K'sファイルNO.115:賛否両論の日本野球の伝統と美学

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K'sファイルNO.115:賛否両論の日本野球の伝統と美学

無断転載禁止            K'sファイルは毎週木曜日掲載予定

読者からの便り~

河田弘道

いつもSNSを通して河田様のK'sファイルを拝読させて頂いております。他のマスメデイアのスポーツ記事、報道より遥かに読み応えがありますのと迫力が違います。そして、なによりも内容が大変読みやすく分かりやすいです。スポーツマスメデイアの記事は、炭酸の抜けた内容なので味が無いです。しかし、河田様の実践に基づいた内容、ご指摘は、なににも勝るスポーツ界のバイブルの様です。それは、スポーツマスメデイアの記者達は、自身の経験でなく他人の言う事、聞き伝えを文章で繕っているからだと思います。河田さんの執筆活動は、真剣勝負なので大変だと思われます。しかし、毎週書き綴られて来られています記事は、いつか必ず日本のスポーツ界の指針、指導書となると仲間達で語り合っています。機会がございましたら直接ご講話を拝聴致したい事をお伝えして感謝の気持ちをお伝えさせて頂きます

 

第二弾 県立大船渡高校監督の苦悩と結果

目次

  Ⅰ.若き指揮官のマネージメント力

    ①先ず初めに

    ②指揮官の勇気と実行

    ③論争のファクトを明快に回答

    ④統括組織・団体には教育の一環としての指針が必要

  Ⅱ.国保監督は未知の世界でのマネージメント

    ①指導者の指導法は大学で得たか

    ②高校野球の特徴

    ③国保監督の反省点は何処に

    ④余談話

    ⑤佐々木投手が決勝戦出場可能な戦略とは

    ⑥まとめ

    

Ⅰ.若き指揮官のマネージメント力

先ず初めに

2019年の第101回全国高校野球選手権大会は、8月6日に甲子園球場で開幕しました。本大会を目指して全国各都道府県では、代表権争いが繰り広げられ、その中でも特に注目を浴びていたのが岩手県の代表決定戦でした。

本代表決定戦は、7月25日に私立花巻東高校 対 県立大船渡高校の間で行われました。本論争に付いて、スポーツ・アドミニストレイターとして、ベースボール・アドミニストレイターとしての視点から論じさせて頂いています。

①指揮官の勇気と実行

第101回大会を迎えて、高校野球界に革新的な問題提起を実践されたのが、この度の岩手県代表決定戦での大船渡高校の国保陽平監督(32歳)の選手起用法であったと思います。

今日まで長年に渡り高校野球界は、春夏の選抜大会と全国選手権大会の運営、管理の在り方のみならず、選手達の健康管理、指導法、起用法について疑問を持ちながらも公益財団法人日本高校野球連盟(略:高野連)、等の伝統を後生大事にされてきた人達が主流で、専門知識、判断力、勇気など発展的な思考回路などはあまりお持ちでなかったと理解する方が分かりやすいかと思います。

そして、この大きな障壁に楔を打ち込まれた国保監督の勇敢な決断には、今後多くの高校球児のみならず、多くの他の競技スポーツに心血を注いでいる高校生、大学生、及び指導者達に一考を与えた事は確かです。

しかし、決断、実行の前には、入念な準備が大事である事もこの度の成果と結果が教えてくれているのも確かです。此のことを本NO.115では触れてみようと思います。読者の皆様には、異論反論が出るかもしれませんが悪しからず。

②論争のファクトを明快に回答

国保監督の大会決勝戦後の取材に対する発言内容からもその姿勢と真意が読み取れます。試合後の取材インタビューに於いて、佐々木投手を決勝戦で投げさせなかった理由は、「故障を防ぐため」であったと述べています。また、補足コメントとして、「投げられる状態にあったかもしれない」が、私が判断した。「筋肉の張りという程度で、痛みとかはなかった」と明快に答えています。

