K'sファイルNO.76:日本の冬の風物詩大学箱根駅伝は誰の物 無断転載禁止

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K'sファイルNO.76:日本の冬の風物詩大学箱根駅伝は誰の物 無断転載禁止

注:日本伝統の冬の風物詩(Tradition)の1つであります駅伝のシーズンと成りました。そこで、昨年本K'sファイルに於きまして、大学競技スポーツの一つ箱根駅伝を連載させて頂きましたところ、大変好評を頂き、また多くのK'sファイルの新しいファン、読者の皆さんからは再度、この大学箱根駅伝をテーマにしたK'sファイルを掲載して欲しいとのお問い合わせを頂きました。そこで、昨年掲載致しました各テーマに修正と加筆をして、よりご理解し易い内容にしてお届けしたいと思います。今年も大学スポーツ界では、沢山の不祥事、事件、事故等が世間を騒がせていますが、本箱根駅伝は、どうなっていくのでしょうか。読者の皆様には、大学教育機関として在ってはならない大学競技スポーツの実態をご理解して頂き、健全な大学本来の姿に未来ある学生及び学生選手を導く為の方法を是非ご一緒に考えて頂けたらと願う次第です。

 

第一弾:筆者が大学箱根駅伝に興味を持った動機~

1.筆者の実体験から

大学箱根駅伝(略:箱根駅伝)の組織、運営、管理に興味を持ち始めたのは、当時企業スポーツに於きまして、スポーツ・アドミニストレーターとして運営、管理をしていた時期からでした(1985~2005)。

何故興味を持ち始めたかと申しますと、日本に於ける企業スポーツは、日本独自の伝統的な運営、管理を行って来たプロでもなくアマでもない、不思議な競技スポーツの組織、団体だったからです。(企業スポーツに付きましては、K'sファイルNO.737475で紹介済み)

日本におけるプロ競技スポーツには、テイーム競技はプロ野球をはじめ、93年に開幕したサッカーJリーグ、2017年発足のバスケットボールBリーグがあります。また個人競技では、テニス、ゴルフ、ボクシング、等があるのは皆様ご存知の通りです。

一方、プロ競技ではない競技種目に取り組んでいる学生選手、高校生選手達にとっては最終的な活躍と生活の糧を得る場所は企業スポーツとなります。そしてその延長線上にあるのが、世界選手権大会であり、オリンピック大会です。しかし、これもごく限られた選手しか所属できない厳しい世界であります。

1974年に国際オリンピック委員会(略:IOC)の「オリンピック憲章」の改正があり、「アマチュア」の文字が消え、オリンピック大会には、1988年ソウル大会からプロ選手も参加できる事に成りました。

これにより、日本における企業スポーツの伝統的な体質は、競技スポーツ組織、団体、選手達にも徐々に変化が見られるようになりました。しかし、依然としてプロなのかアマなのか中途半端なスタイルが解消されたわけではありません。このようなスポーツ界の新しい流れの中で、日本の学生選手達の意識にも、以前と異なる意識が芽生え、段々と自分の意思を表現する様になって来たのも事実でした。これらは、急激な海外からのプロ化の波にも大きな刺激を受ける事になり、歴史的な変革の時期であったのだと思われます。しかし、残念ながら指導者、管理者達は、学生選手、選手達にこのグローバル化が進む競技スポーツの動向を正しく教育、指導する為の十分な知識を持ち合わせていなかった事は不幸な出来事でした。

 

2.企業スポーツの栄枯盛衰

企業スポーツの特徴は、企業の経営業績に大きく左右されるという事とスポーツからの収益を求めない事です。

1964年の東京オリンピック開催と共にスタートしました企業スポーツは、1990年前半から吹き荒れたバブル経済の崩壊によりまして、1995年をピークによりいっそう廃部、休部が加速し、それまでの企業スポーツの半数以上が消滅して行ったのです。

特にそれまで脚光を浴びていました社会人野球(都市対抗野球)、バレーボール、バスケットボール、テニス、ラグビー、等から伝統的な企業名が消え去り、今日に至った状況をファンの皆様は、肌で感じて来られたのではないでしょうか。

驚く事に現在の大学生の大半は、日本のオリッピック代表選手、競技スポーツ選手達が長年会社、企業スポーツにより支えられ、今日も支えられている事の知識と理解を持たない状況です。特にその中のスポーツ専攻学生ですら、企業スポーツって何ですかと質問された時は、唖然とした次第です。大学の専門分野に於いて、この企業スポーツの存在と重要性を指導する指導者、教員が居ない事もこの大きな要因の一つであると思います。

このような現状は、指導者、教員が居ないのでなく、スポーツ・アドミニストレーションの専門分野が教育機関に存在しない我が国の現状と現実がスポーツ界の再編、構築を遅らせている最大の要因の一つであると確信します。

また、新しい世代の若者達への教育もさることながら、TV・マスメデイアによる報道に於いても、プロの競技スポーツと大学競技スポーツの違いと企業スポーツの存在の意義を解説できるくらいの知識を持ったアナウンサー、解説者が見当たらない様に思われますが、如何でしょうか。

 

3.学生選手の入社面談報告書と現実

陸上競技(英:Track & Field)は、日本が嘗て華やかな時代を迎えていた長距離、マラソンが他国の競技レベルの強化、向上とは対照的に低下し、冬の華であったエリート・マラソン大会そのものの存在が薄れ、近年は市民マラソンが主体の大会に移行している様子を皆さんも実感されている事と思います。このような状況下で唯一、脚光を浴びているのが冬の風物詩(英:Tradition)として正月恒例の行事となりました「大学箱根駅伝」、そして企業スポーツとしての全国実業団駅伝「ニューイヤー駅伝」です。本駅伝競技は、日本にのみ存在する日本オリジナルな競技方法で行われるロードレースの1つです。

1985年当時から、私は、NEC SPORTS(強化8競技)を会社側の強い要請で強化して参りました。その後、陸上競技部の強化を始めた頃、当時の長距離担当指導者、管理者からのスカウテイング、リクルーテイングの計画書、面談報告書、等の最終レポートに目を通し、担当者から説明を受けていました。これらは、毎年の事でしたが、そのリストの中の大半は、箱根駅伝で活躍しマスメデイアで取り上げられている選手達に関するものが大部分でした。

特に、特注マークの選手達の面談レポートには、注目すべき内容が書かれていました。このような学生選手の多くは、所属大学で特待生として高等学校から迎えられた学生選手達です。日本に於ける特待生とは、その競技スポーツに特に優れ、大学側が入学時に特別待遇の学生として迎え入れた学生選手への処遇を指します。

驚いたのは、大学選手に企業の大卒給与以上の現金が、大学側から毎月支給されている現実でした。大学側は、箱根駅伝で活躍させる為だと理解しているとの事(広告塔として)。

面談学生選手曰く「御社は、今自分が大学から毎月受けているお金より大卒の初任給は低いんですね」と堂々と担当者に話し、その内容が、面談報告書に記録されていた事でした。

また、「自分は、会社で競技が出来なくなった後、会社に残り勤めをするつもりはないので、退職金代わりに入社時に支度金として頂きたい。他の会社では、この条件を呑んでくれる社が複数(実名を挙げて)あるので、この支度金が大きい方にお世話になります」とも付け加えられていました。面談者は、複数の異なる大学学生選手からこのようなリクエストを突き付けられていた次第です。

これは、即ちプロの契約時の契約金に置き換え、条件としていると受け取れました。このような学生選手を抱える大学は、当時も今も大学箱根駅伝の有名大学か、そうなろうとしている大学であります。現場の監督には、申し訳なかったのですが即答で“NO”の回答をし、「そのような条件で引き受ける会社、企業にどうぞ行ってもらって結構です」と伝えました。その理由は、会社側がそのような選手を入社、入部させるコンセプトではなかったので、そのような予算を確保していなかったからです。その学生選手達は、実業団駅伝に大変力を入れている企業に行った報告を後に受けました。しかし、そのような学生選手達は、選手のみならず彼らの指導者達も自らをTVタレントと勘違いしている様子で、企業に入社後このような選手達は鳴かず飛ばず状態で選手生活を終えているのも事実です。筆者は、学生選手を指導する大学、経営者、指導者の資質に大きな問題があると感じています。

日本の大学競技スポーツの学生選手が、個々の大学でどのような教育、指導を日々受けているのだろうか、大学競技スポーツは、どのようなアドミニストレーションがなされていてこのような学生選手が育成、教育されているのか、とこの時期から、20年間観察しながら強い関心を箱根駅伝と日本の大学競技スポーツに抱いてきました。

そして、その後、ご縁を頂きまして日本の大学で2017年春まで、10年間教鞭を取らせて頂き、上記問題を含めた日本の大学競技スポーツの実態を観察、研究致し学内外の状況と問題の本質に辿り着いた次第です

 

4.透けて見えた大学駅伝の部活動と実態

大学生の長距離選手のスカウテイング、リクルーテイングにおける、複数の大学陸上部、長距離選手(主に箱根出場が主眼)達の企業テイームへの入社条件と実態が明らかになっていました。筆者は、常に好奇の眼差しでこれらの実態をマスメデイアが報道しない視点に注目を抱いていました。大学側が、このような学生選手達をどのようにして高校時代にリクルートしているのか、またどのようなオファー(条件)を大学側の誰が責任者として約束し、大学内での処理をしているのかに付きましても当然、大変興味を抱きました。

ルール無き日本の大学競技スポーツ界は、無法(Out of Law)状態であり、これでは大学競技スポーツが教育、教育の延長線上にあるなどとは決して言い難い、言えないのが現状、現実であります。教育機関に於けるこのような非教育的な教育者と称する指導者、管理者、経営者に対していったいこの国の誰が指導、教育、是正勧告を成されるべきなのでしょうか。

勿論、本件は、長距離選手のみに限った事でなく、他の競技スポーツ男女(高卒、大卒)のリクルート活動に於いても多くの重要な問題と現実に直面致しました。此れらをきっかけに、大学野球界、陸上界、バレーボール界、バスケットボール界、テニス界、ラグビー界、等を通して教育機関とその指導者、関係者と企業スポーツとの関係と実態に付きまして長期間に渡って現場の状況と現実を実体験させて頂いた次第です。驚きましたのは、大学、高校の指導者、管理者、経営者の中にはこれが日本の教育者を名乗る人達なのかとその現実とその実態に限りない絶望感をまざまざと見せつけられた思いがあります。

これからお話致します、大学箱根駅伝編では、このような高校、大学競技スポーツを経験した学生選手の受け皿として、企業スポーツがある反面、理不尽な教育、一部指導者達の教育者としてあるまじき実態、そして大学競技スポーツに関与する内外関係者の実態、及びその組織、団体を理解して頂く事により、悪しき問題の根深さを知る事が出来ると思います。このような教育機関の中では、今日体罰と称する暴力が絶えない根源が此処にも深く根付いている気がしてなりません。

