KファイルNO.198:隠蔽と公開の二つの異なる民主主義国家

KファイルNO.198:隠蔽と公開の二つの異なる民主主義国家

無断転載禁止                毎月第2、第4木曜日掲載

スポーツ・アドミニストレイター

日本に初めてスポーツ・アドミニストレイション論を導入

日米で実践スポーツ・アドミニストレイターの先駆者

プロフィールは別途ご検索下さい

 

2023年4月13日 公開

目次

五輪組織のリーダーは組織の体を表す

 ■組織のトップの選考は最重要課題

 ■大義無き組織は私利私欲の暴徒と化した

KファイルNO.198:隠蔽と公開の二つの異なる民主主義国家

 ■電通のロス五輪プロゼクトの最終交渉

Ⅰ.電通ロス支局は最強の最前線基地

 1.ロス支局の人材と対応力

 2.P・ユベロス氏と服部、ジミー氏の会談後

 3.ビジネス・ミーテイング会場と化したCC

 4.P・ユベロス氏をベル・エアーCCで待ち伏せ

Ⅱ.契約内容の詰めから実務作業へ

 1.本社での実務作業開始

 2.ジミー・福崎氏の存在と新たなWCサッカービジネスの開拓

 

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五輪組織のリーダーは組織の体を表す

■組織のトップの選考は最重要課題

Kファイルの読者の皆様は、NO.196,197をご笑読頂き1984年のロサンゼルス五輪組織委員会(略:LAOOC)と2020年東京五輪組織委員会(略:TOCOG)の経営、運営、管理の違いを理解して頂けましたでしょうか。

大半の読者の皆様は、東京五輪組織委員会の問題点は既にお気付きになっている事と思われます。しかし、84ロス五輪組織委員会が何故今比較対象としてKファイルが紹介するのかの真意を理解して頂けましたら幸いです。

そして、20東京五輪招致委員会の会長は、何故84ロス五輪成功の実態を議論、討論、参考にもせず、全く無視して愚かな経営、運営の方向に突き進み国民に多大な負担を強いてしまったかのパズルの抜けた穴を埋める根拠を見つけて頂けましたでしょうか。

素朴な疑問が残るのは、この度の東京五輪組織委員会森喜朗会長は84ロス五輪組織委員会大義はもとより大会そのものの経営、運営、管理の専門的な知識をお持ちにならなかったのか、或いは興味も無かったのかも知れないと思うほど、余りにも国民、社会を蔑ろにした方向に導いてしまった感は否めないと思われます。

 

大義無き組織は私利私欲の暴徒と化した

筆者は、僭越ながらこれ程迄詳細に、ロス五輪並びにそれを支えた広告代理店電通が如何にしてロス五輪に関りを持ったか、IOCと今日の関係を構築できたかを筆者が知り得た当時の模様を描写致しました。そしてロス五輪は、開催するに当たっての明快な大義を掲げ(国家、州、市の公金は一切使わない)その大義を一貫する為の目標数値(黒字化する)を公表、告知した強力なリーダー(スポーツ・アドミニストレイター)の下でスポーツ・アドミニストレイションが成されました。この世界最大のスポーツイベントは、大会委員長をリーダーとして経営、運営、管理のトータルマネージメントの一大モデルを完成、成功に至らせたのです。

片や、東京五輪組織委員会の会長は、東京五輪招致委員会の招致活動の動向を裏舞台(招致委員会の評議委員の議長として)で静かに見計らっていたのですそして、この人物は、招致活動に勝算ありと確信を得た時から表舞台に現れ出でて、いつしか組織委員会の評議委員、理事のメンバー選考を裏舞台で闇のリストを作り、それまで招致活動で実質的に心血を注いで活躍された優秀な人達を自身の好き嫌いか、忖度からか問答無用とばかり切り捨てたのでした

よってそこに形成された組織は、都合の良いイエスマン達と頭数合わせのお飾り委員達を大半集め合意形成に必要な数の原理を形成したのだと思われます。それに加えて、この様な五輪大会組織委員会に政治家達の関りは、伝統的にタブーとされて参りました。しかし、本東京五輪は、この慣習を無視し現役自民党国会議員には東京五輪相との大臣ポストを特別に設けて、6,7名の国会議員を入れ代わり立ち代わり五輪相ポストの安売りを行ったのは、党内に於ける派閥のみならず政府内の動向並びに情報収集役を担わせていたのかも知れません。しかし、その議員達には、生涯に於いて肩書が歴史に名を残すのです。

