K’sファイルNO.120:日本文化に「観るスポーツ」が定着する日は訪れるか
無断転載禁止 毎月第二、第四木曜日公開予定
読者からの便り~
河田弘道 様
K’sファイルNO.119を拝読させて頂きました。バレーボールもラグビーも観て楽しんでおりましたのでK’sファイルを読みながら今迄の山積した日本の競技スポーツ界の疑問点が氷解する思いでした。先生の論文は、読みやすく解りやすく毎回我々指導する立場である者にとってすら全く気付かない、また知り得ない本質をズバッとご指摘下さって反省ばかりの日々です。ましてや、一般社会人にはなおさらだと思われます。ご提供下さる論文は、スポーツ界、スポーツの根幹であるべき本質を解りやすく専門知識を付与して下さる事に感謝致しています。今日のマスメデイアの記事、論調とK’sファイルをいつも読み比べていますが先ず迫力が全く異なり、先生の論文は読者を引き寄せ、吸い込まれて行く違いが最大の特徴であると思います。新聞、デジタル版は、先生の論文を掲載された方が読者を獲得されると思います。有料で読ませて頂くと思いますので無料還元は勿体ないです。
書き手の専門性、キャリアによりこうも内容の深層が異なるものかと毎回驚嘆とショックを受けています。このような貴重且つ重要なご指摘、情報は、我々国民のスポーツに対する知識が向上するのみならず、先生が常に申されている「共存共栄の為のフェアネス」の大義に辿り着く「礎」となると思います。一日も早くスポーツと体育との今後の指針に付いて、大学で指導する教員達、専攻する学生達の為にも教科書を提供して下さる事を我々は心待ち致しております。各学会での発表、寄稿文は、実践に繋がる内容の代物でなく点数稼ぎの類ばかりです。先生が日本にスポーツ・アドミニストレイション学会を立ち上げて頂き、大学の現場に復帰して欲しいと心ある有志達が待ち望んでいます。ご無礼をお許しください。大学教員より~
目次
スポーツ観戦には基礎知識が必要不可欠
1.今日のスポーツは我々の生活のパーツ
スポーツの魅力とは
①観る魅力:
②観られる魅力:
★米国人と日本人の違い
★武士道精神の稽古と競技スポーツのトレーニング
★余談話
★若者達は観られる快感を知っている
③する魅力
Ⅰ.スポーツ観戦は基礎知識が必要不可欠
1.今日のスポーツは我々の生活のパーツ
スポーツの魅力とは
此の所日本に於きましては、来年のオリンピック開催を迎える事からかラグビー、バレーボール、バスケットボール、テニス、ゴルフ、等々と国民、社会の観るスポーツへの関心が高くなってきている様子が伺えます。そこで本K’sスポーツでは、スポーツ先進国ではスポーツの専門分野に於いて既に「観るスポーツ」という専門分野が分科さている事をご紹介し、読者の皆様の知識の向上に役立てて頂き、より一層プロフェッショナルな視点でスポーツの観戦を楽しんで頂ければ幸甚です。
先ず皆様は、スポーツという言葉から何を連想されますか。それらは、野球、サッカー、バスケットボール、バレーボール、ラグビーフットボール、陸上競技、体操競技、水泳競技、柔道、等々とオリンピック大会、各種世界選手権大会、等々と競技スポーツ、大会を思い浮かべられるのではないでしょうか。
人類にとって、競技スポーツとは、身近で人間の本能の一部でもある事に是非理解と認識を新たにして頂きたく、本K’sファイルNO.120、121でお伝えできればと思います。スポーツの基本概念は、スポーツ・アドミニストレイションの根幹(CORE)となっています事も合わせてご理解頂けますれば、さらに本論に興味を持って頂けると確信致しております。基本概念を述べる前に読者の皆さんが親しみやすく、理解し易い身の回りの環境と状況からスポーツの魅力のテーマをピックアップして参ります。
スポーツには、大きく3つの魅力が隠されている筈です。これは、簡単すぎて読者の皆様はつい見逃されているかも知れません。それらは、1)観る魅力、2)観られる魅力、3)する魅力に分類することが出来ると思います。
①観る魅力