特にこの人気のある大学競技スポーツの1つである、箱根駅伝は、その実態を覗く事で、より一層我が国のスポーツ社会の縮図を見ることになるかと思われます。TV中継では、大学箱根駅伝を美化する映像、コメントを担当アナウンサー及び解説者が蘊蓄物語と共に連呼されていますが、それを見聞きするにつけて何か歪められた美学を毎年虚しく聴かされているように思えてならないのは筆者だけなのでしょうか。多分これは、放送を担当している関係者が実態をご存知でないのか、そこまで取材、学習が出来ていないのか、或は知っていても視聴率及び新聞の拡販目的の為に美化、誇張しているのかも知れません。

読者の皆様には、大学競技スポーツと学生選手達の現実と実態を洞察して頂き、この機会に考察して頂ければ我が国の大学競技スポーツの根深い負の遺産と将来の歩むべき方向性が自ずとしてイメージできるのでないかと期待致す次第です。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:次回K’sファイルNO.77からは、本論の「大学箱根駅伝は誰の物」に付いての素朴な疑問から述べさせて頂きます。読者の皆さんと一緒に考えて参りましょう。

 

K'sファイルNO.75:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

K'sファイルNO.75:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

 

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注:この程は、企業スポーツに付きまして、第一弾から第三弾迄述べさせていただきました。読者の皆様には、日常スポーツ競技には興味と目が向けられても、企業スポーツにまで目を向けたり、興味を持ったりする機会が無かったのではないでしょうか。此れを機会に企業スポーツの存在が在って、今日まで競技選手が生活の糧と環境を与えられている事を認識して下されば幸いです。

第三弾 まとめ編:企業スポーツに変革・存続を期待

1.企業スポーツの特徴

①企業スポーツの最大の特徴は、自ら収益を求めない。

②企業の収益で運営・管理がなされている。

③近年は、会社・企業の競技スポーツの存在意義、目的が不透明。

④企業スポーツには、本来プロ選手の職種は、存在しない。

⑤企業スポーツの管理・管轄は、厚労省である。

読者の皆さんが企業スポーツに接するとき、伝統あるテイーム(生産を主体とした会社、企業)と新興テイーム(主にサービスを主体とした会社、企業)がある事に気付かれるのではないでしょうか。嘗て、バブル経済の時代には、金融機関が男女駅伝テイームを一同に創設し、バブル崩壊後全ての銀行テイームが廃部と化した事もありましたが、これらは代表的な新興テイームの極端な例でした。

伝統あるテイームとは、設立の古さによるケースと、歴史に戦歴が加味され評されるテイームに総称されます。新興テイームとは、設立が遅く、戦歴も浅いテイームで、一般的に選手、テイームを会社、企業の宣伝広告塔にするという趣旨、目的で創設されたケースが多いと思われます。

戦力強化においても伝統あるテイームは、長年構築された財産のあらゆる蓄積により選手供給のネットワークが網羅されており、そこには長年の人間関係と投資が重要な財産の一つになっています。

2.企業スポーツの変革を怠った時期と状況

このような状況をさらに加速させたのが、84年のロスオリンピック開催に伴う商業主義スポーツです。即ち、冠大会といわれるスポンサー付き競技大会が開催されるようになり、参加者、選手には参加報酬の権利が認められたのです。

この国際化の波を日本国内に入れまいと防御したのがJOC以下各競技団体であったのです。その為に選手には参加報酬を認めない(しかし、商品価値のある選手は、テレビ局、広告代理店、大会スポンサー、等から裏金として授受していたが、関係団体はその事実と実体を黙認)、個人の肖像権も認めず2005年まで選手個人の人権、利権を独占して来たのが現実でした。このような閉鎖的な国内の競技団体の対応及び体質が企業スポーツのギアのシフトチェンジを遅らせた要因の一つでもあると思います。このような閉鎖的な体質を持つ各競技団体に於いては、今日社会問題とされる暴力、ハラスメント、等の問題が改善、止められない要因が此処に根強く存在するのです。

日本の企業スポーツは、競技スポーツの組織・団体の運営・管理下のもとに、5060年代は戦後復興の土台として、7080年代は企業のイメージアップ、そして90年代から、今日に至るまで日本スポーツの底辺を脈々と支えてきたのです。しかし、90年代に入り経済的な破綻をきっかけに各企業のスポーツに対するコンセプトが今までの組織構造とシステムに合致しないことが一気に露呈してしまいました。

3.経営状態に左右される企業スポーツは存続か廃部か

会社、企業テイームも親会社、関係会社の経営状態によりテイームの維持が困難となり活動を停止せざるを得なくなったテイームや、社内の動向により縮小を余儀なくされたテイームと様々なケースが廃部の大きな要因となっています。

企業スポーツは、会社の経営状態により大きなしわ寄せを一番受ける活動部署であり、次に広告宣伝部署に予算の粛清が来るのです。そして、その最大の社内に於ける要因には、労働組合の存在です。会社の経営状態の悪化に伴い、経営者は、先ず会社、企業の人件費の粛清に手を付ける事から、労働組合側は、社員の首切りを始める前に社にとって営業利益を生まない競技スポーツ部門の存在の意義を問う形で経営者に対し攻撃を加えるのです。

会社の業績状況をもろに受けるということが、企業スポーツの弱点であると申し上げても過言でありません。もちろん、労働組合は、日々企業スポーツを支援、応援して下さっている社内の大きな組織の一つでもあります。しかし、事がここに及んでは、背に腹はかえられないのも事実です。

今日では、日本を代表する電機メーカー最大手の一つの東芝が経営の問題からつい先日、伝統ある野球テイーム、ラグビーテイームの撤退を余儀なくされるとの報道がなされました。これも会社の営業業績、経営の煽りをもろに受ける日本企業スポーツの実態と特徴なのです。本件に付きまして後日東芝は、「野球、ラグビーの撤退は、現在考えていない。2019年度以降は、会社の今後の経営状況によりどうなるか未定」とのコメントを出された次第です。(2018112日現在)

4.企業スポーツとそのあるべき姿

会社、企業は、失われた企業スポーツの理念とコンセプトを明確にする事が大切であると思われます。その意味において企業は、独自のマニフェストを告知し自らの位置付けを明確にする事が重要であるのではないかと思います。

元来企業スポーツは、セミプロと言われて来ていますが、今日外国人選手は完全なプロ契約であり、日本人選手の殆どはプロと称して間違いないと筆者は理解しています。

尚、此処で補足させて頂きます。嘗て外国に於きましては、ステートアマチュア(ステートアマ)と呼ばれる選手達が居ました事をご記憶されていますでしょうか。この選手達は、主に社会主義国に於いて、国家が援助・養成しているアマチュア・スポーツ選手の総称でありました。当時、国際オリンピック委員会IOC)は、これらの選手達をアマチュアとして承認していた事も此所に紹介させて頂きます。

企業スポーツは、伝統的に企業の収益に一喜一憂しなければならない現状から企業スポーツ関係者自らも改革の必要性がますます問われていると思います。

1990年代初期のバブル経済崩壊によって起きました企業スポーツの休部、廃部による衰退、さらに2008年半ばに発生した米国サブプライムローンに端を発した世界経済の危機に伴う日本企業存続の危機は、企業スポーツに対して更なる大きなダメージを与えることとなりました。このように繰り返される企業スポーツの虚弱な体質を今後存続させるためには、体質を改善、改革し現実にあった将来性のあるコンセプトに沿った構造改革をする事が急務であることを申し上げます。

5.企業スポーツの変革に準備は必要不可欠

企業スポーツは、今後地域社会への還元を含めた活動と、それに伴う収益を得るためのスポーツビジネスに事業転換する必要性が急務であります。

所属企業をメインスポンサーとして位置付け、企業の営業利益の増減に関係なく独立した組織として運営・管理する能力を兼ね備える方向への構造改革が先ず望まれます。

複数の企業をスポンサーとして地域社会に根ざした経営、運営、管理を目指し、独立した方向が望ましいと思います。その為にも、企業スポーツに関わる全会社、企業は、競技スポーツを一大統合して共存共栄をコンセプトとした企業スポーツの新組織・団体を構築する事を勧めます。

此処で必要なのは、国がスポーツ立国を宣言する以上これら企業スポーツでの選手、指導者の受け皿をもっと強固且つ長期ビジョンに立った目線で現実的な政策、施策に着手する事がより重要であります。

現在の企業スポーツは、今後生きて行く為の手段として現在の無収益コンセプトから収益コンセプトにギアのシフトをチェンジしなければなりません。収益コンセプトを確立する為の最大の要因は、企業スポーツ及び選手の商品価値を向上する事です。と同時に「観るスポーツ」に対する重要性と必要性を次世代の為にも、家庭及び教育機関に於いて専門的な位置付けをし、育成、指導する事がこれから非常に大切なプログラムであると思います。

しかし、残念ながら企業には、事業転換に必要な人材、即ち専門のスポーツ・アドミニストレイターが居ない為、スポーツビジネス、マネージメント、マーケテイング、等の事業に必要な各専門部門、部署の人材の養成、育成が出来ないのが最大の問題と思います。

今日まで、企業スポーツにかかわる選手、スタッフ、関係者達は、言わば親方日の丸的な金は会社が出してくれる、金を使うのが我々の仕事である的な発想で生活を何十年も継承して来たわけですから、そういう人達をこれからどうトレーニングし、事業転換を図るかが最大の壁であろうかと思われます。

6.競技スポーツの運営・管理に二つのルール

我が国の伝統的な競技スポーツ関係者達は、競技スポーツのルールたるが何かを理解されているのでしょうか。

本来競技スポーツに於けるルールは、大きく区別すると二種類あります。

その一つが競技を成立させるためのルールでありそして、もう一つが競技以外の運営・管理上の約束事の規約、規則(略:ルール)です。そしてこのルールには、罰則が含まれ、明文化されているのがグローバル世界での常識です。我が国の競技スポーツ界には、残念ながらこの後者の構造とシステムがリスペクトされず軽視され、明文化されずグレーゾーン化されているのです。

競技スポーツは、厳しいルールがあって初めて競技がフェアーに運営・管理されます。よって、ルールがない競技スポーツは、競技として認められないし競技そのものが成立しないのはご承知の通りです。

ここで忘れてならないのは、競技スポーツは競技中にのみあるのでなく競技を行う以前に既にルールが存在することです。競技者、指導者、管理者のみならず、関係者、観客にもルールがあり適用されることにより競技及びその経営、運営、管理が成り立つ事を忘れてならないのです。

