KファイルNO.143:今日本に必要不可欠なSADの専門コースの設置

KファイルNO.143:今日本に必要不可欠なSADの専門コースの設置

無断転載禁止              毎月第二、第四木曜日公開予定

お知らせ

この度は、読者の皆様からのリクエストの一つにありますスポーツ・アドミニストレイションに関する予備知識を少し提供させて頂きますのでお役に立ちましたら幸いです。また、大変ご好評を頂いています「読者からの便り」を複数掲載させて頂いています。

 

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読者からの便りをご紹介

河田様

 前号に続くNo142もパンチの効いた糾弾、胸のすく思いで拝読しました。今朝の朝日新聞が⒗面で大きく特集しています。河田さんの論考と深い関連があるのが明白ですが、明らかに突っ込み不足、迫力を欠いているのが残念です。朝日といえども商業新聞、しがらみがあって問題の本質を抉り出すことができないのでしょう。読者より、2020.9.25 (元文科省高官)

河田様

KファイルNo.142を拝読しました。大学スポーツ推薦制度の問題点がよく分かりました。河田さんのご指摘は、高校の部活動や大学スポーツ推薦制度に関する問題の根深さは、ルールブックがないことにあるとのお考えでした。早急に対処するには関係監督官庁や関係団体がこの明文化を図り、ルールの順守を促すことであるとの認識は極めてシンプルで自明であるようにも思われました。しかし、日本のシステムが「ざる」のようになってしまった理由の一つには、河田さんのようなスポーツアドミニストレイターが日本にはいなかったというか、そういう専門家の必要性に気付かなかったことにあることにも強く共感しました。今更、何とかしようとしても後手、後手でどうにもならないような気持ちになりがちですが、問題点から目をそらさず、傷口が広がらないよう行動を起こすことが故人への弔いになると心に刻みたいと思います。読者より(スポーツマスメデイア記者氏)

目次

KファイルNO.143:今日本に必要不可欠なSADの専門コースの設置

1.スポーツの基本的認識と知識

  ■先ず初めに

  ■スポーツの概念

  ■日本の伝統的なスポーツに対する基本認識

  ご参考までに

       ■日本的スポーツと体育の区分(日本の教育指導要領より)

       ■スポーツの区分と分野

2.スポーツ・マネージメントって何!

      ■紹介

      ■米国大学、大学院での専門課程

      ■MBAとSAD

  ■ここでまた新たな疑問と質問:

       ★ManagementとAdministrationどう違う?

3.日本に於けるスポーツ・アドミニストレイションの発祥地

 

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2020年10月8日 木曜日公開

KファイルNO.143:今日本に必要不可欠なSADの専門コースの設置

スポーツ・アドミニストレイターは必要不可欠

1.スポーツの基本的認識と知識

先ず初めに

2021年7月23日に延期された東京五輪パラリンピック開催は、現時点で予定致しています。我々日本国民は、伝統的な固定概念に捉われ過ぎることなく、時代に即した科学的な根拠を基としたスポーツに対する基本概念を確立する事が急がれます。そして、それには、今日本に必要で不可欠なのはスポーツ・アドミニストレイターを育成、養成する専門機関を設置し、先ず資質の高い人材を世に送り出す事です。勝利するには、準備が必用です(Victories Loves Preparation)。

一概にスポーツと申しましても幾つかの分野、部門に分類されています事を先ずご理解頂ければより理解がしやすいかと思われます。

多分読者の皆様の多くは、スポーツと聴くと「野球、サッカー、バスケットボール、陸上、テニス、水泳、等々、オリンピック大会」が脳裏に浮かぶのではないでしょうか。これらは、専門的に競技スポーツ(Athletic Sports)と呼ばれるスポーツです。しかし、スポーツは、競技スポーツだけがスポーツであるのではありません。この際是非視野を拡大して頂きたいと思います。

スポーツの概念

スポーツとは、楽しみ、健康の維持、増進を求めたり勝敗を競ったり、またそれを仕事の目的で行われる日常生活の為の行動規範以外の身体活動(運動)の総称とされます。元来スポーツが遊びであれ、競技、仕事であれスポーツに共通する不可欠なものは、身体をその目的の為に動かすことです

