KファイルNO.166:Kファイル感想及び読後感特集編

KファイルNO.166:Kファイル感想及び読後感特集編

無断転載禁止            毎月第二、第四木曜日 公開予定

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秋の感謝祭の季節 Season Greeting  Pumpkin Season

 

筆者からのお知らせ

 この度のKファイルNO.166は、前回NO.165のテーマ「日本代表選手の現実とフェアネスの必要性」に付きまして、大坂なおみ選手の東京五輪開会式式典での最終聖火ランナーとしての立ち位置をモデルに、競技スポーツ界に於ける日本代表選手の現実とフェアネスの必要性に付いて述べさせて頂きました。

本原稿を公開致しました後、SNSには、毎日約4000通のアクセスを頂き読者の皆様が強い関心と熱い鼓動を持たれている事に驚かされています。

何故ならば、日本国内のTV、マスメディアは、筆者が知る限り本編に関わる話題、議論もされないという不思議さを感じていました。その根拠は、開会式式典の翌日から海外マスメディアは、本テーマに付いて激論が交わされているにも関わらず、日本のTV、マスメディアはどうして触れたくない、避けているかの様子が伺われたからです。日本国民は、諸外国の国民、民族とは異なる価値観を持っているのか。人は、十人十色と申しますが人の数だけ興味、その価値観も理解力も異なって当然です。しかし、我々国民は、知る権利があるのも事実です。

しかし、このようにKファイルにてSNSに公開したとたんにこれ程のアクセスが連日連夜継続する事から人はみなある部分に於いて潜在的に同じ価値観を持っているのかも知れません。筆者は、真摯な読後感、感想、意見を毎日頂き、拝読させて頂きながらKファイルにより本テーマが文字にされ公開している事に対して、読者の皆さんから大変称賛を頂いている事を知り感謝致しております。筆者は、大坂なおみ選手を批判しているのではありませんし、国籍、二重国籍云々を特に問題視して述べているつもりもありません。それよりもっと日本人として重要な問題を皆様には、ご指摘して頂ければ幸いです。

多くの見識の有られる読者の皆様は、本件に付いてストレスと将来の日本を憂いておられる胸の内を推察いたします。それでは、何故声を出して意見を述べられないのか、できないかを皆さんの読後感からストレスフルな心中がにじみ出ているように筆者には感じます。

此の度は、この読者の便りを通して大多数の読者の皆様にご紹介致す事によりKファイルの大義と趣旨・目的に近付いて頂けるのでないかと思います。本編は、読者からのお便りを下さった方々のご了解を得て、ご紹介させて頂く企画とさせて頂きました。

ご紹介させて頂きます方々は、それぞれ異なるご専門、価値観を持たれ、共通するのは長年の実践キャリアをベースに成果と結果を持たれ高い見識を持たられた方々です。ご登場に感謝申し上げます。

尚、読後感の中には、NO.165以前とKファイルNewsで公開しました「日本女子バレーボールの衰退」のコメント記事に対する熱い貴重で勇気ある読後感が寄せられていますので、実名でご紹介させて頂きますので合わせてご熟読頂ければ幸いです

*読者からの便りは、アルファベット順にご紹介させて頂きました事をご理解ください

目次

Ⅰ. 前回NO.165のテーマ「日本代表選手の現実とフェアネスの必要性」に対する読者

  からの便り

Ⅱ. 日本女子バレーボール界失敗の繰り返しの責任の所在について、

  投稿者 吉田敏明

 

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KファイルNO.166:Kファイル感想及び読後感特集編

無断転載禁止               

2021年10月07日 木曜日               公開

Ⅰ. 前回NO.165のテーマ「日本代表選手

  の現実とフェアネスの必要性」に対す

  る読者からの便り

 

■読者からの便り①

河田様

 K'sファイルを拝読しました。今回も、東京五輪の問題点をあぶり出されるような、圧縮した濃い内容でした。

 東京五輪に関して最大の問題点は、河田さんがこれまで何度も取り上げてこられた「大会の重要な大義と趣旨・目的が最初から欠落していた事」に尽きると思います。「それがために、本大会の背骨(スケルトン)はないに等しく、最初から最後まで一貫したビジョンがなかったためにストーリーが描けず、右往左往した東京五輪」となったわけです。