組織をあずかる運営、管理者(各競技種目のスポーツ・アドミニストレーター達)の環境の中で常にテイームを強化する立場の運営、管理者は、先ず戦力の強化を図らなければ勝利には近づけないのです。その為にも、各競技スポーツを預かる全ての関係者は、規約、規則、及び罰則をまとめたルールブックを作成し、そのルールに沿った経営、運営、管理を共通の認識として遵守する事が、スポーツ・アドミニストレーションの根幹なのです。ルールブックは、競技スポーツに於けるトータルバイブルなのです。

7.時代の流れに伴い選手の評価と価値が移行

このような状況下で東京オリンピック後(1964年)、ロスオリンピック(1984年)までとその後今日までとでは、競技者、指導者、管理者達の動向、評価、価値が選手獲得の面においても大きな変革を余儀なくされて来たのです。

何故なら資本主義の論理から最終的に選手は、大きな商品価値があったという事です。

その中でも74年に国際オリンピック委員会(略:IOC)の「オリンピック憲章」からアマチュアの定義が削除されて以降は、その傾向が大変強くなり、80年代、90年代と姿を変えてこの問題(プロ選手出場許可、大会、選手は、スポーツビジネスとしての商品価値を認められた)が肥大化した為に、企業スポーツの運営・管理、等に大きな影と負担になり、いまやこの負担を背負いきれないテイーム、企業は勝利から見放され、やがて廃部、休部、等に追い込まれる環境と現状を生んでいるのも企業スポーツ衰退の要因の一つであります。

8.日本選手の価値基準は野球選手か

70年代のこの分野で大変価値のある選手は、野球選手でした。そのほかのスポーツ選手は、まだ就職活動が大変優位になるという程度でした。また、その選手の周辺の関係者にとっては何か儀礼的な品が動く程度であったことを記憶しております。

しかし、この時代の野球界は、甲子園組の選手の獲得をプロ球団、大学と実業団(企業テイーム)が争い、その実情は21世紀になった今日も同じです。特に甲子園組、大学での有名選手の殆どがその所属高校、大学の監督、或いはその経営者、指導者、卒業生、支援者、時には両親が窓口になり実業団への就職に関与。プロへの就職と称しては、後見人、お世話人(現代の代理人的存在)が選手との間に常に立ちはだかるのは、この業界にいた人間なら大なり小なり経験された事と思われます。その第三者は、選手を商品と見做し、選手と家族のためならず、自らの利益と利権のためにモラルを逸脱した目に余る言動、行動を取る事も少なくありません。近年この悪しき慣習は、他の競技スポーツ、選手達にも悪影響が蔓延している次第です。

今日においても、同様であり、いや当時より一層陰湿且つ巧妙な手口で取引されている事も事実であります。

このような野球界の市場を他競技団体の指導者、管理者の多くは目に耳にしているのも事実です。また競技スポーツの関係者達は、この悪しき野球界の慣習・習慣をまね、企業スポーツの選手獲得競争の激化に伴い個人的な権益の拡大に動く現実も見逃してならないと思います。

この状況下での競技団体のルールは、一体どのように作用作動しているのか。また、これに伴う違反者に対する罰則規定は、何故明文化されないのか、これらも我が国の社会の構造的な問題であると思うのは筆者だけでしょうか。これが日本の競技スポーツの改革改善が今日なお進まない大きな障壁であることを忘れてはならないと思いす。

9.大学競技スポーツへの変革と充実が急務

発想を転換するならば、これからのスポーツビジネス、マネージメントを得意とする、情熱を持ち学んでいる若い世代こそ今が企業スポーツの転換を図る大きな戦力となりうる可能性を秘めているのも事実です。

大学での専門教育を受けている専攻学生達は、これからは実践に則した授業、演習体系をプログラミングでき、実践指導が出来る教員、指導者がいる大学を選びそこで学ぶ事を勧めます。

その為には、先ず日本の大学にその分野、部門に於ける社会での実践キャリアのある人材を教員、指導者として採用する必要があります。その分野に於いて社会での実践キャリアの無い指導者では、興味と情熱のある若者達に実践演習活動を体験させることが非常に難しいかと思われます。大学運営、管理者は、スポーツ及び競技スポーツに於ける各種スポーツ・アドミニストレーションを先ず学科としてスタートして、根付かせる為にも実践キャリアのあるエキスパート達を雇用する事も今後一考の価値ありと思います。

現在の大学に於いて本分野を指導、教育されている方々を批判している意味ではありませんので悪しからず。これは、筆者が日本の大学に於きまして、約10年間スポーツ・アドミニストレーションの講義授業、及び実践ゼミ演習を経験させて頂き、学生達から得た貴重な実践経験に対する評価・価値を読者の皆様にセアーさせて頂いている次第です。

机上の情報、知識のみでは、若者達の個々の能力を導きだすのは難しい時代になって来ているのではないでしょうか。この新しい実践能力のある人材は、企業スポーツの転換を図る大きな戦力と成りうる人材とチャンスであることも付け加えさせて頂きます。

このような現実が長年日本の大学競技スポーツをも陰で支えてきた企業スポーツであったので、昨今の大学競技スポーツにも大きく影を落としてしまったと思われます。そのことに早く気づき大学競技スポーツの根本的な組織構造とシステムの改善、改革が求められているのです。

筆者からの提案

企業スポーツがこれ以上改善、改革されないのであるならば此処に新たなスポーツ・アドミニストレーションを提案いたします

その骨子は、大学競技スポーツの改革を先ず変革(Change)できるかどうかが重要なポイントになります。

JOCNGBは、今日まで多大な負担を企業スポーツに強いて来たことを改める事です。オリンピック大会、世界選手権の代表選手は、基本的に日本オリンピック委員会JOC)及び各競技団体(NGB)は、各競技種目別に代表選手、指導者と4年契約を結び、選手達、指導者達をスポンサードする方式です。

そして、代表選手達は、毎年各競技種目別にナショナルテイームへの入れ替え選考(トライアウト)を実施する事でフェアネスを維持することです。

JOCの財務は、今日の公的資金の導入は各競技団体を通して強化目的で主に選手個々にランク付けして支給されています。この強化費に加えて生活の糧(一定額)を保証する事と民間資金を導入し、テイーム、個人競技スポーツへの環境を整えることです。この契約の趣旨、目的は、あくまでナショナルテイームを運営、管理することであり、通常の個々の選手達には、ナショナルテイームとの契約に障害とならない範囲で企業スポーツ、内外のプロ競技団体、個人の肖像権の利用を自由にするものです。

此処で重要なのは、JOCは今日のような組織・団体ではなく、文科省スポーツ庁、スポーツ振興財団から委託された公益法人として、一元化された権限を有し、強いリーダーシップを持つ事です。その為にも現体制の人事選考方式でなく、プロの人材と集団に変革(Change)する事が急務である事を合わせて提案させて頂きます。本提案に関しては、機会がありましたら具体的な提言、プラニングの用意も可能です。読者の皆様も上記筆者の提案に一考して下されば幸甚です。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 お知らせ:次回からは、日本伝統の冬の風物詩としてのロードレースの1つであります駅伝のシーズンと成りました。そこで、読者の皆さんから沢山の要望を頂いております。昨年本K'sファイルに於きまして、連載で大学競技スポーツの一つ大学箱根駅伝を掲載させて頂きました。大変好評を頂いていました。多くのK'sファイルの新しいファン、読者の皆さんから、この大学箱根駅伝をテーマにしたK'sファイルを再度掲載して欲しいとの問い合わせを頂いております。そこで、昨年掲載の各テーマを修正と加筆をして連載する予定に致しております。今年も大学スポーツ界には、沢山の不祥事、事件、事故等が世間を沸かせましたが、本箱根駅伝の問題も依然改善されている様子が見受けられません。読者の皆様には、本行間並びにその奥に潜む大学教育機関として在ってはならない大学競技スポーツ活動の現実を理解して頂き、健全な大学本来のキャンパスを大学関係者は元より、国民、社会の皆さんの手で取り戻して頂くことを切に願う次第です。

K'sファイルNO.74:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

K'sファイルNO.74:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

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第二弾 企業経営の破綻は企業スポーツの崩壊へ

企業スポーツは独自のスポーツビジネスの構築を

1.企業スポーツの課題と問題点

現在の企業スポーツの大きな問題としては、伝統的な企業スポーツにおいてコンセプトのギアをチェンジするタイミングを逸したことが挙げられます。

しかし、よくよく考えてみると、タイミングを逸したのではなく会社、企業は、1984年以降に企業スポーツについての会社の理念とコンセプトを明確に打ち出せていないことが混迷を招き、衰退へと導いている最大の要因であると考えられるのではないでしょうか。

好景気に沸いた1980年から1990年初期、会社・企業は、企業スポーツの将来展望や存在意義、価値評価及びリスペクト精神が希薄でありました。国は企業スポーツに無策、無関心であり、また競技団体は、権益確保に心血を注ぎ、企業スポーツをサポーツする会社、企業への礼節を欠き、選手を好き勝手に必要な時だけ代表選手として招聘して自主興行を行い、所属企業への強化の為の支援を怠っている事もその大きな要因に挙げられます。

もう一つは、いつの時代においても企業スポーツの経営者達は、企業内での競技スポーツの存続と運営・管理の必要性と価値を本当に理解し情熱を持ち合わせているのかどうかが疑わしいことです。それは、企業スポーツの存続はその企業の業績に直結しており、企業経営者は、現在もなお競技スポーツテイームの存続か否かを業績に委ねているからです。

企業は、競技スポーツをどのような位置付けにしているのでしょうか。会社にとって現在競技スポーツは、役目を終えたのか。何をコンセプトに維持運営されているのか。1995年を境に企業スポーツが大量に消滅し現在も依然としてその先が見えない状況となっているのが現実です。しかし、この危機的状況の企業スポーツに対して、誰もが真剣に考えようとしない今日の現状では、日本の競技スポーツ及び選手達の将来に光が見えてこないのです。

1993年に嘗て企業スポーツであった、サッカーがJリーグを設立しプロ化を図り、バスケットボールが2017年にBリーグとしてプロリーグに生まれ変わりました。長年プロ化を目指して来たバレーボールは、プロ化断念。しかし、企業スポーツの全ての競技がプロ化を目指すことは不可能であります。また現在、プロ化なった競技スポーツも現在のような不透明な財務状況、マーケテイングでは、近い将来破綻を来す危機的状況を迎えることが予想されます。

日本オリンピック委員会JOC)、各中央競技団体(NGB)及び国(文科省スポーツ庁厚生労働省)は、企業スポーツに対して何を指導、支援してきたのでしょうか。彼らは、今尚メダルの数だけを数え、公金は各競技団体経由で選手の強化費として支給していますが、企業スポーツのテイーム、選手育成には皆無です。

