K'sファイルNO.68:緊急連載 体操ニッポンの危機  無断転載禁止

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K'sファイルNO.68:緊急連載 体操ニッポンの危機  無断転載禁止     

 =  緊急連載 体操ニッポンの危機= (最終回)

 

第四弾:国のスポーツ政策、施策の貧困

 注:NO.68は、宮川紗江選手が記者会見で発言した「体操クラブの引き抜き」問題を取り上げます。体操ニッポンを支えています男女代表選手達は、体操クラブ、体操教室の出身者達です。体操ニッポンの危機は、今回を持ちまして最終回とさせて頂きます。長くなりましたがご笑読下されば幸いです。

 1.体操ニッポンを支える民間体操クラブの現実

①この度の問題の整理

この度起きた選手からの管理者、指導者に対する不信感の根源は、塚原光男、千恵子夫妻が本件の管理責任者である事への不満と不信にあると筆者は、推測します。

何故ならば、選手および、選手の所属先、指導者コーチ、そして保護者は、選手強化・育成において利害関係の当事者であり、公益財団法人日本体操協会(略:JGA)は、これまでその利害関係者達への十分な配慮、気配りを成さずに伝統的な運営、指導、管理を遂行して来たのでないかと推察するからです。

優秀で手塩に掛けて育てて来た選手が他のクラブへ一方的に移籍する行為が今なお横行する状況下、所属先の指導者、経営、運営、管理者の怒りがこの度、宮川選手に本論の暴力、パワハラ事件に絡めて持ち出させたと筆者は、客観的に捉えています。此れに類似した問題は、体操クラブ間のみならず、体操クラブと大学教育機関との間に於いても長年大きな問題となっているのも事実です。

この程筆者が最初に感じた問題点は、代表選手を招集したナショナルトレーニングセンター(略:NTC)での合宿中に、コーチの暴力の有無を確認するため、18歳の宮川選手を部屋に呼び、同選手の個人コーチの暴力の有無の確認をする為に呼び出した事です。

本件の問題点は、選手が18歳の未成年者である事、同選手は保護者の管理管轄下である事、同選手には個人のコーチが帯同している事、また同選手には所属クラブ或はそれに類する所属組織、団体が在って体操協会への登録もなされていることです。そして、そこに役職は異なるとは言え、男女強化本部総括副会長の塚原光男氏が同席した事です。このシチュエーション(状況下)は、まさに宮川選手にとってはアンフェアー(不公正、不公平)だと感じられたのだと思います。

もしも塚原千恵子女子強化本部長が日体大での教職経験以外に、一般社会、企業での社会経験をされていたならば、このようなシチュエーションの下での面談設定はしなかったかと思われます。何故ならば、各代表選手は日本体操協会の私物ではなく、各所属体操クラブ、教育機関、等からの代表者でもある事を理解できるからです。よって、日本体操協会を代表する指導者、管理者は、各代表選手に対する指導、管理をフェアーな立ち位置で対処しなければならない基本原則がそこにはあるからです。

つまり、NTCで宮川選手への面談(事情聴取)を行うなら専務理事や、事務局長、等の協会担当者が同席し、まだ18歳の宮川選手の保護者も同席する事により、フェアネスのバランスが維持されるのです。このような事実からも公益財団法人日本体操協会の運営、指導、管理は、未熟(immature)と言われても仕方のない競技スポーツ・組織、団体でないかと苦言を呈させて頂きます。読者の皆さんのご意見は、如何でしょうか。

本件の問題の起点は、体操協会の男女強化本部の総括が塚原光男副会長であり、塚原千恵子女子強化本部長とはご夫婦である事、そして、両氏が民間の体操クラブの代表者である事がスポーツ・アドミニストレーションの視点から申し上げますと非常に難しい誤解を招く元凶になっていると思われます。 此処で再度申し上げますと、女子強化本部長に対して日本体操協会は、常務理事職以外に女子強化本部長への業務委託内容の詳細が情報公開されていない事は、今後も大きな禍根を残す事になるかも知れません。

その重要なポントは、組織に於いて運営、指導、管理している関係者は如何にして、選手を含めた関係者の「フェアネス(公平、公正)」を維持するか、出来るかなのです。此れが保たれなければ、次には、二つ目の大きな問題となる「コミュニケーション」が維持、発展しなくなるのです。本件は、その最たる問題の証しであります。