東京五輪がロス五輪と異なる最大の問題と違いは、「五輪開催の大義の有無」でした

東京五輪招致委員会が掲げた大義は、「東北震災復興五輪」であった事は読者の皆様はご承知の通りです。東京五輪招致委員会は、IOC総会に於いての「プレゼンテイション」で震災復興五輪を掲げ、運営はコンパクトな大会、経費は約7300憶円とする事をお約束して招致活動を勝ち取ったのでした

しかし、このプレゼンテイションのお約束事は、全て噓であった事を後の東京五輪組織委員会設立と同時に、組織委員会会長に就任した森喜朗氏が予定通りとばかりにひっくり返したのでした。

これに伴い大会開催の「大義」は、暗闇に葬られたのでした。これにより2020年東京五輪は、大義なき五輪開催を余儀なくされました次に、森会長は、「五輪にはレガシーが大事」と大声を出し始め、コンパクトは邪道だと言わんばかりに吠え始め、予算は、「こんな金では出来ない国がサポートしなければ出来ない」、と招致委員会がIOC総会で公約した全てのプレゼン内容を否定して、森独裁体制を日本政府、内閣府JOC、都、IOCも了解してしまったのでした

森発言を、誰もが止めなかったのは既に森体制をお膳立てしていた日本政府、都、JOC電通出来レースであった言われても過言でない事は結果として認めざるを得ないのが今日の現実が物語っているのは確かの様です。東京五輪招致委員会、組織委員会は、国民をだまし討ちにした疑獄の始まりだったと言う事でしょうか。

筆者は、このようにロス五輪と東京五輪の五輪開催のコンセプトを色別しても「白の組織」と「真っ黒の組織」と表現する事で明確に比較できると思われます。

読者の皆様は、どの様に比較されたでしょうか。

:此処で東京五輪組織委員会の会長氏とロス五輪の委員長の違いが明らかに成ったのです。残念ながら東京五輪の会長氏は、東京五輪開催及びスポーツ、競技スポーツへの理念、理解に於いて、全く対極で異質のリーダーであった事を成果・結果は基より、度重なる失言、ビヘイビアーからも理解していただけたのではないでしょうか。

東京五輪を失敗に導いた最大の要因は、日本国の伝統的な村社会により構築されて来た「談合文化」を東京五輪組織委員会内のアドミニストレイションに持ち込むために、よりによって森喜朗氏をその村長さんに仕立てた事に起因したと理解することが適切ではないかと思われます。その結末は、現在国民と社会に莫大な負担を強いていると理解すべきでしょうか。

 

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2023年4月13日 公開

KファイルNO.198:隠蔽と公開の二つの異なる民主主義国家

無断転載禁止

電通のロス五輪プロゼクトの最終交渉

Ⅰ.電通ロス支局は最強の最前線基地

1.ロス支局の人材と対応力

電通のP・ユベロス氏への接近計画は、当時本プロゼクトが企画・遂行される前から現地ロサンゼルスの電通支局がその最前線基地となる事から、当時の支局幹部、他現地スタッフの方々は、戦場さながらであったに違いありません。その最大の任務は、本プロゼクトに関するあらゆる情報の収集、および整理作成、そして分析が水面下で遂行されていたと思われます。

さらに分析された情報は、築地電通本社の企画本部に打電。そこから指示待ち、再度情報収集と分析、レポートと繰り返し続く作業は、24時間(時差もあり)それはまさに戦場そのものであったと思われます。

電通支局には、東京本社のあらゆるグループ、部署のプロデユーサーレベルから、管理職の方々からの情報取り、そしてその返信にも対応しなければならず、どの部署の誰にどのような情報を入れるかの選別も大変神経を尖らせた事と察します。しかし、このような有能なロス電通のスタッフの方々の能動的な血のにじむような業務と努力が在って、本プロゼクトが完成された事は言うまでもありません。

この支局の有能な方々は、服部氏、ジミー氏のかけがえのない戦場での戦友そのものであったのです。本ロス支局も現地での本プロゼクト遂行に関しては、服部氏、ジミー・福崎氏のアドバイスを真摯に受け止め、支援する事が組織のコンセンサツと成っていたので、何の疑いもなかった筈です。

同支局のスタッフ達は、築地電通本社の社員として鍛えられていたので、ロス支局に於いても日本流の夜討ち朝駆けで情報収集、アレンジメント、コンタクト作業がなされたのです。これらの実践行動は、アメリカ人には信じられない行動力と緻密な作業プロゼクト戦略に沿った形で、遂行されたのです。支局員達は、能動的という表現を遥かに超えた、アグレッシブで攻撃的な性格の方々であったと強く印象に残っています

 

