K’sファイルNO.118:②国籍を提供した外国人選手による日本代表

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K’sファイルNO.118:②国籍を提供した外国人選手による日本代表       無断転載禁止        K'sファイルは月2回、第2、4木曜日掲載予

 

バブル経済による伝統的なスポーツ文化の破綻~

目次

バブル経済による伝統的なスポーツ文化の破綻~

 1.日本固有の企業スポーツの発祥から今日へ

    2.スポーツ界にもたらした黒船の御来航

    3.ラグビーワールドカップ開催はまさにハロウイーンか

    4.外国人選手の導入とその歩み

~国際大会での日本代表選手、テイームの在り方~

 1.スポーツ庁は国民、社会に明快な指針と説明が必要

   2.海外の状況と外国人選手が何故日本に来たがるか

 

1.日本固有の企業スポーツの発祥から今日へ

本来企業スポーツは、1964年の五輪東京大会を成功させる一環として当時国の施策により、日本の代表的な大手企業に特定の競技スポーツ選手、テイームスポーツの育成を主たる目的で託しスタートしたのが原形です。

会社、企業にとって競技スポーツ選手、テイームを保有するメリットは、当時は主に生産業を主力とした企業が主体であったので、会社、企業を代表する選手達、テイームが活躍する事で生産効率を上げ、企業組織の指揮高揚、一体感を高める為に大いに貢献したのも事実でした

その後、時代の進歩と共に第一次産業(生産業)から、第二次産業のオートメーション化(大量生産)へと、そして第三次産業(サービス業)に移行して参るにつれて、スポーツ選手、テイームは、段々と伝統的な企業スポーツのコンセプトから新しい企業スポーツのコンセプトとして、

①伝統を維持したい会社、企業

②会社、製品の広告塔として利用、活用を主たる目的とした会社、企業

③その中間の中途半端型―という三極化の方向に今日まで参ってきた。

近年では、企業スポーツの存続の意義まで見失い1990年代のバブル崩壊後、衰退の危機に瀕している状態です。しかし、我が国の競技スポーツ選手の受け入れ先は、企業スポーツ無くして成り立たないのです

1974年のIOCのオリンピック憲章からアマチュア規定が削除され、世界の競技スポーツ界は、ビジネス化、プロ化へと急激に舵が切られたのです。このスポーツ世界の激変に伴い、日本の伝統的な競技スポーツは、ラグビー界のように最後の最後まで元来のアマチュアイズムの継承に拘ったものの、伝統的なアマチュア概念を崩壊させる出来事が止めども無く押し寄せてきたのです

この現象は、丁度日本経済が第三次産業のサービス業に入ると同時にバブル経済期に入る事になり世間では金余り現象が日を追うごとに現実となったことが大きな変革の後ろ盾となったと思われます。

2.スポーツ界にもたらした黒船の御来航

スポーツ界では、広告代理店、TV業界によるスポーツイベントの開催を既存のイベントの国際化は元より、新たに米国で開催されている全米大学競技スポーツ協会(略:NCAA)主催の公式戦の「フットボール」をそのまま日本に呼び開催し、これに続き、NBAプロバスケットボールNFLプロフットボールMLBメジャーリーグ野球、等の公式戦、オールスターゲームまで毎年日本で開催する時代を迎えたのでした

筆者は、丁度この時代時期には、米国の大学に勤務、所属していた関係で米国側の代表として最初にNCAAフットボール公式戦を国立競技場で開催する取りまとめ役をしました。ブリガムヤング大学(BYU)対ネバダ州立大学ラスベガス校(UNLV)は、日本に於ける米国の公式戦開催の先陣を切ったのでした。そして、両校は、それぞれソルトレーク空港、ラスベガス空港でスタンバイするチャーター機に全選手、スタッフ、チアテイーム、バンドリーダー、大学側のアドミニストレイター達が分乗して、日本に上陸したことを昨日ように記憶しております。