 新型コロナウイルス禍も重なり、組織委員会にとっては、確かに不運でもありました。しかし、コロナ禍でなくても結局は大義が見つからず、二転三転したように、開催決定から7年が8年に延長されても大義は見つかりませんでした。その結果、「多様性と調和」という、いつからそんなテーマが誕生したのか、国民が知らされていないテーマまで飛び出し、老舗の名物料理ではなく、日替わりメニューの感を拭えませんでした。もし、本当に「多様性と調和」をテーマに掲げるのであれば、せっかく五輪とパラリンピックを開催しているわけですから、五輪の最終聖火走者にはパラリンピアンで金メダル15個を獲得している競泳の成田真由美さん、パラリンピックの点火者には五輪で8個の金メダルを獲得している体操の加藤沢男さんあたりを据え、拝「金」主義ではないですが、クロスオーバーさせることで、両大会の成功を願うこともできたのではないかと思います。実際に1992年バルセロナ五輪では聖火点火を、火の付いた矢で車いすの「ロビン・フッド」が果たしました。人類愛を訴えたあのシーンを、世界中の人々は間違いなく今も覚えていると思います。

 また、8年前の東京五輪招致の際に大義としていた「東日本大震災からの復興」は、開会式で岩手、宮城、福島の被災県から子どもたちが6人出てきて聖火ランナーを務め、復興の願いをつなぎました。ただ、強力なアピールや震災時に多大な支援をしてくれた世界への感謝につながる言葉にはほど遠く、もしこだわるなら、開会式のプラカードを2011年3月11日生まれの子どもたちに持たせるなどの演出があっても良かったのではないかと思いました。

 日本は東京五輪でどんなレガシーを残したのでしょうか。それは金メダルの数ではなく、世界がコロナ禍で大変な中でも、スポーツを国民が愛し、スポーツ文化を持つ国であるとアピールすることではなかったでしょうか。

 開催前は、世論調査で反対する声が圧倒的でも、いざ開催すれば、日本国民は五輪に目が釘付けとなりました。開会式の視聴率はNHK総合の生中継が、関東地区で56・4%(関西地区では49・6%)を記録し、夏季五輪の開会式としては過去最高の1964東京五輪の関東61・2%に迫る高視聴率でした。

 最後に、河田さんがご指摘された、大坂なおみ選手の最終聖火ランナーへの抜擢ですが、過去の五輪データを紐解くと、最終炬火走者を務めて、その大会で金メダルを手にした選手は、2000年シドニー五輪の陸上女子400m選手、キャシー・フリーマンただ一人だけのようです。最終聖火ランナーは金メダルを獲得する選手ではなく、過去のメダリストであったり、時にはスポーツとは関係ない少年が起用されたケースもあります。

1964年東京五輪の坂井義則さんは五輪選手でなくても有名ですが、1972年札幌冬季五輪は誰が務めたか、記憶があやふやな方が多いのではないでしょうか。札幌大会は「将来性のある若者」として、市内の高校生の中から選ぶことになり、当時高校1年生でバレーボール部の高田英基さんが選ばれました。フィギュアスケートでは転倒しても自然な笑みがこぼれた、ジャネット・リンのあの笑顔。札幌大会は商業化の波が押し寄せてきていた時代だけに、爽やかでした。

それに比べて、今夏の東京五輪は何かにつけ、無理やり感が強かった気がします。 

読者より (現役マスメディアのベテランスポーツ記者氏)

 

読者からの便り②

河田先生

K ファイルNo 165拝読いたしました。更新お疲れさまでした。短い期間にこれだけはっきりと論点を明確にされ、記事にされる力量に感服いたします。

特に最終聖火ランナー決定背景への考察、ラグビーワールドカップへの視点は、どのメディアもとりあげない問題点を鋭くあぶり出されています。それはとりもなおさず、河田先生がスポーツアドミニストレーターとして必須の姿勢である、「justice and fairness」 を貫いておられるからに他なりません。この点に関しましては、残念ながら日本のジャーナリズムに期待できる現状ではありません。

紙媒体を離れ、インターネットに眼を移しますと、ユウチューブなどで、東京オリンピックの問題点を逸早く指摘し、深く追及されている有益なチャンネルもございますが、どこも政治問題に終始しており、私の観察によりますと、日本文化と日本語、教育のあり方まで踏み込んだ視点に欠けているようです。

