KファイルNO.151: 森喜朗氏状態化の大学競技スポーツ界

 

KファイルNO.151: 森喜朗氏状態化の大学競技スポーツ界

無断転載禁止                毎月第二、第四 木曜日掲載予定

f:id:hktokyo2017041:20190718003102j:plain読者からの便り

ブログ#150拝読いたしました。日本の大学競技スポーツには、共通した約束事、罰則、即ちルール、罰則が明文化しない為に競技スポーツの本質であるべきフェアネス(公平)を逸脱した運営、管理がなされているのです日本のスポーツの問題点はまさにここに集約されています。

大学野球の部員過多問題、もちろん高校野球でもそうですが、野球しかしてこなかった子供達が強豪校に進学し「飼い殺し」される。箱根駅伝でもそうでしょうね…そんな燃え尽きられなかった元選手がなんとか競技とかかわり続けたい、という気持ちで「トレーナー、指導者の関連職、等」を目指す…ポジティブな道に踏み出す元学生選手達を見うけます。

自身競技生活で生き残り、現場指導者の職を得た者達は、自分の教える選手をどう伸ばすかに専念できず、高校、大学の体育系分野の教員を兼務しているので競技全体の将来像や社会における位置づけが見えている人など皆無なのが現場の実情です。野球だと東京6大学以外は…とか、陸上長距離なら箱根駅伝に出られない大学は…とか、柔道だと東海、天理、明治以外は…とタダでさえ狭い日本で、より狭いより狭いスポーツ界に入り込もうとしてしまって溜息しか出ません。

サッポロビールの広告塔にされる大学生達、あのモータースポーツですらタバコスポンサーが消えて20年以上経とうというのになんとも時代錯誤な…今更ながらに思い知らされました。せっかくのこのコロナ禍、五輪の中止をきっかけに悪しき伝統も一掃されればいいのに、と終末を期待する自分がいます。 読者より(大学現場の声)

 

目次

K’sファイルNO.151:森喜朗氏状態化の大学競技スポーツ界

私大教育機関に於ける大学箱根駅伝と学生選手の実態

1.大学と学生選手(Student Athlete)の関係

  先ず初めに

  ■大学生である事のステータス・シンボルとは

  ■筆者が確認した国の教育機関の見解とは

  ■個々の大学のアカデミック格差

  ■外国人選手は学生ではなく金で買ってきた助っ人

2.学生選手へのリクルートとその手法

  ■大学から学生選手への条件提示

  ■裏口入学させた学生選手の卒業前の合否トラブル

  まとめ

  筆者の私見

 

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2021年2月11日 公開

K’sファイルNO.151:森喜朗氏状態化の大学競技スポーツ界

 私大教育機関に於ける大学箱根駅伝と学生選手の実態

1.大学と学生選手(Student Athlete)の関係

はじめに

此処では、「学生とは」が明文化されていない学校教育基本法、また統一されない日本の大学競技スポーツの競技以外での規則、ルール、罰則に付いての実情を取り上げます。

このような状況と現実の下で、大学競技スポーツは、規則、罰則の下で勝敗が決せられます。しかし、競技以外には、規則、罰則が無いに等しい状態の為、学生選手の扱いが公平(フェアー)でない事が最大の問題の一つであります

特にこの度のテーマの大学箱根駅伝(他の競技スポーツも同様)では、これが顕著になり学生競技スポーツの根幹を崩壊させてしまっていると申し上げても過言でありません。

東京五輪組織委員会の会長の森喜朗氏は、嘗て長年日本の教育、体育、スポーツの最高機関である文部省(現文科省)の大臣を務められた方です。丁度、この時期から既に文教族と言われる集団が政界、官界に増殖し今日も文科省スポーツ庁JOC、日本スポーツ協会、等々の公益財団法人の人事権を牛耳って今日迄参っている次第です。その頂点に鎮座されているのが、森喜朗氏で在る事を再認識して頂けば我が国の教育行政、スポーツ界の様子がイメージできるかと思います。

米国には、文部省(現文科省)なる省庁は存在しません。よって、群れを成す集団の利権形成は難しいのです。

大学生である事のステータス・シンボルとは

問題は、「学生とは」何を持って学生と定義(Definitions)するのか、できるのかを明記したものが我が国の教育法に見当たらない事です。

大学競技スポーツ及び学生選手を語る前に、学生とは何を持って学生と認められるかを何故誰もが問題視せず、大学競技スポーツを語ろうとするのでしょうか。此の事は、教育の一環としての根幹としてのCOREを取り除いているので背骨の無い教育機関をなすものであると筆者は確信する次第です

