K'sファイルNO.78:日本の冬の風物詩大学箱根駅伝は誰の物 無断転載禁止

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第三弾 大学箱根駅伝とスポーツ・ビジネス

1.スポーツ・アドミニストレイターの視点から

①日本初のスポーツ・アドミニストレーションの講義授業

筆者は、2005年から日本の大学に於いて教授職を賜り、日本初のスポーツ・アドミニストレーション(略:SADの講義授業及びそれに付帯する専門実践ゼミ(河田ゼミ)をスタート致しました。本講義授業は、自ら三十数年間のスポーツ・アドミニストレイターとしての実践キャリを講義で理論を、ゼミで実践演習を主体としたアクテブラーニングを導入致した次第です。

大学でのSADの付帯専門実践演習(河田ゼミ)に於いては、スポーツ・マネージメント、ビジネス、マーケテイング、プロモーション、プロデユース、フィールドオペレーション、等々の活動を主体としたトータルマネージメントを修得する為の実践演習活動を各年異なるテーマで行いました

この年度のテーマは、大学競技スポーツが学生達にとって一番身近で、学生達も関係している事から大変興味深く取り組みました。本調査は、大学箱根駅伝(略:箱根駅伝)がどのようにして運営・管理され、如何にして事業(スポーツ・ビジネス)として成立しているのかを学ぶために必要な基礎演習活動でありました。

しかし、ゼミ生達は、調査段階に於いて何度も大きな壁にぶち当たり段々と関東学連たる組織、団体の運営・管理が学生達の自治活動でなく、外部から何らかの関係で集まり共通した利害と利権興味を持った大人達の閉鎖された集団である事が透けて見え始めたのでした。

この事を実感できたゼミ生達は、ゼミの実践演習活動を通して学内外、社会で得た貴重な「知識と情報」が成果と結果として得られたことでした。そしてこの得られた知識(Knowledge)、情報(Information)を如何にして活用する為の能力(Literacy)をレベルアップして、それらを発展させて行くかを研究するものでした。

このような競技スポーツに関するアクテイブラーニング(実践演習)は、日本の大学で殆ど指導されませんので非常にダイナミックな演習に感じたようでした。また、不可思議な箱根駅伝の経営、運営実態から、筆者は、企業スポーツで得た実体験から引き続き今日までゼミを超えた立場と、スポーツ・アドミニストレーターとしての専門的な視点でリサーチを継続して参った次第です。

この事から読者の皆様には、「本K’sファイルの課題、テーマの問題の本質部分」をお話し致しますので、そこから何が見えて来るのか、是非思考回路を全開にして、洞察して頂ければと思います。先日は、奇しくも箱根駅伝の伝統校の監督と大学学長(大学法人一号理事)の内部問題がマスメデイアで取り扱われ始めていますが、これらは氷山の一角で重大問題のほんの入り口にしか過ぎないと筆者は観察致しております。(20181129日、マスメデイア報道より)

2.関東学連の事業(ビジネス)拡大路線

①ビジネスとしての箱根駅伝

関東学連は、箱根駅伝以外にも複数の事業(関東学連規約:事業第五条)を行っています。しかし、本事業が唯一莫大な収益を上げているビジネであると見受けられます。箱根駅伝を主催する関東学連、共催の読売新聞社は、大学生及び学生選手を商品として、事業(ビジネス)を行っています。そのビジネスの主な収益は、スポンサーシップによるものです。

スポンサーシップとは、大学競技スポーツのCOREである学生選手が出場、出演するスポーツエンターテイメント(此処では箱根駅伝)大会に「金銭的、物的、人的」投資(支援)をする会社・企業を意味します。

 

即ち、主催者、共催者は、その見返りとして、本大会に於いて企業名、商品名、商品を独占的に露出、提供する機会を与えることを意味しています。スポンサー企業は、大会での直接的な観戦者、間接的なマスメデイア(テレビ、新聞、雑誌、等)を通しての視聴者へと取り上げられる事により投資した以上の宣伝効果を期待しているからです。スポーツのマスメデイア価値が高まるにつれて、企業のスポンサー活動は、投資効果を見極めた積極的な投資事業を展開するのです。

これとは逆に、スポンサーシップが投資効果(ROIReturn on Investment)を期待して行われる利潤追求の企業活動に対して、見返りを求めない慈善事業としての寄付活動やバランテイアー活動で、企業の社会貢献を目的として行われる支援活動のフィランソロフィーphilanthropy)があります。しかし、後者は、投資効果を全く期待していないのではなく、長期的ビジョンにおいて投資効果が大いに見込めるのも事実です。

即ち企業がスポンサーをする意味は、投資に対する対価としての見返り、即ち宣伝広告の効果、効率が期待できるからなのです。

また、本大会は、「サッポロ新春スポーツスペシャ箱根駅伝」として、日本テレビ系列により独占生中継番組で放映されています。よって、日本テレビは、放映権料として莫大な金額を主催者側に支払っている筈です。また、日本テレビは、放映権料、製作費、人件費、諸経費の回収をCMスポンサー料によりビジネスを行っている次第です。

箱根駅伝をスポンサーシップする主な会社・企業

特別協賛:サッポロホールデイングス株式会社(サッポロビール株式会社)

協賛  :ミズノ株式会社 トヨタ自動車株式会社 セコム株式会社 

      敷島製パン株式会社

特別後援:日本テレビ放送網株式会社

後援  :報知新聞社

 特別協賛とは、冠協賛とも言われ、冠スポンサー(別名:クラウンスポンサー)と称される本大会(イベント)に一番高額な金銭的な投資をしているスポンサーを意味しています。

冠スポンサーとは、テレビ番組や公演、スポーツの大会(イベント)、多目的施設などの名称に企業名や商品名などを冠することを条件に多額の資金と商品を提供するスポンサーの事です。

例えば、サッポロビール冠番組として、『★SAPPORO新春スポーツスペシャ 第○回東京箱根間往復大学駅伝競走』として告知しています。

協賛とは、箱根駅伝の趣旨に賛同し、大会の成功を助ける事が本来の意味です。通常は、協賛の会社がかなりのお金や物(自社の商品)を提供している。

特別後援は、後援の中で一番金品を出している事が特徴です。此処では、テレビ中継をする事により、本大会を後援し、放映権料を支払う事で主催者に金銭的、放送媒体によるサポートをしている事です。

後援は、多少のお金や物を出す程度、あるいは名義後援と言ってイベントの権威付けのために名前を貸してもらうだけのことも多いです。本大会の場合は、活字媒体を主体とした、後援を行っていると理解するのが正しいかもしれません。

 

3.大会スポンサーとテレビスポンサーとの関係

テレビ局の事業予算の確保と収益確保

本大会は、日本テレビにより2日間約14時間生番組(別枠:特集、10月の予選会生中継)として実況中継されています。

テレビ・ビジネスは、先ず放映するに当たり番組映像を制作、生産しなければ商品になりません。そこで制作する為には、多額の予算の確保が必要となるのです(例:中継の為の衛星回線確保、映像送信回線確保、中継基地確保、機材、運搬、テクニシャン、ゲスト、社内外スタッフの人件費、放映権料、等々)。そして、本大会の権利を得るためには、放映権料として主催者側に支払わなければなりません。

これら全ての諸経費を捻出する為に必要な事業費は、テレビCMTime(コマーシャルの時間枠)を販売する事により事業費を回収し、利益を上げるビジネスコンセプトであります。また、CM時間帯の料金の設定は、前年度の本番組の視聴率が料金設定の目安となっているのです。

よって、本箱根駅伝の大会スポンサーが即テレビのメインCMスポンサーとなっているのです。また、利益を上げる為の方法としては、大会スポンサー以外のスポンサーに営業(セールス)を行い賄われているわけです。

今日、このような人気のある大会(イベント)では、大会スポンサー、テレビスポンサーを広告代理店が独占販売する事が一般的で、この事をパッケージセール(まとめ買い売り)と業界では読んでいます。この方式を取る事で、テレビ局の営業部門へのプレッシャー、負担が軽減される事にもなります。基本的には、オリッピック、ワールドカプサッカー、等のテレビ・ビジネスも同じスポーツ・ビジネスコンセプトなのです。

 

4.主催者とスポンサー各社との関係

此処で素朴な疑問は

本主催者の関東学連は、任意団体であるため情報公開の義務がなく、スポンサーとどのような取り決めを行い、契約を取り交わし契約書にしているかは明らかにされていませんので推測になります。

通常、本大会に類似したイベント・ビジネスでは、主催者とスポンサー会社、企業間で取り決め、主催者・共催者(権利保有主)とスポンサー各社との間で毎年新しい約束事を契約書に盛り込み、双方で担保する事が常識であります。

関東学連は、スポンサーの広告代理店である博報堂が窓口で代理契約をされている事が考えられます。本大会の商品価値から、他の類似大会と比較した業界の試算では、スポンサー料、放映権料を含めて約6億円前後の収入(2日間のイベントとして)が主催者側に入っている、と推測されているようです。

此処で大事な事は、もし主催者の関東学連が広告代理店、スポンサー企業、テレビ放映権料、等を独自でネゴシエーション(交渉)を行っているなら、相手の言いなりの料金でなくハードネゴシエーションを行う事がスポーツ・ビジネスの基本であり鉄則です。しかし、主催者側には、スポーツ・ビジネスの専門家がいるとは考えにくいので広告代理店、テレビ局側の言い値となっているのかも知れません。何故なら、これだけのイベントでは、主催者側にもっと収入が在っても可笑しくないと思えるからです。関東学連は、名前だけの主催者なのかも知れません。

主催者の関東学連は、任意団体であり「権利能力が無い団体」とされていますので、このような権利ビジネスに於いて本来契約の主体となり得るのかどうか疑問に思うのは、筆者だけでしょうか。

しかし、ここで忘れてならないのは、本大学箱根駅伝事業は、公道を使用し、警視庁、県警、交通機関を遮断、国民の税金を使っての公共事業の一つでもある事です。何故任意団体のビジネスに公共の場と公金による人件費を投入するのか、此処にスポーツ・ビジネスアドミニストレーションの未熟さを感ずる次第です。

5.元手0で莫大な収益を得るスポーツ・ビジネス手法

読売新聞東京本社は、共催(主催)であり「箱根駅伝」を商標登録されている会社、企業であります。即ち、本箱根駅伝の商標は、各加盟大学と関東学連から読売新聞東京本社に帰属していると理解するのが自然でないかと思われます。よって、読売新聞東京本社の許可なくして、箱根駅伝名及び商標が使用できないことになっていると思われます。読者の皆様は、どう解釈されますか。

