K’sファイル:NO.35 悪魔の囁きに屈したカヌー選手!無断転載禁止

K’sファイル:NO.35 悪魔の囁きに屈したカヌー選手!

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*筆者は、自身が直接的に関係した事案でありませんので、此処では、スポーツ・アドミニストレーターとしての視点で本件に付いて述べさせていただきます事をご了解下さい。

 

天が下さった貴重な競技人生は共にリスペクトする心が大事~

 1.カヌー競技の特徴:

この度事件が起きました競技スポーツのカヌーは、タイムを競い合う競技スポーツです。カヌー競技は、タイムで競い合う個人の身体能力と精神力が大きく勝敗に左右される特徴を持った競技といえます。勿論そこにはスキルもあります。また器械体操競技フィギュアスケートのように身体能力、精神力、スキル以外に美的要素が大きく加味され、審判の主観が勝敗を左右する個人競技スポーツとは区分されます。

 2. 本事件とは:

本件の経緯に付きましては、K'sファイルの読者の皆様は、マスメデイアを通して既にご承知の事と思います。そこで、此処では概略のみの紹介に留めますのでご了承下さい。

彼らは、常に代表を目指す為に常日頃から、切磋琢磨し互いに競い合いながら競技力を高め、最終ゴールであるオリンピック大会に出場し、メダルを獲得する事に心血を傾注しています。事件は、このような環境と状況下に於いて起きてしまったわけです。

 その主たる問題、要因は、限られたオリンピック代表枠争いの手段、方法が本来の競技によるものでなく、本件加害者は、代表権獲得の可能性が高い有望な若手選手の飲料水にオリンピックでは禁止薬物に指定されている薬物を混入したのです。その結果として、被害者選手は、レース終了後の薬物検査により陽性反応が認定され、暫定的に4年間の出場停止処分が科されたのです。このままでは、2020東京オリンピック出場の機会を失ってしまう事になった次第です。

その後、加害者は、自ら使用禁止薬物を被害者のペットボトルに混入した事を認め、本競技組織・団体に自らの意思でその事実を申し出たのです。

しかし、現在は、被害者が警察署に別の被害を含めた被害届を提出しており、警察はそれを受理、捜査が始まっています。本件を起こした加害者は、そこにどの様な個人的な問題、理由が有ったとしても許される行為でない事だけは確かです。

 3.故意と過失の違い:

加害者の自首、謝罪文が事実とするならば、本件は、加害者が「故意」に起こした事件で在り、「過失」には、当てはまらない重罪という事に成ります。

此処で、故意とは、一般的にはある行為が意図的なものであることを指し、刑法においては、「罪を犯す意思」(刑法381項)をいう。また、過失とは、「注意義務を怠る」あるいは、結果の回避が可能だったにもかかわらず、回避するための行為を怠ったことを指します。法律用語辞典~

 4.問題の本質はどこに:

本件は、スポーツ・アドミニストレーションの視点で申し上げるなら、事件を起こした選手は当然のことながら、まさに選手、競技を運営、管理する立場にある主催者、組織、団体の構造的な問題とシステムに不備がある事を露呈した事件であると思います。

このような緊張感のないアドミニストレーション手法を用いていては、今後さらなる事件、事態が起きるであろう事が想定されます。関係者の皆さんは、「日本人選手は分かっているので不正を行うはずがない」と達観した無責任な考えを持たず、「人は弱い心を持ち合わせて入るので常に不正が共存している」事を理解していたならば、未然に事件を防げたと思います。

起きる可能性を秘めた問題に対しては、見て見ぬふりするそれ自体が既に犯罪行為なのです。日本の競技スポーツの主催組織、関連団体に「Justice正義とFairness公平」の理念が根本的に欠落している事に何故気付き、正面から向き合わないのでしょうか。

私は、今回の事件の本質的な問題が選手の価値観のみならず、主催者の脇の甘さも大きな要因の一つと思わざるを得ません。如何でしょうか。

加害者が何故これほどまでのリスクを背負ってまで、本事件に手を染めたのかを慎重に分析、解明しなければならないと思われます。何故ならば、本件は、日本国内で同じような代表を争っている他の競技選手達の周辺でも、異なった手段と方法で起きている可能性を見逃してはならないからです。

加害者は、自らの努力の成果、結果を求めたのでなく、自身がライバルと目した選手を潰す為の手段として薬物を利用した、いわば競技者として相手をリスペクトする心の欠如から生じた知的犯罪行為と言えると思われます。

スポーツは、フェアープレーの精神でと宣う人達こそが、襟を正さなければならない張本人達なのかも知れないです。

私は、嘗てスポーツ医科学の米国の専門家からアドバイスされた事を本件で再び思い起こすに至りました。それは、当時日本人選手(アスリート)に、禁止薬物を使用しても生理学的にあまり成果と効果が期待できないと思うという話でした。そして「日本選手は、スポーツ医科学の専門知識にあまり興味を持たない。指導者達も精神主義的な指導を優先し、スポーツ医科学の知識が極端に不足している事がその大きな要因の一つ」、「将来、日本国内に於いて注目される競技スポーツの代表選手に成るには、直接的な薬物使用ではなく、知能犯的な不正行為が行われる可能性があると思われる」と今回の事件を予期したかのような内容でした。

