K'sファイルNO.117:国籍を提供した外国人選手による日本代表 ①

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K's
ファイルNO.117国籍を提供した外国人選手による日本代表

無断転載禁止 お知らせ:K'sファイルは月2回、第2、4木曜日掲載予定

読者からの便り~

おはようございます。K’sファイルNo114115116を拝読しました。高校野球の名門私立高校を卒業している私にとっては、看過できない内容でございました。(私は、サッカー部主将でしたが。)母校の校門をくぐると添付写真の様な野球部の甲子園優勝記念碑のオブジェを目にする事ができます。この華々しい栄光の数々の裏で何が起きているのか、河田先生であれば容易に想像が出来るのではないでしょうか。(ちなみに、土のグラウンドはサッカー部のものです。硬くてケガの原因)当時私が、高校生だったころを振り返ると、野球部は特に異質な存在でした

異質と感じた理由としては、県外出身者が多い。出身を聞くと、当時は行った事もない様な遠い県の名前を聞かされたことを鮮明に覚えています。遠征でほとんど学校に来ない。当時の母校は、進学クラス(2クラス)・一般クラス(7クラス)母校は、中学校からの内進クラス(3クラス)・野球部・サッカー部・ラグビー部・吹奏楽部から構成されるスポーツクラス(3クラス)の合計15クラスで1学年が構成されていました。私は、進学クラスに所属し、18時間授業をこなして、サッカー部の練習に参加しておりましたが、スポーツクラスでは、午後2時には、授業が終わり、それぞれ練習場に向かっていきます。野球部は、特に遠征等でほとんど学校にいない子も散見されました

特待制度による入学金・授業料の免除、進学クラスの子(私ですら)受けられなかった特待制度をほとんどの野球部員が受けていた。学業との両立が成されていないことに疑問を感じていましたし、野球部員が特別扱いされているという印象と学校の知名度向上の為にただただ利用されているのだなと感じました

私の代は、夏の甲子園に出場していましたが、卒業後の彼らの運命は過酷なものであったと聞いています。勉強そっちのけで野球をしているので、学業のレベルは偏差値でいうと30から40程度で受け入れてくれる大学は少なく、運よく入学しても、大学の講義のレベルについていけなくて、中退した人も少なくありません。当時のレギュラークラスですら、例外ではありません。私の知っている野球部員は、大学中退後に、仕方なく長距離トラックの運転手になっています。 キャバクラのキャッチをしている人もいます。いちがいに人の幸せを測ることはできませんが、私には、彼らがいま、幸せなのかは、わかりません。

 自己責任と言ってしまえば、それで終わりですが、周りの大人たちはとてつもなく無責任だなと感じます。高校野球とは、何のために、誰のためにあるのか。どうあるべきか。再考すべき時が、来ているように思います。高校球児たちの努力の方向性を匡し、将来にわたる長期的なスパンで彼らの幸せを考える事ができるのは、我々大人だと思います

河田先生の発信で少しでも変化があることを祈ります

 

~激変して行く日本代表の概念~  

目次:

筆者の素朴な疑問と心情

1.ナショナルテイームのステイタスとは何

①日本代表に大義はあるか

②外国人ソルジャー導入の真意は何処

③被害者の救済を何とする

④今日に至る歴史とその歩み

⑤競技者達の動向と変化

筆者は、先ず外国人選手が日本代表になる事に対して反対しているわけでない事を述べさせて頂きます。外国人選手を導入するその趣旨・目的を責任ある各関係機関、組織・団体は、国民と社会に対するコンセンサスを得る必要があることを提案させて頂きます。競技スポーツであっても、日本代表とは、国家、国民、社会を代表するに相応しい資質の人材、テイームである事は基より、代表にはファエネスが重要なファクターであることを決して忘れてはなりません。

筆者の素朴な疑問と心情

@誰もが議論しようとしないタッチー(touchy)な問題とテーマなのか。

@外国人選手がいる日本代表テイームは、時代の流れと捉えるべきか。

@日本代表選手に伝統的な日本人が居なくなる日がやってくるのか。

@国際競技スポーツは国際競技スポーツ連盟(略:ISF)のルールが基本とされている

    が、これでよいのか。

@五輪、及び各競技種目別国際大会(ワールドカップ、世界選手権、等)に国名使用の

    意義が問われる日が来たのでないか。

@個々の選手は他国の代表選考にトライアウト出来る日が来るのか。

@競技本来の本質は差別化か。

@資本主義は、差別と矛盾の楼閣の上に位置するのか。

 