本来、グローバルなビジネス社会での商標は、箱根駅伝と最初に命名した個人、或は組織にその命名権が発生し通常「ファウンダー」として権利が発生していると解釈されます。よって、途中から突然読売新聞東京本社命名権をファウンダーから譲渡されたという告知も無かったので、今後禍根を残すことになるかも知れません。

一体箱根駅伝のファウンダーは、何処の何方であったのでしょうか。新年の大学箱根駅伝TV中継の中の蘊蓄物語で是非この「ファウンダー」を紹介して欲しいものです。

主催者は、読売新聞東京本社と本商標権使用に関する何らかのネゴシエーションが存在し、各加盟大学は既に同意、或は承認している事になります。よって、関東学連は、莫大なスポンサー料から、商標権使用料として読売新聞東京本社に使用料が支払われるのは当然であると思われます。しかし、これでは主催団体が二つあり、形式的には、主催、共催の主従関係に見えるのですが実質は逆のように思えてなりません。現在の姿は、ダブルススタンダートとしての誤解を回避するための姿なのかも知れませんが、読者の皆さんにはどのように写りますか。(ご参考までに:共催の読売新聞社は、2004年からそれまでの後援から共催に変更されています)

私は、加盟大学が商標登録権を既に手放しているなら、その対価として何を得たのか。そうであるなら主催:読売新聞東京本社、共催:関東学生陸上競技連盟が明快で責任の所在も明らかになるのでないかと思います。如何でしょうか。

そして、財務の可視化は、加盟大学の責任に於いて主催者との間で約束事の一つとして取り交わし、公開の義務を明文化すればよいのでないでしょうか。これにより少なくとも財務に関する暗い噂も無くなると思います。

此のことは、学生達の自治団体として、純粋に行動、活動している各大学の学生諸氏がどう理解し、同意しているかが非常に重要なファクターの一つになると思われます。本来は、日本の大学競技スポーツは個々の大学の課外活動の領域を大きく超えているので、学連という名の組織、団体の存在自身が形骸化した砂上の楼閣と化していると思います。

日本に於ける大学競技スポーツ界では、このような不透明なビジネス・アドミニストレーションがあらゆるところで見受けられるのが最大の特徴の様です。

私は、スポーツ・アドミニストレーターとして、主催者がこれほどのビジネスを行っていながら、本大会の商品であり最も大切にされるべき学生選手、バランテイアー学生達に対する、大会期間中の不慮の事故に対する補償が「自己負担と競技規則に明記されている」事が、本主催者達の真の趣旨、目的が透けて見えて来るように思えてなりません。

このような補償は、学生選手及び学生バランテイアー、公共施設、等を使ってビジネスしている方々が真摯に、且つ適切に対応することが望ましいと思います。

この事実から、主催者、共催者は、学生諸氏、学生選手達のCOREを無料で使用して、莫大な利益を学生達からせ占めている事を意味しています。そのCOREの学生達は、授業料を大学に納付しているのです。此れでは、大学教育の一環、延長線上であるべき大学競技スポーツの大義となり得ないのではないでしょうか。これが大学箱根駅伝に関する経営、運営、管理に関するアンフェアーな実態なのです。このようなマネージメントをする時代ではなく、一日も早く日本の大学競技スポーツに「Justice正義とFairness公正」を基盤としたスポーツ・アドミニストレーションが構築される事を願う次第です。

6.まとめ

以上述べました論点に関し、大学経営者、管理者、またスポンサー関係者からも、何方も指摘し、改善の声が聞こえてこないのは、残念でなりません。各大学の代表者がもう少し真の教育者としての視点をお持ちになることや、さらにスポーツに豊かな見識を持たれている人達が、大学箱根駅伝の組織をオーガナイズする構造とシステムの必要性が今問われているのではないでしょうか。

また、主催・共催者は、数年前から新たな箱根駅伝に付帯する事業として、毎年10月に箱根駅伝予選会を日本テレビによる実況中継にスポンサーを付けてビジネスを拡大して行って居るのはご承知の通りです。

毎年主催者には、箱根駅伝による莫大な収入が入って来ている筈ですが、学生、大学に還元される事無く、収益をどのようにされているのでしょうか。これは、筆者の素朴な主催者、共催者への疑問です。これらの現実的な実態に付きましては、次回から述べさせて頂く予定に致しております。

筆者が、学生選手、大学箱根駅伝に興味を持ち始めたころから関東学生陸上競技連盟については、金銭的な暗い噂を常に耳にしてきた記憶が蘇って参ります。大部分の学生選手達の純粋な情熱とは真逆な大人達の思惑と現実の中で、日本の大学競技スポーツの将来に不安とその障壁を強く感じているのは筆者だけでしょうか。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:

次回のK’sファイルでは、大学側の経営者、教学管理者が箱根駅伝をどのような位置づけでテイーム編成、学生選手強化を行っているのかをご紹介します。これにより日本の大学競技スポーツが、どのようなご見識の経営者、大学教学責任者により教育されているかの現実を知る事になるかも知れません。

 

K'sファイルNO.77:日本の冬の風物詩大学箱根駅伝は誰の物 無断転載禁止

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第二弾 大学箱根駅伝主催は本当に学生の自治体?                                                                                                 

1.大学箱根駅伝の帰属権が不明確

①問題の序章

箱根駅伝は、毎年正月の2日、3日の両日早朝7時から午後2時まで長時間に渡ってテレビや、ラジオで実況中継されるほか、SNSの動画、記録配信、等々と国民的な行事に発展、注目されている事は読者の皆さんもご承知の通りです。今回は大会を経営、運営、管理している主催団体をスポーツ・アドミニストレーションの視点から観察、洞察して参ります我々は、テレビの実況に気を取られている間に、何時しか重要な実態と真の伝統的な大学、学生、学生選手達の遺産を見失ってしまっているのではないでしょうか。

筆者は、人々を過熱させるこの報道こそが、本大会を主催する実権を本来の加盟大学及び学生達から、スポンサー会社、企業へ移行し、いつの間にか主催者の本来の趣旨、目的から企業ビジネスが主体となり、学生、学生選手達が商品の駒となり、主従関係が逆転してしまっている事に学生及び学生選手を預かる大学も気付かず、今日のような舞台裏が構築されてしまったような気がしてなりません。

教育を趣旨、目的とする筈の大学競技スポーツは、その本質が事業(ビジネス)と言う偏った方向にミスリードされてしまっていると思われます。その意味で、国から私学への莫大な助成金補助金の必要性とその在り方が問われる時期に来ているのではないのでしょうか

本競技スポーツに関わる大学関係者(大学経営、管理者、教員、職員、学生、学生選手)は、教育という本質を見失い、何でもいいからテレビに出て有名になれ的な風潮が極端になってしまった様です。そして、その為には、身体能力のある選手達を手段選ばず安易にお金の力を利用して内外からリクルートして来る次第です。このような学生選手獲得資金は、いったい大学は何処からどのようにして作り出されて行くのでしょうか。まさか公金の私学助成金補助金が流用されていない事を願う次第です。

このような現実は、既に大学競技スポーツの教育秩序を崩壊させている危険な状態である事を誰もが気付かないのが、重要な課題だと思います。

ここ数年大学競技スポーツが突然話題になっていますが、真に論議しなければならない本質的な問題をどう解決、処理して行くのか、避けては通れない事を関係者達がどれほど理解認識出来ているのでしょうか。この問題に大学関係者、国民、社会が全く無関心である様子は、丁度近年の我が国の選挙民と国会議員、国会の運営、管理の関係にも酷似しているように思えます。

帰属権と既得権

箱根駅伝は、「何処に帰属し、既得権は本来何処の誰にある大会なのか」を考えられた事がありますか。勿論、「各加盟大学です」と純粋にまだ思っている大学関係者、読者の皆さんがいる事を願う次第です。この重大なキーワードを各大学の経営者、管理者、また、大学設置を認可した文科省スポーツ庁)の見識者諸兄は、どのように考えられているのでしょうか。

文部省、文科省スポーツ庁は、何故、このような事態になる前に指導、勧告を加盟大学に行わなかったのか、これもまた不可思議な教育機関、省庁と言わざるを得ません。多分何も思考した事がないのだと思われます。或は、インボルブすること事態に興味すら持たなかったのかも知れません。

 

2.主催者としての関東学生陸上競技連盟の真の姿とは

箱根駅伝の主催者としての関東学連

先ず本箱根駅伝がどのようにして運営、管理されているかをスポーツ・アドミニストレーションの視点で述べるに当たり、開催要項から覗いて見ることに致します。

開催要項:

主催  :関東学生陸上競技連盟

共催  :読売新聞社2004箱根駅伝の商標登録済、読売新聞東京本社

特別後援:日本テレビ放送網株式会社

後援  :報知新聞社

特別協賛:サッポロホールデイングス株式会社(サッポロビール株式会社)

協賛  :ミズノ株式会社 トヨタ自動車株式会社 セコム株式会社 

     敷島製パン株式会社

運営協力:東京陸上競技協会、神奈川陸上競技協会、名橋「日本橋」保存会

     箱根町 株式会社陸上競技者(2017年度学連要項より)

警視庁、神奈川県警:通常は、協力、支援として告知するべきですが、名称も告知されていない。尚広告代理店は、博報堂です。

ご参考までに、

公益社団法人日本学生陸上競技連合が主催する大学駅伝大会要項

1) 全日本大学駅伝対校選手権大会(伊勢)(商標登録無し)

       主催:公益社団法人日本学生陸上競技連合 朝日新聞社 テレビ朝日 

                 メ~テレ

  後援:スポーツ庁 愛知県 三重県 名古屋市 伊勢市 日刊スポーツ新

                 聞社 一般社団法人中部経済連合会 中部経済同友会 愛知県商工会議所連 

                合会 三重県商工会議所連合会

      運営協力:東海学生陸上競技連盟 一般財団法人愛知陸上競技協会 一般 財団法

                人三重陸上競技協会 支援:愛知県警察本部 三重県警察本部

       特別協賛:JAバンク

       協賛:興和

       協力:シチズン時計 三重交通グループ ニューバランス ジャパン 

       三菱UFJリース radiko 日清オイリオグループ

       企画協力:アサツーディ・ケイ(広告代理店)

 

2)  出雲全日本大学選抜駅伝競争(商標登録無し)

       主催:主催公益社団法人日本学生陸上競技連合出雲市

       主管: 出雲全日本大学選抜駅伝競走組織委員会

       運営協力:中国四国学陸上競技連盟、一般財団法人島根陸上競技協会、出雲市

                    上競技協会、島根県警察本部・出雲警察署、陸上自衛隊出雲駐屯地

      協賛:  富士通株式会社

      後援: スポーツ庁島根県島根県教育委員会島根県立中央病院、出雲市教育委

                  員会、公益財団法人島根県体育協会、フジテレビジョン産經新聞社、サン

                 ケイスポーツ、ニッポン放送、TSK山陰中央テレビ山陰中央新報社、

                 エフエム山陰

 