また、高校、大学の競技部は、企業テイームと同じ環境でトレーニング合宿をさせて欲しいと、企業に諸経費までおねだりし、その悪しき伝統が今なお何十年も続いています。それを高校、高体連、大学、学連、各競技団体は見て見ぬふりをしているわけです。このような高校、大学の競技部及び指導者達は、一企業だけではなく毎回複数渡り歩くのです。企業側は、これらのおねだり行為に対してNOと言えません。

理由は、その高校、大学から優秀な選手が出た場合に、リクルート時には相手に頭を下げる事が判っているからです。だから、これらの悪しきおねだり行為を断ち切れない最大の原因となっているのです。また、その高校、大学から有望な選手が出ても、その企業に来る保証はどこにもありません。

節度を弁えない高校、大学の指導者達は、毎年夏、冬、春とおねだりを繰り返します。これに伴う企業負担は、交通費、食事、滞在費、等と指導者、テイームへの付け届け、等と大変なものになり、年を追うごとにおねだりもエスカレートの一途を辿り、このような行為も「企業スポーツの影」と化している事をご紹介致します。教育機関の指導者達は、教育者と指導者、監督業を使い分けているつもりのようですが、おねだりや、監督の私的請求書を企業に廻すのは教育者として良くありません。

この貧困な日本のスポーツ・アドミニストレーションは、このような競技スポーツ現場の実情に対する考えを改めようとしないので、高校、大学の指導者による陰湿な指導及び教育は改善どころか蔓延している次第です。

また、会社・企業スポーツの指導、管理管轄が厚労省であることもスポーツ・アドミニストレーションの視点からは、違和感を感じます。

厚労省が会社・企業スポーツに今までどのように貢献、支援してきたのかを今一度精査、検証し国の指導体制、制度の抜本的な見直しが必要に迫られているのではないでしょうか。

2.企業スポーツの最大の矛盾とその弱点

第一弾で既に企業スポーツの歩みとその趣旨、目的を述べて参りました。しかし、時代が進むにつれてその運営、管理体制も国内外の競技スポーツに於ける動向の強い影響を受けるのもごく自然の成り行きです。

企業スポーツは、競技スポーツである事からそこにはおのずと競争の原理が働きます。競技スポーツは、誰が、何処のテイームがその競技種目の中で最強か、1位なのかを競う事を本質としているので、戦力を補強する為のリクルート活動は熾烈を極めるわけです。

本来、企業スポーツの選手達は、会社、企業の従業員、社員として採用されていました。特に競技スポーツのみを行ってきた高校、大学の学生選手達にとっては、スポーツ選手のステイタスで大手企業に本採用される事など夢のようなチャンスであったのです。このような夢の就活舞台は、1984年のロスアンゼルス五輪頃まで全選手達に提供され、現在も基本的にはこの方式を維持している会社、企業が大部分であると思われます。

しかし、1980年以降から国際オリンピック委員会IOC)の「アマチュア憲章の削除」宣言に伴い、選手のプロ化、競技大会のビジネス化が推進されるに至り、日本の企業スポーツの選手採用、雇用に於いても其れまでとは異なるリクエストが、選手、父母、高校、大学の指導者達からも出され始めました。

会社、企業は、丁度この時期を境に大きな試練に見舞われたのです。その大きな問題は、企業内の競技スポーツに対する処遇の見直しとそれに伴う莫大な予算の確保で在りました。

企業スポーツは、自らの活動で収益を求めていない事です。そして、全ての経費は、会社の営業利益によって賄われているので企業の経営状態に大きく依存している弱点が此処にあるのです。そして、企業スポーツ及び選手達は、アマでもなくプロでもない存在で言わばゴースト的な存在なのです。

3.企業スポーツは中途半端な集団

選手の雇用体系は、基本的には本来の社員としての本採用(会社規定に則った)と契約雇用を望む選手とに二分されます。大多数は、大手企業への本採用を希望し社員として入社します。しかし、中には時代が進むにつれて他社との採用条件を天秤にかけた学生選手達も現れるようになり、プロ契約を望む選手達が現れ出した時期でもありました。

勿論、外国人選手達は、全てプロ契約であり代理人を窓口にそのネゴシエーションが行われるのです。しかし、このような企業スポーツに於ける戦力補強では、社内に於いて会社、企業の伝統的な企業スポーツの理念とコンセプトに大きなギャップが生じるのも当然の成り行きでした。

此処で大きな問題や矛盾となるのは、企業スポーツはプロなのかアマなのかという論点でした。伝統的な企業理念は、勿論アマでありプロとしては認めない。しかし、現実的には、競技スポーツテイームを持ち、競技に参加している限り競争の原理から勝利が最終目的、目標と掲げている限り、綺麗ごとでは済まされないわけです。此処に今日も尚、会社、企業は、建前と本音を使い分けている、即ち矛盾の楼閣の上に企業スポーツがある為、非常に不安定な状態であると申し上げる根拠があるわけです。

筆者の企業スポーツの経験から昔も今も企業スポーツの選手達は、「プロフェッショナル」です。その根拠は、会社、企業に本採用された社員であれ、プロ契約した選手であれ、彼ら彼女らは「各種競技種目別の身体能力と精神力、技術をパフォーマンスとして競技に於いて提供し、それにより生活の糧を得ている」事がプロとしての定義(Definition)を満たしているのであり証(Evidence)です。

しかしながら、本採用している選手達は、振り分けられた各社内の部署にデスクを持ち、オフシーズン中は週に何日か午前中数時間、デスクに座る事が義務付けられています。何故ならば、選手達の社内でのステイタスは一社員で在り、会社、企業の就業規則に従わなければならないのです。即ち、会社、企業には、プロ競技スポーツ選手の職種、職業は存在しないのです。よって、社員として入社した選手は、個々に配属された部門、部署にデスクを構え労務規定に従った勤務実績を残す事が義務付けられているのです。此の事から企業スポーツの国の管轄は、厚労省であるという次第です。よって、正しくは、企業スポーツにプロアスリートは存在しない職種と存在なのです。読者の皆様は、ご理解して頂けますでしょうか。

この様な企業スポーツに携わる選手、指導者、関係者の実態は、まぎれもないプロと申し上げます。採用時のステイタスが社員である事は、競技スポーツを終了した後、社の一般社員としての雇用を担保するための条件なのです。此の担保は、個々の選手の判断で何時でも放棄出来るのです。

企業スポーツとは、日本独特な会社、企業内でのグレーな競技スポーツ文化と申し上げる次第です。これはまさに日本文化の縮図のようなグレー社会の一例でないかと筆者は思えてならないのです。此の事から、会社、企業の経営者は、企業スポーツを認め運営、管理を維持する限り「企業スポーツはアマである」との姿勢を一貫しなければならない根拠が此処にあるのだと思われます。

4.企業スポーツに光を

現実的な問題として、我が国の会社・企業スポーツの崩壊は、将来の日本のオリンピック選手、代表選手達の生活の糧が奪われることなのです。即ち、競技選手達の将来の職場即ち生活の場が無くなる事であることをどれほどの関係者達が真剣に理解しているのでしょうか。

昨今では、大学競技スポーツの在り方で日本版NCAAの設立の必要性は、大学スポーツで金儲けを趣旨、目的とした利権構築が声高に騒がれてきていました。しかし、つい先日は、この日本版NCAAの看板を外し、中身も方向転換するような告知がマスメデイアを通してなされているようです。

筆者は、本K'sファイルを通して日本の大学競技スポーツがNCAA(全米大学競技スポーツ協会)の真似をするには100年早いと申し上げて来た次第です。何故なら、小生は、長年米国大学に於いてこのNCAAの代表者の1人として実務の経験をして参りましたので、日本の大学競技スポーツ、指導者、管理者、大学教育機関及び日本の伝統的な環境、問題を十二分に理解し、承知しているからです。

この衰退していく企業スポーツの現実に何故、手を差し伸べようとしないのでしょうか。企業スポーツは、これからの学生選手が競技スポーツを卒業後も、継続維持する為には生活の糧として必要不可欠なのです。会社、企業が企業スポーツを持つメリットを段々と無くしている現在、これらの学生選手達、トップアスリート達は、これからどうやって生き残ればよいのか、日本の未来の若い選手達を非常に憂えてなりません。

今こそ国家のスポーツ基本政策、方針を真剣に討議、検討して、次世代の我が国の競技スポーツの在り方、育成、運営の指針と財政の確保を致さなければ手遅れとなると思われます。しかし、オリンピック招致に心血を注がれた方々には、このスポーツのCOREである選手達の将来の生活など誰も心に留める方々は居ないようです。

この伝統ある企業スポーツ衰退に歯止めがかからない現状を早急に精査、検証し国として主体制をもったリーダーシップを発揮、構築しない限り会社・企業スポーツの未来に希望の光を導き出す事は難しいと思われますが、読者の皆様はどのように理解されましたでしょうか。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 お知らせ:

 多くの読者の皆様にとりましては、企業スポーツの実態や抱えている問題点を、認識頂けたのではないでしょうか。次回NO.75は、まとめを予定致しております。時事の話題で急遽変更する場合もありますので、ご了承下さい。

 

K’sファイルNO.73:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

KsファイルNO.73:日本独自の会社・企業スポーツと文化 無断転載禁止

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 第一弾忘れられた企業スポーツとその価値

 

企業スポーツ無くして東京五輪は成立しない

先ず初めに

2020東京五輪が、もうすぐやってきます。大会が近づくにつれ、今なお多くの問題が山積している様子が伺えます。この回のテーマは、企業スポーツに付いて取り上げてみました。その理由は、競技大会(スポーツイベント)のCOREは、選手であります。その選手達のトレーニング、生活を支えているのはいったい誰なのでしょうか。マスメデイアはほとんど語ろうとしません。このことにより、国民、社会、突き詰めれば競技スポーツのファンでさえ、全くと言ってよい程、理解がされていないように思われます。

各競技スポーツ団体は、主に大会に代表選手を招集して主催、運営をしているだけであります。しかし、選手達、指導者達の大多数は、会社、企業に所属して競技スポーツをしながら生活の糧を得ている。即ち、一般的には、会社、企業が、選手達や、指導者達をサポートしていることの理解と認識が、世間的には余りにも低いのでないかと感じるからです。

また、会社、企業及びそこに所属する選手達は、登録先の実業団連盟、実業団連合と言う組織・団体によって運営、管理されています。中央競技団体のみが常に前面に出ていますが、実は企業スポーツを長きに渡り組織して来ているのは、実業団連盟、連合である事も是非ご紹介して於かなければ彼らの日々の努力が浮かばれないでしょう。そこで、この度は、企業スポーツとその価値をテーマにお伝えできたらと思います。選手及び関係者は、所属会社、企業に対する感謝を胸に競技して欲しいと願わずにはいられません。

