NO.16 河田弘道のプロ野球の視点:どうした東京読売巨人軍 無断転載禁止 

 

NO16 河田弘道プロ野球の視点:どうした東京読売巨人軍 

                                                                                                                   無断転載禁止

Ⅳ.ジャイアンツに於ける監督の位置付け:

 1.巨人軍監督の虚像と実像:

 人気商品としての監督業~

    東京読売巨人軍の親会社・企業は、読売新聞社でマスメデイアである事を既に紹介致しました。商品価値の高い商品は、人気と実力を兼ね備えた選手と栄光の巨人軍です。しかし、巨人軍は、もう一つ選手と同等以上に評価価値を認めているのが監督です。よって、経営者は、どうしても嘗て選手時代にジャイアンツでスター選手であった人物を歴代の監督に任命するのです。

    既に[ I ]で述べました、巨人軍創設以来モットーとして掲げて参っております「巨人軍は、紳士たれ」は、願いであり、「巨人軍は、純血たれ」の精神は、既に外国籍選手の導入により崩れ去りました。しかし、現在今なおこの「巨人軍は、純血たれ」を守り続けているのがこの監督業の位置です。これにより、古き良き時代のファン層をも固定客として維持、確保して来たのだと思われます。

     巨人軍の監督だけが勝つ事を求められているわけではありません。全ての競技スポーツは、勝利する事が最終のゴールと位置付けられているからです。

   一軍、二軍の監督がよく口にするのは、「若手を育てるには、勝ちながら育てる」とよく言っていますが、問題は、言うほど事は簡単でない事を理解できていないのです。これは、少しニューアンスも異なるのですが、「若手を育てるには、勝たせながら育てる」が正しい言い方でないかと思います。しかし、巨人軍には、この言葉に当てはまる監督が果して居ましたでしょうか。

 2.監督選考の実態:

 選考プロセスの矛盾~

    此処で大きな矛盾の一つは、親会社がマスメデイアである為にどうしても利用価値の高い人物、即ち選手時代から商品価値の高い元選手を監督にするのです。しかし、本球団経営者は、任命した監督が優れたマネージメント能力があるか否かの以前に、OBで有名人である事を最優先されます。

   東京読売ジャイアンツの監督は、客が呼べ、新聞の拡販に役立ち、グループの顔として、視聴率が稼げ、勝利する事は、当然の使命と考えられているのです。これらの期待と使命を背負わされた元スター選手の巨人軍監督は、監督としての必要で欠くべからざる能力が備わっているかどうかについては難しいところでしょう。

 選考の事情~

    現監督は、多分松井秀喜氏を期待していた結果の産物であったのでしょう(松井選手に付いては、次回の予定)。現監督は、現役選手であったのを突如巨人軍監督に据えられ、言わば(DH=指名打者)的な存在なのかも知れません。全くコーチ経験も無く、いきなりの起用は、本球団の監督選考に対する思考と特徴を計る一例でもあります。現役選手を望んでいた(マスコミコメントより)同選手を監督として同意させた理由は、別にあったのかもしれません。よって、本球団の監督選考の時点で、最高経営者は、テイーム、選手の現体制の育成、強化、向上から外れた視点で監督を任命しているわけです。

     通常メジャーリーグMLB)に於いては、球団GMが決定した後、GMが、現在のテイーム状況を精査、分析し、現段階のテイームをマネージメントできる人物を複数の候補者リストに挙げ、公平なインタビューを経て、最高経営者(オーナー)に推薦するのが業界の習慣です。最高経営者は、経営方針に沿った監督かどうかを確認し、任命、契約の運びとなります。監督契約は、GMの大きな責務の一つでもあります。よって、GMと監督は、一心同体であるべきなのです。

 3.例外的な人物の紹介:

 現有戦力で勝てる監督~

    例外も時としてあることを忘れてはなりません。例えば、中日ドラゴンズで監督をされて成功した落合博満氏です。私の私見から、同氏は、現在の日本プロ野球界でベースボールでなく、野球を一番よく熟知している1人でしょう。彼は、与えられた戦力でフィールドに於ける最高の成果と結果が出せる有能な人物です。

  私は、落合氏と巨人軍時代にベースボール・アドミニストレーターと選手の関係で3シーズンを共にしましたので彼の得意、不得意は承知しているつもりです。彼は、中日の監督としての職責を全うできた人物です。その根拠は、勝つ為に必要な選手の見極め、テイームに対するゲーム・マネージメント力、決断力は、ずば抜けた才能を発揮しました。