人は、身体を動かすことによりそれぞれの身体能力の違いを表現、競い合う事、即ち誰が一番なのかに興味を抱くのが自然です。この競い合いこそがスポーツを競技性へと導き発展させた根源なのです。この源は、その後いろいろな競技へと分化し、改善されて発展し今日を迎えています。また競技スポーツの精神的な基盤は、フェアネス(Fairness、公正、公平)であり同じ環境とルール(規則・罰則)の下で行われることに価値があり発展してきたのです。このように競技スポーツは、決められた約束事の中で誰が一番優れた能力を持っているかを知らしめる装置ともいわれていますまた、スポーツは、競技だけがスポーツでない事を忘れてはならないのです。

本スポーツ・アドミニストレーション(通称:SAD)に於いては、スポーツの中の競技スポーツを中心に論考を進めて行くことで、読者の皆様にはより身近なスポーツとして理解しやすいかと思われますのでご承知おきください。

日本の伝統的なスポーツに対する基本認識

我が国では、伝統的にスポーツというと子供のころからの学校での体育の授業から先ず始める方が多いのではないでしょうか。今日に於いては、家族、友人、知人が集まり近隣の公園、ジム、自治体の運動施設を利用して体を動かす光景をよく見るようになりました。しかし、殆どの方は、体育とスポーツ、競技スポーツをこの時期から既に混同されているのではないかと思われます。また、その延長線上にある課外授業(部活動)、近年に於いては、幼少期のころから少年野球、スイミングクラブ、等々に通っていても、結局、中学、高校、大学と学校及びその部活に所属させられる。

このような伝統、歴史によって、スポーツ、競技スポーツは体育とされ文科省(旧文部省)の教育指導要領に基づいた領域内に、縛られて参ったのも事実です。「スポーツは、見世物ではないのでよってそれに伴う指導者、選手が金品を授受、スポーツでお金儲けはご法度!」とのスタイルは、オリンピック憲章に嘗てあったアマチュアスポーツマンシップとして長年独り歩きして参っているのもこれまた事実です。我が国に於いては、競技スポーツを「道」として、武士道の精神を美化し今日もこの精神文化を競技スポーツに脈々と継承しているのも事実です。

今日に於いては、これらの伝統的な精神論を大人の都合で美徳であるが如く、国内で声高に今なお大声を上げている方々もいるようです。しかし、時代は進み1974年のオリンピック憲章の改変により世界の競技スポーツは、プロ化、ビジネス化に変革しましたスポーツマンシップのコンセプトも時代と共に変革している事に対応して行く事を求められている現実と現状がここにあるのです。今日スポーツマンシップを個人の都合でよく使われる人は、多分その人がスポーツマンシップの真の定義を湾曲し、自身の都合よい理解で使っていることも事実です。読者の皆様には、すぐに「ああいるいる」と顔が浮かんでくるでしょうか。

ご参考までに

日本的スポーツと体育の区分(日本の教育指導要領より)

体育学は、体育に関する諸科学を組織・体系づけたものを意味する場合と、体育教育学を意味する場合がある。これらを総称して体育と呼んでいる。体育は、英語のphysical education(身体教育)の訳語として戦後の教育改革において新しく導入された科目である。保健体育は、physical and health educationの訳語であり、我が国に於いては第二次大戦後、名称も保健体育と呼ばれるようになったのです。即ち、「体育」とは、心体の健康を維持、向上させる為の教育学の分野なのである

参考:体育の授業では、体育理論や保健体育などの教室での授業を除いて 基本的に体操着を使用しての実技が中心である。大まかな教育目標は、各学校ごとに学習指導要領で定められている。

筆者:これらの表現は、非常に判りずらいですね。教員、指導者達が理解できていないのも当然かもしれません。ましてや、受講する生徒、学生は、体育とスポーツを今なお混同する筈です。

スポーツの区分と分野

近年スポーツは、科学的根拠を基にした分類が進み専門的に①創造性と協調性を重視したリクリエイション/レジャー・スポーツ(Recreation & leisure Sports)、②環境への適応性と教育性を重視した健康・スポーツ(Health Sports)、③心体力の機能性の限界に挑むことを重視した競技・スポーツ(Athletic Sports)、④社会性、協調性、精神衛生性・ストレス解消を重視した観戦・スポーツ(Participant Sports)に分類されています。そして、これら四分野を大きく二つに区分致しますと、その一つは、①実践するスポーツ、自ら参加するスポーツ(Participant Sports)、二つ目は、②観戦/楽しむ・スポーツ(Sports to watch and enjoy)に区分されます。

読者の皆様は、今までスポーツをこのように思考された事がありましたでしょうか。初めて知った方は、どのように感じられましたでしょうか。

2.スポーツ・マネージメントって何!