筆者と企業スポーツの関係

筆者は、1985年から2005年迄20年間、NEC日本電気(株)に於きましてNEC SPORTSを設立、スポーツ・アドミニストレイターとしての職責を賜り、遂行させて頂きました。NECでの20年間は、小生の人生の中でも日本の企業スポーツを直接的に運営・管理する上で、この上ない経験と体験をさせて頂いた時期でした。この期間に得られた実践体験は、日本の企業スポーツ界の実態に加え、大学、高校の競技スポーツ、スポーツ競技団体との関係者、等と会社・企業との関係、関わりを学べ、大きな財産となりました。米国には、企業スポーツが存在しませんので非常に興味深い20年間でもあった次第です。

NEC SPORTSを支援、応援して下さった社内の多くの社友は、素晴らしい方々でした。このような会社・企業で在りましたので、微力ではございましたが会社側が望む成果と結果を出させて頂けたのだと誇りに思っています。

この場をお借りして協力、支援して下さいました方々に心よりお礼申し上げたいと思います。また、NEC SPORTSに「NECロケッツ」と命名させて頂きましたことを此処にご紹介させて頂きます。(当時の強化スポーツテイーム:ブルーロケッツ男子バレーボール、レッドロケッツ女子バレーボール、女子バスケットボール、男女陸上競技、男女テニス、グリーンロケッツラグビー

 

1.日本の企業スポーツとそのバックグラウンド

 我が国の企業スポーツは、世界に類を見ない独自の競技スポーツの形態と文化を擁しています。他国に於いては、日本の競技スポーツを手本にして韓国、台湾でも始りましたが、今は殆どがプロ化の形態に移行しているようです。

現在の企業スポーツの前身は、戦後国の復興を目指した第一次産業(生産)の目的を達成する為に国民の体力の向上のみならず精神的な鍛錬の場としても設けられ戦前、戦後の重い過去の歴史を継承し現在に至っています。会社・企業に於きましては、社内の生産力の向上を目指していた為に産業体操なるものが中心となって始められた歴史があります。産業体操は、今日のスポーツを分類しますと専門的には健康、リクレーションスポーツの要素を多く取り入れた指導が導入されていたようです。

その後第二次産業(大量生産)が奨励され1960年代からは、機械化の導入に伴い大量生産時代へと導かれ高度成長へと突き進んでいったのです。スポーツ界においては、戦後復興の象徴として1960年に東京オリンピック大会招致成功、1964年の開催国として国家を挙げて世界に国威を示す機会を得ることになりました。ここに初めて国家の方策として競技スポーツの育成と指導、強化が前面に打ち出されたのでした。その現場の選手育成、指導の場として当時は、各生産企業(紡績、製鉄、製紙、等)にその育成を要請、委託されたのです。

現在の企業スポーツは、ここに本格的企業における競技スポーツとして産声を挙げたのです。これら各生産企業は、競い合って各企業独自の競技種目を選択、設立し競技スポーツとして指導、育成され、やがて運営、管理されるようになりました。各会社・企業、選手、指導者達は、当時設立された代表組織・団体として日本実業団連盟、連合に登録し連盟、連合が組織運営する競技大会に出場することになるのです。

その会社・企業スポーツの主な競技種目としては、バレーボール、陸上競技(マラソンを含む)、柔道、バスケットボール、ハンドボール体操競技教育機関)、水泳、サッカー、レスリング(教育機関)、等々と華々しい成果と結果を残して1964年オリンピック東京大会の成功と共に終了したのでした。

その後時代が進むにつれ、会社・企業の形態は、生産から第三次産業としてサービス業が加わり、企業スポーツに於きましても新しい時代のコンセプトの基に新しい会社・企業が参入して参りました。

2.1964年オリンピック東京大会後の企業スポーツ実体

その後オリンピック東京大会を引き継いだ形で日本オリンピック委員会(略:JOC,各中央競技団体(略:NGB)をアマチュアの統括競技団体として、その下部組織として全日本実業団連盟、連合、大学、高校、中学の各組織団体が設立され今日に至っています。

この企業スポーツは、日本のアマチュアスポーツの根底を支え、その後のオリンピック、プロスポーツ競技に多大な貢献をして参りました。また、今日まで、各会社・企業の協力と支援の下に全日本実業団連盟、各地域・地区の実業団連合は、日本のオリンピック・スポーツに多大な貢献と支援をしてきた組織・団体であります。

しかし、国民、社会、スポーツファン、関係者の間でもこの実業団組織の存在と貢献を正しく理解している人は少ないと思われます。現在も本組織・団体は現存し活動をされていますが、企業スポーツの衰退と同時にその存在も希薄になってきているのも事実です。

競技スポーツを抱える会社・企業は、各競技スポーツに選手のみならず会社テイームとし全日本実業団連盟(会社・企業のスポーツテイーム及び選手個人として加盟登録が義務付けられている組織団体の名称)と中央競技団体に加盟登録しなければならないのです。国内スポーツ競技大会は、各中央競技団体が組織運営している大会と実業団が組織運営している競技大会及び、共催で運営・管理している大会とが存在します。今日においては、各競技大会及びその内容がマスコミメデイアによって大きく取り上げられる競技大会(例:実業団ニューイヤー駅伝、男女バレーボール大会、柔道、都市対抗野球、等々)と全く結果すら取り上げられない競技大会があるのも現実です。

この企業スポーツの発展は、日本の戦後企業の発展と国の復興に大きくかかわり、今日を迎えています。戦後企業の再建と構築が叫ばれ、国策として企業の発展が第一に位置づけられていたと言っても過言ではありません。これに伴い国民の体力、健康、教育においては、呼び名も教練から訓練へ、そして体育へ、トレーニング、コンデイショニングへと移行して行った事もこの企業スポーツの歩みと深い関係があります。

教育の場においては、戦前、戦中の教練から体育へと移行されたのですが、戦後長くある意味と形で今尚この教練時代の暗い影を21世紀に継承しているのがこの日本のスポーツ界の現実であることも見逃せません。よって、今日、日本社会に於いては、体育とスポーツと競技スポーツを混同してしまった原点が此処に起因している様子が伺えます。この事については、また別の機会でご紹介させて頂きます。

3.企業スポーツのコンセプトとは

今日の企業スポーツのコンセプトは、各会社・企業の歴史と伝統によって大きく二つに分類されると思われます。その1つは伝統的な企業の運営・管理の継承であり、もう1つは、新しく設立された会社・企業コンセプトに基づいた運営・管理であります。

日本の会社・企業の多くは、伝統的な企業コンセプトと体質を基本的に戦後から今日まで維持し継承してきています。企業スポーツを抱える会社は、生産を目的にしてきた企業であることです。この事実から企業及びその関連会社においても、主に会社内部の中枢に位置していたのは、勤労部、人事部、総務部、厚生部と称された労働者を直接的に運営・指導・管理していた部門、部署が大変力を持っていたのも事実であります(現在では、殆どが支援部と名称変更)。よって多くの企業スポーツを統括管理してきたのは、各会社内でこの管理中枢部門が多大な貢献をなしてきたと申しても過言でありません。

前者は、主に日本の伝統的な生産会社・企業であり、「スポーツを主に社員の士気高揚、会社の連帯感、忠誠心、シンボル、等」をそのコンセプトの中心にした巨大な企業です。

後者は、大変柔軟な対応要素を持った会社・企業で、スポーツを会社・企業の広報宣伝、及び商品の宣伝、イメージアップとしています。

元来、各企業とその関連会社は、会社に対しての生産の向上と勤労者の共通の話題を提供することによるモラルの向上、国内における知名度の向上、また、企業の地域社会への貢献と還元、等を主たる目的として大切に維持されてきました。

 4.企業スポーツと世界の競技スポーツ界の動向

世界のスポーツ界は、1984年のオリンピック・ロスアンゼルス大会を機に大きく変貌したのです。即ち、それまでのアマチュアリズムは、選手、指導者、競技、大会、及び運営に至るまで一切のコマーシャルスポンサーからの金品の授受があってはならなかったのです。

しかし、80年以降は、伝統的な「オリンピック憲章」が改正されて、プロ選手の出場が認められると共に、選手も大会もスポーツをビジネスとして自由に活用、運営できるという画期的な大会がロスオリンピック大会でした。その世界的な流れの中で日本企業(製品と企業名の広告宣伝を目的とした)は、世界の企業に先駆けていち早くこのロスオリンピック大会に日本の広告代理店の仲介により参加したことは本K'sファイル(NO.41~45)でお伝えした通りです。

この大会を境に日本における国内アマチュアスポーツは、その後それまでの習慣・慣習を脱しきれず選手、組織・団体、企業、マスメデイアもストレスフルな時代が暫く続きました。しかし、内外の現実と状況はいかんともしがたくあらゆる方面から日本も世界の流れへと動かざるをえなくなった次第です。

先ずオリンピック・競技スポーツを国内で統括する日本オリンピック委員会JOC)は、自らの権益を確保する為に法人化し、選手の個人の権利を奪ったのです。即ち選手は、自らの肖像権をJOCに奪われたのです。その後、選手登録、管理をしている各競技団体もJOC同様に各団体、所属選手、及び指導者の権利を独占することでそれまでと同様な利権構造を強固にして権力の集中を図ったのです。

此処で大きな矛盾が生じたのは、その選手の大部分が企業スポーツ即ち選手個々が会社・企業に所属しており、選手は所属企業にも権利があることを所属団体及びJOCは全く無視してしまったのです。

また、企業スポーツ選手は、全ての企業スポーツの統括団体である実業団連盟に属していますが、実業団連盟は、各競技団体との力関係からか何もアピールできず、容認してしまったのが現実でした。それにより選手及び選手を抱える企業は、JOC及び各中央競技団体の権利主張に対して誰もプロテクトやアピールをしなかったのです。

これは、まさに日本社会の悪しき伝統と風土と申し上げます所の、お上に盾を突かないという建前からか、個人の自由な権利と会社・企業の権利を放棄して、お上に対しては誰も反論すらしないという企業側の姿勢に当時筆者は驚いた記憶が鮮明に残っています。

この起源は、恐らく1960年ごろに国の政策、施策により競技スポーツを強化するため、会社、企業に指導、育成の通達があって以来連綿続く不自由な伝統が主従関係を生み出している証であると筆者は理解致した次第です。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター 

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:

NO.73は、日本社会に於いて今忘れられようとされている企業スポーツをテーマとして取り上げました。若い世代の競技スポーツに取り組んでいる方々には、是非このブログを読んで頂き、企業スポーツの必要性と重要性を是非理解し、感謝の気持ちを忘れないことを切に願う次第です。NO.74は、引き続き第二弾を掲載予定しています。

K'sファイルからのお知らせ

お知らせ:

1102日、木曜日のK'sファイルNO.73は、

日本独自の会社・企業スポーツと文化に付いて述べさせていただきます。

第一弾 忘れられた企業スポーツとその価値

「企業スポーツ無くして東京五輪は成立しない」をお送りします。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

K’sファイルNO.72:2018秋読売劇場開演  無断転載禁止

K’sファイルNO.722018秋読売劇場開演  無断転載禁止

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東京読売ジャイアンツの最高経営者(略:CEO)

 注:NO.72は、読者の皆様からのリクエスト「筆者がTYGCEOなら球団の現状現実  をどう再建するか」についてお答えしたいと思います。結論から申し上げますと、目先の監督、スタッフの首のすげ替え形式的なものではなく、構造的問題の改善、改革の必要性から先ず手を付けたいと思います。差し障りの無い範囲内で述べさせて頂きますので、悪しからずご笑読頂ければ幸いです。

1.球団組織の構造的な問題を先ずオーガナイズすべき

先ず、球団最高経営者として今与えられた時間内で最初に行うべきことは、経営部門のアゼンダ(取り組むべき課題)は別にして、商品を生産する編成部門の立て直しを如何に迅速且つ将来を見据えたシナリオにできるか、それを描く事です。

その手始めとして、過去5年間の球団編成部門に関わる各部署の担当責任者の業務報告書の存在の有無を確認(筆者の経験からこのような物は球団には皆無と推測)、あるのであれば各責任者に各年の要旨をまとめて報告をさせることです。無いのであれば、過去3シーズン分を各担当責任者に業務として、書かせ提出させる事です。報告書の書き方、統一されたフォーマットを指導する。

フィールド部門に関しては、テイーム、個々の選手、監督、スタッフに関する編成部門の現場責任者から報告書の有無の確認や、スカウト部門、国際部門、FA移籍、戦略、戦術の確認と、人材の適性、故障者の経過リスト、医療体制、等の整理と報告書の作成を指示する事が重要です。そして、それらの資料を短時間で提出させ、プライオリテイー(順番)を決め、各年のスタッツとの照合作業及び精査と検証を図ることです。これにより何処に欠陥があったのかが一目瞭然です。口頭での報告では、責任の所在がないので“NO”です。

同時に並行して行わなければならないことは、現在の球団、テイームの再建に関わる指針を明確にすること。これが最重要課題であると思います。誰を監督、コーチングスタッフに招聘するか否かは二次的な問題なのです。人事に入る前に2週間もあれば新プロゼクトに必要な最低限度の準備が整います。本来ならば、シーズン終了1カ月前に報告書の提出を義務付けるべきなのです。

しかし、この度新オーナーが着手された手順は、真逆な首のすげ替えが大改革との認識が誤解を招いています。指導者の顔ぶれを新たにすることに重きを置いたようです。

指導経験の無いプロの指導者、そして不向きな人物を大勢招き入れることは、一層のリスクを伴います。何故長年指導して来た指導者達に此処に至った原因を業務としてレポートを提出させないで解雇、解任するのか。実質彼らとの契約は、本年度末まで残っているのです。どうしてこのような無駄な運営、管理をするのか理解に苦しみます。長期に渡って指導者が得た指導に関する財産を球団経営者は、いとも簡単に結論も得ず放棄するとは信じられない球団経営、運営、管理をしているということです。また新しく雇用する指導者達は、エキスパートとして、どのようなスケールで採用の判断基準とされたかも重要なポイントです。ただ頭数を揃えたようにしか筆者には思えてならないのです。

最重要課題として、CEOは、これからジャイアンツをどのような球団テイームに改善、改革して行きたいのか、また行くのかの基本方針をまとめ告知することです。何故なら、球団に一番必要且つ大切なのは、ジャイアンツ・ファンに対してファンが安心できることであり、また夢を持てる指針と目標を明確にする事です。そしてその裏付け説明が必要で、その情報を公開する事が大事です。この作業を行うことで、ビジョンが明確になり、それに沿ったシナリを完成する事が出来るのです。

この指針を明確にしない限り、これから進む東京読売ジャイアンツ(略:TYG)の未来は、社会、ファンからの信頼回復が難しいと思います。つまり、現在のような「俺たちは球場に足を運ぶファンにジャイアンツ戦を見せてやっているんだ。ファンはプラテイナテイケットを買わせて頂いています」の主従関係の時代は終わったという意味なのです。何故必要かと申し上げますと、プロ野球球団は、一新聞社が新聞拡販目的の為に道具として使う(ビジネス)コンセプトの時代でないと言うことです。また公益法人ではなく私企業体で独立したビジネス組織なのです。球団はファンを先ず大切にする姿勢が大事だと強調したいと思います。

読者の皆さんは、球団株主の読売新聞社・最高経営者が過去に、球団経営陣、監督、等は、社内人事であると公言されたことをご記憶されているかと思います。嘗て球団は、「株式会社よみうり」という会社の一事業組織としてTYGがあり、その中に他の地方の各読売新聞社も連結で組み込まれていました。よって、読売新聞社の最高経営者は、TYGが「株式会社よみうり」の中に属する一事業所として長年位置付けていた関係で、退任した監督を何らかの役職で残したり、緊急時に復帰させる為に抱えたり、個人的な不祥事、不都合を持つ監督を静かに球団内に寝かしたりしたため、球団内の人事を会社内人事だと公言してはばからなかったのだと思います。

しかし、近年は、独立した株式会社法人として経営、運営、管理がなされている筈なのです。よって球団内の経営、運営、管理も新聞本社とは、切り離したビジネス・アドミニストレーションを取り行うことが正攻法でないかと思う次第です。このスタンスが明確になって初めて、本来のプロ野球球団としてあるべきベースボール・アドミニストレーションの基盤が整うのです。

2.球団最高経営者(CEO)がやるべきこと

近年の歴代オーナー発言を拝聴致しておりますと、今日も尚「株式会社よみうり」時代の一事業所感覚で捉えられ、独立している株式会社組織として思考されていないところが、いつまで経っても球団組織の背骨が見えない所以なのかと思ってしまいます。

此れでは、近年の与党自民党の組閣人事の模倣に過ぎない様に思えてならないのは、筆者だけでしょうか。マスメデイアを通して表面に出てくる報道からは、全くベースボール・アドミニストレーションの基軸となるべき球団の経営方針及びそれに伴う球団のテイーム作りに対するコンセプトが見えてきません。

その理由は、球団組織としてのアドミニストレーションに大きな問題があるからと思われます。

球団に於けるベースボール・アドミニストレイターは、誰なのか、どのような職責、責務なのかを先ず明確にされた方が賢明です。そして、その球団統括責任者は、球団社長なのか、代表なのか、GMを置かないのであるならばそれに代わる球団編成部門を統括する責任者の肩書、契約年数、業務に対する責務を明確にする事です。球団の最高責任者は、フィールド監督をアナウンスする以前に球団編成統括責任者を告知する事が重要な手順であり、アドミニストレーションの鉄則なのです。

そして公表された球団編成部門の統括責任者は、自らの初心を公に告知する事がプロとしての業務の第一歩となります。球団経営者から託された経営やテイーム再建を描いたビジョンの表明と、その計画の下に遂行して行く事を宣言し、プロのGM的役割を担う編成統括責任者としての大きな業務と使命のデビューになるわけです。

編成部門の統括責任者の宣言後、「現テイームの戦力を分析した結果、今後3シーズンに於いてビジョンと計画を遂行する為に必要とする次期監督は、複数の候補の中から○○監督が適任として球団最高経営者に推薦させて頂き、オーナーより了解を得たので、今日ここに発表させて頂きます」とこれがプロの球団組織としての準備と手順では無かったでしょうか。今オーナー自ら公表、着手する手順、内容は、大局の視点から見たシナリオに沿ったものではなく、目先のパズルを埋める作業にしか見えないのですが、如何でしょうか。注:CEOChief Executive Officerの略)

3.この度のTYGのオーナー発言と告知に疑問

この度のTYGの高橋監督辞任発表と同時にGM、スカウト部長、等の去就が公に出たり、次期監督名が出て来たり、CS終了翌朝に既にコーチングスタッフの名前が非公式にだらだらと壊れた蛇口から漏れ出したような状態では、プロ組織のベースボール・アドミニストレーションとしての体を成していない様に思われます。これは、丁度私が1993年秋に当時の球団、テイームの調査をしていた状態に酷似しています。TYGの広報担当責任者の資質が問われてもしかたない現状を露呈しているように思えてなりません。読者の皆さんは、公式発表もない時点で何故このような報道があちこちから漏れ聞こえるのか、おかしなことをやっているなと思われている事でしょう。これでは、プロと呼べない。

親会社の最高経営者としての重責を担っているオーナーは、いちいち球団の個々の人事についてスポークスパーソンとして登場する必要はないと思います。オーナーたるや、読売新聞社本社の社長室でド~ンと構えられていればいいのではないでしょうか。

ベースボール球団の経営、運営、管理において能力有と洞察された人物に対して面談、身体検査を行い、本人が興味ありとの意志表示をすれば、球団経営者会議の場で本人にプレゼンテイションをさせ、質疑応答を経て賛同を得られれば、オーナーが任命するべきであります。オーナーは、球団統括責任者として契約を行う。そして、契約期間中は、全ての職責業務を任せる度量が無ければ東京読売巨人軍CEO、オーナーは務まらないと思います。このようなスタンスと理解では、いつまで経っても本球団の混迷、迷走は続き、不祥事が今後も永遠に不滅となると思います。勿論、テイームの成果と結果も最高経営者の思惑通りには、行かないという事です。

4.日本のプロ球団で成功している例

この点、日本のプロ野球界の中で成功している球団と筆者が評価するのは、福岡ソフトバンクホークスです。ホークスのオーナーは、球団個々の人事、組織、経営、運営に対して金は出しても一切口出しはされず、常に距離を置いています。球団には全責任を自身が任命した統括責任者を置き、その統括責任者が球団内で起きる諸般の問題に対する判断、処理、決断をして、最終的に球団オーナーの決済を仰ぐシステムが機能しているように見受けられます。

この組織構造とシステムは、日本の伝統的な球団と親会社の関係に於いて大変珍しい合理的且つ責任体制が明確なプロ野球球団の構造とシステム体制であると思われます。このようなCEO、オーナーが真の器の人物だと筆者は確信している次第です。

よって、外部から招聘した役員、専門職、等に対する対応、対処の仕方は、契約雇用制度を有効に活用して、不要な人材が負の遺産とならない為にも、球団組織に不利益を与えた、与えるであろうと統括責任者が判断した時には、スパッと削ぎ落とす判断や決断をする所が成功の秘訣です。社内人事、お仲間集団、お友達集団を形成させないところが現在成功しているベースボール・アドミニストレーションであり、アドミニストレイターの成功例ではないかと思われますが、如何でしょうか。