スポーツ観戦、映像は、懸命にプレーする選手達の姿を見て直接的であれ、間接的であれ感動を伝え与えてくれます。それらは、パフォーマンスの中の芸術性、プレーのみならずテイーム、選手を応援する純粋な気持ちもスポーツの魅力であり、観るスポーツの魅力でもあるのです。国際試合で日本が出場する試合のTV視聴率が上がる要因は、日本人選手の活躍、成績はもとよりあらゆる要因が観戦・視聴者個々の創造性と感動を掻き立ててくれるからです。
観戦者達は、映像及び観戦を通して個々の理解と感情を交えてストーリー「物語」を自由に創作、演出できるのも観るスポーツの魅力であり特徴でもあると思います。また、観るスポーツは、楽しみ、感動を個々のプレーヤー達が与えてくれるのみならず観戦者、視聴者一人ひとりの心理や思いの創造的な産物でもあるのです。
観衆、視聴者がスポーツを観て楽しいと感じるかどうかは、その人の気持ちや感じ方によっても異なるでしょう。また、その一人ひとりがその時、それまでどのような環境と境遇、考え方、知識、等を持っているかによりその受け方、受け入れ方も異なるのではないでしょうか。
日本では、伝統的にマラソン、駅伝、野球、近年サッカーには、殊のほか観る事に興味と魅力を感じている人達が増加しているのも確かです。マラソン、駅伝では、長時間同じ動作の中でタイムと着順を競う競技に於いて、TV映像に選手の苦しみと頑張りを視聴者自らに置き換えて、自ら映像の中に入り込む独特な日本人気質があるようです。この気質には、伝統的な「我慢の文化」が此処にあるのだろうと推測致す次第です。これは、視聴者自らが自身の想いを応援する選手と融合した自作自演による自身の深層心理を満たすという独特な演出家でもあるのです。
欧米の文化には、マラソンを長時間TVの前で観戦すると言う事は耐え難く、そのような習慣、気質を持ち合わせていないようです。
今日のようなグローバルな時代になってからは、スポーツの情報が何時でも何処でも興味ある競技スポーツを観戦、視聴できるようになりました。このことから、視聴者、観戦者達の嗜好も以前とは異なる方向に導かれて行っているようです。 何れにしましても今日は、観るスポーツへの魅力に目覚めかけた変革への過渡期なのかも知れません。
参考資料―今日日本におけるテレビのスポーツ番組の放送時間の割合は、地上波で4.7%(NHK-BS21.9%)に上っている。その平均視聴率(地上波)は、6.6%と全番組の平均(2%程度)よりも高く、すでに生活の中の一部に入っているのです。例:2002年6月9日のWCサッカー、日本対ロシア戦66%、試合終了時の瞬間には、80%を超えていたのです。(ビデオリサーチ調査)
★2019年10月13日:ラグビーW杯、日本対スコットランド戦、関東平均 視聴率39.2%、瞬間53.7%、関西平均37.2%、瞬間52.2%(ビデオリサーチ調査)
②観られる魅力
我々が競技スポーツ、またその選手達を観て楽しんでいる時、その選手達のみならずコーチ達もまた観られていることを意識しているのです。選手達は、観衆、視聴者にその視線を感じ意識があるので、競技終了後のインタビュー等でのコメントの中に「応援ありがとう。応援してください。感謝します。等」のコメント表現があるのはその証です。しかし、この観られていることへの意識が過剰に作用すると過度な緊張感が加わることで平常心が失われ、ネガテイブなモチベーションが心理的に醸成されることもあるのです。観られていなかったら選手達は、自らを鼓舞したり、集中力を高めたり、モチベーションを高めたり、競技への闘争心を駆り立てたりする事はとても難しいのです。
これは、無観客試合となった後の選手達のコメント表現が明確に証明している通りです。
★米国人と日本人の違い
例えば米国人と日本人の違いを筆者が米国の大学でアスリートを指導していた当初経験し驚嘆したことを紹介致します。
筆者は、シーズン中の個人練習、テイーム練習時に練習場に学生選手達のガールフレンド、或はワイフが帯同して来る事に当初強い違和感を抱いていました。これらの光景は、日本の高校、大学のみならず社会人、プロ競技スポーツに於いて先ずもって見られる光景ではありません。
しかし、米国の大学の学生選手(Student Athlete)達は、ガールフレンド、ボーイフレンドが居れば常に一緒に居る、居たいという事が何よりの幸せのようで、ごく自然である事を学ばされた次第です。米国の文化を詳しく存じ上げなかった当初、コーチ、監督として、そしてその後のスポーツ・アドミニストレイターとしてこれ程不快でネガテイブな言動、態度を示した私自身に対して、後々大学の指導者仲間達から諭されたことは、今尚鮮明に米国での強烈な記憶の1ページに焼き付いている次第です。
