Kファイル/スポーツドクトリンNO.216: 河田弘道のスポーツ・アドミニストレイション基礎編より(I)

Kファイル/スポーツドクトリンNO.216:

河田弘道のスポーツ・アドミニストレイション基礎編より(I)

無断転載禁止           毎月第二、第四木曜日 掲載


河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ・アドミニストレイションの基軸は「Justice正義&Fairness公正」

日本にスポーツ・アドミニストレイション論の必要性を紹介

日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者

(プロフィールは別途ご検索下さい)

 

目次

スポーツ・アドミニストレイション基礎編

先ず初めに

Ⅰ.スポーツ・アドミニストレイションの概念

       ■日本の大学生に必要なSADを学ぶ姿勢

       ■スポーツって何?質問されあなたはどう答えますか

1.スポーツの概念(アウトライン)

2.体育の概念

3.スポーツと体育を混同しない事

      ■スポーツを簡単に区分してみると

Ⅱ.スポーツの魅力とは何だろうか

本編のまとめ

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筆者からのワンポイントアドバイス

あなたのお子さん、お知り合いがスポーツ活動(それがトップアスリートであれ、ビジネス、指導者、等であれ)に興味を持ち、しかし、適性を持ち合わせているか否かを見定める為には、スポーツ・アドミニストレイションの基礎知識が先ず必要不可欠である事を教えてあげて下さい。役立ちます。

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2024年2月15日  公開

無断転載禁止

Kファイル/スポーツドクトリンNO.216:

河田弘道のスポーツ・アドミニストレイション基礎編より(I)

スポーツ・アドミニストレイション基礎編

先ず初めに

 今日では、皆さんに必要、不必要な情報があらゆる情報機関・機器から湯水のごとく日夜溢れ出ているのが現代社会です。

一昔前のように情報源は、新聞、TV、ラジオ、雑誌と特定のマスメディアにより一方通行で与えられ、誤った情報も意図的に垂れ流されている事も疑う余地すら与えられなかった時代がつい40年前まであった事をすでに忘れてしまっているようです。

 このような多種多様な情報とその活用(Literacy)、整理(Organize)の技術を構築する事が我々には問われ、必要となっています。しかし、この情報から得られた知識を如何に実践に於いて活用するかは、個々の専門知識を先ず構築する事が大事な事であると申し上げます。そして、次に必要となるのは、構築した専門知識を如何にして活用するかの実践キャリアを構築する場とその環境が必要になってくるのです。

何事にも志を高く持ち、夢を抱く事は自然な人の摂理であり、あなたは、その夢に接近する為の現実的な目的を持ち、目的に近づく為のより可能な目標設定が必要なのですこれが目的達成の為の準備です。あなたは、この気の遠くなるような努力と忍耐と自身との葛藤に打ち勝てますか。

 

Ⅰ.スポーツ・アドミニストレイションの概念

 スポーツ・アドミニストレイション(略:SAD)とは、スポーツに関わる全て(経営、ビジネス、マーケテイング、運営、指導、編成、管理、etc.)のトータルマネージメントを集約するトップマネージメントの総称なのです。これを理解する為にも、あなたは、これらの基礎知識を学び、実戦を経験する事をお勧めします。それは、教室の机上及び理屈で会得する事は難しいと思われます。

 中でも理解しやすい例で解説いたしますとスポーツの球団、組織、団体のフロントとフィールドに於いては、野球であればベースボール・アドミニストレイションと呼ばれます。

スポーツ・アドミニストレイションには、大きく区分してビジネス分野とオペレーション分野が組織の両輪として不可欠なのです。ビジネスに於いては、経営、ビジネス、マーケテイング、プロモーション、運営、マスメデイア、等々に関連するマネージメントとその管理を学び、オペレーションに於いては、皆さんが一番興味あるスポーツを商品として価値を高める即ち、「如何にしたら勝てるテイームにするか、選手を強化してスター選手を育て強化構築できるか」の編成、指導、運営、管理部門も含まれ学ばなければなりません。

