K'sファイルNO.42:84ロス五輪の成功とそのキーワードPARTⅡ.無断転載禁止

K'sファイルNO.4284ロス五輪の成功とそのキーワードPARTⅡ.無断転載禁止

注:河田弘道は、オリンピックが日本で開催される事に大賛成です。しかし・・・

 

PARTⅡ.~84ロス五輪大会組織委員会・委員長の手法とその決断~

 粗筋―84ロス大会組織委員会の委員長は、選考基準の公開や、選考方法の事前告知を経て、応募者600名の中からフェアーな選考委員会(利害、利得を得る可能性の低い、その分野と社会からリスペクトされている人物)により選出されました。2020年東京大会の組織委員会・会長は、どのようにして選考されたかご存知ですか。少なくとも私は、存じ上げません。

東京大会組織委員会は、会長の選考方法も情報公開も国民、都民にはなされず、いつの間にか現人物が鎮座してしまったような記憶しかありません。

これを見ましても我が国は、グローバル化を声高に叫びながら実は伝統的な隠蔽と談合体質から抜け出せない悲しい現実が、21世紀の今日も尚、現存している事を理解して戴けたのでないかと思います。

 1984LAOOCP・ユベロス委員長の掲げた大義と勝利:

1.ユベロス氏の大義と信念とは、

P・ユベロス氏は、「このオリンピック大会開催では、アメリカ合衆国カリフォルニア州、ロサンゼルス市の公金である税金を1セントたりとも使わず、黒字化する」と委員長就任時に掲げ宣言したのです。

一方2020年東京大会・組織委員会・会長の森喜朗氏は、就任時に何を宣言されたか皆さんご存知ですか?

P・ユベロス氏の着眼点には、有名な言葉があります。それは、「オリンピックに必要なのは、競技場でなく、その競技場に何台のカメラを持ち込めるかだ」と断言したのです。

P・ユベロス氏の強烈なコンセプトとそのビジネス手法:

2.新しいスポーツ・ビジネスの理念と明快なコンセプトとは、

P・ユベロス氏のビジネスは、「権利=Right」を最大限生かす為の手段と方法に特徴を持ったのです。

そのコンセプトは、何かが「制限」されて初めてその「制限を制限すること」ができる。つまり「権利」の意味が生じることです。

権利が与えられても、権利を持たない者との区別がなければ、やはり意味はないのです。

権利の有無により区別が無いなら、なんとかして「差別化」を図って区別を作り出す事が必要であると考えたのです。

権利を持たない者に対しては、制限を強くする程、その「制限を免除される権利」自体の価値が高くなることは明白です。

誰もが使えると言うのは、誰にも使えないというのと同じに、その使用自体には価値が生じないのです。

権利の重要なポイントは、「権利」という商品は物理的に存在しないのです。

一般の商品とは性格が異なる点に着眼したのです。

「無体財産権」は、「知的財産権」とも呼ばれ、知的にしかその存在は認められないのです。その意味は、「権利=Right」の質、価値は、価格(お金)でしか評価できい」と言う事を実践して見せたのがユベロス氏なのです。即ち、スポーツに権利ビジネスを持ち込んだわけです。(以上、同氏のビジネスコンセプトより)

このようにP・ユベロス氏は、確りとした論理的なコンセプト基盤を持って実践された、いわゆる知的戦略、戦術家であったと思います。

ユベロス氏の着眼点―:

3.成功の秘訣とキーワードとは、

ユベロス氏は、「オリンピックに必要なものは、大きな競技場ではなく、問題は、その競技場に何台のテレビカメラを入れられるかだ」と断言したのです。

一つ目の着眼点-

彼の視点は、スポーツ・ビジネスを如何にして実践し、成果を出すかの徹底したコンセプトが伺えます。それは、オリンピック自体をテレビ放送用のスポーツ・エンターテイメントとして位置付け、放送権利の売買を行うビジネスの道を開拓したのです。