★余談話:
その強烈な記憶の1つに、トレーニング開始前の本日のミーテイング(トレーニングメニュー、ゴール設定)での短いスピーチの中で、彼らは奨学金を支給されている学生選手達でありながら公式トレーニングに入る前の準備段階に於いて、プライベートな行為(ガールフレンドとケジメの無い行為)があまりにも度が過ぎていると判断したので、注意した次第です。勿論、スピーチ時には、観覧席で観戦している女性軍にも説教されている我がボーイフレンド、夫の様子で理解したのでしょう。
コーチのスピーチの途中で、在る学生選手が手を上げてアピールを試みたのでした。「コーチ、僕は、トレーニングよりガールフレンドが大事です。トレーニングも試合もガールフレンドが見ていてくれると頑張れるし、ハッピーです。彼女も皆ハッピーですし、彼女らも僕らのテイームと考えています。コーチ、此処は、アメリカです。アメリカンスタイルで行きましょう。お願いします」と言い切ったのには驚きました。
それに対して、筆者は、新しいテイーム・ルールを設けてケジメの大切さと必要性を米国海軍、陸軍、空軍の例を挙げて時間を掛けて諭した次第です。
勿論、本ミーテイングには、関係する女性達も全て招いてでした。そこには、ガールフレンドを持たない学生選手達も同席、コーチのスタイルに100%同意する学生選手も半数は居るので全員がそうであるわけではないのです。
そして、このテイームの中から1976年度のNCAA(全米大学競技スポーツ協会)のチャンピオンや、USAチャンピオンを輩出し、76モントリオール五輪USAキャプテンも誕生したのでした。この選手は、当時既婚者で卒業後医学校に進学しましたので、監督は、推薦状を手渡したのが昨日のようです。
米国の医学校は、大学四年(理系単位を取得)を卒業後に医学校進学試験(MCAP)があります。その試験に合格しても受験生が大学時代にアスリート(Athlete)として、どれ程優秀であったか否かが大きな医学校への合否に影響をもたらす事を読者の皆さんにご紹介致します。日本の医学生とは異なる入学資格審査の特徴です。
逆バージョンでは、欧米の指導者が日本にやって来てナショナルテイームのコーチ、等を行う事の方が大変統率が取りやすく個々の選手のバックグラウンドからある面と意味に於いて非常に指導しやすいかも知れません。
★武士道精神の稽古と競技スポーツのトレーニング
日本の伝統的な指導体制の中には、長年競技のみならず日常のトレーニングにおいても見世物でないとする武士道の精神が美化され長くこの精神主義が継承されてきました。観る、観られる事が否定され今日に至る歴史がありますことをご承知置き下さい。この精神主義は、個々の選手達の稽古(トレーニング)という努力の現場を第三者に曝す事(見せる、見られる)を恥として来た文化と歴史があります。このように稽古(トレーニング)とは、人に見せる者でなく自身を鍛えるものであるという精神を美徳とされたのです。また、試合は、真剣勝負で見世物小屋での余興ではないとする精神が厳然と今日も尚継承されているのです。
その証は、読者の皆様もお気付きになられると思われます。長い日本の歴史の中で、小学校、中学、高校、大学、一般自治体に於けるスポーツ施設には、観客席のスペースを設けない伝統的な施設の運営、管理が主流となっている事です。稽古場(トレーニング)、試合は、見世物でないので観客席など必要でない、とのコンセプトがそこにあるのです。即ち競技スポーツ、スポーツは、やるものであって、「観たり見せたりするものでない」とする精神を脈々と継承してきているのです。今日に至ってもこの精神は、継承されて各教育機関の施設に観客席が設置されない理由が此処に在るのです。
今日では、欧米の観て楽しむ文化が少しずつ国際試合、マスメデイアによる情報提供により改善の兆しが見えています。
米国の公立の中学校、高校には、全天候の公式の200、400メートルトラック、フィールドはサッカー場として、別に天然芝のフットボール場、野球場、屋内のバスケットボール場には、それぞれ全校生徒及び父母、近隣住民が観戦できる観客席が必ず設置されています。