さて、No165の主要テーマが、「大切にしたい日本文化と日本語」であることに、強く同調、及び共感いたします。

最終聖火ランナー大坂なおみさんだったことは、世界ならびに日本に相当なインパクトを与えたわけですが、そこに潜む政治家の安易な決定の異常感覚に違和感を伝えられたのは、今のところ河田先生だけではないでしょうか?人種差別問題に係わる微妙なテーマですから、各紙、各位が本能的に避けておられるのが見てとれます。逆に外国の方が、「日本大丈夫か?」と心配されているわけですから、かなり皮肉な局面だと言わざるを得ません。外国の記事を読みますと、その情報量が圧倒的に違うのがわかりますが、もうすでに彼らとの知性の差が、そこまで開いているのでしょうか?

人々が文字から離れ、映像のインプレッションばかりに頼る現象は、危険な一面があることを知らなければなりません。新聞業界の危機も、自ら日本語を蔑ろにし日本のアイデンティティーを育てない教育のあり方と連動しています。

大義のない、その場しのぎの、薄っぺらいイベントに莫大な税金をつぎ込み、利権を潤しただけの偽りの祝祭を、日本国を支えてきた祖先の皆様は、はたして喜んで見ておられたでしょうか?我が国政治家の主流は、保守と理解していますが、果たしてその保守主義の中身は、真の保守と言えるのか?疑わしい限りです。まっとうにがんばる若者に未来を残しておきたいものです。

松田和広より (元体操競技指導者・経営者 英米文学)

 

読者からの便り③

河田様

通常の紙面や記事としては取り上げにくい、しかし本来論じることが不可欠なテーマに寓話としてではなく、直球で多々取り組まれる姿勢に敬意を表します。

大坂なおみの最終聖火ランナーは、これから日本社会が目指すべき方向性という点で、決して悪くないアイデアではなかったか。しかし、いざ実現となると、国民の大半以上がそれを歓迎できる寛容さ、とまでは言わずとも、少なくとも理解度を備えることが必須だ。そう考えると、今回の人選は残念ながらまだまだ早すぎる挑戦だったのではと思わざるを得ない。国内外を問わず、違和感を覚える人が少なくなかったならば、それこそが、まだそこまで日本が多様化していない証しでもある。

海外からそのような指摘、疑問を呈されたのが、オーストラリア紙であったことも決して偶然ではあるまい。そう思われるほど、2000年シドニー・オリンピックで、同じく大会出場選手で先住民アボリジニのキャシー・フリーマンが最終聖火ランナーを務めたシーンは今なお印象深い。迫害の歴史を乗り越え、白人との融和を果たしたような“脚色”が実態に即していないという批判がたとえあるにせよ、開会式のセレモニーで先に披露された「オーストラリアの歴史と文化」には実に2千人ものアボリジニが参加するなど、和解のメッセージが確かに送り出された後に展開された水上の聖火点火ではあった。その後、彼女が陸上女子400mで金メダルに輝いた事実により、このシーンがより鮮やかな記憶と化した可能性も否定はしない。

大坂を最終ランナーとして迎え入れるという極めてデリケートな演出を敢行してみせる覚悟があったならば、仮にこのシドニーの時ほどではないにせよ、もう少し丁寧な導入部分が必要だという意見の一つも運営側からは出されかったのか。そのような描き出し方のかけらもないまま、いきなり彼女が現れたところで、その唐突さに十分に向き合えるほど、日本社会はいつから「インクルーシブ」になったのか。確かに森喜朗は退場し、タリバンも元々存在しない。にもかかわらず、男女平等さえまだまだこれからだというこの国が、そのハードルをいきなり飛び越え、人種差別のない共生社会の方を先に実現できていると、誰が恥ずかしげもなく世界に向けて堂々と宣言できようか。

だからこそ、そのような祖国・日本が少しでもよくなることを願い、欠点を補ってあまりある“底上げPR”に黙々と手を貸してくれた大坂自身には今回、非はまったくない。糾弾されるべきは、そこまで協力的で善意ある彼女を、自分たちにとって都合のいいだけの共犯に仕立てようと、お手軽で浅はかな企てをたくらんだ大会組織委員会である。本来ならば素晴らしいはずの人選をしっかりいかし切れる手腕もハラもないくせに、ひらめきだけで飛びついた挙句、事の本質も見定めず、違和感だけをまき散らし、メッセージを潰して終わった責任をどう考えているのか。なぜ彼女を最終ランナーに選んだのかという問いは、なぜ無観客にしてまで東京2020を開催したのかという疑問に対するのと同じくらいに重大な総括を要するものである。