此のコメントの内容から国保監督は、選手の怪我予防を最優先している事が明確に分かります。しかし、後に日刊スポーツ新聞の報道では、「温存の佐々木朗希肘に違和感、準決前に医療班に訴え」と掲載されている事に筆者は何か違和感を感じる次第です。何故なら、本件に付いて試合後大船渡高校の監督は、取材に対して明確に「痛みとかはなかった」と明言しています

日刊スポーツの担当記者は、本論争の重要なポイントの1つであるにも関わらず、ソースの出所は「医療班」と明記、その医療班が何処の誰か明確にされておらず幽霊情報が独り歩きしている次第です

問題は、本記事で断言している、同投手が準決勝前に「医療班に違和感を訴えた」事実を明確に記述出来ていない点です。例えば、「何処の医療班の誰からこの事実のソースを得たのか、専門医、トレーナー(有資格者)のチェックを受けた見解なのか」は、大変重要な視点であり、これだけの記事では読者をミスリードさせるのみならず、監督の取材回答を否定する事に成りかねない状態です。いかがなものでしょうか。

此のままでは、掲載記事に対するリアリテイーに疑問が残る、この度の論争を鑑みますと守秘義務の適用に当たらないと思われます。これに回答出来ないのであれば記者の捏造と取られても仕方がない内容であると思うのは筆者だけでしょう。本記事が事実とするならば、佐々木朗希投手の今後に何らかの影響を及ぼすかもしれません。また、これが事実なら監督は、取材会見で事実を公表しても何ら問題でありませんでした。

③統括組織・団体には教育の一環としての指針が必要

競技スポーツの目的は、同条件の下で競い合い勝利することが大前提です。しかし、教育機関に所属する生徒は、本来勝利と教育の両面を担った目的を背負っている筈です。そこで両面を司る高野連と各高等学校の運営、管理責任者、指導者は、バランスの取れた運営、指導、管理が必要なのです。

近年の高校野球は、このバランスが崩壊してしまっているのが実情です。その大きな要因としては、甲子園を目指した春夏の選抜高校野球大会全国高校野球選手権大会があり、この大会の商業化に伴う、TV、各種マスメデイアの過熱報道による高校野球選手、主に私立高校の広告塔としての宣伝を目的とした運営、管理に歯止めがかからなくなった事が挙げられます。このような状態化した現実に対して、本来プロトコールで在るべき高野連が伝統という鎧を着ていては改善、改革には程遠いと言われても仕方がありません。

勿論、高校野球の選手達の夢は、甲子園出場であり、プロ野球選手であり、あわよくばMLB選手として海を渡る事を純粋に夢見ている事に疑う余地はありません。この度のような現実的な論争が沸き起こる背景には、今日まで指導的な立場と運営、管理責任のある、高野連が、マスメデイアの顔色は気にしても、生徒選手の重要な現実の問題については、本来の教育という建前から形式的には注意を払っているそぶりを見せながらも、実質、実態はおざなりでお茶を濁す程度でしかないというのがあります

今日迄、同組織、団体は、権威主義的と申しますか、高校野球を利権化し閉ざされた組織、団体として長年闇の企業体を成して来ている事から、臭いものに蓋をする、何か起きればお茶を濁す程度の処方を見せる、全く実行力、実践力の無い組織、団体であることがこの度の論争でも明らかになったのでないでしょうか高野連を指導・管理する所轄組織・団体は、ご存知の通り内閣府文科省スポーツ庁です

8月8日に共同通信社の配信に寄りますと、スポーツ庁の鈴木氏は、『高校で燃え尽きてもいい』は時代遅れ。故障なく精いっぱい戦うことが重要」と述べ、過密な試合日程の見直しを含めた対策の必要性を指摘した。と発言したようです。

投手の健康管理を重視する風潮が社会に広まりつつある中、「世の中の流れを敏感に察知し、高校野球は変わらなければいけない」と一層の改革も求めた。との記事が配信されています。

これは、毎度おなじみのスポーツ庁長官の何かが起これば、これ「遺憾に思います」とのマニュアル通りの決まり文句ですこのようなコメントをしても、何の効用にもならないという事です。同氏のコメントは、何が問題で何を如何するとの具体性に踏み込まない限り、お上の戯言として誰も耳を傾けないと思われますスポーツ庁の長官たるは、「自信を持ってスポーツ界に求心力を発揮されない限り、関係省庁の棚に祭られた金メダリストのお雛様」と揶揄されることの無きようして頂きたいと願うのは、筆者だけでしょうか。実行力が伴わなければ、万民はリスペクトしないと思われます。

