事を誰もが指摘しないのは放映権を持つNHKも大罪を犯していると言わざるを得ないのです

 

筆者の実体験より

此処で私の実体験をご紹介致します。私が日本の大學で教鞭をとっていた時に一人の野球部所属学生選手が講義授業及び河田ゼミを履修していました。ある日、同学生がアポを取り研究室を訪ねて参りました。この学生は、仙台育英高校出身で甲子園でも活躍した捕手でした。よって、大学には、特待生で迎えられ大学1年生からエース捕手として試合に出場。しかし、監督と折り合いが付かず野球部を退部、しかし、4年間大学側と特待生(全額大学奨学金保証)である事から、部も大学経営者も退学させられず、大学には在学できるという約束事が交わされていた次第でした(日本の大學にはルールも無し)。しかし、同学生は、仙台育英高校時代に学業をした形跡もなく、大学の授業にもついて行けず部活所属でもなく、よって大学の特別なサポートも無くなり、父母共々困り果てていました。この様な状態から野球部は、彼が特待生を辞退して退学をすることを期待、大学経営者は、退学して欲しい様子が露骨にみられる中で苦しんでいた時の研究室訪問でした。丁度この学生も仙台育英高校野球部出身でしたので、ふと昨夜記憶が蘇りました。NHKの番組は、もっと高校球児に彼らの主体は何かを報道を通して賛美のみだけでなく、華やかな甲子園出場の後に訪れる悲劇の側面もバランスよく紹介する義務と使命が報道関係者には忘れないで戴きたい。ましてや、公共放送のNHKは、少なくとも教育機関の未成年者達で行われているイベントに対するミスリードなど、許されるものではありません事を加味させて頂きます。

NHKは、このような現実と実態、環境の私立高校野球部を熱狂的に賛美しかできないのか。大多数の公立高校、選手、指導者達が現実に対面している私立高の野球部との格差に対して、アンフェアーな実態を国民とその社会に情報公開しない限り、今後一層歪な体質は改まらないのではないかと危惧致します。 

NHKのキャスター達よ、あなた方はジャーナリストですぞ!

これでは、私立高校野球部と公立との現実格差が更に増大している事に高野連文科省スポーツ庁はただ傍観している事態を鑑みるにつけ、高校野球選手権大会(甲子園)の弊害の側面を本Kファイルは取り上げざるを得ませんでした。大多数の公立高校の野球部指導者、生徒選手、父母は、ネガティブなモチベイションしか与えられず、急速な公立高校野球部、生徒選手が激減しています。

これらは、人口減少と相まって、私立高校野球部への越境入学、黒いリクルート活動、等がそれに輪を掛けて、ティーム編成すらできず、休部、廃部、統合が急増している現実をNHKは報道の義務があるのでないか。

ましてやアンカーマン、キャスター達が、スタジオで大はしゃぎしする様子を拝見しながら、大多数の公立の高校球児に伝える内容が皆無でしたので胸が締め付けられる思いをしたのは筆者だけだったのでしょうか。 

日本のマスメディアは、「事なかれ主義である」と言われる所以なのかも知れません。昨夜、NHK番組を拝見しながら公共放送の使命とは何かを考えさせられた次第です。

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目次

KファイルNO.186: 政治家達と電通に汚された2020東京五輪

2020東京五輪リマインド・シリーズ

東京五輪の闇で利権を漁る悪人達

■我々国民は国難に結束できているか

マスメデイアの真の使命は何か

パンドラの蓋を開けた勇気ある米国紙

マスメデイア企業の忖度の使い分け

筆者の素朴な疑問

筆者の私見

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2022年8月25日 木曜日                 公開

KファイルNO.186: 政治家達と電通に汚された2020東京五輪

無断転載禁止

2020東京五輪リマインド・シリーズ 

東京五輪の闇で利権を漁る悪人達

■我々国民は国難に結束できているか

マスメデイアの真の使命は何か

我が国の社会、国民は、正義(Justice)と公正・公平(Fairness)の筋を通す(to make sense)倫理観を見失ってしまっている感が致してならないのですが読者の皆さんはどの様に感じられますか今日の国政、スポーツ組織、団体を司る責任者の多くは、社会に於けるモラルの一線を越えてしまっていてもその閾値が何処でそれが何を意味しているかを理解、認識されていない方々を多く見受けられます 

