河田弘道の素朴な疑問(第三話):桑田真澄投手(元東京読売巨人軍)

河田弘道の素朴な疑問(第三話):桑田真澄投手(元東京読売巨人軍

 

第三話:貴重な戦力としての桑田氏

 

   桑田氏のような人材は、日本球界に於いて本当に稀です。また、彼の古巣の巨人軍が今なお彼を雇用しないのもこれまた奇異なり。

   私がもし球団の編成、運営責任者であったなら、桑田真澄氏を先ず二軍投手コーチとして交渉、契約を交わします。そして、その契約条項には、二軍の若手、中堅投手の育成と強化、向上に関する細部目標を設定し、3年契約をオファーするでしょう。勿論、そこでは、球団に於ける二軍の役割、使命を明確にして育成、運営、指導を徹底させます。この意味は、よき伝統を継承し、悪しき伝統を取り除く事です。

    3年契約の根拠は、プロの世界では契約条項の目標に対して改善、成果が3年で出ない場合は先ず指導者に問題在りと評価するのがプロのスポーツ・アドミニストレーターとしての評価基準の一つであります。これは、担当コーチに限らず、監督もしかり、フロントの担当責任者も同様なのです。これにより、例えば、現巨人軍の投手の育成、指導は、少なくとも現状よりは見違える様な成果と結果を残す可能性を大きく秘めていると思われます。しかし、これには、フロント及び2軍の監督の理解と協力が不可欠である事は言うまでもありません。

    同氏の指導状況と成果・結果を評価して、価値ありと判断した場合は、一軍投手コーチとして推挙します。その時には、同氏が育てた若手、中堅投手が一緒に一軍で活躍できるレベルに上がって来ている筈です。一軍投手コーチとしては、3年契約をオファーし、インセンテイブボーナス(成功報酬)を付与するのがフェアーな契約内容だと思います。その後、もし本人が希望するなら監督(Manager)として検討する余地は残します。

    このようにプロのスポーツ・アドミニストレーターは、目先の編成、運営結果のみならず、指導者の育成、運営、管理もテイーム、球団組織の構造改善・改革並びにシステムの構築と共に、重要な責務の一つであります。また、スポーツ・アドミニストレーションに於ける人事は、「同じ人物を長期に渡り同じ部署、職責に在籍させる事の弊害」を考慮して一般的に3年一区切りとした人事の活性化が効率の良いアドミニストレーションと言われています。

 特に競技スポーツのテイーム、組織に於いては、「選手間の競争の意識の強化、向上」のみならず、「指導者、球団スタッフへの競争の原理の導入」は不可欠です。(Blog河田弘道の「日・米のスポーツ・アドミニストレーションの違いと疑問」遍より)

 

  日本のプロ野球界では、選手としての経験のみで、コーチ経験も無い、人物をいきなり監督に経営者判断で契約する事は、論理的でなく大きなリスクを背負い込む事になるのです。そして、結果が伴わない若手監督は、負のキャリアを背負って去らなければならなくなります。このようなケースでは、選考、判断したその組織の統括責任者の洞察、判断力が先ず問われるべきで、未経験の監督に責任を転化するのは如何なものでしょうか。1回限りの監督経験で球界を去っている指導者は、もし自身に意欲があるなら是非希望を失うことなく、もう一度自身の得意な技術と経験を活かせる環境でコーチングを学んでから現場に戻ってきてほしいと願います。

 桑田氏が、今もってどこの球団からも誘いを受けていない現実は、各球団が躊躇(ちゅうちょ)する何かがあるのかも知れません。そうでなければ、この人材は、すでに日本球界で指導者として活躍している筈です。

 もし、仮に何か選手時代に起こした問題が彼の指導者への道の障害となっているのであれば、雇用契約書内の一条項に球団が心配と思うポイントを特記し、いつでも契約を解除できる方法があります。此れこそ、プロの契約雇用であり、彼に対してもフェアーなチャンスを与え、雇用する側にも心配事を回避できるプロテクションが与えられるわけです。契約書とは、双方が同意した約束事を遵守する為の信頼の証なのです。

 我が国では、契約、契約雇用という制度が歴史的に根付いていないので、契約という概念を選手契約時にしっかりと教育、指導する必要があると思われます。しかし、オファーがあっても内容が彼に取って不満で成立しなかった場合は、それはそれで双方のネゴシエーション(交渉)の結果であり、双方にとって何の問題にもなりません。彼に取って、現在は、何のオファーも無い事が問題だと思います。

 

 何れにしましても、桑田真澄氏のような逸材に指導者として来てほしい球団は、何処の球団も現状を覗いて見ますと喉から手が出る程欲しい貴重な戦力と思われます。日本の球団は、MLBメジャーリーグ)と異なり物事をビジネスライクで割り切ろうとしないので、勇気が必要なのもまた確かです。優秀な才能がある人材には、温かい手を差し伸べ球団、球界と社会に貢献できる機会を是非与えて挙げて欲しいと思います。そして、同氏には、チャンスが与えられた暁には感謝の心を持って伝統的な日本のプロ球界の指導方法に新風を吹き込み、成果と結果を日本球界に還元して欲しいと期待する次第です。

  プロ球団のアドミニストレーションには、観察力、洞察力とマネージメント力の優れたベースボール・アドミニストレーターが不可欠です。

 各球団に勇気と期待を込めて! ガンバレ桑田!チャンスはきっと来る。あなた程、素晴らしいプロ球界の指導者としての資質と可能性を秘めた人材は、日本球界に於いて珍しいと思います。

                               文責:河田弘道

 

河田弘道の素朴な疑問(第二話):桑田真澄投手(元東京読売巨人軍)

河田弘道の素朴な疑問(第二話):桑田真澄投手(元東京読売巨人軍

第二話:プロ指導者の現状と問題

  注:第一話:素朴な疑問、第二話:プロ指導者の現状と問題、

               第三話:貴重な戦力 としての桑田氏

 

    プロ野球界には、指導者たる人材の養成、育成に寄与する機関やシステムが無く、これらがまた選手達のセカンドキャリアにも大きく影響している一因であると思われます(選手会の虚弱体質)。此処での指導は、我が国の伝統的な指導方法が今なお継承され、非科学的な指導方法から抜け出せない状況でもあります。

 私が東京読売巨人軍に在籍していました初年度(1994年)、桑田真澄投手から現場スタッフ、フロントスタッフを通じて、報告が上がって来たのを鮮明に記憶しております。それは、東京ドームのロッカールームで喫煙をする選手達が多く居て、非喫煙選手がマイノリテイー〔少数派〕となっている事に対するクレームでした。それは、喫煙者と非喫煙者のロッカーを分離して欲しいとの訴えでした。グローバルなスポーツ社会に於いては、ロッカールームは禁煙が常識であったので管理状態に驚き、即対応をフロント担当者に指示したのが昨日のようです。桑田選手は、このように当時より健康管理に他の誰よも真剣に取り組んでいました。このようなことからも、彼は、如何に自己の健康管理に気配りを怠らなかったかが理解できるのでないでしょうか。

 

  日本の伝統的な競技スポーツの指導法の特徴は、「消去法」と言われるものです。これは、主にスポーツ医科学的な根拠を伴わない、例えば、元々身体能力が強靭で、精神力も群を抜き、いかなる精神的、肉体的な「しごき(トレーニングではない)」にも耐えられる選手だけが勝ち残れる、いわゆる精神主義的、経験主義的な指導方法を意味しています。特に本指導法は、指導者側、選手側双方に練習をやったという満足感を満たす為の質より量の練習が主体となっているのも特徴の一つです(悪例:1000本ノック、200300球の投げ込みを美化、等)。これらは、まさに「弱きものは、去れ!」を指導の根幹とし、サバイバル指導法とも揶揄(やゆ)されているのです。アメリカ型のコーチング理論の「個人の得意な潜在能力を導き出す」とは相反するのです。

  国内最大のスポーツエンターテイメントは、やはりプロ野球でしょう。そして、そこには、プロ野球選手を夢見て日々トレーニングに励む若者達がいます。

 現在NPB(日本プロ野球機構)は、元プロ野球選手に対して数日の研修を受講させる事により、教育機関での指導を安易に容認していますが、これは教育界の競技スポーツを教育の一環、延長線上である事を理解できていない誤った許認可制度の構築に他ならないと思いますが如何でしょうか。或は、文科省は、教育機関の競技スポーツ指導者は教育者としての資格は必要としていないのか。これでは、益々学校教育から競技スポーツが異なる趣旨・目的の方向に独り歩きをして行ってもよいと考えているのでしょうか。

 プロ野球の底辺を支える教育界での指導者達には、多くの夢見る若者達に模範となる、また使命感を持ったポジテイブな指導、運営、管理者で在って欲しいと願います。その為には、教育者としての専門的な知識とそれに伴う実践力をしっかりと身に着けたうえで、指導して頂きたいと願う次第です。

  プロ野球選手の多くは、現場の監督、コーチ達に「怒鳴られ、時として精神的、肉体的な暴力を受けなければ」耳を傾け、言う事を聞かない選手達が多く居るのも現実です。幼い頃選手達は、最初は野球(競技スポーツ)に興味を抱き、好きで始めたのです。しかし、この純粋な子供達は、大人の指導者達それぞれの思惑により、楽しかったはずの練習がやらされているという苦痛な練習に変形し、それが身に沁みついてしまったのです。

 プロの指導者達は、自分達も幼い頃から指導者に怒鳴られ、やらされてきた経験から指導者は、怒鳴り、叱るのも仕事のように思い込み、美化されているのです。このことからも、プロ球界の指導者達は、「怒鳴らない、怒らない指導者」は良い指導者と認めないという馬鹿げた風習と慣習が罷り通るプロ野球の現場である事も悲しい現実です。このような環境と現実から、陰湿な精神的、肉体的暴力指導が絶えない事もまた寂しい事実であります。指導者の上下間に於いてもこれまた同じような事が起きているのです。これらは、果して日本最大のプロ競技スポーツの集団とその組織・団体に於ける指導体制と言えるのでしょうか。桑田氏は、この指導法を否定している一人のようです。

  これらの根源は、我が国の教育の在り方、スポーツへの考えと取り組み方、指導に於けるテイーチングとコーチングの抜本的な違いと在り方、等の悪しき伝統を改善、改革される事無く今なお継承しているからだと思います。

 このような問題は、文部科学省スポーツ庁が率先して競技スポーツの指導体系とその指針を明文化し、各レベルに応じたマニフェストを先ず告知するべきです。そして各省庁にそれぞれの専門家が居るのであれば、その専門家は、現実に即した体質改善と制度の改善、改革を早急に取り組み、スポーツ振興、推進をただ形骸化するのでなく、実践、実行する事が先決であると私は思います。これらは、部活云々を議論する以前の問題であると思いますが如何でしょうか。

                               文責:河田弘道

注:次週は、第三話:貴重な戦力としての桑田氏、を掲載予定

河田弘道の素朴な疑問:桑田真澄投手(元東京読売巨人軍)

河田弘道の素朴な疑問:桑田真澄投手(元東京読売巨人軍

   この度の本テーマに付きましては、BLOG読者よりのリクエストを優先させて頂きました。よって、私は、ベースボール・アドミニストレーターとしての視点と立場で述べさせて頂きます。本記事は、第一話:素朴な疑問、第二話:プロ指導者の現状と問題、第三話:貴重な戦力としての桑田氏、に分けて掲載致します。

 第一話:素朴な疑問

     私は、嘗て東京読売巨人軍にて、「編成本部付アドバイザー兼長嶋監督補佐」という肩書で編成、運営、管理に当たらせて頂き、桑田真澄投手を球団、テイームの1選手として見て来ました。河田の素朴な同投手への疑問は、「桑田真澄氏は、現役引退後どうしてプロ野球球団の指導者として何処の球団からも声を掛けられないのか」という事です。

    これは、野球ファンのみならず、一般社会人から私にここ数年よく質問される事からも、皆さんも抱いている素朴な疑問ではないかと思われます。私は、彼ほど野球選手としての実績、頭脳を持ち合わせている人物は国内においてそうはいないと確信しております。しかし、スポーツマスメデイアは、本件に付いて触れようとしないのも不思議に感じています。或は、此のことを語るのは、日本球界ではタブーの一つなのか。私は、そうは思いません。勿論、他にも多くの選手は、現役時代実績、名声を伴った選手が引退した後、指導者として声を掛けられないでいるのも事実です。 

    私が日本に於いて関わったベースボール・アドミニストレーションの中で、彼ほど自立心があり、自己管理ができるプロの競技者は他に記憶がありません。 彼の野球に対する情熱とその向上心は、群を抜いていました。特に選手時代から、野球に必要なスポーツ医科学を自ら学び実践に取り入れ、それを成果と結果に繋げる努力と信念は、他に例を見ませんでした。勿論、彼には、種々の能力が備わっていたのは言うまでもありません。

    そうでなければ、私は、1994年、10月08日(別名:10.8)、ナゴヤ球場に於ける頂上決戦(巨人対中日)の後半3イニングを彼に任せることを推薦しませんでした(世に言われているメイクミラクルと名付けられたシーズンと決戦で)。

     それでは、彼の指導者としての能力及び可能性は、如何でしょうか。それは、彼がプロとしてのコーチングの成果と結果を見せていませんので正直未知数です。桑田氏は、選手時代から殆ど独学による専門知識と経験から得た知恵を蓄積しています。そして、現役引退後、彼は、自らの意思で大学院(早稲田大に1年間)に通い、大学野球での指導(東大野球部)、少年野球のオーナーとして、また解説者としても経験、活躍しています。

    これらは、多分彼の内心のストレスをポジテイブな行動に転化した表れと理解、推測しております。また、彼は、選手時代にはプレー中にパフォーマンスを駆使する癖を持っていたのも事実です(例:プレート板に肘を触れたり、ピンチになるとボールに語り掛けたり、投球前に独り言、等の仕種)。このような野球外での努力と実績からしても、彼は、他のプロ野球界を退いた選手達と異なる思考能力及び行動力を持っていると思います。

     日本のプロ野球界は、現役引退後過去に実績、名声を残した方々が先ず各球団の指導者(コーチ)、監督として指名され新たな委託契約を結ぶのが慣例であります。

    ご批判を承知で申し上げますと、多数の各球団の指導者達は、現役選手時の実績、名声はあるが指導者としての資質及び必要な専門知識は殆ど持ち合わせていない人が多いのが現状です。しかし、このような指導者諸氏は、「処世術」という特技を持っているのは一般社会も同じのようです。勿論、その中に少数ではありますが、選手時の実績、名声、そして専門知識を兼ね備え、優秀な指導理論と指導方法を持って、現在成果と結果を出し活躍されている指導者達も事実存在しています。

     日本社会に於いては、選手時代に素晴らしい実績、名声を残した競技者(Athlete)が即優れた指導者、管理者であるとの理解、評価と認識をしてしまっているようです。 しかし、それらには、何の根拠も見当たりません。

    例えば、オリンピック代表選手、メダリストは、即スポーツのオーソリテイー(authority)であり、競技スポーツの名コーチ、名監督、名管理者であり、また、全く対極的な体育の分野に於ける優秀な指導者、教育者であると社会のみならず自らも勘違いされている事と同じ事です。優秀な競技者とは、その競技種目の中で勝利した結果を称えられるべきであり、指導者、教育者、管理者とは、本質的に異なる専門分野、部門なのです。

これらの誤解は、ただの迷信、思い込みにしか過ぎないという事を先ず常に心の片隅に持って頂けましたら幸いです。

                            文責:河田弘道

注:次週は第二話:プロ指導者の現状と問題を掲載予定

河田弘道の独り言:東京五輪マラソン代表選考にある「大人の事情」とは~

第二話:栄枯盛衰

    高校、大学を卒業後、大多数の優秀な選手達は、企業に就職し、陸上部に所属して実業団連盟、そして陸連に選手登録をしているのです。そして選手、指導者は、企業から給与として生活の糧を得ています(注:外国人選手は、契約、日本人選手も近年は契約あり)。

世界記録を持った外国人選手だけでは、テレビ視聴率は改善、向上しないのです。そこで国内大会主催者、後援者、協賛関係者は、日本人の商品価値の高い選手達と個々に交渉を行い、成立すると陸連関係者を通して許認可を得て主催者発表となります。

  マラソン選手達は、通常年間2ないし3レースが常識となっていますので、選手数と大会の数との間の需要と供給のバランスが図れない(海外のメジャーレースからのリクルートもあり)ので特別招待選手の奪い合いが見えないところで展開されているのです。また、このような国内外の状況から優秀で商品価値の高い選手への交渉は、ネゴシエーション力(交渉力)が必要で、アピアランスフィー(出場、出演料)、インセンテイブボーナス(成功報酬=世界記録、大会記録、自己新、順位、等により報酬が約束されている)の中身も高騰するわけです。しかし、これら高額の金額明細に付いては、決して発表されないので、提供する側、受領する側の税務処理が気がかりです。これは、日本のプロ野球界のFA選手(自由契約権を取得した商品価値の高い選手)が他球団と移籍交渉する時の条件交渉によく似ています。

 その他、日本国内に於いては、伝統的に選手のみならず、その指導者への「おもてなし」も重要かつ決定的な要素の一つでもあります。また、選手の所属企業は、これらの交渉事に関しては殆ど暗黙の了解事項となっています。

 このような事が1980年代前半から既に行われていながらマスメデイアが事実の報道をできないのは、個々の大会が新聞社及びその系列のスポーツ紙各社、テレビ局各社が自らマラソン大会を主催、後援、等、運営に関わっているのでお互いに批判はしないという不文律が働いてきた伝統が此処にあるのです。

 近年は、この伝統的な構造とその仕組みが大きく崩れて行っている状況が今日の日本マラソン界の現実です。その最大の根源は、日本人男女マラソン選手が世界のレースで勝てなくなった事、通用しなくなった事、それに伴い国内に於いても選手の商品価値が極度に低下した事により、テレビ視聴率の低下と共に、協賛スポンサー、テレビスポンサーが高額な投資をしなくなったことなのです。よって、選手達の争奪戦は、競争力の低下と共に、主催者である陸連への実入り(寄付行為)、新聞社事業部への甘味も以前のそれとは異なる状況と環境になってきたと考えられます。

 このような事情から、嘗てのエリートマラソン大会は、今や存続の危機とまで言われており、今日の東京マラソン(嘗ての東京国際マラソン)のように高額の参加料を徴収する市民マラソンスタイルに移行する動きが加速しているのも事実です。

  日本陸連は、このような環境と状況変化の中で、選考レース改変に着手した要因は各大会関係者、組織・団体側からの圧力が弱くなった証であろうと思われます。 私は、この度マスメデイアを通じて発表された、陸連側が述べた「大人の事情」たる所以は此処にあると思います。しかし、この「大人の事情」を玉虫色にしたままでは、本件について視聴者、読者には理解できず、“今迄の騒動は、一体何だったのか”と再び疑念を抱くのでないでしょうか。本BLOGを読まれた読者の皆さんは、問題の本質をご理解頂けたのでないでしょうか。 他の国内競技スポーツ、大会に於ける類似した問題は、やはりこのような日本独特な構造的な問題が基盤となっていると言えます。

  我が国のスポーツアドミニストレーション及びスポーツ報道には、「JusticeFairness」をコンセプトとした問題の提起、情報公開がされて来なかった為に何時まで経っても物事の本質が灰色、或は黒の状態で時代と時間の経過と共に闇に消されて行くようです。スポーツは、フェアープレーの精神でなければと声高に話される方をマスメデイアを通してよく見かけます。そのような方々は、よく観察していますとグレーゾーンが、特にお好きな方々の代表者の様に感じてなりません。皆さんもよく観察されては、如何でしょうか。

  このような構造的な問題は、2020年開催予定の東京オリンピックパラリンピックを機会に、スポーツアドミニストレーションの根幹をなすべき「正義と公平・公正」を基軸にした万民の理解と協力が得られるクリーンでリスペクトされる新しい日本スポーツ界に改善、変革されるべきでしょう。

  我が国は、先ずこのような現実的な問題から改善、改革し、先進国の中でレベルの低いと揶揄されています、スポーツアドミニストレーションの向上と強化に取り組んで行かなければなりません。その為には、関係者自らの身辺を清潔に致すことから初めて頂く事が先ず第一歩です。また先進国の模倣だけでは、中身の資質の改善と改革に至らない事を忘れてはならないと思います。

  私は、機会があり、読者の皆様からご要望がありましたら、日本の大学競技スポーツの現実と現状をスポーツアドミニストレーションの視点からご紹介致したいと考えています。そしてその一つ大学箱根駅伝の実態も覗いてみましょう。大学箱根駅伝は、はたして大学教育の一環、延長線上なのでしょうか。日本の大学競技スポーツの実態をどうか驚かないで下さい。これもまた、大人のマラソン利権と並走してきた利権の巣窟なのかも知れません?我が国の大学の経営者、管理者、指導者の教育的な価値観は?大変興味深いです。 

                               文責:河田弘道

 

河田弘道の独り言:東京五輪マラソン代表選考にある「大人の事情」とは~

河田弘道の独り言:東京五輪マラソン代表選考にある「大人の事情」とは~

         注:本記事は、一話、二話に分けて掲載させて頂きます。

 

第一話:マラソン選手代表選考の歩み

   私は、近年マラソンという競技スポーツイベントの商品価値がスポーツビジネスの視点から急激に落ちたことにより、主催者(日本陸上競技連盟、略:陸連)に対しての関係組織、団体による圧力が和らいだ事がこの度の代表選考基準改変発表に至った最大の要因であると思います。

   先日、マスメデイア朝刊各紙及びTVメデイアは、日本の男女マラソンのオリンピック選手選考基準が見直される事を陸連のマラソン強化担当の瀬古利彦リーダーから発表された事を大々的に報じていました。マスメデイア各社の発表には、今日までの選考問題に対する陸連側のコメント(大人の事情と)を掲載していましたが、コメント提供者もマスメデイアもこれだけでは、視聴者、読者が理解できるものでなく、これでは「子供の告知報道」のように思えてなりませんが皆さんは理解出来ましたでしょうか。そこで「大人の事情」とは、真に何を指しているのかについて述べてみましょう。

    日本の伝統的なオリンピック競技種目の代表格でありました、男女マラソン競技大会は、代表選手選考に関する選考基準が常にブラックボックスに入れられていました(嘗ては、柔道、器械体操、水泳、その他も同様)。これにより選手達も国民、社会も五輪代表、世界選手権代表選考に関しては、毎度訳の分からない理由と理屈を付けて選考、決定され、マスメデイアに発表されていく様子を恒例の行事の如く見せられて来ました。これにより、過去どれ程の選手達が日々の努力と夢を大人の都合で壊されたか数え切れないのです。これは、まさにこの度陸連、マスメデイアで表現されている「大人の事情」がそこにあったのです。

 それでは、その大人の事情とは一体何なのか、今なお誰も説明できない、したがらない我が国の競技スポーツ界のアンフェアーな実態を覗いてみましょう。

 

 我が国のマラソン大会は、伝統的にエリートマラソン大会「例:東京国際マラソン(現在:東京マラソンに改名)、福岡国際、別府大分、琵琶湖毎日、横浜国際女子マランソン(現在消滅)、名古屋国際女子、大阪国際女子、北海道国際マラソン、等」と称され、大会出場に出場選考基準が設けられて参りました。(しかし近年は、一般市民が出場料を払って参加できる市民マラソンが主流をなして来ています。)

  本大会は、許認可権を持つ陸連が主催となり、新聞社がそれに連なり、現地での運営は、各陸上競技協会が当たり、後援には、大会が行われる県、市、各教育委員会(一応教育も兼ねているんだと体裁を装う)が顔を出し、またTV放映を行うテレビ局が名を連ね、協賛には、大会のスポンサー(資金と物品を提供する企業が広告代理店の仲介により)が名を連ねます。

 これにより、国際的に通用する男女マラソン選手達は、テレビ局の視聴率を維持する為の最大のロードレース・イベントとしてのCOREであり、商品なのです。1970年代後半から2000年前半までは、国内のトップアスリート達は大変重宝されて来たのです。

  各大会の最大の利権者の一つは、日本陸上競技連盟であり、もう一つが主催に名を連ねている新聞社、そして後援のテレビ局各社なのです。これにより陸連は、許認可権を振りかざし各大会から強化費名目で巨額な寄付金をおねだりするのです。

 此処で皆さんには、大事な予備知識を付与いたします。競技スポーツの大会イベントの主催、後援に新聞社、テレビ局が名を連ねるのは、日本の競技スポーツ大会の伝統的な特徴の一つで、少なくとも諸外国では、見聞きした事がありません。

 一方の利権者の新聞社、テレビ局、スポンサー(仲介者の広告代理店)は、陸連に対してオリンピック出場選考会、世界陸上出場選考会、等の商品価値を高めるためのタイトル(看板)の必要性を強要するのです。これにより、各選考大会がタイトルを欲しがるのは、商品価値を高めるためのグレードアップと、視聴率の向上とスポンサー・セールスの一翼を担うのです。よって、これらタイトルは、選考大会の数だけ増えるのです。陸連は、何故独自の施策、戦略を持ったスポーツアドミニストレーションが出来ないのか。

  利権者の陸連は、これらの要望に対してNOが言えない理由があるのです。それは、各大会から強化費名目で多額の寄付金をおねだりしている事、また、陸連の幹部と呼ばれる執行部役員達個々は、各大会の暗黙の窓口となって利権者としての特権を長きに渡り構築して、公私共に利用、活用して来ているのです。これら個々の幹部は、各大会の利権代表者でもあるのです。よって、新聞社、テレビ局、スポンサーは、自らの大会に五輪、世界陸上選考会としてのタイトルを付けると同時に、利権の代表者を通して、その時々の商品価値のある選手を自らの大会に招聘する許認可を求めるのです。しかし、この陸連の代表者は、協会内部の許認可に付いては力を発揮できるが、肝心な選手への影響力は、略ないに等しいのです。よって、選手達を許認可権を盾に縛ろうとするのです。

*次週第二話を掲載予定、                文責:河田弘道

河田弘道の見解:日本版NCAAに付いての報道 2017年5月10日

河田弘道の見解:日本版NCAAに付いての報道 2017510

 

     私は、長年米国大学に於いて競技スポーツ(フットボール、バスケットボール、野球、バレーボール、体操競技、等々)のスポーツアドミニストレーターとして、NCAA(全米大学競技スポーツ協会)に大学代表の1人としても関わって参りました。

  この所、急にマスメデイアを通じて「日本版NCAA」の必要性についての話題を提供されているかに聞き及んでおります。小生は、当時(1977年)文部省体育局長の主催で日本体育学会会長、体育協会競技力向上委員会、大学スポーツ関係者を交えた講演会に招かれた当時より既に今日まで、我が国にはNCAAのような統括組織団体、スポーツアドミニストレーションによる人材の指導、育成、各大学には、アスレテイックデパートメントの必要性を唱え続けて参っています。また、近年に於いて2008年には、日本体育大学の招きにより講演会で上記内容を強く提言、進言して参って来ております(ネットサイトで紹介済み)。

   本件は、本質的な部分を先ず熟考しなければ、唯単に大学競技スポーツを「お金を稼ぐ道具」としてしか目が向いていないのでは、大義を見失った大変貧弱なコンセプトであると思います。これは、多分長年我が国に於いて、NCAANational Collegiate Athletic Association)を「全米大学体育協会」と誤った理解と認識、誤訳もさることながら、スポーツアドミニストレーションの貧困がこの根底にあると確信致しています。当時、小職がNCAAの会議で、我が国(日本)では、NCAAの名称を全米大学体育協会National Collegiate Physical Education Association)とスポーツマスメデイアは公称として使用していますが、どうしますか。と議題にした事が昨日の様に思い出されます。

    日本がまだ明治時代(1900年ごろ)、日本の大学に於いては、体育の余暇活動、そして課外活動として始まったころに、米国に於いては、既にNCAA(全米大学対抗競技協会が1905年)が設立されていて、既に800校が加盟して運営、管理が行われていたのです。現在は、NCAAのルールブックの下に全米1275校の大学が加盟しているのです。このような歴史からも、NCAAは、お金を稼ぐことがその趣旨、目的として設立されたわけではありません。

    私は、長年、NCAAの各カンファレンス(日本のリーグとは実質異なる)、NCAAに於いて大学の代表、管理者として業務を遂行して参りました経験者として、日本版NCAAの発想を思考されている方々に一言申し上げます。

    現在の我が国の本件を推進しようとされている方々は、将来の日本のスポーツ及び、大学競技スポーツを見据えた大義が必要だと思います。その大義が、2020東京オリンピックパラリンピック後の新たな利権と金儲けであるならば、この度世界の笑いものになったオリンピック招致活動、その関係者と同じ轍を踏むことになり、やがて組織として機能しなくなり、既存の国内のスポーツ関連組織、団体同様なクリーンなイメージの構築と継続が難しくなると思われます。

 

   大学競技スポーツは、本来大学教育の一環であり、その延長線上に位置するものです。大学競技スポーツのアドミニストレーションの基軸は、何なのかを先ず学び、理解した上で本論を議論して頂きたく願う次第であります。

    多分、米国大学競技スポーツ、NCAAに米国大学の責任者の一人として関わった人間は、日本国内において小生が先駆的でないかと思います。日本の大学競技スポーツの発展の為、微力ですがお役に立てるならご遠慮なくお声をおかけくだされば、何かお役に立てるかと思います。

                               文責:河田弘道

 

 

河田弘道のBLOG立ち上げの趣旨、目的~

河田弘道BLOG立ち上げの趣旨、目的~

 

  筆者は、約10年間日本の大学での講義授業、演習(ゼミ)活動を指導させて頂きました。本講義授業、ゼミは、スポーツアドミニストレイション論を基盤としたスポーツビジネス、マネージメント、マーケテイング、プロモーション、等と多岐に渡る専門分野、部門、部署に於けるトータルマネージメントでありました。

  受講生達の多くは、スポーツに興味を持ち、関わってきた、或は関わっている若者達が大多数でした。しかし、これらの大多数の履修生達は、スポーツに付いての正しい知識と認識が不足していました。よって、このような現状、現実を強く理解、認識しましたので、私は、微力ではありますが、この度本BLOGを通して、全国のスポーツ愛好者、スポーツ関係者、そして若者達に専門知識を少しでも付与することで、スポーツに関する情報の正しい理解とこれから進まれるスポーツ界での指針の一助となる事を祈念して発信させて頂きます。ご理解下されば幸甚です。

                                                                                                          文責:河田弘道

 

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