3.主催団体の置かれた立ち位置

①主催と共催の関係

箱根駅伝は、関東学生陸上競技連盟(略:関東学連)という団体が主催し、読売新聞社が共催しています。また、主催団体は、法人資格を持たない「任意団体」であり、わが国においては「権利能力なき社団」と解釈されている団体です。しかし、共催者の読売新聞社は、「箱根駅伝」の商標登録(第5565518号)を既に読売新聞東京本社2004年に行い、所有しています本商標登録を加盟大学の同意を得ての登録か否かは不明です。また読売新聞社は、本商標登録をした年に後援から共催になっていますが、何故主催に名をあえて連ねなかったのか、興味深いところです。

公益法人と任意団体の違い

関東学生陸上競技連盟関東学連)は、独自に「関東学生陸上競技連盟規約」を発行しています。それは公益法人と任意団体との違いにおいて、任意団体は、「営利」「非営利」いずれも可能であり、任意団体には任意規約が必要だからです。また、役員の責任に関しては、「任意団体の規約に基づいて誰にどのような義務が課せられているか、その義務に違反した行為があるかどうか等による」との事です(不明瞭)。しかし、関東学連の規約には、役員の責任、責務に関する明文化された詳細な項目が見当たりません。また、余剰金の扱いに於いては、任意規約によるとされ、税制に於いては、収益事業課税対象になっているのだと思われます。(法律専門家の解釈及びアドバイスより引用)

何故、関東学連は、公益法人ではなく、任意団体を選んでいるのか公益法人は、全てに於いて公開を義務付けられているのに対して、任意団体は、規約のみの開示で他の重要な情報の「開示義務なし」だからなのかもしれません。この事からも関東学連が、何故公益法人としないかの理由がこの辺りに潜んでいるような気がするのは筆者だけでしょうか

大学の教育の一環、延長線上に位置するはずの本箱根駅伝の運営、管理が、何故不透明で責任の所在の無い任意団体を今日まで続けているのか。

読売新聞社が途中から「箱根駅伝」の名称を独自に商標登録し共催とした事で、読売新聞東京本社の持ち物として、関東学連読売新聞東京本社に「箱根駅伝」の商標登録使用料として莫大な金額を毎年支払っているのでしょうか。もしそうであるならば、これは重大な問題でないかと危惧致しますが、如何でしょうか。業界では、本関東学連に対して何十年も前から経理に関するグレーな噂が絶えない理由の本質が此処にもあるのかも知れません。

 ■規約第3条の目的には、「本連盟は、関東における学生陸上競技界を統括し、代表する学生自治団体であり、学生競技者精神を尊重して加盟校相互の親睦を深め、互いに切磋琢磨して競技力向上に努め、わが国陸上競技の普及、発展に寄与することを目的とする」となっています。参照URLhttp://www.kgrr.org/about_iuauk/kiyaku.pdf

③学生の自治体とは何なのか

先ず此処で、注目致しましたのは、「学生の自治団体」という文言です。素直にこれを理解致しますと、「関東学連は、加盟大学の学生達の手に寄って運営、管理がされている団体である」、と理解できます。しかし、実態は、上記関東学連規約を拝見致しますと、学生達は、連盟の幹事という肩書を与えられた補助役員、バランテイアー活動的な駒でしかない事が容易に理解できるのです。

その証として、規約に明記されている重要決議の会議、委員会の構造、役員は、大人達によって仕切られており、学生達の入る余地がない仕組みと構造になっているのです。参考:関東学連役員名簿    URLhttp://www.kgrr.org/about_iuauk/member.pdf

 

4.関東学連公益法人日本学生陸上競技連合の違い

  本件の調査から、筆者は、関東学連以外で学連の名を名乗る陸上競技団体に問い合わせをしました。その名は、日本学生陸上競技連合(略:日本学連)です。日本学連の正式な名称は、公益社団法人日本学生陸上競技連合となっています。此処で明快な違いは、日本学連に公益社団法人が付き、関東学連には法人名が付いていな事で。よって、日本学連には、法人定款に基づき全ての情報を開示する義務が課せられています

日本学連から頂いた答えは、「関東学連の上部団体は日本学生陸上競技連合ですが、本連合は8つの地区学連の構成団体であり、関東学連はその一つです。関東学連は、独自に運営しております。」との事です。また異なる期日に質問を致しますと、「関東学連は、下部組織団体ではない」との事を説明されました。私の頭は今なお混乱したままですが、読者の皆さんは、どう解釈されますか。

関東学連の実態

関東学連、今日まで法人化を何らかの理由で避けているように思われます。法人化されていない団体の事を、わが国では「任意団体」と呼び、専門的には、「権利能力なき社団」と解釈されます。それは通常の各種法人に求められている「定款」が無いという事です。では権利の無い団体とは、一体どんな団体なのでしょう。

本任意団体は、大学と言う教育機関とその学生及び学生選手達の大会を主催し、事業(ビジネス)として、経営、運営、管理している団体(有給事務職員2名のみ、全ての役員及び関係者は、無給と規約上は明記)です。

関東学連規約をご確認して頂けたと思いますが、本連盟は、学生の自治により運営、管理される事を目的にしています。しかし、実際に運営、管理に携わっているのは、大人達であり、学生達は、重要な議案、金銭に関わるビジネスは直接的な関与、自治をさせてもらえていないのが実状です(学連担当幹事のコメント)。連盟規約①~⑳迄は、一般大人が全て関与している構造と仕組みになっていますが、これでは、学生の自治団体とは言い難いと思われます。

②学生の自治体と称するなら

筆者は、学生の自治団体を装うならば、最低限の法人資格を取得して運営、管理が行われるべきであると思います。今日、国内の市民マラソン大会(大、中、小)では、NPO法人化され経営、運営、管理を透明化して成果を挙げているのが現状です。法人化する事により、少なくとも組織の責任の所在と情報の公開が義務図けられるわけです。NPO法人は、最小限の責任者や責任の所在が明らかで、事業部門の大事な収入、支出の財務管理問題は、クリーンに各大学、社会、学生達に情報公開できるのでないかと思います。本法人でありましたら、本来の学生達の自治活動として教育的にも素晴らしい実践演習活動及び、インターンシップが十分可能な環境であります。

③規約は重要な約束事(細部明記が必要)

箱根駅伝の組織・団体は日本野球機構などとは違って公共性を最優先されるべきであり、大学競技スポーツのアドミニストレーションに相応しい、透明性のあるクリーンな事業団体であるべきでないでしょうか

何故ならば、本大会は、公道を使用し公的機関である警視庁、神奈川県警が公務として協力、支援している事もその理由であります。これらは、公的資金を利用、活用している事を意味しています。

本事業団体は、大学教育の一環、延長線上の団体だとするならば、あまりにも不透明で複雑化し、規約には大事な大義が明快ではなく、団体の唯一の規約は、詳細が不明確な為に責任の所在すら確認できないのではと思われます。

 

5.関東学連規約書には、関係者の責任の所在が不明

事業(ビジネス)が巨大化したにも関わらず、主催者の組織、団体は、2名の有給職員により賄われ、他の役員全員が無給であると規約には謳われています。この組織、団体には、各大学の学生選手、学生達が参加するに於いての責任の所在と財務管理の全てが情報公開されていません。多くの純粋な学生選手達は、仮に本競技大会参加中に不慮の事故が発生した場合は、競技規則によると自己責任となっています。それでは、学生選手を商品として活用するに当たっての彼らへの対価はなにか。これは、素朴な現実的な疑問です。意団体なので「情報開示の義務なし」とは、なんと無責任きわまる団体に加盟大学は、運営、管理を委ねているのか大きな疑問が発生していますが、誰もが疑問を唱えないのは何故なのでしょう。

このような組織、団体に日本の最高学府である大学法人は、何故このような公共性を欠いた任意団体を認め加盟しているのか理解に苦しむのは筆者だけでしょうか。

BLACK BOXの扉は開かれるのか

箱根駅伝は、大学教育機関とそこに所属、教育を受ける学生達をスポーツ・ビジネスに活用した、大人たちが構築した「BLACK BOXではないかと思えてなりません。学生達の純粋な情熱をサポートする為にもフェアーで透明性のある公益法人に移行し、全てを情報公開できる構造とシステムが教育界に相応しいと思われます。本来我が国の大学競技スポーツ界には、談合文化は不要です。

何れにしましても日本の大学競技スポーツのイベントで一番お金が儲かるイベントである事に違いありません。

公益法人の改善、改革が騒がれ、時代の流れと共に大きく各組織、団体が変革しだした今日、関東学連は、このような任意団体を継続して情報公開を拒んでいる理由が彼らの規約の中に明記されていない事は重大な問題であると思われます。

箱根駅伝の総事業規模は、業界(テレビ、広告代理店、企業スポンサー、等の類似した他の大会と比較して)の試算で約10億円前後、と言われています。次回第三弾では、本スポーツ・ビジネスの裏側を覗きたいと思います。この度は、主催者が公益法人でなく「権利能力なき任意団体」であること、「事業の情報公開義務なし」をご紹介出来た事です。読者の皆様は、大学箱根駅伝がこのような組織・団体により経営、運営、管理が長年に渡りなされている事をご存知でしたか。

文責者:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター   

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:

次回第三弾は.皆さんの知らないことをご紹介致したいと予定しています。今後大学の理念、大学競技スポーツの趣旨、目的は、いったいどうなるのでしょうか。

 *引用文献及び資料:今後、関東学連規約(本規約は公開)は、連盟規約を引用させて頂きます。参照URLhttp://www.kgrr.org/about_iuauk/kiyaku.pdf

K'sファイルNO.76:日本の冬の風物詩大学箱根駅伝は誰の物 無断転載禁止

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K'sファイルNO.76:日本の冬の風物詩大学箱根駅伝は誰の物 無断転載禁止

注:日本伝統の冬の風物詩(Tradition)の1つであります駅伝のシーズンと成りました。そこで、昨年本K'sファイルに於きまして、大学競技スポーツの一つ箱根駅伝を連載させて頂きましたところ、大変好評を頂き、また多くのK'sファイルの新しいファン、読者の皆さんからは再度、この大学箱根駅伝をテーマにしたK'sファイルを掲載して欲しいとのお問い合わせを頂きました。そこで、昨年掲載致しました各テーマに修正と加筆をして、よりご理解し易い内容にしてお届けしたいと思います。今年も大学スポーツ界では、沢山の不祥事、事件、事故等が世間を騒がせていますが、本箱根駅伝は、どうなっていくのでしょうか。読者の皆様には、大学教育機関として在ってはならない大学競技スポーツの実態をご理解して頂き、健全な大学本来の姿に未来ある学生及び学生選手を導く為の方法を是非ご一緒に考えて頂けたらと願う次第です。

