K'sファイルNO.103:中央大学に於けるSAD講義授業、実践ゼミ活動

K'sファイルNO.103中央大学に於けるSAD講義授業、実践ゼミ活動

無断転載禁止                     注:K'sファイルは、毎週木曜日掲載予定

f:id:hktokyo2017041:20190521161729j:plain125周年記念中央大学リレーマラソン 「襷」     写真:北川外廣志氏提供

                        信頼と絆

               中大河田ゼミのモットー

 

                中央大学スポーツの変革(CHANGE

初めに

読者の皆様からは、日本の大学に於いて学生達にどの様な講義、ゼミ演習指導をしていたのかを紹介して欲しいとのご要望が筆者にありました。そこで大学スポーツのシリーズの最後に紹介させて頂く事に致しました。

日本の大学に於いて講義授業に付帯した実践河田ゼミ活動は、強い「信頼と絆をモットーとしてスポーツ・アドミイストレイションを机上の論理のみならず、担当教員の長きにわたる実践キャリアを基に何かを会得する事を趣旨、目的と致しました個々のゼミ生達は、実践演習を通してその一端を肌で感じる事が先ず大事と位置付けました。この度は、第一弾で「中大スポーツに光あれ!」、第二弾「河田ゼミ第一期生、二期生、三期生の実践成果と結果」、そして第三弾では、「ゼミ生達の生の体験記」の一例をご紹介します。読者の皆様もご一緒に河田ゼミ生になって戴けたら幸いです。

筆者は、2005年秋から中央大学に招かれスポーツ・アドミニストレイション論、スポーツ科学を日本の大学で初めて講義・授業、実践ゼミ活動をスタート致しました。この様な機会を提供して頂きました中央大学には、心より感謝とお礼を申し上げます。そして、日本のスポーツ界にSADを導入した明確な足跡を大学に残せたことは、今後我が国のスポーツ界に寄与できることを確信しています

米国より帰国後は、あっという間に35年間が過ぎてしまいました。日本国内に於いてスポーツ・アドミニストレイションのプラクイカルな経験、体験を長くして来た中で、筆者は、日本の競技スポーツ及び、スポーツ・ビジネス、プロモーション、マネージメント、等々を含む分野に於けるスポーツ・アドミニストレイションの必要性を強く肌で感じた次第です。

そこで、将来を担う若者達が集う大学と言う教育現場でスポーツ・アドミニストレイターの可能性とその魅力、必要性を伝達、指導する事の重要性から学問として研究、そしてそれを実践を通して成果と結果を証明するご縁を頂きました。中央大学では、限られた時間内でどれ程の成果と結果が出せるか、どのような学生達が真剣に取り組み、社会に輩出できるかに挑戦させて頂いた次第です。K’sファイルでは、河田ゼミの厳しい環境の中で活躍、学んだ全ゼミ生の真剣な情熱をぶつけて挑んだ日々の足跡をご紹介させて頂きます。それは、日々壮絶なエネルギーを燃焼させたゼミ生達の足跡です。

本ご紹介内容は、当時中央大学広報室より大学時報に掲載する目的で原稿をリクエストされ、提供した原稿を基にしたものです。また本掲載原稿は、大学広報室を通じて読売新聞社YOMIURI ONLINEにも掲載され当時既に公開されました。http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/research/20101028.html 

一期生、二期生、三期生(各3年間)の河田ゼミ生が、日々全力で取り組み達成した卒業学年での成果と結果を読者の皆様にご紹介出来ます事は、担当教員としての誇りであります。ご笑読下されば幸いです。現在社会の第一線で日々活躍している嘗ての河田ゼミ生達の健康と多幸を心より祈っている次第です。

河田 弘道/中央大学総合政策学部 客員教授

専門分野 スポーツ・アドミニストレイション論、スポーツ科学

 

第一弾:

1.中大スポーツに光あれ!

①日米の大学スポーツにおける光と影

2005年9月、本学理工学部(後楽園キャンパス)において、最初にスポーツ科学の授業を担当させて戴きました。翌年4月からは、多摩キャンパスにある総合政策学部客員教授に就任。スポーツ・アドミニストレイション論(総称:SAD, Sports Administrationを講義科目とし、その付帯ゼミ(FLPスポーツ健康科学プログラム:FLPは、全学部垣根を超えた専門性の高いゼミ演習です。各学部2年生から選考基準をクリアーした学生が履修できます。毎年多くの学生達が河田ゼミを希望してくれましたが、全員を受け入れられたわけではなかった事が中大に於いての唯一の心残りでした)を担当する事になりました。中大キャンパスは恵まれた素晴らしい自然環境の中にあります。米国生活が長かった私にはその環境を有効に活用していないように見え、もったいなく思えました。

日米での大学競技スポーツの最大の違いは、アメリカの大学競技スポーツが明確に「教育の延長線上」と位置付けられているのに対し、日本では「学生の自治活動」という曖昧でグレーな点にあります。前者は、「フェアネス」を基軸に厳格な「ルール」を定めています。例えば、アメリカでは学生選手が大学を代表する対抗競技に出場する為の出場資格には、大学生として維持すべきGPA(学業成績の判定基準)の最低限の数値がルールブックに明記されています。これに違反した学生選手、指導者、及び大学管理者に対する重い罰則も明記されており、実際にペナルティーが課せられます。また大学スポーツは、興業(ビジネス)も行う点で違いがあります。

日本の場合は、「学生の自治活動」と位置付けられているがゆえに全てにおいて不透明で中途半端なアドミニストレーションが絶えないのが実情で、その点で、残念な思いがしてなりません。日本の大学スポーツ及び競技スポーツのありかたに新しい視点が必要であると思います。その為にも、SADの観点から、今後明るい未来を見据えた大学競技スポーツを再考していく必要があると思いました。

 

②講義科目としてのSAD

今日我が国の大学では、スポーツ・ビジネスマネージメント、スポーツ・マネージメント、スポーツ・マーケテイング、等々と称される学科、科目をよく目にする時代になりました。SADは、これら「専門分野、部門、部署をトータルマネージメント(統括、運営・管理)する行為の総称である」と考えて戴けるとわかりやすいと思います

本スポーツ・アドミニストレイション(略SAD)の講義授業、付帯ゼミは、日本に於いて唯一最初に開講致しましたのが、中央大学総合政策学部です

既にスポーツ先進国では、体育(Physical Education略称:PE)という言葉を見聞きすることが難しくなっています。我が国の大学においても近年段々とこの表現を変更する大学が増えています。特に体育と競技スポーツは、本質的に対極に位置するもので、本来体育と競技スポーツは混同されるべきではありません。

スポーツは、専門的に、①スポーツ・リクレーション&レジャー、②スポーツ健康医科学、③競技スポーツ、④観るスポーツの4分野に大別されます。

スポーツ・マネージメントは、こうした概念のスポーツに、マネージメントという「手」を加える事により新しい「ソフト」を生み出し、新しい「生命」をもたらすものです。よってこの分野、部門は、スポーツを生産する為に重要不可欠な要素となります

③大学は、競技スポーツの趣旨・目的を明文化すべし

本来、大学競技スポーツは、大学教育の延長線上に位置するべき重要な意義、目的を有すると考えられます。即ち、大学は、アカデミックな場であり、競技スポーツは、競技活動を通して人が共存共栄して行く為に必要な「フェアネス」を学び醸成する場でもあります。このことからも、大学競技スポーツに参加する大学は、共通の意義、目的、使命を「明文化」する事が必要です

その為にも日本全国の大学競技スポーツを統括運営、管理する組織団体の設立が急がれます次に、大学教育の本質と競技スポーツのフェアネスを維持するためには、「ルールと罰則」を明確にし、これらを裁く「第三者機関の設置」が重要なのです。よって、大学スポーツが伝統的に盛んな中央大学にこそ、率先して大学競技スポーツのルールブックの必要性を発信してもらいたいと考えます。

④学生選手の意義、目的とその使命を明確に

(1)大学競技スポーツの活動の意義・目的は、学生、教職員、卒業生だけでなく、地 域社会にも共通の話題を提供し、関係者の心を1つにまとめるパワフルなツールとなり、これら関係者に還元されることにあります。また大学の士気高揚にも大きく貢献し、母校の名誉と伝統及びそのパワーを内外に誇示するスポークスマンの役割も担うことにあります。

(2)学生選手にとって、競技スポーツは、自己の身体能力と技術を発揮する場であり、それらの限界に挑む場なのです。また、人間形成においては、協調性、社会性を学び、母校のプライドとブランド力を高め、愛校心と連帯感を学ぶ場でもあります。このように学生選手にとっては、「心学技体」のバランスの取れた「志の高い人間を育成する場」であると言えます。

(3)学生選手の大学における使命とは、大学を代表するに値する模範となる事とともに、大学競技スポーツの意義、目的を遂行する実践者となる事です。

 

2.中大での河田ゼミスタートの起因と5カ年計画

契約期間中に何が出来るか決断

理工学部で講義を始めて半年余り、スポーツ専門学部のない中央大学で如何にして学生達にスポーツ活動と競技スポーツの必要性や重要性を指導できるか思案しました。そして、その結果、06年4月から総合政策学部客員教授として5年間の任期中に実行すべき「5カ年計画」を作成、研究課題として実行に移したのです。スポーツ・アドミニストレイターの業務、使命は、与えられた期間に与えられた資産を如何に有効活用して、期待される成果と結果を如何にして導き出し、結論付けるか重要な任務が託されているのです

①テイーチングとコーチングの区別

講義授業のスポーツ・アドミニストレイションは、ティーチング(専門知識付与)の場と位置付け、付帯する河田ゼミは、コーチング(実学としての実践演習活動を通して個人の得意な潜在能力を導き出し、決して不得意を批判しない)の場としてバランスの取れたプログラムでスタートしました

本学における河田ゼミのスポーツ実践演習活動が、スポーツにあまり興味を抱かない人の多い中で、将来の中大スポーツの発展になくてはならない、地道であるが必要不可欠な環境作りの第一歩と位置付けたのです。また、ゼミ生達には、本実学を通して知識の付与のみでは決して体験出来ない個人、集団、組織に関わる人々の思考を体感し、自分達の思いを理解してもらう為にはやはり相手の言い分にも耳を傾ける事の重要性に気付き、社会におけるフェアネスの大切さと実践活動を通して学んで欲しいのです

SADの基盤は、フェアネスにあり、我が国のスポーツ界に必要な次世代のスポーツ・アドミニストレイターに継承し発展して行って欲しいという願いでスタートしました。

②スポーツ・プロモ活動を通してSADの神髄に触れる

河田ゼミは、履修ゼミ生が多く個々のゼミ生達に十分な実践演習活動の機会が行き渡る為にも大きなプロゼクトが必要であると、最終的にスポーツ・プロモーション活動に着手する事にしました

河田ゼミが中大競技スポーツに関わる事を課題、テーマに選んだ理由は、履修学生達の身近に存在する話題であり、課題の成果を求めるに当たり中央大学及び、大学競技スポーツにも貢献でき且つ関係者にゼミ活動の実践成果を即還元できるためでした。それはまた、机上の論理を中心とする演習活動だけでは、イマジネイションだけに終わり、実践では何が起きるのかが学べないわけです。実践演習活動は、受講生達が自身に付いての発見及び、実践演習活動を通して悲喜交々な実体験こそがアクテイブ・ラーニングの神髄であると判断、決断致した次第です。