 

Ⅱ.国保監督は未知の世界でのマネージメント

①指導者の指導法は大学で得たか

国保監督は、日本の前近代的な野球論と近代的な野球論の間にあって試行錯誤しながらこの度の決断であったと推察致します。

我が国の高校野球界の指導、指導者には、大きく分けて二つの指導法に区分されます。その1つは、この度の論争で多くの賛同を受けている精神論(根性論)を最優先させる指導方法です。もう1つは、選手の健康、コンデイショニング、傷害予防を念頭に教育的指導をするタイプです。

前者の指導法は、我が国に於いては大半の野球指導のみならず、他の競技スポーツの指導も同様な「消去法」の典型がこの指導法なのです。それは、現実的に申し添えますと、指導者は、先ず肉体的に、精神的に強靱な選手のみを選抜、取り残された選手を切り捨てる指導法なのです。これは、本来のコーチングではありません。

消去法は、今日の伝統的な指導法として脈々とプロ野球界の指導法の主体と未だにされているのも事実です。此の指導法は、指導者の専門的な知識、技術、指導スキルが低く、失敗しても責任の所在が選手側の弱さにあったと転嫁できるメリットがある事です。逆に、指導者の一方的な押し付けから肉体的、精神的に持ちこたえられない選手達は時間と共に潰されて行くというデメリットが多いことが特徴です。読者の皆様の中にもこの潰された経験のある体験者が多いかと思われますが、如何でしょうか。

国保監督は、後者の指導法を優先される貴重な野球指導者であるとお見受けいたしております。そして、同監督の指導理念には、性格、信念はもとより大学時代(旧:東京教育大学、現:筑波大学)に受けた指導者、教育理念が彼の高校野球コーチングに根強く反映されていると申し上げた方が賢明なのかも知れません。それは、未成年でまだ身心の発育発達が成長期にある事を重視した教育的な指導方法です。しかし、本指導法は、現在の高校野球界ではマイノリテイーに属し、潰される現実であります。この度の論争は、その証でもあるのです。

スポーツ報知が高校野球界の嘗ての超ベテランで実績も申し分ない智辯和歌山高校の高嶋仁前監督を取材し、つぎのようなコメントを掲載していました。

大船渡高校の佐々木朗希投手の登板回避に関するコメントは、「これで壊れるなら、プロに行っても壊れる」との内容が掲載されていました。

筆者は、このコメントを拝見しまして強く感じた事は若しこのコメントが事実であるならば、この指導者の指導理念は教育が対象ではなく、プロ野球選手の養成とただ甲子園に出る事が指導理念の主体になっているのでないか、と疑念を抱きます。

長年高等学校の教育者として、野球部監督として輝かしい成果と結果を残されているわりには寂しい内容であったのに驚きました。

高嶋氏には、「国保監督が若輩にも関わらずしっかりとした教育者として、指導者として生徒に対する指導理念と使命を苦しみながら貫かれ、決断された事」を擁護しなくとも理解を示すコメントであって欲しかったと思う次第です

高嶋氏は、張本氏と同カテゴリーの野球人とは申しませんが、同世代であることに違いありません。高嶋氏は、国保氏と同じ教育者、指導者を目指して養成する大学で教育指導を受けて来られましたが、双方教育、指導に対する理念が両極端な大学で教育を受けられた様な気が致しますが、これは筆者の深読みでしょうか。

高校野球の特徴

大船渡高校監督のテイームマネージメントに於いて中途半端が、今回の騒動を引き起こした最大の要因の一つでもあるのかも知れません。此処は、ベースボール・アドミニストレイターとして述べさせて頂きます。