 

第一弾:筆者が大学箱根駅伝に興味を持った動機~

1.筆者の実体験から

大学箱根駅伝(略:箱根駅伝)の組織、運営、管理に興味を持ち始めたのは、当時企業スポーツに於きまして、スポーツ・アドミニストレーターとして運営、管理をしていた時期からでした(1985~2005)。

何故興味を持ち始めたかと申しますと、日本に於ける企業スポーツは、日本独自の伝統的な運営、管理を行って来たプロでもなくアマでもない、不思議な競技スポーツの組織、団体だったからです。(企業スポーツに付きましては、K'sファイルNO.737475で紹介済み)

日本におけるプロ競技スポーツには、テイーム競技はプロ野球をはじめ、93年に開幕したサッカーJリーグ、2017年発足のバスケットボールBリーグがあります。また個人競技では、テニス、ゴルフ、ボクシング、等があるのは皆様ご存知の通りです。

一方、プロ競技ではない競技種目に取り組んでいる学生選手、高校生選手達にとっては最終的な活躍と生活の糧を得る場所は企業スポーツとなります。そしてその延長線上にあるのが、世界選手権大会であり、オリンピック大会です。しかし、これもごく限られた選手しか所属できない厳しい世界であります。

1974年に国際オリンピック委員会(略:IOC)の「オリンピック憲章」の改正があり、「アマチュア」の文字が消え、オリンピック大会には、1988年ソウル大会からプロ選手も参加できる事に成りました。

これにより、日本における企業スポーツの伝統的な体質は、競技スポーツ組織、団体、選手達にも徐々に変化が見られるようになりました。しかし、依然としてプロなのかアマなのか中途半端なスタイルが解消されたわけではありません。このようなスポーツ界の新しい流れの中で、日本の学生選手達の意識にも、以前と異なる意識が芽生え、段々と自分の意思を表現する様になって来たのも事実でした。これらは、急激な海外からのプロ化の波にも大きな刺激を受ける事になり、歴史的な変革の時期であったのだと思われます。しかし、残念ながら指導者、管理者達は、学生選手、選手達にこのグローバル化が進む競技スポーツの動向を正しく教育、指導する為の十分な知識を持ち合わせていなかった事は不幸な出来事でした。

 

2.企業スポーツの栄枯盛衰

企業スポーツの特徴は、企業の経営業績に大きく左右されるという事とスポーツからの収益を求めない事です。

1964年の東京オリンピック開催と共にスタートしました企業スポーツは、1990年前半から吹き荒れたバブル経済の崩壊によりまして、1995年をピークによりいっそう廃部、休部が加速し、それまでの企業スポーツの半数以上が消滅して行ったのです。

特にそれまで脚光を浴びていました社会人野球(都市対抗野球)、バレーボール、バスケットボール、テニス、ラグビー、等から伝統的な企業名が消え去り、今日に至った状況をファンの皆様は、肌で感じて来られたのではないでしょうか。

驚く事に現在の大学生の大半は、日本のオリッピック代表選手、競技スポーツ選手達が長年会社、企業スポーツにより支えられ、今日も支えられている事の知識と理解を持たない状況です。特にその中のスポーツ専攻学生ですら、企業スポーツって何ですかと質問された時は、唖然とした次第です。大学の専門分野に於いて、この企業スポーツの存在と重要性を指導する指導者、教員が居ない事もこの大きな要因の一つであると思います。

このような現状は、指導者、教員が居ないのでなく、スポーツ・アドミニストレーションの専門分野が教育機関に存在しない我が国の現状と現実がスポーツ界の再編、構築を遅らせている最大の要因の一つであると確信します。

また、新しい世代の若者達への教育もさることながら、TV・マスメデイアによる報道に於いても、プロの競技スポーツと大学競技スポーツの違いと企業スポーツの存在の意義を解説できるくらいの知識を持ったアナウンサー、解説者が見当たらない様に思われますが、如何でしょうか。

 

3.学生選手の入社面談報告書と現実

陸上競技(英:Track & Field)は、日本が嘗て華やかな時代を迎えていた長距離、マラソンが他国の競技レベルの強化、向上とは対照的に低下し、冬の華であったエリート・マラソン大会そのものの存在が薄れ、近年は市民マラソンが主体の大会に移行している様子を皆さんも実感されている事と思います。このような状況下で唯一、脚光を浴びているのが冬の風物詩(英:Tradition)として正月恒例の行事となりました「大学箱根駅伝」、そして企業スポーツとしての全国実業団駅伝「ニューイヤー駅伝」です。本駅伝競技は、日本にのみ存在する日本オリジナルな競技方法で行われるロードレースの1つです。

1985年当時から、私は、NEC SPORTS(強化8競技)を会社側の強い要請で強化して参りました。その後、陸上競技部の強化を始めた頃、当時の長距離担当指導者、管理者からのスカウテイング、リクルーテイングの計画書、面談報告書、等の最終レポートに目を通し、担当者から説明を受けていました。これらは、毎年の事でしたが、そのリストの中の大半は、箱根駅伝で活躍しマスメデイアで取り上げられている選手達に関するものが大部分でした。

特に、特注マークの選手達の面談レポートには、注目すべき内容が書かれていました。このような学生選手の多くは、所属大学で特待生として高等学校から迎えられた学生選手達です。日本に於ける特待生とは、その競技スポーツに特に優れ、大学側が入学時に特別待遇の学生として迎え入れた学生選手への処遇を指します。

驚いたのは、大学選手に企業の大卒給与以上の現金が、大学側から毎月支給されている現実でした。大学側は、箱根駅伝で活躍させる為だと理解しているとの事(広告塔として)。

面談学生選手曰く「御社は、今自分が大学から毎月受けているお金より大卒の初任給は低いんですね」と堂々と担当者に話し、その内容が、面談報告書に記録されていた事でした。

また、「自分は、会社で競技が出来なくなった後、会社に残り勤めをするつもりはないので、退職金代わりに入社時に支度金として頂きたい。他の会社では、この条件を呑んでくれる社が複数(実名を挙げて)あるので、この支度金が大きい方にお世話になります」とも付け加えられていました。面談者は、複数の異なる大学学生選手からこのようなリクエストを突き付けられていた次第です。

これは、即ちプロの契約時の契約金に置き換え、条件としていると受け取れました。このような学生選手を抱える大学は、当時も今も大学箱根駅伝の有名大学か、そうなろうとしている大学であります。現場の監督には、申し訳なかったのですが即答で“NO”の回答をし、「そのような条件で引き受ける会社、企業にどうぞ行ってもらって結構です」と伝えました。その理由は、会社側がそのような選手を入社、入部させるコンセプトではなかったので、そのような予算を確保していなかったからです。その学生選手達は、実業団駅伝に大変力を入れている企業に行った報告を後に受けました。しかし、そのような学生選手達は、選手のみならず彼らの指導者達も自らをTVタレントと勘違いしている様子で、企業に入社後このような選手達は鳴かず飛ばず状態で選手生活を終えているのも事実です。筆者は、学生選手を指導する大学、経営者、指導者の資質に大きな問題があると感じています。

日本の大学競技スポーツの学生選手が、個々の大学でどのような教育、指導を日々受けているのだろうか、大学競技スポーツは、どのようなアドミニストレーションがなされていてこのような学生選手が育成、教育されているのか、とこの時期から、20年間観察しながら強い関心を箱根駅伝と日本の大学競技スポーツに抱いてきました。

そして、その後、ご縁を頂きまして日本の大学で2017年春まで、10年間教鞭を取らせて頂き、上記問題を含めた日本の大学競技スポーツの実態を観察、研究致し学内外の状況と問題の本質に辿り着いた次第です

 

4.透けて見えた大学駅伝の部活動と実態

大学生の長距離選手のスカウテイング、リクルーテイングにおける、複数の大学陸上部、長距離選手(主に箱根出場が主眼)達の企業テイームへの入社条件と実態が明らかになっていました。筆者は、常に好奇の眼差しでこれらの実態をマスメデイアが報道しない視点に注目を抱いていました。大学側が、このような学生選手達をどのようにして高校時代にリクルートしているのか、またどのようなオファー(条件)を大学側の誰が責任者として約束し、大学内での処理をしているのかに付きましても当然、大変興味を抱きました。

ルール無き日本の大学競技スポーツ界は、無法(Out of Law)状態であり、これでは大学競技スポーツが教育、教育の延長線上にあるなどとは決して言い難い、言えないのが現状、現実であります。教育機関に於けるこのような非教育的な教育者と称する指導者、管理者、経営者に対していったいこの国の誰が指導、教育、是正勧告を成されるべきなのでしょうか。

勿論、本件は、長距離選手のみに限った事でなく、他の競技スポーツ男女(高卒、大卒)のリクルート活動に於いても多くの重要な問題と現実に直面致しました。此れらをきっかけに、大学野球界、陸上界、バレーボール界、バスケットボール界、テニス界、ラグビー界、等を通して教育機関とその指導者、関係者と企業スポーツとの関係と実態に付きまして長期間に渡って現場の状況と現実を実体験させて頂いた次第です。驚きましたのは、大学、高校の指導者、管理者、経営者の中にはこれが日本の教育者を名乗る人達なのかとその現実とその実態に限りない絶望感をまざまざと見せつけられた思いがあります。

これからお話致します、大学箱根駅伝編では、このような高校、大学競技スポーツを経験した学生選手の受け皿として、企業スポーツがある反面、理不尽な教育、一部指導者達の教育者としてあるまじき実態、そして大学競技スポーツに関与する内外関係者の実態、及びその組織、団体を理解して頂く事により、悪しき問題の根深さを知る事が出来ると思います。このような教育機関の中では、今日体罰と称する暴力が絶えない根源が此処にも深く根付いている気がしてなりません。

特にこの人気のある大学競技スポーツの1つである、箱根駅伝は、その実態を覗く事で、より一層我が国のスポーツ社会の縮図を見ることになるかと思われます。TV中継では、大学箱根駅伝を美化する映像、コメントを担当アナウンサー及び解説者が蘊蓄物語と共に連呼されていますが、それを見聞きするにつけて何か歪められた美学を毎年虚しく聴かされているように思えてならないのは筆者だけなのでしょうか。多分これは、放送を担当している関係者が実態をご存知でないのか、そこまで取材、学習が出来ていないのか、或は知っていても視聴率及び新聞の拡販目的の為に美化、誇張しているのかも知れません。