文責:河田弘道 (中央大学 総合政策学部

略歴

河田 弘道(かわだ・ひろみち)/中央大学総合政策学部客員教授

スポーツ・アドミニストレイション論(競技スポーツの運営・管理)、スポーツ科学、スポーツ心理学、1947年徳島県生まれ、日本体育大学卒業、72年オレゴン大学、76年ブリガムヤング大学(BYU)大学院修士課程(MS)終了後、同大学競技スポーツ部門(Athletic Department)コーチ、監督兼スポーツアドミニストレイターとしてまた、体育学部(Physical Education Department)専任講師を兼務。

実践キャリア:野球、フットボール、器械体操、バスケットボール、バレーボール、等々日米大学スポーツの交流の先駆者たらんとし積極的に活動。米国オリンピック委員会(USOC)と日本オリンピック委員会JOC)との橋渡しの役割を担う。

77年度より米国大学専任と西武鉄道社長室、堤義明氏秘書を兼務。社会人プリンスホテル野球部創設と西武ライオンズ球団創設に立ち会う。

80年には、グループ企業の取締役として野球事業・特命担当、この間、プリンスホテル野球部都市対抗出場。

82年西武ライオンズのリーグ初優勝及び日本シリーズは優勝。

84年(株)SPI(競技スポーツの運営・管理会社)設立。同代表取締役として世界陸上選手権大会87年ローマ及び91年東京大会のホストテレビ局オフィシャルコーデイネイターや、各種国際マラソン大会、室内陸上スーパー陸上大会のオフィシャルコーデイネイターを務める。

85年(株)日本電気NEC SPORTS 2005年春まで(20年間)スポーツ・アドミニストレイターとして陣頭指揮を取る。

94年、東京読売巨人軍編成本部付AD兼監督補佐として当時の長嶋茂雄監督に4年間、97年退任する間にメイクミラクル、メイクドラマという壮絶な球史に残るベースボールアドミニストレイションを実践・完結した。

2005年9月から中央大学理工学部総合政策学部客員教授として、スポーツ・アドミニストレイション、スポーツ科学の講義を持ち、それに付帯する河田ゼミで実践演習活動に注力。(中央大学広報室)

ご参考までに

YOMIURI ONLINE 読売新聞社 企画局

http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/research/20101028.html  

河田弘道戦歴と実績:

http://kawadazemi.blog.jp/archives/16801460.html 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports

 お知らせ:K’sファイルNO.103は、第一弾として日本の大学(中央大学総合政策学部)に初めてスポーツ・アドミニストレイションの講義授業・実践演習活動を紹介しました当時のコンセプトを紹介させて頂きました。如何でしたでしょうか。次回第二弾は、各河田ゼミ(一期生、二期生、三期生)の成果と結果をご紹介させて頂きます。嘗ての河田ゼミ生達は、今日日本を代表する会社、企業、社会の第一線でぶれる事無く活躍しています。

K’sファイルNO.102:米国大学競技スポーツと筆者の基軸

KsファイルNO.102:米国大学競技スポーツと筆者の基軸

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後編:契約社会に於ける罰の重み

1.NCAAルール違反者への厳正な対処

①加盟同意の根拠とは

NCAA加盟校は、本NCAAルールブック(Rule Book)を遵守する事を宣言して加盟申請を行い厳重な加盟審査を経て加盟許認可を受けています。よって、NCAA規則・罰則、裁定には、絶対的に従う義務があるのです。加盟組織・団体及びその関係者、個人は、組織の一員としてルールブックを遵守する事に同意しているのです。裁定に異議を持った個人は、個々の権利で司法を活用する事が認められています。また、勿論学生選手は、ルール内であれば個人の自由は尊重され守られます。

日本の一般社団法人 大学スポーツ協会(名称:Japan Association for University Athletics and Sport、略称:UNIVAS)は、2019年3月に設立発表されました。しかし、政府機関のスポーツ庁は、自らの音頭に寄り設立加盟申請をさせ、申請をした大学の数を強調し、国民、社会、大学関係者には、申請した大学は「加盟同意」したかのような印象を招かせる手法は如何なものでしょうか。

設立された協会には、組織・団体としての大義、趣旨、目的の骨子が抽象的な表現のみで、各大学が加盟同意に必要なルール(規則・罰則)、基準も皆無の状態である事です。また、加盟申請に際して、協会は、その大学が加盟基準を満たした大学であるか否かの厳正な審査も無い状態です。

現在の状況は、本連盟を設立した場合どれ程の大学が興味を持つかの予備調査段階との理解と認識が妥当ではないでしょうか。

即ち、組織・団体として運営、管理する基盤のない、云わば「この指とまれ」方式では大学競技スポーツの未来が透けて見えてくるように思えてならないのは筆者だけでしょうか。日本の大学競技スポーツを統括する団体が必要であるという事に気付かれたことに対しては大いに賛同致す次第です

ルールは、学生選手、コーチングスタッフ、監督のみに適用されるものではありません。違反者の対象は、大学競技スポーツに関与する全ての関係者を対象とするので、ルールブックは膨大でバイブルと申し上げても過言でありません。NCAAに於ける対象者は、大学競技部門を統括管理するアスレテイック・デパートメント(Athletic DepartmentNCAA加盟各大学内で運営、管理する専門部門・部署の総称名)の運営・管理者、コーチングスタッフ、監督、他各専門部門、部署をあずかる全スタッフに及び、全員が例外なくNCAAの特別調査委員会(Special Investigation Committee)によりインベストゲーション(Special Investigation:特別調査、査察)を受ける義務を有するのです

違反者、違反組織・団体(大学)に対しては、NCAA裁判所に於いて短期間で結審されペナルテイーが決定する仕組みになっています。勿論、違反対象側には反論の機会が与えられます。NCAAルールブックは、違反行為者に対しては「正義と公正」の旗の下、非情を持ってフェアーな判決をする事が伝統的な約束事なのです。日本で今日よく聞かれている第三者委員会は、このような強い権限を有した一つの独立した機関で在って欲しいと願う次第です

 

②日本の大学競技スポーツに於ける違反行為への対処問題

NCAAは、これぞ法治国家たる権威の象徴と言えるのではないでしょうか。

今日の我が国の大学競技スポーツ、等に於ける「第三者委員会」のようなグレーな方法では、処理、解決に至らないのです。今日学内外の諸般の不祥事、等に於いては、第三者委員会という名の委員会を設置して、審査を依頼する事が頻繁になりました。しかし、この第三者委員会は、何の権限も持たない、いわば関係者により指名、招集された集団で、完全な第三者と呼ぶには余りにも無理があり過ぎると思いますこれでは、「正義と公平・公正」の下に裁く事は出来ません。しかし、依頼する側には、都合が良いのです

三者委員会なる手法は、あくまでもグレーゾーンでの仲裁会合であり、日本の伝統的な談合文化の新種な談合形態を生み出していると言えます。これは、構成メンバーは誰も法的にオーソライズされたわけではなく組織、団体側の責任者が有給で雇用し、調査に当たっては任意に関係者を呼んで事情聴取した後、委員達の総意として雇用主に対して報告書をまとめ提出するという、言わば客観性や責任の所在の無い任意の報告者による報告書に過ぎないと思われます

また、雇用者は、委員の対象を弁護士有資格者としているのは権威主義的でこれまた片手落ち、第三者とは弁護士以外に認められないのか、有資格者がどれ程スポーツに精通、特化した人物か否かの基準も持ち合わせていない次第です。

此のことから生じる問題は、既に竹田恒和氏(JOC会長)の20東京五輪招致委員会の収賄疑惑に関して、JOC内に於ける第三者委員会の報告では「問題なし」と公表されているが、フランス検察当局は「問題あり」と疑惑を肯定しました。これにより同氏は、IOCJOC、⒛東京五輪組織委員会の役職を退任せざるを得なくなった事態に至った事で、お分かり頂けるのではないかと思います。これが第三者委員会の実体であり、現実の姿なのです。

異議を唱える個人が、堂々と司法に訴える勇気を持てる社会で在って欲しいと願う次第です。きっと、近い将来我が国に於いても第三者委員会などでの判断を仰いで組織・団体、機関のグレーな裁定を受け入れる事無く、自身が正しいと信念を持つなら司法の場で明らかにする事により、公正・公平な判断と裁定が受けられるようになる事を切に願う次第です。

しかし、この司法の判断に疑念が及ぶ事が無いように我々国民、社会は、「個々の自由とフェアネス」を守る為にも立ち上がらなければならない時か来るかもしれません。日本国民、社会には、伝統的に諸般の問題を弁護士、裁判、即ち司法で処理する事を好まない慣習、習慣が根強くある事からこのようなグレーな第三者委員会なる手法、手段が都合がよいと活用しているのかも知れません。しかし、この委員会では、正義と公正を期待することは難しいのです

その為にもスポーツ界は、経営、運営、指導管理者並びにその組織、団体に置ける規則・罰則(ルール)をより現実的で明文化する事が重要なのです。全ての関係者は、ルールは競技者、競技だけに特化するものでなく、関係者全てにルールがあり適用される事を指導し、理解と認識を共有する事が重要だと思います。

③ルールは人々の共存共栄を守る基本原則

このようなNCAAルールを日本の大学競技スポーツに当てはめますと選手も大学も全く競技が出来ない大学が多数出て来ると断言できます。勿論、リーグ戦自体も崩壊してしまうと思います。大学競技スポーツに参加する為のルールがリスペクトされず、ないがしろにされている事に慣れてしまって居るので、ルールに沿った管理は、学生選手のみならず関係者一同非常に息苦しく困難を極める事と思われます。

例えば、箱根駅伝やその他の大会で大学名の宣伝や、勝利のために外国人選手や有力な日本人選手を金銭で勧誘する行為。また、入学前に卒業、学位授与を確約したり、Ksファイルでかつてご紹介したメダリスト選手の様に、4年間同学年の学生達すら一度しか見たことが無いという学生に卒業証書、学位を授与したり、毎月数十万円のキャッシュを渡す行為。このような事を行っていても、

マスメデイアさえも、誰もがアンフェアーだとかルール違反だとかとアピールできない、しない無秩序状態が日本の大学競技スポーツの現実です。米国の大学でこのような所業が行われるとどうなるのでしょうか。

米国の場合は、殆どが同じ大学の競技選手、教職員からNCAAへの内部告発、或は対戦相手、他校からの告発、等が行われます。

NCAAは、通告、告発を基に査察班が大学、学生選手に対して直接調査を行い、NCAAの裁判で裁かれます。これにより、NCAAは、調査開始から約2週間で査察用件の結果、経過を先ず公表するのが通例です。これらも、彼らは、基本的に「JusticeFairness」をリスペクトしている証の一つでもあると理解していますそのペナルテイーの重罪例としては、違反大学には4年間以上NCAAに登録している全競技スポーツの出場停止処分が科され、大学の経営責任者、指導者、管理者は解雇、学生選手は永久追放となる可能性が高いです。

