KファイルNO.199:ロス五輪と東京五輪の組織とリーダー達の違い


KファイルNO.199:ロス五輪と東京五輪の組織とリーダー達の違い

無断転載禁止               毎月第二、第四木曜日掲載予定

スポーツ・アドミニストレイター

日本に初めてスポーツ・アドミニストレイション論を導入

日米で実践スポーツ・アドミニストレイターの先駆者

プロフィールは別途ご検索下さい

 

読者からの便り紹介

ブログ198号拝読いたしました。

先生のこれまでの投稿を拝読しまして、当時服部庸一氏、ジミー福崎氏の84年のLA五輪に向けての活躍ぶり、そして、それを受けての当時の電通マンたちの働き、並々ならぬものがあったからこそ、電通が世界的ビッグスポーツイベントに介入できるようになったことは大変よくわかりました。ただ、あの時のは「良い電通」で今は「悪い電通」なのかというと、その時も今も、会社組織としての芯の部分は変わっていないのではないかと思うのです。すると見えてくるのがやはり、「誰が音頭を取っていたか」の違いだと今回よく分かりました。

ピーター・ユベロス森喜朗ではあまりに違い過ぎた、この落差は何なのでしょう?なぜ森喜朗はスポーツ界を牛耳る地位に就くことができたのか、そこを掘り起こしていかない限り、また2匹目、3匹目のドジョウが現れるのでしょう。

バカに対して「あなたはバカだ」と言ってこなかった、それを美徳と思ってきた日本人の国民性を逆手にとって、どんなに不勉強でバカを晒しても恥を知らず表に立ち続ける図々しさ、が昨今における権力への道、になってしまったようです。

先日「日本版NCAA」UNIVASが電通主導だった、と知りました。米国NCAA(全米大学競技スポーツ協会:日本では全米大学体育協会と誤訳が罷り通る)の成り立ちとはあまりにも違いすぎますね、学生スポーツでカネ儲けしよう、という下心など、学生アスリートという立場を守り、ある競技種目に偏ったり、あるいは資金が潤沢にある私学に偏ったりしない、フェアネスを実現させよう、というビジョンの前ではなんと器の小さいものか、とそう思います。幸いというか、今の電通は五輪の後始末に追われているからなのか、UNIVASの方は放置してくれていますが、もうそのまま絡んでこないでほしい、とそう思います。

末端にいる私ですらこの国のスポーツを取り巻く環境が一向に良くならないのに絶望させられているのですから、先生は、長年全米大学競技スポーツ(NCAA)のど真ん中でそれもメジャー大学の指揮官であられ、日本に於いてももっとそれを実践されて参られ、近くで見ていらっしゃる、心中お察しいたします。ボトムアップできない社会で、トップが利権屋でそのトップの利権を守るようなアイデアを押し付けられる…何とかならないものか、とため息が出るばかりです。 読者より(大学スポーツ教員)

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目次

東京五輪組織委員会は3兆6800億円の明細を会計検査院に明らかにせよ!

はじめに

Ⅰ. 森喜朗氏とP・ユベロス氏の違い

     1.東京五輪組織委員会会長への疑念

        ■会長、役員選考はBLACKBOXの中

        ■森氏とユベロス氏の違いとその特徴

        ■嘘つきは政治家の始まりか

        ■責任の一端は無関心を装う国民にもある

    2.IOCのオフィシャル広告代理店としての電通

    ■広告代理店電通IOC並びにIF(国際競技連盟)の代理店

    ■東京五輪組織委員達はお飾りで、実質は電通社員の駒

    3.真の情報開示の必要性

Ⅱ.ロス五輪と東京五輪のまとめ

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2023年4月27日 公開

KファイルNO.199:ロス五輪と東京五輪の組織とリーダー達の違いとまとめ

無断転載禁止

東京五輪組織委員会は3兆6800億円の明細を会計検査院に明らかにせよ!

はじめに

 2020東京五輪組織委員会に於ける理不尽な犯罪行為が後を絶たない事から、Kファイルでは、連載で本件の本質的問題と過去の五輪組織委員会の成功例を東京五輪と比較しながら、東京五輪の重大な組織としての欠陥を述べて参りました。

 この程は、本連載のまとめを筆者の私見を交えながらお伝えできればと思います。残念ながら、東京五輪組織委員会の重大な犯罪行為も、時間の経過とともに国民、社会からは、段々と忘れ去られようとしています。国民と社会が忘れ去ることにより、犯罪行為に手を染めた犯罪者達は、これからも栄え国民一人一人に3兆6800憶円の負担を背負わせたまま忘れさろうとしています。