筆者の講義授業を受講する二つ目の大学の学生選手達の多くが、「箱根駅伝に出場する為に本学に来ました」と別に学生の資格が無くとも箱根駅伝にさえ出場できる機会が与えられればそれでよい、その為に自分は特待生で迎えられている。と公言する学生達が増殖している事も事実です。他の競技スポーツ選手も同様です。

特に学業成績を問わない大学では、このような学生選手が各部活に多数存在すると言うことを実体験しました。何故このような貧困な教育機関と学生選手達が我が国の最高学府には存在するのでしょうか。大学経営者、教員、職員には、いかなるプライドを持って大学教育機関で学生達に日々接しているのか非常に疑念を感じた次第です。

この事から、日本人学生選手に対しても、外国人選手に対しても、大学法人の経営者の見識如何によりいかようにも本来あるべき「大学生」の姿を捻じ曲げられているのが我が国の現状と現実ですこれらは、まさに大学のスポーツ・アドミニストレーションが問われ、学生としての本分であるアカデミックが皆無に等しい実態と言わざるを得ませんこの事は、日本の大学競技スポーツを運営、管理するに当たり最重要な問題の一つで、キーワードである事を是非理解して頂きたくkファイルにてご紹介させて頂きます。

例えば、箱根駅伝の主催者規約の出場資格(第4章:本連盟競技者資格、第10条、第11条)には、本連盟の競技者は、次の要件を満たさなければならない、となっています。

①本連盟加盟校の学生でなければならない。②学生の範囲は、学校教育法第90条に定めた学生、及び第91条の・・・本連盟が認めた大学等の学生とする。③前項の加盟校競技者は、その在籍期間中本連盟に登録する事が出来る。

以上が関東学連の競技者資格です。このような大雑把な規則では、活用者側に抜け道もありますよと告知しているようなものです。学生とは、何を持って学生となすのか第90条、91条には何も明記されていません

筆者が確認した国の教育機関の見解とは

重要なポイントは、この学校教育基本法第90条には、「学生とは」何を持って学生と判断するかの物差し、即ち定義が明記されていない事です。この事に付いて、筆者は、複数の大学の最高管理責任者にお伺いしましたが、何方からも回答を頂けませんでした。そこで、文科省の関係者に直接お尋ねいたしたところ、これまたその担当者曰く「文科省は、各大学法人に大学設置の許認可を出しているので、その大学の大学法人が、この人物を当大学に入学する事を認める、と承認したらその人間は、その時点でその大学の学生として認められる」とこれが回答でした。

私は、この回答を受けて「文科省の役人がこのような回答しかできないのでは、この国の教育界は近く崩壊して行く、即ち機関に大義、趣旨、目的が無いところで人は育たない」と呆れ果てた次第でした。それでは、各大学法人の最高経営者(各大学の理事長は、現理事会の過半数、及び三分の二の理事を味方に付けている証)が、大学の授業を受ける興味も無い、単位取得の能力の無い、或は、能力が在っても講義授業を受ける意志の無い人達を学生、学生選手にさせたいがために入学を認める事が、多くの大学で常態化している昨今、文科省は、何と回答するかを問いただしたところ、「文科省は、そこまで手が回りません」との回答でした。これでは、文科省など日本の教育機関の指導、運営、管理する省庁でなく、唯の公金を使って利権商売するエイゼントに過ぎないのかも知れません。

私は、これ以上問い質す気にもなれず呆れ果てた次第です。この現実から、我が国の大学教育及び個々の大学には、大きな格差と偏見を醸成してしまっている因果関係が此処に起因していると思われますが、読者の皆さんはどう認識されていますでしょうか。

個々の大学のアカデミック格差

此れでは、学生、学生選手のレベルのみならず、わが国の大学の資質の格差が各大学の経営者の資質と見識次第で、一層深刻化して行くのは目に見えています。特に今日の大学競技スポーツに於きまして、スポーツ・アドミニストレーションの資質が向上、発展しないのは、「此処に根源」があるからではなかろうかと確信に近付けた思いが致します。文科省スポーツ庁)は、指導的な役目をなしていない事が明確になりました。これでは、歯止めが利かないわけです。この重大な「学生とは何を持って学生と認めるか」を明確に規定しない限り、将来の日本の教育、スポーツに光は見えてこない様に思われます。先ず問題の起点は、此処から始まっていると思いますが、如何でしょうか