この大会以降、スポーツイベントの放送権料が右肩上がりを始めたのは、ユベロス氏の功罪のうちの罪の部分であるところです。

二つ目の着眼点-

スポンサーシップという形で民間資本を活用する事が、唯一の財源を確保する術であると位置づけた事です。そして、その為には、巨大な広告代理店(AdvertisingAgency)の協力とその活用方法に着目したのです。

重要項目の一つの民間企業から得るスポンサーシップに付いては、権利をより強固にするため、一業種一社制を取り入れた事です。これにより、スポンサー広告の価値はより効果的且つ、競争原理導入でより効果が高まる事を期待したのです。(例:車のスポンサーは、世界で一社のみ)

広告代理店には、ビジネス的な権利を与える代わりに、ロス大会を成功させるために必要最低限のギャランテイー(保証)方式を取り入れて、大会成功の財政的な基盤を確保する事でした。その為には、代理店を先ず選考、指名することを最優先としたのです。

ユベロス氏は、当時日本がバブル経済を迎え、日本企業がまさに海外にマーケット(市場)を求めている事を強く認識していました。そのため、ターゲットとして日本の広告代理店「電通」を心の底では期待していたのではと推測します。しかし、誰にも心中を明かさず、彼の賢さが伺えます。

そこへ、まんまと飛び込んでいったのが電通でした。P・ユベロス氏に直接、接触を求めて行ったわけです。(本件に付きましては、次回以降に予定)

 4.何故米国の広告代理店でなかったのか、

P・ユベロス氏と広告代理店電通との関係は、元々縁もゆかりもありませんでした。よって、ユベロス氏や物事は、最初から電通ありきで動き出したわけではなかったのです。

AE制度とは、

米国の広告代理店制度は、日本とは異なり非常に厳しい制度の下で成り立っている業界です。その最大の特徴は、米国の広告代理店は、AEAccount Executive)制度が法律によって守られており、即ち一業種一社制度の事なのです。一業種一社とは、一つの広告代理店が同じ業種の代理店になれない事を意味しています。例えば、A広告代理店がフォード社との代理店契約をした場合は、同じカテゴリーのトヨタ社の代理店にはなり得ない事を意味します。

つまり、米国の広告代理店ではスポンサーセールに於いて、ユベロス氏が考えるような競争原理を活用する事が出来なかったのです。それに比べて、日本の広告代理店は、AE制度がなく各広告代理店が一業種一社の枠を超えた、複数業種一社制度の日本の広告代理店が好都合であったのです。即ち、日本の広告代理店は、一社がトヨタ、ホンダ、日産、マツダ、鈴木、等と何社でも取り扱えるという意味です。

電通内部の葛藤、

電通内部に於いては、一枚岩で在った訳でなく電通組織の体制、体質から内部での競争、闘争は激しく、常に群雄割拠のなかで、やるかやられるかのパワーゲームが横行している戦略的な組織でもあるのです。

既に当時から米国に於いては、各競技スポーツのトップアスリートをかき集めたスポーツ・エイゼンシ―(IMG社:International Management Group)を立ち上げ活動し始めた時期であったのです。内部の別グループのプロデユーサーは、服部氏、ジミー氏の機先を制するが如く、このスポーツ代理店のCEO(最高経営者)をLAOOCP・ユベロス氏のネゴシエーター(交渉人)とするべく動き出したのです。

しかし、この動きの情報を既に察知したP・ユベロス氏は、電通IMGに対して“NO”と即答したのでIMGを前面にしようと策を弄したこのプロデユーサーの企画は、実現しませんでした。(後に本プロデユサーは、電通を離れて何故か体育学部のある大学に)。これにより今迄以上にユベロス氏と服部・ジミー氏との関係は絆を深め、服部氏は、社内の闘いを制していよいよ本格的な交渉へと駒を進めたのです。

