K’sファイルNO.45:84ロス五輪は世界のスポーツ電通の基盤(PARTⅢ.) 無断転載禁止

K’sファイルNO.4584ロス五輪は世界のスポーツ電通の基盤(PARTⅢ.)

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注:河田弘道は、オリンピックが日本で開催される事に大賛成です。しかし・・・

 PARTⅢ. 84ロス五輪と2020東京五輪の統括管理者達とそのまとめ~

    この度は、2018年冬季五輪月間でありましたので2020東京五輪84ロス五輪と其の比較、そしてスポーツ電通の関わりに付いてシリーズで述べさせて頂きました。本K'sファイルNO.45では、PARTⅢ、PARTⅣ、を一気に掲載させて頂く予定でしたが、PARTⅣ.~筆者の米国に於ける日系人社会との出会いと歩み~は、次週掲載を予定とさせて頂きます。

 1.森喜朗氏とP・ユベロス氏の違い~

 森喜朗組織委員会会長への素朴な疑問?:

     筆者は、先ず森喜朗会長がアスリート(競技者)をリスペクトした発言を耳にしたことがありません。同氏は、我が国のアスリートを貶したり、暴言を吐いたりする事はよくマスコミメデイアを通して耳に致してきました。このような人物を2020東京五輪組織委員会会長の玉座に推挙することは、適切ではないと私は思いますが、読者の皆様は如何でしょうか。

    会長選考は、選考基準、選考方法も公示せず、誰がどのような理由で何の為に選んだのかも未だにグレーのままです。フェアーな選考委員、選考委員会は、存在したのか、何処の誰がどのような理由で選考したのかも明確な情報公開が全くなされないままのようです。このような選考では、戦前、戦後間もない時代のような何か不純な他意があるとしか思えません。このような事は、民主主義国家たるに反するフェアーでないアドミニストレーションです。スポーツに必要不可欠なリーダーたるや、爽やかさと清潔感があり、人からリスペクトされる魅力を持ち合わせている事が大前提であると私は思います。

   2020年五輪東京大会、組織委員会会長の森喜朗氏と84年五輪ロサンゼルス大会、組織委員会・委員長のP・ユベロス氏とは、理念、コンセプト及び略歴、選考方法、等を含めた比較を致しても、全てに於いて一目瞭然でその違いを理解して戴けたかと思われます。

   特に二人の相違は、森氏が組織の長として奉られた名誉職のような存在であるのに対して、P・ユベロス氏は、実質組織のトップとして実務を自ら取り仕切るゼネラルマネージャー(GM)であり、かつまたビジネスマネージャー(BMでもある点です。

前者は、日本の政界に於いて自由民主党の政治家(元文部大臣、元総理大臣を歴任)として卓越したキャリアを持たれた、日本の伝統的なスポーツ組織・団体の親分です。後者は、両部門(GMBM)を実践的に統括経営、運営、管理できるまさにクリーンな最先端のスポーツ・アドミニストレーターの実践者であり、成果と結果も申し分ない人物でした。

   この違いは、招致活動から今日に至るまで、組織の統括責任者としての言動、行動、対応を読者の皆さんが感じておられる通りです。このような選考では、国民、社会に与える暗いイメージは計り知れないと思います。

  一方、P・ユベロス氏は、ロス五輪後米国共和党カリフォルニア州知事として立候補を予定していましたが、丁度同党からアーノルド・アロイス・シュワルツェネッガー氏(Arnold Alois Schwarzenegger, 19477 30 - )が立候補した為、共和党は、シュワルツェネッガー氏を擁立した経緯が在りました。ユベロス氏は、政治家としてのセンス、実力を兼ね備えていた事も州民が認めるところです。その後同氏は、メジャーリーグMLBコミッショナーの要職に就きました。このような人物こそが、信頼できる政治家であり、スポーツ・ビジネスアドミニストレーターなのだと思います。世界のスポーツ界に変革を与えたBIG31人と言われる所以です。

   此処で誤解を恐れずに申し上げますと、筆者は、森喜朗氏個人に対しての良し悪しを申し上げているのではございません。私は、同氏との面識も利害関係もありません中立の立ち位置です。同氏を本組織委員会の総責任者として祭り上げた関係者の「都合」が問題であるのでないかと申し上げているのです。このことは、組織内に於いて談合がしやすい利権構造にしてしまっている事、よって国民、社会に情報公開がなされない事が問題であると指摘させて頂いているのです。おそらく、ご本人の森氏は、このような事を思考されたこともないのでしょう。

   もう一つ疑念が残されています。2016年、2020東京オリンピックを招致しようとした国会議員連の政治家達とJOC東京都知事、そして関係者は、何故84P・ユベロス氏が残した貴重な財産の運用、活用を検討もせず、公金(税金)を引き出すことのみに執念を燃やしたのか、此処にどの様な理由と真意が潜んでいるかです。或は、これら関係者は、専門的な知識と情報が欠落し、公金を使う事のみに魅力と興味が有ったのでないかと思われてもしかたありません。

   客観的に申し上げられます事は、森喜朗氏自身が問題の本質を認識されていないのだと推測させて頂きます。政治家の持つ常識と我々国民、社会の常識とは、全く真逆か、或は、正義と公正の感覚がずれているのでしょうか。

  若しかして、真のスポーツ・アドミニストレーターとして求心力、カリスマを持った人材が日本には居なかったのでそのようなアイデイア、知恵も醸成できなかったということでしょうか。私は、そうは思いたくないし、そうであって欲しくもありません。読者の皆様の本音は、如何でしょうか。