筆者が運営、管理に関わっていました時に、例えばこんなことがありましたA大学は、バスケットボールテイームのリクルート活動に於いて、優秀な高校選手を大学キャンパス訪問の為に航空券を発券して招待したのでした(NCAAルールのリクルート規定により)。

しかし、同選手が空港到着後、到着出口で待ちかまえていたのは同大学の後援会が準備したリムジンで車両にはプレイボーイクラブのバニーガールが同乗、高校選手と一緒にホテルに直行した次第です。その後同選手は、キャンパス訪問規定を十分に活用せず、ルール規定の滞在可能期間の殆どをホテルで過ごし、そのまま空港にリムジンで送られて帰宅したのでした。翌週、同高校生はB大キャンパス訪問時に同選手と大学関係者との面談を行ったところ、同選手はB大学に対してA大学で受けた「おもてなし」と異なる事への不満をB大学関係者にぶちまけた次第です。そこで、B大学関係者は、同選手よりA大学の同選手へのリクルート活動違反の言質を取り、翌週NCAA調査委員会に公式に告発、報告を行いました。

当時、本件は、NCAA裁判所での判決が約半年かかる程の出来事だったと記憶しております。ペナルテイーは、大学がNCAAに登録している全競技スポーツ種目が確か2年間出場停止処分となり、大学管理者、運営責任者、リクルート担当者、等を含めた関係者には、解雇処分が大学内で行われ、高校生に対してはNCAAへの競技参加資格が特定の期間失効したと記憶しております。

A大学の全競技スポーツがペナルテイー解除後に、プログラムの再建と復活するまでには約10年以上の年月を要しました。このNCAAルールが現在の日本の大学競技スポーツに適用されると、殆どの大学が競技出場停止、経営者、管理者、関係者は解雇、学生選手は、永久追放、或は停学、退学処分となると思います。

④カンファレンスとリーグの違い

NCAA公認競技スポーツを持つ大学は、指定された各カンファレンス(Conference)に所属する義務があり、その全カンファレンスを統括運営、管理している組織・団体がNCAAという名称で呼ばれています

カンファレンスとは、日本のリーグと本質に於いて異なるコンセプトの下に運営、管理されています。本カンファレンスは、基本的にNCAAの一部校(約380校)を全米約35の地域に区分しています。フェアネスの原理原則から区分は複数年に一度、統廃合が繰り返されており、入れ替えが盛んであるのも事実です。

本カンファレンスは、歴史的にも1カンファレンスが数十校になっている場合もあり、そのようなカンファレンスでは、さらに複数のブロックに分割されます。また、NCAAは、「正義と公正・公平」を基本原則にしている事から、カンファレンス内に於いても不都合が起きる度に統廃合が行われます。

日本の様に各競技スポーツ別に異なるリーグでリーグ名も異なる様な事はあり得ません。日本の大学リーグ制度は、大学競技スポーツが発足する当時から全大学を統括運営・管理する組織・団体が存在しなかったので、大学関係者が自らの大学と同レベルの近隣の大学に声を掛け寄り合って、個々の競技種目ごとにリーグと言う名の下に対抗戦が始まった歴史と経緯があります。

例えば、東京六大学野球リーグは、最初の構想並びに加盟予定校は、中央大学早稲田大学、慶応大学、立教大学明治大学、法政大学で構成され、書類提出手続きに入ったようです。しかし、締め切り期日までに中央大学は、書類の提出を怠った事により、対象外とされ加盟5大学の総意で東京大学が選ばれたと、筆者が中央大学勤務時に関係者から説明された記憶が蘇ります。何故、東京大学野球部が加盟5校により選ばれたかは、読者の皆さんのご想像にお任せ致します。

このようなリーグに於ける歴史的、構造的な問題から各競技種目により異なる格差が顕著になり、各種目のリーグの組織・団体(各種目別の学生連盟、連合)は、各々の利権集団と化してしまいました。そのことは、大学競技スポーツとしてのトータルマネージメント、コンセンサスが困難となってしまって居る現状がその証です。

例として、大学スポーツ協会(UNIVAS)へのこの度の加盟申請には、東京六大学野球連盟関東学生陸上競技連盟(任意団体、箱根駅伝主催、読売新聞社共催)等は、加盟申請を拒否しているのも事実です。

 

2.米大学スポーツアドミニストレーションモデル例 

大学内の組織・運営・管理体制:

大学総長(学長)の直轄組織:

主に副学長(副総長)が統括管理責任者として位置付けられている。

1.大学対抗競技委員会(略:IACIntercollegiate Athletic Committee

 任務と責任(Charge & Responsibilities)

 使命(Mission

 ①大学として学生として学問を修める手本として全学を代表する。

 ②本組織の財政、計画、方針、等に関して本組織のデイレクター、評議員、運営・管理

     に対してアドバイスを与える。

 ③誠実な学生選手を保護、保証し、学業優秀な学生選手を保護し機会を与え推奨する。

 ④学問と競技活動と対抗競技戦の大変さを大学、社会に理解を得られるよう働きかけ

     る。

2.小委員会(Subcommittee

1名:IACの議長

1名:教職員(one faculty member

1名:学生代表(one student)

1名:教職員で競技代表(the faculty athletic representative

3.実行委員会(Executive committee)

実行委員会は、IACの議長により招集される。

実行委員会は、クローズ(非公開)によって行われる。

実行委員会は、アスレテイックデイレクターの要望に基づいて討議、進行されるものである。等々。

4.アスレテイック デパートメント(Department of Athletics

本部門、部署は、当大学のNCAAから許可を受けた大学競技スポーツを統括経営、運営、管理する総称名である。本部署は、1名の統括責任者(Athletic Director)が居る。ADは、プロ球団のGM業務内容より遥かに重労働で在ります。例:規模の大きな大学では、本部門、部署に約300名を超える雇用者を抱えています。

読者の皆様のご要望が在りましたら大学競技スポーツのビジネスアドミニストレイションに付きまして、改めて機会を見て述べさせて頂ければ幸いです。

読者の皆様には、これからの日本の大学競技スポーツ界、スポーツマスメデイア界、スポーツ組織・団体、大学競技スポーツに関して、少しでも専門知識を補強して頂き、今後起きるであろう、より一層複雑怪奇な出来事に対して、理解と適切な判断をされることを切に願う次第です。

 文責者 河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the SPORT

お知らせ:この度の前編、中編、後編は、如何でしたでしょうか。読者の皆様には、新しい知識を蓄えられますと同時に、スポーツマスメデイア、関係機関が流す理解し辛い情報、内容を解読される一助にして頂ければ幸いと存じます。

次回は、筆者のスポーツ・アドミニストレイションの講義授業に付帯する河田ゼミの実践活動を覗いてみませんか。この様なアクテイブ・ラーニング形式のゼミは、日本で初めてではないかと思います。これらは、個々の学生達の潜在能力を引き出すコーチングの一種です。お楽しみに

K’sファイルNO.101:米国大学競技スポーツと筆者の基軸

K’sファイルNO.101:米国大学競技スポーツと筆者の基軸

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中編:日米大学競技スポーツの環境と現実

1.日米の学生、学生選手の生活環境の決定的な相違

①学生の授業料と教職員のペイメント

米国の大学に於いては、基本的に3カ月の夏季休暇が在るのが伝統的スクールカレンダーです。既にK’sファイルの読者の皆様は、日米の雇用制度が大きく異なる事をご説明致しました。それに伴い、個々の責任の所在も明確になっている事が挙げられます

筆者自ら学生、教員、指導者、運営・管理者としての体験、経験を通して感じます事は、この3カ月間の休暇は、学生、指導者にとっては大変貴重な期間である事です。それは、米国の学生、学生選手の約75%が授業料、生活費を自ら働いて得ているという伝統的な慣習がある事に起因します。授業料は、年間一括でも、学期毎でも、極端に言えば科目単位でも納付可能なのです。本件に付きましては、「アカデミックとルール」のテーマで述べる予定です。

もう一つ重要な事は、大学を卒業して社会人なるために、社会への適応、適合の準備期間として夏季休暇3カ月の4回分はとても有益で、社会での学びの場ともなっています。また、全教職員にとっては、この3カ月間は、無給で在る事が契約書に明記されています。よって彼らは、この期間は自由に就業する事が認められ、生活の糧を得る事が出来る事も明記されているのです。読者の皆様はご存知でしたでしょうか

我が国の学生、学生選手は、読者の皆さんもよくご存じの生活環境であり、昔も今もそう大きな違いはありません。それは、大多数の大学生達は授業料、生活費、部費を父母が負担している事です。また、教職員は、給与を12カ月得て年2回のボーナスが支給され、夏休み期間中も給与が支給されているのです。

よって、夏休みは、本来夏季休暇ではなく、他の仕事をして糧を得てはいけないはずなのです。このような理屈から、教職員は、部活の面倒を見させられていると解釈するなら、それも業務であると理解可能です。読者の皆さんは、この解釈から致しますと日本の教育機関の教員そして一部職員が部活の面倒を見ているのは彼らの業務(夏季休暇中も有給でペイを受けている)と理解する事が出来るのではないでしょうか。

このような制度と実態の違いを、日本に於いては全く紹介も報道もされないで、ただ単に米国の大学、大学競技スポーツ、NCAAといった具合に夢のような話題のみが報道の対象になっている様に思われます。このような情報は、このK’sファイルが初めて情報公開をしているのではないでしょうか。

②日本の大学競技スポーツとNCAAの基本的な相違

NCAA(全米大学競技スポーツ協会)が、日本の大学競技スポーツと大きく異なる点は沢山ありますが、その中でも代表的なのは「競技スポーツがシーズン制」で、競技種目ごとに決められたシーズン期間が設定され、それ以外は練習も試合も認められていない事です。シーズン以外は、テイーム練習や指導者の指導を受ける事が出来ず、施設は自主トレーニングとしてのみ使用可能です。

ルール違反者は、NCAA(全米大学競技スポーツ協会)のルールに従い厳しい罰則が待ち構えています。また、学生選手達は、シーズン制なので複数の競技スポーツに登録、出場が可能で有能な選手は、複数の競技を兼務する選手もいるのが日本とは大きな違いです

このシステムは、一つの種目に偏らず、秋、冬、春の競技スポーツを経験できることにより、その学生選手が最終的にどの競技スポーツを選択するのか中学、高校時代からこのシステムの中で育って来ているので、大変合理的且つ、賢明なシステムであると筆者は現場で指導してきた経験からも感じます。

幼少期から競技スポーツへの興味を絶やさない手法であり、傷害から身を守る意味でも賢明な制度でありシステムであると思います。また特定の競技スポーツのみしか登録していない学生選手は、オフシーズンに於いては学業に集中、自主トレーニング、仕事による生活の糧を得る時間に当てています。

2.NCAAルールブックは契約社会の掟

①全米加盟大学共通のNCAAルールブックの存在

そして次なる重要なポイントは、NCAAには加盟大学共通共有の「NCAAルールブック」が存在する事です

日本では、20193月に大学スポーツ協会(略:UNIVAS)なる組織・団体が発足しましたが、実質的な中身は皆無です。ルールブック(規則・罰則)も無い大学スポーツ協会への賛同を求め、加盟の意思表示をされた大学は、いったい何を根拠に加盟申請をされたのでしょうか。これは、素朴な疑問です。