1.ナショナルテイームのステイタスとは何

①日本代表に大義はあるのか

1964年東京五輪当時、まさか今日のような日本を代表するナショナルテイームに「前」或は「元」といった、外国人選手がそれも大量に国籍を提供されて、日本代表として国際試合に出場するなど誰が予期した事でしょうか。日本を代表するテイームとは、日本で生まれ日本の義務教育を受け日本の国籍を有する、同一民族の集合体であると誰もが考えて来ました。それ故、今日のような日本代表選手の規定、定義については、外国人選手に国籍を提供して出場させる前に、国家、国民、社会は、日本を代表する選手、テイームへの伝統的な概念の改善、改革を議論すべきである事を強く進言したいと思います。その結果として、グローバルな国家、社会へと移行するのであれば法律に沿った、国内の競技スポーツに関する組織、団体の在り方、運営・管理を含めた新たなルールの設定が先ず議論されるべきではなかったのか。此のままでは、なし崩しの状態で各競技スポーツ関係者、機関、団体の思惑により目先の利害、利権に一層偏重した編成となり、若者達が代表になる権利を大人が奪ってしまう事になりはしまいか、また既に起きている事を重く受け止めなければなりません

 

②外国人ソルジャー導入の真意は何処

2019年ラグビーワールドカップ(略:ラグビーW杯)に於いて、日本のナショナルテイームは、レギュラーの半数以上(31名の代表の中15名外国人)が外国人選手により編成され、集団を形成しています。此のことに関して、読者の皆様の中には、少なからず違和感を持っている方がいらっしゃるのでないかと思われますが、如何でしょうか。そして、その中には名前に日本名の漢字を使用している選手がいます。これには、何か理由があるのでしょうが、滑稽にしか映らないのです。

筆者は、これらの選手達を目の当たりにして、彼らは国際競技大会の為のソルジャー(soldier=戦闘傭兵)と命名して、指揮官、コーチングスタッフも外国人に手渡しているのだから全員外国人部隊で編制する方が中途半端ではなく、勝利とメダルは金で買うとハッキリ国民に宣言するべきであると思いますが如何でしょうか。外国人部隊が日本代表を席巻する最大の理由がなんであるか、それらを日本国民、社会が理解した上でコンセンサスを得ているのであれば何の問題もありません

筆者は、国民、社会が理解し納得する為のプロセスが必要不可欠であったのではないかと正直思う次第です。何故ならば、我々日本国家は、単一民族として今日まで歴史と伝統を堅持して来たのではなかったのでしょうか。其の為にも我々国民、社会を代表するナショナルテイームは、国際ラグビー協会の解放されたルールに基づいたルールとは言え、また開催国として勝利最優先とは言え、もう少し日本文化を大切にする心と強い意識を持って欲しかったと願うのは筆者だけなのでしょうか。公益財団法人日本ラグビー協会は、嘗て日本で唯一最後の最後まで伝統的なアマチュアイズムを継承し、強く堅持した協会、及び関係者で在った事もこれまた皮肉な現実であると合わせてご報告します。

本競技スポーツの特徴は、身体能力(フィジカルアビリテイー)の高い選手が求められることに有ります。これを機会に他競技スポーツも、外国人選手達による助人集団へと邁進している事を読者の皆さんは既にお気付きの事と思います。サッカー、バレーボールの様なナショナルテイームもやがては、代表選手の中に伝統的な日本人を探すのが難しい時代が到来するかもしれません。大会毎に主催、共催、後援の看板を掲げる日本のマスメデイアは、自社の番組宣伝の為、商品価値を高めるための高下駄を日本代表選手達に履かせますが、いくら過大評価に心血を注いだとしても、その成果と結果が伴わない事も事実です。このような現実から、日本人選手の選手能力、戦力としてのコンセプトを抜本的に考える時期が来たと考える事は現実的です。しかし、それを理由に、日本の競技スポーツの伝統と先人達が培ってきた歴史を踏みにじることに成るのは如何なものかと思います。

 

③被害者の救済を何とする

此の事から被る、最大の被害者は子供達です。子供の競技スポーツへの夢を大人達の利害、利権により踏みにじられ、潰されて行って居ることを見逃してはなりません。目先の事しか考えない大人の利権亡者達により、子供達の出場枠が奪われだしたという事に何故責任者達は、目を向け熟考しようとしないのか怒りを禁じ得ません