2.P・ユベロス氏と服部、ジミー氏の会談後

フレッド・和田氏の仲介の後、いよいよ電通プロゼクトテイームは、服部氏、ジミー氏、そしてサポーテイブなロス電通支局員と力を合わせ、現地最前線の作業部隊として戦闘を開始したのです。また、P・ユベロス氏も、その後LAOOCの立ち上げ後、組織の強化構築と非常に多忙を極めながらも、電通の作業部会との時間取り、エネルギーを費やす重要な時間帯を共有したと思われます。

LAOOCは、全ての権限が委員長のP・ユベロス氏に集約されていて、組織の各セクションのマネージメント体制の統括管理責任者であり、全ての指揮管理系統の頂点となっているのでまさに同氏は84ロス五輪のスーパースポーツアドミニストレーター(CEO、GM兼務)でした。

しかし、日本人ビジネスマンと異なる点は、常にユベロス氏は、ビジネスとリラクゼーションとのバランスを取るのが大変上手く、多忙の中に置いても必ず趣味のゴルフには出かけていました。このアメリカ人のビジネススタイルと日本人の気質の違いは、日本人ビジネスマンをいら立たせ築地電通本社からの信じられない程のプレッシャーがロス電通支局に押し寄せていたに違いありません

先ずは、ユベロス氏のスケジュールから如何にして電通タイムを確保できるかは、至難を極めた事と思われます。日本人スタイルのビジネスマンの夜討ち朝駆けは、アメリカ人には嫌がられ通用しませんそれでは、如何にしてビジネスアワーにビジネスタイムを確保できるかが、米国に於いてはビジネスの成否の分かれ目となるのです

そこで電通ロス支局は、ユベロス氏の一日のスケジュールの情報を克明にリサーチ、如何にしてその隙間を確保できるかに日々神経を尖らせたことでしょう。ユベロス氏は、必ず息抜き(ファミリータイム、ソーシャルタイム、フレンドシップタイム、リラクゼーションタイム)の為に時間を確保しています。そこで彼のゴルフタイムに狙いを定めたのでした

 

3.ビジネス・ミーテイング会場と化したCC

ユベロス氏は、ロサンゼルス近辺の超名門ゴルフクラブのメンバーとして、特にその中でも名門コースのロサンゼルス・カントリークラブ(Los Angeles Country Club)、ベル・エア~カントリークラブ(Bel・Air Country Club)は、お気に入りであったことも確認。とりわけロサンゼルスCCは、メンバー以外の出入りが非常に厳しく(元大統領のレーガン氏もメンバーと聞き及んでいました)制限されるクラブで在り、そのため、ユベロス氏が一番よく使用するベル・エアーCCに狙いを定めたのでした。ベル・エアーCCは、市内の超高級住宅街のビバリーヒルズ、ベル・エアーと代表的な超高級住宅地域の一画にあります。場所は、WEST WOODウエストウッドのUCLAキャンパスの裏山がこのベル・エアー地域なのです。

丁度、此処には、小生の親友の家族がその山頂付近に豪邸を構えていたため、私には付近の様子が手に取るようにわかりました。この地域は大変詳しかったのです。ベル・エア―CCについても、プレシティージの高いゴルフクラブでありますが、幸い、私は、本CCで何度も親友の米国人とプレーしていましたので、こちらも精通していたと言えると思います。

余談になりますが、本クラブのコースは、超有名なホールが在り、それはインの10番ホール、Par3、200ヤード、鋭い深い谷越えが名物ホールです。いつも私もプレッシャーを受けてプレーしていました。私の親友は、このホールをいつもスキップしてプレーしないで(俺は次の11番で待っているよ)と言って次の11番に向かってキャディーと一緒に行ってしまいます。

その理由を会食時に訊ねると「waste of ballボールが無駄」と頭からあきらめの境地でした。友人は、アメリカンHONDAの広告代理店の副社長でPGAホンダクラッシックをスポンサーしていた関係からかゴルフ好きの肩の凝らないおやじでした。

また、このベル・エアーCCの特徴は、勿論カート使用もできますが、一人のプレーヤーに若い男性キャデイーを付けてくれ、バックを担いでくれ、コースのガイドもやって下さるので大変記憶に残るゴルフクラブで在ります。殆どの米国の各州の名門クラブは、リクエストすれば男性の個人キャデイーが付いてくれます。また、名門クラブのメンバーは、他州の名門コースのTタイムもクラブハウスから予約できます。双方のメンバーにはメリットがあり、大変行き届いています。

 