加盟申請した大学は、先導役が文科省スポーツ庁)なので、私学助成金補助金の影響を受けるのではないか、或は、加盟すれば何か新たな補助金助成金が得られるかもしれないとの思いからかも知れません。大した確固たる根拠が在って加盟申請を出したわけではないと推測致します。

加盟の意思表示をされなかった大学もあるようですが、その大学は、とても賢明な判断であったとスポーツ・アドミニストレイターの視点から申し上げます

我が国の現在の状況と実態から致しますと、大学スポーツ連盟の発足を発表するに当たり、全加盟大学は、同じルールブック(罰則・規則)の下、フェアネス(公正、公平)の原理原則を約束する明文化された証しが在って初めてその確たる根拠と成り得るのではないのでしょうか。明文化の後に各大学に賛同を求める申請書を配布し、加盟への判断を仰ぐことがスポーツ・アドミニストレイションの基本作業であると思います。既に現在、スポーツ庁より発表されている加盟大学、大学数は、申請をしただけで同意をしたわけではないのです。

この様に政府機関が直接的に先導して、根拠のない協会加盟申請書に「踏み絵」をさせる様な方法は、如何なものでしょうか。お上の権力を持ってして、加盟を強制するやり方では、継続しないように思えてなりません。また加盟校が自立した競技スポーツ部を統括管理できるようになる迄には、気が遠くなるほどの年月がかかるのではないでしょうか。

NCAAに加盟している大学は、NCAAのルールブックの下に競技の規則・罰則のみならず、学生選手の学業から生活面に渡り、また指導者のコーチング並びに運営、管理に至るまでルールを遵守する義務と責務を負う事になります言い換えられば、NCAAオフィスから委託を受けているという理解と表現が正しいかと思います。

片や日本に置いては、このような統一された規則・罰則は無くアンフェアーな状態に於いて、学生競技スポーツが行われている次第です。

②アカデミック(学業)とNCAAルールの共存

米国の大学生は、①フルタイム学生(Full time studentと②パートタイム学生(Part time studentに区別されます。フルタイム学生の定義には、卒業単位数の四分の一を各学年で履修取得する学生が条件の一つに挙げられます。勿論、有能なフルタイム学生の中には、3年間で卒業単位を確保、学位を取得する学生達もいます。

筆者が教員を務めた経験からすると、日本の私学では、優秀なゼミ学生が3年で卒業単位の124単位を取得しても、4年目の授業料を納付、在籍しなければ卒業証書、学位を出さないという露骨な大学、経営者もおり、呆れて言葉も出ませんでした。読者の皆さんは、如何でしたか。此れでは、学生ファーストであるべき学生達を大学経営者は集金マシーンとしか考えていないように思えてなりませんが・・・?日本の他の私学もこのような集金制度を取られているのでしょうか。もしそうであるなら文科省は、私学の学生達を集金マシーンと考えて大学設置基準を経営者有利に定めているのではないでしょうか。このような大学の経営、管理規則は、決して在ってはならない事だと強く思います。これは、学生とは何を持って学生であるかという、そもそもの定義も明文化されていない事に繋がっているのかも知れません。

NCAAルールとアカデミック・ルール

NCAAのルールでは、先ず学生選手(Student Athlete)は、このフルタイム学生である事が大前提なのです

パートタイム学生とは、何らかの事情、理由でフルタイム学生に成れない事を意味し、毎年、毎学期、履修登録する科目数だけの授業料を支払う学生の事を指しています。但し、外国人留学生は、フルタイム学生として毎学期の履修登録単位の取得、授業料の支払いが義務付けられています(移民局の規則にも関係)外国人学生選手には、一般留学生と同様な規則にNCAAルールが加算されます

筆者の経験では、このパートタイム学生の殆どは生活の糧となる仕事を最優先している学生達が殆どであります。勿論、授業料を支払う能力が在れば、既に本学のアドミッション(入学許可)を受けているのでどの学期からでもフルタイム学生になれます。日本もこのシステムは、是非真似て欲しいと日本の大学教学の現場で感じました

毎学期履修登録した全科目は、学生選手にNCAAによって定められたGPAGrad Point Average:履修登録された全科目の成績を数値化した平均値)数値以上の成績を確保維持しなければ、シーズンの大学対抗戦のロースター(出場選手登録)入り、試合の出場が出来ないのです

例えば、日本の大学に於いて、本ルールを適応致しますとテイーム競技は、選手が足りなくてテイームが編成できなくなる事態が必然的に起きると想定されます。

近年日本の大学は、文科省の指導により本GPA制度を米大学に倣い採用していますが、この制度を実質有効活用できていません。その理由として、一つは、各大学の学業の格差が余りにも大きすぎるからだと思います。また文科省の指導により毎年行っている授業アンケート調査を学生達に無記名で行わせ、授業に興味も出席もしないいい加減な学生達にアンケートに回答をさせ、業者に集計を委託して結果は殆ど反映されていません。これでは、米国大学の模倣にしか過ぎないのです。

NCAAの公式戦出場ロースター(登録)にリストアップされた学生選手は、毎試合前日の決められた時間帯に出場選手のアカデミックな現状確認を行い、NCAAオフィスの専門部署にPCを通して報告する義務がありました。 小生は、大学に於いてこのNCAAルールの担当も兼務させられていましたのでその責務は大変重く、非常なストレスとなった次第です。

近年日本から学生選手が複数名、米国の大学で学生選手として登録されて参加されていますが、これはNCAAルールの外国人選手へのアカデミックなルールが少し緩和されて来ている事が大きな要因の一つとなっています。しかし、卒業できるかどうかは、別問題です。また、採用している大学周辺からは、リクルートへの疑念が囁かれているのも否定できないようです。日本の私学のような入学前の「お約束」などとは勿論別の話であります。

これは、大学競技スポーツが教育の一環で在りその延長線上に位置している事を明確にした重要なルールと関係しております。学生選手の根幹となる“学生とは”の定義(Definition)です

これは日本の学生競技者及び大学教育機関には全く欠落している部分です。日本の大学教育機関は、大学及び、大学生、学生選手とは、について何を持ってその資格認定をするかの定義(Definition)が教育基本法に於いても明記されていないので、先ずはこの基本的な重要な問題点を明確にし、明文化する必要があります。その上で全大学の教育機関及び、学生、学生選手の自覚と経営者、管理者の規則遵守が大学スポーツ協会の発足以前に必要な最重要な大前提ではないのでしょうか。

筆者は、常にスポーツ界は自由で平等で、公正、公平の原理原則を貫けるリーダーが真のリーダーであると確信しています

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 お知らせ:読者の皆様は、日米の大学競技スポーツの違いを少し感じられますか。次回は、このルール違反者に対する処罰が大学、NCAAでどの様に処理されるのか、等を合わせてお伝えできればと思います。また、筆者は、大学代表テイームに帯同する旅先での多くの人達との出会い、関係にも最終章で触れてみたいと思います。

 

K'sファイルNO.100:筆者から読者の皆様へお礼と感謝

K'sファイルNO.100:筆者から読者の皆様へお礼と感謝

無断転載禁止                   注:K'sファイルは、毎週木曜日掲載予定

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K’sファイルNO.100記念 “お礼と感謝”

 

ご挨拶

K’sファイルは、本日2019年5月2日の掲載を持ちましてNO.100となりました。思えば2017年4月より掲載を始めまして2年が経過致しました。筆者は、SNSを通して読者の皆様に毎週木曜日、斯様な拙文を公開し続ける事になろうとはスタート当初は想像もできませんでした。それまで自らの書き物をこのようにして公に提供した経験はほとんどないに等しい状態でした。わずかながら、20061013日、文藝春秋社発刊の書籍「Gファイル:長嶋茂雄と黒衣の参謀」にて東京読売巨人軍に関するGファイルを提供致しました事と、確か中央大学で教鞭を執っていました時に大学広報室からのリクエストにお応えして、読売新聞社広報企画室のYOMIURI ONLINEに「中央大学スポーツの変革(CHANGE)~中大スポーツに光を!」を掲載された程度でありました。

NO.1よりNO.100に於きまして、累算で426,810字に及びました。此れも自らに課した使命の一つとして、スポーツ界への様々な思いを書き残せた事は感謝以外の何ものでもありません。

私自身にとりましては、最も不得手とするところの一つであります事に挑戦したわけで、それに対する勇気と動機付を与えて下さった信頼する親友に対しては心より感謝とお礼を述べさせていただきたいと思います。今後K’sファイルは、いつまで掲載できるか未知の世界に入ります。これからも出来ますれば、国内外で起きるスポーツの時事問題、話題をテーマにスポーツ・アドミニストレイターの視点と自らの経験、体験を加味しながら分析、解説を続けて参りたいと思う次第です。

NO.100は、自身に取りまして記念すべきK’sファイルとなりました。此れも一重に読者の皆様の温かい励ましのお言葉や、ご協力、ご指導の賜物であると深く感謝申し上げます。

2年間に於ける読者層は、略把握できるに至っております。河田弘道のスポーツBLOGの趣旨、目的の一つにも在ります学生、学生選手への参考になればと期待しています。しかしながら、告知が不十分の為か、大学教員の方々止まりとなっているケースが多く、学生、学生選手、指導者に行き届いていないのが現状です。そこで如何にしたら日本の大学生、学生選手達にこのプログを共有してもらう事ができるか、読者の皆さんのお知恵を拝借させて頂ければ幸甚です。ご指導、ご提案をお待ち致しております。

略15カ国、特に合衆国、ドイツ、英国、フランス、ロシア、等の読者からは、沢山のアクセス、コメントを毎日頂いております。K'sファイルに強い興味を持って頂きまして感謝申し上げます。K’sファイルは、皆さんと共にグローバルなスポーツ情報媒体としてもこれから歩んで参ろうと思います。

先月末には、南米ベネゼイラに於いてクーデターが発生したとの事をTV報道で知りました。首都カラカスには、筆者の米国大学での学生選手達及びその近親者が多く居住しています。この事件が一日も早く治まり平和を取り戻される事と心より祈念致しております。

毎週掲載原稿に対して真摯なコメント、読後感、感想、書評、ご意見を電子メールでお送り頂いている読者の皆様には、毎回ポジテイブな動機付けを賜り勇気と継続へのエネルギーとさせて頂いています事に、心より感謝とお礼を申し上げます。             深謝                         

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SOPORTS

お知らせ:次回K'sファイルは、NO.99「米国大学スポーツと筆者の基軸」中編を掲載予定致しております。

 

懐かしいK’sファイルNO.1NO.2の思い出

K’sファイルNO.1 ご挨拶

初めまして、私は、Gファイルに掲載されています河田弘道です。読者の皆様からいつも沢山の書評を賜りまして感謝申し上げます。

私の専門分野は、スポーツ・アドミニストレイション論、スポーツ科学でスポーツ・アドミニストレイターです。私の論理と実践を元にした経験とキャリアをこの世界に興味を持つ方々、特に現在業界、大学で本分野を目指している学生、学生選手に本ファイルを通して専門知識とプロフェッショナルな世界を実感して頂き、少しでも日本社会に還元できることを願っております。

この度は、SNSを活用させて頂きます。ご支援とご指導、ご協力の程宜しくお願い致します。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 

K’sファイルNO.2 :スポーツ・アドミニストレイション論とスポーツ・アドミニストレイター 無断転載禁止

 

スポーツ・アドミニストレイションって何!