■外国人選手は学生ではなく金で買ってきた助っ人

先ず留学生選手問題とこれを真似た日本人学生選手が急増し、本来の誠実で真面目な学生選手達は、アンフェアーな大学競技スポーツ活動を強いられている事をご存知でしょうか留学生と称されている外国人選手に付きましては、決して大学の門を閉ざす事を意味するのでなく、門は大きく開いている事が大前提です。どこが問題なのかを申し上げます。

わが国の外務省(移民局)、文科省、大学当局には、「外国人留学生に対する留学及び、学生の定義(Definitions)」が明文化されていないのです。よって、各大学法人が必要と認めた外国人に対して学生査証(STUDENT VISA)を発行してしまっている事が問題なのです。此れでは、例えばテロリスト或はその予備軍がスポーツ選手として入って来ようとすればいとも簡単に入国し入学できるのです。事実として、大学箱根駅伝を走らせるために大学法人は、身体能力の高いアフリカの選手を安易に買ってきていると申し上げて過言でありません。留学生に関わる関係大学及び関係者は、アフリカと日本の文化交流だとか、大学スポーツの国際交流だとか申していますが、これらは、全て大学に連れて来る為の建前論(屁理屈)、偽善でしかないのです。嘗て、NHKBSは、本件を美談化し、ドラマ化していましたが呆れた話です。

その証として、大多数の外国人選手達は、日本の大学教育を受ける能力のない人達が大半です。当然、大学の講義授業に顔を出しても午後からの練習の為の休息、朝寝、昼寝タイムとしか理解していません。日本人学生選手のマネをしているのか、そのように指導されているのか、授業に出ても講義が子守歌に聴こえるのかは、別問題です。今日では、伝統校までもが手っ取り早いので助っ人の導入に手を染めている状態はご承知の通りです

外国人選手達は、勿論所属大学の特待生で授業料、生活費、小遣い付きで、母国への航空券代も加味されています。これら諸経費を加味しますと外国人学生一人に対して年間800万円が相場となっています。また、大学側は、これらの選手を確保する為には、プロの仲介人を介してアフリカから連れてくるのですから、当然ながら仲介手数料として選手一人に対して300万円から500万円が相場である事も業界では知られています。既にこの事は、一昨年、昨年と数回マスメデイで紹介されていたのも事実です。このような外国人選手は、企業スポーツにプロ契約して競技に参加するのであれば何の問題もないのです。留学生と位置付ける事にそもそも無理があるという事です。これでは、大学教育機関に「フェイク学生」が外国人のみならず日本人学生選手にも蔓延しているのです。

このような事は、30数年前から既に始まっていました。それがやがて男子のみならず、女子選手も仲介人経由で日本各地の私立高校に紹介され、そして大学へ、最後は、実業団テイームの会社、企業に売られて行くネットワークが作られるようになりました。1年で日本での生活に耐えられず帰国する選手もいます。しかし、即その大学は、仲介者の手を借りて新たな助っ人を10月の箱根駅伝予選会に間に合わせます。中には、高校卒の証明書も無く出場させている次第です。現在の箱根駅伝規則では、外国人を2名登録できるが公式にレースに出場できるのは1名で、もう1名をスペア―と考えているのです。何故このような規則だけは作りフェイク学生を認めるのでしょうか。

現在では、箱根駅伝出場に程遠い大学が、アフリカからの選手を同じ手法で購入して走らせるのです。その大きなメリットは、大学の広告塔として、毎年10月の箱根駅伝予選会までもがテレビ実況中継され、先頭集団を走る事で広告価値は、特待生の費用、仲介料の経費を上回るとの試算が成り立つようです

大学指導者の中には、レベルの高い選手と一緒に練習する事で日本人学生選手の強化になる。と解説する指導者もいます。しかし、これは、体裁の良い唯の言い訳であり、自身の指導力の無さを露呈、元々の身体能力の問題と指導者の勉強不足とコーチングの無さを言い訳にしているにすぎないのです。このような指導者は、外国人選手抜きで勝利している大学テイームに対してどのような言い訳を持っているのでしょうか。

筆者の私見

筆者は、留学生を決して拒んでいるのでありません。全加盟大学に共通したルールブックを作成して、各大学は、皆さんで作った規則、ルール、罰則を遵守するための誓約書或は協定書に同意され、違反行為に対しては毅然としたペナルテイーを与え、受託する事が前提であれば、留学生問題、日本の学生選手問題も問題なく解決して、皆にフェアーな大学競技スポーツを構築できると確信しております。但し、日本の大学に留学を希望するなら、大学で講義授業を受けられる最低限度の日本語能力がある事が大前提で、その能力があるかどうかの物差しとなる留学生への日本語検定試験は、必要不可欠である事を先ずルールブックに明記する事が必要であると申し上げます