紹介

 近年皆様は、生活の中に於いてもマスメデイアを通してスポーツ・マネージメントという言葉を耳にするようになったと思われます。

筆者は、日本の大学で学んだ事と米国の大学で実践を通して学んだ事が、真逆であったことを今日もなお強い記憶として脳裏に残っていま。それらを米国の大学生時代に学んだこと、そして米国大学の教員として、スポーツ・アドミニストレイターとしての実践経験を交えて解説出来れば幸いです。勿論、近年日本の大学で教鞭を取った事も、大変貴重な経験であり体験でもありました。

米国の大学でも「スポーツ・マネージメントって何?」とよくこんな事を聞かれる事が、学生以外からもよくあったことを思い出します。スポーツ・マネージメントという言葉は、あいまいで、日本とアメリカでもその意味するところは微妙なように思います。

大学でスポーツ・マネージメント学科と名付けていてもコースの中身はまちまちです。よって、教えている教員もバックグラウンドがそれぞれです。勿論そうは言っても、スポーツという専門キャテゴリーは、それぞれスポーツに特化された専門の学位を持たれているプロフェッショナル達です。

 日本では、筆者が存じ上げて居る幾つかの総合大学の教授がスポーツ・マネージメント、スポーツ・ビジネス、等を指導されています。しかし、これらの指導者の専門分野を確認すると、幼児体育であったり、リクリエーション、体育運動学、武道学、体育歴史学、等々がバックグラウンドであるにも関わらず専門性の高い筈のスポーツ・マネージメント、スポーツ・ビジネスの科目を持たれ、ゼミ演習もされているという非常に不可思議な光景に出会いました。

多分このような方々は、近年新しい人気のある科目に専門の看板を掛け替ええた事が容易に推測できた次第です。その証として、大学で専門性に特化した科目を持ち講義しているにも関わらず、専門分野・部門の学位も取得されておらず、実践キャリアも無く、看板を書き換えてご自身の都合で指導されている現実には大変驚きました。日本では、このような指導者が大学で雇用され、誰からも何も言われない事を初めて知った次第です。

この状態は、本人はもとより本専門分野の教授として採用、雇用している大学側の運営、管理責任なのかもしれません。これでは、大学教育の本質が壊れているような気がしてなりませんでした。迷惑を被っているのは、授業料を支払っている学生達ではないのでしょうか。このような事に対して、日本の学生は、米国の学生と比較して大変寛容であると表現した方がよいのか、無頓着と表現した方が適切なのでしょうか。「米国の学生は、一科目の単位を自ら働きながら何ドルで買っている」という認識が強いので寛容では居られません

大学、大学院での専門課程

マネージメントは、簡単に言えば「スポーツに関する全ての部門、部署をその目的、目標を達成する為に経営、運営、管理する仕事」の広義な総称なのです。しかし、マネージメントは、ビジネスのみだけに用いる用語でありません。皆さんの身の回りを運営、管理するのもこれまた全てマネージメントです。しかし、「スポーツ」や「ビジネス」の意味が大変広義なのでよけいに混乱もするし、人により解釈も異なるのです。

筆者の大学時代の経験から、米国の大学は、スポーツ・マネージメントやスポーツ・アドミニストレイションのカリキュラムは非常に合理的且つ実践的に構成されていると思います。その特徴は、学んでも実践で使用する価値を見出さない科目は削除されています。