私は、2005年9月より2017年3月迄、約10年間、日本の大学に於いてスポーツ・アドミニストレイション論の講義授業と付帯するゼミを指導して参りました。本専門分野、部門は、学問としてだけではなく、自身がスポーツ・アドミニストレイターとして日米通算で約40年にわたり、第一線級の競技スポーツの実践現場で培ってきた経験に裏打ちされたものであると確信致しております。

本講義科目及びゼミは、日本の大学競技スポーツ及びスポーツ界にとって学問と人材育成の必要性とその重要性を初めて実践演習(ゼミ)を通してご紹介させて頂き、講座を開設致しました、言わば先駆的学問並びに実践領域であると思います。今日我が国の社会及び大学では、スポーツ・ビジネスマネージメント、スポーツ・マネージメント、スポーツ・マーケテイング、スポーツ・プロモーション、等々と称される学科、科目をよく耳、目にする時代になりました。

スポーツ・アドミニストレイションは、これら「専門分野、部門、部署をトータルマネージメント(統括、運営・管理)する行為の総称である」と考えて戴けるとわかりやすいと思います

既にスポーツ先進国では、体育(Physical Education)という表現を見聞きすることが珍しくなっています。我が国の大学においても近年段々と体育の名称表現を変更する大学が増えて参りました。スポーツは、本来専門的に、

①リクレーション&レジャースポーツ、

②スポーツ健康医科学、

③競技スポーツ、

④観るスポーツ、

の4分野に大別されます。

スポーツ・マネージメントは、こうした概念のスポーツに、マネージメントという「手」を加える事により新しい「ソフト」を生み、新しい「生命」をもたらすものです。よってこの分野、部門は、スポーツを生産する為に重要不可欠な一つの要素となります。

筆者は、「スポーツ・アドミニストレイション」を日本に最初に持ち込みました。この専門分野、部門を基軸として、時事の国内外の問題を活用させて頂き、スポーツ・アドミニストレイターの視点で、それらの問題の分析、解説をさせて頂きながら内外の事例を参考に論を進めて参りたいと思います。

本論を進めて行くに当たり、文筆活動は、専門分野ではありません事を先ずご理解下さい。その為に配慮、気配りの無さから誤解、不愉快、等が発生し、読者の皆様に多大なご迷惑をお掛けすると思います事を先ず初めにお詫びとご理解を賜りましたら幸甚です。この様な不備、能力不足に対しては、自ら精進努力を惜しみませんが、読者の皆様に指導、協力、ご理解を仰ぎながら少しずつ成長して行けたらと願っております。

K'sファイルに於きましては、筆者の長年の専門知識と実践経験、体験を一人でも多くの興味を持たれるスポーツ界の情熱在る方々への一助となりますよう微力ではございますが応援、還元させて頂く一念です。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 

K’sファイルNO.99:米国型スポーツと筆者の基軸

KsファイルNO.99:米国型スポーツと筆者の基軸

無断転載禁止                        注:K'sファイルは、毎週木曜日掲載予定

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前編:筆者のスポーツに対する礎

1.筆者と米国スポーツの接点

先ず初めに

前回までのK’sファイルでは、NO.88NO.942020東京五輪招致の暗黒の霧はいつ晴れる、とNO.95NO.98:今日のスポーツ電通の礎84ロス五輪とは!―におきまして、東京五輪招致の不透明な部分と五輪開催の趣旨、目的が「震災の為でもなく、コンパクトで経費の掛からない五輪でもなく」、莫大な公金による箱物建設がその目当てで在った事を解き明かして来ました。

これらは、政治家達の利権闘争に始まり、暗黒の招致活動による疑惑や、20東京五輪組織委員会の役員人事に関する不透明さ、国内スポンサーシップの一業種一社から複数社の変更に伴う配慮に欠けた一部選考。さらには公益財団法人20東京五輪組織委員会の公金使用内訳の情報公開の無さとグレーで不可解な仕組みや出来事。84ロス五輪の公金を使用しない民間資本による経営・運営・管理手法の成果と成功例の比較を読者の皆様にお届け致しました。

①良き伝統の継承と悪しき慣習を処理する勇気

NO.99は、米国型スポーツ・アドミニストレイションの基本的な構造とその実情が大学競技スポーツにある事をご紹介したいと思います。今後日本のスポーツ界を改善、改革して行くに欠かせない大切なものがスポーツ・アドミニストレイションであり、その指針にして頂ければとの願いを込めて掲載させて頂きます。

また、読者の皆様は、筆者が長年米国の大学に在職していながら、どのようにして日本の大学関係者、会社・企業関係者、TV/マスメデイア、文部省(現文科省)、JOC,日本体育協会(現日本スポーツ協会)、等々の重鎮と人間関係を構築できたのかと、多分素朴な疑問を持たれている事と思います。その疑問に付きましても、本前編、中編、後編を通してご理解を深めて頂けるのではないかと想像致します。

筆者は、日本は素晴らしい歴史と伝統のある豊な国と思います。しかし、それら全てが我が国の次世代にマッチするものではない事も理解、認識致します。スポーツ大国の米国には、沢山学ぶべきよいパーツもあれば、決して真似をしてはいけないパーツも沢山ある事を自らの実体験から承知致しております。

我が国には、沢山継承すべき伝統的な遺産と悪しき伝統的な負の遺産を整理する必要性があります。2020年は、新しい専門知識とキャリアのある次世代のリーダー達が情熱を持ってリードして行く重要なターニングポイントであると確信致しております。長く伝統的に継承し続けて来た、先輩諸氏の背中の垢は綺麗さっぱりと洗い落として、悪しき伝統を今脱ぎ捨てる決断と勇気を持って先ずは行動しないと、何時まで経っても改善、改革に至らないのではないでしょうか。

②大学は国の教育とスポーツの大義・目的・使命を示す場

筆者は、長年米国の大学で競技スポーツの運営・管理に携わり、教鞭を執って参りました。スポーツ大国に於ける競技スポーツとその関係組織、関係者、多民族との出会いは、米国の大学で教育を受け、また、指導者、管理者として生き抜いてきた時期にさかのぼりますその基盤となっているのは、まさしく日本人として日本で身に着けた礼儀作法から教育、そして大学生活を生き抜いた経験が自身の全ての財産であり、土台を形成していると確信します

米国に渡ってもこの自身の基盤は、ぶれる事無く大学で、職場で職責、責務を全うし成果と結果を出せた事に感謝致しております。そこから得た知識と実践キャリアは、母国に帰国後の実践活動に於いて計り知れない自信と共にまた成果と結果を導き出せたと自負しています。

本編では、日本と米国の特に大学競技スポーツのファンダメンタルな違いについてから解説と説明をさせて頂ければと思います。

スポーツ大国米国の競技スポーツの構造とそのシステムは、日本とは発想の原点と社会、文化の構造も異なるので、読者の皆様にはすんなりと理解し難いかも知れません。読者の皆様には、米国のスポーツ界が日本の伝統的な構造とシステムが異なる所を是非理解して頂きたくこの機会にご紹介致します。

良いと思われるところは、是非ポジテイブに理解して頂きたく願います。そして、勿論、絶対に真似をして欲しくない点はコピーするべきではありません。読者の皆様には、想像もつかない問題も抱えているからです。我々は、身の丈に合ったスポーツ及び競技スポーツの構築に取かかる事をお勧めいたします。

筆者は、当時それら諸問題の解決、処理に学生選手の側に立って根気よく指導していたことが、今は懐かしく思い出されます。此処では、スペースの問題で本テーマに必要な一部をご紹介するにとどめ、詳しくは、別途米国大学競技スポーツの実態、現状、問題、及び組織・団体について国内の時事問題に沿うような形でご紹介できればと考えております。

③全米大学競技スポーツ統括組織・団体

近年日本に於いて、「NCAA」という商標名を利用した話題作りを政府機関、マスメデイアが行っているようですので、本K'sファイルの読者の皆さんには、関係者が何を夢見ているのか、真似をしたがっているのか、正しい理解と判断をする為にも正しい知識を是非会得して頂ければと思う次第です。

現時点では、「NCAA」を模倣する為の大義となるソースが日本の大学には見当たらないと言うのが筆者の正直な見解です。」

現在の日本の大学競技スポーツ界を慮る(おもんばかる)と、NCAAの物まねをする以前に、今解決しておかなければならない問題が山積しているように思えます。関係者達はその事に目を背けて、大学スポーツで新たな利権を企むことなど滅相も無い事なのです。また、商品価値の無いものに民間資本を期待する事などは、ビジネス経験の無い方々のたわごとです。このような方々は、最初から公金(税金)を当てにする東京五輪方式をまたコピーして使おうと“二匹目のドジョウを狙っている”としか思えてならないのは筆者だけでしょうか。

先ず「NCAA」とは、全米大学競技スポーツ協会(National Collegiate Athletic Association)の総称です。我が国に於いては、伝統的にNCAAを「全米大学体育協会National Collegiate Physical Education Association」と誤訳表記しており、平然としていることが不思議でなりません

筆者は、もう50年前になりますが、米国の大学教員となった初期のころから略毎年、夏休みで一時帰国する度に、文部省の体育局長、日本体育学会(会長・副会長)、日本体育協会の競技力向上委員会(強化委員長、他)、スポーツ医科学研究所長、JOC理事強化担当者が集って開く、米国のスポーツ、競技スポーツの現状報告会に米国の大学の現場業務に直接携わる日本人として協力をさせられていました。

報告会に出席されているのはオーソリテイーと呼ばれている日本の体育、スポーツ、競技スポーツ、大学の代表者の方々でしたが、小生の講演、報告は何処か別世界の話であるように聞こえていた方もいらしたようでした。毎回出席されていたので新しい知識だけは持ち帰ろうと考えていたようでした。

当時、その席で文部省の柳川覚治体育局長(後、参議院員、自民党)には、「日本体育協会」は、間違った表記であり、「日本スポーツ協会、日本競技スポーツ協会」が適切であると毎回進言させて頂きました記憶が蘇ります。そして「日本スポーツ協会」と改名したのは昨年です。看板の取り換えには、半世紀の歳月を要しました

此れが日本のスポーツ・アドミニストレイションの実体と現実であると申し上げて過言でありません。体育(Physical Education)と競技スポーツ(Athletic Sports)の本質が対極にあり異なるという事を教育者、指導者、経営者、管理者が混同してしまって、ミスリードされている為に国民、社会では体育が競技スポーツ、競技スポーツは体育であると長年思い込んでキャリーしているのが問題であると思います

NCAAに加盟している大学は、約1275(2005年当時全米50州中)で加盟校はⅠ部校、Ⅱ部校、Ⅲ部校に区分されています。但し、マスメデイアで報道される大学は、殆どがⅠ部校のフットボール、バスケットボールの強豪校であり、一部のアカデミックな伝統校でもあります。本組織・団体は、1905年に設立され当時既に800校が加盟し競技スポーツがNCAAのルール(規則、罰則)の下で行われていた歴史があります。この時期日本に於いては、まだ大学と言う名称はほとんど無く、教育機関での余暇活動と称されていた明治時代です。現在日本の関係者達は、NCAAを語るに当たり約100年の歴史の差異がある事に気付いていないのかも知れません。