日本人学生選手には、純粋に箱根駅伝を目指して勉学に練習に取り組んでいる沢山の学生選手達が居ます。このような学生選手達に対して、心無い教育者、指導者、経営者により出場資格枠が奪われ、不公平、不利益を与えている事を何と考えているのでしょうか。

2.学生選手へのリクルート活動とその手法

大学から学生選手への条件提示

近年は、大学と学生選手の間の需要と供給のバランスが崩れてしまっている状態が続いています。競技力の高い大学側では、リクルートするに当たって学生選手を四段階にランクを決めているようです。

1)特Aランク選手:

何処の大学もが欲しくてたまらない商品価値の高い選手を意味しています。このランクの選手達及び父母達は、プレステイージの高いとされる大学から引く手あまたであり、そうでない大学には目もくれない選手の事です。オファーの中身は、各大学それぞれです。最後の決め手は、他大学に比べて特別な内容が加味されているかどうかなのです。(此処に置いてもリクルートに関するルールも罰則も協定書も無いワイルドな状態です)

例えば、近年スキージャンプ競技種目で女子学生選手が「推薦入学、特待生、強化費別途、父親の大学専門職への斡旋と特別待遇で迎え、大学授業は出席しなくても良い、卒業証書も確約、等々」と此のことが事実であるならば呆れ果てる惨状です。此れが日本の大学競技スポーツの現実と実態なのです。

2)Aランク選手:

多くの大学では、このランクの学生選手をターゲットとしているのが現実です。伝統校と一般に称される大学でも1)の学生選手が手に入る保証は、有りません。よって、次のランクの選手を狙うのは自然な成り行きです。

3)Bランク選手:

4)Cランク選手:

B,Cランク選手に対しても多くの大学は、特待生扱いをしているのが現実です。まさに売り手市場だからです。

此処で読者の皆様は、お気付きになられたかも知れません。3)、4)のランクの学生選手を抱える多くの大学は、「箱根駅伝予選会出場」の常連校なのです。そこで大学経営者は、本戦出場と大学の売名行為を狙い、手っ取り早い方法と手段に手を出すのです。それが、身体能力の高い外国人を安易に買ってくる手法であり、日本人選手に対しては、特殊な条件提示でプロ野球界顔負けの所業がなされるのです。近年特に他の大学競技スポーツにも蔓延している実態であります。

筆者の経験からも、近年の学生選手及び父母は、このような状況、環境から大学を選択するに当たってアカデミックや競技スポーツだけでなく、社会的にもプレシテイージが高く、就活に役立つ大学を選ぼうとするのは当たり前です。何故ならば、日本の大学には、推薦による入学制度があり、大部分の強化部所属の学生選手は受験経験せずに入学してきているのです

裏口入学した学生選手の卒業前の合否トラブル

私は、ある大学で教授職を務めていました時に、その大学では伝統的に有名な学部の教授から相談を持ち込まれたことがありました。丁度3月の卒業認定教授会の時期です。「毎年3月の卒業認定教授会は、荒れています。その理由は、本学で選ぶ学生選手が法学部を希望する事からです。しかし、この時期が来ても卒業単位を満たしていない酷い状態で、また、このような学生選手が、学部に多く押しかける事で学部の資質のレベル低下も招いています。しかし、大学が入学時に既に卒業を約束している事が判明し、それで教授会が紛糾しているのです。このような問題を「スポーツ・アドミニストレーションとアドミニストレーターの専門家としては、どう処理されますか」とのご質問でした。伝統と威厳を保つ大学が、教授会でこのような件で大問題となっている事は、多くの他大学と比較しまして、まだ真面目で常識ある大学教授会である証拠でもあります

このように、今日の学生選手、父母は、大学選択時にすでに大学側に条件を付けている事に気付かれるでしょう。嘗て、大学側のオファーは推薦入学や特待生が条件でしたが、今や学生選手、父母側は、学部指定、そして卒業証書まで担保させるに至っている事を見逃してはなりません。これは、もう日本の大学には、アウトロー(Out of Law)の学生選手と大学管理者、経営者が多数いると言われても仕方のない危機的な状況の証しです。このような大学に対して、いったい何処の誰が襟を正させるのでしょうか。しかし、教育機関にも運営組織、団体にもこれらに対する規則、罰則が無いのですから、モラルの問題でしかないのです。此れを称して、やり得、やられ損と申し上げるのでしょうか。

