NO.14 河田弘道の正直な見解:どうした東京読売巨人軍

NO14 河田弘道の正直な見解:どうした東京読売巨人軍

      II.フェアネスを敵に回した手法の対価

 

1.東京読売巨人軍の特徴:

   本球団の特徴は、経営母体がマスメデイア企業である事から、常に人気選手、人気球団を維持、持続させなければ視聴者、購読者を引きつけるコンテンツと成りえない事です。これらの事は、何よりも重要であると歴代の最高経営者が継承して来たビジネス・コンセプトの一つのようです。よって、先ずは、戦力補強の為のスカウテイング、リクルーテイングの手法が他球団と大きく異なる所以が此処にあるのです。

  しかし、これらを強引に維持、継続するがために失った貴重品は、親会社、球団にとって取り返しがつかない「アンフェアーと不信のダークなイメージ」でした。これからの経営者は、次世代に向かって如何に信頼回復に努めようとしているのか、或は、誰もが今もって気付いていないのであるなら、巨人軍には、永遠に真のリスペクトされる栄光は訪れ無いかも知れません。

  この戦力補強の伝統とは、高校生、大学生、社会人の選手達の中で、先ず他のマスメデイアが騒ぎ、人気が集中している選手達をリストアップするのです。即ち、騒がれ、人気がある選手は、実力も兼ね備えていると経営者達は、本気でそう思い込んでいるのです。これは、当たっている選手もいますが、そうでないケースの方が多いのです。これにより入団した後、消えて行った選手は、数限りない事を皆さんはご承知の筈です。これらは、指導者云々以前の問題です。

 また、別の戦力補強は、他球団に行くと活躍される、されそうな戦力を2軍に寝かせておく戦略です。この選手達は、1軍にも上げられず、他球団であれば即1軍のチャンスがある選手達です。此れは、巨人軍が勝つための戦略であり伝統的な手法の一つなのです。これも若手の育成の妨げとなっています。

  球団経営者のスカウテイング・コンセプトとは、マスメデイア感覚でスカウテイングを思考している所に初歩的なミスが発生しているのです。よって、球団のスカウテイング・スタッフ達は、本来の基本的なスカウテイング業務の趣旨、目的を明快に回答出きるスタッフが何人いるでしょうか。本球団は、選手獲得時に付帯の約束事をして獲得するケースが多いので、選手生活を辞めた後もその選手の能力云々とは別に、球団が面倒を見なければならない負の遺産を毎年抱えて行っているので、職員、スタッフの頭数は、他球団とは比較にならないのです。フロントスタッフは本来、マンパワーではなく資質の高い人材が必要なのですが、、、。

  このような状況と環境から、スカウトマン達は、大事なスカウテイング力の強化、向上を怠り、マスメデイア各社の野球欄に目を通すのが伝統的な日課、仕事として位置付けていたのには、驚きました。また、此のことからも巨人軍には、中期、長期の球団のビジョンのみならず、テイームに対する毎シーズンのコンセプト、ビジョンも、それを遂行する実践戦略(Strategy)も見えてこない。

 即ち、これは、人気のあるスター選手を獲得する事を彼らの実績として来た球団、及び経営者に問題があると思われます。またこのスカウトマン達は、球団経営者達の忖度を伝統的に身に付けているのです。統括責任者は、一体何を指導し、業務を遂行させているのか、このような報告からも本球団の伝統的なスカウテイング・スタイルの一コマが伺えました。まさか今現在もこのような事を行っているとは、考えたくもないですが、現実は、成果と実績が見えてこず、気がかりです。

  歴史的にも本球団は、狙った選手達をリクルート(獲得)する為の秘策、施策を持って、失敗は許されないのです。その為には、ハイリスクを承知で獲得に乗り出すのです。また、球団幹部は、親会社から執行してきた球団役員でありますので、最高経営者の忖度をよく心得ています。批判を恐れず申し上げると、球団幹部達は、親会社の最高経営者の忖度を実現する為に球団に執行してきているのであって、球団の重要問題に正面から向き合おうとしない、会社の専業サラリーマンの様に強く感じられました。このあたりも早く改善、変革しなければならない重要な課題部分です。

 

 2野球協約・規約は、ルールブックかダークブックか:

   本球団の選手リクルートに於ける大きな歴史的な例といたしましては、江川卓投手から近年の菅野智之投手迄、歴代の代表的な選手がいます。これら選手の獲得手段は、ジャイアンツ特有なスカウテイング、リクルーテイングの強引な成果と結果であったわけです。松井秀喜選手は、ドラフトで競合の為に抽選で得た選手の1人でした。また、その時代ごとに逆指名枠、自由獲得枠、ドラフト外の育成選手枠と新しい呼び名の野球協約、規約が登場して来たタイミングもその理由と背景があるのです。

  ドラフト制度により、他球団に1位指名されても拒否する選手、ドラフトで競合を避ける為にドラフト数週間前から選手側がメジャー行きをチラつかせたり、大学進学、社会人テイーム行きをアピールして、行きたくない球団に対してマスメデイアを利用して間接的な拒否メッセージを送る選手が絶えないのも本球団選手の特徴でもあります。これらの行為は、ドラフト制度と協約・ルールを根本からリスペクトしていない、競技選手としてのモラルが欠落した人達です。

  MLBでは、このような選手には重い罰則が適用されます。しかし、日本プロ野球機構では、ペナルテイーが課されないドラフトの抜け道の一つとなっているのです。

 これらの選手を獲得する意思の強い球団は、あらゆる方法と手段を用いて今日も選手を獲得しています。しかし、これらの手口は、他球団に於いても行われていました。それは、嘗て小生が他社に所属していた頃の同僚が他球団に所属して球団編成本部長、専務取締役を行っていた時に類似した手法を目の当たりにして裏舞台でバッテイングしている事を確認致しました。

 私は、もっと他のクリーンなリクルート方法を活用して、獲得後の指導、育成部門で切磋琢磨し、勝負して欲しいと願う一人です。その方法と手段は、沢山あるのです。しかし、一部球団は、自己中心的な短絡的な方法を選択するが為に共存共栄のプロ球団としての経営、運営の原理原則を逸脱してしまうのです。ベースボール・アドミニストレーションの貧困が此処にも顔を出しています。

  偏った不公平な抜け駆けが出来る理由は、日本プロ野球機構発行の「野球協約書」にあるのです。折角、読売新聞社の最高経営者の推薦の下、法律の専門家の第一人者と言われる方々を毎回、日本プロ野球機構の最高責任者(コミッショナー)として推薦、任命され有給で雇用しているのですから、国民、社会、野球界、ファンには、もっとシンプルで明快な、抜け駆けの無い規約、ペナルテイーも明文化した、完成度の高い野球協約に改善、変革できないものかと淡い期待を常に寄せている次第です。

  本球団は、テイーム再建、構築の為の基盤をなすビジョン、コンセプトが明確ではありません。そのために、毎度ドラフトに於いて、競合した選手を獲得できなかった場合、次の一手、二手を持っていないので、抽選に外れると他球団に行かれては困るような選手を次から次へと無計画に挙げて行き、ファームで寝かせているのです。此れでは、スカウテイングを有効に活用していると言えるでしょうか。

 

 3.スカウテイングとリクルーテイングの違い:

   現在の様な手法を続ける限り、球団には、観察力、洞察力、医科学力を備えた、指導者、スカウテイングの人材は育たないでしょう。しかし、スカウトマンは、育たなくても、リクルートマンは、親会社からの協力を受けた人材を常に確保してもらっており心強いかと思いました。

 ここでは、スカウトマンとリクルートマンの違いを述べておきましょう。スカウトマンは、選手の身体能力、技術力、怪我の有無、特徴、将来性、育った環境、等をスポーツ医科学の視点を含めた専門の視点で調査し、GMにレポートを提出する人の事です。

 リクルートマンは、本来スカウトマンの調査対象の中から球団が必要とする選手を如何にして勧誘、獲得、契約締結に持ち込むかを業務とする人の事です。

日本社会では、スカウテイングをリクルーテイングと混同している人達が多いので(スポーツを体育と混同しているのと同じ認識)、このBLOGの読者は、是非その違いを専門知識として覚えていただきたいと思います。日本プロ野球界は、伝統的にスカウテイングとリクルーテイングを兼務させているケースが多い様です。

     BLOG Ⅰ、Ⅱ、のテーマで述べました専門的な基礎知識が、本球団の選手育成、指導に関する問題の本質を理解する基礎に役立てば、幸いです。

                                       文責:河田弘道  

                                                Sportsの伝道師

 *次回Ⅲは、このような環境と現実から若手選手が台頭しない要因の現実を述べさせていただきます、どうか驚かないで下さい。

 

NO.13 河田弘道の正直な見解:どうした東京読売巨人軍

 

NO.13 河田弘道の正直な見解:どうした東京読売巨人軍

 Ⅰ.東京読売巨人軍読売新聞社の関係

  何故「若手が育たない」と揶揄されるのか:

    此処近年、選手の能力で勝利して来た時代は、終焉してしまったのでしょうか。この所、ジャイアンツが不甲斐ない試合が多くなり、結果が出ないので経営者側が我慢できず動いたのが、先日の代表兼GM(不明確な肩書と職責)の解任でした。小生も1994年~1997年間、似たような責務を背負っていたので、また読売劇場が開演したかと当時を回顧致した次第です。(既にGファイル:長嶋茂雄と黒衣の参謀、文芸春秋社に掲載、紹介、200610月)

     東京読売巨人軍には、伝統的に選手指導、育成に関するコンセプトは存在しないと思います。巨人軍の存在の趣旨、目的は、創設当初から読売新聞社の拡販事業の広告宣伝の主翼と、エンジン部門を担っています。この不動のコンセプトは、嘗て発行部数を1000万部と公言させた主たる原動力であったと思われます。

    読売新聞社は、この原動力を維持、拡大する為に常に秘策と施策を凝らして血のにじむ努力で今日まで経営、運営、管理を維持されて来ているのです。しかし、時代はもうすでにグローバルな時代に突入しているにも関わらず、巨人軍の経営、編成、運営、管理だけは、時計が止まったままのようです。読売新聞社の対巨人軍に対するこのコンセプトは、現代、未来にマッチした方向に舵を切らなければ巨人軍だけが他球団から取り残されて行っているのが実状です。

    日本プロ野球界のリーダーであったジャイアンツは、何処に行ったのかと思うにつけて寂しく感じるのは私だけでしょうか。

 経営者の創造力は、伝統的な組織企業にとって強化と発展の為の原石なのです。本会社、企業には、この創造力と能動的な活力のある若い世代への世代交代が急務でないかと老婆心ながら思わざるを得ない近年のベースボール・アドミニストレーションの実態と状態であります。

  親会社は、日本最大のマスメデイアである事は言うまでもありません。このマスメデイア会社、企業である事は、球団の経営、編成、運営、管理において他球団と比べて大きな違いがあるのです。その違いとは、常に人気のある選手を確保、獲得する事が至上命題なのです。球団は、親会社、自社グループのビジネスに繋がるビジネス・ツール、ソフトとしての特殊な事情を常に背負わされているからです。

 プロ野球球団組織をマスメデイアである親会社が保有する事は、資本主義、グローバル社会に於いても大変珍しい組織・団体と構造なのです。特に、本球団と読売新聞社、グループの構造と関係は、MLBに於いても類を見ないと思われます。此処では、マスメデイアの会社、企業がプロの競技スポーツ球団を持つ事に対しての是か非を議論するものではありません。

 

親会社のメリット:

 我が国のマスメデイアの会社・企業が、プロ野球球団を翼下に持つという事は、球団にマスメデイアに必要な情報、ソフト、ソースを常に提供し続けなければならないソフト生産メーカーとしての使命をも担わせているのです。よって、此処には、公共性の論理が影を潜めて常に親会社・企業の論理が最優先され、それが球団現場へと反映する構造になっています。これらの基礎知識を持つだけで、本球団に対する多くの疑問が一層明快に解かれるのではないでしょうか。

 この度のテーマは、負けが込みだすと他のマスメデイアから「若手が育たないジャイアンツ、等々」と揶揄され、標的にされる事に対する、その根拠を考えるに当たり、親会社がマスメデイアである事が、大きな要因の一つである事を先ず知って頂く事が第一歩だと考えます。読者の皆さんには、何故、マスメデイアが球団の親会社であると、現場選手の育成、指導にまで影響を及ぼすか。という事の推測が、おぼろげながら浮かんでいるところでしょうか。或は、まだ見えて来ませんか。

  このテーマの表現は、「若手が育たない」のでなく、「若手を育てない、育てられない」の表現が正しいかと思われます。本球団を保有する目的、目標は、新聞の拡販に伴う購読料収入とそれに伴う広告料、それに子会社のスポーツ報知新聞社日本テレビ読売テレビ、等のTV視聴率の獲得に伴う、購読、広告料収入、放映権料、等々がビジネス・コンセプトとして長年最優先されてきたわけです。当時より、巨人軍は、グループ企業の中でも最右翼の稼ぎ頭であったのです。

 勿論、ジャイアンツ・ファンは、毎回のホームゲームを観る為に高額なテイケットを買い求めて応援して頂いている事が球団経営の屋台骨を支えて頂いているのです。ファンの一人ひとりは、巨人軍を真に支えるステークホールダー(スポーツ消費者であり投資者)なのです。即ち、会社の株主に当たる一番大切で重要な方々なのです。

 

虚像を維持する為の矛盾との闘い:

 本球団組織は、創設以来今日まで日本の長いプロ球団歴史の中に於いて常にモットーとして掲げている「巨人軍は紳士たれ」、「巨人軍は純血たれ」「我が巨人軍は、永久に不滅です(長嶋茂雄選手の引退の言葉)」等々、どの時代を問わず今日までマスメデイアを通じて語られ、使用されて来ています、ロゴタイプのようなものなのです。

 しかし、これらのモットーは、ご存知の通り現実的に存在するものでありませんでした。これらは、あくまで理想であり現実起きている事実から対極的な関係に位置していると申し上げた方が正直かと思います。

 現実的には、これらモットーは丁度アンダーアーマーの如く、ユニフォームの下に甲冑をまとわされてゲームをさせられているように重く感じてなりませんでした。今日は、まさにスポンサーから提供されたこの甲冑をユニフォームの下に身にまとわされて日々闘っている事が現実となったのも何かの因果なのかもしれません。

                                                      文責:河田弘道

                                                                                                            SPORTSの伝道師

                                                                                                              

 

 

 *次回は、Ⅱ.を予定致しております。眼力のあるスカウトマンを指導、育成して来なかった、その要因と結果?

 

 

NO.12 河田弘道の限られた体験より:日本の大学の経営者と管理者

NO.12 河田弘道の限られた体験より:日本の大学の経営者と管理者

                                      Ⅱ:私立大学の経営基盤と情報公開の必要性

 

1.収入源と許認可問題:

     日本の私立大学は、何を収入源として大学経営を行っているのでしょうか。読者の皆さんは、こんな疑問を持ったことがありますか。

    私立大学の経営基盤は、学生達からの①受験料(現在一校一人当たり35,000円)、②入学金、③授業料、④文部科学省(略:文科省)からの私学助成金(国民の税金から)、⑤各種寄付金が主たる収入源となっています。このような事から、私学に於いては、受験生、受講生を増やす事により増収するのです。その為か、ある時期から大学が全国にやたらと増設され、今や大学の数が飽和状態になって需要と供給のバランスが取れない事態に至っています。にもかかわらず、今日では、中小規模の大学は、学部、学科を強引な手法により増やす大学が見受けられますが、許認可を出す文科省は、どのような基準で許認可を出されるのでしょうか。

    このような許認可問題は、今日社会問題として白日の下に曝されています。これらは、起きるべくして起き、そこに起因する関係者の利害と利権が潜んでいるように思えてなりません。此処では、森友、加計学園を話題にするつもりはありません。

     認可を与えた文科省は、各大学法人に「後は全て任せます」ではなく、「各大学が認可に基づいた約束事を遵守しているか否か」をチェックする独立機関を設置し、厳しく指導、管理するべきです。これは、監督官省庁としての許認可責任が問われてしかるべきだと思います。これを行わない限り、日本の大学は、資質の低下に歯止めがかからないと思います。

    これらの構造的な問題は、文科省スポーツ庁が起点となり改善、改革しない限り、いつまで経ってもアンフェアーでグレーな利権と利害が教育界、スポーツ界に蔓延し、良くならないのが我が国のアドミニストレーションのレベルを物語っていると思われます。

 

2文科省の大学助成金

     このような今日の現状に於いても今なお、大学は、どんどん学部、学科増設の申請を毎年されて、認可を受けている特定の大学が大変多い事をご存知ですか。何故このような事が罷り通るのでしょうか。これらの経営者は、大学という公的な看板の下で実は学生達を集金マシーン化しているのでないかと思われる大学が目立ち始める昨今のように思えてなりません。

      文科省の不明瞭な私学助成金制度は、もっとわかりやすく国民、社会に情報公開がなされるべきです。特に本助成金は、各大学にどのようなプロセスと規約により配分されているのか、また学生の為にどのように各大学で有効に活用されているのかの開示が必要であります。何故、本件に付いて誰もが話題にされて来なかったのでしょうか。

     文科省は、本制度以外にも事業として文科省独自の課題、テーマを大学側に提供、告知されています。最終的に事業実施の許認可を受けた大学は、本事業課題を遂行する指定校に任ぜられます。問題は、この審査過程の情報を公開しないので最後までアンフェアーなグレーゾーンの中での審査と受け止められかねないのです。指定を受けた大学は、文科省と数年間の契約で事業課題、テーマを学内外で遂行する為の新たな補助金(数億円単位以上)を受けるのです。しかし、この金の流れが本当に指定大学で有効活用されているかと申し上げますと非常に疑問に思える体験を私も致しました。

 

3.情報公開の必要性:

     今日起きております少子化問題により、今後ますます私学の経営は、死活問題となって来ていると申して過言でありません。このような状況から、大学経営者は、補助金(国民の税金)を得るための秘策、施策を巡らすことから、どのような助成金であれ、公金を拠出する側も受ける側も情報を公開する義務があります。これは、その金の流れと使途が明らかになることで不正抑止になる事は間違いありません。本公金は、学生達の教育の為の助成が本来の目的なのです。本当に学生、教員がその恩恵にあずかっているか、その証を公開して欲しいと願います。しかしながら、このような教育利権にまで、政治家の名前が学園内に漏れ聞こえてくるのが不思議な現実です。

 

4.教育の独自性による資質の低下:

     学生数が6000人前後の私学では、あらゆる経費削減の狙いから、大学の資質に影響を及ぼす事態が既に起きています。資質の問題では、教員数を減らす事に手を付けるが為に、各学部共通の履修科目を増やし、一クラスに履修学生を詰め込む方式へと転換しています。また、ゼミに於いては、選択制を採用し、ゼミのコマ数を減らし、少人数のゼミは、レベルの異なるゼミまで統合して1担当教員が同クラス、同時間に複数学年の面倒を見るという大学も出始めております。

    また、16年度より日本の伝統的な大学生、教員のステイタスでもあった卒業論文(別名:卒論、内容は別として)は、今や必修から選択科目となり、これにより殆どの学生達は、論文を選択しないという方向に急速に今後進むと思われます。

    何故文科省は、長年大学生に対しての卒業論文を義務付けて来たのでしょうか。今日もなお大部分の大学では、卒業論文を必修としていると思われます。文科省は、独自性を尊重する事からこれらの判断を各大学法人に任せているのかも知りません。これもまた、文科省、大学の告知、説明無きアドミニストレーションなのです。論文選択科目は、やがて全国の大学に拡散するのは時間の問題だと思われます。

    これにより、専任教員のコマ数が減少、教員の負担の軽減にはなると思われますが、経営者側は、専任教員のコマ数を減少する事で、人員の削減、強いては経費削減に大きく前進する事になります。これにより、大学では、教員本来の個々の学生達に提供すべき指導内容、及び個人指導が行き届かくなる事も重要な問題です。

 

     此処で米国の例をご参考までにお伝え致しますと、米国の大学は、伝統的に「卒業論文」なる物を求めていません。現在の米国大学約1275校の内、5校が卒業論文らしきもの(Graduation Thesis or Report)を提出させているという報告はあります。本件に関する米国大学の平均的な意見は、「大学生は、必要でない。意味を成さない」が伝統的な見解のようです。当時私は、米国の大学に勤務しておりました時に、「学部生(Undergraduate Student)の卒業学年には卒論を書かせないのですか」と学部長に訊ねた事が昨日のように思い出されます。学部長に「日本では、全大学で必修です」と申し上げると、学部長は、「何を書くのですか」と逆に聴かれた事が大変強い印象として記憶にあります。また、米国の大学学部に於けるゼミは、見かけません。逆に米国の大学に河田ゼミを紹介致したところ、これは、我々の大学にも必要で魅力的だと褒められました。

 

5.大学選びのキーコンセプト:

     これから大学進学を希望される皆さん及び父母諸氏は、お子さんの将来を左右する大学選びは事前調査が大事であり、不可欠です。本BLOGでは、皆さんが大学を選ぶに当たっての大学の経営者側と大学管理者側の現状と問題、そして文科省からの助成金補助金に関する現状をも加味させて頂きました。しかし、皆さんの授業料は、大学経営、運営の屋台骨を支えます重要な資金源である事に違いありません。

    その経営と管理の現実と現場には、大変大きな格差が各大学により起きている事を理解した上で、ご判断をされた方が賢明です。もちろん、出口であります就職先は、最大の興味とゴールの一つであります。日本社会は、まだまだ個人の能力、資質のみで採用を判断する企業ばかりとは限らない事を心の何処かにお受け留めおき下さい。その為にも、大学に進学する前に将来の出口迄のプランニング(準備)を怠らない事が大学選びに於いても大切だと思います。皆さんは、今から事前に目指している大学の資質と指導者を精査し、高額な授業料に見合う大学を選択する事をお勧め致します。

BLOGが、皆さんに取りまして大学選びの、お役に立てば幸いです。

                               文責:河田弘道

 

NO.11 河田弘道の限られた体験より:日本の大学の経営者と管理者

NO.11    河田弘道の限られた体験より:日本の大学の経営者と管理者

                    Ⅰ:大学選びは慎重に Ⅱ:私立大の経営基盤と情報公開の必要性

 

I.大学選びは慎重に

    これからの日本の大学選びは、過去のような「何処の大学に行かせたい、何処の大学に行きたい」の外見だけでなく、「何を学ぶ為に誰にどのような指導を受けたいのか、その指導者は何処の大学に行けば出会えるのか」の時代に来ていると確信しました。その指導者との出会いにより、高額な授業料の評価価値が決まると申しても過言でありません。如何でしょうか。もうみなさんは、選ばれる側でなく、選ぶ側に立っている事をお忘れなく。みなさんに適した指導者は、机上の論理だけでなく、実践の裏付けがある指導者選びが肝要です。先ずは時間をかけてリサーチしてみて下さい。皆さんは、大学の舞台裏をあまりにも知らなさ過ぎます。

    現在、各大学で行われている学生獲得合戦の為のプロモーション(オープンキャンパス、過大広告宣伝)活動は、出迎えから見送りまで全てに於いて顧客獲得に対するセールス・プロモーションの一つであります。出迎えから見送りまで笑顔で、懇切丁寧に「おもてなし」して下さったお姉さん、お兄さん方は、入学後ひょっとしたら実在しない人達かも知れません。しかし翌週、他の大学のオープンキャンパスに出かけると同じお姉さん、お兄さんに出会うかもしれませんね。これらは、コンサルタント会社が関わって、学生達を指導、誘導する場合が殆どなので、出迎え、見送りのお姉さん、お兄さんに惑わされない様にしましょう。私は、派手なプロモ活動、広告宣伝を行わない地味な大学に信頼を感じています。大学を選ぶ視点は、オープンキャンパスにあらず。

    また、模擬授業と称したデモンストレーションは、オープンキャンパス時に受けてもそれはあくまでデコレーションであります。本当は、学期中に実際に講義授業を聴講させて頂く事の方が大事です。これは、私が模擬授業をさせられた体験からの見解です。これから大学側には、受講生に対する模擬授業のデモでなく、学期中の授業を公開する勇気と企画が必要です。受講生側は、大学ガイドブックに偽りがないかどうかまで調べるべきです。何故ならば、入学してから日本の大学は、他大学への編入、転校のシステムが閉ざされていて、著しく難しい構造になっている事をアドバイス申し上げます。

    そのためには、高校時代から将来の進みたい進路へのリサーチを怠らない事が肝要です。何の目的、目標も無く、ただ単に大学に入って卒業さえすればよいと考える本人、父母諸氏は、今の時代、授業料さえ納入すれば喜んでそのレベルの大学に迎えてくれます。しかし、そのような大学の殆どは、ただ授業料を運んでくれさえすればよいとの経営者、管理者達が多い事を入学前に気付くべきです。

大学選びの初歩は、「自分は、この大学に何を期待し、何を求めて行くのか」と自問自答してみる心の準備が先ず必要かと思います。これは、私自身が日本の私大学で教鞭をとらせて頂いた指導者の立場と経験で感じた真摯なことでした。

    小職は、日本の二つの環境と規模、そして伝統の異なる大学で約10年間、大変貴重な教員体験をそれぞれでさせて頂きました。各大学に於きましては、それぞれ素晴らしい個々の学生達との出会いに恵まれました。また、素晴らしい教員指導者、職員もいらっしゃいました。

  このBlogテーマで申し上げます事は、あくまで私の限られた環境と職責でそれぞれ体験、経験をした私見であります事を前提とさせて頂きますので、誤解無きよう参考にして頂けましたら幸いです。

 

近年の私大学の教育機関に在籍する学生諸氏は、大きく四つに分類されると思います。

①一つは、幼い頃から受験勉強に取り組み、その結果として数値により選別をされた大学に行き在籍する学生。大多数の学生はこの分類に入ります。

②二つ目は、幼い頃から受験勉強を強いられたが持続できなかったか、或は、最初から受験勉強をする興味も意思も無かったが、父母、周りが大学に勧めるので入れてもらえる大学に入った学生。これは、①に次いで多い。

③三つ目は、幼い頃から遊びとスポーツ、競技としてのスポーツ、その他が大好きで競技選手、プロを夢見、オリンピック選手、等を夢見て学業を疎かにした為に、受験勉強をやらなかった学生。これらは、三番目の分類に属します。

④四つ目は、学生選手としての競技レベルが高く、特殊な方法で入学許可を受けた一部の学生、名実共に文武両道の力を持った一部学生は、実際に存在する事を確認しました。

以上、大多数の学生達は、上記の分類のどれかに位置すると思います。

  此処で申し上げられます事は、①の学生のように幼い頃から受験勉強を自らの意思で、或は強いられ、競争の世界を味わった学生と②の学生のようにあらゆる推薦入学制度を活用、利用してきた学生(受験経験の無い学生を含む)は、明らかな違いがあります。

②の学生の中には、少数ですが、自身の能力に気付かず指導、注意を受ける機会に恵まれず、才能を開花せず怠慢な環境に同化して何も気付かず、楽な学生生活を日々過ごしている学生も含まれています。これらの学生達は、出会う指導者により大きく好転する可能性を秘めている事を体験しました。

①には、受験という競争の日々を過ごした結果、目標としていた大学受験に 失敗し、不本意にも現在の大学、学部に在籍して、目標を見失っている学生達も、多く見かけました。しかし、そのような学生の中には、入学後、学内の興味のある専門科目、教員に縁あって出会う事により将来の進路と才能が開花され、現在会社、企業で大活躍されている履修学生、ゼミ生達に出会いました。

③に分類されます、学生の大多数は、大学での講義授業を午後の部活の為の 休息の場として利用して、遊びの為の部活、競技スポーツの為の部活をする為に授業料を大学に寄付し、施設を借りて遊ぶ為に部費を払い、学生コーチと称する部員の管理を受けて疲れて帰る学生達です。

  このような事から、私は、各担当科目の履修学生達に毎年「課題レポート」を与えました。その結果は、①に属する一部学生②③に属する大多数が大学に来る以前から、入学後も目的意識を持たず、その為に目標も無く、アルバイトと部活の為の大学生活を送っているというレポートが数多く見受けられました。

 学生達は、それでもなぜ高額の授業料を払い、部費を払って遊ばせてもらう為に大学に通うのでしょうか。このような現象と現状は、何処から醸成されるのかとふと考えさせられます。

  私は、時々受講生達に話すのですが、「米国の学生の83%以上の学生達は、高校を卒業すると親元を離れて独立します。大学教育を受ける意思のある学生は、自ら働きながら1単位$ドルで講義授業を買うのです。この事からも大学の授業を疎かにする学生達を見つけるのが困難」。皆さんは、米国の学生達との違いをご存知でしたか。と、いつもこの話に受講生達は、驚き驚嘆するのです。何故驚くか皆さんは、お判りでしょうか。

 講義授業の受講中に朝から寝たり、男女が私語したり、野球帽子を教室で被り、スマホを授業中に机の上に置いて楽しんだり、イヤホーンを付けて音楽聞いたりしている光景、姿は、大学で学ぶ以前の問題を抱えている学生達です。これらの学生達は、精神年齢も幼く、大学生と呼ぶに相応しくないと断言します。また、他の担当教員達は、このような学生達に何も注意を与えたり、指導したりしないという事を受講生から教えられ、信じられない今日の高等教育機関の現場であることも知って於いて下さい。

  私は、いつも講義をしながら日本の大学生のご父母が汗水たらして働き、我が子を大学に通わせている姿が目に浮ぶので、少なくとも私の講義授業を受講する学生達には、社会人になるに当たっての責任感を持たせる意味でも大学生としてのモラルと礼儀、その自覚だけでも最低限、身に着けさせようと妥協せず、粘り強く指導して参りました。

 このような大学生達は、父母が授業料をいくら銀行振り込みして、明細がどのようになっているのかも知る由もないのです。このような学生達には、個々の自立、自己管理を解いたり、問うたり、目的、目標を求めたりする側が問題なのかもしれません。

  このような環境の教育機関は、学生に入学許可を与える大学側に問題があるのか、このような大学機関を選んで来る側に問題が在るのか、或は、このような教育機関に大学としての許認可を与え、何の精査も指導もしないで、毎年多額な国民の税金を私学助成金として拠出する文部科学省の無責任体質に起因しているのか、大きな課題と現実を突きつけられた思いがしました。

                                文責:河田弘道

*次週、Ⅱ:私立大の経営基盤と情報公開の必要性 予定

 

NO.10 河田弘道の素朴な疑問(第三話):桑田真澄投手(元東京読売巨人軍)

NO.10  河田弘道の素朴な疑問(第三話):桑田真澄投手(元東京読売巨人軍

 

第三話:貴重な戦力としての桑田氏

 

   桑田氏のような人材は、日本球界に於いて本当に稀です。また、彼の古巣の巨人軍が今なお彼を雇用しないのもこれまた奇異なり。

   私がもし球団の編成、運営責任者であったなら、桑田真澄氏を先ず二軍投手コーチとして交渉、契約を交わします。そして、その契約条項には、二軍の若手、中堅投手の育成と強化、向上に関する細部目標を設定し、3年契約をオファーするでしょう。勿論、そこでは、球団に於ける二軍の役割、使命を明確にして育成、運営、指導を徹底させます。この意味は、よき伝統を継承し、悪しき伝統を取り除く事です。

    3年契約の根拠は、プロの世界では契約条項の目標に対して改善、成果が3年で出ない場合は先ず指導者に問題在りと評価するのがプロのスポーツ・アドミニストレーターとしての評価基準の一つであります。これは、担当コーチに限らず、監督もしかり、フロントの担当責任者も同様なのです。これにより、例えば、現巨人軍の投手の育成、指導は、少なくとも現状よりは見違える様な成果と結果を残す可能性を大きく秘めていると思われます。しかし、これには、フロント及び2軍の監督の理解と協力が不可欠である事は言うまでもありません。

    同氏の指導状況と成果・結果を評価して、価値ありと判断した場合は、一軍投手コーチとして推挙します。その時には、同氏が育てた若手、中堅投手が一緒に一軍で活躍できるレベルに上がって来ている筈です。一軍投手コーチとしては、3年契約をオファーし、インセンテイブボーナス(成功報酬)を付与するのがフェアーな契約内容だと思います。その後、もし本人が希望するなら監督(Manager)として検討する余地は残します。

    このようにプロのスポーツ・アドミニストレーターは、目先の編成、運営結果のみならず、指導者の育成、運営、管理もテイーム、球団組織の構造改善・改革並びにシステムの構築と共に、重要な責務の一つであります。また、スポーツ・アドミニストレーションに於ける人事は、「同じ人物を長期に渡り同じ部署、職責に在籍させる事の弊害」を考慮して一般的に3年一区切りとした人事の活性化が効率の良いアドミニストレーションと言われています。

 特に競技スポーツのテイーム、組織に於いては、「選手間の競争の意識の強化、向上」のみならず、「指導者、球団スタッフへの競争の原理の導入」は不可欠です。(Blog河田弘道の「日・米のスポーツ・アドミニストレーションの違いと疑問」遍より)

 

  日本のプロ野球界では、選手としての経験のみで、コーチ経験も無い、人物をいきなり監督に経営者判断で契約する事は、論理的でなく大きなリスクを背負い込む事になるのです。そして、結果が伴わない若手監督は、負のキャリアを背負って去らなければならなくなります。このようなケースでは、選考、判断したその組織の統括責任者の洞察、判断力が先ず問われるべきで、未経験の監督に責任を転化するのは如何なものでしょうか。1回限りの監督経験で球界を去っている指導者は、もし自身に意欲があるなら是非希望を失うことなく、もう一度自身の得意な技術と経験を活かせる環境でコーチングを学んでから現場に戻ってきてほしいと願います。

 桑田氏が、今もってどこの球団からも誘いを受けていない現実は、各球団が躊躇(ちゅうちょ)する何かがあるのかも知れません。そうでなければ、この人材は、すでに日本球界で指導者として活躍している筈です。

 もし、仮に何か選手時代に起こした問題が彼の指導者への道の障害となっているのであれば、雇用契約書内の一条項に球団が心配と思うポイントを特記し、いつでも契約を解除できる方法があります。此れこそ、プロの契約雇用であり、彼に対してもフェアーなチャンスを与え、雇用する側にも心配事を回避できるプロテクションが与えられるわけです。契約書とは、双方が同意した約束事を遵守する為の信頼の証なのです。

 我が国では、契約、契約雇用という制度が歴史的に根付いていないので、契約という概念を選手契約時にしっかりと教育、指導する必要があると思われます。しかし、オファーがあっても内容が彼に取って不満で成立しなかった場合は、それはそれで双方のネゴシエーション(交渉)の結果であり、双方にとって何の問題にもなりません。彼に取って、現在は、何のオファーも無い事が問題だと思います。

 

 何れにしましても、桑田真澄氏のような逸材に指導者として来てほしい球団は、何処の球団も現状を覗いて見ますと喉から手が出る程欲しい貴重な戦力と思われます。日本の球団は、MLBメジャーリーグ)と異なり物事をビジネスライクで割り切ろうとしないので、勇気が必要なのもまた確かです。優秀な才能がある人材には、温かい手を差し伸べ球団、球界と社会に貢献できる機会を是非与えて挙げて欲しいと思います。そして、同氏には、チャンスが与えられた暁には感謝の心を持って伝統的な日本のプロ球界の指導方法に新風を吹き込み、成果と結果を日本球界に還元して欲しいと期待する次第です。

  プロ球団のアドミニストレーションには、観察力、洞察力とマネージメント力の優れたベースボール・アドミニストレーターが不可欠です。

 各球団に勇気と期待を込めて! ガンバレ桑田!チャンスはきっと来る。あなた程、素晴らしいプロ球界の指導者としての資質と可能性を秘めた人材は、日本球界に於いて珍しいと思います。

                               文責:河田弘道

 

NO.9 河田弘道の素朴な疑問(第二話):桑田真澄投手(元東京読売巨人軍)

NO.9 河田弘道の素朴な疑問(第二話):桑田真澄投手(元東京読売巨人軍

第二話:プロ指導者の現状と問題

  注:第一話:素朴な疑問、第二話:プロ指導者の現状と問題、

               第三話:貴重な戦力 としての桑田氏

 

    プロ野球界には、指導者たる人材の養成、育成に寄与する機関やシステムが無く、これらがまた選手達のセカンドキャリアにも大きく影響している一因であると思われます(選手会の虚弱体質)。此処での指導は、我が国の伝統的な指導方法が今なお継承され、非科学的な指導方法から抜け出せない状況でもあります。

 私が東京読売巨人軍に在籍していました初年度(1994年)、桑田真澄投手から現場スタッフ、フロントスタッフを通じて、報告が上がって来たのを鮮明に記憶しております。それは、東京ドームのロッカールームで喫煙をする選手達が多く居て、非喫煙選手がマイノリテイー〔少数派〕となっている事に対するクレームでした。それは、喫煙者と非喫煙者のロッカーを分離して欲しいとの訴えでした。グローバルなスポーツ社会に於いては、ロッカールームは禁煙が常識であったので管理状態に驚き、即対応をフロント担当者に指示したのが昨日のようです。桑田選手は、このように当時より健康管理に他の誰よも真剣に取り組んでいました。このようなことからも、彼は、如何に自己の健康管理に気配りを怠らなかったかが理解できるのでないでしょうか。

 

  日本の伝統的な競技スポーツの指導法の特徴は、「消去法」と言われるものです。これは、主にスポーツ医科学的な根拠を伴わない、例えば、元々身体能力が強靭で、精神力も群を抜き、いかなる精神的、肉体的な「しごき(トレーニングではない)」にも耐えられる選手だけが勝ち残れる、いわゆる精神主義的、経験主義的な指導方法を意味しています。特に本指導法は、指導者側、選手側双方に練習をやったという満足感を満たす為の質より量の練習が主体となっているのも特徴の一つです(悪例:1000本ノック、200300球の投げ込みを美化、等)。これらは、まさに「弱きものは、去れ!」を指導の根幹とし、サバイバル指導法とも揶揄(やゆ)されているのです。アメリカ型のコーチング理論の「個人の得意な潜在能力を導き出す」とは相反するのです。

  国内最大のスポーツエンターテイメントは、やはりプロ野球でしょう。そして、そこには、プロ野球選手を夢見て日々トレーニングに励む若者達がいます。

 現在NPB(日本プロ野球機構)は、元プロ野球選手に対して数日の研修を受講させる事により、教育機関での指導を安易に容認していますが、これは教育界の競技スポーツを教育の一環、延長線上である事を理解できていない誤った許認可制度の構築に他ならないと思いますが如何でしょうか。或は、文科省は、教育機関の競技スポーツ指導者は教育者としての資格は必要としていないのか。これでは、益々学校教育から競技スポーツが異なる趣旨・目的の方向に独り歩きをして行ってもよいと考えているのでしょうか。

 プロ野球の底辺を支える教育界での指導者達には、多くの夢見る若者達に模範となる、また使命感を持ったポジテイブな指導、運営、管理者で在って欲しいと願います。その為には、教育者としての専門的な知識とそれに伴う実践力をしっかりと身に着けたうえで、指導して頂きたいと願う次第です。

  プロ野球選手の多くは、現場の監督、コーチ達に「怒鳴られ、時として精神的、肉体的な暴力を受けなければ」耳を傾け、言う事を聞かない選手達が多く居るのも現実です。幼い頃選手達は、最初は野球(競技スポーツ)に興味を抱き、好きで始めたのです。しかし、この純粋な子供達は、大人の指導者達それぞれの思惑により、楽しかったはずの練習がやらされているという苦痛な練習に変形し、それが身に沁みついてしまったのです。

 プロの指導者達は、自分達も幼い頃から指導者に怒鳴られ、やらされてきた経験から指導者は、怒鳴り、叱るのも仕事のように思い込み、美化されているのです。このことからも、プロ球界の指導者達は、「怒鳴らない、怒らない指導者」は良い指導者と認めないという馬鹿げた風習と慣習が罷り通るプロ野球の現場である事も悲しい現実です。このような環境と現実から、陰湿な精神的、肉体的暴力指導が絶えない事もまた寂しい事実であります。指導者の上下間に於いてもこれまた同じような事が起きているのです。これらは、果して日本最大のプロ競技スポーツの集団とその組織・団体に於ける指導体制と言えるのでしょうか。桑田氏は、この指導法を否定している一人のようです。

  これらの根源は、我が国の教育の在り方、スポーツへの考えと取り組み方、指導に於けるテイーチングとコーチングの抜本的な違いと在り方、等の悪しき伝統を改善、改革される事無く今なお継承しているからだと思います。

 このような問題は、文部科学省スポーツ庁が率先して競技スポーツの指導体系とその指針を明文化し、各レベルに応じたマニフェストを先ず告知するべきです。そして各省庁にそれぞれの専門家が居るのであれば、その専門家は、現実に即した体質改善と制度の改善、改革を早急に取り組み、スポーツ振興、推進をただ形骸化するのでなく、実践、実行する事が先決であると私は思います。これらは、部活云々を議論する以前の問題であると思いますが如何でしょうか。

                               文責:河田弘道

注:次週は、第三話:貴重な戦力としての桑田氏、を掲載予定

NO.8 河田弘道の素朴な疑問:桑田真澄投手(元東京読売巨人軍)

NO.8  河田弘道の素朴な疑問:桑田真澄投手(元東京読売巨人軍

   この度の本テーマに付きましては、BLOG読者よりのリクエストを優先させて頂きました。よって、私は、ベースボール・アドミニストレーターとしての視点と立場で述べさせて頂きます。本記事は、第一話:素朴な疑問、第二話:プロ指導者の現状と問題、第三話:貴重な戦力としての桑田氏、に分けて掲載致します。

 第一話:素朴な疑問

     私は、嘗て東京読売巨人軍にて、「編成本部付アドバイザー兼長嶋監督補佐」という肩書で編成、運営、管理に当たらせて頂き、桑田真澄投手を球団、テイームの1選手として見て来ました。河田の素朴な同投手への疑問は、「桑田真澄氏は、現役引退後どうしてプロ野球球団の指導者として何処の球団からも声を掛けられないのか」という事です。

    これは、野球ファンのみならず、一般社会人から私にここ数年よく質問される事からも、皆さんも抱いている素朴な疑問ではないかと思われます。私は、彼ほど野球選手としての実績、頭脳を持ち合わせている人物は国内においてそうはいないと確信しております。しかし、スポーツマスメデイアは、本件に付いて触れようとしないのも不思議に感じています。或は、此のことを語るのは、日本球界ではタブーの一つなのか。私は、そうは思いません。勿論、他にも多くの選手は、現役時代実績、名声を伴った選手が引退した後、指導者として声を掛けられないでいるのも事実です。 

    私が日本に於いて関わったベースボール・アドミニストレーションの中で、彼ほど自立心があり、自己管理ができるプロの競技者は他に記憶がありません。 彼の野球に対する情熱とその向上心は、群を抜いていました。特に選手時代から、野球に必要なスポーツ医科学を自ら学び実践に取り入れ、それを成果と結果に繋げる努力と信念は、他に例を見ませんでした。勿論、彼には、種々の能力が備わっていたのは言うまでもありません。

    そうでなければ、私は、1994年、10月08日(別名:10.8)、ナゴヤ球場に於ける頂上決戦(巨人対中日)の後半3イニングを彼に任せることを推薦しませんでした(世に言われているメイクミラクルと名付けられたシーズンと決戦で)。

     それでは、彼の指導者としての能力及び可能性は、如何でしょうか。それは、彼がプロとしてのコーチングの成果と結果を見せていませんので正直未知数です。桑田氏は、選手時代から殆ど独学による専門知識と経験から得た知恵を蓄積しています。そして、現役引退後、彼は、自らの意思で大学院(早稲田大に1年間)に通い、大学野球での指導(東大野球部)、少年野球のオーナーとして、また解説者としても経験、活躍しています。

    これらは、多分彼の内心のストレスをポジテイブな行動に転化した表れと理解、推測しております。また、彼は、選手時代にはプレー中にパフォーマンスを駆使する癖を持っていたのも事実です(例:プレート板に肘を触れたり、ピンチになるとボールに語り掛けたり、投球前に独り言、等の仕種)。このような野球外での努力と実績からしても、彼は、他のプロ野球界を退いた選手達と異なる思考能力及び行動力を持っていると思います。

     日本のプロ野球界は、現役引退後過去に実績、名声を残した方々が先ず各球団の指導者(コーチ)、監督として指名され新たな委託契約を結ぶのが慣例であります。

    ご批判を承知で申し上げますと、多数の各球団の指導者達は、現役選手時の実績、名声はあるが指導者としての資質及び必要な専門知識は殆ど持ち合わせていない人が多いのが現状です。しかし、このような指導者諸氏は、「処世術」という特技を持っているのは一般社会も同じのようです。勿論、その中に少数ではありますが、選手時の実績、名声、そして専門知識を兼ね備え、優秀な指導理論と指導方法を持って、現在成果と結果を出し活躍されている指導者達も事実存在しています。

     日本社会に於いては、選手時代に素晴らしい実績、名声を残した競技者(Athlete)が即優れた指導者、管理者であるとの理解、評価と認識をしてしまっているようです。 しかし、それらには、何の根拠も見当たりません。

    例えば、オリンピック代表選手、メダリストは、即スポーツのオーソリテイー(authority)であり、競技スポーツの名コーチ、名監督、名管理者であり、また、全く対極的な体育の分野に於ける優秀な指導者、教育者であると社会のみならず自らも勘違いされている事と同じ事です。優秀な競技者とは、その競技種目の中で勝利した結果を称えられるべきであり、指導者、教育者、管理者とは、本質的に異なる専門分野、部門なのです。

これらの誤解は、ただの迷信、思い込みにしか過ぎないという事を先ず常に心の片隅に持って頂けましたら幸いです。

                            文責:河田弘道

注:次週は第二話:プロ指導者の現状と問題を掲載予定