5.LAOOC電通に与えた対価としての権利とは、

ユベロス氏は、さすが一筋縄では行かないビジネス・アドミニストレーターであり一流のネゴシエーター(交渉人)でもあったのです。ビジネス交渉が具体的に動き始めたのは、確か1979年秋ではなかったかと思われます。此れは、電通側の焦りが、プロのネゴシエーターであるユベロス氏の罠に入ってゆくことを意味します。(本件に付いても、次回以降に予定)

此処で付け加えますと、LAOOCの総責任者は、P・ユベロス氏であり、唯一の対電通に対するネゴシエーターでもあった事がこの人物の強烈な個性とパワーを感じさせる次第です。(此処が20年東京大会組織委員会の責任者とは、全く異なり、非常にアクテイブな政治家的実業家でした)

最終的に、ユベロス氏が電通側に権利の中身を手渡し、同意した内容は、以下の通りです。

1.公式マスコット、エンブレムを使ったライセンス権

2.公式スポンサーとサプライヤー

3.アニメ化権

4.入場券取り扱い権

以上が合意事項であり、放映権、入場料収入権は、与えられませんでした。此れもユベロス氏のしたたかなプロのネゴシエーターの一面だったと思います。

アクチュアル予算化の重要性、

ユベロス氏は、本大会委員長を受託した後、早速に手掛けたのが大会を成功させる為に必要な自身が掲げた大義を如何にクリアーするかでした。

それは、「公金は使わない、黒字にする」のハードルを越えなければ自身のコミットメントを解消できないことを十分に承知していたのです。そこで先ずは、予算を概算でなくアクチュアル(本当に必要)な数値を設定したのです。この数値(金額)目標を電通にコミットさせれば、その時点でユベロス氏の勝利となり、ゲームオーバーとなると試算して、対電通とのネゴシエーションに臨んだのです。

6.P・ユベロス氏のビジネスキャリアと頭脳センスの勝利、

ユベロス氏は、当時バブル期を迎えていた日本経済に目を付け、広告代理店をLAOOCの公式広告代理店に指名したのです。日本の広告代理店は、電通でした。何故博報堂、その他でなかったのか。(次回以降に予定)

GIVE&TAKEの結末

ユベロス氏と電通の間では、双方丁々発止のネゴシエーション(交渉)が積み重ねられ、最終的に、ユベロス委員長は、電通の提示に満足し、組織委員会LAOOC)は電通側のギャランテイー(保証)を担保し、リスクマネージメントを回避、スポーツ・ビジネスとしては、ここでユベロス氏の一大勝利となったのです。即ち、P・ユベロス氏が提示した権利(1,2,3,4)を電通に渡す対価としてLAOOCの赤字の可能性は、無くなった事です。

此れで、ロス大会開催前に大会予算は、電通により保証され、後は、黒字化を考えるだけとなったのです。

最後に黒字化の最大の要因は、ユベロス氏が最後まで電通側とのネゴシエーションから切り離して渡さなかった、TV放映権、及び入場料収入(テイケット収入)が彼の最後の国民、州民、市民に公約した黒字化の要因となったのです。

そして、本黒字となった財源(440億円)は、全てカリフォルニア州、ロサンゼルス市の社会厚生施設に還元されたのです。

以上「河田弘道のスポーツ・アドミニストレーション論:現代のスポーツ・ビジネスの巨大化原因とその歩み編より~」

我が国には、残念ながら2020年東京大会開催に於けるロードマップを完成できるスポーツ・アドミニストレーターが居なかった、という事ではないのでしょうか。

 文責:河田 弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 お知らせ次回NO.43は、何故電通P・ユベロス氏に近づけたのか、如何にして電通は、今日の世界のスポーツ・ビジネス(オリンピック、ワールドカップ・サッカー、世界陸上、等)を一手にできたのか、そこには、表の参謀と黒衣の参謀の戦士が居た。華やかな舞台裏には、何かが匂い、何かがうごめき、そこには必ずキーマンが居る。