②民間の体操クラブの出現と伝統的な指導法

此処で少し、日本体操界の歴史に付いて見てみたいと思います。1964年の東京五輪を終え、1970年代中盤から後半に入ると、米国の選手の力が世界に向けて駆け上がり出します。日本の体操関係者は、米国の躍進の原因と原動力を知りたがり、日本との違いを取り入れようとそれまでのヨーロッパ特にドイツ、そしてソ連に向けていた目を米国へと移し、興味を持ち始めた時期でもありました。

我が国の器械体操の指導は、伝統的に学校体育の授業がその起点となって来ていました。日本の体操選手の育成、指導方法は、元来ドイツ方式に偏っていたそれまでの思考が米国の合理的な経営、運営、指導、管理方式を取り入れる柔軟な思考に興味を持ちだしたのです。その方向に行かざるを得ない国内事情もそこには存在し、大きな要因となったと筆者は理解する次第です。

これからの体操選手の育成、指導は、今迄のような学校体育に頼る体操選手の育成、指導法でなく、米国式の体操クラブの普及がこれからは大事である事に気づき始めたのです。これは、丁度日本国内の体育の教員の就活が厳しくなり出した事情にも大きく関係しており、教職課程を取り体操競技部を卒業した後クラブへの就職に興味を持ち始めた時代でもあったと思われます。

器械体操の選手指導は、伝統的に小学校からの学校体育に於いて、体育の先生、指導者によりマット、跳び箱運動、倒立指導、振動系の鉄棒運動から始まります。中学校、高校に於いて初めて体育の先生、指導者の中の器械体操のスキルを持った経験者により、課外活動である器械体操部として初心者、中級者、上級者へと段階的な指導を積み重ね、最終的には競技大会に出場する為の演技の構成、指導をして行く大変な指導とエネルギーを必要とする競技スポーツなのです。

日本に於ける器械体操競技は、伝統的に男子6種目(床、鞍馬、跳馬、吊輪、平行棒、鉄棒)、女子4種目(床、跳馬平均台段違い平行棒)の総合得点で競うオールラウンド(全種目出場)選手のみを器械体操選手と認められて来たのです。

体操競技者と指導者の底辺

今日の男女代表選手は民間クラブ出身者

指導者による指導の特徴は、子供達とマンツーマンの指導が不可欠である事です。特殊な器具の使用と指導者の補助(怪我防止、スキル向上の為)が必要不可欠で、特に女子は、男性指導者、補助者無くしては技術の向上、強化が難しいのも特徴の一つです。男女差がこれほど大きな競技スポーツは、珍しいかも知れません。現実的には、学校体育の授業が中心であった時代から時代と共に指導者が激減し、競技スポーツの多様化もあり、子供達が体操に対する興味を低下させ、器械体操人口の低下も招いています。

今日では、子供達が家で壁に向かって倒立をして身内に見せる光景が無くなったのも、学校教育の中で体育の先生が体操の指導をしていない、出来ない教員が大多数である証でもあるのです。このような学校教育の現状と環境から、これに伴い私的クラブ(体操教室、体操クラブ)の普及は、器械体操競技の経験者が私的クラブの経営、指導を始めるようになったのが我が国の体操クラブの始まりであると思います。今後将来に於いて体操ニッポンの伝統を維持する為には、競技スポーツと同時に伝統芸能文化として、国の直接的な保護とサポートが必要不可欠な時期に来たように思われます。

④民間体操クラブの現状と問題

現在は、全国に約288の体操クラブが経営、運営され一般財団法人全日本ジュニアー体操クラブ連盟に加盟し、其のうち約122のクラブが競技に参加しているのが現状と思います。これは、丁度今日の水泳クラブの経営、指導、運営、管理を小型化した組織、団体と評した方が理解し易いかと思われます。読者の皆さんは、このような現状を初めて知ったのでないでしょうか。

本体操クラブの大半は、民間による体操教室、体操クラブ、体操スクール、体操センター等の名称で呼ばれています。中には、地方自治体の支援を受け場所の提供を受けたり、器具、施設の貸し出しを受けたりしているクラブもある事も事実です。大多数のクラブ、教室では、個人の投資、或はスポンサーの広告宣伝の一環として、また、企業の地域社会への還元の一環として補助金を受け乍ら経営をしているのがクラブの経営状況です。しかし、これらもごくわずかな投資と申し上げて於くのが適切かと思います。

依って大半のクラブ、教室は、子供達の授業料が主な財源であり、施設の管理費、諸経費、人件費、事務、医療、傷害保険、等々からしますと経営の余裕は無く、負債を抱えての苦しい経営を強いられているクラブ、教室が多く増えているのが現実の様です。