いわば、競技スポーツに於いての、スポーツ・アドミニストレーションは、フロントのビジネス部門と現場のフィールド部門の両輪をトータルマネージメントすることなのです。要するにトップマネージメントを行う組織の中枢部門、部署を学び会得することなのです

■日本の大学生に必要なSADを学ぶ姿勢 

  日本の大学に於けるゼミでは、講義授業で得た知識を基に少しでも実践を伴った演習活動を通して知識だけで理解しえない経験をし、大事な4年後の皆さんの出口、即ち将来社会で活用できる実践力を身に着けてほしい場なのです。好きな仕事がスポーツであればこんな幸せな事はない。仕事がスポーツでなくても社会での仕事に必要な実践的なスキルを会得する事が大事です

日本の大学に於いては、河田ゼミI、Ⅱ、Ⅲと階段を登ります。しかし、米国の大学では、スポーツ・アドミニストレイションは大学院からで学部4年間はそれに必要な基礎専門分野を学ぶことになります。残念ながら日本の大学の様なゼミは、米国の大学には設置されていません。皆さんは、このことも初めて知る知識となるでしょう

 しかし、仕事を得るためには、先ず専門的な知識を学び、そして少しでも実践経験を積むことが何よりも大切です。スポーツ・アドミニストレイションは、学問の為の学問であったり、研究の為の研究ではありません。全てがスポーツの世界に出て、何が出来るのかを学ぶ究極の実践在りき、の競争の社会で生き抜く為の武器を装備する為の学問、学習の場と理解して頂ければわかりやすいのではないでしょうか。

皆さんが興味ある分野、部門は、それだけ競争力も高いということです。現在、高校まで競技スポーツを続けて来た学生さん、また引き続き大学に於いても続けている皆さんの中でプロ選手として将来生活できるのはごく限られた人だけです。その為には、スポーツの専門職の勉強を今からしっかりと始めて於かなければ、好きなスポーツで生活するのは難しいのです。先ずは、その方法を専門的に学ぶことから始めなければなりません。スポーツの経済、ビジネス、そしてマネージメント、そしてオペレーションは、保健・体育の分野と授業でない事を先ず理解して下さい。それは、全く異なる専門分野であり部門であるのです。私は、日本の体育系の教育機関でどのようにしてスポーツ・マネージメントを指導されているのかは存じません事を申し添えます。

 私の経験から申し上げますと、大学では、4年間何かのアルバイトを目的を持って続けることを勧めます。それは、社会との接点を持ち、お金を頂くありがたさ(生産して対価を得る)を学び、お金をどのように有効活用するかのマネージメントを学ぶこともスポーツの専門コースを学ぶに当たっての実践学習の基礎と基盤となります。

■スポーツって何?と質問されあなたはどう答えますか

1.スポーツの概念(アウトライン)

 スポーツとは、楽しみ、健康の維持、増進を求めたり勝敗を競ったり、またそれを仕事の目的で行われる身体活動(運動)の広義な総称なのです

スポーツが遊びであれ、競技、仕事であれスポーツに共通するものは、身体をその目的の為に動かすことにあるのです

スポーツ(Sport)の語源とその歩みー参考までに、

語源は紀元前五世紀、ローマ人の言葉で”気晴らし、遊ぶ“と理解されラテン語で“deportare=デイポールターレ”と呼ばれていたんだそうです。その後、フランス語で”desport=スポール“と呼ばれ、後十一世紀以降イギリスに渡り、16世紀に”Sport=スポーツ”となり十九世紀に国際語として発信されたとされています。

 

2.体育の概念

 体育は、英語のphysical education(身体教育)の訳語として戦後の教育改革に於いて新しく導入された学科目です。保健体育は、physical and health educationの訳語であり、我が国に於いては第二次大戦(1945年)後、名称も保健体育と呼ばれるようになったのです。