筆者の経験では、日本の大学では「この科目を学んでも実践でどう役立つのか」と思える科目を押しつけて、必須と指定しているような科目も多々ありました。これは、教員の雇用を増やすための道具であったのかも知れません。現在も何も変わっていない様子です。また、この他にスポーツ・アドミニストレイション専攻の大学院生には、自身の専門コースをサポートする分野として、スポーツ科学(自然、人文)、統計学経営学、等をサポーテイブ分野の上級クラス(初級、中級、上級、実践編)の単位取得が義務付けられています。これらは、必須(Required)として課せられています。筆者は、専門コース、サポーテイブ科目の全カリキュラムをご紹介したかったのですが、紙面の関係でまたの機会に致します。

MBAとSAD              

MBA(Master of Business Administration)がビジネスを一般的に学ぶところであるのに対して、スポーツ・アドミニストレーション(Sports Administration)は、特に大学院レベルでマーケテイングやプロモーション、ヒューマンリソース(人事)等を含むスポーツに関するトータルマネージメントを専門的に学ぶところです。近い将来、MSA(Master of Sports Administration)の学位が確立されると思われます。

■ここでまた新たな疑問と質問                

日本では、この専門分野、部門が確立されていないので欧米の模倣、受け売り的な要素が強く、今始まったばかりです。米国の大学に於いては、学部(Undergraduate  School)では、スポーツ・マネージメント学科、大学院(Graduate School)では、スポーツ・アドミニストレイション学科と厳密に区別しています。

私も、大学院時代にこの質問を担当教授に授業中にしたことがあるのを記憶しています。教授の回答は、シンプルかつ明快に「アドミニストレイションの人間がマネージメントの人間を雇い、その人達を運営、管理しているのだ」との教えを受けた。こう説明、指導された時に私は、この説明でなるほどと素直に実践現場に落とし込めたのを今も鮮明に記憶しています。

それでは、選手のエージェント(代理人Agent)やスポーツイベントの企画運営はマネージメント、それを包括する組織、団体や企業の経営管理がスポーツ・アドミニストレーションか?「現場の人間(マネイジメントする人達)が働きやすいようにバックアップ、サポートするのが経営、管理側(アドミニストレイション)の役割」とこれも間違いでない。しかし、アドミニストレイションとマネイジメントの区別は不明瞭で、日本では、スポーツ・アドミニストレイションの重要性と認識が無かったと申し上げるより、つい最近まで誰もがこの重要な専門分野、部門の存在すら知らなかったというのが正直なところです。この事は、以下余談で付記させて頂きます。

 

3.日本に於けるスポーツ・アドミニストレイションの発祥地

我が国では、2005年秋までスポーツ・アドミニストレイション、スポーツ・アドミニストレイターと申す専門分野、部門の重要性に付いて誰もが、この存在のみならず、言葉すら知らなかった次第です

筆者は、約35年間本スポーツ・アドミニストレイションの実践、専門分野、部門でスポーツ・アドミニストレイターとして、米日の実践現場で経験キャリアを積み重ねて参りました。2005年より最初に中央大学総合政策学部、八王子キャンパス)に於いて講義授業、ゼミを開講し、日本で最初に紹介させて頂きました

我が国には、スポーツ・アドミニストレイション(略:SAD)の名称も2005年迄影も形もなかったのですから、小生が国内の大学で講義授業、河田ゼミを通して紹介、複数の大学で講演したその名称に文科省スポーツ庁が何故か飛びついて名称のみを利用しているのが偽らざる現実です。教育機関、教育界では、もっと腰を据えてスポーツ・アドミニストレイションが何たるかを正しく指導し若者達に実践経験を積ませて、真のスポーツ・アドミニストレイターを世に送り出して頂きたいと願う先駆者からの願いです。

現在は、文科省スポーツ庁の指導により全く専門知識も実践経験もない教員をスポーツ・アドミニレイターの肩書を与えて管理職と位置付け各大学に配置するよう指導されているようです。これでは、嘗て流布されたGMの肩書に変えても成果、結果が出ないのでもう使われなくなったのと同様の事態を招きます。これが文科省スポーツ庁が率先して始めている現実と実態なのです

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

紹介:Gファイル(長嶋茂雄と黒衣の参謀)文芸春秋社 著 武田頼政

お知らせ

NO.143は、如何でしたでしょうか。学部、大学院の講義授業を受けられている思いをされたのではないでしょうか。筆者は、通常の時事に関わる話題をより一層理解を深めて頂く為にも、基礎、専門知識を読者の皆さんに付与させて頂きましたので悪しからず。