高校での競技スポーツの特徴は、野球に限らず他の競技も同様に本来は教育が主体であり、その中に置いての部活動の一つとして指導し、取り扱われている筈なのです。しかし、高校野球では、春夏の甲子園を目指したトーナメントを勝ち抜くことが最大かつ最終の目標に成っている事により、どうしても完成したテイームとして競技に参加させることが求められています。このために、テイーム優先に於いて個が犠牲になる環境と土壌が伝統として培われ、それを人は「美徳」と置き換えてしまって居るのです。犠牲的精神を試合に於いて表現している証は、「犠牲バントサクリファイスバント」を多用する戦術が此処から生まれていますこれらを含めた高校での部活は、3年間という制限された時間帯の中で競争を強いられる構造とシステムに成っているのが特徴です

 国保監督の反省点は何処に

この度の同監督の反省点を強いて挙げるとすれば、本人は勿論の事、保護者、関係者達は甲子園出場を夢見て、岩手県大会の決勝戦には佐々木朗希投手が登板する、と誰しもが確信し疑いの余地は無かったのが正直な偽りのない事実であったと思われます。

しかし、この事実に反する投手起用をしたのが国保監督の決断でした。この決断に対しては、第三者がとやかく述べる事はフェアーでありません。

筆者が此処で述べるのは、国保監督の教育、指導理念を基軸にして、佐々木投手に決勝戦を投げさせる方法、手段は無かったものかとの思いでプロのベースボール・アドミニストレイターの立ち位置から述べさせて頂きますので悪しからず

国保監督には、大変厳しい内容になるかと思いますが、貴殿は若くバランスの取れた教育者であり、野球指導者である故にこの誰もが経験できなかった体験を糧として、今後の指導者人生に生きた教材として活かして頂き、さらなる高い志を持たれて生徒達に手を差し伸べてあげて頂きたく願う次第です。

論争の争点にあるのは、中途半端な指導、指揮を行なったのがこの度の岩手県代表予選会であったのではないでしょうか。此処で言う中途半端とは、計画性に於いても実行性に於いても不安と葛藤を抱えながらの本番に挑んだが為にこのようなスッキリしない成果と結果を伴った事に対しては反省の余地が大きいと言わざるを得ないのです。

中途半端な決断から来る誤解、誹謗中傷は、選手達に不安と悔いを残す事に成り、最終的に教育的指導の面からもこの度の貴重な実践の成果と結果が消化不良となり、胃炎を起こしたのではないでしょうか。

国保監督は、本予選大会に際して実行するに当たってのマニュアルが準備されていなかったのでないかと思われます。

その証の1つとして、佐々木朗希投手の役割分担が挙げられます。投手起用のマネージメントに於いて、大きな失敗が見受けられます。これは、貴殿のテイーム、個々の選手への指導方針に沿った内容でないプログラムが佐々木投手に与えられている事です。

それらは、7月16日に佐々木投手を試運転ゲームで、19球投げさせています。7月18日には、93球投げさせています。そして7月21日には、194球(二試合分)を投げさせ、7月24日には、129球投げさせているのです

筆者の客観的な視点で申しあげますと、佐々木投手は、18歳の成長過程にある選手です。よって、身体の発育はまだ成長期にある事があの体型、体格から容易に推測できます。勿論、高校選手にも個人差があるのも十分承知しています。

投手として、あのスピードボールを投げる為に肩、肘への負担のみならず、背筋、腰筋群、ハムへの負担も半端でありません。

その同投手に7月21日二試合分の194球を投げさせた事は、監督のプログラムを破綻させてしまった要因ではないでしょうかあそこで同投手に194球投球させる監督が何故7月25日の決勝戦に先発させなかったのかが、監督のマネージメントに矛盾を指摘させて頂く大きな根拠が此処に在ると思いますが如何でしょうか

これは、監督自身が本大会の戦略、戦術のマニュアルが無かった事を意味します。本大会は、トーナメント方式で勝ちきる為に絶対的に必要不可欠であった「大会コンセプト」が明確で強靱でなかったのでないかと指摘させて頂きます。

④余談話

筆者は、日本プロ野球に於いて東京読売巨人軍長嶋茂雄監督補佐をさせて頂いていました時に二度の日本シリーズ(トーナメント方式)を体験いたしました。一度目は、メイクミラクルを完成しました年にシリーズでは、森監督率いる西武と対戦しました。二度目は、メイクドラマを完成しました年にシリーズでは、仰木監督率いるオリックスと対戦しました。