④女子学生選手がNCAAに登録

女子の大学競技スポーツは、1971年までNCAAに加盟参加できませんでした。1972年に男女平等な教育を受ける権利の法律(タイトルナインⅨ)が施行され、スポーツに於いても女子選手が男子と同じNCAAのルールに基づいた同等な権利を獲得したのです。本法律は、当時のニクソン大統領により署名され当時の大学キャンパスはもうお祭り騒ぎで在った事を筆者はキャンパスに居て強烈に肌で感じていました。

米国に於いては、この当時まで女性に対する差別があったのです。1972年よりNCAAに各大学の女子競技種目及び女子学生選手が登録可能となり、全米大学選手権を毎年争う事になったのです

NCAAに加盟登録できる競技スポーツ種目及びその数は、男女ともに決められています。オリンピック競技スポーツ種目に入っているからと言って、登録が認められるわけではないのです例えば、日本で注目されているような女子のレスリング、女子柔道の種目は、スポーツ大国の米国であってもNCAAの種目として認められていませんので大学にはありません此れには、明快な根拠があるからです。このような事実は、日本のスポーツマスメデイアに於いて一切報道、情報公開がなされていないのも不思議な気がしてなりませんが、読者の皆さんもそう思われませんか。何か報道するとまずい事でもあるのでフィルターを掛けて報道を控えているのでしょうか。

⑤米国の競技スポーツはシーズン制

米国の大学競技スポーツ(中学、高校、プロも同様)は、シーズン制を形成し男女共に新学期を迎える秋、冬、そして春の学期に終了するプログラムとスケジュールに成っております。簡単に言えばこの3シーズン中に各競技スポーツ種目は、全米大学選手権(NCAAチャンピオンシップ)を最後にそのシーズンを終了するのです。日本の競技スポーツのように幼い頃から一つの競技スポーツを365日行っているわけでありません

このシーズン制のメリットは、シーズンの異なる複数の競技種目に出場が許可されている事です。これにより個々の子供達、生徒、学生選手は、異なるシーズンの異なる種目から競技スポーツ選手として必要な身体能力の基礎を養い、バランスの取れた競技者に自然に成長して行くのです。また、もう一つの大きなメリットは、幼いころからの偏った競技種目を選択する事で、個々の得意な(秀でた)才能を潰す可能性が高くなる事です。複数の競技スポーツを経験、体験する事で最終的にその生徒、学生選手に取って一番興味がある、秀でた競技スポーツを選択できる事です。そして、最後に選択した競技スポーツは、それまでの複数の異なる競技スポーツで得た身体力、知識、経験の全てが最終的に競技者としての強い土台を形成するのです

日本に於いては、幼いころから同じ競技スポーツを1年中行わされています。これは、スポーツ医科学的観点からも身体的には偏ったアンバランスを生み、傷害、障害のリスクが増大するのです。また精神的には、バーンナウト(燃え尽き)症候群を起こし興味を失う可能性が非常に高い事です。

そして、此の最大の問題は、他の競技スポーツであれば個々の秀でた才能により発展する可能性を持った生徒、学生選手が居ても競技種目を変更できない伝統的な縛りが存在している事です仮に、日本に於いて、今日社会問題となっている不祥事、暴力、は、シーズンスポーツ制度を採用する事により指導者の不祥事、暴力は、激減する可能性を秘めています。何故ならば、そのような不祥事、暴力を行う指導者及びその種目には、子供達、父母が興味を失い参加しなくなる可能性が高くなるからです。

★重要案件

大学の経営者、指導者、運営・管理者の現在の雇用制度が日米に於いて大きく異なる事です国内の不合理、矛盾、不祥事を改善する為には、大学の教職員、競技スポーツ指導者、運営・管理者、経営者の雇用体制を現雇用体制から「契約雇用体制」に改める事です。筆者の経験から申し上げますと、これにより現場に於ける不祥事、暴力、ハラスメント、等の犯罪的行為は、間違いなく激減します。何故ならば、契約雇用制度に改められると、契約違反者に対しては、次回の契約更新がされない可能性が高く、また汚点雇用履歴では、他の雇用先は契約を拒否する可能性が高くなるからです。これにより、雇用制度の改善は、不祥事、暴力、等への抑止力となります。

また、この他にも大きなメリットがあるのです。それは、教育の現場、競技スポーツの現場に於いても教員、指導者の競争が激しくなり資質の向上が間違いなく起きる事です。これは、学生、学生選手を第一に考えるならば、大学教学、経営法人に於いてもこれ以上ない好循環を与えるのです。

何故、日本の教育機関の経営者、管理者、教育者達は、気付かないのでしょうか。気付いていても、これらの制度は、自らに不利益を与えると考えているのかも知れません。制度改革なくして我が国の教育、指導、競技スポーツに明るい未来無し、とは言い過ぎでしょうか。

このような問題の指摘、改善、改革の声が上がらない理由も、個々の利害、利権を最優先する温床からかも知れません。即ち、組織・団体・機関の関係者達は、無責任体質、体制が何よりも居心地が良いのかも知れません。我が国は、スポーツ・アドミニストレイションに対する知識・認識とその重要性を教育の現場に於いて指導する事が急務であり、次世代を担う若者達にスポーツ・アドミニストレイターの必要性と重要性を付与して頂きたく願う次第です。 

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 お知らせ:

この度のNO.99前編は、如何でしたでしょうか。インターミッションとして考えていましたが、息つくどころか肩の凝る深刻な問題、視点を提供してしまいました。悪しからず。本テーマは、一応前編、中編、後編に分けて掲載させて頂く予定です。本テーマの次回の中編では、また新たな知識と世界が広がれば幸いです。本原稿は、世界15カ国の多くの読者の方々にも同時に配信されています。読者の皆様もグローバルな世界の一員として本原稿を通じて繋がっています。

 

K’sファイルNO.98:今日のスポーツ電通の礎 84ロス五輪とは!

K’sファイルNO.98:今日のスポーツ電通の礎 84ロス五輪とは!

無断転載禁止  注:K'sファイルは、毎週木曜日掲載予定

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読者からの便り~

河田様

毎週楽しみに拝読させて頂いています。奥が深いです。今回のNO.97の「彼一人では、何も出来ない事を百も承知であったようです。」の文章が、一番印象に残りました。いつもありがとうございます。

河田先生

毎回貴重な先生の実践された知的財産を我々に無料で提供して下さり誠に有難うございます。書籍にされて有料で発刊された方が読者には、ありがたみが判るのではないでしょうか。書店に出ています書籍と全く迫力も価値が異なります。凄いです。社内に於いては、伝説の大先輩の当時の様子がこんなにリアルに解説して下さり感激しております。本ファイルの存在を教えて下さった社友には、感謝以外に表現が出て来ません。ファイルは、何ものにも代え難い財産です。このような貴重なドキュメントを拝読させて頂き感謝を込めてご無礼を承知でメールを出させて頂きました。有難うございます。社内の仲間に1日1人伝えています。河田スポーツ実践塾が必要かとそして塾生にと勝手に夢見ています。

第四弾:84ロス五輪プロゼクトの最終交渉

1.電通ロス支局は最強の最前線基地だった

①ロス支局員の過酷な対応とご苦労

電通P・ユベロス氏への接近計画は、当時本プロゼクトが企画・遂行される前から現地ロサンゼルスの電通支局がその最前線基地となっており、当時の支局幹部、他現地スタッフの方々は、戦場さながらであったと容易に想像できます。

その最大の任務は、本プロゼクトに関するあらゆる情報の収集、およびその情報の裏取り作業と整理、そして分析が連日連夜遂行されていたと思われますさらに分析された情報は、デイリーレポートで東京築地電通本社の企画本部に打電。そこから指示待ち、再度情報収集と裏取り、分析、レポートと繰り返し続く作業は、24時間(時差もあり)夜を徹する事も日常茶飯事、それはまさに戦場そのものであったと思います。

電通支局には、東京本社のあらゆるグループ、部署のプロデユーサーレベルから役員の方々まで情報取りや返信にも対応しなければならず、どの部署の誰にどこまでのレベルの情報を入れるかの選別も大変神経を尖らせた事と察します。もちろん、このプロゼクト以外にも多くの通常のプロゼクト活動、リサーチ、情報活動、電通本社の役員クラスのロス訪問に際しての送迎案内、等とあらゆる業務も並行してありました。このような有能なロス電通のスタッフの方々の能動的な血のにじむような業務と努力が在って、本プロゼクトが完成されたのだと思います。

まさにこの支局の有能な方々は、服部庸一氏、ジミー・福崎氏にとって掛け替えのない戦場での戦友そのものだったと思われます。本ロス支局も現地での本プロゼクト遂行に関しては、服部氏、ジミー・福崎氏のアドバイス、指示を真摯に受け止め、支援する事が組織のコンセンサツと成っていたので、何の疑いもなかった筈です。また、服部氏の支局員への配慮、気配りが現地に於いても当時此処かしこと散りばめられていた記憶が蘇ります。

同支局のスタッフ達は、築地電通本社の社員として鍛えられていたので、ロス支局に於いても日本流の夜討ち朝駆けの態勢で情報収集、アレンジメント、コンタクト、コーデイネート作業がなされたのです。これらの実務は、アメリカ人には信じられない戦略、行動力と作業プロゼクトに沿った形で、遂行されたのです。支局員達は、アグレッシブという表現を遥かに超えた攻撃的な性格の方々であったことが強く印象に残っています。支局は、限られたマンパワーの中での業務であったので、米国のビジネスマン達には考えられない個人のプライベートタイムを略奪した、会社、企業の業務に徹した姿はこれぞ日本人の外地に於ける企業戦士の戦場そのものであったように記憶しています

②P・ユベロス氏と服部、ジミー氏の会談の後

フレッド・和田氏の仲介の後、いよいよ電通プロゼクトテイームは、服部氏、ジミー氏、そしてサポーテイブなロス電通支局員と力を合わせ、現地最前線の作業部隊として戦闘を開始したのです。また、P・ユベロス氏も、その後LAOOCの立ち上げ後、組織の強化構築と多忙を極めながらも、電通の作業部会との時間取り、エネルギーを費やす重要な時間帯を共有したと思われます

LAOOCは、全ての権限が会長のP・ユベロス氏に集約されていて、組織の各セクションのマネージメント体制の統括管理責任者であり、全ての指揮管理系統の頂点となっているのでまさに同氏は84ロス五輪のイグゼクテイブスポーツ・アドミニストレーターと申し上げて過言ではありませんでした。

しかし、日本の会社、企業のビジネスマンと異なる点は、ユベロス氏は常にビジネスとリラクゼーションとのオンとオフのバランスを取るのが大変上手く、多忙の中に置いても必ず趣味のゴルフには出かけていましたこのアメリカ人特有なビジネス・ライフスタイルと日本人のそれとの違いは、日本人ビジネスマンをいら立たせ築地電通本社からの信じられない程のストレスがロス電通支局を直撃し、限られたマンパーワーと人材で無理難題を処理、解決するには限界に達していたに違いありません。