オリンピック大会に必要な時は、文科省スポーツ庁JOC、競技スポーツ諸団体は、このような零細クラブにより育てられた選手に公金を投入して選手のみを利用する大人達が、我が国のスポーツ・アドミニストレーションを貧困化している最大の要因であります。競技スポーツの国策、施策を根幹から改善、改革して行かなければ現在の場当的な付け焼刃では、スポーツが文化として根付かないのです。

この様な現状に於いて、経営者、指導者は、幼児からの体操を通しての指導に情熱を注がれているのです。この環境から、ごくわずかな子供達が体操選手への道が開かれて、初級、中級、上級、そしてS級へとの階段を昇って行くのです。S級の選手が誕生したその小さな体操教室、体操クラブでは、クラブの子供達、指導者達、経営者、父母会、講演会の宝であり、スーパースター、そのクラブのヒーローなのです。

この様にして町の体操教室、体操クラブからマスメデイアでとりあげられる体操選手が出現しますとクラブ、その地域、教育機関、クラブメンバー達は、大きな夢を抱き、関係者にとりましても目標ができポジテイブなモチベーションとなり、計り知れない恩恵に関係者一同が味わい、預かるのです。

⑤体操クラブ間の移籍問題

上記のような環境と状態にあるローカルなヒーローがある日突然に、他の体操クラブへの移籍を申し出たら、今迄所属し、手塩に掛けて育てた指導者、経営者、管理者の心境は、怒りとなり多分一般の社会人であっても、此の怒りが如何ほどのものか推測されるのではないでしょうか。そしてまだ幼い子供である事からも、保護者を含めた大人の強い意思とそれに対する防衛本能がそこに働いている事は間違いのないことであります。

多分、この度の「体操クラブ引き抜き問題」を記者会見の後半に宮川選手が発言した真意は、暴力指導、パワハラ管理のテーマを補強する為のツールとして、宮川選手の会見原稿に加味したのも大人の知恵のような気がしてなりません。しかし、これは被害を受けたとする各体操クラブ関係者のストレスを宮川選手が自分に置き換えてチラッと大人が触れさせたのでないかと感じる次第です。

筆者は、このクラブ間の子供達の移籍問題の処理、解決が複雑で難しいとは思いません。強いて申し上げますと、このような問題があるにも関わらず関係する大人達が何もされて来なかった事が最大の問題であると思います。この問題に付いては、優秀なそのクラブのスター選手を他のクラブに移籍される事は何にも代えがたい事であり、その痛みは如何ほどのものかその立場に遭遇して初めて感じるものです。

一般財団法人全日本ジュニアー体操連盟(略:JJGF)は、その体操クラブの選手登録、クラブ登録をしている組織、団体であるはずです。そして、その連盟の上部団体は、公益財団法人日本体操協会であります。先ず、JJGFに大きな問題があると思われますJJGFは、何故加盟クラブ間に於ける選手の移籍に関する協定書(引き抜き防止協定書)を作成し、全加盟クラブの代表から同意の署名を取り共有しないのか加盟クラブから違反行為とみなされる申し出があれば、連盟は速やかに連盟が常設した調査委員会を招集し裁定を測り、違反行為とみなされた場合は、速やかに選手側、受け入れクラブに対してペナルテイーを与える事が必要且つ、組織としての責務であると思います。関係者は、何故この協定書を作ろうとしないのでしょうか。

このような組織、団体に於いて、連盟に明文化された協定書も無い状況である事を棚に上げて、TV、マスメデイアを利用して騒ぎ立てるのは、余りにもスポーツ・アドミニストレーションのレベルの低い人たちにより連盟、協会が運営、管理されている事を公言しているに等しいと思われます。運営、管理の最低限の知識と思考力のある人材の確保が先ず先決だと思いますが、如何でしょうか。

⑥民間クラブ選手を大学が勧誘する問題

クラブ間移籍問題は、JJGFの協定書の作成と実施が重要である事を述べました。しかし、クラブ選手の大学体操競技部への勧誘(リクルート活動)は、現在の日本の大学競技スポーツにはルールブックたるものが存在しない、いわば運営、管理に於いて無法地帯(Out of Law)同然な状態である事から、公益財団法人日本体操協会は、同法人傘下のクラブ組織、団体、大学組織、団体を翼下に持つ団体として、体操クラブと大学間に於ける「協定書」の作成と履行が急務であると思います。此処に於いても、双方は、「判っているだろう」の非現実的な考え方でなく、判らないから不平不満が山積する原因を作っている事を肝に銘ずる事です。

