K’sファイルNO.98:今日のスポーツ電通の礎 84ロス五輪とは!

K’sファイルNO.98:今日のスポーツ電通の礎 84ロス五輪とは!

無断転載禁止  注:K'sファイルは、毎週木曜日掲載予定

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読者からの便り~

河田様

毎週楽しみに拝読させて頂いています。奥が深いです。今回のNO.97の「彼一人では、何も出来ない事を百も承知であったようです。」の文章が、一番印象に残りました。いつもありがとうございます。

河田先生

毎回貴重な先生の実践された知的財産を我々に無料で提供して下さり誠に有難うございます。書籍にされて有料で発刊された方が読者には、ありがたみが判るのではないでしょうか。書店に出ています書籍と全く迫力も価値が異なります。凄いです。社内に於いては、伝説の大先輩の当時の様子がこんなにリアルに解説して下さり感激しております。本ファイルの存在を教えて下さった社友には、感謝以外に表現が出て来ません。ファイルは、何ものにも代え難い財産です。このような貴重なドキュメントを拝読させて頂き感謝を込めてご無礼を承知でメールを出させて頂きました。有難うございます。社内の仲間に1日1人伝えています。河田スポーツ実践塾が必要かとそして塾生にと勝手に夢見ています。

第四弾:84ロス五輪プロゼクトの最終交渉

1.電通ロス支局は最強の最前線基地だった

①ロス支局員の過酷な対応とご苦労

電通P・ユベロス氏への接近計画は、当時本プロゼクトが企画・遂行される前から現地ロサンゼルスの電通支局がその最前線基地となっており、当時の支局幹部、他現地スタッフの方々は、戦場さながらであったと容易に想像できます。

その最大の任務は、本プロゼクトに関するあらゆる情報の収集、およびその情報の裏取り作業と整理、そして分析が連日連夜遂行されていたと思われますさらに分析された情報は、デイリーレポートで東京築地電通本社の企画本部に打電。そこから指示待ち、再度情報収集と裏取り、分析、レポートと繰り返し続く作業は、24時間(時差もあり)夜を徹する事も日常茶飯事、それはまさに戦場そのものであったと思います。

電通支局には、東京本社のあらゆるグループ、部署のプロデユーサーレベルから役員の方々まで情報取りや返信にも対応しなければならず、どの部署の誰にどこまでのレベルの情報を入れるかの選別も大変神経を尖らせた事と察します。もちろん、このプロゼクト以外にも多くの通常のプロゼクト活動、リサーチ、情報活動、電通本社の役員クラスのロス訪問に際しての送迎案内、等とあらゆる業務も並行してありました。このような有能なロス電通のスタッフの方々の能動的な血のにじむような業務と努力が在って、本プロゼクトが完成されたのだと思います。

まさにこの支局の有能な方々は、服部庸一氏、ジミー・福崎氏にとって掛け替えのない戦場での戦友そのものだったと思われます。本ロス支局も現地での本プロゼクト遂行に関しては、服部氏、ジミー・福崎氏のアドバイス、指示を真摯に受け止め、支援する事が組織のコンセンサツと成っていたので、何の疑いもなかった筈です。また、服部氏の支局員への配慮、気配りが現地に於いても当時此処かしこと散りばめられていた記憶が蘇ります。

同支局のスタッフ達は、築地電通本社の社員として鍛えられていたので、ロス支局に於いても日本流の夜討ち朝駆けの態勢で情報収集、アレンジメント、コンタクト、コーデイネート作業がなされたのです。これらの実務は、アメリカ人には信じられない戦略、行動力と作業プロゼクトに沿った形で、遂行されたのです。支局員達は、アグレッシブという表現を遥かに超えた攻撃的な性格の方々であったことが強く印象に残っています。支局は、限られたマンパワーの中での業務であったので、米国のビジネスマン達には考えられない個人のプライベートタイムを略奪した、会社、企業の業務に徹した姿はこれぞ日本人の外地に於ける企業戦士の戦場そのものであったように記憶しています

②P・ユベロス氏と服部、ジミー氏の会談の後

フレッド・和田氏の仲介の後、いよいよ電通プロゼクトテイームは、服部氏、ジミー氏、そしてサポーテイブなロス電通支局員と力を合わせ、現地最前線の作業部隊として戦闘を開始したのです。また、P・ユベロス氏も、その後LAOOCの立ち上げ後、組織の強化構築と多忙を極めながらも、電通の作業部会との時間取り、エネルギーを費やす重要な時間帯を共有したと思われます

LAOOCは、全ての権限が会長のP・ユベロス氏に集約されていて、組織の各セクションのマネージメント体制の統括管理責任者であり、全ての指揮管理系統の頂点となっているのでまさに同氏は84ロス五輪のイグゼクテイブスポーツ・アドミニストレーターと申し上げて過言ではありませんでした。

しかし、日本の会社、企業のビジネスマンと異なる点は、ユベロス氏は常にビジネスとリラクゼーションとのオンとオフのバランスを取るのが大変上手く、多忙の中に置いても必ず趣味のゴルフには出かけていましたこのアメリカ人特有なビジネス・ライフスタイルと日本人のそれとの違いは、日本人ビジネスマンをいら立たせ築地電通本社からの信じられない程のストレスがロス電通支局を直撃し、限られたマンパーワーと人材で無理難題を処理、解決するには限界に達していたに違いありません。

先ずは、ユベロス氏のスケジュールから如何にして電通タイム(電通とのビジネスミーテイングに割ける時間)を確保できるかは、至難を極めた事と思われます。日本人スタイルのビジネスマンの夜討ち朝駆けは、アメリカ人には通用しません。それでは、如何にしてビジネスアワーにビジネスタイムを確保できるかが、米国に於いてはビジネスの成否の分かれ目となるのです。

そこで電通ロス支局は、ユベロス氏の一日のスケジュールの情報を克明にリサーチ、如何にしてその隙間を確保できるかに日々神経を尖らせたことでしょう。ユベロス氏は、必ず息抜きの為にファミリータイム、ソーシャルタイム、フレンドシップタイム、リラクゼーションタイムの時間を確保しています。そこで彼のゴルフタイムに狙いを定めたのでした。

③ビジネス・ミーテイング会場と化したCC

ユベロス氏は、ロサンゼルス近郊の名門ゴルフクラブのメンバーであり、特にその中でも超名門コースのロサンゼルス・カントリークラブLos Angeles Country Club)、ベル・エアー・カントリークラブ(BelAir Country Club)リビエラ・カントリークラブRiviera Country Club)が、お気に入りであったことが確認されました。

とりわけロサンゼルスCCは、メンバー以外の出入りが非常に厳しく(元大統領のレーガン氏もメンバーと聞き及んでいました)制限されるクラブで在り、そのため、ユベロス氏のお気に入りで一番よく使用するベル・エアーCCに狙いを定めたのでした。ベル・エアーCCは、市内の超高級住宅街のビバリーヒルズ、ベル・エアーと代表的な超高級注宅地域の一画にあります。場所は、WEST WOODエストウッドのUCLAキャンパスの裏山がこのベル・エアー地域なのです。

筆者の余談話

丁度、此処には、筆者の親友の家族がその山頂付近に豪邸を構えていたため、私には付近の様子が手に取るようにわかりました。この地域は大変詳しかったのです。ベル・エアーCCについても、プレシテイージの高いゴルフクラブでありますが、幸い、私は、本CCで何度も別の親友の米国人とプレーしていましたので、こちらも精通していたと言えると思います。

本クラブのコースは、超有名なホールが在り、それはインの10番ホール、パー3のショートホールで距離200ヤード、鋭い深い谷越えが名物ホールです。私もいつもプレッシャーを受けてプレーしていました。私の親友は、このホールをいつもスキップしてプレーせずにカートで次の11番に向かっていました。

その理由を会食時に訊ねると「waste of ballボールが無駄」と頭からあきらめの境地でした。このベル・エアーCCの特徴は、カート使用も可能ですが、プレーヤーにはそれぞれ若い男性キャデイーが付いてバックを担いでくれ、コースガイドもやってくれる大変記憶に残るゴルフクラブです。殆どの米国の名門クラブは、リクエストすれば男性の個人キャデイーが付いてくれます。また、名門クラブのメンバーは、他州の名門コースのTタイム(スタート時間)も予約できます。双方のメンバーにはメリットがあり、至れり尽くせりとなっています。

P・ユベロス氏をベル・エアーCCでの待ち伏せ作戦

ジミー・福崎氏は、日系米国人で電通側に立ち、米国流のビジネスコンセプトと服部氏(電通)の日本流なビジネスコンセプトを十分に心得たうえで戦略を組み立てられていたのには敬意を表します。

彼はユベロス氏に近付き、権利獲得へと電通を導き、そして今日に至るまで世界にスポーツ・ビジネス「電通」の名をとどろかせた、電通に取ってはかけがえのない人物でした。服部氏が他の日本人ビジネスマンと異なる所は、信頼するジミー氏にキーを預けて相手とのネゴシエーションを任せる所でした

米国人と交渉事を行うに当たり、多くの日本人経営者、ビジネスマンの最大の問題と弱点は、ジミー氏のような立場の人を雇っているにも関わらず、日本人独特のやり方を通すことで、折角のビジネスチャンスを潰してしまう、即ち幕開けから幕閉じまで自分でやらねば気が済まない性格から重箱の隅をつつくような事をやらかす欠点があるのです。その点、服部氏は、度量の大きな人物でした。

このような日本の伝統的な経営、運営、管理手法では、管理者、指導者の能力以上の成果・結果を期待できない事です。即ち、真のトータルマネージメント(スポーツ・アドミニストレイション)が何たるかを理解できていない証しであります。自分の権益を犯すかもしれない人材は、育てない置かないが伝統的な日本の経営、運営、指導、管理者であり、スポーツ先進諸国のそれとは真逆なのです。

ジミー・福崎氏の事は、全く業界においても社会においても伏せられてきました。電通内部に於いても本プロゼクトの部門及び関係部署の人間以外は知るよしもなく、服部庸一氏の名前は知っていてもジミー・福崎氏の名は何故か外部に対しては誰もが語ろうとはしませんでした。これは、日本の伝統的な社会、組織の雇用体質の慣習と知恵の一つなのかも知れません。日本人には、良い意味での不思議な美徳、美学がある事を初めて認識した次第です。しかし、私は、このような組織内の伝統的な慣習はアンフェアーな評価と扱いでないかと思われてなりません。

服部氏とジミー氏は、ベル・エアーCCP・ユベロス氏のゴルフプレー終了を待ちかまえ、クラブハウス内に潜り込んでのミーテイングを繰り返し行ったものと想像できます。勿論、ユベロス氏のLAOOCオフィスのミーテイングルームに於いても、またある時は、ダウンタウンのホテル会議室に於いて話が積み重ねて行われていったのです。

2.契約内容の詰めから実務作業へ

本社での実務作業が開始

その結果、契約書に盛り込む骨子が固まって行きました。此れにより契約内容の骨子は、事務的な修正、訂正、加筆等と事務的作業がメインとなり作業部門、法務部門に引き継がれました。そして、服部・ジミー部隊は、その後大きな調整事項に付いてのみP・ユベロス氏と直接交渉を行い、それ以外の業務は、LAOOCから得た全ての知的財産権利を今度は築地電通本社内の各専門部門、部署の営業、企画、デザイン、企業へのプレゼンテイション、等に於いて現実的な商品化作業が行われ、各カテゴリーのスポンサー企業に対するセールスを遂行する重要な工程に入って行ったのです。

LAOOCから得た権利を最大限有効活用する為には、一業種一社に絞り込む為に各商品のカテゴリーの各業種を確定するに当たっての選考基準、一業種一社に対する分担金の割り振り、等との駆け引き交渉作業が各担当部門間に於いて開始されたのです。その結果84ロサンゼルス・オリンピック大会での一番最初に決まった一業種一社の会社・企業は、事務機器メーカーでブラザー電子タイプライターだったのです。それは、ブラザー工業が世界に市場を求めているタイミングでもあったためです。一業種一社が確定した後、我も我もと民間企業が参戦の意思を電通に表し、まさにバブル経済期に相応しいスポンサーシップの集まりでした。此処にP・ユベロス氏の狙いの矢は、的を射たのです筆者も本タイプライターを長年愛用しましたので当時のタイプライターでは、大変斬新で使いやすかったのを記憶しております。

3.新たなスポーツ・ビジネスの開拓を求めて参戦

筆者は、ジミー・福崎氏が陰の人間としての功労者で在った事をよく存じて居たので本連載の此処にご紹介させて頂きましたまた、この電通は、ロス大会プロゼクトと並行して進めていましたワールドカップサッカー(略:WCS)の権利略奪計画がもたつき前進しないため、本社司令部はロス五輪で結果を出した服部、J.福崎コンビの参戦に舵を切ったのです。これも本ロス五輪の権利獲得の成功による「人間関係の絆と信頼」の遺産が大きな原動力となり次なる大きなプロゼクトへと踏み出して行くのです。本WCサッカー権利略奪計画に付きましては、機会が在りましたら改めてご紹介させて頂きます。これから始まる電通のスポーツビジネスの世界戦略は、この84ロス五輪の成功と成果が基盤となり、ご紹介させて頂きました服部庸一氏とジミー福崎氏コンビがその礎を構築した事をお伝えさせて頂きました。

電通内部では、当時服部庸一氏の部門、部署ではなく、他の関係部署で業務をされていた方々が、今日、私が電通で「オリンピックビジネス」を「サッカービジネス」を「世界陸上ビジネス」をやったと公言されるケースが多々あるようですが、その方々は、当時業務に関係はされていてもキーマンではありませんでした。キーマンは誰であったのかは、実務の様子を木陰で見守っていたフェアーな眼差しの持ち主が必ず居た事です。それは、誰が語らずとも事実、真実は時間と共に歴史が語ってくれる事になるのではないでしょうか。漁夫の利を得たそのような方々については、ご自身の胸に手を当てると一番よくご存知ではないかと思います。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the Sport

お知らせ:次回Ksファイルは、多分読者の皆さんが何故筆者はこれほどまでに米国に於いて本件に関わる人間関係、行動範囲を持ち得ているのか、との素朴な疑問をお持ちのようですので本テーマを終了する前にインターミッション的に余談話を付け加えさせて頂く事により、その謎が解けるのではないかと思い掲載する予定です。

K'sファイルNO.97:今日のスポーツ電通の礎 84ロス五輪とは!

K'sファイルNO.97今日のスポーツ電通の礎 84ロス五輪とは!

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第三弾:電通の仕事人と陰の人

1.電通84ロス五輪プロゼクトとその仕掛け

①今日のスポーツ電通を築いた真の侍達

それまで縁もゆかりも無かったP・ユベロス氏(LAOOC会長)に電通は、如何にして接触できたのかに付いて、読者の皆さんの興味にお応えしなければなりません。元来、電通84ロス五輪組織委員会・会長のP・ユベロス氏との間には、何の接点も関係も持ち合わせていなかった事に付いてKsファイルNO.96で触れました。よって、本プロゼクトの作業は、電通側に取っても白紙からのスタートで在ったと申し上げて過言でありません。

先ず電通側の本プロゼクトの最前線の責任者であり、プロデユーサーは、服部庸一氏で在りました。服部氏は、本企画プロゼクトの責任者に突然なった訳ではありません。同氏は、此処に至るまでの長い実践キャリアと実績がありました。

服部氏は、音楽の才能が豊かで、プロ顔負けの声量の持ち主で在ったとうかがって言います。大学時代から仲間たちとジャズバンドを結成、演奏活動をしていた事の紹介は以前ご紹介申し上げた記憶があります。そして、この戦後間もない時代彼はジャズバンド(名称:ハワイアンバンド)によってその後の人生と人間関係を広める大きなツールとなるのです。当時バンド時代には、座間の進駐軍(米軍キャンプ)にまで出かけて行って演奏活動をしていたようですが、そこで駐留兵士達のために、米国本土からタレント、歌手達を招聘するプロデユースを担当をしていた日系人と出会います。この出会いが、服部氏の将来に大きな変化と世界の扉を開ける事になるとは、勿論当時は本人も想像もできなかった事でしょう。この出来事を読者の皆さんは、是非記憶して置いて下さい。

その後、服部氏は、縁あって電通に就職します。そこで彼はまた、趣味で在り得意の音楽で水を得た魚の如く、道を切り開いて行くのです。此処では、筆者が音楽界及びその知識には疎いため、音楽事業における功績は割愛させて頂きます。しかし、彼のキャリアの中でも筆者が輝かしいと思ったのは、大阪万博や沖縄海洋博でプロデユーサーを手掛けられ、成功を収められた事ですこのような話題になりますと、服部氏と夜が更けるのを忘れてロスのホテルで話し込んだ懐かしい記憶が蘇ります。

服部氏は、当時の一部電通社員特有な傲慢で誰に対しても上から目線の社員とは異なり、人当たりが素晴らしくよく、ソフトで、人の話に耳も傾けるタイプでした。特に彼の経験の少ないスポーツ界の話題には、ことのほか好奇心が旺盛な方でありました。私の個人的な印象では、本当に電通の方とは思えない程、物腰が低く温和な雰囲気の方でした。しかし、時々見せる鋭い眼光の奥からは、この世界で生きる人間特有の鼓動が透けて聞こえてくるのを肌で感じ取れました

大先輩に対して大変僭越ですが、私は同氏と即意気投合して何十年も昔からの信頼できる友人のような親しみを覚えた記憶が今も色濃く残っております。多分当時、P・ユベロス氏との契約の見通しにメドが付き、あの日はホッとされた夜だったのかも知れません。勿論、彼の成功には、電通という巨大な看板が後ろ盾となっていた事も事実でした。

2.電通最前線部隊の存在とアグレッシブな行動力

①ジミー・福崎氏の存在と人柄

服部氏については、如何に実績のある辣腕プロデユーサーと云えどもそれは日本国内での事であり、彼一人では、何も出来ない事を百も承知であったようです。

そこで、彼は、学生時代から旧知の中であった、そして当時は座間キャンプからロサンゼルスに戻っていたジミー・福崎氏にコンタクトしたのです。そこでの服部氏の福崎氏への期待は、何とかしてLAOOC会長のP・ユベロス氏に服部氏自身が直接会える可能性を模索し、そしてその方法、手段を探すことを頼み込んだ様です。

服部氏の側でいつも同席し、物静かに含み笑いを浮かべている長身の日系人のおじさんがいつも座っていたのが先ず大変印象的でした。何も知らない観光客がその光景を見たなら、ホテルのロビーの片隅で東洋系マフィアのボスに寄り添うボデイーガードと誤解されそうな光景でした。そのおじさんこそが、今日世界のスポーツ電通をゆるぎない礎を構築した服部氏の陰で心血を注いだ日系二世のジミー・福崎氏であったのですジミー・福崎氏は、電通の本プロゼクトの担当責任者の服部庸一氏と一心同体で、P・ユベロス氏に如何にして服部氏を会わせる事ができるかのリサーチから始めた人物です。ここで、本論に突入する前にジミー氏と服部氏(電通)の関係に付いて先ずは、整理をして置きましょう。これは、当時私がロサンゼルスでお会いしたころに彼らから教えて頂いた記憶を基にご紹介させて頂きます。

このジミー氏なくしては、如何に辣腕の服部氏でもこのBIGスポーツ・ビジネスプロゼクトをまとめ上げる事は、不可能に近かったと私は、今もそう確信しています。服部氏は、どこでこのジミー氏と出会ったのかと不思議でしたので、ある日、ジミー氏が休日にロスの私邸に招いて下さった時にお茶を頂きながら雑談の中でストレートにお聞きしました。それは、何とあの座間の進駐軍の駐留兵士への慰問招聘のマネージメントをしていた時に服部さんのジャズバンドとの出会いから始まった事が判り、漸く点が線で繋がった訳です。

②服部庸一氏の人柄

以前にも述べましたが、服部氏は、電通人とは全く異なるタイプでしたので最初の出会いから大変好感を持ちましたが、ジミー氏の話を聞くにつけて、彼の人柄と温かさ、そして責任感とまるで電通人のイメージとは対極の人物であったことを確信しました。彼は、決して私に対しても見下した言動態度を取らず、高圧的で肩で風切る仕種もしない本当に優しい方でした。

このような事を十二分に理解しているジミー氏は、服部氏には全幅の信頼を寄せ、服部氏も電通という組織から外部に位置するジミー氏を最後の最後まで守られている様子が服部氏の言動からも見て取れました。このように服部・ジミー福崎コンビは、お互いにリスペクトし合い、厚い信頼と強い絆が在って、一大プロゼクトに挑んでいたのだとも思います。

服部氏は、丁度私が西武・国土計画でお世話になっていた時に出会った当時の西武ライオンズ監督、根本陸男氏に風貌、物腰、言葉使い、眼差しと大変酷似していたところもありました。しかし、根本氏の問題の処理、解決方法は、服部氏と比べると異質でした。勿論、人間として本質的な部分は、生まれも育ちも人間関係も異なりますので、あくまでも表面的な部分が似ていると申し上げます。

③ジミー・福崎氏の人となりと立ち位置

筆者は、ジミー・福崎氏の事はロスの日系人コミュニテイーのスポークスマン達から事前に知識を頂いていましたので、お会いする前にある程度のイメージは整っていたと思います。

それは、ロス日系社会には、古き良き親友達が沢山いますので、必要な情報には事欠きませんでした。ジミー・福崎氏は、日本人気質をよく理解し、日本流のビジネスコンセプトを理解していた方でした。彼は、最初は電通の本プロゼクトの責任者であった服部庸一氏の通訳として、次にコーデイネーター(調整役)として、そして遂にはネゴシエーター(交渉人)として電通側の立ち位置で服部氏の分身として活躍された重要な役割を担った中心人物の1人です。即ち、服部氏のシャドーマンの存在だったのです。その証として、ジミー氏の存在は殆ど今日も本件に関して電通内に置いても、ましてや外部に置いて語られることなど耳にしたことがありませんでした。

服部氏は、米国人が同席する場所では一度も英語での会話を聞いたことはありませんでした。同氏は、米国人との会話に於いてもジミー氏が丁重に通訳をされていました。勿論、挨拶時には、こんにちは、有難う。またお会いしましょう。等は、英語で会話されていたのを記憶しております。

服部庸一氏を電通の本プロゼクトの仕掛け人としますとこのジミー・福崎氏は常に側に居て陰で支える参謀とあえて申し上げる事に致します。この二人の関係は、後の私の東京読売巨人軍時代の長嶋茂雄氏と小生の関係とは、最終的には異なっていたように思います

ジミー氏は、服部氏をP・ユベロス氏に会わせる為のアレンジメント、そして交渉、契約と完璧な黒子に徹した人物でした。私がこの方に初めて会ったのは、LAOOC電通の間で略交渉、契約の見通しが付いた頃であったと記憶しています。彼のロスのご自宅に招かれ、休日に美味しいお茶を頂きながら数々の世間話をして下さった事は、その後の私の人生にどれ程貴重で価値ある財産になったか計り知れませんし、今も深く感謝申し上げております。

3.日系二世の重要な後ろ盾が橋渡しを

①勝負の切り札的な人物を味方に

ジミー・福崎氏は、服部氏から依頼を受けた当時、P・ユベロス氏とは、何の面識も関係も無くしばし努力はするが確信は持てなかったようでした。 

しかし、彼は、LAOOCのメンバーの中に日系人オピニオンリーダー的存在でもあり、米国西海岸に於ける日系人社会の成功者の1人として、その社会では絶大な信頼と尊敬の念を持たれていたフレッド・勇・和田氏(日系2世)がいる事に気付いたのです

和田氏は、2世として数々の功績をご自身の血のにじむような努力で勝ち取られて来られた方でした。筆者と同氏とは、ロス日系人社会の著名なご家族と小生が親しかった関係で、パーテイーでご紹介を受け、それ以降何度か会食の機会をいただきました。お会いする度に若輩の小生に「頑張りなさい」と声を掛けていただき、苦労話や、日本人でありながらの日本人との人間関係の難しさ、日本のスポーツとの関わり、等を本当に親身になって指導下さりました。同氏に付きましては、また機会がありましたら、如何に素晴らしい人間味溢れる方であったかのエピソードをご紹介出来たらと思います。

このような事があった後に、私は、親友から「フレッドがP・ユベロス氏に電通を紹介してあげたんですよ」という話を伺ったので、服部氏、ジミー氏とその後お会いして話をお聞きする時には、何か不思議な人間関係や、ご縁の大事さを肌で感じずにはいられませんでした。勿論、服部、ジミー両氏は、小生が既に日系人から真の情報を得ていたと知る由もありませんでした。

ジミー氏は、服部氏からのたってのお願いを断る事はできず、どのようにして先ず自身がP・ユベロス氏に関する情報を収集するか、どうしたらフレッド・和田氏に近づき、親友服部氏の望みを伝え、協力が得られるかを、暫くの間、入念に思案したのでした。

ロサンゼルスの日系人コミュニテイーは、広域で当時は確かリトル東京日本文化会館を建設する話題と資金集めにコミュニテイーのリーダー達が心血を注ぎ活動し、着工していた時期であったと記憶しております。本コミュニテイーも日本の社会同様に幾つもの勢力、派閥が融合する社会を形成していますので、リーダーの1人の和田氏、親友ご家族からいろいろと巷の話をお聞きする事は、自身の見聞を広め、人間関係の難しさを学ぶ大切な機会となりました。

ジミー氏の結論は、日系人社会で確固たる実績を持たれ、日本のスポーツ界にも深く通じ、そして何よりもP・ユベロス氏の委員会の重鎮としても迎えられ、日系人である事から電通(服部庸一)を紹介してもらうのにフレッド・和田氏がうってつけの人物だと結論に至ったようです

 ②和田氏が電通を信頼したのはJ・福崎氏の努力の賜物

勿論、彼は、電通の為に一肌二肌脱ぐのでなく、自分に声を掛けてきた親友の服部庸一氏の為に、服部氏にクレデイットを得て欲しいがために引き受けたのだろうと、その後服部氏との強固な信頼の絆を目の当たりにしながら、肌で感じた次第です。

ジミー氏は、既に多くの日本人が失っている義理人情を大変大事にされているようでした。特に日系二世には、当時彼のような義理堅い道徳観念を両親から教育され日本人の誇りとして受け継いでいる方々が沢山いらっしゃいました。近年の我が国の政治家、スポーツ関係者には、是非日系二世の方々が大事にされている日本人のよき道徳観念を忘れないで欲しいと願う次第です

ようやくジミー氏の準備が整いました。和田氏のロス自宅を目して服部氏と向かいます。いよいよ戦略に沿った手順で電通ロス五輪プロゼクト(ロス電通支局)の最前線部隊が突入を敢行するのです。ジミー氏は、部隊の工作員として相手方の懐に入り、地ならしを完了していました。そのため、表の参謀が仁義を切りに訪問した時には、既にジミー氏から本件のイントロダクション(日本的には、根回し)は和田氏に伝わっており、当日は服部氏の挨拶、本論を確認した後、快くP・ユベロス氏にご紹介して下さることと相成ったのです。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the Sports

お知らせ:次回K'sファイルは、和田氏を味方に付けP・ユベロス氏への橋がかかり、双方の思惑が進行する中、新たなBIGプロゼクトに参戦しなければならない事態が発生するのです。

K'sファイルNO.96:今日のスポーツ電通の礎 84ロス五輪とは!

K'sファイルNO.96:今日のスポーツ電通の礎84ロス五輪とは!

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第二弾:公金を使わず 84ロス五輪成功のキーは何であったのか!

1.P.ユベロス氏の手法と決断力

①前回のあらすじ

84ロス五輪大会組織委員会(略:LAOOC)の委員長は、選考基準の公開や、選考方法の事前告知を経て、応募者600名の中から厳重な審査の基に選考されました。重要な選考委員会は、ロサンゼルス市民を代表する審査委員の選考に於いて、利害、利得を得る可能性の低い、その分野と社会、市民からリスペクトされている人物(マイノリテイを含む)がフェアネスを基に選出されました。勿論、審査委員に対する報酬は無く、日本的な第三者委員会とは異なり純粋な市民の代表が審査委員でありました。

2020年東京大会の組織委員会・会長は、どのようにして選考されたかご存知ですか。少なくとも私は、存じ上げません。

東京大会組織委員会は、会長の選考方法も情報公開も国民、都民にはなされず、いつの間にか現人物が鎮座してしまったような記憶しかありません。この事からも我が国は、グローバル化を声高に叫びながら実は伝統的な隠蔽体質と談合体質から抜け出せない悲しい現実が、21世紀の今日も尚、現存している証です。このような現状と体質は、いつまでも改善される事無く続いているという事の様です。

1984LAOOCP・ユベロス委員長の掲げた大義

P・ユベロス氏は、「このオリンピック大会開催では、アメリカ合衆国カリフォルニア州、ロサンゼルス市の公金である税金を1セントたりとも使わず黒字化する」と委員長就任時に掲げ宣言したのです

一方2020東京五輪組織委員会・会長の森喜朗は、就任時に「現在の開催に必要な予算では十分でない」と資金投入の必要性を声高に掲げ、まさにユベロス氏と対極のリーダーであったことを皆さんはご存知でしたでしょうか?何故、レガシーの必要性を声高に唱えて、即箱物の建設をむやみやたらと推進したのか?

③新しいスポーツ・ビジネスの理念と明快なコンセプト

P・ユベロス氏の着眼点を示すのに、分かりやすい有名な言葉があります。それは、「オリンピックに必要なのは、競技場でなく、その競技場に何台のカメラを持ち込めるかだ」と断言したのです。これは、まさにビジネス・アドミニストレイターとしてのクリエイテイブな発想の証しであります。P・ユベロス氏の新しいスポーツ・ビジネスの理念と明快なコンセプトとは、「権利=Right」を最大限生かす為の手段と方法に特徴がありました

そのコンセプトは、何かが「制限」されて初めてその「制限を制限すること」ができる。つまり「権利」の意味が生じることです。権利が与えられても、権利を持たない者との区別がなければ、やはり意味はないのです。権利の有無により区別が無いなら、なんとかして「差別化」を図って区別を作り出す事が必要であると考えたのです。権利を持たない者に対しては、制限を強くする程、その「制限を免除される権利自体の価値が高くなる」ことは明白です誰もが使えると言うのは、誰にも使えないというのと同じに、その使用自体には価値が生じないのです。

権利の重要なポイントは、「権利」という商品は物理的に存在しないのです一般の商品とは性格が異なる点に着眼したのです。

無体財産権」は、「知的財産権」とも呼ばれ、知的にしかその存在は認められないのです。その意味は、「権利=Right」の質、価値は、価格(お金)でしか評価できない」と言う事を実践して見せたのがユベロス氏なのです。

即ち、スポーツに権利ビジネスを持ち込んだのがユベロス氏のスポーツ・ビジネスアドミニストレイションの特徴なわけです。(以上、同氏のビジネスコンセプトより)

このようにP・ユベロス氏は、確りとした論理的なコンセプト基盤を持って実践された、いわゆる知的戦略、戦術家であったと思います。

2.ユベロス氏の成功の秘訣と着眼点

ユベロス氏は、「オリンピックに必要なものは、大きな競技場ではなく、問題は、その競技場に何台のテレビカメラを入れられるかだ」と断言したのです。

①一つ目の着眼点-

彼の視点は、スポーツ・ビジネスを如何にして実践し、成果を出すかの徹底したコンセプトが伺えます。それは、オリンピック自体をテレビ放送用のスポーツ・エンターテイメントとして位置付け、放送権利の売買を行うビジネスの道を開拓したのです。この大会以降、スポーツイベントの放送権料が右肩上がりを始めたのは、ユベロス氏の功罪のうちの罪の部分であるところと言えます。

②二つ目の着眼点-

スポンサーシップという形で民間資本を活用する事が、唯一の財源を確保する術であると位置づけた事です。そして、その為には、巨大な広告代理店(AdvertisingAgency)の協力とその活用方法に着目したのです。

重要項目の一つの民間企業から得るスポンサーシップに付いては、権利をより強固にするため、一業種一社制を取り入れた事です。これにより、スポンサー広告の価値はより効果的且つ、競争原理導入でより効果が高まる事を期待したのです。(例:車のスポンサーは、世界で一社のみ)

広告代理店には、ビジネス的な権利を与える代わりに、ロス大会を成功させるために必要最低限のギャランテイー(保証)方式を取り入れて、大会成功の財政的な基盤を担保させた事でした。その為には、代理店を先ず選考、指名することを最優先としたのです。

ユベロス氏は、当時日本がバブル経済を迎え、日本企業がまさに海外にマーケット(市場)を求めている事を強く認識していました。そのため、ターゲットとして日本の広告代理店「電通」を心の底では期待していたのではと推測します。しかし、誰にも心中を明かさず、彼の賢さが伺えます。そこへ、まんまと飛び込んでいったのが電通でしたP・ユベロス氏に直接、接触を求めて行ったわけです。(本件に付きましては、次回以降に予定)

3.何故広告代理店に電通を選定したか

P・ユベロス氏と広告代理店電通との関係は、元々縁もゆかりもありませんでした。よって、ユベロス氏は、最初から電通ありきで動き出したわけではなかったのです。ユベロス氏のビジネスコンセプトに米国の広告代理店制度(AE制度)は、不都合であった

AE制度とは

米国の広告代理店制度は、日本とは異なり非常に厳しい制度の下で成り立っている業界です。その最大の特徴は、米国の広告代理店は、AEAccount Executive制度が法律によって守られており、即ち一業種一社制度の事なのです。一業種一社とは、一つの広告代理店が同じ業種の代理店になれない事を意味しています。例えば、A広告代理店がフォード社との代理店契約をした場合は、同じカテゴリーのトヨタ社の代理店にはなり得ない事を意味します。

つまり、米国の広告代理店ではスポンサーセールスに於いて、ユベロス氏が考えるような競争原理を活用する事が出来なかったのです。それに比べて、日本の広告代理店制度は、AE制度がなく各広告代理店が一業種一社の枠を超えた一業種複数社制度であったため、好都合であったのです。即ち、日本の広告代理店は、例えば車の業種に於いてトヨタ、ホンダ、日産、マツダ、鈴木、等と何社でも取り扱えるという意味です。丁度、この時期のIOC規約、規則には、この種の規約、規則が無く、今日のIOCに於けるこの種の規約、規則は、84ロス五輪を参考に85年以降に出来たルールなのです。

電通内部の葛藤

電通内部に於いては、一枚岩で在った訳でなく電通組織の体制、体質から内部での競争、闘争は激しく、常に群雄割拠の中で、やるかやられるかのパワーゲームが横行していました。つまり、戦略的な内部組織構造であったわけです。

此れを称して、業界では、電通方式と呼ばれています。これは、筆者が所属していた当時の西武、国土計画の会社・企業コンセプト(企業内に於ける競争の原理原則を活用)とも酷似しています。この企業コンセプトを取り入れることは、企業内外に於いてハイ・リスクマネージメント並びに危険なモラルハザードを起こす要因になる可能性を含んでいる事を忘れてはならないのです

既に当時から米国に於いては、各競技スポーツのトップアスリートを内外からかき集めたスポーツ・エイゼンシ―(スポーツ代理店、IMG社:International Management Group)を立ち上げ活動し始めた時期であったのです。電通内部の本プロゼクトのオリジナルグループのプロデユーサーは、服部庸一氏を中心とした営業企画室グループでした。しかし、別の社内グループのリーダーは、本来のグループの機先を制するが如く、このスポーツ代理店のCEO(最高経営者)のマーク・マッコーマック氏(Mark McCormack)を対LAOOCP・ユベロス氏のネゴシエーター(交渉人)とするべく動き出したのです。

しかし、この動きの情報を既に察知したP・ユベロス氏は、電通IMGに対して“NO”の警告を発したため、IMGを前面に立てようと策を弄した電通内の別のプロデユーサーの画策は、事前に潰されたのでした。後にこのプロデユサーは、電通を離れて何故か体育学部のある私大に移籍。これにより今迄以上にユベロス氏と服部氏との関係は、絆を深め、服部氏は社内の闘いを制していよいよ本格的な交渉へと駒を進めたのです。

4.LAOOC電通に与えた対価とは

ユベロス氏は、さすが一筋縄では行かないビジネス・アドミニストレイターであり一流のネゴシエーター(交渉人)でもあったのです。ビジネス交渉が具体的に動き始めたのは、確か1979年秋ではなかったかと思われます。此れは、電通側の焦りが、プロのネゴシエーターであるユベロス氏の罠に入っていくことを意味します。(本件に付いても、次回以降に予定)

此処で付け加えますと、LAOOCの唯一の総責任者は、P・ユベロス氏であり、対電通に対するネゴシエーターでもあった事がこの人物の強烈な個性とパワーを感じさせる次第です。

此処が20東京五輪大会組織委員会の会長のような神輿に鎮座して、全ての実務は、他の政治家、役人、企業人にやらせる手法とは異なり、P・ユベロス氏は、真に全ての指示、最終決断を自らの責任に於いて実行、遂行するビジネス・アドミニストレイターだったのです。

①最終的に、ユベロス氏が電通側に手渡した権利の中身

1.公式マスコット、エンブレムを使ったライセンス権

2.公式スポンサーとサプライヤー

3.アニメ化権

4.入場券取り扱い権

以上が合意事項であり、放映権、入場料収入権は、与えられませんでした。此れもユベロス氏のしたたかなプロのネゴシエーターの一面だったと思います。

大義達成の為の準備

ユベロス氏は、本大会委員長を受託した後、早速に手掛けたのが大会を成功させる為に必要な自身が掲げた大義を如何にクリアーするかでした。

それは、「公金は使わない、黒字にする」のハードルを越えなければ自身のコミットメントを解消できないことを十分に承知していたのです。そこで先ずは、予算を概算でなくアクチュアル(本当に必要)な数値を設定したのです。この数値(金額)目標を電通にコミットさせれば、その時点でユベロス氏の勝利となり、ゲームオーバーとなると試算して、対電通とのネゴシエーションに臨んだのです。

5.P・ユベロス氏のキャリアと頭脳センスの勝利

ユベロス氏は、当時バブル期を迎えていた日本経済に目を付け、広告代理店をLAOOCの公式広告代理店に指名したのです。日本の広告代理店は、電通でした。何故博報堂、その他でなかったのか。(次回以降に予定)

GIVE&TAKEの取引成立

ユベロス氏と電通の間では、双方丁々発止のネゴシエーション(交渉)が積み重ねられ、最終的に、ユベロス委員長は、電通の提示に満足し、組織委員会LAOOC)は電通側のギャランテイー(保証)を担保し、リスクマネージメントを回避、スポーツ・ビジネスとしては、ここでユベロス氏の一大勝利となったのです

即ち、P・ユベロス氏が提示した権利(1,2,3,4)を電通に渡す対価としてLAOOCの赤字の可能性は、無くなった事です。此れで、ロス大会開催前に大会予算は、電通により保証(ギャランテイー)を担保させ、後は、黒字化を考えるだけとなったのです。

最後に黒字化の最大の要因は、ユベロス氏が最後まで電通側とのネゴシエーションから切り離して渡さなかった、TV放映権、及び入場料収入(テイケット収入)が彼の最後の国民、州民、市民に公約した黒字化の要因となったのです。そして、本黒字となった財源(440億円)は、全てカリフォルニア州、ロサンゼルス市の社会厚生施設に還元されたのです。

このように三十数年前に、P・ユベロス氏に寄って公金を使わず、民間資本のみにてオリンピック大会を招致、開催したスポーツ・ビジネスアドミニストレイションの実例を完成させていたのです。

以上「河田弘道のスポーツ・アドミニストレーション論:現代のスポーツ・ビジネスの巨大化原因とその歩み編より抜粋~」

P・ユベロス氏は、本スポーツ・ビジネスアドミニストレイション手法により、市、州、連邦の政治家達の利権へのつけ入る隙を与えなかった事で余計な利権絡みのスキャンダル、疑惑、等からも大会組織委員会並びにロス五輪をクリーンなイメージを確保した事は隠れた最大の功績として、今も尚関係者、市民、州民から称賛されている次第です。また、此の事は、無駄な予算、意味不明な人件費、諸経費の節約に直結していたのでした

そして、同氏のアドミニストレイターとしてのセンスは、此れだけにとどまらずロサンゼルス市民に対して財務状況を定期的に情報公開する気配りを忘れなかった事です。これは、彼が組織委員会・委員長に任命された時に選考委員会、組織委員会との間で取り交わされた「契約書」を誠実に遵守した証しでもあるのです。

20東京五輪組織委員会・会長には、責任者としての所在を明確にする契約書なるものがあるのであれば、公開する義務があります。何故ならば、20東京五輪組織委員会は、公益財団法人である事から明文化された書面があってしかるべきだと筆者は思う次第です。

我が国には、残念ながら2020年東京大会開催に於けるロードマップを完成できるスポーツ・ビジネスアドミニストレイターが居なかった、という事ではないかと思われます。

 

文責:河田 弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:次回は、何故電通P・ユベロス氏に近づけたのか、如何にして電通は、今日の世界のスポーツ・ビジネス(オリンピック、ワールドカップ・サッカー、世界陸上、等)を一手にできたのか、そこには、黒衣の参謀の戦士が居た。華やかな舞台裏には、何かが匂い、何かがうごめき、そこには必ずひっそりとシャドーマンが寄り添っている。

 

K'sファイルNO.95:今日のスポーツ電通の礎84ロス五輪とは!無断転載禁止

K'sファイルNO.95今日のスポーツ電通の礎84ロス五輪とは!

無断転載禁止

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第一弾:五輪の革命とその変革(Change

1.アマチュアスポーツをビジネス化

①スポーツがビジネスCORE

1970年代の世界のスポーツ界は、当時の世界的な経済の動向に強い影響を受けていました。70年代は、スポーツに関連する事業形態が、それまでとは異なるその名も「スポーツ・ビジネス」として産声を上げようとしていたのです。これは、丁度私が米国の大学に渡ってまもなく米国に於いてもスポーツの変革の時期と時代を同じくしていたように肌で感じました。

70年代に入って、本格的にスタートしたスポーツ・ビジネスは、その後新しい可能性を求めて次世代に引き継がれ今日に至っています。

②カリスマBIG3が世界のスポーツ界を席巻

オリンピック大会(略:五輪)のスポーツ・ビジネスの新しい可能性は、1966年に国際オリンピック委員会(略:IOC)委員に就任、70年に理事に昇進、そして80年には、第7IOC会長に選出された、アントニオ・サマランチ氏(Juan Antonio Samaranch19202010スペイン、バルセロナの生まれ)のリーダーシップにより変革されて行きました

同氏は、その過程に於いて、IOC内外での政治的手腕を最大限発揮し、将来のオリンピック発展構想の推進役を担った人物です。1998年の長野オリンピックは、サマランチ氏と堤義明氏(当時西武・国土計画会長)との間の公私に渡る関係で成立した事は有名です。そして、長野五輪開催によりモナコに黄金の御殿が建てられたとまで揶揄された人物でも有りました。世界のスポーツ界の変革に貢献したBIG3の1人です

③アマチュアリズムの功罪

スポーツという概念は、元来ヨーロッパの騎士道の精神に由来して白人の文化社会の流れを受け、アマチュアリズムが19世紀に英国で生まれたと言われています。このような白人(アングロサクソン)の特権階級の精神を「アマチュアリズム」として長年継承して来たのです。

ピエール・ド・クーベルタン男爵(フランス、1863年~1937年)は、フランスの教育者であり、古代オリンピックを復興させ近代オリンピックの基礎を築いた創立者です。同氏が提唱した「オリンピック憲章」の「アマチュア規定」は、オリンピック大会及び選手、競技関係者達の自由をアマチュアという枠組みで縛って来た為に段々とオリンピック大会の開催自体を疲弊させていきます。財政的な赤字を伴う事で各国の主催都市は招致に消極的になり激減します。この事がIOCにとって最大の問題の一つとなっていくのです。

④アマチュアとの決別

マチュアのコンセプトは、そもそも「選手は、スポーツによる金品の授受及び生活の糧として受けてはならない事、指導者、関係者は、スポーツによる一切のビジネスは認められない事、また、それによる金銭の授受及び生活の糧を受けてはならない事」でした

このアマチュア精神が形骸的に名残りしているのは、我が国に於けるスポーツ競技団体の役員、関係者の無給でバランテイアと言わしめている所以が此処にあるのです。よって、この競技団体の役員達は、無休でバランテイアーなので責任は無いのだと言いたいのです2020東京五輪組織委員会の理事及び役員、スタッフは、高額な有給者です。

そこでAサマランチ氏は、自身がIOCの委員時代から本オリンピック憲章のアマチュア規定の問題を検討課題とし、1970年のIOC理事昇格後には憲章からアマチュア規定の削除を提案し、それ以降強力に推進して行きます。

その結果、1974年にオリンピック憲章の五輪参加資格から「アマチュア」という文字を削除する事になったのです。

丁度この時期のスポーツ界のポリテイカルな様相は、IOC会長のAサマランチ氏(スペイン)を筆頭に国際競技連盟(略:IGB)のメジャー競技スポーツとされる国際サッカー連盟(略:FIFA)の会長にジョアン・アベランジェ氏(ブラジル)、国際陸上競技連盟(略:IAAF)の会長にプリオ・ネビオロ氏(イタリア)と白人主導からラテン系主導へと歴史が移行した事もサマランチ氏にとっては追い風となり、改革がスムーズに遂行出来た要因でした。当時、国際マスメデイアは、こぞって彼らを「ラテン系スポーツマフィア」と呼び、また彼らの言動、行動が積極的且つ手荒かったのも事実でした。

これは、オリンピックをビジネス、商品(Merchandising)として捉え、また競技選手(Athlete)も商品であり、プロフェッショナルとしての出場を公認する出来事へと発展させた、オリンピック革命と言われるスポーツ界最大の変革の時期であったのです

日本に於いては、このような世界の動向から約10年後の19865月に、日本体育協会 (略:JSA、現日本スポーツ協会)が従来の「日本体育協会マチュア規程」を廃止し、代わりに「スポーツ憲章」制定し,加盟競技団体の登録競技者の資格規程を改めます。しかし、今日に於いては、この新しく制定した資格規定も中途半端な規定であり、プロ競技者、企業スポーツ競技者、大学教育機関に所属する学生選手、高校教育機関に所属する生徒選手、及びそれらの指導者、運営、管理者に於いて、規定内容は明文化されておらず、また罰則規約が皆無に等しく、ただ単に混乱を来している状態であると思われますそして、このような状態が今日、我が国のスポーツ界、競技スポーツ界の不祥事を色濃くしている最大の要因の一つであると考えられます

 

 2.スポーツ・ビジネスの夜明け

~今日のオリンピック・ビジネスが体系づけられた実践と成果~

①五輪にスポーツ・ビジネスアドミニストレーターが出現

このようなオリンピックの歴史を背景に、1980年にロサンゼルス・オリンピック大会組織委員会(略:LAOOC)の委員長に任命されたP・ユベロス氏は、IOC会長のサマランチ氏の掲げたオリンピックのビジネス化を自らの手で実践され、確立されたカリスマ的人物と申し上げても過言でありません。

今日のスポーツ・ビジネスの源は、この時代にこのような人達によって体系付けられたのです1980年よりP・ユベロス氏がロス五輪で実践したスポーツ・ビジネスは、オリンピックだけでなく世界のスポーツ界のビジネスコンセプトを根底から変革するに十分な実績を残したのです世界のスポーツ界のBIG3のもう1人です

84ロス五輪はオリンピック・ビジネス元年

1984年ロサンゼルス・オリンピック大会は、オリンピックのビジネス元年と称される所以なのです。それまでのオリンピックは、常に開催国の赤字負担によるもので、段々と五輪大会が開催国、主催都市の重荷になり、IOCでは、大幅な縮小が声高に叫ばれるようになっていた時代です。しかし、サマランチ会長のリーダーシップにともない、それまで定説となっていました「アマチュアと呼ばれていたコンセプト」を五輪憲章から削除した事によりスポーツ界のあらゆる面に於いて一大変革を起こしたのです。

これにともない1980年にロサンゼルス・オリンピック組織委員会LAOOC)の委員長に就任したP・ユベロス氏は、サマランチ会長のIOC改革の急先鋒としてスポーツ・ビジネスを実践し偉大なる成果と結果を残したのです。

 

3.P・ユベロス氏はオリンピックの救世主

P.V.ユベロス氏の略歴

ピーター・ヴィクター・ユベロス(Peter Victor Ueberroth)は、1937年9月2日生まれ、米国実業家、1984年ロサンゼルス・オリンピッ大会組織委員長、赤字続きのオリンピックを黒字に転換した人物、その後第6代MLBメジャーリーグコミッショナー、等々を歴任。

彼は、オリンピック創設者のPクーベルタン氏が死去した1937年9月2日に米国イリノイ州で生まれる。この事からも人は、彼を長じてフランス人貴族のピエールが産み、育てたオリンピックの救世主と呼ぶようになったのです。この奇妙な因縁を人は語り継いでいるのです。

IOCは、78年5月、アテネで開く総会で84年開催都市を決める予定でいたのです。しかし、立候補は、ロサンゼルス市のみ、しかも、申請書によればロサンゼルス市は、財政を保証せず、一切の責任を負わない。民間の任意団体、南カリフォルニア・オリンピック委員会(SCCOG)が民間資本を導入、運営する予定になっていたIOCは、困惑しました。長い歴史で考えてもみなかった事態が起きたのです。その理由は、76モントリオール大会の巨額赤字、加えて冬季大会開催予定の米国デンバー市の大会返上でした。

ユベロス氏は、カリフォルニアで育ち、高校時代はフットボール、野球、水泳で活躍。大学は、サンノゼ州立大に進み、水球で活躍、1956メルボルン・オリンピックの代表候補、代表にはなれなかった。卒業後、トランス・インターナショナル航空に就職、63年に自ら旅行会社設立、その後北米NO.2の旅行会社に成長させた。1980年、その手腕を評価されロサンゼルス・オリンピック大会組織委員長に就任した。(以上~PV・ユベロス氏バイオグラフィーより~)

84ロス五輪大会組織委員会、委員長選考基準項目

 1.40歳から55歳 

 2.南カリフォルニア在住

 3.企業経営経験を有す

 4.スポーツ好き

 5.経済的に独立

    6.国際情勢に通じる

上記選考基準を基に全米600人もの候補者から厳正な審査により選ばれたのがP・ユベロス氏でした。ユベロス氏は、当時42歳。ロス郊外に住み、従業員1人から始めた旅行代理店を北米2位に育てた実業家。

我が国の五輪組織委員会は、何故このような民主的なフェアーで透明化した組織委員会、会長の人選を行わなかったのか(実質は、密室で決められた)また、P・ユベロス氏と20東京五輪組織委員会・会長を選考基準から比較して、どのような人物が適任者であるかは、一目瞭然であると筆者は、スポーツ・アドミニストレイターとして確信致す次第です。

同氏の信条は、伝統を破壊せず。革新的であっても伝統を破壊してはならない。無駄を省き経費をかけないが、親しみやすさのなかにも威厳も必要だ産経新聞特別記者 佐野慎輔氏より)

 筆者の私見

上記LAOOC会長のP・ユベロス氏と2020年東京大会組織委員会・会長とのプロフィール(既に皆様はご存知の通り)を比較して下されば、その違いは、歴然と理解できるのではないでしょうか。

この様な透明で国民、社会に開かれたLAOOCのような組織・団体は、日本の公益財団法人2020五輪東京組織委員会に必要不可欠な構造とシステムだと思います

国民、社会から選ばれたクリーンで一流のスポーツ・ビジネスアドミニストレイターが率いる組織では、我が国で起きる様な「諸般の疑惑並びにアンフェアーな所業」は起きにくい事を読者の皆様に理解して頂ければ幸いです。

我が国のスポーツ組織・団体にこのような構造とシステムを兼ね備えた組織・団体が出来ない主因の一つは、国民、社会が無関心を装う事にあるのではないのでしょうか。「JusticeFairness」は、我々国民、社会に「共存共栄」をもたらす根幹を成していることへの理解と認識が薄いのでないか、また理解、認識していても如何改善、改革するかのスポーツ・アドミニストレイション力と行動する勇気が欠落していると筆者は思わずにはいられません

これらは、やはり人が組織を作る事から、関係する人の資質がどのような組織、団体を構築するかの手本となった例ではないかと筆者は、考える次第です。

しかし、20東京五輪招致委員会、組織委員会は、この民主的で国民、社会の為になるロス五輪方式に目もくれず、今日の利害、利権構造の組織委員会、団体へと強引に推進した責任者達の罪は計り知れないと思われます。そしてこの莫大な負担を今後国民、社会に強いることを我々は認識すべきなのです。

此れも我々国民、社会が強引な委員会関係者に対して“NO”を突き付けられなかった事は、今後負の遺産と化すと思われます。その為にも国民、社会の皆様方の民意を先ず向上して頂く為にも、スポーツ・アドミニストレイションに興味を持って頂き必要で最小限度の知識及び情報提供が必要であると考えK’sファイルを発信させて頂いております。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:

KsファイルNO.95を是非ご記憶して頂き、次回は、1984年ロサンゼルス大会が公金を一切使用せず黒字にした、その手法をご紹介致します。少し難しくなるかも知れませんので出来うる限り咀嚼させて頂ければと考えています。此れこそが知的戦略、戦術。アッと驚かれますよ。それも日本の民間資本により支えられた事です何故この手法を20東京五輪組織委員会は、取り入れなかったのでしょうか。その理由は、このKsファイルにより明らかにされるでしょう。

K'sファイルNO.94:2020東京五輪招致の暗黒の霧はいつ晴れる

K'sファイルNO.942020東京五輪招致の暗黒の霧はいつ晴れる

無断転載禁止 注:Ksファイルは、毎週木曜日掲載予定

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読者からの便り:

河田先生、K'sファイルNO.93、拝読致しました。五輪協賛スポンサーの選出にミズノ社とアシックス社をめぐって一般に情報公開されない内情が色々あった様子が理解できます。そう言えば、お話に出て来た武藤敏郎事務総長については今回の東京五輪を復興支援に繋げる論調でメディアも好意的に取り上げておりますが読者のコメント投稿欄を読む限りは笛吹けど踊らずで、世間的には余り評価されていない様ですところで先生の文章にあった「賑やかに飛鳴していた海鳥(シーガル)が巣に戻ったが如く鳴き声一つしなくなった」と言う表現は独特ですね。先生は論理的な文章を書かれていて余り文学的な表現をなさらないイメージが御座いましたので新鮮な感じが致しました。それでは失礼致します。K’sファイル読書より、

 

第七弾:震災復興五輪は政治家の有言不実行

1.輝く太陽の唐突な変心と変身

先ず初めに

読者の皆さんは、「室伏広治」という名前を申し上げますとどの様なイメージが浮かびますでしょうか。陸上競技ハンマー投げ選手、鉄人、五輪、世界陸上大会でのメダリスト、日本人離れした体幹、等とイメージされるのではないでしょうか。筆者には、ハンマー投げの顔、ミズノMIZUNO室伏広治の強烈なイメージが焼き付いています。そして、オリンピックで金メダルに輝いた時には、確か上位選手が薬物違反行為により繰り上げ1位となった時に室伏選手はクリーンなアスリートとしてのイメージを内外に強く印象付けました。

室伏広治氏の紹介

室伏広治氏(Koji Alexander Murofushi)は、1974108日に静岡県沼津市で生まれ、幼少期を愛知県豊田市や米国で過ごし、千葉県成田高校に入学してハンマー投げを始めました。父親は、室伏重信氏で「アジアの鉄人」の異名を持つハンマー投げの名選手でした。母親は、ルーマニアやり投げ選手で欧州ジュニア選手権で優勝経験のあるセラフィナ・モリツさんです。広治氏は、父親の影響を受けて父の職場である中京大学1993年に入学。父がコーチを務めての二人三脚でハンマー投げに打ち込んだ姿は人々に感動を与えました。まさに両親の優秀なアスリートとしての遺伝子を受け継いだ、サラブレッドが日本に誕生したのでした。そしてそれを裏から、多くの方々が支え、今日の室伏広治氏があると確信します。

その後、室伏選手は、輝かしい太陽の如く国内競技大会は元より、オリンピック、世界陸上大会と破竹の勢いでメダルに輝き、日の丸を競技会場に掲げてきたのは、皆さんもご承知の通りです。しかし、彼にもアスリートとしての終演が訪れ、20166月の日本選手権大会を最後に競技者引退の意向を表明したのでした。お疲れ様でした。

この頃から彼の人生には、大きな転機が訪れていたのでしょうか。アスリートとしてより、名誉職的な肩書を次から次へと背負い込む事が多く成りだしたようです。16東京五輪招致委員会の理事として、日本陸上競技連盟の理事として、そしてそれに伴うJOCの陸連代表としての理事に就任するのです。

また、20東京五輪組織委員会の発足と同時に委員会の中枢を担うチャートに於いて、スポーツ局長としての職責が与えられ、現在のスポーツ・デイレクターという要職を、補佐を付けて業務を遂行されているようです。本来、スポーツ局長、デイレクターには、どのような職責、責務と組織委員会では位置付けているかは不明確。

選手生活以外、殆ど学ぶ機会を持てなかった為に専門分野以外の重責は、大変なことと推測されます。しかし、彼は、全て引き受けてしまったのでした。この事は、メダリストがオールマイテイーで何でもできると安易な思考から来るのかも知れません。何故ならば、昨日までアスリートとしての競技生活のみに従事して来た選手に対して、今日からトップマネージメント能力が要求される肩書を渡すのですから、渡す組織委員会側も心配であったのでしょう。その証として室伏氏の補佐としてスポーツ局長時には、スポーツ用品メーカー(ASICS社)のベテラン重鎮を付けられ、スポーツ・デレクター就任後は、省庁からの役人を補佐としている事からも理解出来ます。

 

室伏広治氏の不可解な行動と決断

 特に、中京大学時代から物心両面でサポートしてもらっていたのはまぎれもない「ミズノスポーツ」でした。大学卒業後は大学院に通いながらの選手生活に於いても株式会社ミズノの社員として長く役員待遇まで受けて来られたようです。

ミズノスポーツは、たぶん商品価値の高いアスリートとしてのみならず、社員として将来の幹部候補生として長期に渡り育てられてきたのかも知れません。社内に於いては、「輝く太陽」のような扱いを受け、特別扱いをされて来られた様子が目に浮かびます。

室伏氏は、長くお世話になった中京大学に別れを告げて東京医科歯科大学の教授に就任されました。日本の大学教育機関においては、教授職に課せられる業務は通常週最低7コマの授業とゼミ演習が課せられています。本来大学の業務を遂行するだけでも教授職は、時間が足りない筈です。現在の大学での約束された職責、責務は存じ上げませんが、筆者は、広告塔としての室伏広治氏であって欲しくないと願う次第です。

東京五輪に於いては16東京五輪招致委員会の理事に就任し、IOCに於いてはアスリート委員選挙に3度立候補しましたが、当選を逃しました。選挙活動違反で当選が無効になった時には、自身によるマネージメント力が欠けている事に気付かなかったのでしょうか。その後、20東京五輪招致委員会では理事を外され、日本陸上競技連盟の理事として、また陸連の代表理事としてJOCの理事として在籍して来ています。

20東京五輪組織委会が設立された時には、組織委員会のチャートのスポーツ局長(実質の職責、責務は不明)としての位置付けで迎えられたのでした。丁度このような時期を前後して彼の身辺に異変が起きたのでしょうか。

思えば、中京大学時代から今日までの長きに渡り、株式会社ミズノの役員待遇社員として物心ともに支えてもらった会社、そして水野正人氏に別れを告げる日がやってくるとは、誰が予期、想像したでしょうか。多分ミズノ社員達は、驚嘆した事でしょう。

 

2.筆者の私見と素朴な疑問

K'sファイルNO.9394のキーワーズは、二つだと思われます。その一つは20東京五輪のスポーツ用品カテゴリーのオフィシャルサプライアー権が、株式会社アシックスに決定した事。二つ目は、あれほど長きに渡り物心ともにお世話になった株式会社ミズノに室伏広治氏が突然、それもいとも簡単に自らの手で会社に辞表を提出した事です。

読者の皆さんは、驚かれたのではないでしょうか。この件に付きましては、当時小さく報道されていたような記憶があります。マスメデイアは、何故か報道する興味を持たれなかったようであります。まさか、組織委員会への忖度があったとは考えすぎでしょうか。

筆者の視点は、本二つのキーワーズが互いにリンクしていたのは疑う余地がありません。即ち、オフィシャルサプライアー権の判断・決断権を持っているのは、組織委の最高責任者の森喜朗氏であり、株式会社ミズノに辞表を出す判断・決断をしたのは、室伏氏です。

室伏氏がミズノに辞表を提出したのは、組織委のオフィシャルサプライアーが決まった後でした。よって、同氏の判断・決断は、本件に深く関わりがあったと思うのが妥当だと思います。

その証しは、その後の室伏氏の行動により明確になるのでした。それは、室伏氏が何と株式会社ミズノに辞表を提出し、受理された後、同氏は、返す刀で株式会社アシックスと契約をして自らの看板を掛け代えた事実でした。これに対する自らの説明もなく、ミズノ社に対する感謝の謝辞も見当たらなかったと記憶しています。

筆者の本件の素朴な疑問は、何故このような行為が簡単に彼には出来たのかという疑問です。筆者は、誤解を恐れず幾つかの疑問を項目別に挙げてみました。

1.所属先のミズノスポーツ及び総大将の水野正人氏は、負け組になったからか。

2.現在の20組織委のスポーツ・デイレクター(当時はスポーツ局長)の要職に居たい 

  のならば、看板を掛け代えろと強い圧力が掛かって追い込まれたので決断したか。

3.自身の周りの環境は急変し、自分は、何があっても目先の東京五輪のスポーツ局長

  のポジションは失いたくないとの思いが優先してしまったのかしかし、このポジ

  ションは失い、デイレクターのみの肩書となった。

筆者は、以上が素朴に頭に浮かんだ室伏氏の心中ではなかったかと推測する次第です。これらは、どれも当を得た疑問ではないでしょうか。

ここで見逃してはならない重要なポイントは、若しも筆者の素朴な疑問の23.項目がミズノ退社の要因であったならば、これはまさしく現在我が国のスポーツ界に於いて社会問題となっている「パワハラ行為」が組織委員会の内部で起きた由々しい出来事なのではないかと思う次第です。残念ながら室伏氏が長年物心共にお世話になったミズノスポーツに突然辞表を出し、ミズノスポーツの室伏広治氏として社会にファンにも何の説明も無いのは、誠に筋の通らない行いと思われます。室伏選手は、アスリートとしてクリーンであったので、是非社会人としてのクリーンな室伏氏を貫いて欲しいと願う次第です。近い将来、JOCの会長の玉座に対外的にも鎮座して欲しい1人なので、社会に於いても信頼できる人物である事を切に願う次第です。

判断・決断の今後

これは、筆者の私見としてお聞き頂ければ幸いです。

それは、室伏広治氏は自身の中で、現在の自分の本業は何かという本質的なスケルトン(背骨)を明確にして欲しいという事です。室伏氏の心の中には、何時までも自分は、輝く太陽で在り続けたいとする過去の栄光から抜け出せないでいるのかも知れません。これらの現象は、嘗てのプロ野球のスター選手にもよく見受けられます。

筆者の私見は、室伏氏がミズノスポーツと縁を切り、ライバル企業のアシックスと契約する事の重大さを十分熟知し、思慮あっての行動とは思えませんでした。なぜならば、彼自身には、その判断をするに十分な社会的な知識と経験がなかったと思うからです。ミズノスポーツを去って彼に残ったのは、組織委員会の理事、評議委員ではなく大会の1広報担当者のように思えてならないのは私だけでしょうか。

朝日新聞朝刊(2019313掲載)の記事には、某トーク・セッションで、室伏氏は、「スポーツの裏にこそ大切なものがある」と講演されているようです。彼には、何が本当に大切なものに見えたのでしょうか。

室伏氏は、これからの長い人生の中でこの度の判断と決断がどうだったのかの答えを得る時が来ると思います。彼は、政治家ではありませんので誠実にそして正直な人生を歩んで行って欲しいと願う次第です。筆者は、いつも個人的に応援しています。

3.水野正人氏に送る

貴殿は、2020東京五輪招致委員会に於いて自らの信念と情熱を持ち、勝利に向かって全力を注がれました。そのあなたが組織委員会JOCに居ないのはさぞや無念な事でしょう。また手塩に掛けて自ら優秀なアスリートをサポートされましたが、本人の意思で去って行きました。しかし、信念がぶれることなく、日本のスポーツ界のために私利私欲にまみれることなく、全力で戦われたその姿に対し、日本のアスリート達は2020東京五輪で自国開催の誇りを胸に戦ってくれる事と確信します。お疲れ様でした。

4.震災復興と20東京五輪招致は何処に消えたか

東京五輪招致プロゼクトを掲げるに当たっては、震災復興の為の招致として声高らかに御旗を掲げたはずでした。読者の皆様は、まだ鮮明に記憶されている事と思われます。今日の本プロゼクトは、震災復興を唱える関係者も居なくなりました。本Ksファイルに於いて色んな出来事を述べて参りましたが、筆者が事あるごとに述べさせて頂いて来ていますのは、20東京五輪のプロゼクト及び経営、運営、管理方式が1984年のロス五輪方式であったなら、今尚震災、災害で苦しまれている多くの先が見えない人々に対して、オリンピックで得た資金及びチャリテイーイベントでどれ程の被災者達の苦しみ、苦痛に手を差し伸べることができるかはかり知ません

既にKsファイルで述べさせて頂きましたように、国内スポンサーに於いては、1業種2社の特例をIOCから受け最終的には、約3200億円の収入を民間企業から組織委員会は確保する予定です。莫大な公金(血税)を投入した揚げ句に、さらにこの特例を活用しての資金集めをしている事からも、今からでも間に合うので、この民間企業から得た収入を現在、今尚苦しんでいる震災者達に何故還元する声を誰も挙げようとしないのか。

此れこそが政治家達の使命であり評議会、理事会関係者達の義務ではないのでしょうか。筆者にはそのことがとても嘆かわしく感じられ、組織委員会の委員の方達には、人としてすべき共存共栄の精神に立ち返って欲しいと強く願う次第です。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports

 お知らせ:

本シリーズは、NO.88の第一弾からNO.94第七弾まで掲載させて頂きました。読者の皆様には、何も知らなかった方が良かった、と呟かれている方も居らっしゃる事でしょう。次回、K’sファイルは、クリーンな招致活動でフェアーな五輪開催に成功した例を「リマインド」として再公開させて頂く予定です。これは、また、広告代理店「電通がスポーツ電通」として世界にパワーを轟かせる「礎」となった五輪ビジネスであります。

K'sファイルNO.93:2020東京五輪招致の暗黒の霧はいつ晴れる

 

K'sファイルNO.932020東京五輪招致の暗黒の霧はいつ晴れる

無断転載禁止 注:K’sファイルは、毎週木曜日掲載予定

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読者からの便り~K'sファイルを毎日ワクワク、ドキドキしながら一週間を待ちきれない思いで拝読させて頂いています。K'sファイルを読み始めてから他のマスメデイア報道、新聞メデイアを気を付けているのですが、みんな同じような当たり障りない報道、記事ばかりの様に感じます。どうして報道機関は、K'sファイルのように情報を誠実、正直に我々に公開してくれないのか、これでは国民、社会は情報操作された情報しか与えられていない様に思えてならないのです。読者より

第六弾:公益財団法人2020東京五輪組織委

1.20東京五輪からミズノスポーツが消える!

先ず初めに

前回のK’sファイルNO.92では、20東京五輪招致の勝利報告、それに伴う20東京五輪組織委に絡む人事抗争の一環に於いて、招致委員会で活躍され、誰もが次なる組織委での活躍を期待した水野正人氏(当時:20東京五輪招致委員会、副理事長、事務総長、専務理事、JOC副会長)が、突然の退場勧告を受けた模様について述べました。

そして、水野氏は、その後全ての役職から姿を消し、JOCの副会長のポジションも退任された次第です。当時よりJOC会長で招致委員会の理事長として、水野氏と両輪で闘ってきた竹田恒和氏は、何故水野氏を擁護されなかったのでしょうか。同氏には、その力がなかったか。或いは、ご自身のポストを守るのに精一杯で事の次第を見て見ぬふりをされたのかも知れません。まさか、この時竹田氏は、今日の20東京五輪招致に関する疑惑の矢が自らに向けられてくるとは思いもしなかった事でしょう。

この度の招致活動の旗振り役は、最初は当時東京都知事だった石原慎太郎氏であり、次に猪瀬直樹氏、さらに舛添要一氏へとバトンが引き継がれて行きました。しかし、どの知事も曰く付きの方であったために職を追われることになりました。そして、献身的に活動された企業家の水野氏も姿を消し、竹田氏もまた招致疑惑の責任を問われ、JOC会長職の任期延長が取り沙汰され始めているのです。此処に負け組の顔触れは、略出そろった事になるのでしょうか。しかし、国会議員、都議会議員達は、賑やかに飛鳴していた海鳥(シーガル)が巣に戻ったが如く鳴き声一つしなくなったのもこれまた政治家としての処世術の一つなのかも知れません。

そのような不穏な空気が淀む中、20東京五輪組織委員会の設立に向かっての人事、予算案、協賛スポンサーシップ、等の作業が準備会議を中心に粛々と進行されて行くのでした。

①公益財団法人2020東京五輪組織委員会設置

2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(略称:TOCOGThe Tokyo Organizing Committee of the Olympic and Paralympic Games,20東京五輪組織委)は、2014124日に発足し、201511日付で公益財団法人となりました。此処で読者の皆様は、本組織委員会が公益財団法人である事をしっかりと記憶して於いて頂ければ幸いです。

20東京五輪組織委会長には、森喜朗(元内閣総理大臣)が就任し、副会長には、何と現役衆議院議員遠藤利明が就任されたのです。それでは、政府に居る五輪担当大臣の桜田義孝は、何をする為の大臣で遠藤氏は何のための衆議院議員なのか。これでは、政治家の為の政治家による東京五輪である事を歴史に負のレガシーとして刻んだ事を意味すると筆者はスポーツ・アドミニストレイターとして申し上げて置きます。

そして事務方のトップには、事務総長として武藤敏郎(元日本銀行副総裁、現大和総研名誉理事)が就任したのです。また、理事には、複数の国会議員が顔を揃えています。しかし、16年招致委員会で失敗した事務総長の河野一郎が副会長に入り、20年招致委員会で勝利した事務総長、専務理事、副理事長、JOC副会長の水野正人の名前は、最後まで外されていたのです。

これは、本来スポーツ・アドミニストレイターが行うフェアーな人事ではありません。本件に付いては、一切の情報公開は成されていないのでないかと思われます。読者の皆様は、このような密室での人事が成された理由をご存知でしょうか。まさにこれは日本の政界の総理総裁、閣僚人事の伝統的な人事手法そのもので、スポーツ界に取っては暗黒の組織委員選考人事のような気がしますが、クリーンで清潔な人物は居なかったという事の様です1つ政界とは異なるのは、野党が居ないので反対、反論する立場の人間が誰ひとりとして居ない事です。

そして委員会の役員の皆さんは、皆本業から所得を得、組織委員会からも莫大な報酬を受け、諸経費も付帯され、バランテイアー活動者の顔をした高額所得者なのです。

また、2014417日には組織委員会は、国内の協賛企業獲得を行なうマーケティング専任代理店を公式に株式会社電通(略:電通)を指名しました。そして、電通の代理として高橋治之氏(元電通専務、現株式会社コモンズ代表取締役会長)を組織委員会理事として迎え入れたのです。

此処で森喜朗氏は、自身の神輿の担ぎ手キャビネットのお披露目をした次第です。その後、複数の理事等の交代が在りました。

②公益財団法人2020東京オリンピックパラリンピック組織委員会20181128日現在)

評議員 名簿

https://tokyo2020.org/jp/organising-committee/structure/councillor/

役員理事 名簿

名誉会長

一般社団法人日本経済団体連合会名誉会長

キヤノン株式会社代表取締役会長CEO       御手洗 冨士夫

会長

内閣総理大臣

公益財団法人日本スポーツ協会最高顧問       森 喜朗

副会長

衆議院議員

2020東京オリンピックパラリンピック大会推進議員連盟幹事長

公益財団法人日本スポーツ協会副会長        遠藤 利明

パナソニック株式会社代表取締役社長        津賀 一宏

公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構理事長   河野 一郎

国際オリンピック委員会委員

公益財団法人日本オリンピック委員会会長      竹田 恆和

国際パラリンピック委員会理事

公益財団法人日本障がい者スポーツ協会

日本パラリンピック委員会委員長          山脇 康

東京都副知事                   猪熊 純子

 

専務理事(事務総長)

株式会社大和総研名誉理事             武藤 敏郎

常務理事(副事務総長)

文部科学省スポーツ・青少年局長         布村 幸彦

常務理事

公益財団法人日本オリンピック委員会副会長兼専務理事 平岡 英介

 

理事

作詞家                      秋元 康

麻生セメント株式会社代表取締役会長        麻生 泰

公益財団法人日本オリンピック委員会理事      荒木田 裕子

公益財団法人日本スポーツ協会副会長兼専務理事   泉 正文

東京都オリンピック・パラリピック準備局長     潮田 勉

福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長

一般財団法人世界少年野球推進財団理事長      王 貞治

日本政府代表 中東和平担当特使          河野 雅治

東京都議会議員                  小山 くにひこ

公益財団法人日本オリンピック委員会副会長     齋藤 泰雄

スポーツ庁長官                  鈴木 大地

東京都議会議員                  髙島 なおき

株式会社コモンズ代表取締役会長          高橋 治之

オリンピアン(体操)               田中 理恵

オリンピアン(柔道)               谷本 歩実

トヨタ紡織株式会社取締役会長           豊田 周平

公益財団法人日本障がい者スポーツ協会

日本パラリンピック委員会事務局長         中森 邦男

パラリンピアン(水泳)              成田 真由美

写真家 映画監督                 蜷川 実花

衆議院議員

2020東京オリンピックパラリンピック大会

推進議員連盟幹事長代理              萩生田 光一

参議院議員

公益財団法人日本オリンピック委員会副会長     橋本 聖子

東京都議会議員                  東村 邦浩

公益社団法人関西経済連合会会長

住友電気工業株式会社取締役会長

近畿陸上競技協会副会長

公益財団法人日本陸上競技連盟評議員

一般財団法人大阪陸上競技協会会長         松本 正義

公益財団法人日本スポーツ協会常務理事      ヨーコ ゼッターランド

公益財団法人日本陸上競技連盟会長        横川 浩

国際オリンピック委員会委員

国際体操連盟会長                渡邉 守成

監事

公益財団法人日本オリンピック委員会監事     黒川 光隆

東京都会計管理局長               土渕 裕

 

IOCスポンサーと国内スポンサーとは

IOCのスポンサーシップに関する規定では、1985年から新しい規約、規定が設けられました。それらは、IOCの協賛スポンサーとして最高位(TOP)のスポンサー価値を意味するものです。その為には、一業種一社方式、即ちIOCのスポンサーに成れるのは、例えば自動車メーカーを選ぶ場合、1メーカーを選定すると他の自動車メーカーはスポンサーには成り得ない事を意味するのです。これは、IOCTOPThe Olympic Partners)と称される所以なのです。これにより、IOCは、協賛スポンサーをリスペクトすると共にIOCの唯一のスポンサーとしての評価価値を最高位に維持する事を目的としているわけです。

開催国の組織委が獲得できる国内に限るスポンサー権は、これまたIOCのスポンサーの一業種一社のコンセプトに基づいたスポンサーであり、IOCのスポンサーの評価価値を下げない事が明記されているのです。しかし、この度国内に於ける大会スポンサー契約は、これまでのIOCのコンセプトの慣例を破る「一業種2社」の契約が特例として認められたのです。マーケテイング担当者の発表では、20154月の時点で目標収入額の1500億円を突破したとの事でした。そこで、契約枠には、1150億円以上の契約金の設定が新たに設けられたのです。

本国内スポンサー契約に関しては、2019219日の朝日新聞朝刊に寄りますと、現在3200億円のスポンサー収入を見込んでいるとの事で、これも広告代理店電通の力によりIOCの慣例を特例にした様子が伺えます。また、この朝刊記事によると、大会組織委会長の森氏の記者会見では、森氏が両脇に日本航空JAL)社長と全日空ANA)社長を従えこうやって仲良くね。オールジャパンの象徴だと得意満面な笑顔でしたが、このお方にはスポーツマンシップが必要な環境、組織には似合わないと思うのは筆者だけでしょうかこれは、代理店電通にとっても莫大な手数料が入るのでこの上ないIOCの慣例破りとなった次第です。

この森氏の得意満面な笑顔を読者の皆さんは、記憶の片隅に置いておいて頂ければ、同氏の政治家論理は、言動と実行の不一致が後に明らかになるのです

この特例は、IOCがよく許可をしたと筆者は驚いている次第です。何故ならば、IOCの商品価値を低下させ、IOCTOP精神を否定する事に繋がるからです。これは、IOCのパートナーであり、組織委員会のマーケテイングパートナーである電通の力がIOCを動かした事に繋がるのです。しかし、これによりIOCの商品価値が崩れ出した第一歩となる気配が漂い始めたと申し上げても過言でありません。今後のIOCのビジネスコンセプトに禍根を残すことになりそうです。

④国内五輪協賛スポンサーに本命登場

ここで日本を代表する選手達、役員達が使用する公式ユニフォーム、開閉会式に使用される公式ブレザー、シューズ、等のスポーツ用品・スポンサーサプライアー権の指名が行われたのです。その内容に付いては、明らかにされていませんがどうも最終的に国内2社(ミズノ、アシックス)が競合し、最終的に組織委は、20東京五輪のスポーツ用品のオフィシャルスポンサーサプライアーとして、株式会社アシックス(略:アシックス=ASICS)を指名したのです

これでスポーツ用品部門のカテゴリーは、ASICSとなったのでした。しかし、本入札の詳細に付いての情報公開は、勿論なされていないのです。聴こえてくるのは、2社の中でアシックスの提示価格が最高額であったという噂だけです。これにより、大会の国内スポンサーの最高位(ゴールドパートナー)の中で、唯一のスポーツ用品メーカーがアシックス(ASICS)と決定したのです。

アシックスは、既に創業者の鬼塚喜八郎氏の生誕100周年記念で、アシックス会長兼CEO(最高経営者)の尾山基氏は、本オリンピック開催でのスポンサーとなる事は創業者、鬼塚喜八郎氏の夢・悲願であったかに歓喜極まる中で挨拶されたかに聞き及んでおります。悲願の夢が創業者にとっても、会社・企業にとってもかなった事に対して、筆者は心よりお喜び申し上げます。

⑤森会長の発言内容とその矛盾

本件に関しては、本ファイルの「③IOCスポンサーと組織委スポンサーとは」に於いて述べさせていただきました。本国内協賛・スポンサーに付きましては、IOC電通の協力により特例として1業種2社枠が設けられ、組織委設置後多くの協賛を得ているのは、既にご紹介致しました。そして、その中で森氏は、1業種2社のスポンサーを従えて記者会見を行いました。森氏は、「こうやって仲良くね。オールジャパンの象徴だ」と得意満面な笑顔を既にK’sファイルでは、朝刊から引用させて頂き、ご紹介しましたので読者の皆さんは御記憶にあるかと思います。

それでは何故この度このようなスポンサー規定が1業種2社の方向に当初より動いていた事を承知しながら長年日本スポーツ界の屋台骨に尽力し、支えて来られたスポーツ用品メーカー2社のアシックス社とミズノ社に対して差別的な振る舞いをされたのか。何故仲良く協力したスポンサー契約を図れなかったのかと筆者は、組織委会長のアンフェアーな裁定(言行不一致)に政治家の計算高い心の動きを感じざるを得ないのです。このような裁定では、日本国民が納得しないまでもなく、メイクセンスしない一貫性の欠落した論理を通したようです。

この事に関連して、また新たなる被害者が出現

お知らせ:第六弾:公益財団法人2020東京五輪組織委 「1.20東京五輪からミズノスポーツが消えた」は、長編となりましたので、今週は、此処までとさせて頂き次週NO.94は、第七弾で続編を掲載させて頂きますのでご了承下さい。

 

文責:河田 弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports

K'sファイルNO.92:2020東京五輪招致の暗黒の霧はいつ晴れる

K'sファイルNO.922020東京五輪招致の暗黒の霧はいつ晴れる

無断転載禁止   注:K'sファイルは、毎週木曜日公開予定

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第五弾:20東京五輪招致委員会の役目終了

1.政治家論理は真のスポーツを歪めてしまった

本シリーズの経過と紹介

KsファイルNO.88の第一弾では、竹田恒和氏(20東京五輪招致委員会理事長、JOC会長)の疑惑とは何か、をお伝えし、NO.89の第二弾では、竹田理事長が知っていた事知らなかった事。NO.90の第三弾では、2016東京五輪招致敗戦と大勢の政治家達。NO.91では、16リオ五輪20東京五輪の招致の勝因と暗躍する闇のネットワークの存在について述べました。

今回の本NO.92では、20東京五輪招致成功の裏には、リオ五輪招致成功の模倣による勝利との疑惑が深まっていく中、日本国内に於いては、招致決定後に不可解な出来事が起きていた事を、知ってか、知らずか、それは殆ど語られず触れられずに葬り去られるのではないかと、筆者はふと素朴な疑問に行き当った次第です。これらは、日本に於ける今日の政治家とスポーツの特殊な関係なのかも知れません。 

この不可解な出来事は、16東京五輪招致活動のスタート時点から20東京五輪招致を経て、現在の20東京五輪組織委員会発足後に至るまで、国民、社会に取って大切な情報公開がなされていないという、欠陥のあるスポーツ・アドミニストレイションが成されてきたことであり、今回、その根幹を解りやすくお伝えできればと思います。

①オリンピック開催地、東京に決定!

[NEWS 20130907 1722JST]

筆者は、この一報を現地ブエノスアイレス(アルゼンチン)からのTV報道で知り、心より関係者の皆さんのご努力にお疲れ様と述べたい衝動にかられました。

しかし、次の瞬間TVカメラが日本のデリゲーション関係者席に振られると、感激で飛び上がり、抱き合っている歓喜の瞬間の幾重もの渦の中に、何か違和感を感じる映像が飛び込んで来たのでした。1枚は真ん中に安倍晋三氏、左に東京都の猪瀬直樹知事、右に森喜朗氏の構図の写真。そしてもう1枚は、安倍氏を中心にやはり左に猪瀬氏、右には水野正人氏がおり、水野氏と安倍氏は肩を抱き合って喜びの絶頂にありました

この世界最大の招致活動に勝利し、歓喜がほとばしる表舞台とその裏側では、「抱き合い、キスして歓喜している人達」、「抱き合い、クライ(涙)していた人達」、「裏での約束を果たし、プロの仕事を完了してホテルのバーの片隅で、TV映像を観ながら静かにほくそ笑んでいる人達」・・・と、それは悲喜こもごもの情景が筆者の脳裏と瞼に浮かびました。

ただ、筆者の脳裏を何か引っかかる物がかすめたのでした。その時脳裏にインパルスが走ったのは、多分長年に渡り競技スポーツ業界の実践を経験してきたスポーツ・アドミニストレイターとしての直感だったのだろうと思います。今後、明日の朝から始まるであろう生臭い戦いの後処理が思い浮かんだのです。

この時、竹田恒和氏(招致委員会理事長、JOC会長、IOC委員)や招致委員会に対する招致疑惑が世界中を駆け巡る事になろうとは一体誰が予想したでしょうか。

歓喜は、一瞬にして起き、一瞬にして現実の世界に引き戻されるのです。あの歓喜の最前列に居て、TVの映像に入っていた人達、入りたかったであろう他の政治家達、JOC関係者達は、どんな思いでその情景を眺めていたのでしょうか。直接的には、関係のない政治家達がどのような理由と公費であの場に大挙して押しかけていたのか知る由もありません。この様にして、約数百億円と言われるプレゼンテイションショーは、一夜にしてシャンペンの泡と化したのでした。

その後、国内に於けるポリテイカル・パワーゲームは、いよいよ最終戦の火ぶたが切られるのですが、この2枚の映像写真の中で歓喜に酔いしれている方々がこれから主人公を演じ、そしてその勝ち組と、負け組が、今日の社会を明確に色分けしているのです。もちろん、勝ち組の頭領は、現在神輿の玉座に鎮座し、権勢を思いのままに振るっており、一方、負け組は、先ず初めに猪瀬直樹東京都知事が選挙に於ける不正金銭問題を指されて場外退場となりました。

②本招致活動に心血を注いだ人物

此処で読者の皆さんには、注目して頂きたい人物がいます。下記の20東京五輪招致委員会の役員名簿をご覧いただきますとお気付きになられるかと思われます。理事会メンバーの殆どの顔触れは、何らかの形でJOC日本オリンピック委員会、各競技団体)に関係されている方々です。この方もJOCの副会長の肩書を持たれているのですが、唯一民間企業の経営者で在られる事がその特徴です。その方は、「水野正人氏」です

筆者は、一般企業経営者の水野氏がどのような経緯でJOCの理事、副会長に、また、20東京五輪招致委員会の事務総長、専務理事となられたのかの経緯を知る由もありません。しかし、この人事は、他の役員メンバーと比較しまして少し特異な存在に感じた次第です。これが後に同氏に大きな災いをもたらすことになるとご本人、及び同氏の企業の重鎮達、関係者は、予想していなかったのかも知れません。

水野正人氏は、日本スポーツ界に多大な貢献をされて来られた人物であり、ミズノスポーツとして企業経営者で在る事は既に読者の皆さんもご承知のはずです。

水野正人氏 略歴:

2001年(平成13年)日本オリンピック委員会理事。

2004年(平成16年)藍綬褒章を受章。

2006年(平成18年)ミズノ代表取締役会長就任。

2007年(平成19年)日本オリンピック委員会副会長就任。

2011年(平成23年)東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長就 

         任。職に専念するためミズノ代表取締役会長を退任。後に、副理事

         長兼専務理事に役職変更。

2013年(平成25年)第125IOC総会での最終プレゼンで大きな身振り手振りを交えた

         スピーチを行い、東京オリンピック招致の立役者の一人となった。

以上Wikipediaより~

上記略歴の通り、水野氏は、株式会社ミズノの最高経営者(CEO)であったのです。

 

20東京五輪招致理事会 役員名簿リスト

理事会http://token.or.jp/magazine/e201205.html

理事長 日本オリンピック委員会JOC)会長 竹田恆和

副理事長/専務理事  JOC副会長       水野正人

副理事長       同副会長        福田富昭

副理事長       同専務理事       市原則之

副理事長 日本障害者スポーツ協会副会     伍藤忠春

副理事長 東京都副知事            佐藤 広

理事 日本体育協会              岡崎助一

理事 日本オリンピック委員会理事       橋本聖子

理事 同国際専門部会員            鈴木大地

理事 パラリンピアン             成田 真由美

理事 日本オリンピック委員会理事、アスリート専門部長 荒木田 裕子

理事 同理事、国際専門部長          野上義二

理事 同理事(元東京2016招致委員会事務総長)河野一郎

理事 同総合企画・国際部長(元東京2016招致委員会事務次長)中森康弘

理事 東京都スポーツ振興局長         細井 優

監事 日本オリンピック委員会監事       深津泰彦

監事 東京都財務局長             安藤立美

東京20東京五輪招致委員会 評議会名簿

招致委員会評議員(余りにも膨大な人数の政治家諸氏の為スペースに限り有、URLをご利用下さい)

http://www.nga.gr.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/3/2h231220goriniinnmeibo.pdf

以上2020東京五輪招致委員会サイトより~

 

水野正人氏の存在が何故特異であったか

筆者のスポーツ・アドミニストレイターとしての視点から誤解を恐れず申し上げます。私は、水野正人氏が2001年にJOCの理事に就任された時に既に違和感を持ったのは確かでした。しかし、JOC評議員会は、執行機関の理事会の人事について異議も無く承認している事、そして、やがて同氏は、2006年に株式会社ミズノの代表取締役兼会長に、即ち最高経営者(略:CEO)に就任、翌年にJOC副会長に就任された次第です。

筆者は、この状況に違和感を持ちながら静観していましたが、残念ながら同氏企業内からもJOC評議員会、理事会からも何の異議を唱える方が居ない事に驚きました。僭越ながら私の推測では、水野氏の企業役員会もこれまたイエスマンの集団だったのでないかと疑念を抱いた次第です。今日のグローバルな会社・企業に於いては、特にこのような特殊な外部での重責、活動には慎重な意見とブレーキがかかる筈なのです。

何故ならばJOCは、公益財団法人であり特に日本国内のオリンピックスポーツ競技に関する経営、運営、管理の頂点にある組織・団体なのです。この組織・団体の理事、副会長氏が総合スポーツ用品・販売・メーカーの最高経営者である事は、常識的に考えて「忖度及び利益誘導」の疑いを招く恐れがあると思われて仕方ない状況とポジションなのです此の事は、公益財団法人の長に「国会議員、政治家」がなるのと同じ利害、利権問題並びに倫理的問題が生じるのです197080年代に於いて、世界に於いてあの権勢を振るっていた故ホルスト・ダスラー氏(アデイダス社の最高経営者)ですら、IOCIGB国際競技連盟)に名を連ねる事は、しなかったのですいわば本業界の最高経営責任者が公的表舞台に立つ事は、同業他社を敵に回すことであり、元来業界に於いてはタブー視された行為だったのです。よって、筆者は、「やられるぞ」との直感が作動した次第です。

本業界には、国内に於いても同業他社の存在があることからもJOC評議員会、また20東京五輪招致員会、評議会が何故ブレーキを掛けなかったか。

まさか招致委員会の評議会は、同氏に対して招致成功か否かの責任を背負わせ、敗戦の時のスケープゴートの準備をしていたのでないか、或は、成功した時には他意を持って失脚させる、との穿った見方をしたくなるような対応、姿勢であったような気がしてならないのは筆者だけでしょうか。やはり評議員会、理事会は、意見を持たない形式的な集団なのかも知れません。この件に付いては、何の異議も裁定もなされなかった事が、後に陰湿な事件を招く最大の要因になって行くのです。

JOC20東京招致委員会の理事会、評議員会が何も異議を唱えない、つまり構造的に機能していないと判断される場合、指導的役割を担う内閣府文科省スポーツ庁は強制的な介入を行い「Justice & Fairness」の基に指導、改善する責任と使命があったはずです。しかし、この政府機関の機能不全も、今日のスポーツ界の不祥事、事件を鑑みれば、推して知るべしです。此処に於いても、我が国のスポーツに関する公共の組織・団体に特別査察機関(Infraction Committee)を設置しない理由は、誰かに取って不都合、不利益が起きるからなのかも知れません

結果として、水野正人氏は、JOCの副会長として20011年に東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会 事務総長に就任。職に専念するためミズノ代表取締役会長を退任。後に、副理事長兼専務理事に役職変更。となるのでした。此処で「職に専念する」為を理由に、即ち水野氏自身がお気付きになられたのかどうかはさて置き、1私人として公益財団法人の副会長として、また20東京五輪招致委員会の実務権を持つ副理事長兼専務理事に就任されたのですしかし、株式会社ミズノの代表取締役・会長職を退任するも、会社の大株主である事も放棄したとの情報公開はされていません。(中途半端な対応)

筆者は、此処での仕切りの甘さに水野氏の会社重鎮の方々の脇の甘さを感じずにはいられませんでした。勿論、JOC、招致委員会の理事会、評議会のいい加減さを既にこの時点で露呈していたのです。このような構造的な問題は、即ちこの度のあらゆる疑惑の温床となっている事を読者の皆さんにご指摘させて頂きます。

 2020東京五輪招致活動を終えて帰国

国内に於いては、連日連夜と招致関係者は元より、TVマスメデイアを通してブエノスアイレス(アルゼンチン)での映像が視聴者にサブミラルを起こしかねない強烈な勢いで、テレビ画面から溢れている頃、既に招致を勝ち取るまで情勢を見極めながら様子を窺っていた政治家、その関係者達は、一気呵成に2020東京五輪組織委員会の陣取り合戦のマニュアル作りに夜を徹して会合しエネルギーを消費していた事が想像できます。

招致に邁進し成功した理事達、関係者は、組織委員会の重鎮に当然迎え入れられると期待していたのも至極自然な成り行きではなかったでしょうか。方法は、如何であれ。

しかし、20東京五輪組織委員会設置に対する予備会議が重ねられていくに従い、段々と雲行きがおかしくなり出し、事が勃発したのです。

 

2.筆者の素朴な疑問と私見

20東京五輪招致委員会副理事長兼専務理事への退場勧告

筆者の理解するところに寄りますと、五輪招致決定後、次の五輪組織委員会に関わる予備会議が重ねられていく中で、地位名誉を既に確保した権力者が、水野正人氏(JOC副会長、20東京五輪招致委員会副理事長兼専務理事)に非常識極まりない暴言を吐いたとの情報が、マスメデイアを通じて耳に届いたのです。これは、いよいよ直接攻撃開始かと思わずにはいられませんでした。

もしもこの人物による言動、態度が事実であるならば、この人物には、既に他意が在りこの機会をうかがっていたとしか考えられない事です。この人物は、常々品格の無い暴言、失言を吐き人の尊厳を傷つけても何も感じない特殊な脳の構造の持ち主であるようです。このような人物が我が国の根幹をなす教育に携わったり、クリーンであるべきスポーツ界をくもらせて来ている事は、我々国民、社会にも重大な責任と問題があったのでないでしょうか。

水野氏のこれまでのスポーツ界への献身的な貢献、そしてこの度の20東京五輪招致に関しては、個人的な利害を度外視して心血を注いで来られ招致という勝利を副理事長、専務理事、事務総長として担当責務を全うして成果、結果を残された事実をどのように評価されたのでしょうか。

このような言動、行動ができる御仁は、いったい何方だったのか。読者の皆さんならご想像できるのでないでしょうか。このような方が、国民、社会に対して「スポーツマンシップは何たるか」を述べられても如何なものでしょうか。これはまさに2020東京オリンピックパラリンピックは、何たるかを象徴する日本版:スポーツ・アドミニストレイターの現実とレベルなのかも知れません

残念な事は、2020東京五輪招致に貢献され、成果を上げたJOC副会長でもある方を20東京五輪組織委員会発足手前に何故退場させたのか。それであるなら、20招致委員会の評議員である時に何故異議を申し立て理事会に評議会の決議を申し立てなかったのか、民主主義社会に於いて余りにも私情を挟んだ陰湿な対応でなかったかと疑わざるを得ない。もしこの方が、本当にそのような暴言を水野氏に吐いたのなら、真のスポーツ・アドミニストレイターには、相応しくない人物であると指摘させて頂きます。

もしこのような暴言、態度をしたのであれば、その会合に居合わせた周りの人達が、誰も諭されなかった事は、まさに組織委員会は親分・子分のイエスマンの集団である証で決して国民、社会の為に招致した五輪組織委員会と言い難いのでないでしょうか。勿論、マスメデイア、関係者は、ご承知のようです。

このような言動と判断には、ビジネスをともなう利害、利権が裏で絡んでいた個人的判断と決断だったのかも知れません。今後本件の様子を静観して参ると自然にこの真意が浮上しするのでないかと思われます。

 水野正人氏への悲劇は、さらにこれから始まって行くのです。差し支えない範囲で、次回この結末をお伝えできればと思います。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:

K'sファイルNO.92では、暗く悲しい話題となりました。しかし、このような現実に目や耳をふさぎ、触らぬ神に祟りなしとして、国民、社会に情報を提供しない、できない社会構造は、まさに談合社会と文化そのものが64東京オリンピック以降も何も変革できていない村社会と呼ばれる所以なのかも知れません。

次回は、目も耳もさらにふさぎたくなるような話題も出て参りますが、読者の皆さんは、決して顔を背けず正面から受け止めて頂く勇気も必要です。