その明快な答えを今すぐに見出し得ないこの国に、せめて罪滅ぼしとしてそれでも残される可能性は一つだけ。五輪のスローガンであったとかいう「多様性と調和」を、今度はレガシーとやらとして、どこまで社会全体に根付かせていけるのかどうか。晴れてそれが達成されたらその時にこそ、大坂の笑顔が見たい。(エセ・イソップ)  

読者より(TV/マスメディアの経験を経て現在大学教授)

 

読者からのたより④

河田様

いつも配信ありがとうございます。

今回のような、まさにtouchyな事柄を文字になさったことに、まずは敬意を表します。学術的にはともかく、我々は単一民族だと固く信じている多くの日本人にとって、また、移民に対して極端なまでにネガティブに思考する日本人にとって、「日本人とは何ぞや」という問い掛けは、今後避けて通れない精神的命題だと思います。

私は1990年代にオーストラリアに駐在し、生活した経験があります。既に白豪主義は死語でしたが、それでも社会の隅々に白人優位、しかも英国式の階級社会の名残りがあり、私も(恐らく有色人種であったために)差別的扱いをされた経験がありますし、中東を始めとする他の多くの有色人種が混在する社会を目の当たりにしました。それでもあの国は、人口が少ないため、国力を上げるために移民政策を導入し、多様化社会を容認する道を選択し、今に至っています。

ここにきて、ナショナリズムの高まりから、移民政策の是非が問われ、グレートアメリカンならぬグレートオーストラリアンが言われるような空気があるやに聞きますが、それでも、あの広大な国土にわずか2000万人強の人口ですから、まだマネジすることは可能なレベルでしょう。従って、かの国にはいわゆる白人ではない、オーストラリア国籍人が山のようにいるわけです。

一方、日本はどうでしょう?

多様化の社会と言葉では言いながらも、実際には物凄く同調圧力は強いですし、日本人同士でもそうですから、そこに典型的な日本人の外見や文化的背景とも異なる、日本に帰化した人たちをどのように包摂していくのか、我々自身がもっと内省的に考察していかなければいけない問題ではないかと個人的には感じています。

海外での生活経験からか、私はどちらかと言うと国籍を緩く考える方だと自認していますが、ただ、どのような経緯で決定されたか存じ上げませんが、オリンピックのあの最終聖火ランナーの役割に彼女を利用するようなやり方は、そもそも東京オリンピックパラリンピックを何のために開催するのか?という事の本質から敢えて目をそらさせて、美談にするような行為に感じたというのが率直な感想です。その意味で、感じた「違和感」は、河田さんのそれと同じように思います。

日本人の忘れっぽさ(笑)と古から事が移ろうことを是とするような特有な文化的背景が、遺伝子に組み込まれているんでしょうかね(笑)

これから急速に人口減少が進む日本では、好むと好まざるとに関わらず、髪の色、眼の色、肌の色、文化的背景が、我々が既定してきた日本人と異なる日本国籍人が増えて、内なる国際化は進むはずですから、どう考えればいいのでしょうね・・・

今回の河田さんのKファイルを拝読して、海外駐在から帰国して以降忘れ掛けていた、私自身の日本人としてのアイデンティティを改めて考えるきっかけとなりました。同時に、「多様性」というワードを様々な局面で使うことが、一種の免罪符になって、先に触れた内省的な考察が置き去りにされてしまわないか、そういった危惧を感じた次第です。

「多様性」を理解する頭の問題と「多様性」を受け入れる心の問題とをどのように自分の中で昇華すべきなのか、答えが見付からないまま、そんなことを読後に感じていました。 愛読者より (大手IT企業の経営・管理者)

 

Ⅱ. 日本女子バレーボール界失敗の繰り返

  しの責任の所在について、

KファイルとKファイルNewsで公開しました。「日本女子バレーボール界の衰退」のコメント記事に対する非常に貴重で勇気ある重要な読後感が寄せられています。

読者からの便り⑤

河田弘道

河田様の日本女子バレーボールに関します問題と提言をKファイルNewsで拝読いたしました。また、kファイルは、いつも拝読させて頂いております。

本日は、小生の日米に於ける現場での実践経験から得た日本のバレーボール強化の問題点を指摘させて頂きます。

日本におけるスポーツ文化がクリーンで活力があり、持続可能であるためには、河田氏のようなアドミニストレーター的オピニオンは、必要と思います。私は、現場のプロ(的)バレーボールチーム監督でした。監督などとは別角度からの河田氏のご意見にはいつも刺激を受けています。また、多くの方々もそうであろうと思っております。