まとめ

本件を正攻法で解決する唯一の方法は、JJGFJGAに於いて「協定書」を作成し、それをオーソライズする事をお勧めします。

日本人は、「そんな事言わなくても判っているだろう、書き物にしなくても判っているだろう」と綺麗ごとで済まそうとする。解らない人がいる、また解っていてやる人達がいるのでこのような「引き抜きがある、ない」の不愉快な話題を持ち出すのです。

今日まで多くの体操クラブで「引き抜き」と思われる事件、不祥事があったのでしたら、それは大変遺憾でその痛みは何にも勝る損失と痛みであった事と思います。しかし、筆者が述べましたように協会、連盟主導で「協定書」を作成して加盟クラブ代表が同意していたなら全く心配なされる事も、弁護士に弁護士費用を払う事も無いと思います。一日も早く、関係者一同がポジテイブな協力と行動を起こして一歩前に前進する勇気と行動力に期待しております。

2.筆者の米国に於ける指導者としての経験

1970年代の米国大学体操競技界の動向

このころ、米国に於いては、個人の自由な興味と個性の表現を優先する指導理念から日本が固守するオールラウンド選手(男子:全6種目、女子:全4種目)以外にスペシャリスト(特定の種目のみ出場可)選手も器械体操選手と認められていたのです。

丁度、筆者は、1970年代米国の大学に於いて、スポーツ・アドミニストレイター(Athletic Departmentに於いて、フットボール、バスケットボール、野球、等)と器械体操テイームのコーチ、監督を兼務していました。このスペシャリストの存在には、唖然として驚いた事を強く記憶しております。

夏季休暇で日本に一時帰国する度に、野球、バスケ、バレーボール、アメリカンフットボール、等、及び文部省体育局長、関係者達との交流、特に男女体操指導者達に米国に於ける器械体操の事情、本スペシャリストの重要性、等を伝え諭して参りましたが、誰一人として聞く耳を持ちませんでした。そのリアクションは、日本は、オールラウンド選手だけが器械体操選手と認めている。米国のスペシャリストは、器械体操に於いて邪道であると反論し続けていました事を今も鮮明に私の記憶に残っております。

この当時までの日本の器械体操界は、何でもかんでもドイツの体操理念が全てと偏重していた時代でした。その方々の中には、遠藤幸雄氏、塚原光男氏、監物永三氏、塚原千恵子氏も居たことを鮮明に記憶しております。

しかし、読者の皆様もご存知の通り、今日の国内外の大会では、このスペシャリストの出場が国際体操競技連盟(略:FIG)の公認によりスペシャリスト無くして競技大会に出場出来なくなったのです。此の事からも日本の体操選手及び指導者達は、閉ざされた世界に閉じこもり大海に目を向けようとされなかった事をご紹介させて頂きます。このような問題を含め、協会内の権力闘争が一層激化して行った結果、長期に渡る日本男女体操界の衰退と低迷が続いたのも大きな原因の一つです。

余談話として

筆者が米国大学に在職していたころでした、日本大学が大学選手権で優勝されその記念に米国遠征をしたいとの申し出があり、小職は、快く大学の了解を得て、他大学と連携しながらホストする事と成りました。当時招待試合の後小職のアパートで遠藤幸雄氏、早田卓二氏、日大代表者の濱田大先輩氏と夜を徹して日本の体操界の学閥、体操協会の無意味な権力闘争に付きまして話題が尽きなかったのが昨日の様に思い出されます。その遠藤氏のご子息が、今は体操協会の常務理事をされている事をお聞きして、歳月の経過の速さに驚かされました。

筆者とNCAAチャンピオン、USAチャンピオンとの喜び

筆者は、日本の指導者に負けまいと当時米国の大学の体操選手(オールラウンド選手)を4年間略マンツーマンで生活指導から技術指導、スポーツ心理学、スポーツ医科学を導入しながら精神指導、等まで徹底した指導、管理を行いました。此の事から、選手と指導者の密な信頼関係の重要性と必要性は、痛い程理解し体験しております。

ラッキーにも同選手が4年生の卒業前の春、1976全米大学競技スポーツ協会主催(略:NCAA)の全米大学体操選手権大会に於いて、初出場ながら総合優勝を勝ち取り、筆者が最優秀コーチに選ばれました事が、それからの自らの人生の扉を開ける事になろうとは思いもよりませんでした(これは余談としてお聞きください)。