5.TYGは全員契約雇用制度を徹底すべし

球団組織内の責任体制が、優柔不断な体制、体質である事は、球団フロントのみならず、現場(フィールド)に於ける監督、スタッフ達も同様で各コーチの肩書があっても何故かジャイアンツの各担当コーチには、責任が問われない問わない体質があるのです。選手指導に於いても肩書の異なる指導者が口出し、越権行為をしてもフロント担当者も監督も見て見ぬふりをしてその選手及び担当指導者にも不利益を与え、潰してしまうか、他球団に逃げられるのが現実なのです。現場の監督が個々の指導者達の肩書通りの業務をさせて挙げられないのは、監督自身にトータルマネージメント力が無いので個々の指導者の能力も引き出せないと判断するのが妥当です。

このような現実にフロント球団の体質も同様なので、誰もがコーチ達のいい加減な業務を、見て見ぬふりをするので一貫した指導体制が取れない大きな問題の要因が此処にあるのです。

球団経営者は、現場で行われている現実を知る由もないので、「指導体制を一元化して横断的な指導を行う」等とよく聴くセリフです。しかし、これ程無責任且つ抽象的な表現は、勝負の世界で通用する事はないのです。それでは、何故個々の指導者、コーチに肩書を与えるのか、与えられたコーチの責務は誰がどのように何を基準に評価、査定されるのか。よってコーチに対する査定も無く、全員1年契約なのです。監督を含めて全指導者は、総合コーチの肩書で担当肩書は無用だと思います。このようなコンセプトでは、プロスポーツの組織として成り立たないのです。

球団の貴重な財産である選手個々は、誰の指導を受ければよいか、誰の言うことを聴けばよいのか、これでは選手に対しても指導者に対しても責任の所在がないので、誰の言うことを聴いておけば試合に出してもらえるのか、良く思われるのかと世渡りを指導しているようなものが現実に現場で起きていることを全く理解できていない経営者の発言なのです。

しかし、MLBの球団組織と日本のプロ野球球団組織とは、根本的な違いがありますので、CEO,オーナー制度の比較対象になり得ません。この違いに付きましては、機会が在りましたらご紹介します。

6.オーナーは自身の発言に責任を持つ事が大事

この度の球団内の編成部門に関わる人事を球団のオーナー、読売新聞社社長がスポークスパーソンになり、広報責任者がやる業務に口出しするのは如何なものでしょうか。

前回の「まとめ」で既に述べさせていただきましたが、この状態に於いて、先ず刷新されるべき大事は、読売新聞社TYGは、独立した別法人としたのですから、実質的に伝統的な天下り人事を行うのでなく、球団経営陣の過半数読売新聞社及び関連企業役員とされても、残り役員を外部から招き入れ、球団をこれから支える真に実力のあるエキスパート達(ビジネス部門、医科学部門、渉外部門、国際部門、広報部門、等)を厳正な審査の上雇用して実力主義に雇用体系を改善する事が、本球団の活性化と将来の発展の為には、重要不可欠なベースボール・アドミニストレーションの基本だと確信しております。

この球団は、この骨格が非常に不透明で優柔不断な人材の集合体である事から、全てのことがフェアーでなく、最終的には責任のなすりつけ合いが生じ、不都合な結果に対しては誰かをスケープゴート化する体質が絶えない球団組織となっていると思われます。

即ち球団内にデイシジョンメーカー(球団内で起きる全ての決断が出来る決定権者)がいないのです。これは、スポーツ・アドミニストレーションの視点から申し上げますとプロスポーツ競技組織としての致命的な最大の弱点であると思います。

このような球団組織では、日々勝敗が決まる組織に於いて対応が仕切れないと申し上げている次第です。球団内の各責任者達が、自身の責務を遂行するに当たり、いつも読売本社の顔色を伺いながらの日々の仕事では、話になりません。このような人材ではなく、堂々と自身の職責、責務を敏速に遂行できるプライドを持った人材を配置、雇用しなければ競技スポーツの日々の勝敗に対応しきれないと申し上げるのが筆者の論理です。

どうか筆者の論理が利害、利得を優先される方々には、不快を与えたことを末尾にお詫び申し上げますと共に、ベースボール・アドミニストレーションのモデル球団として、日本の競技スポーツ界、大学競技スポーツ界のよき手本となるように心より期待し、そう願う次第です。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 お知らせ:大変厳しい辛辣な言葉を使用しましたが、本球団の立て直しには、避けて通れない最大の関門であることをご理解頂けましたでしょうか。本ブログが公開される頃には、既に新しい体制も発表されている事と思われますので、本BLOGをご笑読して頂きながら現実を対比して頂きますれば、物事の本質が透けて見えてくるのでないでしょうか。

K'sファイルNO.71:G高橋由伸監督辞任に思う 無断転載禁止

 

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K'sファイルNO.71G高橋由伸監督辞任に思う 無断転載禁止

 

        恒例の読売劇場開演の季節

若き指揮官のプロ野球人生の始まり、そして辞任

先ず初めに

筆者は、19971231日に東京読売巨人軍(略:TYG)を退任致しました。実質的には、確か1997918日の読売新聞社水上勉会長、渡辺恒雄オーナー、長嶋茂雄監督兼編成統括常務取締役の紀尾井町(日本料理店)での三者会談翌日と記憶しております(本件に付きましては、Gファイル、長嶋茂雄と黒衣の参謀、文芸春秋社武田頼政著に掲載)。小職が退任前の97114日に逆指名権を使って入団した選手は、高橋由伸選手(慶応大学)でした。そして、翌19984月に彼はプロデビューとなった次第です。

ビジョンなき球団の犠牲者

高橋由伸選手のプロ野球人生の始まりは、余りにも悲劇的と表現するよりは、むしろ異常な記者会見であったというのが適切かも知れません。本来プロ野球選手の入団会見は、おめでたい祝いの席の筈です。しかしそれが、物静かで品のよい高橋選手は、顔色は優れず、頬を少し腫らし、身体は震え、目を潤ませながら怒りとも思える感情で会見を始めたのです。それもそのはず、会見に臨む前日、前夜、そして当日の朝まで某ホテルの一室で父親と激しい葛藤を繰り広げたのが原因だったようです。野球ファンの皆様は、当然入団したかったヤクルトスワローズ球団にお世話になる選手だと想像されていたと思います。

当時、筆者は同年1231日でTYGとの契約期限が終了するため、同年のドラフト、逆指名、等に関わらず静観していた時期でした。よって、私のTYG在任の最後の年に、入れ替わりで彼は入団したのです。高橋選手が入団するまでの経緯、人間関係、出来事は、ある程度理解していましたので、今後、起きるかもしれない出来事に対しこの球団の誰が彼を守ってあげられるのだろうか、と今後を予測しながら後ろ髪を引かれる思いで退任致した事を記憶しています。プロ野球選手としての最後は、これまた自分の意思では何ともならない球団、親会社の論理で強制的な引退に追い込まれたのも御承知の通りです。

 監督就任要請は経営者誤算による副産物か

高橋由伸選手が、強制的に監督職を押し付けられたのが3年前でした。

此処で強制的にと表現致したのは、同選手には入団会見以来球団、読売本社からの要望であるなら「NO」が言えない事情が担保されていたのだと思われます。当時は、原辰徳監督の社会的な不祥事、事件が発覚後、グレーな球団イメージをさらに色濃くして行った不祥事、事件が選手達にも起きていた時期でもありました。その為、経営者は、一日も早く腐食したイメージを取り除こうとする焦りがあったのだと推測します。

球団経営者は、原監督の後釜にはずっと早い時期から松井秀喜氏を監督にとあらゆる手段を講じて準備されて来ていたのは皆さんもご推察の通りです。しかし、当の松井氏が首を縦に振らない状態が今日も続いている事から監督問題に付いては、行き詰まっていたのが正直なところだと思われます。

松井監督擁立プロゼクトの大きな誤算は、二つあったと考えられます。

一つは、天下の読売本社渡辺恒雄氏は、「俺が声かければ松井は受ける。そして欲しい物があれば何でもくれてやる」的な発想がその根底にあったと思われます。その例が、国民栄誉賞であったように思われます。また、此処は出番との如く、長嶋茂雄終身名誉監督と松井氏の間柄をやけにマスメデイアを通して誇張表現を用いていたことなども挙げられます。もう一つ大事な事は、渡邉氏及び、長嶋氏は、松井氏が2002年12月に東京読売巨人軍退団を決意した真意をよく理解されていないのでないかと筆者は推測致す次第です。

マスメデイアを利用しての不可思議

本件に関してマスメデイアは、長嶋茂雄氏と松井秀喜氏の関係性を事あるごとに「強い師弟関係」と強調し、TV、マスメデイアは商品化までしてしまっているようです。

そうであれば、何故長嶋氏は松井氏に「巨人に戻って監督をやれ」と言わないのか、その一言で松井氏は監督になっていたと思うのが自然ではないでしょうか。

私は、当時監督補佐を兼務させていただいていましたが、特に長嶋監督が松井選手を特別扱いした事も無く、全ての一軍選手達は、監督の支配下選手として平等に公私共に接していたことを確認致しております。時折、思い出したかのように遠征先のホテルの自室に呼び、バットを振らされている光景は確認していましたが、松井選手だけでも無かったと記憶しております。

松井選手は、自らの強い意志でTYG在籍中9年間(初年度を除く)、週3回、身体のメンテナンスとバッテイング練習、スローイング指導は、休むことなく市川繁之氏(PTPNF)に指導、ケアーをして頂いていました。これは、打撃コーチも野手コーチも勿論監督も公認でのことです。マスメデイアが長嶋、松井両氏の関係を取り立てて「強い師弟関係」と何故誇張するのか大分無理があるように思います。誰かがこの表現を捏造しているように思えてならならないのです。

この程高橋由伸監督は、監督就任して3シーズン終了前に辞任を申し出る運びとなりました。彼のプロ野球人生は、親会社であるマスメデイア企業の論理に翻弄され続けているように思えてなりません。一体高橋監督は、いつが来たら自由な身として解放されるのでしょうか。本球団は、今尚日本の古い伝統的な制度を活用しているのかも知れません。これは、何か一昔前にNHKでドラマ化された「おしん物語」を思い出さされます。

高橋監督は、前監督のような、巨人軍選手として前代未聞の女性問題、金銭問題、等の不祥事件を起こし、何のけじめも付けずに球団顧問として残り、高橋監督辞任発表の数日後に監督復帰を受託するような人物ではないと思います。

高橋監督こそ、TYGの模範となる信頼できるプロ野球人であると心から称賛致します。しかし、今後また前任者同様に球団の肩書を受けて、自由を拘束される立場に置かれるのであれば、高橋由伸氏の不自由は永久に不滅なのかも分かりません。それは、彼の運命(Destiny)なのかも知れません。