当時のBYUクオーターバックQB)は、其の後にNFLのシカゴベアーズがスーパーボウルで勝利した際の最高殊勲選手に選ばれたジム・マクマーン選手、ワイドレシーバー(WR)のD.クリスチャンセン選手は、後にNFLオークランドレイダーズがスーパーボウルを制した時にMVPを獲得した選手達という豪華な顔ぶれでした。よって、NCAAフットボール公式戦の最初のBYUテイームには、スーパーボウルのスーパースターが2名も来日していた事になります。国立競技場には、フットボール関係者、ファンのみならず、物珍さだけの観客が本場米国NCAAの公式戦を初めて見ようと押し寄せて来た様子が、今も筆者の脳裏に鮮明に焼き付いている次第です。

このように日本のスポーツ界は、強烈な本場の大学競技スポーツの公式戦、プロの競技スポーツの公式戦を毎年目の当たりにする事に成り、まさに黒船の御来航をバブル経済により迎え入れた有様でした今日では、これら本場のシーズンスポーツが生の映像で何時でも観戦できる時代になったのです。其れまでの日本スポーツ界に於いて64東京五輪以降、後生大事にアマチュアイズムを真の競技スポーツの「バイブル」であるかの如く国内に於いて先頭に立ち推進して来たのが「ラグビー界」であり、その関係者達でもあったのですしかし、この黒船の御来航によりこの伝統的な日本古来のアマチュアイズムは、もろくも過去の歴史の産物と化して行くのでした

特に我が国に於いて、アマチュアイズムの源泉でもあったラグビー界から今日の日本代表選手の選考、編成を先頭を切って超法規的に変革してしまった事は何と皮肉な歴史の悪戯かと考え深い思いをさせられるのは筆者だけでしょうか。

3.ラグビーワールドカップ開催はまさにハロウイーンか

読者の皆様は、2019年ラグビーワールドカップが日本に招致されて今まさに行われている状態の中、日本代表テイーム(ナショナルテイーム)の代表選手をご覧になって、正直にこれが日本の代表選手、テイームとして如何なものかと目を疑った視聴者、国民が沢山居る事も承知いたしております

本件に付きまして、国民、社会は、深層を正直に表現、公言する事を憚られる時代と社会風潮に成ってしまって居るのかも知れません。或は、全くTV、マスメデイアの番組宣伝に便乗したハロウイーン世代の若者達のお祭り感覚なのかも知れません。

これらの状況を冷静に分析致しますと、東京五輪を控えてのプロモーション活動の一つとしてハロウイーンがやってきた「いいじゃないか、いいじゃないか、えらいこっちゃ、日本テイームは舶来品ばかりでいいじゃないか」と阿波踊り的な感覚で騒いでいる国民、社会と「これは一体どうなってしまったか、こんな日本人がいつから、我ら 日本人の代表者になったのか、本来の日本人は何をしているのか」との思いに駆られる国民、社会に二分されてしまった感がするのも確かです

例えば不思議な現象として、伝統的なラグビーファン達は、日本の試合、選手達を応援するのでなく外国テイーム同士の個々の選手の応援に地方まで出かけてるという不思議な事が起きているのも、日本テイームには外国人ばかりで親しみが沸かないからが最も多いとの某調査機関及び旅行代理店の報告です。筆者の友人、知人達までもが、この類に居たとは驚きを隠せません。筆者の友人、知人に「どうして日本テイームの応援しないのか」と訊ねる、「日本テイームは、中にいる日本人選手を探すのが難しいし、テイームはフェイクだよ。それなら折角優秀な選手、テイームの闘いを観たい」との返事が返って来たのに驚かされました。また、今日の国家、国民、社会には、スケルトン(背骨)を無くした状態をスポーツが表現してくれているのかもしれませんが、読者の皆さんは如何お考えでしょうか。

しかし、もし代表選手が全て伝統的な日本人選手で、開催国枠で出場していたなら、視聴者の目にはどのように映ったでしょうか。それを想像するだけでも身体的な格差そのものの競技スポーツの特性の現実を見せつけられ,目を覆ったのではなかったでしょうか。この問題は、ラグビーフットボールに限った問題ではありません。日本の競技スポーツには今日計り知れない重い課題を突き付けられている事を忘れてはならないと思われます。