読者の皆様には、大学競技スポーツと学生選手達の現実と実態を洞察して頂き、この機会に考察して頂ければ我が国の大学競技スポーツの根深い負の遺産と将来の歩むべき方向性が自ずとしてイメージできるのでないかと期待致す次第です。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:次回K’sファイルNO.77からは、本論の「大学箱根駅伝は誰の物」に付いての素朴な疑問から述べさせて頂きます。読者の皆さんと一緒に考えて参りましょう。

 

K'sファイルNO.75:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

K'sファイルNO.75:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

 

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注:この程は、企業スポーツに付きまして、第一弾から第三弾迄述べさせていただきました。読者の皆様には、日常スポーツ競技には興味と目が向けられても、企業スポーツにまで目を向けたり、興味を持ったりする機会が無かったのではないでしょうか。此れを機会に企業スポーツの存在が在って、今日まで競技選手が生活の糧と環境を与えられている事を認識して下されば幸いです。

第三弾 まとめ編:企業スポーツに変革・存続を期待

1.企業スポーツの特徴

①企業スポーツの最大の特徴は、自ら収益を求めない。

②企業の収益で運営・管理がなされている。

③近年は、会社・企業の競技スポーツの存在意義、目的が不透明。

④企業スポーツには、本来プロ選手の職種は、存在しない。

⑤企業スポーツの管理・管轄は、厚労省である。

読者の皆さんが企業スポーツに接するとき、伝統あるテイーム(生産を主体とした会社、企業)と新興テイーム(主にサービスを主体とした会社、企業)がある事に気付かれるのではないでしょうか。嘗て、バブル経済の時代には、金融機関が男女駅伝テイームを一同に創設し、バブル崩壊後全ての銀行テイームが廃部と化した事もありましたが、これらは代表的な新興テイームの極端な例でした。

伝統あるテイームとは、設立の古さによるケースと、歴史に戦歴が加味され評されるテイームに総称されます。新興テイームとは、設立が遅く、戦歴も浅いテイームで、一般的に選手、テイームを会社、企業の宣伝広告塔にするという趣旨、目的で創設されたケースが多いと思われます。

戦力強化においても伝統あるテイームは、長年構築された財産のあらゆる蓄積により選手供給のネットワークが網羅されており、そこには長年の人間関係と投資が重要な財産の一つになっています。

2.企業スポーツの変革を怠った時期と状況

このような状況をさらに加速させたのが、84年のロスオリンピック開催に伴う商業主義スポーツです。即ち、冠大会といわれるスポンサー付き競技大会が開催されるようになり、参加者、選手には参加報酬の権利が認められたのです。

この国際化の波を日本国内に入れまいと防御したのがJOC以下各競技団体であったのです。その為に選手には参加報酬を認めない(しかし、商品価値のある選手は、テレビ局、広告代理店、大会スポンサー、等から裏金として授受していたが、関係団体はその事実と実体を黙認)、個人の肖像権も認めず2005年まで選手個人の人権、利権を独占して来たのが現実でした。このような閉鎖的な国内の競技団体の対応及び体質が企業スポーツのギアのシフトチェンジを遅らせた要因の一つでもあると思います。このような閉鎖的な体質を持つ各競技団体に於いては、今日社会問題とされる暴力、ハラスメント、等の問題が改善、止められない要因が此処に根強く存在するのです。

日本の企業スポーツは、競技スポーツの組織・団体の運営・管理下のもとに、5060年代は戦後復興の土台として、7080年代は企業のイメージアップ、そして90年代から、今日に至るまで日本スポーツの底辺を脈々と支えてきたのです。しかし、90年代に入り経済的な破綻をきっかけに各企業のスポーツに対するコンセプトが今までの組織構造とシステムに合致しないことが一気に露呈してしまいました。

3.経営状態に左右される企業スポーツは存続か廃部か

会社、企業テイームも親会社、関係会社の経営状態によりテイームの維持が困難となり活動を停止せざるを得なくなったテイームや、社内の動向により縮小を余儀なくされたテイームと様々なケースが廃部の大きな要因となっています。

企業スポーツは、会社の経営状態により大きなしわ寄せを一番受ける活動部署であり、次に広告宣伝部署に予算の粛清が来るのです。そして、その最大の社内に於ける要因には、労働組合の存在です。会社の経営状態の悪化に伴い、経営者は、先ず会社、企業の人件費の粛清に手を付ける事から、労働組合側は、社員の首切りを始める前に社にとって営業利益を生まない競技スポーツ部門の存在の意義を問う形で経営者に対し攻撃を加えるのです。

会社の業績状況をもろに受けるということが、企業スポーツの弱点であると申し上げても過言でありません。もちろん、労働組合は、日々企業スポーツを支援、応援して下さっている社内の大きな組織の一つでもあります。しかし、事がここに及んでは、背に腹はかえられないのも事実です。

今日では、日本を代表する電機メーカー最大手の一つの東芝が経営の問題からつい先日、伝統ある野球テイーム、ラグビーテイームの撤退を余儀なくされるとの報道がなされました。これも会社の営業業績、経営の煽りをもろに受ける日本企業スポーツの実態と特徴なのです。本件に付きまして後日東芝は、「野球、ラグビーの撤退は、現在考えていない。2019年度以降は、会社の今後の経営状況によりどうなるか未定」とのコメントを出された次第です。(2018112日現在)

4.企業スポーツとそのあるべき姿

会社、企業は、失われた企業スポーツの理念とコンセプトを明確にする事が大切であると思われます。その意味において企業は、独自のマニフェストを告知し自らの位置付けを明確にする事が重要であるのではないかと思います。

元来企業スポーツは、セミプロと言われて来ていますが、今日外国人選手は完全なプロ契約であり、日本人選手の殆どはプロと称して間違いないと筆者は理解しています。

尚、此処で補足させて頂きます。嘗て外国に於きましては、ステートアマチュア(ステートアマ)と呼ばれる選手達が居ました事をご記憶されていますでしょうか。この選手達は、主に社会主義国に於いて、国家が援助・養成しているアマチュア・スポーツ選手の総称でありました。当時、国際オリンピック委員会IOC)は、これらの選手達をアマチュアとして承認していた事も此所に紹介させて頂きます。

企業スポーツは、伝統的に企業の収益に一喜一憂しなければならない現状から企業スポーツ関係者自らも改革の必要性がますます問われていると思います。

1990年代初期のバブル経済崩壊によって起きました企業スポーツの休部、廃部による衰退、さらに2008年半ばに発生した米国サブプライムローンに端を発した世界経済の危機に伴う日本企業存続の危機は、企業スポーツに対して更なる大きなダメージを与えることとなりました。このように繰り返される企業スポーツの虚弱な体質を今後存続させるためには、体質を改善、改革し現実にあった将来性のあるコンセプトに沿った構造改革をする事が急務であることを申し上げます。

5.企業スポーツの変革に準備は必要不可欠

企業スポーツは、今後地域社会への還元を含めた活動と、それに伴う収益を得るためのスポーツビジネスに事業転換する必要性が急務であります。

所属企業をメインスポンサーとして位置付け、企業の営業利益の増減に関係なく独立した組織として運営・管理する能力を兼ね備える方向への構造改革が先ず望まれます。

複数の企業をスポンサーとして地域社会に根ざした経営、運営、管理を目指し、独立した方向が望ましいと思います。その為にも、企業スポーツに関わる全会社、企業は、競技スポーツを一大統合して共存共栄をコンセプトとした企業スポーツの新組織・団体を構築する事を勧めます。

此処で必要なのは、国がスポーツ立国を宣言する以上これら企業スポーツでの選手、指導者の受け皿をもっと強固且つ長期ビジョンに立った目線で現実的な政策、施策に着手する事がより重要であります。

現在の企業スポーツは、今後生きて行く為の手段として現在の無収益コンセプトから収益コンセプトにギアのシフトをチェンジしなければなりません。収益コンセプトを確立する為の最大の要因は、企業スポーツ及び選手の商品価値を向上する事です。と同時に「観るスポーツ」に対する重要性と必要性を次世代の為にも、家庭及び教育機関に於いて専門的な位置付けをし、育成、指導する事がこれから非常に大切なプログラムであると思います。

しかし、残念ながら企業には、事業転換に必要な人材、即ち専門のスポーツ・アドミニストレイターが居ない為、スポーツビジネス、マネージメント、マーケテイング、等の事業に必要な各専門部門、部署の人材の養成、育成が出来ないのが最大の問題と思います。

今日まで、企業スポーツにかかわる選手、スタッフ、関係者達は、言わば親方日の丸的な金は会社が出してくれる、金を使うのが我々の仕事である的な発想で生活を何十年も継承して来たわけですから、そういう人達をこれからどうトレーニングし、事業転換を図るかが最大の壁であろうかと思われます。

6.競技スポーツの運営・管理に二つのルール

我が国の伝統的な競技スポーツ関係者達は、競技スポーツのルールたるが何かを理解されているのでしょうか。

本来競技スポーツに於けるルールは、大きく区別すると二種類あります。

その一つが競技を成立させるためのルールでありそして、もう一つが競技以外の運営・管理上の約束事の規約、規則(略:ルール)です。そしてこのルールには、罰則が含まれ、明文化されているのがグローバル世界での常識です。我が国の競技スポーツ界には、残念ながらこの後者の構造とシステムがリスペクトされず軽視され、明文化されずグレーゾーン化されているのです。

競技スポーツは、厳しいルールがあって初めて競技がフェアーに運営・管理されます。よって、ルールがない競技スポーツは、競技として認められないし競技そのものが成立しないのはご承知の通りです。

ここで忘れてならないのは、競技スポーツは競技中にのみあるのでなく競技を行う以前に既にルールが存在することです。競技者、指導者、管理者のみならず、関係者、観客にもルールがあり適用されることにより競技及びその経営、運営、管理が成り立つ事を忘れてならないのです。

組織をあずかる運営、管理者(各競技種目のスポーツ・アドミニストレーター達)の環境の中で常にテイームを強化する立場の運営、管理者は、先ず戦力の強化を図らなければ勝利には近づけないのです。その為にも、各競技スポーツを預かる全ての関係者は、規約、規則、及び罰則をまとめたルールブックを作成し、そのルールに沿った経営、運営、管理を共通の認識として遵守する事が、スポーツ・アドミニストレーションの根幹なのです。ルールブックは、競技スポーツに於けるトータルバイブルなのです。