即ち、体育とは、心体の健康を維持、向上させる為の教育学の分野なのです体育学は、体育に関する諸科学を組織・体系づけたものを意味する場合と、体育教育学を意味する場合がある事をわすれてはなりません。これらを総称して体育と呼んでいるのです。本来体育には、スポーツ、競技スポーツを共有する部分を少し有するが、定義は異なるのです。

3.スポーツと体育を混同しない事

     日本のスポーツは、学校の体育の授業から始まるところが大であった事はご承知の通りです。あるいは課外活動=クラブ活動が体育の一環のように誤って教育、指導、管理してきたのにも大きな問題があります。よって、 我々の固定観念としては、体育は即ち文科省=教育=スポーツ=競技スポーツ=オリンピック=プロ野球という強い意識、認識が国民、社会の根底に植え付けられてしまったのです

日本社会に於いては、体育の先生=スポーツの指導者、アスリート=体育指導者として、オリンピック・メダリストは、スポーツのオーソリティー(authority、専門的権威者)であるかのごとく間違った認識と固定観念を持ってきた事も日本の体育、スポーツ、競技スポーツ、スポーツ医科学の分野、部門の発展を今日も尚妨げている次第です。

メダリストとは、競技の分野、部門のアスリートでオーソリティーとして認められるべきです。しかし、メダリストは、アスリートとしての専門的な権威者であっても、高等教育機関に置いて教育者、指導者、人格者としての評価、認定は、これは決して混同を許されるものではありません。

特に伝統的には、高校、大学スポーツに於いて不健全な指導者、管理者がマスメデイアを騒がせているがこれも伝統的な悪しき慣習の一つで負の産物でもあります。体育の指導者、教員が暴力指導に向かう根拠は、この根本的な相違を日本の大学の専門教育課程で学んでいない、指導していないにも関わらず、教育者、指導者として教員資格をトコロテンの如く排出して行く構造的な問題が根っこにあるのも確かなようです

我が国のスポーツ界では、スポーツマン精神の必要性を強調するが、健全な規則、ルールが軽視され明文化されていないのです。これらは、かえってスポーツの振興、推進、発展に矛盾と障害になっているのです。近年特に政治家がスポーツマンシップを声高に唱えているのが耳障りになっています。

例えば森喜朗氏(元文科大臣、元日本国首相、東京五輪組織委員会会長)以下関係者達は、その意味すら理解出来ておらず、諸外国に恥を晒している日本のスポーツ界の政治家に対して、関係者、社会、国民が何も異論を述べれないのはスポーツ・アドミニストレイションのオーソリティーを養成してこなかった証であります。スポーツの名をかたり悪事を働く人達には、確かに好都合なのでしょう。                 

スポーツは、プロやオリンピックレベルの選手及びその関係者の人達だけのものではありません。我が国においては、スポーツという名の下で根性論、とか体育会系のシゴキのイメージが強く、一般の人達が気楽に楽しみ、健康の維持増進といった感覚が感じられない。このような伝統的な社会慣習、風潮がいつまでたっても改善、改革されないので「スポコン、暴力(体罰、セクハラ、パワハラ、イジメ、等)」話題にされても改まらないのもある意味暗い歴史と伝統によって培われてきた負の遺産とも言えるのでないでしょうか。

■スポーツを簡単に区分してみると

1つは、自分自ら身体をその目的の為に動かし、ウオーキングをしたり、野球、サッカー、ゴルフ、バスケ、水泳、他を行っている事を「実践するスポーツ(Participant Sports)」と呼びます。

2つ目は、日本人の多くは昔ながら野球、相撲、サッカー、マラソン、駅伝、室内競技を観て楽しみ応援する、「観戦するスポーツ(Spectator Sports)」とに区分されます。