国民、社会がこの問題に素朴な疑問を持っている中で、TV、マスメデイアをはじめ関係機関、関係者は、国民、社会に解りやすく素朴な疑問に答えようとしないその真意は何なのか、と筆者は、ふと疑問に思う次第です。何故この不可思議な疑問と問題は、見過ごされて行ってしまうのでしょうか。それは、生まれも育ちも日本人として今日までこの環境に身を置くことにより、現実と変化に気付かず、価値観も創造力も失せてしまい長いものには巻かれろ主義になるためかも知れませんまた、TV、マスメデイアの視聴率最優先経営理念は、意外と日本国民、社会の深層にまで入り込み、国民の個々の思考力まで誘導するに至ってしまっているのかも知れません。

これは、筆者の私的な見解でありますが、本件が「差別」と捉えられて攻撃を受ける事を恐れているのかも知れません。日本人の1人として、また長年日米の教育を受け、日米での社会経験を持つ事からも本件に関する偏見は持ち合わせていません事を申し添えます。あえて、申し上げるならば日本は、古来昔から単一民族がその伝統であり、それを誇りとして来た民族、国民でもあります。今日世界が急速にグローバル化を推進されて行く中、特に我が国のスポーツ界に於きましては、この急激なグローバル化の流れに追随する為の「ファンダメンタルな準備」が成されないまま突っ走っている所に大きな危険に気付かないでいるのでないかと危惧する次第です

4.外国人選手の導入とその歩み

最初は、目立たないアジアの選手の導入から始まったようでした。しかし、1980年代を境に外国人のスポーツ選手代理人(略:エイゼント)による選手の売り込みが盛んになってきたのに端を発します。しかし、国内に於ける外国人選手への理解と扱いに関するルールに関しての足並みは各企業、実業団連盟、中央競技団体とそろわず、導入に関する趣旨、目的も各会社、企業でまちまちであったのです。

そこで、日本の伝統的なボールゲームのバスケットボール、バレーボール、ラグビー、野球、そして陸上競技の駅伝、等と各企業が競って外国人選手の導入に走り出したのです。その効果と結果は、火を見るよりも明らかであったのは言うまでもありません。それにより、各企業テイームの格差が明確になり、バブルの後押しもあり短期間でテイームスポーツに於いては略外国人選手の能力如何で勝敗、順位が決まるに至り始めたのです。これは、丁度プロ野球界に於いても同じ現象が起きていたのです

これに伴い、外国人選手へのルール作りが後手に回り、男子、女子の競技スポーツを問わず本来の伝統的な企業スポーツの選手雇用体系は、外国人選手に対してはプロ契約となり、日本人選手のリクルート活動に於いても企業への本採用と期間限定の契約社員制度と選手側の意向に合わせた内容に変化して行った次第です。日本人選手の雇用に関しては、今日も尚本採用と契約社員形式の雇用体系を維持しているようです。その大きな理由の1つは、会社、企業の労務規約の関係から企業に於けるスポーツ選手の位置付けがプロと言う職業として認められていない事が当時も今も中途半端な大きな要因の一つであるようですこれはまさに、我が国の近代資本主義の矛盾の代表的な隠れた案件と問題の象徴だと思われます

よって、日本人選手は、各会社、企業に於いて会社業務をしなくても練習拠点に近い会社、企業のある部門、部署に配属されデスクを持ち形式的な社員を装っているのが企業スポーツの実体であると思います。読者の皆様は、どのような理解と認識を持たれていましたでしょうか。多分ご存知でなかったというのが正直なところでしょうか。

~国際大会での日本代表選手、テイームの在り方~

1.スポーツ庁は明快な指針と説明が必要

重要なのは、日本国民が我々の代表として納得のいく代表選抜ルールが、全競技種目に共通したものが在って初めて理解され応援するに値するのではないでしょうか。今日のような状態を放置することは、近い将来に於いて禍根を残す事に成ると思われます。