彼の優しさ故の悲劇

事の発端は、東京読売ジャイアンツ(略:TYG)入団時にボタンの掛け違いをしてしまったからではないでしょうか。当時の会見時の悲壮な様相が今尚、彼のプロ野球人生を狂わせた始まりであったように思えてならないのは、筆者だけでしょうか。

プロ野球人生の門出に高橋選手は、家族の負の遺産を継承したがために彼は負のデステイニー(運命)を背負い込むことになったようです。これは、最終的に彼自身の優しさが招いた身内内での出来事だったのかも知れません。既にヤクルトスワローズ球団への入団の意思を決めていたにも関わらず、その思いを反故にして、何を得たのでしょうか。以来現役時代から今日迄に彼の清々しい笑顔を見たことが無く、何か心の深層にいつも蟠りを持った表情が大変印象的な選手でした。人として、選手としては、素晴らしい人物に違いないと思います。しかし、いつもどことなく物静かで寂しさが付きまとっているような姿が印象に残っています。彼は、自分の意思では何ともならならい柵(しがらみ)に縛り付けられてプロ野球選手としての時間を過ごしていたような気が致します。彼の柵は、今後解き放たれるのか、自らの意志で解き放てるのか。是非、一日も早く自分の意思を自由に表現できる世界で羽ばたいて欲しいと願う次第です。これからの彼の動向が物語ってくれると思います。

天才打者としての才能 

高橋由伸選手は、幼いころから他の野球少年の多くがそうであるように、父親の強い影響を受けて野球に打ち込んできたと聞き及んでいます。

同選手は、日本のプロ野球界よりむしろMLB向きの選手であったと思われます。同選手は、巨人軍の伝統的なカラーに向いていなかったと表現した方が理解し易いかも知れない選手でした。何故なら彼は、幼いころから人から強制されたり、慣習に縛られて自身の意思を抑圧されたりするような環境、人間関係を嫌う性格だったのではないかと推測します。高橋選手は、自主性を主体とする球団色の強い球団、組織の方が彼の個性をよりポジテイブに伸ばせたと思われます。

巨人軍は、伝統的にコーチングというよりもテイーチングを主体とした球団です。プロと呼ばれる指導者は本当に限られ、多くの指導者達は教え魔と言われるような自身の経験、体験だけを選手に押し付けるタイプ、常に何か教えていないと気が済まないタイプ、怒鳴り声を出すのが良いコーチと思っているタイプで、休むこともトレーニングの一環であるという医科学的な知識の無い人達が多すぎる事です。これらの指導者のことを、筆者はよく壊し屋さんと呼んでいます。

高橋選手には、このようなタイプの指導者は必要でなく、何方かと言うと選手が聴きに来れば指導する、聴きに来るまで静観する。そして、その選手の個性を発展させるための得意な事をより一層得意にさせてくれるコーチング手法が向いていると思われます。

彼の天才打者としての才能は、スポーツバイオメカ(運動力学)とモーターラーニング(筋力学)からの理論と実践を既に中学時代に会得していたのかも知れません。

そのメカニズムは、「体幹のひねりを利用し、遠心力を活用し、自身のパワーを最大限にバットに集約し、バットのヘッドスピードをMAXに上昇させて、無駄な力を失わずにボールを強く、遠くに運ばす原理」を彼自身がこれを会得したのか、素晴らしいコーチングにより導き出されたか、或は相互作用からかも知れません。

この科学的な動作解析のキーポイントは、バットのトップの位置からスイングを開始する際に、下半身(特に骨盤)の始動を早める事で上体と下半身に感覚的なズレが生じることにあります。このズレが自然にコーデイネートできることで、無駄な力(Strength)を上体に入れずに合理的なハイパワーを安定供給できる論理なのです。即ち一般的に言われる「ため」と称せられるものです。

高橋選手は、この力学に合致したスイングを兼ね備えていた選手で、この「ため」を会得している事で、身体にもスイングにも無理、無駄無くボールを遠くに飛ばせ、ミート率も高かった訳です。残念であった事は、同選手の天才的なバットコントロールを支える身体のメンテナンス、コンデイションニングを行う専門家がいなかったのか、或は天才に良くある強い意識を持って学ぶ姿勢がなかったのか、向上心がそれほどなったか、故障が多発していた報道を聴くに付けて残念でした。ひょっとしたら、このスイングを維持する為の腹筋力と背筋力のバランスの維持を間違えられたのかも知れません。

松井秀喜選手と異なる点は、技術、身体のコンデイショニングの専門家の市川繁之氏(PTPNF)が居てくれたのと大きな違いがあったと筆者は、確信を持っております。

監督辞任の決断 

日本のプロ野球ファンは、敗けると監督に罵声を浴びせます。これは正しいマナーでありません。阪神も巨人も球団は、伝統的な体質です。

テイームが勝てない理由は、監督のみあるのではなく、大部分は監督を推薦した人、任命した人の責任なのです。即ち、球団フロントのツケと結果がシーズンの終了と共に訪れるのです。監督としての資質を見極められなかったのも、その監督を勝つ為にサポートできなかったのもこれまた球団フロントと経営者達なのです。勝ち負けは、これらの産物として理解された方が賢明かと思われます。

コミュニケーションは、サポートをする為の初歩的な一つのスキルなのです。また、コミュニケーションは、この積み重ねが信頼関係を構築するCOREでもあります。

高橋監督の就任後で、最も監督をサポートしなくてはいけなかった球団フロント体制、特に同監督擁立から一体となって邁進して来た堤辰佳GMをいとも簡単に切ってしまう親会社は、何ともし難い本球団の本質的な問題とお察し致します。

高橋監督就任以来、先日の辞任発表まで、同監督がダッグアウトで都度ポケットからメモ帳を取りだしメモしていた姿は、非常に同氏の置かれた立場と真面目な心情、性格を物語っていると思われます。監督は孤立していながらベンチでのメモ取は、何の為であったのか。

監督就任要請を本社から持ち込まれ、発表までに大変時間を要しました。舞台裏で会話が非常に長かったのは、何か選手時代のことで球団との事務処理に手間取ったのかも知れません。経営者達は、同氏を「裸の王様」で就任させ、このような結末に追い込んだ責任は計り知れないと思います。

プロの世界は、勝ちか負けしか結果として残らない。彼は自身に監督としてのトータルマネージメントを、自分が出来るか否かの判断する機会されも与えてもらえなかったのかも知れません。また、彼を監督にさせた球団経営者は、彼にトータルマネージメント力が備わっていると思われたのでしょうか。私は、そのような眼力がある経営者が居たのであれば、このような事態に陥る事は無かったと確信します。

同監督には、ベースボール・アドミニストレイターを付けてあげなかったのか、或はそのような配慮、気配りができる経営者が1人もいなかったのかも知れません。その為に堤GMより鹿取義隆GMの方が仕事が出来ると判断されたのか、その判断された方自身がベースボール・アドミニストレイターとしての観察力、洞察力が欠落している人物であったという事でしょう。いずれに致しましても、高橋選手は、監督就任をお断りしたかったが、経営者の論理がその何倍も強かったので断れなかった、というのが就任、辞任の真相なのかも知れません。

まとめ

この度の高橋由伸監督辞任に際して、山口寿一オーナーは「やはり監督経験者で無ければ無理だと言うこと」と述べられました。これは、高橋監督自身は辞任と言っていますが、事実上の解任と理解した方が正解である事を裏付けていると思われます。そして、このオーナーの発言は、今後禍根を残す一言にならない事を願う次第です。

今や、日本プロ野球界では多くの球団が、未経験の監督を擁立しています。この度の山口オーナー発言は、今後TYGでは監督未経験の人材にはオファーは行わないと宣言されたように思いました。

本来、1軍監督は、現役選手引退後2軍、1軍の指導者経験を重ね、社会経験の機会も与え、人心掌握が出来るスキルを要した人物が適任者です。しかし、日本のプロ野球界は、そのような育成システムも無く、経営者は、現役時に人気のある選手を営業優先で監督にさせる慣習を伝統的に継承していると思います。

高橋監督は、監督就任から辞任までの間、本当にお気の毒なぐらいに彼の手足を球団フロント、経営者が引っ張ったのでした。監督就任後、球団フロントは、堤辰佳GM体制で新監督を迎えました。そしてスタートと同時に選手達の賭博事件、傷害事件、窃盗等での逮捕、等々とそれに対する球団内での老川祥一オーナー、堤GM辞任で読売劇場は留まるところを知りませんでした。そして、昨年6月鹿取義隆GMの就任に続き、本年度は山口オーナーの誕生と落ち着く暇も無く、この度の高橋監督辞任劇、それに伴う鹿取GMの解雇、岡崎スカウト部長の解任とこれではプロ野球球団組織としての体を成していない見本市の状態です。

このような組織の最大のウイークポイントは、プロフェショナルのベースボール・アドミニストレイターが居ないということであり、まさにその事が白日の下に証明されるわけです。球団の経営、運営に対するビジョンが無いために、毎年ジャイアンツ丸は、東京竹芝桟橋埠頭を出奔するのですが、いつまで経っても羅針盤が無いので有視界での東京湾めぐりは出来ても太平洋の航海には出られない状態と説明させて頂いた方がよく理解できると思われますが、如何でしょうか。

筆者は、山口新オーナー誕生に伴い、旧態依然の淀んだ政事、人間関係、人材の整理と整頓、プロフェッショナルな人材の育成と配置を期待致しておりました。しかし、現実のアドミニストレーションは、期待を致しましたベースボール・アドミニストレーションではなく、会社内の人事異動を恙なく取り行っているように思えます。山口新オーナーは、今尚主筆渡邉恒雄氏のご意向を伺いながら政事を司り、外向きには長嶋茂雄終身名誉監督のご威光を活用しながら「調整役」を演じ、あちらに伺いを立て、こちらの了解を得るという実際は秘書的な役割のオーナー職なのかも知れない事が、彼の言動、行動から透けて見える次第です。

筆者は、山口新オーナーの時代には読売新聞社東京読売巨人軍との間での伝統的な天下り人事を行わないことを強く要望します。そしてまた、真の独立したプロフェッショナルな競技スポーツの組織・団体としてのグローバルスタンスで、勇気を持ってビジネス・アドミニストレイションを断行して行く絶好の機会とタイミングであると思います。山口新オーナーは、筆者の真意が本K’sファイルを通して伝わる事を切に願う次第です。ご健闘を祈っています。

高橋由伸氏とご家族に平和と自由が訪れますことを切に祈念致しております。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:本K’sファイルでは、東京読売ジャイアンツをテーマにしたベースボール・アドミニストレイターとしての視点で掲載させて頂いておりますのでご笑読頂きますとより深層が理解され易いかと思われます。ご参考までに、NO.59,60,61,62,63をご参照下さい。