    巨人軍時代に彼との会話の中で強い印象が記憶に残っています。それは、丁度、桑田投手の問題で、1995年前半に同投手が怪我をして、それ以降試合に出られなかった、また、当時球団は、韓国から趙ソンミン投手を当時の編成部長氏と球団代表氏が確か8年契約で獲得していたのですが、身体的な問題が来日後に発覚し期待不可の決断を余儀なくされた結果、シーズンオフにガルベス投手を準備し、彼を春のキャンプでトライアウトを行って獲得した時でした。

  当時、落合選手とドームのダッグアウト裏のサロン控室でバッタリ会った時に、彼が私に「ガルベスを、何処で見つけてきたんですか。奴は、絶対に日本で一財産作って帰りますよ」と初めて、彼が私に口を開いて断言した事を今も鮮明に覚えています。彼のこの言葉には、何の他意も無かったと思います。

   私は、落合氏に対して「あなたは、眼力があるね。彼は、仕事が出来ると思ったので、年俸2500万円で獲得しました。あなたの年俸の何十分の一です」と笑顔で応えたのが昨日のようです。同年ガルベス投手は、確か初年度に16勝しメイクドラマに貢献してくれた主力投手でした。

     落合氏の一番不得手な分野は、コミュニケーションだと思います。彼は、中日球団でこの不得手な分野を持ちながら、見事な成果と結果を残したのです。

   彼の監督としての手腕は、与えられた戦力を最大限に引き出し、ゲーム・マネージメントを通して勝利に導く理想的な監督でした。

   彼が監督をした後を引き継ぐ監督は、正直お気の毒と申し上げます。その理由は、選手達は既にすり切れてしまっているので戦力として使える選手は、ごくわずかとなっていたのです。結果として、その後の高木氏は、テイームの戦力の十分な分析をせず監督を受託し、あのような無残な結果を持って、再度落合氏の手に戻ったわけです。

    この事からも落合氏が監督を行った後の球団は、戦力の再構築に伴う補強活動、メインテナンス、等、選手のみならずスタッフの入れ替えも重要なポイントでもあると思われます。よって、このタイプの監督は、選手を育てながら勝利を期待するタイプの指揮官、指導者ではないのです。勝ってもらう為の監督と申し上げた方が判りやすいかと思います。即ち、勝利をしてもらう為の最後の仕上げ(アンカー)の監督と説明した方が理解しやすいかと思います。

    この手法は、嘗て西武ライオンズの名将と呼ばれた森祇晶氏に酷似と私は評しています。当時森氏が通った跡(監督をした後)には、ぺんぺん草も生えない。との逸話が業界に残っているくらいです。落合氏の中日監督時代のコーチングスタッフは、この森氏の西武時代のスタッフ達であった事も落合監督の手法をよく理解できていたはずです。このBLOGの読者の皆さんなら既にお気付きのこととお察しします。

    監督退任後、彼が次にGMとして球団を引き受けられた時、「失敗して中日球団に禍根を残す」であろうと実は予想していました。何故なら、GMという職責には、多大なコミュニケーション力が求められるからです。彼は、何故一番不得手な職責、業務をあえて最高経営者に申し出たのでしょうか。

    これは、私の推論ですが、彼は、監督として復帰するには戦力が皆無であると考え、戦力が整うまで名代監督を立てる、或は、GMとして自身の能力を過信していたのかも知れません。同氏をGMに任命された最高経営者の決断に不可欠なキーワードになる情報が不足していたのでないかと私は、推測致しております。

    もしも、巨人軍の最高経営者が、現在のジャイアンツの戦力で成果と結果を求めるのであれば、OBでもある落合氏は、最適な監督であると思います。彼であれば、一部現場、フロントスタッフの入れ替えを行なえばこの戦力で十分勝つと思います。しかし、落合氏がマスメデイア受けしない事を最高経営者がどう思われるか。それは、名古屋で既に実証済みだからです。

    私は、96年の落合選手、清原選手の人事問題に関わった一人として、その事情から落合氏のジャイアンツ復帰の機会もあった(彼も巨人軍OBであり、有名な実力者)のでないかと思う一人です。

                       文責:河田弘道

                      Sportsアドミニストレーター

 

*次回Ⅴでは、「巨人軍の現場指導者は、何故自軍の選手を怒鳴り、非難するか。 もっとプロとして利口な指導スキルを身に付けなさい」、「プロ野球の指導者に何を求め期待するか」