そして、実は、スポーツを専門的に分類しますと

①遊びから創造性、協調性を重視した「リクリエイション・スポー(Recreation       Sports)」。

②人間の環境への適応性と教育性を重視した「健康・スポーツ(Health Sports)」があります。

このように①②は、非常に体育(Physical Education)の要素(Factor)を兼ね備えた部門である事を理解されるのではないでしょうか。

しかし、次にご紹介するのは、

③人の体力の機能性の限界を競い合う事を重視する「競技スポーツ(Athletic Sports)」は人間の心体を破壊するリスクを伴った、言わば体育の理念とコンセプトに相反するのが競技スポーツである事を我が国の体育、教員、指導者は、理解されて来なかったのかも知れません。

最期に、古代昔から競技が行われる所には、必ず自然発生して参りました

④社会性、協調性、ストレスの解消を目的とされてきた「観戦・スポー(Participant Sports)」がある事を忘れてはなりません。

しかし、この分野、部門は、長年学問的に体系づけられた形跡がなく、つい近年1980年前半に米国の学者により体系づけられ新しくスポーツの専門的な分類に加えられたとされています。

特に、我が国に於いては、この見るスポーツの分野、部門は今日においても学問、理解と認識が略皆無である事は事実す。これは、日本の伝統的な「武道の精神」と大きな関連があると思われます。

Ⅱ.スポーツの魅力とは何だろうか

1.観る魅力

 観戦を映像を通して、また直接的にスタジアム、アリーナでプレイする選手達の姿を見て感動を与えてくれる。それらは、パフォーマンスの中の芸術性、プレイのみならずテイーム、選手を応援する純粋な気持ちもスポーツの魅力であり、観るスポーツの魅力なのです。

国際試合で日本が出場する試合のTV視聴率は、向上しています。日本人選手の成績はもとよりあらゆる理由が観戦・視聴者個々の創造性と感動を与えてくれるからです。観戦者達は、映像及び観戦を通して個々の理解と感情を交えてストーリーを自由に演出できるのも観るスポーツの魅力なのです。

但し、近年日本を代表するナショナルティーは、多国籍軍と言われる純粋な日本人代表選手で無くなった事はある寂しさと日本人のこれからのステイタスがどのように変革して行くのか、此れも重大且つ日本国家の主権にまで及ぶ要因をはらんでいる事も忘れてはなりません。安易なメダル、勝利至上主義のナショナルティームの是非を国民に議論の機会を与えるべきでなかったのだろうか。

観るスポーツは、楽しみ、感動をプレイヤーが与えてくれるのみならず観戦者一人ひとりの意識や思いの創造的な産物でもある事を我々は理解しています。あるスポーツを観て楽しいかどうかを感じるかどうかは、その人の気持ちや感じかたによっても異なるのは確かです。また、その一人ひとりがその時、それまでどのような環境と境遇、考え方、等を持っているかによりその受け方、受け入れ方も異なるのです。

参考資料―今日日本におけるテレビのスポーツ番組の放送時間の割合は、地上

波で4.7%(NHK-BS21.9%)に上っている。その平均視聴率(地上波)は、6.6%と全番組の平均(2%程度)よりも高く、すでに生活の中の一部に入っていると言われています。例:2002年6月9日のWCサッカー、日本対ロシア戦66%、試合終了時の瞬間には、80%を超えていたのである。(スポーツメデイア調査による)

2. 観られる魅力

 我々が競技スポーツをまたその選手達を観て楽しんでいる時、その選手達の

みならず関係者達、コーチ達もまた観られていることを意識しているのです。

選手達は、観衆、視聴者にその視線を感じ意識があるので、競技終了後のインタビュー等でのコメントの中に「応援ありがとう。応援してください。感謝します。等」のコメントがあるのはその証である。この観られていることへの意識が過剰に作用すると過度な緊張感が加わることで平常心が失われたり、ネガテイブなモチベーションが心理的に醸成されることも確かです。