4.P・ユベロス氏をベル・エアーCCで待ち伏せ

ジミー・福崎氏は、日系米国人で電通側に立ち、米国流のビジネスコンセプトと服部氏(電通)の日本流なビジネスコンセプトを十分に心得たうえで戦略を組み立てられていたのには感心させられました。

彼はユベロス氏に近付き、権利獲得へと電通を導き、そして今日に至るまで世界にスポーツ・ビジネス「電通」の名をとどろかせた、電通に取ってはかけがえのない人物でした。服部氏が他の日本人ビジネスマンと異なる所は、信頼するジミー氏にキーを預けて相手とのネゴシエーションを任せる所です。

米国人と交渉事を行うに当たり、多くの日本人の最大の問題は、ジミー氏のような立場の人を雇っているにも関わらず、日本人独特のやり方を通すことで、折角のビジネスチャンスを潰してしまう、即ち幕開けから幕閉じまで自分でやらねば気が済まない性格から針で穴を突くような事をやらかす欠点があるのです。その点、服部氏は、度量の大きな人物でした。

此の事は、業界においても社会においても伏せられてきた特命事項で電通内部に於いても本プロゼクトの部門及び関係部署の人間以外は知るよしもなく、服部庸一氏の名前は知っていてもジミー・福崎氏の名は何故か外部に対しては誰もが語ろうとはしませんでした。これは、日本の伝統的な社会、組織の習慣の一つなのかも知れません。日本人には、良い意味での不思議な美徳、美学がある事を初めて認識した次第です。しかし、私は、このような伝統はフェアーな評価ではないと考えます

服部氏とジミー氏は、ベル・エアーCCでP・ユベロス氏のゴルフプレー終了を待ちかまえ、クラブハウス内に潜り込んでのミーテイングを繰り返し行ったものと想像できます。勿論、ユベロス氏のLAOOCの委員長オフィスのミーテイングルームに於いても、またある時は、ダウンタウンのホテル会議室に於いて話が積み重ねて行われていたのです。

Ⅱ.契約内容の詰めから実務作業へ

1.本社での実務作業開始

その結果、契約書に盛り込む骨子が固まって行ったのです。

此れにより契約内容の骨子は、事務的な修正、訂正、加筆等と事務的作業がメインとなり作業部門、法文部門に引き継がれて行きます。そして、服部・ジミー部隊は、その後大きな調整事項に付いてのみP・ユベロス氏との直接交渉となり、それ以後の業務は、LAOOCから得た全ての知的財産権利を今度は築地電通本社内の各専門部門、部署の営業、企画、デザイン、等に於いて現実的な商品化作業を行い、各カテゴリーのスポンサー企業に対するセールスを遂行する重要な工程に入って行ったのです

LAOOCから得た権利を最大限有効に活用する為には、一業種一社に絞り込む為に各複数の業種を確定するに当たっての企業間との駆け引き交渉作業が開始されたのです。

その結果、84ロサンゼルス・オリンピック大会での一番最初に決まった一業種一社の会社・企業は、事務機器メーカーでブラザー電子タイプライターだったのです。それは、ブラザー工業が世界に市場を求めているタイミングでもあった事です。

筆者も本タイプライターを長年愛用したので当時のタイプライターでは、大変斬新で使いやすかったのを記憶しております。

 

2.ジミー・福崎氏の存在と新たなWCサッカービジネスの開拓

私は、ジミー・福崎氏が黒衣の人間として立ち回った事をよく存じて居たので此処にご紹介させて頂きました。また、このご両人は、ロス大会プロゼクトと並行して進めていました電通のワールドカップサッカー(略:WCS)の権利獲得も最終的にまとめ上げ、発展させたのでありました。これも本ロス五輪の権利獲得の成功が大きな原動力となり次なる大きなプロゼクトへと踏み出して行くのです。本WCサッカー獲得戦略に付きましては、機会を見て公開を予定。

電通内部では、当時服部庸一氏の部門、部署ではなく、関係部署で業務をされていた方々が、今日では私が電通で「オリンピックビジネス」を「サッカービジネス」を「世界陸上ビジネス」をやったと公言されるケースが多々あるようですが、その方々は、当時関係はされていてもキーマンではありませんでした。

キーマンは、時間と共に歴史が語る事になるのです。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

紹介:G-file「長嶋茂雄と黒衣の参謀」発行 文藝春秋社 著 武田頼政

   Kファイル、KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada

お知らせ:

次回KファイルNO.199は、本ロス五輪プロゼクトの「最終章:まとめ編」を掲載させて頂きます。このまとめは、あくまで筆者の私見です。読者の皆さんと価値観が異なるかも知れませんが、ご笑読下されば幸いです。