このような状況から、箱根駅伝で有名選手だったという事だけで卒業単位を取得していないにも関わらず卒業証書を持ち帰る学生選手が社会に出て、現役選手後やがて教育機関で指導者になった場合、どのような指導者になるのでしょうか。これらは、ほんの一例に過ぎませんしかし他の多くの大学では、このような事は全く問題とならず経営者、教学責任者が簡単にハンコを押し処理されているのが、実態です

例えば、オリンピックで金メダルを取った水泳選手は、特待生として推薦入学した大学プールで4年間一度も泳ぐこともなく、卒業前には、未修得単位科目が山積、担当教員がこの学生選手に単位を出さないと突き付けたのだそうです。しかし、そこで大学上層部から担当教授に圧を掛けて、この学生選手は、高笑いして卒業して行ったと知る人ぞ知る事実です。もうこの様な教育機関は、日本の最高学府の大学と言える価値もないと思いますが。大学のプライドは、無くしたようです。

私の経験則で申し上げるなら、学業、競技スポーツ共に優秀な学生選手は、全体から致しますとほんのごく僅かですが、日本の大学にいる事も確かです。この学生達は、真の文武両道の学生でありました。その多くは、その名も体連生(体育連盟学生の略)と称して、キャンパスをジャージ姿で肩で風切って歩き、誰からも注意をされないフェイク学生の人達です。

まとめ

学生の名を借りた組織、団体では、自らをバランテイアと称する人達は責任の所在が明らかにできず、今日のような大人達のBLACK BOXとなると思われます。大学競技スポーツを、学生の自治と位置付けるには、余りにも無理があると思いませんか。各大学の競技スポーツ(部活)は、教育の一環、延長線上に位置し、「正義JUSTICEと公正、公平FAIRNESS」を基軸とした、強い教育の理念に沿ったアドミニストレーションが必要であると思います。

今日のような、状況においてこそ一日も早く全加盟大学には、「共通した規則と罰則を明文化したルールブック作り」が先決である事を提案致します。但し、本ルールブックを遵守するに当たりましては、独立した大学スポーツ査察委員会を設立して、全加盟大学が委託する事が前提です。

営利を第一とする会社、企業論理では、大学教育機関の本分である学生選手及び学生を健全で在るべき教育環境に於いて、守る事が難しくなっている事に読者の皆様もお気付きになられた事と思われます。今こそ、大学競技スポーツを健全な姿に戻す為には、皆様方のご理解、ご支援と勇気あるスポーツ・マスメデイアの行動力も欠かせません。大学競技スポーツは、大学生とその地域社会が共有する公共的な財産です。この理解と認識があって初めて、関係者は、教育機関に於ける学生達に明るい未来の光を供与できるのでないでしょうか

筆者の私見

筆者は、このように日本のスポーツ界、大学スポーツ界に於いて競技スポーツを行う学生選手達の本分は教育を基本とした文武両道な原理原則を基とした指導、育成を致さなければ、何時まで経っても日本のスポーツ界は政治家達の駒となり餌食になり、スポーツ界から決して国家、社会に貢献できる指導者、リーダーが育たない事を理解して頂かなければなりません

この度の東京五輪組織委員会森喜朗会長のスポーツ・アドミニストレイションでは、如何ともし難い結末を結果としても読者の皆様は十二分に理解と認識を新たにして頂けたのでないでしょうか。この国には、スポーツ・アドミニストレイターの指導と養成が先ず急務なのです

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS)

紹介:Gファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文芸春秋社 著 武田頼政

お知らせ:

大学箱根駅伝のシリーズをご笑読頂きいかがだったでしょうか。皆様は、お正月の箱根駅伝を異なる視点で次回観戦される事でしょう。しかし、この真相と現実、問題を知らなかった方が良かったと思われている方々も多くいらっしゃるのでないでしょうか。勿論、誠実に大学生としての志を持ち、卒業単位を取得する事を目し、また、大学院を目して勉学に駅伝トレーニングに日々励んでいる学生選手も沢山居ることも忘れてはなりません。しかし、このような誠実で努力している学生選手に対する対応が余りにもアンフェアーである事は、純粋に応援されている皆さんは見逃してはなりません。見て見ぬふりをする事は、学生、学生選手達の教育に何の改善も改革にも成りません事を今一度再考下されば幸いです。

読者の皆さんのお子さんがこのような環境で苦汁を舐めていたらどうされますか。放って置きますか。大学箱根駅伝BLOG連載にお付き合い下さり誠に有難うございました。