7.時代の流れに伴い選手の評価と価値が移行

このような状況下で東京オリンピック後(1964年)、ロスオリンピック(1984年)までとその後今日までとでは、競技者、指導者、管理者達の動向、評価、価値が選手獲得の面においても大きな変革を余儀なくされて来たのです。

何故なら資本主義の論理から最終的に選手は、大きな商品価値があったという事です。

その中でも74年に国際オリンピック委員会(略:IOC)の「オリンピック憲章」からアマチュアの定義が削除されて以降は、その傾向が大変強くなり、80年代、90年代と姿を変えてこの問題(プロ選手出場許可、大会、選手は、スポーツビジネスとしての商品価値を認められた)が肥大化した為に、企業スポーツの運営・管理、等に大きな影と負担になり、いまやこの負担を背負いきれないテイーム、企業は勝利から見放され、やがて廃部、休部、等に追い込まれる環境と現状を生んでいるのも企業スポーツ衰退の要因の一つであります。

8.日本選手の価値基準は野球選手か

70年代のこの分野で大変価値のある選手は、野球選手でした。そのほかのスポーツ選手は、まだ就職活動が大変優位になるという程度でした。また、その選手の周辺の関係者にとっては何か儀礼的な品が動く程度であったことを記憶しております。

しかし、この時代の野球界は、甲子園組の選手の獲得をプロ球団、大学と実業団(企業テイーム)が争い、その実情は21世紀になった今日も同じです。特に甲子園組、大学での有名選手の殆どがその所属高校、大学の監督、或いはその経営者、指導者、卒業生、支援者、時には両親が窓口になり実業団への就職に関与。プロへの就職と称しては、後見人、お世話人(現代の代理人的存在)が選手との間に常に立ちはだかるのは、この業界にいた人間なら大なり小なり経験された事と思われます。その第三者は、選手を商品と見做し、選手と家族のためならず、自らの利益と利権のためにモラルを逸脱した目に余る言動、行動を取る事も少なくありません。近年この悪しき慣習は、他の競技スポーツ、選手達にも悪影響が蔓延している次第です。

今日においても、同様であり、いや当時より一層陰湿且つ巧妙な手口で取引されている事も事実であります。

このような野球界の市場を他競技団体の指導者、管理者の多くは目に耳にしているのも事実です。また競技スポーツの関係者達は、この悪しき野球界の慣習・習慣をまね、企業スポーツの選手獲得競争の激化に伴い個人的な権益の拡大に動く現実も見逃してならないと思います。

この状況下での競技団体のルールは、一体どのように作用作動しているのか。また、これに伴う違反者に対する罰則規定は、何故明文化されないのか、これらも我が国の社会の構造的な問題であると思うのは筆者だけでしょうか。これが日本の競技スポーツの改革改善が今日なお進まない大きな障壁であることを忘れてはならないと思いす。

9.大学競技スポーツへの変革と充実が急務

発想を転換するならば、これからのスポーツビジネス、マネージメントを得意とする、情熱を持ち学んでいる若い世代こそ今が企業スポーツの転換を図る大きな戦力となりうる可能性を秘めているのも事実です。

大学での専門教育を受けている専攻学生達は、これからは実践に則した授業、演習体系をプログラミングでき、実践指導が出来る教員、指導者がいる大学を選びそこで学ぶ事を勧めます。

その為には、先ず日本の大学にその分野、部門に於ける社会での実践キャリアのある人材を教員、指導者として採用する必要があります。その分野に於いて社会での実践キャリアの無い指導者では、興味と情熱のある若者達に実践演習活動を体験させることが非常に難しいかと思われます。大学運営、管理者は、スポーツ及び競技スポーツに於ける各種スポーツ・アドミニストレーションを先ず学科としてスタートして、根付かせる為にも実践キャリアのあるエキスパート達を雇用する事も今後一考の価値ありと思います。

現在の大学に於いて本分野を指導、教育されている方々を批判している意味ではありませんので悪しからず。これは、筆者が日本の大学に於きまして、約10年間スポーツ・アドミニストレーションの講義授業、及び実践ゼミ演習を経験させて頂き、学生達から得た貴重な実践経験に対する評価・価値を読者の皆様にセアーさせて頂いている次第です。

机上の情報、知識のみでは、若者達の個々の能力を導きだすのは難しい時代になって来ているのではないでしょうか。この新しい実践能力のある人材は、企業スポーツの転換を図る大きな戦力と成りうる人材とチャンスであることも付け加えさせて頂きます。

このような現実が長年日本の大学競技スポーツをも陰で支えてきた企業スポーツであったので、昨今の大学競技スポーツにも大きく影を落としてしまったと思われます。そのことに早く気づき大学競技スポーツの根本的な組織構造とシステムの改善、改革が求められているのです。

筆者からの提案

企業スポーツがこれ以上改善、改革されないのであるならば此処に新たなスポーツ・アドミニストレーションを提案いたします

その骨子は、大学競技スポーツの改革を先ず変革(Change)できるかどうかが重要なポイントになります。

JOCNGBは、今日まで多大な負担を企業スポーツに強いて来たことを改める事です。オリンピック大会、世界選手権の代表選手は、基本的に日本オリンピック委員会JOC)及び各競技団体(NGB)は、各競技種目別に代表選手、指導者と4年契約を結び、選手達、指導者達をスポンサードする方式です。

そして、代表選手達は、毎年各競技種目別にナショナルテイームへの入れ替え選考(トライアウト)を実施する事でフェアネスを維持することです。

JOCの財務は、今日の公的資金の導入は各競技団体を通して強化目的で主に選手個々にランク付けして支給されています。この強化費に加えて生活の糧(一定額)を保証する事と民間資金を導入し、テイーム、個人競技スポーツへの環境を整えることです。この契約の趣旨、目的は、あくまでナショナルテイームを運営、管理することであり、通常の個々の選手達には、ナショナルテイームとの契約に障害とならない範囲で企業スポーツ、内外のプロ競技団体、個人の肖像権の利用を自由にするものです。

此処で重要なのは、JOCは今日のような組織・団体ではなく、文科省スポーツ庁、スポーツ振興財団から委託された公益法人として、一元化された権限を有し、強いリーダーシップを持つ事です。その為にも現体制の人事選考方式でなく、プロの人材と集団に変革(Change)する事が急務である事を合わせて提案させて頂きます。本提案に関しては、機会がありましたら具体的な提言、プラニングの用意も可能です。読者の皆様も上記筆者の提案に一考して下されば幸甚です。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 お知らせ:次回からは、日本伝統の冬の風物詩としてのロードレースの1つであります駅伝のシーズンと成りました。そこで、読者の皆さんから沢山の要望を頂いております。昨年本K'sファイルに於きまして、連載で大学競技スポーツの一つ大学箱根駅伝を掲載させて頂きました。大変好評を頂いていました。多くのK'sファイルの新しいファン、読者の皆さんから、この大学箱根駅伝をテーマにしたK'sファイルを再度掲載して欲しいとの問い合わせを頂いております。そこで、昨年掲載の各テーマを修正と加筆をして連載する予定に致しております。今年も大学スポーツ界には、沢山の不祥事、事件、事故等が世間を沸かせましたが、本箱根駅伝の問題も依然改善されている様子が見受けられません。読者の皆様には、本行間並びにその奥に潜む大学教育機関として在ってはならない大学競技スポーツ活動の現実を理解して頂き、健全な大学本来のキャンパスを大学関係者は元より、国民、社会の皆さんの手で取り戻して頂くことを切に願う次第です。

K'sファイルNO.74:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

K'sファイルNO.74:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

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第二弾 企業経営の破綻は企業スポーツの崩壊へ

企業スポーツは独自のスポーツビジネスの構築を

1.企業スポーツの課題と問題点

現在の企業スポーツの大きな問題としては、伝統的な企業スポーツにおいてコンセプトのギアをチェンジするタイミングを逸したことが挙げられます。

しかし、よくよく考えてみると、タイミングを逸したのではなく会社、企業は、1984年以降に企業スポーツについての会社の理念とコンセプトを明確に打ち出せていないことが混迷を招き、衰退へと導いている最大の要因であると考えられるのではないでしょうか。

好景気に沸いた1980年から1990年初期、会社・企業は、企業スポーツの将来展望や存在意義、価値評価及びリスペクト精神が希薄でありました。国は企業スポーツに無策、無関心であり、また競技団体は、権益確保に心血を注ぎ、企業スポーツをサポーツする会社、企業への礼節を欠き、選手を好き勝手に必要な時だけ代表選手として招聘して自主興行を行い、所属企業への強化の為の支援を怠っている事もその大きな要因に挙げられます。

もう一つは、いつの時代においても企業スポーツの経営者達は、企業内での競技スポーツの存続と運営・管理の必要性と価値を本当に理解し情熱を持ち合わせているのかどうかが疑わしいことです。それは、企業スポーツの存続はその企業の業績に直結しており、企業経営者は、現在もなお競技スポーツテイームの存続か否かを業績に委ねているからです。

企業は、競技スポーツをどのような位置付けにしているのでしょうか。会社にとって現在競技スポーツは、役目を終えたのか。何をコンセプトに維持運営されているのか。1995年を境に企業スポーツが大量に消滅し現在も依然としてその先が見えない状況となっているのが現実です。しかし、この危機的状況の企業スポーツに対して、誰もが真剣に考えようとしない今日の現状では、日本の競技スポーツ及び選手達の将来に光が見えてこないのです。

1993年に嘗て企業スポーツであった、サッカーがJリーグを設立しプロ化を図り、バスケットボールが2017年にBリーグとしてプロリーグに生まれ変わりました。長年プロ化を目指して来たバレーボールは、プロ化断念。しかし、企業スポーツの全ての競技がプロ化を目指すことは不可能であります。また現在、プロ化なった競技スポーツも現在のような不透明な財務状況、マーケテイングでは、近い将来破綻を来す危機的状況を迎えることが予想されます。

日本オリンピック委員会JOC)、各中央競技団体(NGB)及び国(文科省スポーツ庁厚生労働省)は、企業スポーツに対して何を指導、支援してきたのでしょうか。彼らは、今尚メダルの数だけを数え、公金は各競技団体経由で選手の強化費として支給していますが、企業スポーツのテイーム、選手育成には皆無です。

また、高校、大学の競技部は、企業テイームと同じ環境でトレーニング合宿をさせて欲しいと、企業に諸経費までおねだりし、その悪しき伝統が今なお何十年も続いています。それを高校、高体連、大学、学連、各競技団体は見て見ぬふりをしているわけです。このような高校、大学の競技部及び指導者達は、一企業だけではなく毎回複数渡り歩くのです。企業側は、これらのおねだり行為に対してNOと言えません。