この様な重要且つ危機的状況下に於いても、日本の大手マスメデイアは、東京五輪の中止、延期、強行の是非の論調を掲載、議論することさえタブー視され避けて居た様で、つい先日まで一切を語ろうとしなかったのです。

此れでは、日本のマスメデイアは何処かで暗黙の情報操作がなされていると海外から揶揄されても返す言葉もないのでしょうか。これは、まさにグローバル世界のジャーナリズムに逆行する社会主義国の管理体制のように感じられてなりません。マスメデイアが自由な口を塞がれたのであればこれでは国難に立ち向かえるはずもありません。新聞、TVにお務めの記者、報道の皆さんは、社内での抑圧とストレスの日々ご苦労様です。マスメデイアの記者、報道関係者の皆様は、決して虎になれども羊にならぬよう使命を全うして下さい。それは、権力に立ち向かい「Justice&Fairness」を全うされてこそ皆様の本来の専門職(ジャーナリストの姿)であり使命なのです 

世界中の目は、今やコロナウイルスの次に東京五輪の動向に対する情報を静視しているのです。特に世界のスポーツファン、アスリート、関係者達は、日本のマスメディアがいつ本件に関する誠実で正直なニュースを発信されるのかと今か今かと待ち望んでいた次第です。しかし、海外メデイアは、もうこれ以上日本のマスメデイアの発信を待つことはできないと判断し、独自の取材攻勢を仕掛けて来たのが米国の経済紙ウオールストリート・ジャーナル(略:WSJ)であったと思われます。この度は、米国のブルーム・バーグ通信社の先手を打ったのでしょう。海外メデイア(英国の複数のマスメデイア)は、東京五輪招致活動に関する買収疑惑、Nike厚底シューズの報道同様常に競争の原理原則に立って取材活動が行われています。 

パンドラの蓋を開けた勇気ある米国紙

2020年3月11日:

森喜朗氏(東京五輪組織委員会会長)は、同委員会の理事で元電通専務の高橋治之氏が、ウオールストリート・ジャーナル紙の取材に応じ「新型コロナウイルスの感染拡大により五輪開催が難しい場合、1、2年延期が現実的」と回答した事に対して、「正直、驚いた。とんでもないことをおっしゃったな」と、憤慨した様子をマスメデイアに話したのです。また、同会長は、高橋理事に電話で確認した結果本人から「ちょっと口が滑った。大変申し訳ないことを言ってしまった。大事な時期に軽率な発言で、ご迷惑をおかけした」と言っておられたとフォローをしたのでした。そして、「予定通りに開催する方針に変わりない」、と報道内容を打ち消されたのです。この一連の丁々発止が組織委員会内のガス抜きの為のデキレースでなかった事を願う次第です

大多数の日本国民、社会は、大手マスメディアと東京五輪組織委員会が利害、利権の関係にあるなど知る由もないと思われます。ましてや、世界の人達は、日本の大手マスメデイアが東京五輪組織委員会(TOCOG)のスポンサーとなっている関係で、組織委員会の意に沿わない情報は発信できないなど知る由もありません。このような社会のモラルに反する構造と仕組みは、業界に於いても社会に於いても常識では考えられない関係である事は言わずと知れた事ですこの様な非常識で隠蔽された構造的な問題は、やがて東京五輪終演と共にインチキ東京五輪の舞台裏を露呈しなければよいのですが、バレる嘘は語らない、やらないのが賢明ですぞ 

先日、痺れを切らしたWSJ紙(米国ウオールストリート・ジャーナル社)は、TOCOGの理事職にある高橋治之氏(元電通専務取締役)を単独取材し、インタビュー内容を掲載しました。その内容たるは、TOCOG、IOC、日本政府が一番神経をとがらせ、封印している内容に触れていた事です。

内容は、既にご紹介致しました通り組織委員会の重鎮達が目くじらを立てる程の内容ではなく、誰もが感じているごく当然な疑問に触れただけだったのです。この外電の掲載記事の後を追って、日本のマスメデイアは、本ジャーナル紙を引用する形で初めて各社一斉に重い腰を上げ報道し始めたという報道姿勢と内容も二番煎で在った次第です。しかし、国内マスメデイアにとっては、日本政府、TOCOG、IOCが封印しているパンドラの蓋を開けたのが、事もあろうか組織委員会の理事で元電通専務であった事に感謝しているかも知れません 