公益法人東京五輪組織委員会は、数兆円のこの明細も明らかにせず解散しました。清算法人は、本年6月で解散予定でしたが、犯罪行為の捜査が昨年2月以降継続、進行している為か、解散期日が延期となっています。

罪を犯した者達が、お天道様の下を大きな顔して闊歩するようでは、国民の「JusticeとFairness」の存在など司法も行政も如何してしまったのでしょうか。我々は、この現実を真摯に受け止め、このような不正に対して改善と改革に一歩も二歩も踏み出すべきではないでしょうか。

 

Ⅰ. 森喜朗氏とP・ユベロス氏の違い

1.東京五輪組織委員会会長への疑念

筆者は、先ず森喜朗会長がアスリート(競技者)をリスペクトした発言を耳にしたことがありません。同氏は、我が国のアスリートを貶したり、暴言を吐いたりする事はよくマスコミメディアを通して耳に致してきました。このような人物を2020年東京五輪組織委員会会長の玉座に推挙することは、適切ではないと私は思いますが、読者の皆様は如何でたしょうか。失言が多すぎる~!という事は、自らの発言を改める意思が無い事を証明しているのでしょうか。

■会長、役員選考はBLACKBOXの中

会長選考に関しては、選考基準、選考方法も公示せず、誰がどのような理由で何の為に選んだのかも未だにグレーでなく真っ黒のままです。フェアーな選考委員、選考委員会は、存在したのか、何処の誰がどのような理由で選考したのかも明確な情報公開が全くなされないままです。それもそのはず、日本国の大手マスメディアの読売新聞社朝日新聞社毎日新聞社産経新聞社、日本経済新聞社北海道新聞社及びその傘下にあるTVマスメディアは、何と東京五輪組織委員会の国内スポンサーに取り込まれていたのでした。これでは、マスメディアが悪事、権力者に立ち向かうどころか、協力関係にあったのでは「泥棒に十手」を与えるような物でしょうか。

このような選考では、戦前、戦後間もない時代のような何か不純な他意があるとしか思えません。これは、自由民主主義国家たる「Justice&Fairness」に反するフェアーでないスポーツ・アドミニストレーションです。スポーツに必要不可欠なリーダーたるは、爽やかさで高潔感があり、人からリスペクトされる魅力を持ち合わせている事が大前提であると私は思います

2020年東京五輪組織委員会・会長の森喜朗氏と84年五輪ロサンゼルス大会、組織委員会・委員長のP・ユベロス氏とは、理念、コンセプト及び略歴、選考方法、等を含めた比較を致しても一目瞭然でその違いを理解して戴けたかと思われます。

■森氏とユベロス氏の違いとその特徴

  特にこの二人の違いは、森氏自身が述べているように組織の長として奉られた名誉職のような存在であるのに対して、P・ユベロス氏は、実質組織のトップとして実務を自ら取り仕切るゼネラルマネージャー(GM)であり、かつまたビジネスマネージャー(BM)でもある点です

前者は、日本の政界に於いて自由民主党の政治家(元文部大臣、元総理大臣を歴任)として卓越した肩書を持たれた、日本の伝統的な土建屋体質の親分です。後者は、両部門(GM、BM)を実践的に統括経営、運営、管理できるまさに最先端のスポーツ・アドミニストレイターの代表者であり、洗練された政治家としての手腕も申し分ない人物でした。

この違いは、招致活動から今日に至るまで、組織の統括責任者としての言動、行動、対応を読者の皆さんが感じてられる通りです。日本の伝統的な談合による選考では、国民、社会に与える暗いイメージは計り知れないと思います。このイメージは、まさにスポーツ、アスリートとはかけ離れた人物であるにも関わらず、誰もが同氏にNOが言えない、意見しない事が問題であり大罪なのだと思います

一方、P・ユベロス氏は、ロス五輪後米国共和党カリフォルニア州知事として立候補を予定していましたが、丁度同党からアーノルド・アロイス・シュワルツェネッガー氏(Arnold Alois Schwarzenegger, 1947年7 月30日 生れ)が立候補した為、共和党は、シュワルツェネッガー氏を擁立した経緯が在りました。

ユベロス氏は、政治家としてのセンス、実力を兼ね備えていた事も州民が認めるところです。その後同氏は、メジャーリーグMLBコミッショナーの要職に就きました。このような人物こそが、信頼できる政治家であり、スポーツ・ビジネスアドミニストレイターなのだと思います。世界のスポーツ界に変革を与えたBIG3の1人と言われる所以です

 