理由は、その高校、大学から優秀な選手が出た場合に、リクルート時には相手に頭を下げる事が判っているからです。だから、これらの悪しきおねだり行為を断ち切れない最大の原因となっているのです。また、その高校、大学から有望な選手が出ても、その企業に来る保証はどこにもありません。

節度を弁えない高校、大学の指導者達は、毎年夏、冬、春とおねだりを繰り返します。これに伴う企業負担は、交通費、食事、滞在費、等と指導者、テイームへの付け届け、等と大変なものになり、年を追うごとにおねだりもエスカレートの一途を辿り、このような行為も「企業スポーツの影」と化している事をご紹介致します。教育機関の指導者達は、教育者と指導者、監督業を使い分けているつもりのようですが、おねだりや、監督の私的請求書を企業に廻すのは教育者として良くありません。

この貧困な日本のスポーツ・アドミニストレーションは、このような競技スポーツ現場の実情に対する考えを改めようとしないので、高校、大学の指導者による陰湿な指導及び教育は改善どころか蔓延している次第です。

また、会社・企業スポーツの指導、管理管轄が厚労省であることもスポーツ・アドミニストレーションの視点からは、違和感を感じます。

厚労省が会社・企業スポーツに今までどのように貢献、支援してきたのかを今一度精査、検証し国の指導体制、制度の抜本的な見直しが必要に迫られているのではないでしょうか。

2.企業スポーツの最大の矛盾とその弱点

第一弾で既に企業スポーツの歩みとその趣旨、目的を述べて参りました。しかし、時代が進むにつれてその運営、管理体制も国内外の競技スポーツに於ける動向の強い影響を受けるのもごく自然の成り行きです。

企業スポーツは、競技スポーツである事からそこにはおのずと競争の原理が働きます。競技スポーツは、誰が、何処のテイームがその競技種目の中で最強か、1位なのかを競う事を本質としているので、戦力を補強する為のリクルート活動は熾烈を極めるわけです。

本来、企業スポーツの選手達は、会社、企業の従業員、社員として採用されていました。特に競技スポーツのみを行ってきた高校、大学の学生選手達にとっては、スポーツ選手のステイタスで大手企業に本採用される事など夢のようなチャンスであったのです。このような夢の就活舞台は、1984年のロスアンゼルス五輪頃まで全選手達に提供され、現在も基本的にはこの方式を維持している会社、企業が大部分であると思われます。

しかし、1980年以降から国際オリンピック委員会IOC)の「アマチュア憲章の削除」宣言に伴い、選手のプロ化、競技大会のビジネス化が推進されるに至り、日本の企業スポーツの選手採用、雇用に於いても其れまでとは異なるリクエストが、選手、父母、高校、大学の指導者達からも出され始めました。

会社、企業は、丁度この時期を境に大きな試練に見舞われたのです。その大きな問題は、企業内の競技スポーツに対する処遇の見直しとそれに伴う莫大な予算の確保で在りました。

企業スポーツは、自らの活動で収益を求めていない事です。そして、全ての経費は、会社の営業利益によって賄われているので企業の経営状態に大きく依存している弱点が此処にあるのです。そして、企業スポーツ及び選手達は、アマでもなくプロでもない存在で言わばゴースト的な存在なのです。

3.企業スポーツは中途半端な集団

選手の雇用体系は、基本的には本来の社員としての本採用(会社規定に則った)と契約雇用を望む選手とに二分されます。大多数は、大手企業への本採用を希望し社員として入社します。しかし、中には時代が進むにつれて他社との採用条件を天秤にかけた学生選手達も現れるようになり、プロ契約を望む選手達が現れ出した時期でもありました。

勿論、外国人選手達は、全てプロ契約であり代理人を窓口にそのネゴシエーションが行われるのです。しかし、このような企業スポーツに於ける戦力補強では、社内に於いて会社、企業の伝統的な企業スポーツの理念とコンセプトに大きなギャップが生じるのも当然の成り行きでした。

此処で大きな問題や矛盾となるのは、企業スポーツはプロなのかアマなのかという論点でした。伝統的な企業理念は、勿論アマでありプロとしては認めない。しかし、現実的には、競技スポーツテイームを持ち、競技に参加している限り競争の原理から勝利が最終目的、目標と掲げている限り、綺麗ごとでは済まされないわけです。此処に今日も尚、会社、企業は、建前と本音を使い分けている、即ち矛盾の楼閣の上に企業スポーツがある為、非常に不安定な状態であると申し上げる根拠があるわけです。

筆者の企業スポーツの経験から昔も今も企業スポーツの選手達は、「プロフェッショナル」です。その根拠は、会社、企業に本採用された社員であれ、プロ契約した選手であれ、彼ら彼女らは「各種競技種目別の身体能力と精神力、技術をパフォーマンスとして競技に於いて提供し、それにより生活の糧を得ている」事がプロとしての定義(Definition)を満たしているのであり証(Evidence)です。

しかしながら、本採用している選手達は、振り分けられた各社内の部署にデスクを持ち、オフシーズン中は週に何日か午前中数時間、デスクに座る事が義務付けられています。何故ならば、選手達の社内でのステイタスは一社員で在り、会社、企業の就業規則に従わなければならないのです。即ち、会社、企業には、プロ競技スポーツ選手の職種、職業は存在しないのです。よって、社員として入社した選手は、個々に配属された部門、部署にデスクを構え労務規定に従った勤務実績を残す事が義務付けられているのです。此の事から企業スポーツの国の管轄は、厚労省であるという次第です。よって、正しくは、企業スポーツにプロアスリートは存在しない職種と存在なのです。読者の皆様は、ご理解して頂けますでしょうか。

この様な企業スポーツに携わる選手、指導者、関係者の実態は、まぎれもないプロと申し上げます。採用時のステイタスが社員である事は、競技スポーツを終了した後、社の一般社員としての雇用を担保するための条件なのです。此の担保は、個々の選手の判断で何時でも放棄出来るのです。

企業スポーツとは、日本独特な会社、企業内でのグレーな競技スポーツ文化と申し上げる次第です。これはまさに日本文化の縮図のようなグレー社会の一例でないかと筆者は思えてならないのです。此の事から、会社、企業の経営者は、企業スポーツを認め運営、管理を維持する限り「企業スポーツはアマである」との姿勢を一貫しなければならない根拠が此処にあるのだと思われます。

4.企業スポーツに光を

現実的な問題として、我が国の会社・企業スポーツの崩壊は、将来の日本のオリンピック選手、代表選手達の生活の糧が奪われることなのです。即ち、競技選手達の将来の職場即ち生活の場が無くなる事であることをどれほどの関係者達が真剣に理解しているのでしょうか。

昨今では、大学競技スポーツの在り方で日本版NCAAの設立の必要性は、大学スポーツで金儲けを趣旨、目的とした利権構築が声高に騒がれてきていました。しかし、つい先日は、この日本版NCAAの看板を外し、中身も方向転換するような告知がマスメデイアを通してなされているようです。

筆者は、本K'sファイルを通して日本の大学競技スポーツがNCAA(全米大学競技スポーツ協会)の真似をするには100年早いと申し上げて来た次第です。何故なら、小生は、長年米国大学に於いてこのNCAAの代表者の1人として実務の経験をして参りましたので、日本の大学競技スポーツ、指導者、管理者、大学教育機関及び日本の伝統的な環境、問題を十二分に理解し、承知しているからです。

この衰退していく企業スポーツの現実に何故、手を差し伸べようとしないのでしょうか。企業スポーツは、これからの学生選手が競技スポーツを卒業後も、継続維持する為には生活の糧として必要不可欠なのです。会社、企業が企業スポーツを持つメリットを段々と無くしている現在、これらの学生選手達、トップアスリート達は、これからどうやって生き残ればよいのか、日本の未来の若い選手達を非常に憂えてなりません。

今こそ国家のスポーツ基本政策、方針を真剣に討議、検討して、次世代の我が国の競技スポーツの在り方、育成、運営の指針と財政の確保を致さなければ手遅れとなると思われます。しかし、オリンピック招致に心血を注がれた方々には、このスポーツのCOREである選手達の将来の生活など誰も心に留める方々は居ないようです。

この伝統ある企業スポーツ衰退に歯止めがかからない現状を早急に精査、検証し国として主体制をもったリーダーシップを発揮、構築しない限り会社・企業スポーツの未来に希望の光を導き出す事は難しいと思われますが、読者の皆様はどのように理解されましたでしょうか。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 お知らせ:

 多くの読者の皆様にとりましては、企業スポーツの実態や抱えている問題点を、認識頂けたのではないでしょうか。次回NO.75は、まとめを予定致しております。時事の話題で急遽変更する場合もありますので、ご了承下さい。

 

K’sファイルNO.73:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

KsファイルNO.73:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

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 第一弾忘れられた企業スポーツとその価値

 

企業スポーツ無くして東京五輪は成立しない

先ず初めに

2020東京五輪が、もうすぐやってきます。大会が近づくにつれ、今なお多くの問題が山積している様子が伺えます。この回のテーマは、企業スポーツに付いて取り上げてみました。その理由は、競技大会(スポーツイベント)のCOREは、選手であります。その選手達のトレーニング、生活を支えているのはいったい誰なのでしょうか。マスメデイアはほとんど語ろうとしません。このことにより、国民、社会、突き詰めれば競技スポーツのファンでさえ、全くと言ってよい程、理解がされていないように思われます。

各競技スポーツ団体は、主に大会に代表選手を招集して主催、運営をしているだけであります。しかし、選手達、指導者達の大多数は、会社、企業に所属して競技スポーツをしながら生活の糧を得ている。即ち、一般的には、会社、企業が、選手達や、指導者達をサポートしていることの理解と認識が、世間的には余りにも低いのでないかと感じるからです。

また、会社、企業及びそこに所属する選手達は、登録先の実業団連盟、実業団連合と言う組織・団体によって運営、管理されています。中央競技団体のみが常に前面に出ていますが、実は企業スポーツを長きに渡り組織して来ているのは、実業団連盟、連合である事も是非ご紹介して於かなければ彼らの日々の努力が浮かばれないでしょう。そこで、この度は、企業スポーツとその価値をテーマにお伝えできたらと思います。選手及び関係者は、所属会社、企業に対する感謝を胸に競技して欲しいと願わずにはいられません。

筆者と企業スポーツの関係

筆者は、1985年から2005年迄20年間、NEC日本電気(株)に於きましてNEC SPORTSを設立、スポーツ・アドミニストレイターとしての職責を賜り、遂行させて頂きました。NECでの20年間は、小生の人生の中でも日本の企業スポーツを直接的に運営・管理する上で、この上ない経験と体験をさせて頂いた時期でした。この期間に得られた実践体験は、日本の企業スポーツ界の実態に加え、大学、高校の競技スポーツ、スポーツ競技団体との関係者、等と会社・企業との関係、関わりを学べ、大きな財産となりました。米国には、企業スポーツが存在しませんので非常に興味深い20年間でもあった次第です。