私はバレー人間なので、河田氏の全日本男女チームの話は身につまされる思いです。河田氏は、「日本バレーボール協会本体の編成部門を仕切る方の最高責任者(多分会長氏以下の中枢機能を司る人達)に今日のバレーボール競技の勝たせるための編成に関する人材(能力のある人)の人選を誤っているのだと思います。」と指摘しています。まさにその通りと思っています。私は、中枢機能を司る人間ではなかったのですが、2020年5月までは女子バレー強化のそれなりのポジションに就いていただけに、辛いところがあります。

オリンピックにおける女子バレー予選敗退の理由のひとつに、適切なコーチングスタッフの編成ができなかったという事があげられると思っています。その背景には、協会の人間がU20チームの監督にほれ込み、ある種強引にコーチに任命した、というのが有力と理解しています。中田ジャパンンに適していたかどうか疑問の残る人事でした。監督・コーチ・選手関係の深みを見ない誤った判断であったと思っていました。私以外にも、そう思っていた関係者も多かったはずです。私は、担当者には意見もぶつけましたが、残念ながら壁を通る事はありませんでした。その時点で、オリンピックの惨敗は決していたのかもしれません。いや、河田氏が言うようにそのずーと以前から。

金メダルを取ったアメリカ始め世界女子トップチームは、監督が真のリーダーシップを発揮するコーチングスタッフ編成になっています。参謀的スタッフはいます。が、選手の前にでるのは、監督です。試合の最も重要な時に、選手の前に出るのがコーチで、監督は遠慮しているように見えるのは日本だけでした。

サッカーより100年遅れているバレー(私はそんな感じを持っており、その事を協会トップにもぶつけていましたが、スルーされていたようです。)、いよいよ心配です。日本バレー協会、Vリーグ機構には課題が山積しているはずです。光を見出すためにも、強い全日本チームが望まれます。その為の人事を適切に行わなければなりません。

Kファイルの内容を語るのではなく、私の日本バレーへの「感じ」を少しだけ書かせてもらい失礼しました。Kファイルの発展を祈念します。

寄稿者:吉田敏明 

同氏プロフィール:

1954年、山形県生まれ。大学まで選手として活躍。順天堂大学を卒業後、筑波大学大学院で「コーチ学」を学び、修士課程修了後の79年、アメリカへ渡る。全米女子ジュニア代表チーム監督、全米女子代表チームアシスタントコーチを歴任し、82年に帰国。日立女子バレー部監督として日本リーグで優勝。黄金期を支える。2000年のシドニーオリンピック後、外国人として初めて、全米女子バレーボール・チーム初の日本人監督に就任。

2002年世界選手権で銀メダル、2003年ワールドカップ銅メダルに導き、アテネオリンピック後に退任。

2006年、地元のパイオニアレッドウィングス監督に就任。

3年間同チームを率い、2009年5月退任。

2009年7月、V・チャレンジリーグ(当時Vリーグ2部)の上尾メディックス(現・埼玉上尾メディックス)の監督に就任。5シーズンかけて2014年にチームをV・プレミアリーグ(当時Vリーグ1部)昇格に導き、

2014/15V・プレミアリーグ、2019-20V1リーグ(V.LEAGUE DIVISION1)でチームを3位に導いた。

2020年6月、監督を退任。現職大学教員に至る。

 

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports)

紹介:Gfile「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文芸春秋社 著 武田頼政

   Kファイル、KファイルNews

お知らせ:

お礼と感謝

多くの信頼できる読者の方々から貴重で有意義な読後感、感想、等を頂きまして誠にありがとうございました。ご紹介させて頂きました個々の方々は、皆様その分野でのプロフェッショナルであられ社会人として経験豊富で多くの成果と結果を実践で証明された方々で感謝致しておりす。筆者に取りましては、大変勉強になりましたし、身の引き締まる思いです。読者の皆様に取りましては、何かご参考に成りましたら幸いです。