先だっても中学、高校の部活指導者、教員、父母からこんな便りを頂いております。「子供達は、テレビでラグビー日本代表の試合を見ながら、もうラグビーを続けてもあのような外国から来たゴリラのような人達がいるので、幾らラグビーをやっても日本代表には難しいよ。とふと我が子が呟いた時に初めて気づかされた」とある父母がこの代表選抜の有り方を語っているのが印象的でした。

この様な状況は、他の競技スポーツに於いても他人事ではなく、国内に於けるフェアーなルール作りを国民、社会と共に行わなければ子供達からスポーツを奪ってしまう事に成りかねません。これは、ある意味に於いての大人の「暴力」に当てはまるのでないでしょうか。

お上は、全く調査も行わず、ただ安易に勝つ事、注目を得るための目先の結果にとらわれる為に国の未来の財産であるはずの子供や若者達の夢も奪っている事に誰も気付かず、議論の対象にもさせない日本のスポーツ界の実情を憂えてならないのは筆者だけでしょうか

驚くことなかれ、もうすでに地方の私立高校には、トンガ、その他から輸入された未成年のラグビー選手の活躍で毎年、高校選手権でシードを担保されて名声を博している学校がある事等、氷山の一角です。いみじくもこの高校の地元には、ラグビー協会の前会長で東京五輪組織委員会会長、元文科大臣の国会議員のお膝元でもある事を聞くに付け、誰もが問題を提起できないのかも知れません。此れもまた、日本のスポーツ界に徘徊する政治家達との負の遺産なのかも知れません。

このような底辺から聞こえる声は、我が国に於けるスポーツ・アドミニストレイションのレベルの低さを如実に物語る子供、父母、指導者達の現場の悲鳴で在りこの悲壮な叫びを何とするのでしょうか

 

④今日に至る歴史とその歩み

近年は、1974年にIOC国際オリンピック委員会)がオリンピック憲章から「アマチュア」の言葉を削除したことにより、以降世界の競技スポーツ界には大きな変革が及んでいる事は読者の皆さんもご承知の通りです。

世界一を決めるオリンピック大会に於いて、卓越した力量を発揮するプロの存在は無視できない存在へと変貌し、スポーツ界に押し寄せる商業化の波も避けられないものに変わりました。

時を同じくして、世界を襲った「石油ショック」は1976年のカナダ・モントリオール大会を直撃。開催にかかる莫大な費用を開催都市、開催国では賄え切れなくなり、莫大な負債を抱えることになった結果、各都市はその後の開催立候補に二の足を踏むようになったのです。アマチュア規定削除により、大きな転換点となったのが、1984年のロスアンゼルス大会でした。IOCが大会及び選手を商品としたコンセプトで管理したテストケースとして大きな注目を集めました。

ロス五輪組織委員会(略:LAOOC)委員長のP・ユベロス氏は、民間資本導入する為に「広告代理店の電通」をパートナーとして取り込み、何と日本経済がバブル期で在った事をよい事に、開催に必要不可欠な予算を「保証=ギャランテイー」させる契約を結んだのです。

その中で放送権料、入場料収入に関しては、電通との契約に入れなかったという強かな交渉(ネゴシエイション)をやり切ったのはユベロス氏のスポーツ・アドミニストレイターとしての、特にビジネス・アドミニストレイターとしての剛腕ぶりが発揮された成果と結果でした。

LAOOCは、大会の赤字を回避したのみならず、招致に際してのユベロス氏の公約通りに、合衆国、カリフォルニア州ロスアンゼルス市の国民、州民、市民の税金を1セントたりとも使わず、そして黒字化する事を実現したのです。

その後五輪は、肥大化の一途を辿り、2020年東京五輪に至っては招致活動時の公式プレゼンテイション内容とは全く異り、世界最大級の金のかかる五輪を演出してしまった次第です。これらは、誠実な大人の日本代表者達が行う真面な行為ではありません。此れ即ち、招致活動は、招致する為のフェイクのプレゼンテイションで在ったと言われても全く言い訳できないのは言うまでもありません。それに加えて、本招致活動に於けるIOC理事達の収賄疑惑は、竹田前JOC会長の辞任を持って責任の所在を未だ明らかにさせないIOCJOCのオリンピック運営、管理団体の真の姿なのです。