この時の勝因は、米国で初めて塚原光男氏の十八番であった、「月面宙返り=英:Half in Half Out Salt」を吊輪、鉄棒の降り(dismount)に取り入れ、着地を決めた事でした。全米にABC TV.ワイドワールドスポーツ・ネットワークのライブで同選手の演技と、努力は称えられました。

同選手は、その後の全米体操選手権に於いてもUSAチャンピオンに輝き、その秋の1976年カナダ、モントリオールオリンピック大会ではUSAの代表兼キャプテンとして無事責任と使命を果たしてくれました。選手と指導者の関係は、双方のリスペクトと信頼なくして成り立たない事を学び成長しました。そして同選手は、卒業後医学校に進学し、立派な医師として社会で活躍、貢献しています

この選手に憧れてその後世界的な選手が米国に続出、84年ロス五輪で輝かしい成果と結果を残し、米国はその後男女ともに世界に躍り出ました。残念ながら、現在の米国大学の男子体操競技は、NCAAの公認種目になっていますが、近年各大学の男子体操競技テイームが激減(約8大学)、消滅の危機に曝らされている事もご紹介致します。

小職は、当時暴力指導の必要性など一度も考えた事もありませんでしたし、暴力指導者に御目にかかった事もありませんでした。指導者、管理者は、常に個々の選手の能力に応じたテイーチングとコーチングを如何にしてポジテイブにバランスよく、個々の選手の得意な部分を如何にして導き出し発展させて挙げる事が出来るかが重要なキー指導ファクターであると確信しています。

米国に於いて、若しこの度のような暴力指導、パワハラ管理があったとするならば、被害者は、即司法に訴え、裁判で全ての真実が明かになると思います。しかし、この度のような暴力指導者に対して暴力を受けている被害者(未成年)及び保護者(両親)がその暴力を容認(肯定)したり、被害者選手でありながら暴力指導者を容認しているにも関わらず、パワハラ管理者に対しては、容認しないと訴えたりした場合は、正常な関係と常態とはみなされないと思われます。この場合は司法の判断に委ねる方向に導かれると思われます。そして、司法側は、専門家の個々に対するあらゆる専門鑑定がなされ、その結果を参考にして裁定が下るのでないかと推測致します。

筆者の素朴な疑問

この度の告発者の宮川選手(未成年)は、コーチから想像を絶する身体的な暴力を繰り返し受けながらも、恐怖心を覚えるどころか、両親共々その暴力を容認し、引き続き指導して欲しいと考える性格の持ち主でした。しかし、コーチ以外の塚原夫妻から受けた言葉に対しては「怖いと感じた」と容認できず、パワハラを主張しました。一般的に考えると、肉体的な暴力の方が恐怖心を覚えると思われますが、読者の皆さんは如何でしょうか。また、肉体的な暴力にさえ恐怖心を抱かない人物が、言葉で強く言われたから「怖いと思った」というのも何か釈然としません。この矛盾とギャップに対して、筆者は何処かこの宮川選手の告発発言は特異な他意があっての会見であったのでないかと推測したくなりますが、不自然でしょうか。

また今日は、何かとスポーツ組織、団体、大学教育機関に於いて不祥事、事件があると第三者委員会を設置する風潮が流行しているようですが、第三者員会は、裁判官でもなく、弁護士と言う資格を有する競技スポーツにご縁の無い方々です。弁護士と言う肩書でなければ第三者委員が務まらないという決まりは何処にもありません。また弁護士が全て信頼できるフェアーな人格者であるとは限りません。ただ、第三者の意見を求めて参考にするという事なのでしょうか。我々国民、社会、読者は、この第三者委員会のメンバーが最終的にどのような権限のある、誰が、何を基準にして選考しているか、したかの情報公開がいつもなされないところに危険性と疑念があり、鵜呑みに出来ないのです。皆さんは、どう感じられていますか。

このような習慣がまた新たな利権を生むような気がしてなりません。本件は、第三者委員会云々でなく、関係者は司法の手を借りて明らかにされた方が今後禍根を残さずにフェアーな判断がなされるのでないかと思われる次第です。老婆心ながら苦言を述べさせていただきます。

以上、筆者の器械体操との関わりについてこの場をお借りして初めて紹介させて頂きました。ご参考に成りましたら幸いです。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

お知らせ:体操ニッポンの危機は、四回に渡り掲載させていただきました。10月中旬に予定されています、第三者委員会の裁定が双方にとってフェアーで、将来性のある内容である事を切に願います。次回のK’sファイルは、読者の皆様のご要望のテーマを筆者が選択させて頂き掲載する予定です