  皆さんが無感心を装い、勇気を出して発言されないのでグレーゾーンの中に入る人達が増殖して行っているような気がしてなりません。我々国民一人一人にも責任の一端は、確かにあると思います。

 IOCのオフィシャル広告代理店としての電通

    広告代理店電通は、84年ロス五輪以降、IOCのオフィシャル広告代理店となり、今日もこれからもIOCと契約関係にあります。84年以後全てのオリンピック大会の公式代理店は、電通であります。

 84年迄の日本の広告代理店は、二巨頭として電通博報堂が君臨していたことを知る方々も多くいると思います。世代に寄っては、博報堂のネーミングすらご存じない方がいるかも知れません。1982年のワールドカップサッカー、スペイン大会の広告代理店は、博報堂でした。Jリーグも1993年の開幕から博報堂でしたが、今やその影はサッカー界において見当たりません。箱根駅伝のスポンサーシップの広告代理店、また高梨沙羅選手の代理店は、博報堂です。この事は、「KsファイルNO.29~33河田弘道の素朴な疑問:大学箱根駅伝は誰の物」、で紹介させて頂きましたのでご参照ください。

   電通は、当然IOCのオフィシャル広告代理店であり、東京五輪組織委員会の国内のオフィシャル広告代理店としても、全てのスポンサーシップを独占的(Exclusive)にビジネスマネージメントを行っています。よって、電通は、何処でオリンピックが開催されようとも事業、ビジネスに損失は生じない構造とシステムに成っているのです。読者の皆さんは、ご存知でしたか。

   2016,2020年の東京招致活動から、そして組織委員会と殆ど大会の経営、運営、管理に携わる関係者達は、これらのノウハウも持ち合わせていないために、略全てを電通さんにお任せしてお預けしてしまったと申し上げても過言でありません。(例えば、オリンピックのプレゼンテイションの台本からスピーチの人選、雛壇に並ぶ人選までも)

 政治家達とその関係者達の仕事は、国民、都民の貴重な血税である公金が使えるように準備されたと申し上げた方が判りやすいかも知れません。このような構造とシステムの中で、流れ出て行く公金の使途を精査するかどうかもこの政治家、関係者の裁量に委ねられている、悲しい構造である事に我々国民は、無関心を装っているのです。読者の皆様は、長野冬季五輪組織委員会の重要書類が焼却処分されていて不正の調査が立切れとなった事は記憶に新しいのでないでしょうか。このような問題は、今日に於いても財務省局長の国会答弁でも同じような事が繰り返されている事をご承知の筈です。

 真の情報開示の必要性、

   これらの重要な情報は、国民と社会に誰が提供すべきなのでしょうか。どうして我が国の国民、社会は、このような現実に対して無関心を装おうとするのか、個々の大多数の国民は、本当は疑問と疑念を抱いているが、個人の力ではどうせお上には伝わらない、逆らえない、よって言ってもしょうがない、とそのあきらめによる無関心な「心」が不誠実な人達を醸成し、わが日本国を蝕んで行っているのでないかと私は考えます。

   皆さんは、84年ロス五輪の運営・管理方式と2020東京五輪の運営・管理方式のどちらのコンセプトを採用するのが日本国民と社会に取って適切だとお考えですか。もっと国民、社会は、無関心を装わず強い関心と意識を持って勇気ある発言力と行動力を持たなければ、この国は近隣諸国に略奪される可能性も近い将来あるかも知れない。そういう危機感を持って欲しいです。国民よ、そして若者よ、目を覚まそうではないか。皆様の「心」に変革(Change)が必要な時代と時がやってきたのです。現在の我が国の構造的な問題を改善、改変しなければ若い世代に未来は訪れないです。

 筆者が組織委員会の統括管理者であったなら、

    僭越ながら、若し筆者が2020年東京大会の組織委員会で、真の実権が与えられたならどうしただろうとふとクリエイトする事があります。私は、一部ロス方式を活用したかもしれません。それは、IOCのオフィシャル広告代理店が日本の企業電通である事を大いに利用して、20年東京大会組織委員会の権利である国内スポンサーシップ販売権を電通HDYグループ(博報堂、大広、読売広告)、その他広告代理店に対し、競争の原理を活用し、少なくとも公金の負担を軽減できる金額を提示した代理店に権利を譲渡する手段を用い、スポンサーシップ権を有効活用しようと考えます。この方式をIOCに承認させるのが政治的な手腕であると確信している次第です。如何でしょうか。

   何故ならば、ご存知の通り2024年のパリ、2028年のロサンゼルスと招致を希望する都市がこの都市しか立候補せず、東京のような招致合戦が無くなったためにIOC及びその理事達は窮地に立たされていたのです。要するに日本国内の招致合戦(利権争い)をIOCの理事達に上手く利用されたのです。

   これによりオリンピック開催は、国内企業への経済の活性化、国民、社会の一体化へと繋がり、使用しなかった公金は、東北のみならず震災復興に全て還元し、一人でも多くの苦しまれている国民を救えたのではないでしょうか。これらは、関係政治家、関係者の「心」による判断と決断をもってして可能であったことです。読者の皆様には、ご理解頂けましたでしょうか。

 文責 河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the Sport

 お知らせ:次回K'sファイルNO.46では、これまでのシリーズの中で筆者は、米国に於いてどのようにし日系人社会、日系人達と関係構築したのだろうと興味を持たれている読者の方々がいらっしゃるとお聞きしましたので、別途述べさせて頂きます戴います。笑読下されば幸いです。