一度目では、7戦目で勝利する明確なコンセプトを持ち合わせていましたが、二度目では、そのコンセプトが揺らいでいました。その理由は、その年の7月5日までペナントで11.5ゲーム差があり、投手陣に多大な負担を強いたためにシリーズでは鞭が当てられなかった事。そして、球団内外での諸般のポリテイカルゲームを内部で煩わされて、私自身が集中力を失った事がその要因でした。(Gファイル:長嶋茂雄監督と黒衣の参謀)に明記。

このような経験から、国保監督のこの度の限られた戦力と教育的な立場も鑑み乍ら、孤軍奮闘されたであろうお気持が察せられます。

⑤佐々木投手が決勝戦出場可能な戦略とは

それでは、どのような大会への戦略、戦術が在ったかと申し上げますと、先ず監督は、本大会の目的、目標を明確にし、事故の無い限り揺るぎない強い意識を持って貫くことを己に確認する事でした。そして、その意思をテイーム及び、個々の選手達に指導方針と方向性を明確に説明し、納得させ準備を共にするべきでした。それにより、佐々木投手以外の3名の投手達も自分たちの役割分担を理解し、自分達の持ち場でベストを尽くす心の準備とコンデイショニングの準備を学んだことでしょう

このコンセプトのキーワードは、エースの佐々木朗希投手に決勝迄に如何に投球数を軽減できるか、であったと思われます

例えば、佐々木投手に1試合ゲームを任せる場合は、投球数を90~100球と制限し、それで勝敗が付かない場合は他の投手を投入する。それで敗戦した場合は、監督も選手達も納得するのです。何故ならば、大会前から明確なコンセプトの基に大会に臨んで準備して来たからです。

筆者は、監督に本大会前に選手個々、テイームと共に「決め事、約束事」をしておいて頂きたかった次第です

監督は、同校テイームに対して高校野球に対する趣旨、目的を日々の練習において徹底されて来ている様子が、選手個々の言動、態度から品位を感じられます。此処が、同監督率いる大船渡高校とプロ選手養成所のような私立高校との違いなのだと思われます。

高校野球は、教育の一環と延長線上である理解と認識を生徒達に日ごろから指導が出来ていると思われますので、監督の大会へのコンセプトは素直に理解し強化に繋がったと確信致します

監督は若干32歳の若さでよくぞ決勝戦までテイームを導かれました。しかし、競技の本質は、勝利するという厳しい掟もあります。若い監督に取ましては、これからが大切です。

⑥まとめ

失うものも大きかった、しかし、一番大切な事に挑む時、事を起こす時には、準備の大事さ、大切さを経験されました。何事を成す為にも必ず準備が必要。高校は、3年しかない。教育が大事、競技は勝つ事、勝たせることが大事

県立大船渡高校の野球は、スポーツマスメデイアが期待するプロ養成所ではないのです

教育を大前提とした練習、指導、試合が大切で在る事を忘れてはならない。即ち、教室での学習と実践学習(野球)を通しての教育指導をされているのです。勝ち負けは、成果、結果であり、1人の選手に多大なストレスを与える事は教育界ではアンバランスな指導と教育となると思われます。また、それは、生徒選手達に対してフェアーなコーチングではありません。高校野球界は、プロ野球界に在らず。

筆者は、学生、生徒を目的、目標に向かって導く為には与えられた環境と財産(戦力)を如何に有効活用するかにより、効率よく最大の効果も得られる手法もある事を提案させて頂きました教育機関に於ける、ベースボール・アドミニストレイションと理解して頂ければ幸甚です。

他の競技スポーツの指導者、管理者の方々にも一助になりますことを祈念致しております。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

ベースボール・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:NO.115、第二弾は、如何でしたでしょうか。ベースボール・アドミニストレイションには、色んなマネージメント手法が在る事に気付かれましたでしょうか。次回、NO.116は、本シリーズの最終回を予定しています。