マスメデイア企業の忖度の使い分け

東京五輪組織委員会の忖度を受けているかのような日本のマスメデイアは、海外マスメデイアが火を付けない限り、担当記者は書きたくともデスク、整理部、等に書かせてもらえなかったのが実態です。この様な海外メデイアの後追い記事を常に配信、掲載するマスメデイアにしてしまった業界経営者達は、日本国、国民、社会に取っては本当に国を危うくしているのかも知れません。

 我が国のマスメデイアのジャーナリストとしてのプライドは一体どこに消え失せたか、或は、元々無かったのか、是非JUSTICE(正義)を持った強いジャーナリストが出現することを今こそ国民、社会が待ち望んでいる筈です。此れでは、若者達がジャーナリストを目す興味が段々と失せているのは、ただ単に大学に於ける専門学部、学科の指導の問題のみならず、マスメデイア企業に於いて今日尚改まらないJustice無き、真実を封印したスポーツ・マスメデイアだからかも知れません。

 東京五輪は、日本国で行われる世界最大のスポーツイベントで在り、これに関するニュースソースを最初に入手できる環境にありながら、海外のマスメデイアに先を越されてしまったのです。それも組織委員会のキーマンの1人で理事でもある高橋治之氏(元電通専務)の取材に成功したWSJ紙に日本マスメデイア界は、9回の裏にサヨナラホームランを許したわけです。これにより国民、社会は、一気に中止か、延期かの選択の流れに向かい始めています。先日は、通信社の調査によりますと国民の約70%が東京五輪を開催するべきでないと回答しています。しかし、2020年3月19日現在、自民党総裁安倍晋三氏、東京都知事小池百合子氏、TOCOG会長の森喜朗氏は、「東京五輪は通常通り開催します」と強硬な姿勢を崩していません。その根拠は、全く説明しない無責任な表明です

それにしても、この度の高橋氏は、自身の立場も弁えずWSJ社の取材を受けたことは、「東京五輪に高橋電通有り」と最後の花火を挙げたかったのかも知れません。このような人物をTOCOGの理事として推薦、任命されたのは、他でもない森喜朗会長その人でしたので、国会議員が致命的な一大失言をして任命権者が責任を取らない我が国の政府と同じ構造とシステムであるまさに日本の政治家手法と申し上げた方が、解りやすいかも知れません。

筆者の素朴な疑問

東京五輪組織委員会は、組織を束ねる強力なトップスポーツ・アドミニストレイターとしての真のリーダーが必要であったと思われます。

 森喜朗会長は、組織内に

他の重鎮達を従え、理事会内を牛耳って来ています。しかし、本件に関する危機管理に於けるメディア対策のすり合わせができていなかったのもこれら政治家達の脇が甘かったのかも知れません。

大変お気の毒なのは、順天堂病院の治療室で日夜治療を継続して受けて居る森喜朗氏を急遽背広に着せ替え病院から一時抜け出させ、慌てふためいた血相で緊急記者会見の場に立たせる事自体が、危機管理体制が全く出来ていないとお見受け致した次第です。スポーツのコンセプトは、人の健康が第一でありスポーツ組織のリーダーたるは身心が健康であることが大前提で非常に重要であると思います

高橋治之氏(TOCOG理事、元電通専務)は、米国のウオールストリート・ジャーナル紙のインタビューで組織委員会の理事としての立場でなく、電通企業の代表としての論理を述べたと考えるのが自然でしょうか。この電通の試案がやがてIOCのバッハ思案へと移行して行っているのではないかと危惧する次第です。

TOCOGの森会長を取り巻く重鎮達は、この発言に対して「けしからん」と言いながら、自らは矢面には立とうとせず、重病で入退院を繰り返している病人の森氏を記者会見させる為に毎度引っ張り出す所に東京五輪組織委員会の構造とその本質、そして取り巻きの力量が透けて見える気がしてならないのは筆者だけでしょうか。

彼らは、森氏に高橋氏に電話をさせ、高橋氏の発言内容の火消しに駆けずりまわし、行きあたりばったりで肩書だけの素人の運営・管理者達の姿のように思えてなりませんこのことからも、世界最大のスポーツイベントの統括責任者(会長)に森氏(病人)を推挙する所に組織委員会理事達の見識と思惑が最初から疑われ、東京五輪の問題の本質が此処に潜んでいると思われる次第です。これでは、TOCOGの理事、評議委員達は定款を満たすためのお飾で、職責、使命が果されていないまさに我が国の談合文化のお手本なのかも知れません