先ずは、ユベロス氏のスケジュールから如何にして電通タイム(電通とのビジネスミーテイングに割ける時間)を確保できるかは、至難を極めた事と思われます。日本人スタイルのビジネスマンの夜討ち朝駆けは、アメリカ人には通用しません。それでは、如何にしてビジネスアワーにビジネスタイムを確保できるかが、米国に於いてはビジネスの成否の分かれ目となるのです。

そこで電通ロス支局は、ユベロス氏の一日のスケジュールの情報を克明にリサーチ、如何にしてその隙間を確保できるかに日々神経を尖らせたことでしょう。ユベロス氏は、必ず息抜きの為にファミリータイム、ソーシャルタイム、フレンドシップタイム、リラクゼーションタイムの時間を確保しています。そこで彼のゴルフタイムに狙いを定めたのでした。

③ビジネス・ミーテイング会場と化したCC

ユベロス氏は、ロサンゼルス近郊の名門ゴルフクラブのメンバーであり、特にその中でも超名門コースのロサンゼルス・カントリークラブLos Angeles Country Club)、ベル・エアー・カントリークラブ(BelAir Country Club)リビエラ・カントリークラブRiviera Country Club)が、お気に入りであったことが確認されました。

とりわけロサンゼルスCCは、メンバー以外の出入りが非常に厳しく(元大統領のレーガン氏もメンバーと聞き及んでいました)制限されるクラブで在り、そのため、ユベロス氏のお気に入りで一番よく使用するベル・エアーCCに狙いを定めたのでした。ベル・エアーCCは、市内の超高級住宅街のビバリーヒルズ、ベル・エアーと代表的な超高級注宅地域の一画にあります。場所は、WEST WOODエストウッドのUCLAキャンパスの裏山がこのベル・エアー地域なのです。

筆者の余談話

丁度、此処には、筆者の親友の家族がその山頂付近に豪邸を構えていたため、私には付近の様子が手に取るようにわかりました。この地域は大変詳しかったのです。ベル・エアーCCについても、プレシテイージの高いゴルフクラブでありますが、幸い、私は、本CCで何度も別の親友の米国人とプレーしていましたので、こちらも精通していたと言えると思います。

本クラブのコースは、超有名なホールが在り、それはインの10番ホール、パー3のショートホールで距離200ヤード、鋭い深い谷越えが名物ホールです。私もいつもプレッシャーを受けてプレーしていました。私の親友は、このホールをいつもスキップしてプレーせずにカートで次の11番に向かっていました。

その理由を会食時に訊ねると「waste of ballボールが無駄」と頭からあきらめの境地でした。このベル・エアーCCの特徴は、カート使用も可能ですが、プレーヤーにはそれぞれ若い男性キャデイーが付いてバックを担いでくれ、コースガイドもやってくれる大変記憶に残るゴルフクラブです。殆どの米国の名門クラブは、リクエストすれば男性の個人キャデイーが付いてくれます。また、名門クラブのメンバーは、他州の名門コースのTタイム(スタート時間)も予約できます。双方のメンバーにはメリットがあり、至れり尽くせりとなっています。

P・ユベロス氏をベル・エアーCCでの待ち伏せ作戦

ジミー・福崎氏は、日系米国人で電通側に立ち、米国流のビジネスコンセプトと服部氏(電通)の日本流なビジネスコンセプトを十分に心得たうえで戦略を組み立てられていたのには敬意を表します。

彼はユベロス氏に近付き、権利獲得へと電通を導き、そして今日に至るまで世界にスポーツ・ビジネス「電通」の名をとどろかせた、電通に取ってはかけがえのない人物でした。服部氏が他の日本人ビジネスマンと異なる所は、信頼するジミー氏にキーを預けて相手とのネゴシエーションを任せる所でした

米国人と交渉事を行うに当たり、多くの日本人経営者、ビジネスマンの最大の問題と弱点は、ジミー氏のような立場の人を雇っているにも関わらず、日本人独特のやり方を通すことで、折角のビジネスチャンスを潰してしまう、即ち幕開けから幕閉じまで自分でやらねば気が済まない性格から重箱の隅をつつくような事をやらかす欠点があるのです。その点、服部氏は、度量の大きな人物でした。

このような日本の伝統的な経営、運営、管理手法では、管理者、指導者の能力以上の成果・結果を期待できない事です。即ち、真のトータルマネージメント(スポーツ・アドミニストレイション)が何たるかを理解できていない証しであります。自分の権益を犯すかもしれない人材は、育てない置かないが伝統的な日本の経営、運営、指導、管理者であり、スポーツ先進諸国のそれとは真逆なのです。

ジミー・福崎氏の事は、全く業界においても社会においても伏せられてきました。電通内部に於いても本プロゼクトの部門及び関係部署の人間以外は知るよしもなく、服部庸一氏の名前は知っていてもジミー・福崎氏の名は何故か外部に対しては誰もが語ろうとはしませんでした。これは、日本の伝統的な社会、組織の雇用体質の慣習と知恵の一つなのかも知れません。日本人には、良い意味での不思議な美徳、美学がある事を初めて認識した次第です。しかし、私は、このような組織内の伝統的な慣習はアンフェアーな評価と扱いでないかと思われてなりません。

服部氏とジミー氏は、ベル・エアーCCP・ユベロス氏のゴルフプレー終了を待ちかまえ、クラブハウス内に潜り込んでのミーテイングを繰り返し行ったものと想像できます。勿論、ユベロス氏のLAOOCオフィスのミーテイングルームに於いても、またある時は、ダウンタウンのホテル会議室に於いて話が積み重ねて行われていったのです。

2.契約内容の詰めから実務作業へ

本社での実務作業が開始

その結果、契約書に盛り込む骨子が固まって行きました。此れにより契約内容の骨子は、事務的な修正、訂正、加筆等と事務的作業がメインとなり作業部門、法務部門に引き継がれました。そして、服部・ジミー部隊は、その後大きな調整事項に付いてのみP・ユベロス氏と直接交渉を行い、それ以外の業務は、LAOOCから得た全ての知的財産権利を今度は築地電通本社内の各専門部門、部署の営業、企画、デザイン、企業へのプレゼンテイション、等に於いて現実的な商品化作業が行われ、各カテゴリーのスポンサー企業に対するセールスを遂行する重要な工程に入って行ったのです。

LAOOCから得た権利を最大限有効活用する為には、一業種一社に絞り込む為に各商品のカテゴリーの各業種を確定するに当たっての選考基準、一業種一社に対する分担金の割り振り、等との駆け引き交渉作業が各担当部門間に於いて開始されたのです。その結果84ロサンゼルス・オリンピック大会での一番最初に決まった一業種一社の会社・企業は、事務機器メーカーでブラザー電子タイプライターだったのです。それは、ブラザー工業が世界に市場を求めているタイミングでもあったためです。一業種一社が確定した後、我も我もと民間企業が参戦の意思を電通に表し、まさにバブル経済期に相応しいスポンサーシップの集まりでした。此処にP・ユベロス氏の狙いの矢は、的を射たのです筆者も本タイプライターを長年愛用しましたので当時のタイプライターでは、大変斬新で使いやすかったのを記憶しております。

3.新たなスポーツ・ビジネスの開拓を求めて参戦

筆者は、ジミー・福崎氏が陰の人間としての功労者で在った事をよく存じて居たので本連載の此処にご紹介させて頂きましたまた、この電通は、ロス大会プロゼクトと並行して進めていましたワールドカップサッカー(略:WCS)の権利略奪計画がもたつき前進しないため、本社司令部はロス五輪で結果を出した服部、J.福崎コンビの参戦に舵を切ったのです。これも本ロス五輪の権利獲得の成功による「人間関係の絆と信頼」の遺産が大きな原動力となり次なる大きなプロゼクトへと踏み出して行くのです。本WCサッカー権利略奪計画に付きましては、機会が在りましたら改めてご紹介させて頂きます。これから始まる電通のスポーツビジネスの世界戦略は、この84ロス五輪の成功と成果が基盤となり、ご紹介させて頂きました服部庸一氏とジミー福崎氏コンビがその礎を構築した事をお伝えさせて頂きました。

電通内部では、当時服部庸一氏の部門、部署ではなく、他の関係部署で業務をされていた方々が、今日、私が電通で「オリンピックビジネス」を「サッカービジネス」を「世界陸上ビジネス」をやったと公言されるケースが多々あるようですが、その方々は、当時業務に関係はされていてもキーマンではありませんでした。キーマンは誰であったのかは、実務の様子を木陰で見守っていたフェアーな眼差しの持ち主が必ず居た事です。それは、誰が語らずとも事実、真実は時間と共に歴史が語ってくれる事になるのではないでしょうか。漁夫の利を得たそのような方々については、ご自身の胸に手を当てると一番よくご存知ではないかと思います。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the Sport

お知らせ:次回Ksファイルは、多分読者の皆さんが何故筆者はこれほどまでに米国に於いて本件に関わる人間関係、行動範囲を持ち得ているのか、との素朴な疑問をお持ちのようですので本テーマを終了する前にインターミッション的に余談話を付け加えさせて頂く事により、その謎が解けるのではないかと思い掲載する予定です。

K'sファイルNO.97:今日のスポーツ電通の礎 84ロス五輪とは!

K'sファイルNO.97今日のスポーツ電通の礎 84ロス五輪とは!

無断転載禁止          注:K'sファイルは、毎週木曜日掲載予定

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第三弾:電通の仕事人と陰の人

1.電通84ロス五輪プロゼクトとその仕掛け

①今日のスポーツ電通を築いた真の侍達

それまで縁もゆかりも無かったP・ユベロス氏(LAOOC会長)に電通は、如何にして接触できたのかに付いて、読者の皆さんの興味にお応えしなければなりません。元来、電通84ロス五輪組織委員会・会長のP・ユベロス氏との間には、何の接点も関係も持ち合わせていなかった事に付いてKsファイルNO.96で触れました。よって、本プロゼクトの作業は、電通側に取っても白紙からのスタートで在ったと申し上げて過言でありません。

先ず電通側の本プロゼクトの最前線の責任者であり、プロデユーサーは、服部庸一氏で在りました。服部氏は、本企画プロゼクトの責任者に突然なった訳ではありません。同氏は、此処に至るまでの長い実践キャリアと実績がありました。

服部氏は、音楽の才能が豊かで、プロ顔負けの声量の持ち主で在ったとうかがって言います。大学時代から仲間たちとジャズバンドを結成、演奏活動をしていた事の紹介は以前ご紹介申し上げた記憶があります。そして、この戦後間もない時代彼はジャズバンド(名称:ハワイアンバンド)によってその後の人生と人間関係を広める大きなツールとなるのです。当時バンド時代には、座間の進駐軍(米軍キャンプ)にまで出かけて行って演奏活動をしていたようですが、そこで駐留兵士達のために、米国本土からタレント、歌手達を招聘するプロデユースを担当をしていた日系人と出会います。この出会いが、服部氏の将来に大きな変化と世界の扉を開ける事になるとは、勿論当時は本人も想像もできなかった事でしょう。この出来事を読者の皆さんは、是非記憶して置いて下さい。