5.トップアスリートの極限の心理と真相:

世界のトップ選手と指導者のみが味わう天国と地獄の閾値

①嘗て私は、指導者として、学生選手を全米大学選手権(NCAAチャンピン)に、さらに全米選手権チャンピンオンに、モントリオールオリンピック代表選手にと米国の大学で育てた経験があります。そこで選手、指導者双方共に極限のプレッシャーを体験しました。丁度、それは、全米選手権(代表最終選考会)当日の朝食後まもなくしてから、選手が激しい嘔吐を繰り返しました。私は、指導者として同選手と同じ食事を取り、同じペットボトルの飲料水を試飲して、同選手に与えるべきだったと悔やみました。このような異常事態の中で、同選手が最後に救いを求めたのは、試合直前のロッカールームでした。選手から、私に「コーチ、僕と一緒に神様に競技終了までお守り下さいとお祈りして下さい」と懇願され、彼は私の手を握り締め、膝をついてお祈りしたのです。

選手にとって、初めての全米選手権(最終選考会出場)で在り、それを全米大学チャンピオンとして強靱な身体と精神力を持って乗り切ってくれた次第です。結果は、1位通過でモントリオール大会へ。U.S.A.のキャプテンとして堂々と戦ってくれた事は、指導者にとっても特別な誇りと喜びでした。しかし、試合後も不可解な事が起きるので、私は、大学を代表した指導者、管理者として本大会主催者及び、大学に事後報告書を提出し調査を依頼しましたが、真相の解明には至りませんでした。しかし、私は、初めて米国のアスリートやコーチが、「他の競技スポーツに於いても」最後に心の拠り所として求めるのは「神様」であった事を体験した次第です。我々は、このような心の拠り所を持っているでしょうか。

②オリンピック競技大会の現場で起きている現実は、それは想像を絶する世界であり、それが偽らざる現実である事をご紹介します。嘗て、1988年のソウル五輪に於いて、男子100メートルの決勝でカナダのベン・ジョンソン選手が米国のカール・ルイス選手を破り金メダルを獲得、しかし、レース後のドーピング検査の結果、陽性反応が出たため金メダルを剥奪されました。レース終了翌朝の午前2時過ぎにIOCの医事委員会が緊急招集されました。丁度私は、スーパー陸上東京大会開催が近づいていたので組織委員の1人として、テレビクルーと一緒に会場近くのホテルに滞在中でした。私の部屋の電話がけたたましく鳴り響き、事態の一報が帯同していた日本の新聞記者から入ったのは、丁度午前2時前後でした。本件に付いての一報発信社は、韓国の東亜日報社であったと確か記憶しています。この時、日本の他のマスメデイア、オリンピック関係者は、知る由もありませんでした。

 私は、この一報を受けて即確認を入れたのが、ベン・ジョンソン側のコーチ、マネージャー、医師とカール・ルイス側のマネージャー、コーチ、医師、弁護士でした。電話受話器の向こう側から聞こえてくる音声は、両陣営の様子が修羅場と化していたことが容易に想像でき、今も鮮明に耳の奥に残っています。その時にベン・ジョンソン側は、大騒ぎになっており、競技場に置いてあったペットボトルに言及し、医事委員会へは誰かが薬物を混入したとまくし立てていました。その容疑弁明は、医事委員会の緊急呼び出しが早朝にあったが申し出は却下され、事件はその後カナダ陸連と米国陸連の非難中傷合戦にまでエスカレートしました。

彼らと日本人アスリートとの大きな違いは、彼らはプロで在り、プロ集団を常に抱えているため、金メダルと銀メダルでの評価価値がその後の彼らの生活に於いて、天国と地獄ほどの差である事です。詳しくは、またの機会にご紹介致します。

 まとめ

この度の事件は、仲間、友人を身勝手な手段と行動により犠牲にしてしまった行為は自らの禁止薬物使用とは異なる重大な問題である事を指導者、管理者がどれ程理解、認識し、受けとめているのか。この度の競技大会を主催した、主催者の運営、管理の甘さは、本事件を誘引する大きな要因の一つで在った事に違いないと思われます。レベルの高い競技になるほど、「性善説」は、通用しない事を関係者は心して置いて頂きたいと思います。

スポーツ・アドミニストレーションが確立していない、わが国に於いては、これから益々複雑、且つ巧妙化する現実を踏まえ、競技選手のみならず、競技スポーツに関係する全ての関係機関、関係者に対する規則、罰則を整備、明文化し、コンプライアンス教育、指導に国、社会、関係組織、機関全体が取り組み、実行する事がいま問われていると思います。

この事件は、我々にスポーツ医科学を悪用した新たな犯罪が我が国に於いて始まっている事への強い警鐘と捉え、次なる事件が表面化する前にこの度の事件を生きた教材として、各競技組織、団体は、類似する問題を抱えている事を肝に銘じて緊張感を持って、指導、改善、改革して行く事を切に願います。この事件は、氷山の一角であり本件を決して無駄にしてはなりません。

 文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

 *お知らせ:「箱根駅伝は誰の物」をテーマにしました、NO.29~33号は、全国各地から読後感が寄せられています。現在も尚読者が増え続けている事に対して、日本の大学競技スポーツの在り方の問題提起となっていますなら筆者としてこの上ない喜びです。