しかし、観られていなかったら選手達は、自らを鼓舞したり、集中力を高めたり、モチベーションを高めたり、競技への闘争心を駆り立てたりする事はとても難しいのです。此処で伝統的な日本の武士道精神が走馬灯の如く消えて行く運命に直面しているのです。

日本の伝統的な指導体制の中には、長年競技のみならず日常のトレイニングにおいても見世物でないとする武士道の精神が美化され長くこの精神主義が継承され、観る、観られる事が否定され今日に至る歴史があると言えます。

今日、我々の日常生活においても「観られていること」を常に意識して生活しているのは事実です。この「観られている」意識が過剰に反応して服装、身だしなみ、等を過剰に表現する人達が極端に増加している現代では、この見られている魅力を利用した証であると言えるでしょう。

身体の露出は、より一層他の人との比較とそれにともなう「観られている」意識を自ら高め、不健康な優越感と快感を求める若者達が出現しています。今日では、若者達がスカートを極端に短くしたり、胸を極端に露出したりと彼女らは社会に何を期待しているのでしょうか。スポーツ界、芸能界で対抗できないのでせめてもの露出狂と言われる類なのかも知れません。

これを裏返しにすると誉められたり高く評価されると本人は満たされるが、欠点を指摘されたり無視されたりすると酷く傷付く。「観られる身体」の満足感は、スポーツの魅力の一つでもあります。スポーツを観ている人が感じる魅力は、そのまま、観られている魅力に繋がると思われます。

例:スポーツ着のファッションの進歩と今日。人は見られたいがために他人と差別化して目だとうとするのもこの心理状況を表現したものです

3.する魅力

 スポーツの魅力は、基本的に「する」ことにあるといえます。プレイをしている時の緊迫感、興奮、終わった後の心地よさ疲労感、シャワーで汗を流した時の爽快感は、やった者にのみに味わえる魅力なのである。これらスポーツや運動にともなう身体の変化は、スポーツ科学によって今日では解明されています。また、スポーツを「する」魅力は、「観られる身体」の満足感も「する」ことによる達成感の喜びは、社会的な評価や社会文化環境の産物ともいわれるのです。

本編のまとめ

元来スポーツは、身体を動かすことがその定義の基本とされてきた。しかし、長年このスポーツ及び競技スポーツには常にその一喜一憂したパフォーマンスに視線を向けていた観衆、視聴者がいたのは紛れもない事実でした。その観衆、視聴者もまたスポーツを楽しんでいるだけでなく、それ自身がスポーツと位置付けたのが米国のRaider(1980年)だと言われているのです。しかし、此のことは、日本に於いて殆ど教育界に於いてもスポーツ界に於いても興味もない様子です。

スポーツには、するという実践と観戦・視聴という二つのスポーツを楽しむ構造が出来上っているのも確かです。今日では、遥かにスポーツを実践する人達より観戦する人達が多くなったのは世界的な傾向です。そのために観戦用のスポーツイベントが多くなったと表現しても過言でありません。よって、現代では、観るスポーツと実践して楽しむスポーツに大きく大別される傾向が調査で明らかになってきているのです。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

紹介:G-File「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文藝春秋社 著 武田頼政

   Kファイル、News Comment by Hiromichi Kawada

お知らせ:今日迄時事の話題をスポーツ・アドミニストレイションとスポーツ・アドミニストレイターの視点で解説、分析して参りました。この度は、本来のスポーツ・アドミニストレイション論の基礎編を時事の話題を理解して頂く為にも、また、スポーツ活動にこれから向かう若者とその父母達の一助となる為にも先ずは、基礎編を還元できたらとの一念で述べさせて頂きました。若者達とその父母に本Kファイルの存在が耳に届く事を祈念致しております。

今後も時事の話題とスポーツ・アドミニストレイション論をバランスよくお伝えできればと思考して参ります。