その後、服部氏は、縁あって電通に就職します。そこで彼はまた、趣味で在り得意の音楽で水を得た魚の如く、道を切り開いて行くのです。此処では、筆者が音楽界及びその知識には疎いため、音楽事業における功績は割愛させて頂きます。しかし、彼のキャリアの中でも筆者が輝かしいと思ったのは、大阪万博や沖縄海洋博でプロデユーサーを手掛けられ、成功を収められた事ですこのような話題になりますと、服部氏と夜が更けるのを忘れてロスのホテルで話し込んだ懐かしい記憶が蘇ります。

服部氏は、当時の一部電通社員特有な傲慢で誰に対しても上から目線の社員とは異なり、人当たりが素晴らしくよく、ソフトで、人の話に耳も傾けるタイプでした。特に彼の経験の少ないスポーツ界の話題には、ことのほか好奇心が旺盛な方でありました。私の個人的な印象では、本当に電通の方とは思えない程、物腰が低く温和な雰囲気の方でした。しかし、時々見せる鋭い眼光の奥からは、この世界で生きる人間特有の鼓動が透けて聞こえてくるのを肌で感じ取れました

大先輩に対して大変僭越ですが、私は同氏と即意気投合して何十年も昔からの信頼できる友人のような親しみを覚えた記憶が今も色濃く残っております。多分当時、P・ユベロス氏との契約の見通しにメドが付き、あの日はホッとされた夜だったのかも知れません。勿論、彼の成功には、電通という巨大な看板が後ろ盾となっていた事も事実でした。

2.電通最前線部隊の存在とアグレッシブな行動力

①ジミー・福崎氏の存在と人柄

服部氏については、如何に実績のある辣腕プロデユーサーと云えどもそれは日本国内での事であり、彼一人では、何も出来ない事を百も承知であったようです。

そこで、彼は、学生時代から旧知の中であった、そして当時は座間キャンプからロサンゼルスに戻っていたジミー・福崎氏にコンタクトしたのです。そこでの服部氏の福崎氏への期待は、何とかしてLAOOC会長のP・ユベロス氏に服部氏自身が直接会える可能性を模索し、そしてその方法、手段を探すことを頼み込んだ様です。

服部氏の側でいつも同席し、物静かに含み笑いを浮かべている長身の日系人のおじさんがいつも座っていたのが先ず大変印象的でした。何も知らない観光客がその光景を見たなら、ホテルのロビーの片隅で東洋系マフィアのボスに寄り添うボデイーガードと誤解されそうな光景でした。そのおじさんこそが、今日世界のスポーツ電通をゆるぎない礎を構築した服部氏の陰で心血を注いだ日系二世のジミー・福崎氏であったのですジミー・福崎氏は、電通の本プロゼクトの担当責任者の服部庸一氏と一心同体で、P・ユベロス氏に如何にして服部氏を会わせる事ができるかのリサーチから始めた人物です。ここで、本論に突入する前にジミー氏と服部氏(電通)の関係に付いて先ずは、整理をして置きましょう。これは、当時私がロサンゼルスでお会いしたころに彼らから教えて頂いた記憶を基にご紹介させて頂きます。

このジミー氏なくしては、如何に辣腕の服部氏でもこのBIGスポーツ・ビジネスプロゼクトをまとめ上げる事は、不可能に近かったと私は、今もそう確信しています。服部氏は、どこでこのジミー氏と出会ったのかと不思議でしたので、ある日、ジミー氏が休日にロスの私邸に招いて下さった時にお茶を頂きながら雑談の中でストレートにお聞きしました。それは、何とあの座間の進駐軍の駐留兵士への慰問招聘のマネージメントをしていた時に服部さんのジャズバンドとの出会いから始まった事が判り、漸く点が線で繋がった訳です。

②服部庸一氏の人柄

以前にも述べましたが、服部氏は、電通人とは全く異なるタイプでしたので最初の出会いから大変好感を持ちましたが、ジミー氏の話を聞くにつけて、彼の人柄と温かさ、そして責任感とまるで電通人のイメージとは対極の人物であったことを確信しました。彼は、決して私に対しても見下した言動態度を取らず、高圧的で肩で風切る仕種もしない本当に優しい方でした。

このような事を十二分に理解しているジミー氏は、服部氏には全幅の信頼を寄せ、服部氏も電通という組織から外部に位置するジミー氏を最後の最後まで守られている様子が服部氏の言動からも見て取れました。このように服部・ジミー福崎コンビは、お互いにリスペクトし合い、厚い信頼と強い絆が在って、一大プロゼクトに挑んでいたのだとも思います。

服部氏は、丁度私が西武・国土計画でお世話になっていた時に出会った当時の西武ライオンズ監督、根本陸男氏に風貌、物腰、言葉使い、眼差しと大変酷似していたところもありました。しかし、根本氏の問題の処理、解決方法は、服部氏と比べると異質でした。勿論、人間として本質的な部分は、生まれも育ちも人間関係も異なりますので、あくまでも表面的な部分が似ていると申し上げます。

③ジミー・福崎氏の人となりと立ち位置

筆者は、ジミー・福崎氏の事はロスの日系人コミュニテイーのスポークスマン達から事前に知識を頂いていましたので、お会いする前にある程度のイメージは整っていたと思います。

それは、ロス日系社会には、古き良き親友達が沢山いますので、必要な情報には事欠きませんでした。ジミー・福崎氏は、日本人気質をよく理解し、日本流のビジネスコンセプトを理解していた方でした。彼は、最初は電通の本プロゼクトの責任者であった服部庸一氏の通訳として、次にコーデイネーター(調整役)として、そして遂にはネゴシエーター(交渉人)として電通側の立ち位置で服部氏の分身として活躍された重要な役割を担った中心人物の1人です。即ち、服部氏のシャドーマンの存在だったのです。その証として、ジミー氏の存在は殆ど今日も本件に関して電通内に置いても、ましてや外部に置いて語られることなど耳にしたことがありませんでした。

服部氏は、米国人が同席する場所では一度も英語での会話を聞いたことはありませんでした。同氏は、米国人との会話に於いてもジミー氏が丁重に通訳をされていました。勿論、挨拶時には、こんにちは、有難う。またお会いしましょう。等は、英語で会話されていたのを記憶しております。

服部庸一氏を電通の本プロゼクトの仕掛け人としますとこのジミー・福崎氏は常に側に居て陰で支える参謀とあえて申し上げる事に致します。この二人の関係は、後の私の東京読売巨人軍時代の長嶋茂雄氏と小生の関係とは、最終的には異なっていたように思います

ジミー氏は、服部氏をP・ユベロス氏に会わせる為のアレンジメント、そして交渉、契約と完璧な黒子に徹した人物でした。私がこの方に初めて会ったのは、LAOOC電通の間で略交渉、契約の見通しが付いた頃であったと記憶しています。彼のロスのご自宅に招かれ、休日に美味しいお茶を頂きながら数々の世間話をして下さった事は、その後の私の人生にどれ程貴重で価値ある財産になったか計り知れませんし、今も深く感謝申し上げております。

3.日系二世の重要な後ろ盾が橋渡しを

①勝負の切り札的な人物を味方に

ジミー・福崎氏は、服部氏から依頼を受けた当時、P・ユベロス氏とは、何の面識も関係も無くしばし努力はするが確信は持てなかったようでした。 

しかし、彼は、LAOOCのメンバーの中に日系人オピニオンリーダー的存在でもあり、米国西海岸に於ける日系人社会の成功者の1人として、その社会では絶大な信頼と尊敬の念を持たれていたフレッド・勇・和田氏(日系2世)がいる事に気付いたのです

和田氏は、2世として数々の功績をご自身の血のにじむような努力で勝ち取られて来られた方でした。筆者と同氏とは、ロス日系人社会の著名なご家族と小生が親しかった関係で、パーテイーでご紹介を受け、それ以降何度か会食の機会をいただきました。お会いする度に若輩の小生に「頑張りなさい」と声を掛けていただき、苦労話や、日本人でありながらの日本人との人間関係の難しさ、日本のスポーツとの関わり、等を本当に親身になって指導下さりました。同氏に付きましては、また機会がありましたら、如何に素晴らしい人間味溢れる方であったかのエピソードをご紹介出来たらと思います。

このような事があった後に、私は、親友から「フレッドがP・ユベロス氏に電通を紹介してあげたんですよ」という話を伺ったので、服部氏、ジミー氏とその後お会いして話をお聞きする時には、何か不思議な人間関係や、ご縁の大事さを肌で感じずにはいられませんでした。勿論、服部、ジミー両氏は、小生が既に日系人から真の情報を得ていたと知る由もありませんでした。

ジミー氏は、服部氏からのたってのお願いを断る事はできず、どのようにして先ず自身がP・ユベロス氏に関する情報を収集するか、どうしたらフレッド・和田氏に近づき、親友服部氏の望みを伝え、協力が得られるかを、暫くの間、入念に思案したのでした。

ロサンゼルスの日系人コミュニテイーは、広域で当時は確かリトル東京日本文化会館を建設する話題と資金集めにコミュニテイーのリーダー達が心血を注ぎ活動し、着工していた時期であったと記憶しております。本コミュニテイーも日本の社会同様に幾つもの勢力、派閥が融合する社会を形成していますので、リーダーの1人の和田氏、親友ご家族からいろいろと巷の話をお聞きする事は、自身の見聞を広め、人間関係の難しさを学ぶ大切な機会となりました。

ジミー氏の結論は、日系人社会で確固たる実績を持たれ、日本のスポーツ界にも深く通じ、そして何よりもP・ユベロス氏の委員会の重鎮としても迎えられ、日系人である事から電通(服部庸一)を紹介してもらうのにフレッド・和田氏がうってつけの人物だと結論に至ったようです

 ②和田氏が電通を信頼したのはJ・福崎氏の努力の賜物

勿論、彼は、電通の為に一肌二肌脱ぐのでなく、自分に声を掛けてきた親友の服部庸一氏の為に、服部氏にクレデイットを得て欲しいがために引き受けたのだろうと、その後服部氏との強固な信頼の絆を目の当たりにしながら、肌で感じた次第です。

ジミー氏は、既に多くの日本人が失っている義理人情を大変大事にされているようでした。特に日系二世には、当時彼のような義理堅い道徳観念を両親から教育され日本人の誇りとして受け継いでいる方々が沢山いらっしゃいました。近年の我が国の政治家、スポーツ関係者には、是非日系二世の方々が大事にされている日本人のよき道徳観念を忘れないで欲しいと願う次第です

ようやくジミー氏の準備が整いました。和田氏のロス自宅を目して服部氏と向かいます。いよいよ戦略に沿った手順で電通ロス五輪プロゼクト(ロス電通支局)の最前線部隊が突入を敢行するのです。ジミー氏は、部隊の工作員として相手方の懐に入り、地ならしを完了していました。そのため、表の参謀が仁義を切りに訪問した時には、既にジミー氏から本件のイントロダクション(日本的には、根回し)は和田氏に伝わっており、当日は服部氏の挨拶、本論を確認した後、快くP・ユベロス氏にご紹介して下さることと相成ったのです。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the Sports

お知らせ:次回K'sファイルは、和田氏を味方に付けP・ユベロス氏への橋がかかり、双方の思惑が進行する中、新たなBIGプロゼクトに参戦しなければならない事態が発生するのです。