筆者の私見

東京五輪開催の有無は、嘗ての五輪歴史の中でも異例の状況下に於いて決断を迫られているのです。

此処で整理して於きたい幾つかの事項があります。それらは、

IOC会長の告知です。同会長は、「本五輪開催の是非に付いては、WHO(国際保健機関)の指導、指示に従う」と明言を既にしました。この事から同会長は、IOCとして独自の判断で決断することを避けているのです。

②開催都市の東京都知事は、「開催しないなど全くありえない」と明言。

東京五輪組織委員会の会長は、「予定通りに開催する方針に変わりない」と明言しています。

  • 開催国日本政府の安倍首相は、「完全な形で開催します」と真意不明な言い回しで公言しました。完全とは、何を定義として語っているか意味不明。

 此処で各組織・団体、機関の最重要責任者代表は、何方もが公言した事に対する「根拠」とその「責任の所在」を明確にしていない事です

 日本国内に於いては、約70%の国民が「五輪開催はやめるべき」と意思表示をしています。これら国民は、現在のマスメデイアの報道内容、社会の状況を鑑みての回答であると確信します。しかし、②③④の都民、運営組織委員会、日本国民、社会を代表する人達は、国民の心情と真逆なリードをするのであれば、何故国民を説得させる、できる根拠を具体性を持って説明をしようとしないのか。

国民の代表者達は、国民が知り得ない「重要な根拠」があるので、国民の意思を無視してまで突き進もうとしていると誤解が生じていることすら気付かないアドミニストレイター達なのかも知れません

 その方々が幾ら「アスリートファースト」と語ろうとも誰も信じていないのが寂しい限りでもあります。②③④の代表責任者達は、真にオリンピック大会の理念、趣旨、目的をご存知なのか。ここで、何の為に日本に五輪を招致したのかの強い理念とコンセプトが欠落していたので、自らの判断すらできなくなるのです。

スポーツの原点は、人々の健康、安全、平和があってこそ成立するのです。このような国内外の状況を鑑みて、代表責任者達は、今一度私的な野望、誘惑、欲望を捨て、スポーツに関わる全ての人達をミスリードすることなく、万民の声に耳を傾けられる度量と人間で在ってほしいと願うのは筆者だけでしょうか

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS)

紹介:Gファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文藝春秋社 著 武田頼政

   Kファイル、KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada

お知らせ:

如何でしたでしょうか。リマインドシリーズを再読されて思い出されましたでしょうか。当時Kファイルは、東京五輪に関して警告を鳴らし続けて参りましたが、五輪終演一周年を迎える前に在ってはならない問題が堰を切ったが如く安倍晋三氏の暗殺事件と共に吹き出して参っています。今後何処まで解明されて参るか地検の「JusticeとFairness」に期待する事に致しましょう。

 筆者、夏休みを取らせて頂きます。お休み期間に思い出して頂ければ過去の原稿記事を再読して頂ければ幸いです。深謝

KファイルNO.185:東京五輪の闇シンジケートに特捜部隊が乗り込んだ

KファイルNO.185:東京五輪の闇シンジケートに特捜部隊が乗り込んだ

無断転載禁止              毎月第二、第四木曜日掲載

スポーツ・アドミニストレイター

日本にスポーツ・アドミニストレイション論

日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者

(プロフィールは別途ご検索下さい)

 

季節のご挨拶

いつもkファイル、kファイルNews Comment by Hiromichi Kawadaをご笑読頂き有難うございます。

地球上は、自然の摂理が人類の真逆な思考と行動により気温上昇を加速させています。その為暦上の季節感にも大きな変革、変動を余儀なくされています。立秋を過ぎた今日は、これから本格的な猛暑、酷暑の季節を迎えています。読者の皆様は、伝統的な日本の夏、お盆休みを迎えます。COVID-19の新種が増殖しています中、どうかお気を付けながら日本の猛暑、酷暑を安全にお過ごしされます事を心より祈念致しております。

筆者

 

目次:

KファイルNO.185:東京五輪の闇シンジケートに特捜部隊が乗り込んだ

時事の話題から

Ⅰ.世界の重大事件簿

Ⅱ.安倍晋三元首相暗殺事件が世に暴いた宗教の鎧を纏った異国宗教集団

1.政治家・政党とカルト教団間の暗黒の世界

2.カルト教団と政治家・政党との関係

3.本件関与政治家と国民社会への妙案

■筆者からの提案

Ⅲ. 東京五輪組織委員会電通ルート)と特捜部隊の攻防は本気か見せかけか

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リマインドシリーズ:

KファイルNO.38:2020東京五輪の不可解なおもてなし 

Ⅰ.政治家による政治家の為の2020東京オリンピック大会

  ■スポーツ・アドミニストレイター不在のツケ

   1.招致活動での建前と招致後の本音

   2.問題の発端とプロゼクトマニュアルの欠陥

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2022年8月11日 木曜日                公開

KファイルNO.185:東京五輪の闇シンジケートに特捜部隊が乗り込んだ

無断転載禁止

時事の話題から

Ⅰ.世界の重大事件簿

 世界情勢は、ロシアのウクレイン侵攻後止まるところを知らずウクレインの国民、防衛隊達の命をかけた戦闘に心が痛みます。また、侵攻をさせたロシア大統領のプーチン氏に唆されたロシア兵の行き場のない悲しい専制主義国の運命に心を痛めずにいられようか。両国にとってこれ程人の命を犠牲にする無意味な戦いは、人類の終末を意味する以外の何物でもありません。また、アジアでは、社会常識を持たれている読者の皆様には米中の重度の関係悪化、そしてそれに伴う台湾問題では先週来一触即発の軍事危機に瀕している事はご承知の通りです。本軍事危機は、米中間ではなく米日対中露と化したと申しあげても過言でありません。

Ⅱ.安倍晋三元首相暗殺事件が世に暴いた宗教の鎧を纏っ た異国宗教集団

1.政治家・政党とカルト教団間の暗黒のシンジケート

日本国内に目を向けては、先月7月8日の自民党安倍晋三元首相の暗殺事件を契機に、戦後から今日迄長きに渡り国民社会に隠蔽されて参った自由民主党と外国宗教団体(韓国の宗教団体で旧統一教会を日本国が許認可した宗教法人)間の抜き差しならない関係が、この度の事件で日本国民と社会に明らかになり激震させています。

特に自民党における現安倍派(原型:清和会)と本宗教法人の絆は、人の血縁よりも濃く何とも奥深く今日においても今尚このような実態である現実を垣間見た次第です。日本の大手マスメディアは、政治家・政党と本カルト球団の真相を隠し通して来たことは万死に値する最大の汚点の一つを残したように思えてなりません。旧清和会とは、正しくは清和政策研究会自由民主党の派閥の一つで現在は安倍派と呼ばれている最大派閥です。

歴代会長紹介

福田赳夫 福田派1979年1月 - 1986年7月

2安倍晋太郎   安倍派 1986年7月 - 1991年6月

3三塚博  三塚派     1991年6月 - 1998年12月

4森喜朗  森派        1998年12月 - 2000年4月

小泉純一郎     2000年4月 - 2001年5月

6森喜朗              2001年5月 - 2006年10月

7町村信孝  町村派  2006年10月 - 2007年9月

8町村信孝          2009年2月 - 2014年12月

9細田博之      細田派 2014年12月 - 2021年11月

10安倍晋三  安倍派 2022年~

2.カルト教団と政治家・政党との関係

本教団(世界平和統一家庭連合は、朝鮮半島キリスト教の土壌から発生し、故文鮮明氏によって1954年に韓国で創設された新興宗教の宗教団体・宗教法人、社会的にはカルト教団と言われている)と自民党との関係、歴史は長く深く故安倍晋三元首相の祖父である、岸信介元首相が教団創始の文鮮明氏と反共産党精神に端を発したイデオロギーに共鳴した事がその関係の起源とされているようです。即ち、戦後の国内外の混乱期に韓国の教団創始者と日本の政治家との間で共産主義に対抗する強い勢力の利害が一致したと認識することが正しいかも知れない。

しかし、その後戦後の政治混乱期が去り日本経済の発展と経済大国となる時期に、本教団は日本国内で宗教法人を取得、金集め集団と化し集団の拡大の為に必要な政治家、政党に入りこむ大きな礎を成してきたのです。その礎の原石は、この自民党清和会がその中心であった事が、この度の暗殺事件を発端に初めて国民、社会に一週刊誌記事の勇気ある情報公開が突破口となり明らかにされた次第です。その後、TV、マスメディアは、自ら長年隠蔽して来た「マントラの壺」を覗かざるを得なくり、皆で渡れば怖くない的な彼らの発想と思考回路から連日、連夜騒いでいる次第です。

 

3.本件関与政治家と国民社会への妙案

  この度の安部晋三元首相暗殺事件は、戦後の日本国、自由民主党、現安倍派(原石の清和政策研究会、略:清和会)のイデオロギーを中核とした政治組織により、今日迄公に出来なかった恥部を曝け出したのです。

この意味は、自由民主党の政権構造の屋台骨に文鮮明氏(旧統一教会創設者)を迎え入れ利害、利権、イデオロギーアンタッチャブルな世界を今日迄構築して参り、国民社会に多大な被害者を生産しその被害者達の精神と財産を食い物にして参ったという事の様です

  • そしてまた本カルト集団は、自民党最大派閥の中核のみならずこの度の事件に寄り、野党議員達にも浸食の手を伸ばしてしまっていた事が明らかになりました。政界には「Justice正義&Fairness公正」も倫理も失ってしまった現実を鑑みるにつけ、今後国民、社会は、どの政治家、政党を信頼できるのかが問われることに相成った次第です

■筆者からの提案

筆者は、日本国民の一人として国民の皆様、読者の皆様に一つの重大な提案がございます。

其れは、これ程迄個々に関係性の濃淡があるにせよ、政治家、国会議員、与野党の中に新興宗教団体(旧統一教会)との関係を取りざたされ、実名を公表されたフェイク議員達は、選挙民に対する禊ぎ(みそぎ)をする必要があると思います。

与党国会議員は、長年このような裏社会の集団と裏道で選挙資金を強請り、選挙時には得票をかき集めてもらっているのです。そしてその対価として、本教団は、布教活動に無くてはならない信用の担保に政治家、国会議員、政党を広告塔として利用し、宗教法人の許認可を得、維持する為にも文科省庁(此処では文化庁)の自民党議員達(主に文教族)を取り込むことが必要不可欠であったのです。

 

これらこの度公表された国会議員達は、「ここで一度現在所属している政党を離党し、新たな政党を結成しては如何でしょうか。そして、外国に起源を有する新興宗教団体(旧統一教会)を後ろ盾に、堂々と政治活動をおやりになられる事をご提案いたしますそして、次回の国政選挙で国民社会の審判を仰がれては如何でしょうか。そこで晴れて当選されれば、国民社会があなた方を認めて下さったのですから、堂々と旧統一教会に入信されて政治活動をなされれば、今日の様な訳の分からない言い訳を繰り返し、逃げ回る見っともない姿を見せなくてもよいのです

このカルト教団に大なり小なり関わる政治家の諸氏には、自らの意思で本教団に近づき、ご縁と利得を頂いたのですから、双方利害が一致しているのです。姑息な手段、方法により議員バッチを付けたなら何故堂々とお天道様の下で胸張って生きて行く方法と手段を考えないのでしょうか。

これができる腹の座った政治家が居れば、日本国は救われる。此れが政治家達、宗教団体と日本国民にとってガラス張りのフェアーな状況状態で国民が審判を下す事の出来るお膳立てが整うと思われます。日本に於いては、既に政党と宗教団体が既得権を得ている公明党(宗教団体の創価学会を後ろ盾とする)と同じ構造を有する政党が新たに出来るだけなのです

その論拠は、国民の見えない裏で日本政府は既に本宗教団体に対して日本国に於ける宗教法人を認可してしまっているからです。フェアネスの意味からも本宗教団体にも公正な機会を与えるのが寛容かと思えるのです。如何でしょうか。

Ⅲ. 東京五輪組織員会(電通ルート)と特捜部の攻防は本気か見せかけか

  7月8日の安部晋三元首相の暗殺後、其れ迄内偵捜査を続けていました特別捜査部は、東京五輪招致活動から今日迄どす黒い巨額な金の流れと犯罪の悪臭が漂う本組織委員会の役員、幹部理事達の素性を密かに内定捜査、捜索を密かに潜行していたようです。

安部氏暗殺後、本特捜部隊は、堰を切ったが如く強い疑念のある一人の高橋治之氏(元電通専務、組織委員会理事、コモンズ株代表)を先ず、組織委員会スポンサーであったアオキ社との金銭の授受を皮切りに現在立件に向かって邁進している所です。どうか「大山(たいざん)鳴動(めいどう)して鼠(ねずみ)一匹」の故事にならない事を願うしだいであります

Kファイルでは、このような事が起きるであろうことを想定して当時から東京五輪の招致活動から不思議な出来事を読者の皆様に公開して参りましたが、もうお忘れになっているのでしょうか。

本NO.185は、現在特捜が踏み込んだ案件を契機に読者の皆様にはリマインドを兼ねて公開させて頂きますので、どうか現在そしてこれから起きるであろう事件の抜けたパズルを埋める資料にして頂けましたらこの上ない喜びであります。

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リマインドシリーズ:

KファイルNO.38:2020東京五輪の不可解なおもてなし 

無断転載禁止

Ⅰ.政治家による政治家の為の2020東京オリンピック大会

注:河田弘道は、オリンピックが日本で開催される事に大賛成です。しかし・・・

■スポーツ・アドミニストレイター不在のツケ

1.招致活動での建前と招致後の本音

 何故最初から本プロゼクトには、政治家達(現職国会議員、元国会議員、現職都議会議員)在りきなのか。これほど露骨に政治家達が表舞台に顔を出す五輪は日本だけではなかろうか。kファイル読者の皆さんは、不思議に思われませんか。2016年東京五輪の招致活動失敗から2020年東京大会開催決定、そしてその後今日迄、これほど開催に関する問題が内外共に起きる、起きた事例が嘗てあっただろうか。

2016年招致活動の大義は、1964年東京五輪から半世紀を迎え、「レガシー・プラン」として前回五輪の施設も活用しながら、コンパクトな五輪を掲げました。

そして2020年招致は、東日本大震災からの復興の加速と世界への感謝をアピールするプレゼンテイションがなされたわけです。費用のかからない無駄のない、コンパクトなオリンピック・パラリンピック東京大会は、招致の為の旗頭と謳い文句に掲げてきましたしかし、いつの間にか大義の震災復興は、何処かに消え、予算は、とんでもない莫大な公金が実態として流し込まれ続けているのが実状です東京五輪は、招致活動から詐欺まがいの手法で始まったのです。

これに対して誰も歯止めを掛けようとしない。確か小池百合子都知事は、選挙で予算費用縮小を訴えて歯止め役を買って出て当選した筈ですが、筋金入りの政治家では無かった事を現在露呈しています。金は、全て組織委員会御用達の印刷会社がプリントしているかの感覚で湯水のように使っているイメージがしてなりません。

プレゼン当初の予算告知額は、いったい何を根拠に試算された数字であったのかと、ふと頭に疑念が巡ります。いったい当初の予算の何倍の公金を投入すれば気が済むのでしょうか。此れだけの資金があるのなら、何故もっと有効にオリンピックのみならず困っている現実の社会、国民の為に活用するべきであるとは思いませんか。此れでは、限りなく国の借金が膨らむばかりです。関係者達は、後は野となれ山となれ的思考回路では此の国のスポーツどころか国が滅んで行く姿が目に浮かぶ次第です。

このような展開になる事は、当初から予想していた事なのですから、何故五輪招致を思考し始めた時点で「ロス方式」を検討しなかったのか話題にも出なかった事、出さなかった事が今後大きな禍根を残す事は必至で、既にその階段を一歩また一歩と上がっていっているのです。ロス方式は、公金を1セントも使わず、440億円の黒字を出した素晴らしいプロゼクトモデルなのです。

この優柔不断なオリンピックプロゼクトから、国外からは、招致活動に関わる裏金問題を指摘され火消しに躍起となり、国内に於いては、オリンピックロゴ・タイプの盗作問題、国立競技場の設計入札疑惑問題、設計者及び関係会社への契約変更、違約金問題、予算の不透明疑惑、そして、その間に開催都市の都知事が本件がらみを含めて3名も不名誉な交代劇を演じ、その都度掲げる公約に一貫性が無く、失言を海外に告知し、現知事は、威勢よく乗り込んできたが政治家同士の利権のつぶし合い、奪い合いを見苦しい程内外に曝し知らしめ、スポーツの祭典がこれでは「品の悪い政治家の祭典」と相成った感じが否めないと感じるのは、私だけでしょうか。このプロゼクトの終演には、きっと金にまつわる事件、疑惑が成果と結果として山積するような気がしてならない。

 

2.問題の発端とプロゼクトマニュアルの欠陥

 本マニュアルを静観して見ていますと一つの方向に問題が偏っている事が透けて見えて来るのです。それは、2020年東京オリンピックパラリンピック開催招致活動のプレゼンテイションで公言、公約した予算が全くの招致する為の「飾り予算」で有った事です。これがそもそもの本プロゼクトの「トリックの起点」となって、国民、都民の税金を湯水のように投入するストーリーが仕組まれていたような気がしてならないのです。今は、この描かれていたシナリオに略近い流れで進んでいるので本プロゼクト立案、遂行している執行部達の意味深な笑みが目に浮かびます。

この招致活動初期から、関係省庁及び関係機関、東京都は、種々の思惑の人達が絡み合い複雑怪奇な様相でスタート致していました。これをスポーツ・アドミニストレイターの視点で指摘させて頂きますと、そもそもの最大の問題は、主催者に当たる都知事石原慎太郎氏)が本巨大プロゼクトに強い興味を持ち、都民の税金で招致活動に邁進、自身が幕開けから幕閉じまで首を突っ込んで、利権の構図を描きその利権に手を突っ込んだことから今日の限りなく高騰する資金(税)投入に点火したのが発端と思われます。

当時より利権をせしめようとする東京都議与党軍団、都知事とそうさせまいとする文科省OBを中心とした超党派で構成する国会議員連盟団(自民党森喜朗氏の息のかかっ議員達)の利権グループが当初より抗争していたように見受けられたのです。

  • IOCの変革

 嘗て1974年にIOCの「オリンピック憲章」からアマチュアの定義を削除せざるを得なくなったり、1976年カナダ・モントリオール大会が、オリンピック大会史上例を見ない巨額の赤字負債を抱える大会となった事などを契機に、IOCはオリンピックにスポーツビジネスを解禁し、プロ選手の参加に扉を開いたのでした。

しかし、その後この改革の弊害が毎回の開催都市招致に関わる闇の世界を構築、獲得票を集めるための莫大な裏金で買収する暗黒のネットワークを生み、大会の巨大化に伴う主催国、都市に莫大な資金を投入させて大会を肥大化させ、負のレガシー(遺産)を山積みさせて来たのでした。そして2020年東京大会は、最後の巨大化されたオリンピック大会の負のレガシーの終焉であろうと言われるに至っています

本東京大会以降は、大会招致の国が激減し、ついに2024年パリ、2028年米国ロサンゼルス市とプレゼンする競争相手も無く、24,28大会が自動的に同時に決まったのも偶然ではないのです。いったい東京大会招致活動は、何だったのでしょうか。

此れは、まさに1976年のモントリオール大会後にオリンピック大会招致に興味を持たなくなった国々が出た時期に戻り、歴史が形を変えて繰り返される事になったのです。この事は、東京大会招致委員会にとっては、因果と言う表現しか見当たらないように思えてなりません。IOC理事達の罠にまんまと日本の政治家達がはめられた事に等しいのです

 東京大会開催組織委員会は、このことを如何に理解しているのか、いや、気にもかけている様子もなく、ただ国税、都税をいくら引き出すか、引き出せるかに奔走している状態が、今尚続いている様子が伺えます。勿論、スポーツ振興機関からの補助金、コマーシャルスポンサーからのスポンサーシップとサポートを受けているのも事実です。

本来は、国民、都民の公金を当てにしないで2020年東京大会を招致活動で勝ち得た方法があったのも事実です

しかし、招致関係者達が、公金を使わない大会擁立に誰も興味すら示さなかった理由は何故だったのか。その主たる理由と根拠は、ロス方式では組織に関わる個々の運営、管理者が利害、利権を預かれない事を知っているからです。何故ならば、ロス方式は、ロス組織委員会(LAOOC)のP・ユベロス委員長は、必要な全ての経費を広告代理店電通に売り渡し、リスクを全て電通に持たせる契約をしたのです。これによりP・ユベロス委員長は、この契約を国民、州民、市民に公開しクリーンなスポーツ・アドミニストレイターを証明した事を電通は、経験しているからです。

ロス方式を拒んだ東京五輪関係者は、それにより「どす黒い霧」に覆われた東京五輪の結末が五輪終演後に必ずや訪れる事すら誰もが気にもして居ないのです。

kファイルの読者の皆様は、その結論を五輪終了後に確信を得ることになるかもしれません

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS)

紹介:Gファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文藝春秋社 著 武田頼政

   Kファイル、KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada

お知らせ:次回Kファイルは、本当にJOC竹田会長に全ての責任があるのか否かについ て述べさせていただきます。