2020東京五輪招致の趣旨、目的は、一体何だったのでしょうか。政治家達と広告代理店の為の選手達をCOREとした世界で一番金のかかったイベントショーが間もなく開演されようとしています。

IOCJOC内閣府文科省スポーツ庁東京五輪組織委員会の責任者達、多くの関係した国会議員達は、本大会が最悪の酷暑の中で行われる事、この中でバランテイア活動を強いる方々へのリスク、等を如何思慮した上での招致で在ったのか等、誰も考えもしなかったようです。何故ならば、このような人達は、空調の効いた涼しいビル、車での移動、涼しい競技会場の特別室に身を置くことしか考えない人達であるからです。

2020東京五輪の招致活動は、最たる悲しいレガシーとして歴史に刻まれ次世代が延々とこの負の遺産を背負い続けて行かなければならいのです。

読者の皆様は、是非今日の五輪の肥大化の原因が何処にあるのかを考えて頂ければ幸いです。2020年の東京五輪の財政、財務状況をこのLAOOCの財政、財務コンセプトと比較して下されば、組織委員会の最高責任者の能力と実行力により国民、社会にどれほど莫大な負担を掛ける事となったかをご理解いただけると思います。本K'sファイルでは、当初より重大な問題とポイントについて指摘させて頂いております。

 

⑤競技者達の動向と変化

1980年のモスクワ五輪は、ソ連アフガニスタン侵攻により自由主義国がボイコットした事はご承知の通りです。この80年代を境にして、世界のトップアスリート達には、特に大きな動きが見え始めたのです。その最大の変革の根源は、IOCのアマチュア規定削除によりアスリート(競技選手)が、競技スポーツと言うイベント・オーガナイザー、スポンサーの代理としての広告代理店、TVマスメデイアによって、COREである選手がビジネスに利用、活用、展開されるようになったことです。

それに伴いアスリートは、そのイベント成立に必要不可欠なビジネスCOREとして、一躍商品価値が増大したのです。先ずその中でも特に個人種目に於いて世界記録を持っている選手、それに近い選手達の価値が増大し各国で開催される国際大会に於いては、引く手あまたとなりました。特に陸上競技大会に於いては、オリンピックを先頭に、世界陸上選手権大会、等と需要供給のバランス迄崩れてしまい、各国で開催される国際大会に於いては出場するだけで出演料(アピアランスフィー)を要求する選手達が常識になってしまったのです。その中でもトップアスリート達は、出演料以外に成功報酬(インセンテイブボーナス)と称して、世界記録、大会記録、大会順位、等々に値段を付けて主催者に約束させる風潮が1980年代から色濃くなって来たのです。アスリート達は、またスポーツメーカー社と個人契約をし、必要衣類、シューズ、等以外に大きな成功報酬の契約が付帯されているのです。

丁度この頃から、選手達、そしてそれを支援する代理人達には、それまでと比較すると遥かに大きなプレッシャーが、圧し掛かるようになったのでした。選手、指導者達は、そのプレッシャーを金銭に置き換える事によりスポンサーに多くの対価を求め、自身には、記録と怪我と言う対価を代償としたのも事実です。それがために、製薬会社との提携により記録を、また、怪我の早期回復を図るために強力な薬物に依存する事も厭わず、今日もその負のスパイラルから抜け出せない現実が此処にあるのです。

個々の選手達には、選手代理人代理人会社(スポーツ・マネージメント会社)が出現して選手のトータルマネージメント迄行うビジネスが世界中に拡散し、それが今日では、高度なビジネススキルを持った会社・組織として経営、運営、管理がなされる時代を迎えたのです。競技スポーツは、スポンサーにより支えられています。アスリート(競技者)は、スポンサーにより糧を得ているのも事実です。

文責:河田弘道

Ksファイル著者

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ: NO.116に付きまして読者からのお便りを頂きました。実体験された私学の現実をリアルにお伝えして下さり有難うございました。このリアリテイーを主催者の高野連朝日新聞社の役員には、どうしたら届きますでしょうか。NO.117は、読者の皆さんが素朴に疑問視している視点を取り扱いました。如何でしたでしょうか。次回NO.118は、さらに問題の本質を述べさせて頂こうと思います。TV、マスメデイアが話題にしない理由をご存知ですか。

注:次回は、9月26日木曜日、Ksファイル公開を予定しています。