NEC SPORTSを支援、応援して下さった社内の多くの社友は、素晴らしい方々でした。このような会社・企業で在りましたので、微力ではございましたが会社側が望む成果と結果を出させて頂けたのだと誇りに思っています。

この場をお借りして協力、支援して下さいました方々に心よりお礼申し上げたいと思います。また、NEC SPORTSに「NECロケッツ」と命名させて頂きましたことを此処にご紹介させて頂きます。(当時の強化スポーツテイーム:ブルーロケッツ男子バレーボール、レッドロケッツ女子バレーボール、女子バスケットボール、男女陸上競技、男女テニス、グリーンロケッツラグビー

 

1.日本の企業スポーツとそのバックグラウンド

 我が国の企業スポーツは、世界に類を見ない独自の競技スポーツの形態と文化を擁しています。他国に於いては、日本の競技スポーツを手本にして韓国、台湾でも始りましたが、今は殆どがプロ化の形態に移行しているようです。

現在の企業スポーツの前身は、戦後国の復興を目指した第一次産業(生産)の目的を達成する為に国民の体力の向上のみならず精神的な鍛錬の場としても設けられ戦前、戦後の重い過去の歴史を継承し現在に至っています。会社・企業に於きましては、社内の生産力の向上を目指していた為に産業体操なるものが中心となって始められた歴史があります。産業体操は、今日のスポーツを分類しますと専門的には健康、リクレーションスポーツの要素を多く取り入れた指導が導入されていたようです。

その後第二次産業(大量生産)が奨励され1960年代からは、機械化の導入に伴い大量生産時代へと導かれ高度成長へと突き進んでいったのです。スポーツ界においては、戦後復興の象徴として1960年に東京オリンピック大会招致成功、1964年の開催国として国家を挙げて世界に国威を示す機会を得ることになりました。ここに初めて国家の方策として競技スポーツの育成と指導、強化が前面に打ち出されたのでした。その現場の選手育成、指導の場として当時は、各生産企業(紡績、製鉄、製紙、等)にその育成を要請、委託されたのです。

現在の企業スポーツは、ここに本格的企業における競技スポーツとして産声を挙げたのです。これら各生産企業は、競い合って各企業独自の競技種目を選択、設立し競技スポーツとして指導、育成され、やがて運営、管理されるようになりました。各会社・企業、選手、指導者達は、当時設立された代表組織・団体として日本実業団連盟、連合に登録し連盟、連合が組織運営する競技大会に出場することになるのです。

その会社・企業スポーツの主な競技種目としては、バレーボール、陸上競技(マラソンを含む)、柔道、バスケットボール、ハンドボール体操競技教育機関)、水泳、サッカー、レスリング(教育機関)、等々と華々しい成果と結果を残して1964年オリンピック東京大会の成功と共に終了したのでした。

その後時代が進むにつれ、会社・企業の形態は、生産から第三次産業としてサービス業が加わり、企業スポーツに於きましても新しい時代のコンセプトの基に新しい会社・企業が参入して参りました。

2.1964年オリンピック東京大会後の企業スポーツ実体

その後オリンピック東京大会を引き継いだ形で日本オリンピック委員会(略:JOC,各中央競技団体(略:NGB)をアマチュアの統括競技団体として、その下部組織として全日本実業団連盟、連合、大学、高校、中学の各組織団体が設立され今日に至っています。

この企業スポーツは、日本のアマチュアスポーツの根底を支え、その後のオリンピック、プロスポーツ競技に多大な貢献をして参りました。また、今日まで、各会社・企業の協力と支援の下に全日本実業団連盟、各地域・地区の実業団連合は、日本のオリンピック・スポーツに多大な貢献と支援をしてきた組織・団体であります。

しかし、国民、社会、スポーツファン、関係者の間でもこの実業団組織の存在と貢献を正しく理解している人は少ないと思われます。現在も本組織・団体は現存し活動をされていますが、企業スポーツの衰退と同時にその存在も希薄になってきているのも事実です。

競技スポーツを抱える会社・企業は、各競技スポーツに選手のみならず会社テイームとし全日本実業団連盟(会社・企業のスポーツテイーム及び選手個人として加盟登録が義務付けられている組織団体の名称)と中央競技団体に加盟登録しなければならないのです。国内スポーツ競技大会は、各中央競技団体が組織運営している大会と実業団が組織運営している競技大会及び、共催で運営・管理している大会とが存在します。今日においては、各競技大会及びその内容がマスコミメデイアによって大きく取り上げられる競技大会(例:実業団ニューイヤー駅伝、男女バレーボール大会、柔道、都市対抗野球、等々)と全く結果すら取り上げられない競技大会があるのも現実です。

この企業スポーツの発展は、日本の戦後企業の発展と国の復興に大きくかかわり、今日を迎えています。戦後企業の再建と構築が叫ばれ、国策として企業の発展が第一に位置づけられていたと言っても過言ではありません。これに伴い国民の体力、健康、教育においては、呼び名も教練から訓練へ、そして体育へ、トレーニング、コンデイショニングへと移行して行った事もこの企業スポーツの歩みと深い関係があります。

教育の場においては、戦前、戦中の教練から体育へと移行されたのですが、戦後長くある意味と形で今尚この教練時代の暗い影を21世紀に継承しているのがこの日本のスポーツ界の現実であることも見逃せません。よって、今日、日本社会に於いては、体育とスポーツと競技スポーツを混同してしまった原点が此処に起因している様子が伺えます。この事については、また別の機会でご紹介させて頂きます。

3.企業スポーツのコンセプトとは

今日の企業スポーツのコンセプトは、各会社・企業の歴史と伝統によって大きく二つに分類されると思われます。その1つは伝統的な企業の運営・管理の継承であり、もう1つは、新しく設立された会社・企業コンセプトに基づいた運営・管理であります。

日本の会社・企業の多くは、伝統的な企業コンセプトと体質を基本的に戦後から今日まで維持し継承してきています。企業スポーツを抱える会社は、生産を目的にしてきた企業であることです。この事実から企業及びその関連会社においても、主に会社内部の中枢に位置していたのは、勤労部、人事部、総務部、厚生部と称された労働者を直接的に運営・指導・管理していた部門、部署が大変力を持っていたのも事実であります(現在では、殆どが支援部と名称変更)。よって多くの企業スポーツを統括管理してきたのは、各会社内でこの管理中枢部門が多大な貢献をなしてきたと申しても過言でありません。

前者は、主に日本の伝統的な生産会社・企業であり、「スポーツを主に社員の士気高揚、会社の連帯感、忠誠心、シンボル、等」をそのコンセプトの中心にした巨大な企業です。

後者は、大変柔軟な対応要素を持った会社・企業で、スポーツを会社・企業の広報宣伝、及び商品の宣伝、イメージアップとしています。

元来、各企業とその関連会社は、会社に対しての生産の向上と勤労者の共通の話題を提供することによるモラルの向上、国内における知名度の向上、また、企業の地域社会への貢献と還元、等を主たる目的として大切に維持されてきました。

 4.企業スポーツと世界の競技スポーツ界の動向

世界のスポーツ界は、1984年のオリンピック・ロスアンゼルス大会を機に大きく変貌したのです。即ち、それまでのアマチュアリズムは、選手、指導者、競技、大会、及び運営に至るまで一切のコマーシャルスポンサーからの金品の授受があってはならなかったのです。

しかし、80年以降は、伝統的な「オリンピック憲章」が改正されて、プロ選手の出場が認められると共に、選手も大会もスポーツをビジネスとして自由に活用、運営できるという画期的な大会がロスオリンピック大会でした。その世界的な流れの中で日本企業(製品と企業名の広告宣伝を目的とした)は、世界の企業に先駆けていち早くこのロスオリンピック大会に日本の広告代理店の仲介により参加したことは本K'sファイル(NO.41~45)でお伝えした通りです。

この大会を境に日本における国内アマチュアスポーツは、その後それまでの習慣・慣習を脱しきれず選手、組織・団体、企業、マスメデイアもストレスフルな時代が暫く続きました。しかし、内外の現実と状況はいかんともしがたくあらゆる方面から日本も世界の流れへと動かざるをえなくなった次第です。

先ずオリンピック・競技スポーツを国内で統括する日本オリンピック委員会JOC)は、自らの権益を確保する為に法人化し、選手の個人の権利を奪ったのです。即ち選手は、自らの肖像権をJOCに奪われたのです。その後、選手登録、管理をしている各競技団体もJOC同様に各団体、所属選手、及び指導者の権利を独占することでそれまでと同様な利権構造を強固にして権力の集中を図ったのです。

此処で大きな矛盾が生じたのは、その選手の大部分が企業スポーツ即ち選手個々が会社・企業に所属しており、選手は所属企業にも権利があることを所属団体及びJOCは全く無視してしまったのです。

また、企業スポーツ選手は、全ての企業スポーツの統括団体である実業団連盟に属していますが、実業団連盟は、各競技団体との力関係からか何もアピールできず、容認してしまったのが現実でした。それにより選手及び選手を抱える企業は、JOC及び各中央競技団体の権利主張に対して誰もプロテクトやアピールをしなかったのです。

これは、まさに日本社会の悪しき伝統と風土と申し上げます所の、お上に盾を突かないという建前からか、個人の自由な権利と会社・企業の権利を放棄して、お上に対しては誰も反論すらしないという企業側の姿勢に当時筆者は驚いた記憶が鮮明に残っています。

この起源は、恐らく1960年ごろに国の政策、施策により競技スポーツを強化するため、会社、企業に指導、育成の通達があって以来連綿続く不自由な伝統が主従関係を生み出している証であると筆者は理解致した次第です。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター 

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:

NO.73は、日本社会に於いて今忘れられようとされている企業スポーツをテーマとして取り上げました。若い世代の競技スポーツに取り組んでいる方々には、是非このブログを読んで頂き、企業スポーツの必要性と重要性を是非理解し、感謝の気持ちを忘れないことを切に願う次第です。NO.74は、引き続き第二弾を掲載予定しています。

K'sファイルからのお知らせ

お知らせ:

1102日、木曜日のK'sファイルNO.73は、

日本独自の会社・企業スポーツと文化に付いて述べさせていただきます。

第一弾 忘れられた企業スポーツとその価値

「企業スポーツ無くして東京五輪は成立しない」をお送りします。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS