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河田弘道の独り言:東京五輪マラソン代表選考にある「大人の事情」とは~

第二話:栄枯盛衰

    高校、大学を卒業後、大多数の優秀な選手達は、企業に就職し、陸上部に所属して実業団連盟、そして陸連に選手登録をしているのです。そして選手、指導者は、企業から給与として生活の糧を得ています(注:外国人選手は、契約、日本人選手も近年は契約あり)。

世界記録を持った外国人選手だけでは、テレビ視聴率は改善、向上しないのです。そこで国内大会主催者、後援者、協賛関係者は、日本人の商品価値の高い選手達と個々に交渉を行い、成立すると陸連関係者を通して許認可を得て主催者発表となります。

  マラソン選手達は、通常年間2ないし3レースが常識となっていますので、選手数と大会の数との間の需要と供給のバランスが図れない(海外のメジャーレースからのリクルートもあり)ので特別招待選手の奪い合いが見えないところで展開されているのです。また、このような国内外の状況から優秀で商品価値の高い選手への交渉は、ネゴシエーション力(交渉力)が必要で、アピアランスフィー(出場、出演料)、インセンテイブボーナス(成功報酬=世界記録、大会記録、自己新、順位、等により報酬が約束されている)の中身も高騰するわけです。しかし、これら高額の金額明細に付いては、決して発表されないので、提供する側、受領する側の税務処理が気がかりです。これは、日本のプロ野球界のFA選手(自由契約権を取得した商品価値の高い選手)が他球団と移籍交渉する時の条件交渉によく似ています。

 その他、日本国内に於いては、伝統的に選手のみならず、その指導者への「おもてなし」も重要かつ決定的な要素の一つでもあります。また、選手の所属企業は、これらの交渉事に関しては殆ど暗黙の了解事項となっています。

 このような事が1980年代前半から既に行われていながらマスメデイアが事実の報道をできないのは、個々の大会が新聞社及びその系列のスポーツ紙各社、テレビ局各社が自らマラソン大会を主催、後援、等、運営に関わっているのでお互いに批判はしないという不文律が働いてきた伝統が此処にあるのです。

 近年は、この伝統的な構造とその仕組みが大きく崩れて行っている状況が今日の日本マラソン界の現実です。その最大の根源は、日本人男女マラソン選手が世界のレースで勝てなくなった事、通用しなくなった事、それに伴い国内に於いても選手の商品価値が極度に低下した事により、テレビ視聴率の低下と共に、協賛スポンサー、テレビスポンサーが高額な投資をしなくなったことなのです。よって、選手達の争奪戦は、競争力の低下と共に、主催者である陸連への実入り(寄付行為)、新聞社事業部への甘味も以前のそれとは異なる状況と環境になってきたと考えられます。

 このような事情から、嘗てのエリートマラソン大会は、今や存続の危機とまで言われており、今日の東京マラソン(嘗ての東京国際マラソン)のように高額の参加料を徴収する市民マラソンスタイルに移行する動きが加速しているのも事実です。

  日本陸連は、このような環境と状況変化の中で、選考レース改変に着手した要因は各大会関係者、組織・団体側からの圧力が弱くなった証であろうと思われます。 私は、この度マスメデイアを通じて発表された、陸連側が述べた「大人の事情」たる所以は此処にあると思います。しかし、この「大人の事情」を玉虫色にしたままでは、本件について視聴者、読者には理解できず、“今迄の騒動は、一体何だったのか”と再び疑念を抱くのでないでしょうか。本BLOGを読まれた読者の皆さんは、問題の本質をご理解頂けたのでないでしょうか。 他の国内競技スポーツ、大会に於ける類似した問題は、やはりこのような日本独特な構造的な問題が基盤となっていると言えます。

  我が国のスポーツアドミニストレーション及びスポーツ報道には、「JusticeFairness」をコンセプトとした問題の提起、情報公開がされて来なかった為に何時まで経っても物事の本質が灰色、或は黒の状態で時代と時間の経過と共に闇に消されて行くようです。スポーツは、フェアープレーの精神でなければと声高に話される方をマスメデイアを通してよく見かけます。そのような方々は、よく観察していますとグレーゾーンが、特にお好きな方々の代表者の様に感じてなりません。皆さんもよく観察されては、如何でしょうか。

  このような構造的な問題は、2020年開催予定の東京オリンピックパラリンピックを機会に、スポーツアドミニストレーションの根幹をなすべき「正義と公平・公正」を基軸にした万民の理解と協力が得られるクリーンでリスペクトされる新しい日本スポーツ界に改善、変革されるべきでしょう。

  我が国は、先ずこのような現実的な問題から改善、改革し、先進国の中でレベルの低いと揶揄されています、スポーツアドミニストレーションの向上と強化に取り組んで行かなければなりません。その為には、関係者自らの身辺を清潔に致すことから初めて頂く事が先ず第一歩です。また先進国の模倣だけでは、中身の資質の改善と改革に至らない事を忘れてはならないと思います。

  私は、機会があり、読者の皆様からご要望がありましたら、日本の大学競技スポーツの現実と現状をスポーツアドミニストレーションの視点からご紹介致したいと考えています。そしてその一つ大学箱根駅伝の実態も覗いてみましょう。大学箱根駅伝は、はたして大学教育の一環、延長線上なのでしょうか。日本の大学競技スポーツの実態をどうか驚かないで下さい。これもまた、大人のマラソン利権と並走してきた利権の巣窟なのかも知れません?我が国の大学の経営者、管理者、指導者の教育的な価値観は?大変興味深いです。 

                               文責:河田弘道

 

河田弘道の独り言:東京五輪マラソン代表選考にある「大人の事情」とは~

河田弘道の独り言:東京五輪マラソン代表選考にある「大人の事情」とは~

         注:本記事は、一話、二話に分けて掲載させて頂きます。

 

第一話:マラソン選手代表選考の歩み

   私は、近年マラソンという競技スポーツイベントの商品価値がスポーツビジネスの視点から急激に落ちたことにより、主催者(日本陸上競技連盟、略:陸連)に対しての関係組織、団体による圧力が和らいだ事がこの度の代表選考基準改変発表に至った最大の要因であると思います。

   先日、マスメデイア朝刊各紙及びTVメデイアは、日本の男女マラソンのオリンピック選手選考基準が見直される事を陸連のマラソン強化担当の瀬古利彦リーダーから発表された事を大々的に報じていました。マスメデイア各社の発表には、今日までの選考問題に対する陸連側のコメント(大人の事情と)を掲載していましたが、コメント提供者もマスメデイアもこれだけでは、視聴者、読者が理解できるものでなく、これでは「子供の告知報道」のように思えてなりませんが皆さんは理解出来ましたでしょうか。そこで「大人の事情」とは、真に何を指しているのかについて述べてみましょう。

    日本の伝統的なオリンピック競技種目の代表格でありました、男女マラソン競技大会は、代表選手選考に関する選考基準が常にブラックボックスに入れられていました(嘗ては、柔道、器械体操、水泳、その他も同様)。これにより選手達も国民、社会も五輪代表、世界選手権代表選考に関しては、毎度訳の分からない理由と理屈を付けて選考、決定され、マスメデイアに発表されていく様子を恒例の行事の如く見せられて来ました。これにより、過去どれ程の選手達が日々の努力と夢を大人の都合で壊されたか数え切れないのです。これは、まさにこの度陸連、マスメデイアで表現されている「大人の事情」がそこにあったのです。

 それでは、その大人の事情とは一体何なのか、今なお誰も説明できない、したがらない我が国の競技スポーツ界のアンフェアーな実態を覗いてみましょう。

 

 我が国のマラソン大会は、伝統的にエリートマラソン大会「例:東京国際マラソン(現在:東京マラソンに改名)、福岡国際、別府大分、琵琶湖毎日、横浜国際女子マランソン(現在消滅)、名古屋国際女子、大阪国際女子、北海道国際マラソン、等」と称され、大会出場に出場選考基準が設けられて参りました。(しかし近年は、一般市民が出場料を払って参加できる市民マラソンが主流をなして来ています。)

  本大会は、許認可権を持つ陸連が主催となり、新聞社がそれに連なり、現地での運営は、各陸上競技協会が当たり、後援には、大会が行われる県、市、各教育委員会(一応教育も兼ねているんだと体裁を装う)が顔を出し、またTV放映を行うテレビ局が名を連ね、協賛には、大会のスポンサー(資金と物品を提供する企業が広告代理店の仲介により)が名を連ねます。

 これにより、国際的に通用する男女マラソン選手達は、テレビ局の視聴率を維持する為の最大のロードレース・イベントとしてのCOREであり、商品なのです。1970年代後半から2000年前半までは、国内のトップアスリート達は大変重宝されて来たのです。

  各大会の最大の利権者の一つは、日本陸上競技連盟であり、もう一つが主催に名を連ねている新聞社、そして後援のテレビ局各社なのです。これにより陸連は、許認可権を振りかざし各大会から強化費名目で巨額な寄付金をおねだりするのです。

 此処で皆さんには、大事な予備知識を付与いたします。競技スポーツの大会イベントの主催、後援に新聞社、テレビ局が名を連ねるのは、日本の競技スポーツ大会の伝統的な特徴の一つで、少なくとも諸外国では、見聞きした事がありません。

 一方の利権者の新聞社、テレビ局、スポンサー(仲介者の広告代理店)は、陸連に対してオリンピック出場選考会、世界陸上出場選考会、等の商品価値を高めるためのタイトル(看板)の必要性を強要するのです。これにより、各選考大会がタイトルを欲しがるのは、商品価値を高めるためのグレードアップと、視聴率の向上とスポンサー・セールスの一翼を担うのです。よって、これらタイトルは、選考大会の数だけ増えるのです。陸連は、何故独自の施策、戦略を持ったスポーツアドミニストレーションが出来ないのか。

  利権者の陸連は、これらの要望に対してNOが言えない理由があるのです。それは、各大会から強化費名目で多額の寄付金をおねだりしている事、また、陸連の幹部と呼ばれる執行部役員達個々は、各大会の暗黙の窓口となって利権者としての特権を長きに渡り構築して、公私共に利用、活用して来ているのです。これら個々の幹部は、各大会の利権代表者でもあるのです。よって、新聞社、テレビ局、スポンサーは、自らの大会に五輪、世界陸上選考会としてのタイトルを付けると同時に、利権の代表者を通して、その時々の商品価値のある選手を自らの大会に招聘する許認可を求めるのです。しかし、この陸連の代表者は、協会内部の許認可に付いては力を発揮できるが、肝心な選手への影響力は、略ないに等しいのです。よって、選手達を許認可権を盾に縛ろうとするのです。

*次週第二話を掲載予定、                文責:河田弘道

河田弘道の見解:日本版NCAAに付いての報道 2017年5月10日

河田弘道の見解:日本版NCAAに付いての報道 2017510

 

     私は、長年米国大学に於いて競技スポーツ(フットボール、バスケットボール、野球、バレーボール、体操競技、等々)のスポーツアドミニストレーターとして、NCAA(全米大学競技スポーツ協会)に大学代表の1人としても関わって参りました。

  この所、急にマスメデイアを通じて「日本版NCAA」の必要性についての話題を提供されているかに聞き及んでおります。小生は、当時(1977年)文部省体育局長の主催で日本体育学会会長、体育協会競技力向上委員会、大学スポーツ関係者を交えた講演会に招かれた当時より既に今日まで、我が国にはNCAAのような統括組織団体、スポーツアドミニストレーションによる人材の指導、育成、各大学には、アスレテイックデパートメントの必要性を唱え続けて参っています。また、近年に於いて2008年には、日本体育大学の招きにより講演会で上記内容を強く提言、進言して参って来ております(ネットサイトで紹介済み)。

   本件は、本質的な部分を先ず熟考しなければ、唯単に大学競技スポーツを「お金を稼ぐ道具」としてしか目が向いていないのでは、大義を見失った大変貧弱なコンセプトであると思います。これは、多分長年我が国に於いて、NCAANational Collegiate Athletic Association)を「全米大学体育協会」と誤った理解と認識、誤訳もさることながら、スポーツアドミニストレーションの貧困がこの根底にあると確信致しています。当時、小職がNCAAの会議で、我が国(日本)では、NCAAの名称を全米大学体育協会National Collegiate Physical Education Association)とスポーツマスメデイアは公称として使用していますが、どうしますか。と議題にした事が昨日の様に思い出されます。

    日本がまだ明治時代(1900年ごろ)、日本の大学に於いては、体育の余暇活動、そして課外活動として始まったころに、米国に於いては、既にNCAA(全米大学対抗競技協会が1905年)が設立されていて、既に800校が加盟して運営、管理が行われていたのです。現在は、NCAAのルールブックの下に全米1275校の大学が加盟しているのです。このような歴史からも、NCAAは、お金を稼ぐことがその趣旨、目的として設立されたわけではありません。

    私は、長年、NCAAの各カンファレンス(日本のリーグとは実質異なる)、NCAAに於いて大学の代表、管理者として業務を遂行して参りました経験者として、日本版NCAAの発想を思考されている方々に一言申し上げます。

    現在の我が国の本件を推進しようとされている方々は、将来の日本のスポーツ及び、大学競技スポーツを見据えた大義が必要だと思います。その大義が、2020東京オリンピックパラリンピック後の新たな利権と金儲けであるならば、この度世界の笑いものになったオリンピック招致活動、その関係者と同じ轍を踏むことになり、やがて組織として機能しなくなり、既存の国内のスポーツ関連組織、団体同様なクリーンなイメージの構築と継続が難しくなると思われます。

 

   大学競技スポーツは、本来大学教育の一環であり、その延長線上に位置するものです。大学競技スポーツのアドミニストレーションの基軸は、何なのかを先ず学び、理解した上で本論を議論して頂きたく願う次第であります。

    多分、米国大学競技スポーツ、NCAAに米国大学の責任者の一人として関わった人間は、日本国内において小生が先駆的でないかと思います。日本の大学競技スポーツの発展の為、微力ですがお役に立てるならご遠慮なくお声をおかけくだされば、何かお役に立てるかと思います。

                               文責:河田弘道

 

 

河田弘道のBLOG立ち上げの趣旨、目的~

河田弘道BLOG立ち上げの趣旨、目的~

 

  筆者は、約10年間日本の大学での講義授業、演習(ゼミ)活動を指導させて頂きました。本講義授業、ゼミは、スポーツアドミニストレイション論を基盤としたスポーツビジネス、マネージメント、マーケテイング、プロモーション、等と多岐に渡る専門分野、部門、部署に於けるトータルマネージメントでありました。

  受講生達の多くは、スポーツに興味を持ち、関わってきた、或は関わっている若者達が大多数でした。しかし、これらの大多数の履修生達は、スポーツに付いての正しい知識と認識が不足していました。よって、このような現状、現実を強く理解、認識しましたので、私は、微力ではありますが、この度本BLOGを通して、全国のスポーツ愛好者、スポーツ関係者、そして若者達に専門知識を少しでも付与することで、スポーツに関する情報の正しい理解とこれから進まれるスポーツ界での指針の一助となる事を祈念して発信させて頂きます。ご理解下されば幸甚です。

                                                                                                          文責:河田弘道

 

URL: http://hktokyo2017041.com/

http://hatenablog.com/k/keywordblog/%E6%B2%B3%E7%94%B0%E5%BC%98%E9%81%93

 

 

 

 

 

河田弘道の「日・米のスポーツ・アドミニストレーションの違いと疑問」

河田弘道の「日・米のスポーツ・アドミニストレーションの違いと疑問」

                               著者:河田弘道

目次

1.はじめに

2.日・米のスポーツに対する考え方と社会的な認識の違い

3.契約に対する概念

4.MLBの経営理念

5.米国のプロ球団組織・団体のビジネス形態

6.MLBのリーグ経営の仕組み

7・プロスポーツ組織・団体の中核的な役割

8.GMに必要な能力と業務内容

9.まとめ

 

1.はじめに:  

       今日のスポーツ情報社会では、多くのスポーツ経営とその運営、管理に関係する情報がマスメデイアを通じて24時間世界中で行き交っています。しかし、読者の皆様の中には、知識と経験を持たないでいる方も多くいらっしゃることと思われます。

    本特集は、これらの情報を少しでも正しく理解して頂く為に専門的な知識を補強して頂き、情報の解読に役立てて頂ければと思います。そして読者の方々がスポーツ・アドミニストレーターとしての立場で理解して下さればさらに興味が倍加すると思われます。

    スポーツアドミニストレーターとは、スポーツに関わる経営、編成、運営、管理に於いてそれらの各専門の部門、部署をマネージメントしている人達をさらに束ねてトータルマネージメントを行う人の総称です。 組織、団体に於いては、トップマネージメントを行う方々です。ここでは、スポーツ・マスメデイアを通して情報を得た皆さんが少しでも正確な情報を取捨選択されより正しく理解されることに役立てて頂くことであって、決してことの良し悪しを論ずる事がその目的でありません。

2.日・米のスポーツに対する考え方と社会的な認識の違い:  

  米国のスポーツ経営、運営、管理に於ける基軸は、正義(Justice)と公平・公正(Fairness)とされています。これらは、スポーツ界のみならず社会と人の根幹を支えているものだと思います。幼いころから子供達の会話の中には、この言葉(fair or unfair, right or wrong)が頻繁に出てくるのも生活の中で自然に理解しているからでしょう。正義は、人間社会に於いて人々が平和で安全に生活を営むための大義であります。フェアネスは、「共存共栄」を目標にしている社会では不可欠です。

 わが国の競技スポーツ界では、競技ルールは遵守するが、競技以外のサポーテイブな分野、部門でのルールを軽視し、尊重しない大人達が大勢いる為に不可解な事件、問題がスポーツ・マスメデイアを日々賑わしているのも周知の事実であります。このようなスポーツ社会に於いては、フェアネスを堅持し、共存共栄社会を守ることが大変難しいです。 日本のスポーツ界は、今こそルール(ペナルテイー=罰則を含む)を明文化し、そのルールを公平、中立な機関によりフェアーに裁定されるシステムが必要です。また違反行為者に対する適切な処罰を敏速に下せる為には、司法の整備が必要であることを今我々に問われているのでないでしょうか。

 2011年に施行されたスポーツ基本法は、この基軸を明確にしてこそ2020年のオリンピック招致活動にも大きな意義が在ったのでないかと思われます。2020年開催を予定しています、東京オリンピックに於きましては、2度に渡ります招致活動委員会と主催である東京都、そして現在の東京オリンピック組織委員会と主催者の東京都の間での約束事を明文化し、且つ情報公開を都民、国民、社会に明らかにする事で、今日の様なグレーなイメージを醸成することなく、真の「おもてなし」を世界にアピールできたのではないかと考えます。 現在わが国に於いては、この正義と公平・公正を基軸としたスポーツの経営、ビジネス、編成、運営、指導、管理ができる志の高いスポーツアドミニストレーターの教育と養成が待ち望まれています。

3.契約(Contract)に対する概念:

   米国人、社会には、約束事を書面に明文化する習慣があり、また職責、責務を明確にする社会でもあります。よって、契約書は双方の信頼と尊敬の証としてフェアネスを守る保証書であるのです。 契約社会の歴史は、テスタメント(聖書)をその起源とすると考えられています。それは神と人間との間の約束事であり契約を意味しています。約束をしたものは、その約束を守りそれを履行する義務があるのです。それに違反した者への罰則(ペナルイー)は、明確であり当然なのです。 スポーツ競技は、規則・ルールに基いて勝敗が決められます。ルールは、その競技スポーツに関わる全ての関係者の同意により成り立ったものです(同意なく偏った判断と判定がされるならそれは規則・ルールではない)。そのルールに異を唱える者がいたならば、その競技者、関係者、組織・団体は参加を拒否する権利を有します。約束事を破った関係者、組織、団体には、違反行為に対する罰(ペナルテイー)が科されることもまたルールなのです。  

 わが国のスポーツ界の大きな特徴は、この競技以外での約束事を明文化しようとしない伝統的な慣習文化が存在します。マスメデイアを通じて話題になるような事件、事故、問題は、この不透明な約束事がその起因となっている場合が多いのです。  

 米国型スポーツのアドミニストレーションに於いては、「人は約束しても守らない人がいる事を前提として対処している」のに対して、日本型スポーツでは、「人を信頼しているのだから信頼を裏切る人はいないはずだ」との違いを強く感じます。まさにこの相違は、長きに渡りわが国のスポーツ界に灰色な影を落としてやまない根源ではないかと考えられるのです。近年会社、企業、教育界においては、ガバナンス、コンプライアンス等が問題視されスポーツ界に於いても使用されています。しかし、これらの言葉は、使用する以前にもう一度社会の根幹をなすべきフェアネスとそれを遵守するルールを整備し理解し、自らそれらを規範とした上で使用して頂きたく思うのです。  

 私は、このような伝統的な社会習慣と文化の中で培ってきた日本的なフェアネス感の中でアメリカ的なスポーツ経営における「共存共栄」の原理をいかに理解し構築して次世代に継承し実行して行くかの判断を今日我々一人ひとりに問われていると思われます。 スポーツの世界では、これらの基盤があってこそ伝統を継承し、改善、発展を遂げているのです。

 皆さんが大変関心を持って観戦、応援、サポートされているプロスポーツの世界を少しご紹介致します。

4.メジャーリーグMLB)の経営理念:  

  現代のプロ球団経営の理念は、リーグの繁栄なくしてテイームの繁栄はありえません。またテイームの戦力の均衡なくして共存共栄は図れないのです。それらの経営の根幹は、①リーグの覇権をめぐる競争の原理②リーグの繁栄のための協力の原理(共存共栄の原理)により成り立っています。

 1例として、ドラフト制度とその対価としてのフリーエイジェント(FA)制度の存在は、人の権利と組織・団体に付与された特権を守るための調和の産物なのです。このバランスが一方的な理解に偏ると日本プロ野球界(NPB)で起きているような悲劇(指名拒否)に発展し、権力を有する人、組織、団体の意見が正論としてまかり通るのが残念ながら我が国のスポーツ界の実態なのです。

5.米国のプロ球団組織のビジネス形態(種目別プロ球団MLB,NFL,NBA,NHL):

  注釈:MLBプロ野球組織・団体、NFLプロフットボール組織・団体、NBA-プ ロバスケット組織・団体、NHL-プロアイスホッケー組織・団体  

 プロの選手とは、「自らの身体能力と技術を基にパフォーマンスをもって競い合い、対価(金品)を得て生活の糧とする」のです。そして、その球団組織は、「競技スポーツを経営、運営、管理することによってビジネスとして成立させる」ことがその主たる目的の一つなのです。

 スポーツの経営に於いては、他の会社・企業の経営と根本的に異なる要素があります。 それは、生産者である選手、テイームと消費者である観戦者、視聴者との間に於いて一瞬の出会い(Encounter)が行われ二度と同じ出会いには遭遇しないのです。これが「生産と消費が同時に交換される点」なのです。 今日のスポーツ経営は、大きく二つのタイプに区別されます。一つは、実際にスポーツをする人達が生産者でありまた消費者でもあるタイプ(例:アスレテイッククラブ、エアロビスクール、スイムスクール、ジム、等を利用する人達、等)であります。二つ目は、競技スポーツとそれを観るスポーツ(観戦)のタイプがあります。 ここでは、二つ目の経営タイプについてお話をします。  

 スポーツを経営する為には、どうしても欠くことのできない大きな「三つのコア(核)」が必要であると考えられます。その中心となるコアを構成するのは①選手(アスリート)②組織者(オーガナイザー)③消費者(ファン)の3者です。 以上三つのコアは、スポーツ経営の基盤となる重要な三点セットであります。このどれかを欠くことは、スポーツの経営基盤を欠くことを意味しています。経営に関する成否は、先ず生産する商品が消費者の消費欲を十分に満たせるものであるかどうかが重要なポイントなのです。  

 プロ球団のビジネスの特徴は、フリーマーケットでないという事です。その理由は、プロのスポーツが特別なビジネス形態がそこにあるからです。 その1.フリーマーケットでないと認められている理由。 その特殊な事情とは、プロダクト(商品)が単独で生産できない、相手(対戦テイーム)が必要なのです。即ちビジネスを成立させるためには、リーグを形成しなければならないのです。 その2.プロスポーツの組織・団体には、「公共性」が大前提。  そのために付与された 「特権」は、①リーグ、協会の設立と設置②独禁法適用除外組織・団体③ドラフト制度とFA権利④テレビ放映権の一括販売の権利  但し、MLBでは、今日全国ネット放映の場合はMLBで一括販売され、その収益は30球団に分配され、またローカルネットについては、競争の原理を生かして各フランチャイズ球団の収益となるのです。これは全ての放映権を一括販売により収益を公平に分配することによりレイジーlazy(怠けて努力しない)球団が出たので改善されたのです。日本では、Jリーグの球団組織においてこのような球団が既に出ているのも事実です(J-リーグ報道より)。  

 NPB(日本プロ野球機構)に於いては、放映権を各球団に与えられている。但し、オールスターゲーム日本シリーズは、NPBが放映権、販売権を管理する。 MLBの球団組織は、公共性を利用しますが日本プロ野球界は、公共性を尊重しないのです。公共性の表現の一つとして、スタジアムを税金で作ってもらうのもその証です。日本のプロ野球球団は、企業名を入れることにより親会社の翼下であることを明確に示しているのです。

6.MLBのリーグ経営の仕組み:  

  リーグの経営、運営に関する特徴の一つとしては、権限をコミッショナーオフィスに集約し、MLBの機構を大きく二つに分担していることです。 その一つは、ビジネス・アドミニストレーション、もう一つがベースボール・オペレーションとして収益の拡大がその主たる目的なのです。また、コミッショナーオフィスは、各球団オーナーが作った非営利団体で、各球団から委託された諸権利を預かり最大限にビジネス化することが義務付けられその組織として機能しているのです。そして、コミッショナーは、直属機関としてインフラクションコミテイー(不正行為に対する査察権を有する機関)を持っています。近年は、これにより選手、関係者への不正な金銭の授受は略姿を消し、その他不正行為は薬物違反者に対する問題処理、リクルート活動が新たに加えられました。

 リーグ経営の最大のコンセプトは、各球団から預かった諸権利を如何に活性化(アクテイベーション)するために「スポーツマーケテイング」を最大限活用していることです。 NPB(日本プロ野球機構)の最大の特徴は、このような問題を処理、裁定する強力な権限を持ったベースボールアドミニストレーターを存在させない組織・団体であります。

7.プロスポーツ組織・団体の中核的な部門とその役割:

    中核的な役割を担っているのは、「ビジネス・マネージメント」部門と「テイーム・マネージメント」部門です。MLBの場合は、その組織構造に於いてシステムが機能しているモデルケースでもあると思います。これは、まさにベースボール・アドミニストレーションの中核をなしています。

①ビジネスを統括するビジネスマネージャー 

 この部門を統括する責任者をビジネスマネージャー(BM)と総称されます。通常組織では、社長或いは副社長を統括者とする場合が多く、その下にBMを置きビッジネス・オペレーションに関する全ての運営・管理権限が与えられているのです。BMの主たる業務は、生産される商品を如何に有効活用しビジネス化するかです。よって、BMは、翼下にあるあらゆる専門、部署を従えております(例:マーケテイング、セールス、テイケット販売、宣伝広告、プロモーション、プラニング、販促、権利業務、等)。MLBの収益の大部分は、直接的なテイケット収入と間接的な放映権料であります。

②テイームを統括するゼネラル・マネージャー  

 スポーツの活動(商品)を作る為のその統括者は、ゼネラルマネージャー(GM)と呼ばれます。GMは、スポーツ活動の重要なコンダクターであり、また総合プロデユーサーなのです。最高経営者は、BM同様にGMもフェアネスの原理原則に基き複数の志願者から選考します。この選考される中には、マイノリテイー(少数派)が必ず入っていることもフェアネスを尊重し、そして審査を経て契約雇用を行うのがこの業界の社会通念でもあるのです。

 本項目は、我が国のスポーツ界に於いて、プロ野球界のみならず他の競技スポーツ界においても近年マスメデイアを通じて話題を提供されています。 日本のスポーツ組織、団体におけるGMは、今日一つの流行語のように独り歩きを初めているようです。しかし、本来GMという言葉が根を下ろすためには、伝統的な体質と構造的な問題を先ず改善、改革しなければ根付きにくい伝統的な土壌が存在するのも事実です。MLBGM名称の模倣だけでは、成果と結果を求めるのがいかに困難であるか想像できるのでないでしょうか。日本社会は、肩書き社会であると昔からよく聞かされてきました。一人の経営者が幾つもの肩書きを連ねるのは、まことに滑稽と申し上げざるをえないです。しかし、またこれで一つ舶来のGMという肩書きが出来たのです。  

 日本のプロ野球、球団組織においては、オーナー、球団社長、球団代表、球団編成本部長、等の肩書きの方々がこのGM的な任務を遂行されています。それにより最終的な責任所在が誠に不明瞭となっているのです。このような体制では、自然と勝敗の結果責任の所在を現場の監督に求めるという不公平なアドミニストレーションが生じていることも事実です。  

 GMは、通常監督を採用する以前に推薦、選考、任命され雇用契約を結び、オペレーション業務の全権を最高経営者によって与えられます。GMの大きな責務は、球団経営者の経営方針に沿ったテイーム編成からです。その最初の業務は、現テイーム状況を分析、精査、検証した後に現テイーム状況に合致した監督を選考し最高経営者に推薦する事です。しかし、GMは、監督を選考する時に大きなミスを犯すこともあるのです。それは、自らのマネージメント能力より上の能力があると判断した監督を推薦せず、自らコントロールしやすい監督(監督をお飾り的に置き、GM自ら監督を操作する意味)を選ぶ場合が多々あり、これが原因でその後に経営者、消費者(ファン)に多大な迷惑をかけて失敗するケースがMLBにおいてもよくある問題なのです。

 ご存知のように日本において監督は、経営者の個人的な都合により最初に任命される場合が殆どです。このために、ある程度の戦力が整っているにも係わらずファンの期待を裏切るような成績を残すテイーム、球団が後を絶たないのです。此れによる弊害は、GMを選考し採用する以前に監督は採用されているのですから、GMは、既に経営者によりマネージメント制限を受けてテイーム編成を強いられる事を意味するのです。よって、GMは、編成業務の統括権限を与えられているがフィールドマネージメントの全権を持つ監督が経営者によりあてがわれている事から本来のGMの権限に大きな矛盾が生じるのです。

 本来このような状況下にあるGMは、GMとは呼ばないのです。 また同様に球団経営者は、GMを選考するに当たって任務に対する能力の有無より経営者側の都合で選ぶケースがあります。しかし、このような条件、制限付きで選考した場合は、遅かれ早かれテイーム・マネージメントに於いて最悪の破綻を来たす確立が高く、GM選択ミスのみならず、既に監督の選考手順ミスによりテイーム再建、構築がより長期間泥沼化した例は数え切れないのが現実です。

8.GMに必要な能力と業務内容:

   GMには、いくつかの重要な能力が必要とされます。基本的には、経営、編成、運営、管理能力が必要とされています。その中でも特に、 ①問題処理能力②コミュニケーション力③判断、決断力④説得力⑤観察、洞察力⑥コーデイネート力⑦事務処理力  

 これらは、その重要な能力のファクターであります。通常フィールドオペレーション・マネージメント部門全てを統括しているのは、GMですがテイームの規模、組織構造等によりオーナー或いは社長が、GMを兼務している場合もあります。本来、GMは、テイームの短・中・長期的なビジョンに立った編成、運営、管理の全権を任されております。契約年数も監督の短期契約に比べて長期な契約が与えられるのもその理由です。よって、最高経営者は、GMの人選には大変慎重且つ決断力が伴うべきなのです。またGMの能力の見極めに於いては、自ら直接的、間接的な方法で観察、洞察し自らの判断基準に合致した人材であるかどうかを見極め、結論付け、採用を決断することが重要な作業手順でもあるのです。

 監督は、結果を即求められる為に即戦力、そして実績のある戦力(選手)を常にGMに要求するのです。しかし、これは即人件費の高騰に繋がり経営面からGMは監督の要望をそのまま受け入れられないのです。GMには、経営能力も問われるので偏った編成により経営破綻を起こすようなマネージメントは絶対に避けなければなりません。

 GMの使命とその評価は、「いかに投資を抑制し最大の投資効果を得るか、即ちテイームの勝利という成果と結果を出して経営に貢献できるか」が評価の最重要なポイントだからです。 読者の皆様の中には、既に米国映画の「マニーボール」を鑑賞された方もいらっしゃることでしょう。この映画はまさに主人公のビリー・ビーン氏(オークランドA’sのGM)のサクセスストーリであったと思われます。監督の失敗は、GMの運営、管理上の失敗でもあります。GMは、本来監督と一心同体であると理解するべきなのです。GMには、マネージメントスキルの一つでありますヒューマンマネージメントスキルが求められます。即ち、GMには、人心掌握術が重要となるのでコミュニケーション能力の資質が問われます。 このスキルの欠落した人材をGMの職責に置きますと、遅かれ早かれマネージメントは崩壊危機を招く事になります。  

 また日本における最高経営者とGMとの間の契約は、存在しない場合と、あっても職責、責務に関する業務内容が明文化されていないで形式的なものが大部分なのです。即ち、経営者とGM双方において、彼らは、雇用時点から責任回避の為の避難場所を担保してスタートしているケースが多いのです。此れでは、本当のプロのスポーツ・アドミニストレーターとは言いがたいです。これは、契約に対する基本的な概念が双方の何らかの都合で形式的なものとするか、或は契約の本質的な部分を理解出来ていない証でもあるのです。結果として、責任の所在は不明瞭であり結果に対する責任が経営者側に及ばない構造となっているのも日本的なアドミニストレーション手法と言えるのではないでしょうか。

9.まとめ:

   我が国は、スポーツ・アドミニストレーションの構造とそのシステムが先進国に於いて最も遅れているといわれています。我々スポーツ関係者は、この重要性と必要性をもっと理解し認識して、その人材育成の為の環境整備を推進すると同時に、より「志の高い人材の育成」を目的としよりプロフェッショナルなスポーツ・アドミニストレーターの必要性と育成が急務であります。 今日、我が国に於いても徐々に本件に付きまして早急な改善と取組の必要性が語られかけ始めています。

 しかし、今尚NCAA(National Collegiate Athletic Association全米大学競技スポーツ協会)を「全米大学体育協会」と訳し、平然と語る我が国の関係者、スポーツマスメデイア、スポーツがオーソリテイーと呼ばれる方々の知識と認識を先ず改善、改革して頂く事が先決かも知れません。私は、1977年に当時の文部省体育局長主催の講演会で既に日本体育協会国民体育大会、高等学校体育連盟、等は体育の分野でなく競技スポーツの分野で将来必ず我が国の体育界とスポーツ界の発展を妨げ、矛盾が生じますよ。と今日まで申し上げ続けて参っております。  

 この度の2020年開催予定の東京オリンピックパラリンピック開催に関する招致活動に関するプレゼンテイション、その後の組織委員会、主催の東京都のグレーで優柔不断な予算の膨張、政治家たちの介入、等と実に真のスポーツ・アドミニストレーターの不在と人材不足を象徴するレベルの低い醜態を世界に告知してしまいました事は、誠に残念至極の極め付きであります。  

 本論のBM,GM編で述べましたベースボール・アドミニストレーションの大前提は、「正義(Justice)と公平・公正(Fairness)」が根幹となっていることを忘れてはならないのです。皆様には、日々国内外のスポーツ情報が直接的にまた間接的に届けられています。本特集は、ごく限られた筆者の知識と経験を基に限られた時間内にまとめました。最後に本特集は、読者の皆様方が毎日得られるスポーツ情報をより正しく、理解して戴くために少しでもお役にたてればと願うしだいです。

                                文責:河田弘道       河田弘道のスポーツ・アドミニストレーション論(BM,GM編より)

スポーツアドミニストレーション論とスポーツアドミニストレーター(中央大学、東京国際大学)

スポーツアドミニストレーション論とスポーツアドミニストレーター

 

私は、2005年9月より2017年3月迄、約10年間、日本の大学にてスポーツアドミニストレーション論の講義授業と付帯するゼミを指導して参りました。本専門分野、部門は、学問としてだけではなく、自身がスポーツアドミニストレーターとして日米通算で約40年にわたり、第一線級の競技スポーツの実践現場で培ってきた経験に裏打ちされたものであると確信致しております。

 

  本講義科目及びゼミは、日本の大学スポーツ及びスポーツ界にとって学問と人材育成の必要性とその重要性を初めて実践演習(ゼミ)を通してご紹介させて頂き、講座を開設致しました、言わば先駆的学問並びに実践領域であると思います。

今日我が国の社会及び大学では、スポーツ・ビジネスマネージメント、スポーツ・マネージメント、スポーツ・マーケテイング、スポーツ・プロモーション、等々と称される学科、科目をよく耳、目にする時代になりました。

 

スポーツアドミニストレーションは、これら「専門分野、部門、部署をトータルマネージメント(統括、運営・管理)する行為の総称である」と考えて戴けるとわかりやすいと思います。既にスポーツ先進国では、体育(Physical Education)という表現を見聞きすることが珍しくなっています。

我が国の大学においても近年段々と体育の名称表現を変更する大学が増えて参りました。スポーツは、本来専門的に、スポーツリクレーション&レジャー、スポーツ健康医科学、競技スポーツ、観るスポーツの4分野に大別されます。

スポーツ・マネージメントは、こうした概念のスポーツに、マネージメントという「手」を加える事により新しい「ソフト」を生み、新しい「生命」をもたらすものです。

よってこの分野、部門は、スポーツを生産する為に重要不可欠な一つの要素となります。

                            文責:河田弘道

中央大学CU):

http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/research/20101028.html

 東京国際大学TIU):

http://kawadazemi.blog.jp/

プロフィール:

http://kawadazemi.blog.jp/archives/8593731.html

戦歴と実績:

http://kawadazemi.blog.jp/archives/16801460.html

ご挨拶

初めまして、私は、Gファイルに掲載されています河田弘道です。

読者の皆様からいつも沢山の書評を賜りまして感謝申し上げます。

この度は、はてなBlogメデイアを活用させて頂きます。

ご指導の程宜しくお願い致します。感謝