そして、スポーツをした後は、全校生徒が温かいシャワーを浴びる事ができる施設、洗濯されたバスタオルが何時でも準備されています。それでは、大学ではどのような施設なのかと読者の皆さんは、想像される事でしょう。
例:全米大学競技スポーツ協会(略:NCAA)の規定には、NCAAの I部校加盟規定に各大学のキャンパス内、或は長期契約可能なコマーシャル競技場でフットボール競技場のキャパシテイーが25,000席から100、000席の容量が認可され確保しなければなりません。またバスケットボール競技場は、5、000席から30、000席のサイズの施設を確保する事も条件になっています。
日本に於いて近年文科省、スポーツ庁がマスメデイアを通して、「日本版NCAA」を作るのだとか、とんでもない幻想に駆られていた時期が在りましたが、如何でしょうか。今日では、そのような話題がいつの間にか消えて無くなったのではないのでしょうか。其処には、何の大義も理念もなく根本的な趣旨、目的が異質なのかも知れません。日本版「NCAA」とは、何を夢見てマスメデイアも花火を打ち上げたのでしょうか。
調査と称する大名旅行を何度も米国にされたようですが、そこで一体何を見て来たのでしょうか。日本の公立の中学、高校と米国の公立教育機関のスポーツ、競技スポーツの理念、概念及びその施設、衛生面に於いても日本版NCAAを語る以前に生徒達の身心の健康を維持する為の衛生管理がなされている環境の必要性と改善を問題視する事が先決であると筆者は思う次第です。
我が国には、基本的に未だ「観るスポーツの概念」も確立されず、教育機関に於いても気づかないので指導すらなされていないのが現実です。
★若者達は観られる快感を知っている
今日は、我々の日常生活においても「観られていること」を常に意識して生活していると思われます。
この「観られている」意識が過剰に反応して服装、身だしなみ、等、身体の露出は、より一層他の人との比較とそれにともなう「観られている」意識を自ら高め、異なった優越感と快感を求める若者達が出現しているのも事実です。これを裏返しにすると誉められたり高く評価されると本人は満たされるが、欠点を指摘されたり無視されたりすると酷く傷付く。「観られる身体、ウエアー」の満足感は、スポーツの魅力の一つであるのです。スポーツを観ている人が感じる魅力は、そのまま、観られている魅力に繋がると言えます。
例:スポーツ着のファッションの進歩と今日。人は見られたいがために他人と差別化して目立とうとするのもこの心理状況を表現したものである。これらをうまく利用、活用しているのがスポーツメーカーのビジネスコンセプトでもあるのです。
③する魅力
スポーツの魅力は、基本的に「する」ことにある。プレーをしている時の迫力感、興奮、終わった後の心地よさ疲労感、シャワーで汗を流した時の爽快感は、やった者にのみ味わえる魅力なのです。これらスポーツであれ、競技スポーツであれ身体活動にともなう身心の変化は、スポーツ科学によって今日では解明されています。また、スポーツを「する魅力」は、「観られる身体」の満足感も「する」ことによる達成感の喜びは社会的な評価や社会文化環境の産物ともいわれています。
このようにスポーツの魅力を少し学問的な側面から示唆致しますと、冷静に大局的見地でスポーツを見渡すことができるのではないでしょうか。今日迄、「観るスポーツ」は、ともするとスポーツの専門分野の「リクリエイション&レジャースポーツ」として混同されていました。しかし近年観戦する事もスポーツであるとグローバルなスポーツの世界では位置付けられました。残念ながら我が国(日本)に於いては、まだ観るスポーツに関する教育、指導体系が整っていないのが現状、現実であります。日本に於いて観るスポーツの文化と分科が根付くことを祈念している次第です。
文責:河田弘道
スポーツ・アドミニストレイター
スポーツ特使(Emissary of the SPORTS)
お知らせ:次回NO.121は、より学問的な見地で解析致しますとより明確にスポーツの魅力と観るスポーツの概念が見えてくるかと思われます。