例えば、ラグビー、サッカー、バスケットボール、バレーボール、等々の代表選手が外国人選手ばかりであったら、読者の皆さんは、どのような反応をされるか今一度想像してみてください。この大事な日本の代表選抜に関して、誰もが議論しない事は、我々日本人としてのステイタスの必要性を放棄した事にも繋がるのでないかと危惧する次第です。

サッカー、バレーボールは、現在外国人選手の投入をしていない代表テイームであると思われます。その為に国際大会に於いては苦戦を強いられているのは御承知の通りです。しかし、TV、マスメデイアの過大な宣伝と告知により商品価値の向上に心血が注がれていますが成果と結果は、宣伝、告知に見合うものではありません。それでも国民、社会、ファンは、理解とサポートを惜しまず応援して頂いていると思われます

男女バレーボール界の衰退は、今日に於いて頂点を目指す為には身体能力の本質的問題を如何に克服するか、できるかです。今日までは、この身体的な劣勢を精神的な弱さに置き換えて、指導者、管理者達は「スポーツ根性」たる精神論で戦って参ったのも事実です。しかし、国民、社会、ファンは、既にこの「シゴキ」の限界を感づいているのです。各競技種目に於いて体重制限の無い競技スポーツは、日本人にとって大きなハンデイーを背負っている事を理解しなければなりません。注:視聴者、読者の中には、「メンタルが弱い」と評している方を見受けます。これは、精神的な弱さを指摘している事で総じて「精神論」を語っているのです。

外国人選手の有無は大きなファクターです。世界で戦う為には、先ずは身体能力の差異は如何ともしがたいのが現代のスポーツ医科学からの解析でもあります。このような現実から、日本人を父か、母に持つ人探しに指導者、組織、団体、教育機関は血眼になっているという呆れた現実もまた事実なのです。それでは、今後堰を切ったように外国人の子供達、若者達が日本の競技スポーツ界を席巻するようになると、そうでない子供達、若者達にこれから競技スポーツへのポジテイブなモチベーションをどのように指導、与えるのかの準備は皆無なのです。大人は何と対応すべきでしょうか。筆者は、日本の将来の競技スポーツの発展のキーワードと危機的現実が此処にある事を進言させて頂ければ幸いです

2.海外の状況と外国人選手が何故日本に来たがるか

例えば、中東諸国を例に挙げますと、陸上界、サッカー界では、多くのアフリカの選手達がオイルマネーに吸い寄せられて国籍を変更して、中東諸国の代表選手としてオリンピック大会、ワールドカップに出場しています。

この現象は、丁度日本に於いては夏の甲子園大会の優勝校に同郷の生徒が1人も居ない、他県からの越境選手の寄せ集めとなっている私学と酷似と理解して頂ければよく判ると思います。

卓球界では、大量の中国選手達が世界各国に仕事場を求めて国籍を替えて国際大会に出場しているのは御承知の通りです。

また、中南米諸国のアスリート達は、将来の生活の場を求めて自身の身体能力を商品として北米に渡り、北米代表として国際大会、プロ競技スポーツを夢見て渡るのは歴史が物語っています。