此処で誤解を恐れずに申し上げますと、筆者は、森喜朗氏個人に対しての良し悪しを申し上げているのではございません。私は、同氏との面識も利害関係もありません中立の立ち位置です。同氏を本組織委員会の総責任者として祭り上げた関係者の「都合」が問題であるのでないかと申し上げているのです。このことは、組織内に於いて談合がしやすい利権構造にしてしまっている事、よって国民、社会に情報公開がなされない事が問題であると指摘させて頂いているのです。おそらく、ご本人の森氏は、このような事を思考されたことも、問題とも感じていないのでしょう。

もう一つ疑念が残されています。2016年、2020年東京オリンピックを招致しようとした国会議員連の政治家達とJOC東京都知事、そして関係者は、何故84年P・ユベロス氏が残した貴重な財産の運用、活用を検討もせず、公金(税金)を引き出すことのみに執念を燃やしたのか、重大な疑念は此処にどの様な理由と真意が潜んでいたのかです

 

■嘘つきは政治家の始まりか

これら関係者は、専門的な知識と情報が欠落し、公金を使う事のみに魅力と興味が有ったのでないかと思われてもしかたありません。客観的に申し上げられます事は、森喜朗氏自身が問題の本質を認識されていないのではなく、如何にして莫大な公金を政府から引き出し、如何にして絶対的な利権を手中に握るかが最大の興味欲であったのではないかと今尚同氏の心中を推察いたす次第です。政治家の持つ常識と我々国民、社会の常識とは、全く真逆か、或は、正義と公正の感覚がずれているのでしょうか。

筆者は、幼いころから「嘘つきは泥棒の始まり」とよく聞かされていましたが、そうではなく「嘘つきは政治家の始まり」ではないかと今日思うに至りました

■責任の一端は無関心を装う国民にもある

日本には、真のスポーツ・アドミニストレイターとして求心力、カリスマを持った人材が居なかったので、森喜朗氏の様な人物が今日も尚日本政府に於いて重鎮扱いをされている様子を鑑みますと、スポーツどころか日本国が今まさに主体性を持たない国家と化している様子が洞察できるのではないでしょうか。私は、そうは思いたくないし、そうであって欲しくもありません。

読者の皆様の本音は、如何でしょうか。現実は、もう「沈黙は金」ではなく「沈黙は国民としての犯罪者」に値する時代が来たように思えてなりません。皆さんが無感心を装い、勇気を出して発言されないのでグレーゾーンの中に位置する人達が増殖しているような気がしてなりません。我々国民一人一人にも責任の一端は、確かにあると思います

 

2.IOCのオフィシャル広告代理店としての電通

  広告代理店電通は、84年ロス五輪以降、IOCのオフィシャル広告代理店となり、今日もこれからもIOCと契約関係にあります。84年以後全てのオリンピック大会の公式広告代理店は、電通であり、彼らはパートナーなのです。また、企業電通は、以前も今も変更なく実利主義は彼らのビジネスコンセプトです。

 

■広告代理店電通IOC並びにIF(国際競技連盟)の代理店

  84年迄の日本の広告代理店は、二大巨頭として電通博報堂が君臨していたことをご存じの方も多くいると思います。世代に寄っては、博報堂のネーミングすらご存じない方がいるかも知れません。1982年のワールドカップサッカー、スペイン大会の広告代理店は、博報堂でした。Jリーグも1993年の開幕から博報堂でしたが、全て電通により強奪されて今やその影はサッカー界において見当たりません。

箱根駅伝のスポンサーシップの広告代理店、また高梨沙羅選手の代理店は、博報堂ですが、これらは電通の比ではありません。この差は、大きく東京五輪に於いては博報堂電通に下請け仕事を得るために頭を下げに行った現実を垣間見れたのです。これらも地検特捜部の捜査の手が入って、社会に露呈したのです。

電通は、当然IOCのオフィシャル広告代理店であり、東京五輪組織委員会の国内のオフィシャル広告代理店としても、全てのスポンサーシップを独占的(Exclusive)にビジネスマネージメントを行っています。よって、電通は、何処でオリンピックが開催されようとも事業、ビジネスに損失は生じない構造とシステムを形成しているのです。読者の皆さんは、ご存知でしたか

東京五輪組織委員達はお飾りで、実質は電通社員の駒

    2016、2020年の東京招致活動から、そして組織委員会と殆ど大会の経営、運営、管理に携わる関係者達は、これらのノウハウも持ち合わせていないために、略全てを電通さんにお任せしてお預けしてしまったと申し上げても過言でありません。(例えば、オリンピックのプレゼンテイションの台本からスピーチの人選、雛壇に並ぶ人選までも)この事は、昨年来から東京地検特捜部によって捜索が今尚続いていますが、組織委員会の内部に多くの電通社員がなだれ込んでいた実態が、捜索活動により露呈している次第です。しかし、これらの人事に於いて最終的に推薦、任命したのは、組織委員会会長の森喜朗氏その人に任命権が集約されているからに他ならないのですが、特捜部は度重なる事情聴収をホテル大倉で森氏を任意で取り調べた報道をされても、何のお咎めも受けないでいられるのは何故なのでしょうか