スポーツ・アドミニストレイターの視点で、少し専門的な厳しい指摘を致しますと以下のポイントを上げられます

1.外国人選手の大多数は、経済的後進国から生活の安定を夢見てやってくる。

2.日本でのプロ競技選手として参加する要因は、競技生活を長く継続できる事も大き

       な要因の一つとされているのです。

3.その大きな理由は、プロ及び企業スポーツでの身体接触に伴うリスクが非常に低い

       とされる事です。

4.即ち、日本選手と接触しても競技中の怪我の度合いが、他の諸外国のテイームに雇

       われて行くより遥かに低いとされている点が挙げられからです。

5.もう一つ挙げられるのは、契約内容が非常にアバウトで甘い事がその要因でもあり

       ます。代理人達の間では、ハードネゴシエイションが要求されない事をよく耳にし

       ます。それは、日本テイームの殆どの担当者が、選手経験はあるがビジネス、ネゴ

      シエイションの専門的な知識も経験も無い肩書社会である事が挙げられます。

近年、特定の国々から個々の理由により優秀なアスリート達は、日本を目指して生活の場を求めて母国を去ろうとしているのが現実です

その中には、既に義務教育界、高校、大学、等と未成年のそして経済的に貧しい国々、個人から仲介者を頼って、売り買いされて海を渡って日本にやってくる幼いアスリート達が増加している事を大人達は何と心得て受け入れているのでしょうか。

これは、日本政府が外国人労働者を確保するための方策として就業ビザを与えている現状に酷似の状態でもあります。スポーツ選手の略全員、彼らは日本語の読み書き、理解が全くできないのです。此れでは、東南アジア、アフリカ、中南米、等から男女を労力として、安易な日本語学校への語学研修を目的として入国させ、各私学の宣伝・広告塔として労働させていると言われても反論できないのが現実の様です。特に国際と称する私学には、学生集めが主たる目的で何でもありの教育機関の経営者が増殖し、スポーツ選手も含まれているのです。

この様な外国人選手達を快く受け入れる為にも、先ず我が国の国民、社会が理解し、納得するコンセンサスをまとめ、国民、社会の意見を問うフェアーな論議が先ず必要ではないでしょうか。此の論議は、未来の日本のスポーツ界を担う子供達、若者達にポジテイブなモチベーションを如何に担保するか、できる内容のものでなければなりません。如何でしょうか。

この重要な国家規模のスポーツ・アドミニストレイションに於ける、アドミニストレイターは、本来我が国に於いては内閣府文科省スポーツ庁に所属する役人、スポーツ界出身の国会議員達が能動的に声を上げて立ち上がる使命がある筈です。しかし、この任に当たる国会議員達は、JOC、各競技団体の役員、国際イベント開催の組織に関わる事しか興味を持とうとしない、真のスポーツ・アドミニストレイションには興味すら持とうとしない人達が国政で選ばれるという現実を変革しない限り、日本のスポーツ界の未来を計る事が難しいのが現実です。

その証として、2020年東京五輪を来年に控えて、連日、連夜日本のTV,

マスメデイア自身が本東京五輪のスポンサーでもある事からか、このようなタッチー(touchy)な問題に振れようとしない理由も理解できます。

大手マスメデイア自身本来は、常にジャーナリストとしての本分であるべき「ジャステイス(正義)とフェアネス(公正・公平)」を堅持するべき立場が、東京五輪に於いては何とスポンサーとして参加していることから、フェアネスの視点でジャーナリストとしての業務が機能できない、しないという前代未聞のオリンピック大会であり、ワールドカップ東京大会をホストしている次第です

これは、日本社会の政治、企業、組織、団体に於けるアドミニストレイターであるべき運営、管理責任者達の倫理観の欠落が大きな要因となっているのではないかと思えてならないのです。 このような現実を改善、改革する為には、読者の皆様の勇気ある発言と行動力が何にもまして必要不可欠なのです。ただ、傍観者としてスポーツ中継を観戦しているだけでは、此の国のスポーツの未来は政治同様に難しい選択が今まさに訪れたと理解頂ければと思われる次第です。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports

 お知らせ:この度NO.117,118では、ラグビーワールドカップの代表テイーム、選手をテーマに連載致しました。読者の皆さんは、どう理解され感じられましたでしょうか。常識をお持ちのK'sファイルの読者の皆様は、未来を託す子供達、若者達の将来の我が国のスポーツ界への不安と疑問を改めて感じられたのではないでしょうか。子供達の成長と成功を願う父母、保護者は、今後家庭での倫理観のみならず、教育機関でのスポーツの在り方を真剣に思考する時代に居る事を念頭に置いて頂き子供の能力に合ったベストの選択に協力してあげて頂きたく願う次第です