政治家達とその関係者達の仕事は、国民、都民の貴重な血税である公金が使えるように準備されたと申し上げた方が判りやすいかも知れません。このような構造とシステムの中で、流れ出て行く公金の使途を精査するかどうかもこの政治家、関係者の裁量に委ねられている、悲しい構造である事に我々国民は、無関心を装っているのです。

読者の皆様は、長野冬季五輪組織委員会の重要書類が焼却処分されていて不正の調査が立切れとなった事は記憶に新しいのでないでしょうか。このような問題は、今日に於いても財務省局長の国会答弁でも同じような事が繰り返されている事をご承知の筈です。

 

3.真の情報開示の必要性

これらの重要な情報は、国民と社会に誰が提供すべきなのでしょうか。どうして我が国の国民、社会は、このような現実に対して無関心を装おうとするのか、個々の大多数の国民は、本当は疑問と疑念を抱いているが、個人の力ではどうせお上には伝わらない、逆らえない、よって言ってもしょうがない、とそのあきらめによる無関心な「心」が不誠実な人達を醸成し、わが日本国を蝕んで行っているのでないかと私は考えます。

皆さんは、84年ロス五輪の運営・管理方式と2020年東京五輪の運営・管理方式のどちらのコンセプトを採用するのが日本国民と社会に取って適切だとお考えですか。もっと国民、社会は、無関心を装わず強い関心と高い見識を持って勇気ある発言力と行動力を持たなければ、この国は近隣諸国に略奪される可能性も近い将来あるかも知れない。そういう危機感を持って欲しいです。国民よ、そして若者よ、目を覚まそうではないか。皆様の「心」に変革(Change)が必要な時代と時がやってきたのです。現在の我が国の構造的な問題を改善、改変しなければ若い世代に未来は訪れないと思います

 

Ⅱ.ロス五輪と東京五輪のまとめ

僭越ながら、若し筆者が2020年東京大会の組織委員会で、真の実権が与えられたならどうしただろうとふとクリエイトする事があります

私は、一部ロス方式を活用したかもしれません。それは、IOCのオフィシャル広告代理店が日本の企業電通である事を大いに利用して、20年東京大会組織委員会の権利である国内スポンサーシップ販売権を電通とHDYグループ(博報堂、大広、読売広告)、その他広告代理店に対し、競争の原理を活用し、少なくとも公金の負担を軽減できる金額を提示した代理店に権利を譲渡する手段を用い、スポンサーシップ権を有効活用しようと考えたと思います

この方式をIOCに承認させるのが政治的な手腕であると確信している次第です。如何でしょうか。

何故ならば、ご承知の通り2024年のパリ、2028年のロサンゼルスと招致を希望する都市がこの都市しか立候補せず、東京のような招致合戦が無くなったためにIOC及びその理事達は窮地に立たされていたのです。要するに日本国内の招致合戦(利権争い)をIOCの理事達に上手く利用されたのです。

これによりオリンピック開催は、国内企業への経済の活性化、国民、社会の一体化へと繋がり、使用しなかった公金は、東北のみならず震災復興に全て還元し、一人でも多くの苦しまれている国民を救えたのではないでしょうか。これらは、関係政治家、関係者の「心」による判断と決断をもってして可能であったことです。読者の皆様には、ご理解頂けましたでしょうか。

 

文責 河田弘道

スポーツ・アドミニストレーター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

紹介:G‐File「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文藝春秋社 著 武田頼政

お知らせ:

 ロス五輪と東京五輪の違いと問題点の詳細を連載させて頂きましたが、読者の皆様には何が問題で何が大きく異なっていたかを解読して頂けましたでしょうか。読後感は、如何でしたでしょうか。筆者が知り得たロス五輪に付いてこれ程詳細を描写された記録は過去にありましたでしょうか。読者さんからのお便りにもありましたが、84年ロス五輪当時の電通社風と東京五輪時の電通社風、精神に大きな違いはありません。いつの時代にもそのような環境の企業に於いても、個々の社員の中にも確りとしたプロの仕事への信念と目的、目標を持って取り組む優秀な人間がいる事をご紹介させて頂いた事をお忘れになられませんよう願うしだいです。裏方は、浮かばれない縁の下の力持ちで終わって欲しくないのです。「JusticeとFairness」は、縁の下にもある事をお忘れなく。